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2019/08/19

諸国因果物語 巻之五 願西といふ法師舍利の罪を得し事

     願西といふ法師舍利の罪(ばち)を得し事

Gansai



 山城國新田(しんでん)といふ所に与十郞といふものあり。彼が家にふしぎの本尊あり。御長[やぶちゃん注:「おんたけ」。]、立像二尺ばかりにて、いかさま、名作とは見ゆれど、いかなる仏工の作ともしらず、只、惣身[やぶちゃん注:「そうみ」。]より、ひた物、舍利の分し[やぶちゃん注:「ぶんし」。自然に分かれる。]給ふ事、たとへば、瘡疱(はうさう)の出たるが如くにて、毎日蓮臺のうへに落る所の舍利、七、八粒づゝありて、絕る事なし。

[やぶちゃん注:「山城國新田(しんでん)」現在の京都府宇治市広野町東裏にあるJR「新田駅」(グーグル・マップ・データ)の周辺か。]

 是を聞つたへ見及びたる人は、遠き國、はるかなる道をいとはず、信心のあゆみをはこびて、一たび拜(おがみ)たてまつり、後生の善果を得ん事をねがふ人も、おほく、又は、さまざまの所緣(ゆかり)をもとめて、此御舍利一粒(りう)を乞うけ、七寶の塔をたて、香花をさゝげ、他念なくおこなふ人もすくなからず。

 かゝる人のもとへ入給ひし舍利は、又、おのおの、分(ぶん)つぎて、二十粒、三十粒となり、あるひは、何とぞ、心いれ、あしくなる人、または、不信心になるやうの事ある時は、悉(ことごとく)減(へり)て、もとの一粒になりなどして、㚑驗(れいげん)あらたなりしかば、いとゞ、五幾内に此うはさのみにして、尊(たうと)み、もてはやす事にぞありける。

[やぶちゃん注:「五幾内」大和・山城・河内・和泉・摂津。]

 爰に、南都より引こみける道心あり。願西といひしが、此新田にちいさき[やぶちゃん注:ママ。]庵をもとめ、二、三年ありけるが、彼本尊の驗(しるし)ある事を、うらやみ、そねみて、

『何とぞ、此本尊を我ものにし、世わたる業(わざ)のたねにも。』

と、おもへど、人の信(しん)まさるにつきて、參詣の人めしげく、与十郞は無欲のものにて、人の施物(せもつ)をむさぼる心なけれども、外より何かにつきて心をつけ、それとはいはねど、時おりふしの餘勢も、すくなからず、宥冨(ゆうふく)にくらして、殊に老の身のたのしみ、六十の暮より、隱居をかまへ、ひとへに本尊の守(もり)になりたる樣にて祕藏しければ、心やすく盗むべき手だてもなく、さまざまと心をくだき、やうやうに思ひ付て、都へのぼりけるについで、佛師のみせにありける立像二尺ばかりの古きほとけを買とり、ひそかに是を打わり、与十郞方より緣をもつて貰ひをきたる[やぶちゃん注:ママ。]佛舍利を、胎内にをさめ、惣身(そうみ)に、ちいさき穴をほりあけ、もとのごとく打あはせて、佛前にそなへ、香華をたてまつりて、二月ばかりありしに、彼(かの)造りこめたりし舍利、おほく分(ぶん)つきて、

「ほろほろ。」

と、彼あなより、こぼれ出たりければ、

『扨こそ。日ころの念願はかなひつれ。』

と、おもひ、急ぎ、佛檀をことごと敷(しく)かざり、庵(あん)など、きらひやかに普請(ふしん)しつゝ、さて、其あたりちかき村中へ、ふれをなし、

「我、このほど、都黑谷(くろだに)に法事ありて參りける歸るさ、筑紫(つくし)の善導寺の出家とて、旅の道すがら、打つれ侍りしに、伏見の宿にて頓死したり。同宿せし不肖といひ、僧の役とおもひ、彼(かの)死骸をかきいだきて、㙒道に送り、土葬せんと、暮過てあゆみ出たるに、二、三町も過ぬとおもふ比、殊外、背中輕くなりしやうにおぼへしまゝ、打おろして見るに、棺桶の中には、死骸はなくて、此本尊、おはしましたり。しかも舍利の分などつきて、おそろしくも尊き佛にてまします。いざ、參り給へ。おがませ申さん。」

と、ふれありきけるほどに、

「我も我も。」

と、足を空にしておしあひつゝ、群集(ぐんじゆ)せり。

 誠に、願西がいひしに違(たがは)ず、舍利の分など、所々にふき出て、

「殊勝さ、いふばかりもなし。」

と、めんめんに、珠數(じゆず)さしのばして、佛の御手にうけていたゞき、又は、善の綱にすがりてのびあかりつゝ、後より、佛の御面相をおがまんとして、

「ひた。」

と、おしあひけるほどに、何とかしたりけん、善の綱に、人、おほく取つき、あなたへゆすり、こなたへゆするひゞきに、本尊を引たをし[やぶちゃん注:ママ。]、御手なども打折[やぶちゃん注:「うちをり」。]けるほどに、胎内にこめ置つる佛舍利百粒ばかり、惣身の内にあけをき[やぶちゃん注:ママ。]たりける穴より、一度に、

「ざつ。」

と、こぼれ出たりしを、

「有がたや、舍利の分ありしは。」

といふほどこそあれ、いやがうへに、

「我、一。」

と、おりかさなり、手の上に手を出し、奪ひとり、せりあひて、一粒も殘さず、人の物になりぬ。

 願西は、たくみし事、相違(さうい)し、あまつさへ、舍利は殘なくひらはれける腹立に、本尊を、臺座より、引おろし、もとの繼目(つぎめ)を引はなしける時、右の手の内に、

『ちいさき契(そげ)、ひとつ、しかと立けるよ。』

と、おぼへしが、終に大なる種物(しゆもつ)[やぶちゃん注:ママ。「腫物」。]となり、三、四十日がほど、煩ひて、腐り死したりけるとぞ。

[やぶちゃん注:因みにこの増殖する(信心がなければ、消滅する)仏舎利というのは、何らかのカビか粘菌の類の胞子体ではないかと想像したりした。

「黑谷」京都市左京区黒谷町

「筑紫の善導寺」福岡県久留米市善導寺町飯田にある浄土宗井上山(せいじょうざん)善導寺。建久二(一一九一)年開創。開山は法然上人の直弟子聖光(浄土宗第二祖)。

「同宿せし不肖」亡くなった同宿の名刹の僧侶に対し、自身をとるに足らない愚僧と謙遜したもの。

「二、三町」二百十八~三百二十七メートル。

「足を空に」足が地に着かないほどに慌てて急ぐさま。

「善の綱」実際の仏像の手にかけておき、信者に引かせて仏の功徳に導かれるさまを比喩する綱。

「契(そげ)」「契」には「刻む」の意があり、それに「そげ」(削げ・殺げ:動詞「そげる」の連用形の名詞化。竹や木の薄くそげたもの。ささくれ。とげ)を当て訓したもの。挿絵では派手に右掌から血が噴き出している。]

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