諸国因果物語 巻之六 犬密夫を殺す事
犬(いぬ)密夫(まおとこ)を殺す事
讚州高松の舩頭(せんどう)勘太夫(かんだゆう[やぶちゃん注:ママ。])といふ者、犬を、殊の外、寵愛して、寢起(ねをき[やぶちゃん注:ママ。])にも撫(なで)さすり、舩出(ふなで)になれば、共に舩(ふね)にのせて、大坂に來り行(ゆく)にも、歸るにも、
「ひた。」
と、犬をともなひて、はなさず。
名を「素助」とぞいひける。
[やぶちゃん注:「素助」後の本文で「しろすけ」と読みを振る。]
其内にめしつかひける太七といふ下人、勘太夫が女房と密通して、留守のあいだには、ひとへに、亭主のごとく、物事をさばきける事、二年ばかりにもなりぬ。
過(すぎ)し元祿の午(むま)[やぶちゃん注:元禄三年庚午(かのえうま)。一六九〇年。]の春は、此事あらはるべき端(はし)にや、女房をはらませけるに、さまざまと藥をのませ、針をさせなどして、此子を水になさんと、もがきけれども、宿業のつもりにや、一切、おりる事、なし。
とかくするほどに、勘太夫も、道中つゝがなく舩出して、
「四、五日が内には高松に歸る。」
と、さきだちて便宜(びんぎ)[やぶちゃん注:書信。]せしに、いよいよの氣づかひ多く、とりどりなるしあん、さだめがたく、太七と女房と、打よりては、
「先、此事をいかゞせまし。」
とぞいひける。
されども、替りたる分別も出ず、日は、せんぐりに[やぶちゃん注:ますます。]近よるにつきて、所詮、いたわしく[やぶちゃん注:ママ。]思ひながらも、
「いづれの道とても、命ありては、後のなん、のがれがたし。そのほうも假そめながら、今までのなじみなれば、無下に憎しとも思ひ給ふまじとおもへども、勘太夫といふ者を安穩(あんおん)に置(おき)ては日來(ひごろ)のちなみ、此たびにあらはれ、我のみにあらず、其方まで、いかなるうきめにか逢(あひ)給らんもしらず。我ふたり、さしちがへたりとも、此惡名、おのづから隱(かく)れはあらじとおもふ也。何とぞ、勘太夫を殺し、おもふまゝに夫婦となるべき思案には付給ふまじや。」
と、いひけるに、女房も心よげに打わらひ、
「それまでも、我をうたがひ、遠慮したまふこそ、うたてけれ。我にふたごゝろなき證據には、今にも、勘太夫、下りつきたまはゞ、手にかけて殺しこそすべけれ。はやく、その手だてを分別したまへ。」
といふ。
太七も安堵して、
「しからば、勘太夫下りつきたまはゞ、いついつよりも、心よくもてなし、むつまじうあいしらひて、食(めし)をもすゝめ給へ。いつも酒を多く吞(のむ)なれば、おもふさま醉(ゑひ)のませて、心をやすめ給はゞ、例のごとく、膳にすはりたるまゝ、醉の來(く)るにしたがひて、ふらふらと眠るべし。其ひまを窺ひ、我、物かげより、半弓をもつて只中(たゞなか)を射ぬきて殺べし。かまへて、色(いろ)をさとられ給ふな。」
と、くれぐれ、いひかためて、勘太夫を待けるに、かくともしらず、勘太夫は何ごゝろなく舩に乘(のり)つゝ、高松ちかくまで漕(こぎ)わたりけるに、ある夜の夢ごゝろ、
「舟玉(ふなだま)。」
と名乘(なのり)て、枕がみに立(たち)より、勘太夫が顏を、
「つくづく。」
と、ながめ、
「……汝――つるぎの中にあり――身を動かす事――なかれ――舟は一寸を損じて――潮(うしほ)なれども――たのしみは――爰(ここ)にあるぞ……」
[やぶちゃん注:特異的にリーダとダッシュを用いた。]
と、
『くりかへし、くりかへし、のたまふよ。』
と思ふに、「素助(しろすけ)」、しきりに吼(ほえ)たちて、いがみけるに、目、さめぬ。
あまり、心にかゝりしかば、舩をあがるより、先(まづ)、山ぶしのかたに行(ゆき)て、彼(かの)夢の事を判じさせけるに、山ふしの云(いふ)やう、
「是は。もつての外、身の大事にて、命の終る事、こよひを過(すぐ)さず。」
と、占ひしを、勘太夫、また詞(ことば)をかへして、
「其難は、家にあるか、外にあるか。」
と、いふ時、
「なるほど。内にあり。陰陽のめぐりの違(たが)ひたるゆへに、冬の氣すゝみて、次に秋を得たるやうの卦(け)なり。」
と、かたりぬ。
「さては。我(わが)留守(るす)の内(うち)に、あやしき者、出來(いでき)て、家をほろぼし、我を殺さんとする也。」
と、心に思案をきはめ、何となく歸りけるに、素助(しろすけ)、
「ひた。」
と、勘太夫が裾をくはへて、引とゞめ、内へいれず。
心には、
『さてこそ。』
と、おもひながら、再三、もぎはなして入けるに、女房、いついつより、機嫌よく、心むかひ、しみじみとなつかしげに、足の湯、とり、飯(めし)なども、とりいそぎてすゑけれども、勘太夫は、
「何とやらん、けふは取わき、心あしく、時々、目まひなどもする。」
よし、僞(いつわり[やぶちゃん注:ママ。])て、喰(くは)ず、酒も、
「氣のとりのぼりたるには惡敷(あしき)。」
とて、吞(のま)ず、旅のまゝにて、臺所に手(て)まくら、狸ねいりして、窺ひ居たるに、犬、また、庭につい居て、動かず。
くひ物をくわすれども[やぶちゃん注:ママ。]、見むきもせず、たゞ太七を見とゞめて、目をはなさず。
太七は、
『勘太夫、寢いりたり。』
と、おもひて、身づくろひ仕(し)て、半弓を取出(とりいだ)し、打(うち)つかふ時、勘太夫、目を
「くわつ。」
と、見ひらき、
「素助(しろすけ)。」
と、呼(よび)かけければ、此聲を聞(きく)とひとしく、飛かゝりて、太七が陰囊(きん)にくらひ付けるほどに、
「あつ。」
と、いひて仆(たを[やぶちゃん注:ママ。])るゝ所を、やがて、咽(のど)ふゑに喰(くひ)かゝり、なんなく、太七を仕(し)とめたり。
女房、今は、あらはれたると思ひ、井戶へ飛こまんとしたる所を、勘太夫、うしろより抱とめ、色々とせんぎしけるにぞ、不義の密通、あらはれて、終に殺さるべかりしを、近所の衆、あつかひしかば、なくなく、尼になして、追(おひ)はらひけるとぞ。
[やぶちゃん注:「しろすけ! ようやったぞ!」――]
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