小泉八雲 惡因緣 (田部隆次譯) 附・「夜窓鬼談」の「牡丹燈」
[やぶちゃん注:本作(原題は“ A PASSIONAL KARMA ”(「情念の因縁」))は明治三二(一八九九)年にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE, BROWN COMPANY)から出版された作品集“ IN GHOSTLY JAPAN ”」(「霊的なる日本にて」:来日後の第六作品集)の六番目に配された作品である。同作の原文は、「Internet Archive」のこちらから原本当該作画像が、活字化されたものは「The Project Gutenberg」のここの“A Passional Karma”で読める。
【2025年3月22日改稿】当初の底本が見られなくなっていたので、より信頼出来る国立国会図書館デジタルコレクションの「小泉八雲全集」第六巻(昭和四(一九二九)年第一書房刊)を底本として、一から、補正する。
田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。
文中の傍点「﹅」は太字に代えた。「註」記号はルビのように附されてあるが、ここでは上付きで示した。「註」本体は全体が五字下げポイント落ちであるが、同ポイントで二字下げにして、さらに適宜、改行した。踊り字「く」は正字化した。
本話は、三遊亭円朝の「牡丹燈籠」(後半は復讐譚に転じて原話全体は複雑である。円朝による創作は彼が二十三、四の頃、文久三(一八六三)年か翌年と推定され、最初の出版は速記本で明治一七(一八八五)年に東京稗史出版社から出た。本篇冒頭で小泉八雲が述べている通り、その後、明治二五(一八九二)年七月に三代目河竹新七により「怪異談牡丹燈籠」として歌舞伎化されて、五代目尾上菊五郎(天保一五(一九〇三)年~明治三六(一九〇三)年)主演で歌舞伎座で上演されて大ヒットした)で特に知られた話であり(近世の怪談集「奇異雜談(ぞうたん)集」(著者不詳・貞享四(一六八七)年板行であるが、ずっと以前から写本が残されており、実際の編著は明暦・万治・寛文(一六五八年~一六七三年)期とされる)の「第六卷」の「㊀女人死後男を棺の內へ引込ころす事」や、淺井了意の「伽婢子」(おとぎぼうこ:寛文六(一六六六)年板行)「第三卷」の「牡丹燈籠」の正統翻案物の他、上田秋成の「雨月物語」の「卷之三」の「吉備津の釜」や、「卷之四」の「蛇性の淫」などのように、原話を素材転用した本邦の先行的作品は無数にある。以上のリンクがあるものは、私のブログ・カテゴリ「怪奇談集」他で電子化注したものである)、また、私自身も高校時代より、原話の「牡丹燈記」(明の瞿佑(くゆう)の作の志怪小説集「剪燈(せんとう)新話」中の一篇)から激しく偏愛し続けているものであるので、無粋な本文注は表記注以外は附さないことにした(一部にあった誤植による転倒字は指示せずに正した)。 ただ、私が気になって調べた――私のどこにもない電子化テクストの特異点として――以下の点のみ、先に注しておく。なお、講談社学術文庫一九九〇年刊小泉八雲著・平川祐弘編「怪談・奇談」では、本作の原拠を幕末から大正にかけて生きた儒者石川鴻斎(天保四(一八三三)年-大正七(一九一八)年)の、私も愛読する漢文体怪奇談集「夜窗(やそう)鬼談」の「牡丹燈」(国立国会図書館デジタルコレクションの当該作冒頭画像へのリンク)とするが、ハーンの旧蔵本にそれがあるからと言って、これを種本としてあげつらうのは本話の執筆動機の提示から見ても学術的にやはりおかしい。そもそもが、鴻斎の当該作の末には鴻斎自身が『此圓朝氏談所』(此れ、圓朝氏の談ずる所ろ)〔下線はママ〕とあるのであり、「牡丹燈」には出ない「牡丹燈籠」の登場人物であるお米や平左衛門の名が出るのも、書誌学的にはまず円朝の「牡丹燈籠」を挙げるべきである(「怪談・奇談」の解説で、布川弘氏が、旧蔵本にないからと言って、それが原拠でないとするのは、全く以って肯んずることが出来ない)。但し、冒頭に出る友人なる人物が、手っ取り早く、この「夜窗鬼談」の円朝の「牡丹燈籠」の、お手軽な圧縮断片のようなそれを英語に訳し、小泉八雲に資料の一つとして提供した可能性は本文の冒頭から、頗る、高い。しかし、そんなものは、現行では、確認出来ていないし、小泉八雲は、時に作り話をすることは、既に先行する作品で明らかである)。いや、そう限定して仮定解説してこそ――「原拠」の一つ――と初めて言い得るのだ。
以下、一部の私の注をフライングしておく。
「三崎(さんさき)」現在の台東区谷中の崖上にあった旧谷中三崎町(やなかさんさきちょう)。江戸切絵図で確認したところ(私は所持するもので探したが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像でも見られる。右中央を拡大されたい。「大圓寺」の道を隔てた画面右手に「三崎町」が確認でき、その下方に接して次注の「新幡隨院法住寺」が確認される)現在の東京都台東区谷中五丁目のこの中央附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)に「三崎町」を見出せた。また、直近の谷中三丁目のここに「三崎坂(さんさきざか)」の地名が残る。
「新幡隨院」(しんばんずゐん)これは浄土宗普賢山(ふげんざん)法住寺(ほうじゅうじ)の俗称(開山幡随院了碩に因む)。正歴三(九九二)年に恵心僧都によって豊島郡下尾久に天台宗恵心院法受寺として開創されたが、文永元(一二六四)年に浄土宗に改宗し、宝歴三(一七五三)年にここ旧豊島郡谷中に移転した。関東大震災後に足立区東伊興(ひがしいこう)に移転しているが(現存。但し、現行では事蹟では今も昔も「法受寺」と表記している。その齟齬自体には私は興味はないので、調べていない)、江戸切絵図を見ると、恐らくは現在の東京都台東区谷中二丁目にある台東区立谷中小学校の附近にあったものと推定出来る。以上の事実に基づくならば、本話の時制は宝暦三(一七五三)年以後ということになる。
「海音如來」酷似した如来に薬師如来七仏の一つとして、「法海雷音如來(ほふかいらいおんによらい)」がある。浄土の「法幢國(ほふどうこく)」を主宰するという。この如来名は中文サイトにも、しっかりある。
「雨寶陀羅尼經(うはうだらにきやう)」は全一巻で唐の不空訳。貧者を裕福にさせるために、妙月という長者が如来から陀羅尼を授かり、その呪文の力で財宝を雨のように降らすことが出来たというところから、この経名があると、小学館「日本国語大辞典」にちゃんと載っている。浄土宗では使わぬ修法だと言っている発言を見かけだが、鎌倉新仏教以降の名僧たちは漏らさず、天台・真言の密教をしっかりと学んでいるし、近世以前の仏教史の中で、そんな宗派内禁止綱領は意味がないと思うし、そんな教条的態度では裾野の広い悪霊退散など、これ、出来たもんじゃあ、ない。そもそもが、近世最強のゴースト・バスターであった祐天も浄土宗である。使えるものは、皆、使うべし!)……なお、ネット上には、「海音如来」も「雨宝陀羅尼経」も円朝のふざけた捏造物であって、後者は「あほだら経」の洒落だ、とのたもうている投稿記載を見かけた……さても、ならばこそ「海音如来」も「カランコロン」の「怪音如来」というわけか?……私の調べた事実と、その投稿された「ご隠居」の謂いと……どちらを信じられるかは……あなたにお任せ致そう。……お後がよろしいようで……
【2019年9月22日:追記】「夜窓鬼談」の「牡丹燈」の書き下し文を最後の注に追加した。
【2019年11月4日:追記】原本に挿入されている二葉の絵(絵師不明。最後の墓の方は小泉八雲自身のスケッチかも知れない)の画像を上記、「Internet Archive」のPDF版からトリミングして(墓の画像は、そのままでは取り込めなかったのでスクリーン・ショットで拡大トリミングした)挿入した。絵師の描いたそれには、“THE PEONY LANTERN”(「牡丹の燈籠」)とキャプションがある。]
惡 因 緣
東京の劇壇に於て、決して衰へる事のない人氣のある物の一つは、名高い菊五郞一座の『牡丹燈籠』の芝居である。舞臺十八世紀の眞中に取つたこの物すごい芝居は、もとは支那の話から思ひついた物だが、圓朝と云ふ小說家が口語體の日本語で書いて、地方色も全然日本風にした傳奇體の話を、劇にした物である。私はその芝居を見に行つた、そして菊五郞は恐怖の喜びの一種變つた物を私に感じさせた。
『この話の物すごいところを英語の讀者に示しては如何です』――と東洋哲學の迷路を通つて適當に私を案內してくれる友人は尋ねた。『西洋の人が殆んど知らない超自然の或普通の觀念を說明する役に立ちませう。私、飜譯してお助けしても宜しい』
私は喜んでその思ひつきを受け入れた、そして私共は圓朝の話の餘程異常な方の部分をつぎのやうに摘要した。ところどころ、もとの物語を縮める必要があつた、そして會話のところだけはもとの文章をそのままに譯するやうにした、――そのうちには、心理學的の興味の特別な性質を偶然もつて居る物がある。
* *
*
――これは牡丹燈籠の物語のうちの幽靈の話である。――
一
江戶牛込に飯島平左衞門と云ふ旗本がゐたが、一人娘のお露はその名の示す朝露(あさつゆ)のやうに綺麗であつた。飯島は娘が十七ばかりの頃に後妻を娶つた、それでお露が繼母と一緖では幸福に暮らせない事を知つて、娘のために柳島に綺麗な別莊を造つて、お米と云ふこの上もなく良い女中をつけて、そこに住まはせた。
[やぶちゃん注:「柳島」現在の墨田区業平・横川・太平・錦糸、及び、江東区亀戸に相当する区域にあった旧地名。この附近(グーグル・マップ・データ)。]
お露はその新しい家で樂しく暮らしてゐたが、或日の事、かかりつけの醫者山本志丈が根津に住んでゐた萩原新三郞と云ふ若い侍を連れて見舞に來た。新三郞は非常に立派な靑年で、甚だ上品であつた、そして二人は一見して戀に落ちた。その短い訪問の終らないうちに、彼等は――老いた醫者に聞かれないやうに工夫して――永久に變らない誓をする事ができた。それから別れる時、お露はその靑年にささやいた、――『忘れないで下さい。もしこれでお目にかかれないと、私きつと死にます』
新三郞はその言葉を決して忘れなかつた。そしてお露に會ふ事ばかり考へてゐた。しかし一人でお露を訪問する事は禮が許さない、彼は醫者が再びその別莊へ連れて行く約束をしたから、その醫者と同行する又の機會を待つより外はなかつた、不幸にして老人はこの約束を果さなかつた。彼はお露が突然この靑年に對して愛を感じた事をさとつた、それで萬一の事があつたら、彼女の父が自分を責任者と考へるだらうと恐れた。飯島平左衞門は人の首をよく斬るので評判であつた。志丈が新三郞を飯島の別莊へ紹介した事の結果を考へれば考へる程、彼は恐ろしくなつて來た。それでわざと彼の若い友人を訪れる事を避けた。
幾月か過ぎた、新三郞が來てくれない本當の理由を少しもさとらないお露は、自分の愛が蔑視されたと思ひ込んだ。それから衰へて死んだ。すぐにあとで、忠實な女中のお米も女主人の亡くなつた事を悲しんで死んだ、それで二人は新幡隨院の墓地へ相ならんで葬られた、――この寺は名高い菊人形の見せ物が年々開かれる團子坂の近傍に今もある。
二
新三郞は何事が起つたか少しも知らなかつた、しかし彼は失望と心配で長い間病氣になつた。彼は次第に囘復して來たが、未だ餘程哀弱してゐた、そこへ突然山本志丈から訪問を受けた。老人は長く無沙汰をした事に對して色々尤もらしい言分をした。新三郞は彼に云つた。――
『春の始めからずつと病氣をして居りまして、――今でも未だ何(なん)にも喰べられません……ちつとも來て下さらなかつたのは少しひどいですな。もう一度飯島さんのお宅へ御一緖に行く約束だつたと思ひます、それから先日丁寧にもてなされましたから、御禮に何か贈物をしたいのですが。勿論自分では行かれません』
志丈は嚴かに答へた、
『實に惜しい事でしたが、あの若い婦人は亡くなられました』
『亡くなつた!』新三郞は眞靑になつてくりかへした『亡くなつた、とおつしやるのですか』
醫者は暫らく氣を落着けるやうに默つてゐた、それから面倒な事を餘り眞面目に取らない事にきめた人のやうな輕い早い調子で、續いて云つた。――
『あなたを紹介したのは私の大失策でした、あの人はすぐあなたが好きになつたらしいのです。あなたはあの小さい部屋で一緖にゐた時、――何かその愛情に油を注ぐやうな事を云つたんぢやありませんか。とにかく、あの人はあなたが好きになつて來た事が分つたので、私心配になりました、――父親が聞いて、私ばかりを惡者にするだらうと思つたからです。そこで――すつかり白狀いたしますが、――あなたをお訪ねしない方がよいときめまして、わざと長い間參らなかつたやうなわけでした。ところが、つい二三日前、偶然飯島家を訪ねて、お孃さんの亡くなつた事と女中のお米さんの亡くなつた事を聞いて、非常にびつくりしましたよ。それから、色々考へて見ますと、そのお孃さんはあなたを戀ひ慕つて死んだに相違ない事が分りました。……〔笑つて〕 あ〻、あなたは全く罪作りだね。全くだね。〔笑つて〕 女が戀慕して死ぬなんて云ふ程好男子に生れて來るのは註罪ですな。……〔眞面目に〕 まあ、死んだ者は仕方がない。今更云つて見てもどうにもならない、――今となつてはあのお孃さんのために念佛でも唱へるより外はない。……さやうなら』
それから老人は急いで行つた、――彼自ら知らないうちにできた責任を感じて居るその苦しい事件について、これ以上の話を避けようとして。
註 この會話は或は西洋の讀者に變に思はれ
るかも知れないが、これは事實である。この
場面全體には全く日本風の特色がある。
三
お露の死を聞いてから、新三郞は悲哀のためにぼんやりとなつた。しかし、はつきり考へる事ができるやうになるとすぐに、彼は女の名を位牌に書き込んで、家の佛壇の中に置いて、その前に供物を捧げて念佛を唱へた。それからあと每日供物を捧げて、念佛をくりかへした、そしてお露の記憶は彼の心から決して去らなかつた。
盆前に、彼の單調な孤獨を破るやうな事は何も起らなかつた、――死人の大祭であるその盆は七月十三日に始まるのであつた。それから彼は家を綺麗に飾つて、その祭の準備をした、――歸つて來る魂の案内になる燈籠をかけて、精靈棚に精靈の食物を置いた。そして盆の第一夜に、日沒の後、彼はお露の位牌の前に小さい燈明をつけて、それから燈籠に火をともした。
その夜は晴れて大きな月があつた、――そして風がなくて、大層あつかつた。新三郞は緣側ヘ出て涼んでゐた。輕い夏の着物を一枚着ただけで、彼はそこで考へながら、夢を見ながら、悲しみながら坐つてゐた、――時々團扇で扇いだり、時々蚊やりの煙りをつくつたりしながら、あたりは靜かであつた。この邊は淋しいところで、人通りは殆んどなかつた。聞える物はただ近傍の流れのおだやかな音と、蟲の音だけであつた。
ところが、この靜けさが、――カラン、コロン――と鳴る女の駒下駄の音で破られた、――それから急にこの音は段々近くなつて庭を圍んで居る生垣のところまで來た。それから新三郞は好奇心に驅られてつま立てをして生垣の下から覗かうとした、すると女が二人通るのが見えた。牡丹の飾りのある綺麗な燈籠をもつた女は女中らしかつた、――もう一人は十七歲ばかりの華奢(きやしや)な少女で、秋草の模樣の刺繡(ぬひ)のある振袖を着てゐた。殆んど同時に二人の女はふり向いて新三郞を見た、――そして彼はお露と女中のお米の二人を認めて、全く驚いた。
彼等はすぐに足を止めた、そして少女は叫んだ、――
『まあ、不思議。……萩原さんだ』
同時に新三郞は女中に云つた、――
『あ〻、お米さん。君はお米さんだね。――よく覺えてゐますよ』
『萩原さん』お米はこの上もない驚きの調子で叫んだ。『とても本當とは信じられなかつたでせう。……ね、私達は、あなたがお亡くなりになつたと聞いてゐましたから』
『こりや驚いた』新三郞は叫んだ。『ところで、私は又あなた方お二人とも亡くなられたと聞いてゐました』
『まあひどい話ですね』お米は答へた。どうしてそんな緣起の惡い事を云ふのでせうね。……誰ですか、そんな事を云つたのは』
『どうぞお入り下さい』新三郞は云つた、――『ここでもつとよくお話し致しませう。庭の門が開いてゐます』
そこで彼等は入つて、挨拶をとりかはした、それから新三郞は二人を樂に坐らせてから云つた、――
『長い間お訪ねもしないで大層失禮しましたがお赦し下さい。實は一月程前にあのお醫者の志丈が私にお二人の亡くなられた事を云つたのです』
『それぢやあなたにそんな事を云つたのはあの人ですか』お米は叫んだ。『隨分ひどいですね。ところで、あなたが亡くなつたと云つて聞かせたのもやはり志丈です。つまりあなたを騙さうと思つたのてせう、――それはあなたがそんなに人を信用して何でもお任せなさる方だから、騙すのは何でもないのでせう。きつとお孃樣はあなたがお好きな事を何かの言葉でお洩らしになつたのが自然と、お父樣の耳に入つたのでせう、さうすると、あの繼母のお國がお醫者に手を𢌞して、私達が死んだとあなたに聞かせて、別れさせるやうに工夫したのでせう。とにかく、お孃さんがあなたの亡くなられた事を聞いてすぐ髮を切つて尼になりたいとおつしやいました。しかし私は髮を切る事だけは止めて、しまひにただ心の尼になるやうにと勸める事ができました。そのあとでお父樣は或若い人にみあはせようとなさいましたが、お孃樣はお聞きになりません。それで色色ごたごた致しましたが、――主にそれはお國から起つた事ですが、――たうとう私達は別莊から出ました、谷中の三崎(さんさき)で小さい家を見つけました。そこで今、少し內職をして――どうかかうか暮らしてゐます。……お孃樣はあなたのために念佛ばかり唱へていらつしやいます。今日は盆の初日ですからお寺參りに行きました、それで歸るところです――こんなにおそく――こんなに不思議にお遇ひする事になりました』
『あゝ不思議だね』新三郞は叫んだ。『こりや本當か知らん――それとも夢でなからうか。私もここではたえずお孃さんの名を書いた位牌の前に念佛を唱へてゐました。御覽なさい』そこで彼は精靈棚にあるお露の位牌を二人に見せた。
『御親切に覺えてゐて下さつて、どんなに嬉しいか分りません』お米は微笑しながら答へた……『あの、お孃樣の方では』――彼女はお露の方へ向いて續けた、その間お露は袖で半ば顏をかくしながらつつましく默つてゐた、――『お孃樣の方では、あなたのためなら七生の間お父樣に勘當されても、たとへ殺されても構はないと本當に云つていらつしやるのです。……さあ、今夜ここに置いて下さいませんか』
新三郞は嬉しさの餘りに顏が靑くなつた。彼は感極まつて震へ聲で答へた、――
『どうぞ、ゐて下さい、しかし大きな聲をしないやうに願ひます――實はすぐそばに白翁堂勇齋と云ふ人相見で、人の顏を見て占をする男が住んでゐます。少し物好きな男ですから、餘り知らせたくないのです』
二人の婦人はその晚、若い武士の家に泊つて、夜明け少し前に歸つた。そしてその晚から七晚引續いて每晚、――天氣がよくても惡くても、――いつでも同じ時刻に來た。新三郞はその少女に益々愛着を感じた、そして二人は鐡の帶よりも强い迷ひのくさりで、互につながれてゐた。
四
さて、新三郞の家の隣りの小さな家に住んで居る件藏(ともぞう)と云ふ男がゐた。伴藏とその妻おみねは召使として新三郞に二人とも使はれてゐた。二人とも若い主人に忠實に仕へてゐた、新三郞のためにこの二人は比較的安樂に暮らす事ができた。
或晚、餘程おそく、伴藏は主人の部屋で女の聲のするのを聞いて不安に感じた。彼は新三郞が甚だ溫順で親切だから、誰か狡猾ないたづら女に騙されて居るのかも知れないと心配した、――こんな場合には先づ困るのは使用人である。それで彼はよく見張りをしようと決心した、それでその翌晚彼は新三郞の住家へつま立てをして忍び寄つて、雨戶のすき間から覗いた。寢室の行燈の明りで、彼は蚊帳の中に主人と、知らない女が一緖に話をして居るのを認める事ができた。始めは女をはつきり見る事ができなかつた。彼女の背中が彼の方に向いてゐた、――彼はただ彼女が大層華奢である事、――それから着物や髮の風から判斷して、――大層若いらしい事だけを見た。耳をすき間にあてると、話はよく分つた。女は云つた、――
『それでもし父が私を勘當したら、あなたは私を引取つて下さいますか』
新三郞は答へた、――
『引取りますとも――いや、かへつてその方が有難い。しかしあなたは一人娘で可愛がられてゐますから勘當などの心配はありません。心配な事は私共はいつか別れなければならないと云ふ殘酷な目に遇ふ事です』
女はおだやかに答へた、――
『決して、決して、外の人を夫にもつ事は考へて見るだけの事もできません。たとへ私達の祕密が洩れて、父が私の事を怒つて殺すやうな事があつても、やはり――死んでからも――あなたの事を考へずには居られません。それからあなただつて私がゐないでは長く生きて居られないでせうと私信じてゐます。……』それから彼に寄りそうて、唇を彼の頸にもつて行つてキスした、それから彼もそのキスを返した。
伴藏は聞いてゐながら驚いた、――この女の言葉は卑しい女の言葉でなくて、身分ある人の言葉であつたからである。それから彼はその女の顏をどうにかして一目見ようと決心した。そして家の𢌞りをあちこち步いて、あらゆるすき間割れ目を覗いて見た。そしてたうとう見る事ができた、――しかし同時に彼は氷を浴せられたやうに身震ひをして、頭の毛が逆立つた。
その理由は、その顏はずつと以前に死んだ女の顏、――愛撫して居る指は肉のない骨ばかりの指、――腰から下のからだは何もなくて、非常にうすうすあとを曳いた影になつて消えて居る物であつたからであつた。愛して居る男の迷つた眼が若さ、愛らしさ、美しさを見て居るところには、覗いた人の眼にはただ恐怖と、そして死の空虛が見えるばかりであつた。同時に外の女の姿、そしてもつと物すごいのが、部屋の中から立ち上つた、そして覗いて居る男を見ようとするやうに、こちらへ、すばやく進んで來た。それから非常な恐怖のうちに、彼は白翁堂勇齋のうちへ飛んで行つて、狂氣のやうに戶をたたいて、彼を起す事ができた。
五
人相見白翁堂勇齋は大層老人であつた、若い時に多く旅行をして色々の物を見たり聞いたりして居るから容易には驚かない。しかしこのびつくりして居る伴藏の話は彼を驚かし又恐れさせた。彼は古い支那の書物で、生者と、死者の間の戀愛について讀んだ事はあるが、不可能の事として決してそれを信じなかつた。ところが、彼は今伴藏の話は僞りではない事、萩原の家には何か餘程變な事が實際行はれて居る事がたしかである事をさとつた。もし事實が伴藏の考へて居るやうな物であつたら、この若い武士は到底助からない事になる。
『もしその女が幽靈なら』――勇齋はその驚いた下男に云つた、――『もし女が幽靈なら、旦那はぢきに死ぬにきまつて居る、――だから助けようと思へば、何か非常手段を講ぜねばならない。そしてもし女が幽靈なら、死相が男の顏に現れる。何故と云ふに、死人の魂は陰氣で、生きて居る人の魂は陽氣、一方は積極、一方は消極である。幽靈の花嫁をもつて居る人は生きて居られない。その人の血のうちに百年生きる生命の力が存在してゐても、その力はすぐになくなるに相違ない。……それでも私は萩原樣を助けるためにできるだけの事をしよう。そこで當分この事について誰にも何も云つてはいけない、――君の家内にも。夜の明け次第私は旦那に會ひに行く』
六
翌朝勇齋に問はれた時、新三郞は始めのうちどんな女もその家を訪ねて來た者はないと云はうとした、しかしこんな下手なやり方は駄目と思つたのと、それからこの老人の目的に利己的なところは全然ない事を認めたので、彼は最後に實際起つた事を認めて、この事を祕密にして置きたいと思ふ理由を述べる事にした。飯島のお孃さんについては、できるだけ早く彼の妻にしようと計畫中であると彼は云つた。
『そんな氣ちがひじみた事』餘りの事に驚いて勇齋は癇癪を起して叫んだ。『每晚ここへ來る人達は、あれは死人です。あなたは何か恐ろしい迷[やぶちゃん注:「まよひ」。]にかかつてゐます。……あなたが長い間お露樣が死んだと思つて、念佛を唱へて位牌の前に供物をしたのは何よりの證據です。……死人の唇があなたに觸れたのです、――死人の手があなたを撫でたのです。……丁度今もあなたの顏には死相が現れて居るが――あなたは信じない。……さあ、御願だから、――聞いて下さい、――もし助かりたければ。さうでないとあなたは二十日以內に死にます。その人達は――あなたに下谷區の谷中の三崎に住んで居ると云つたのですね。あなたはいつかそこへ見舞に行つた事があるのですか。勿論ないでせうね。それじや今日行つて、――大急ぎで――その谷中の三崎へ行つて、家をさがして御覽なさい。……』
烈しい勢で熱心にこの助言を云つてから、白翁堂勇齋は突然歸つた。
新三郞は、成程とは思はないが、びつくりして、少し考へてからこの人相見の助言に隨ふ事に決心した。谷中の三崎へ着いた頃は未だ朝のうち早かつた、そしてお露の家をさがし始めた。彼は町から橫町まで隅から隅へ悉くさがして、門札を悉く讀んだ、それから機會のある每に尋ねて見た。しかしお米の云つたやうな小さい家に似た物は少しも見當らなかつた、それから彼が尋ねた人のうちで、二人の婦人の住んで居る家を知つて居る者は一人もなかつた。最後にもうこれ以上さがしても無駄と分つたので、彼は近路(ちかみち)を通つて家へ歸る事にしたが、その路は偶然新幡隨院のお寺の境內を通り拔けてゐた。
突然彼の注意は、寺の後ろに相並んで立つて居る二つの新しい墓に引かれた。一つは普通の墓で、身分の賤しい人のために建てられたやうな物であつた、今一つは大きな立派な物であつた、今一つは大きな立派な物であつた。そしてその前に多分盆の時分に置いたままになつて居る綺麗な牡丹燈籠がかかつてゐた。新三郞はお米がもつて來た牡丹燈籠はこれと全く同一である事を思ひ出して、その暗合を變に思つた。彼は又墓を見た、しかし墓には何の說明もない。どちらにも俗名はない、ただ戒名ばかり。それから彼は寺に入つて尋ねようと決心した。彼の質問に對して、執事の僧の答へたところでは、大きい墓はこの頃牛込の旗本飯島平左衞門の娘のために建てられた物、そのとなりの小さい方はその婦人の葬式のあとですぐ悲みのために死んだ女中のお米の物であつた。
直ちに新三郞の記憶に、お米の言葉が、もう一つの、そして氣味の惡い意味をもつてかへつてきた。――『私達は出まして、谷中の三崎で小さい家を見つけました。そこで今少し內職をしてどうかかうか暮らしてゐます……』なる程ここに非常に小さい家がある、――-そして谷中の三崎に。しかし少し內職をしてとは何だらう。
恐ろしくなつて、武士は大急ぎで勇齋の家に歸つて、相談と助けを願つた。しかし勇齋はこんな場合に何の助けもできないと云つた。彼はただ新幡隨院の高僧良石和尙のところへ、直ちに法の力をもつて助けて貰ふやうに賴んだ手紙がもたせて、新三郞をやるより外はなかつた。
七
高僧良石和尙は博學な聖い[やぶちゃん注:「きよい」。]人であつた。靈の眼で如何なる悲みの祕密をもさぐり、その源となつて居る惡因緣の性質を知る事ができた。彼は新三郞の話を冷靜に聞いてから云つた、――
『あなたが前の世で犯した過ちのために、今大層大きな危險があなたの身の上にふりかかつて居る。死人とあなたとの惡因緣は非常に强いのだが、そのわけを云つても、あなたには中々分りにくいだらう。それでただこれだけ云つて置かう、――あの死人は憎み[やぶちゃん注:「にくしみ」。]のためにあなたに害を加ヘようとは思つてゐない、あなたに對して何の怨みももつてゐない、かへつてあなたに對して、非常に烈しい熱情をもつて居る。多分この少女は今の世のずつと前の世から、――三世も四世も前の世から、あなたを戀ひ慕つてゐたのであらう、それで生れ變る度每に姿や境遇が變つても、あなたのあとを追ひかけて來る事は止まないのだ。それだから、その女の力から逃れる事は中々むづかしい。……しかし今、この力のあるお守りを貸して上げる。それは海音如來と云ふ佛の黃金のお姿だが、――その佛の御法の敎は海の音のやうに全世界中に響くところから來て居る。それでこの小さいお姿は殊に死靈除けになる。これをあなたは袋に入れて帶の下に、からだにつけてお出でなさい。……その上、愚僧はやがてこの迷つて居る魂の成佛するやうに施餓鬼を勤めます。……それからここに「雨寶陀羅尼經」と云ふ貴いお經がある、これをあなたは必ず每晚讀まねばならない。……その上このお札の一包みを上げるから、――家へはひれる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]ところはどんなに小さくても、皆それぞれ一枚づつ貼りなさい。さうすればその聖い經文の功德で死人は入られない。
しかし――どんな事があつても――お經を誦む事を止めてはなりません』
新三郞はこの高僧に感謝した、それからそのお守りとお經とお札の一包みを携へて、日沒前に家に歸らうと急いだ。
八
勇齋の忠告と助力によつて、新三郞は家のすき間に日沒前に悉くお札を貼る事ができた。それから人相見は、この靑年を一人殘して、家に歸つた。
日が暮れたが、暖かく又晴れてゐた。新三郞は戶を固く閉じて、腰に貴いお守りをつけて、蚊帳に入つた、そして行燈のあかりで『雨寶陀羅尼經』を誦み始めた。長い間彼はその意味を少しも理解しないで、その文句だけを誦んでゐた、――それから彼は少し眠らうと試みた。しかし彼の心は未だその日の不思議な事件のために餘りに興奮しすぎてゐた。夜中が過ぎた、それでも少しも眠られない。たうとう八つ時を知らせる傳通院の大きな鐘のボーンと鳴るのを聞いた。
それが止んだ、そして新三郞は突然例の方向から近づいて來る下駄の音、――しかし今度はもつと徐ろなカラン、コロン、カラン、コロン――を聞いた。突然冷汗が彼の顏に流れた。急いでお經を開いて震へる手で彼はそれを聲高く又誦み出した。足音が段々近くなつた、――生垣に近づいた、――止まつた。その時不思議にも新三郞は蚊帳の中にぢつとして居られなくなつた、彼の恐怖心よりも更に强い物が彼をふり向かせた、それから『雨寶陀羅尼經』を續いて誦む事を止めて、愚かにも彼は雨戶に近づいて、すき間から夜の中を覗いた。家の前にお露が立つて、お米が牡丹燈籠をもつて居るのが見えた、そして二人とも入口の上に貼つてあるお札を眺めてゐた。
今までこれ程――生前と雖もこれ程――お露が美しく見えた事はなかつた、そして新三郞は殆んど抵抗のできない力で彼女の方へ自分の心が引かれるのを感じた。しかし死の恐怖と不可解の恐怖が彼を押へた、そして彼の心のうちの戀愛と恐怖の爭のために、彼は焦熱地獄の苦しみを體に受けて居る人のやうになつた。
やがて彼はかう云つて居る女中の聲を聞いた、――
『お孃樣、はひれません。萩原樣は心變りをなさつたに違ひありません。昨夜なさつた約束をお破りになつたのですもの、そして私達を入れないやうに戶を閉ぢてあります。……今夜ははひられません。もう心變りをした人の事なぞ考へない事に決心なさる方が賢いのですよ。あなたに會ひたくない事は確かです。だからそんな不親切な人のために苦勞しない方がましですよ』
しかし女は泣きながら、答へた、――
『あ〻、あんなに堅い約束をとりかはしたあとでこんな事があらうとは思はなかつた。……男の心と秋の空とよく聞いてゐたけれど、――それでも萩原樣の心が、こんなに私達を本當に入れて下さらない程むごいわけはない。……お米、どうかしてはひる方法はないかね。……さうでないと、どうしても歸る事はいやだから』
こんな風に、長い袖で顏を隱しながち、續いて賴んだ、――甚だ綺麗に、甚だ哀れに見えたが、新三郞には死の恐怖が强かつた。
お米は最後に答へた、――
『お孃樣、そんなむごいやうな男の事を、どうしてそんなに氣にかけなさるのです。………さあ、家のうしろからでもはひる事ができないか、行つて見ませう。一緖にお出でなさい』
それからお露の手を引いて、家のうしろの方へ行つた、そこで二人は焰が吹き消される時光が消えるように、突然消えた。
九
每晚每晚丑の刻に幽靈が來た、每晚新三郞はお露のしのび泣きを聞いた。しかし彼は自分では救はれたと信じたが、――實は彼の召使達の不忠實によつて彼の運命がすでに決定して居る事は少しも想像しなかつた。
伴藏は勇齋に、これまでの事は決して誰にも云はない約束をしてゐた。しかし伴藏は幽靈のために安眠する事を長くは許されなかつた。每晚お米は彼の家に入つて、彼を起して、主人の家のうしろの甚だ小さい窓の上にあるお札を除く事を彼に賴んだ。そこで伴藏は恐怖の餘り、翌朝までにお札を除く事をその度每に約束した、しかし夜が明けると、それを除く決心がつかなかつた、――新三郞のためにならないと信じたからであつた。たうとう或あらしの夜、お米は叱責の叫びをもつて彼の眠りをさまし、枕もとに立つて云つた、『用心しろ、どうして私達をからかつて居るのか。もし明日の晚までにあのお札を取り去らないと、どんなにお前を憎んで居るか思ひ知らせてやる』それから話して居るうちに非常に恐ろしい顏をして見せたので、伴藏は殆んど恐怖のために死にさうになつた。
伴藏の妻のおみねは、これまでそんな事は少しも知らなかつた、彼女の夫にも、これは惡夢のやうに思はれたのであつた。今夜に限つて、彼女は不意に目をさまして、誰だか女の聲が伴藏と話して居るのを聞いた。殆んど同時にその話が止んだ、そしておみねがあたりを見ると、行燈のあかりで、――恐怖の爲めに身震ひをして血の氣のない――夫だけが見えた。知らない女はゐない、戶が堅く閉ぢて居る、誰もはひる事は不可能に見えた。それでも妻の嫉妬心は燃え上つた、彼女は伴藏を罵り責め始めたので、伴藏は祕密を打明けて、今自分の立つて居る恐ろしい板挾みの地位を說明せねばならなくなつた。
そこでおみねの怒りは驚きと不安に變つた、しかし彼女は怜悧[やぶちゃん注:「れいり」。賢く利口なこと。]な女であつた、それで直ちに主人を犧牲にして夫を救ふ方法を思ひついた。彼女は伴藏に――死人と妥協する事を勸めて――狡猾な助言を與へた。
彼等は翌晚又丑の刻に末た、彼等の來る音、――カラン、コロン、カラン、コロン――を聞いておみねは隱れた。しかし伴藏は暗がりで彼等に會ひに出かけて行つた、そして妻に云はれた事を云ふだけの勇氣があつた、――
『はい、お叱りを受けるだけの事はございます、――決して御立腹になるやうな事を致したくはございません。お札を取らないわけは、實は家內と私は萩原樣の助けでやうやく暮らして居るやうな次第で、萩原樣に何か災難でもあると私共も不幸になるのでございます。しかし黃金百兩もございましたら、誰からも助けて貰ふ事は要りませんから、御望み通り致しませう。それで百兩頂けたら、私共も生活に困るやうな心配をしないで、お札を取る事ができます』
これだけ云つたら、お米とお露はしばらく默つて顏を見合せてゐた。それからお米は云つた。
『お孃樣、この人には何も恨みをいだく理由はないのだから、この人に面倒をかけるのはよくないと私申しましたでせう。しかし萩原樣は心變りをしてゐますから、もうかれこれ思うても仕方がありません。お孃樣、もう一度御願ですから、あんな人の事をあきらめて下さい』
しかしお露は泣きながら、答へた。――
『お米、どんな事があつても、どうしても、思ひ切る事はできません。……お札を取つて貰ふために、百兩手に入れる事はできるでせう。……お米、お願だから、もう一度――たつた一度でいいから、萩原樣にお目にかからせて頂戴』それから袖で顏をかくしながら、彼女はこんな風に口說き續けた。
『まあ、どうしてこんな事を私にせよとおつしやるのですか』お米は答へた。『私お金をもたない事をよく御存じぢやありませんか。しかし私がこれ程申上げても、こんな氣まぐれを是非なさらうと云ふのなら、仕方がないから、どうにかしてそのお金をさがし出して、明晚ここへもつて來ねばなりますまい。……』それから、その不忠實な伴藏に向つて、云つた、――『伴藏、もう一つ云ふ事がある、萩原樣は今からだに海音如來のお守りをつけてゐますが、それがあるうちは近づけません。お札を取つて、それからどうにかして、あのお守りを取つて貰ひたい』
伴藏は力なく返事した、――
『百兩頂けたら、それもやれませう』
『さあ、お孃樣』お米は云つた、『明晚まで、――待つて下さいね』
『あ〻、お米』お露はすすり泣いた、――『萩原樣に會はないで、又今晚も歸るのかね。あ〻、ひどい』
それから、女の幽靈は、女中の幽靈に伴はれて去つた。
一〇
又つぎの日が來て、又つぎの夜になつた、それでその夜死者は來た。しかし今度は萩原の家の外に歎きの聲は聞えなかつた。不忠實な下僕は丑の刻にその報酬を見つけて、お札を取除けて置いたからであつた。その上、主人の風呂に入つて居る間に、黃金のお守りを袋から盜んで銅の像を一つ代りに入れて置く事ができた、そして彼は海音如來を淋しい野原に埋めて置いた。それでこの訪問者は何等故障に遇はなかつた。袖で顏をかくしながら、蒸氣のなびくやうに、お札をはぎ取つてある小さい窓から入つた。しかし家の中でこれから何が起つたか、伴藏は決して知らなかつた。
彼が主人の家に近づいて、雨戶をたたかうとしたのは、日が高く上つてからであつた。長年の間に、返事のなかつたのは今度が始めてであつた、それでその沈默が恐ろしかつた。くりかへし、彼は呼んだ、しかし返事はなかつた。それからおみねの手傳を得て、家に入つて寢室へひとりで行つて、そこで呼んだが駄目であつた。彼は光線を入れるために、雨戶をがらがらとあけた、しかし家の中には何の音もしなかつた。たうとう彼は蚊帳の隅をあげて見た。しかし彼がそこを一目見るや否や、恐怖の叫びをあげて、家から逃げ出した。
新三郞は死んでゐた――恐ろしく死んでゐた、――そして彼の顏はこの上もない苦惱で死んだ人の顏であつた、――それから彼の側に女の骸骨が橫はつてゐた。そしてその腕の骨、手の骨は彼の頸の𢌞りにしつかりからみついてゐた。
一一
占師白翁堂勇齋は不忠實な伴藏の賴みによつて、死骸を見に行つた。老人はそれを見て驚き恐れたが、注意してあたりを見𢌞した。彼はすぐに家のうしろの小さい窓からお札が取除いてある事を認めた、それから新三郞の體をしらべて黃金のお守りがその袋から取られて、その代りに不動の銅像を入れてある事を發見した。彼は伴藏を疑うた、しかし事件は餘りに重大なので、これ以上の行動を取る前に、僧良石と相談する事を安全と考へた。それで、これまでの事實を丁寧に調べた上で、彼は老人の足でできるだけ早く新幡隨院のお寺へ行つた。
良石はこの老人の訪問の自的を聞かないうちに、彼を奧の一室へ誘うた。
『あなたはいつでもここへ御出でなさい』良石は云つた。『どうぞお樂にお坐りなさい。……さて萩原樣も亡くなつてお氣の毒です』
勇齋は驚いて叫んだ、――
『さうです、亡くなりました、しかしどうして御存じですか』
僧は答へた、――
『萩原樣は惡い業の結果のために苦しんだのです、それからあの下男は惡人です。萩原樣に起つた事は避けられません、――あの運命はずつと前の世からきまつた事です。もうこの事について、心を惱まさない方が宜しい』
勇齋は云つた、――
『行の淸い僧は百年さきの事までも分る力が得られると承はつてゐましたが、そんな力の證據を目前に見たのはこれが始めてでございます………しかし、未だ心配な事が一つございますが……』
良石はさへぎつた、『あの聖いお守り、海音如來の盜まれた事でせう。あの姿は野原に埋めてあります、來年八月中には、見つけられて私のところへ歸つて參ります。それだから心配には及ばない』
益〻驚いて、老人の人相見は云つて見た、――
『私は陰陽道や占を研究して、人の運を云ひあてて生活を營んで居りますが、あなたがどうしてこんな事を御存じか分りかねます』
良石は嚴かに答へた、――
『どうして知つて居るか、どうでも宜しい。それよりも萩原樣の葬式についてお話したい。萩原家には勿論、きまつた墓地がある。しかしそこへ葬るのはよくない。飯島のお孃樣お露の側に葬らねばならない、その因緣は非常に深いのだから。それから、あなたは色々の恩義を受けて居るから、費用を出して墓を建てておやりなさい』
それで新三郞は谷中三崎、新幡隨院の墓地でお露の側に葬られる事になつた。
――これで牡丹燈龍の物語の幽靈の話が終る。
*
*
*
私の友人は私にこの話は興味があつたかどうかと尋ねた、それで私は答へて、――この作者の硏究の地方色(ローカルカラー)がもつとはつきり分るやうに、――新幡隨院の墓地へ行つて見たいと云つた。
『すぐ一緖に參りませう』彼は云つた。『しかし、その人物について、あなたはどうお考へですか』
『西洋風に考へると、新三郞は輕蔑すべきやつです』彼は答へた。『私は心のうちで、私共の物語歌の本當の愛人と比べて見てゐた。その人達は實はクリスト敎信者だから、人間に生を享けるのはたつた一囘しかない事を信じてゐたにも拘らず、非常に喜んで、死んだ戀女と一緖に墓へ行きました。しかし新三郞は――うしろにも、前にも百萬の生命のある事を信じて居る佛敎徒であつた。しかも彼は幽界から彼のところへ歸つて來た女のために、この一つの浮世をさへ捨てる事をしない程利己的であつた。利己的よりも、更に一層臆病であつた。生れも育ちも武士だと云ふのに、幽靈が恐ろしさに坊さんに助けて貰はうとした。どの點から云つてもつまらない男です、あんな者をお露がしめ殺したのは、たしかに當然です』
『日本の見方から云つても、やはり』私の友人は答へた。『新三郞は餘程賤しむべき男です。しかし作者がこんな弱い性格を使はなければ、有效に運んで行かれないやうな事件を發展させるのにこんな人物が役に立つて居るのです。私の考では、この物語のうちで唯一人好きな人物はお米ですね、昔風の忠實な親切な女中の型で、――賢くて、怜悧で、色々の才智があつて、――死ぬまで忠實どころか、死んでからさきまで忠實なのですから。……とにかく新幡隨院へ參りませう』
私共は、お寺は面白くなく、墓地は恐ろしく荒れはてて居る事を發見した。昔、墓であつた場所は芋畠になつてゐた。その間に墓石が色々の角度で傾いて居る。墓の面の文字はこけで讀めない、臺石ばかり殘つて居るのもある、水鉢はこはれ、佛像の首のないのや手のないのがある。近頃の雨は黑い土にしみ込んで、――ところどころ汚水の溜りができてゐて、その𢌞りには無數の小さい蛙が跳んでゐた。芋畠を除いて――一切の物が何年間も打棄ててあつたらしい。門をすぐ入つたところにある小さい家で、一人の女が何か食事の準備をしてゐた、それで私の同行者は牡丹燈籠にある墓の事を知つて居るかと彼女に聞いて見た。
『あゝ、お露とお米の墓でせう』彼女は微笑しながら、答へた、――『それは寺のうしろの第一の通りの終りに近いところで、――地藏樣のとなりにあります』
このやうな種類の思ひがけない事に、日本では外にもよく出遇ふ。
私共は雨水の溜りと新芋の綠のうね、――その根は必ず大勢のお露やお米の髓を食(は)んでゐたに相違ない、――その間を拾ひながら進んだ、――そして私共はたうとう苔蒸した二つの墓についたが、その墓の面(おもて)は殆んど消えてゐた。大きい方の墓の側に、鼻のかけた地藏があつた。
『文字は中々讀めません』私の友人は云つた――『しかしお待ちなさい』……彼は袂から白い紙を一枚取出して、その誌銘の上に置いて、粘土の一片をもつて紙をこすり始めた。さうするうちに、黑ずんで來た表面に、文字が白く現れて來た。
『寶曆六年〔一七五六年〕――三月十一日――子歲、兄、火……これは吉兵衞と云ふ根津のどこかの宿屋の主人の墓らしい。もう一つの方に何が書いてあるか見ませう』
又新しい紙を一枚取つて、戒名の文句をやがて取つた。そして讀んだ、――
『「圓明院法曜偉貞謙志法尼」……誰か尼さんの墓ですね』
『何だ、ばかばかしい』私は叫んだ。『あの女は本當に私共を馬鹿にして居る』
『それは』私の友人は抗言した、『あなたの方が惡い。あなたは氣分を味ひたくて、ここへ來たのだから、あの女は精々お氣に入るやうに努めたわけです。あなたもこの怪談を本當だとは思つてゐないでせうね』
[やぶちゃん注:最後に。こうした小泉八雲本人が登場するエンディングは彼の作品によく見られる。例えば、“OF A PROMISE BROKEN”(私のサイトの原文電子化)がその最たるものではあるのだが(拙訳「破られし約束」及び、同縦書き版もある)、そういう現実の事実はあったかも知れぬが、寧ろ、これは小泉八雲の英語圏読者へのサーヴィスであって、実は元西洋人の遺伝子を受けた小泉八雲の、内なる日本人よりも日本人であった小泉八雲の分身と、彼自身の内的会話を外化したものである、と私は大真面目に思っている。
最後に。或いは、小泉八雲が別に参考文献とした可能性が頗る高い『夜窓鬼談』上巻にある「牡丹燈」を示す。底本は小泉八雲旧蔵本の富山大学「ヘルン文庫」のそれを視認したが、漢文であるため、その訓点に従って、訓読した。但し、原典は句点のみであるため、適宜、句読点に代えたり、補ったりした。( )は左ルビである。読み難いと判断した箇所には〔 〕で、私の推定読みを歴史的仮名遣で補い(送り仮名の一部も施したが、それは〔 〕では示していない)、清音の一部を濁音にした(これも指示していない)。また、段落を成形し、記号類も使用した。傍線は底本では右にある。一部に語注を附した。歴史的仮名遣の誤りはママである。因みに、原本には挿絵がある。
*
牡丹燈
享保年間[やぶちゃん注:一七一六年から一七三六年。]、江戶に飯島某有り。數世、幕府に事〔つか〕へ、牛門(うしごめ)[やぶちゃん注:漢字はママ。現在の東京都新宿区牛込附近であろう。]の外に館〔やかた〕す。家、亦、小康[やぶちゃん注:平穏に暮らしていた。]。女、有り、阿露〔おつゆ〕と名づく。窈窕秀弱[やぶちゃん注:美しくしとやかで、見るからにはかなげで。]、風致、衆に勝る[やぶちゃん注:その美しさは如何なる者より頭抜けて美しい。]。年十七、不幸にして母を亡〔なく〕す。父、妾を納〔い〕る。酷〔ひど〕く之れを愛す。妾、性、狡悍[やぶちゃん注:悪賢いこと。]、風波、稍〔やや〕[やぶちゃん注:しばしば。]起る。父、之を厭ひ、阿露をして、柳島[やぶちゃん注:]の別業に居らしむ。時、仲春に屬す。園中の梅花、紅白、萼を放つ[やぶちゃん注:花を咲かせている頃であった。]。
一日〔いちじつ〕、醫師志丈浪士萩原生〔せい〕を伴ふて、梅を龜井村に觀る。歸途、阿露を柳嶋に訪ふ。萩原生、年、亦、弱冠、標致[やぶちゃん注:容貌の美しいこと。]優雅、才藝兼ね備はる。父、歿する後、僕と根岸の里に居る。素より志丈と熟〔あつ〕し[やぶちゃん注:親しい。]。醫と雖ども、實は輕薄の小人、冨豪に阿諛〔あゆ〕して[やぶちゃん注:阿(おも)って]、歡心を待ちて活を謀る者。此の日、生をして、亦。解語の花を觀せしめんと欲するなり。[やぶちゃん注:「解語の花」は「美人」のこと。玄宗皇帝が楊貴妃を指して言ったとされる「開元天寶遺事」の故事から。「人の言葉を解する美しい花」の意味。]
[やぶちゃん注:「龜井村」当時の江戸市中にはない村名と思う。所持する二〇〇三年春風社刊「夜窓鬼談」(小倉斉・高柴慎治訳注)では『亀井戸村』とする。穏当であろう。]
阿露、屛に在りて之れを瞰(うかゞ)ふ。生の丰采風度〔ぼうさいふうど〕[やぶちゃん注:姿や態度。]を視て、意、之れを好〔よ〕し[やぶちゃん注:忽ち、好きになってしまった。]、急に婢に命じて、茶菓を供し、又、小酌を薦む。意、志丈、娘子をして萩原生に面(あは)せしめんと欲す。娘子、羞〔しう〕して出でず。强〔しひ〕て手を牽て來る。紅潮、頰に暈し[やぶちゃん注:頬を紅らめ。]、流眄[やぶちゃん注:「りうべん」。流し目。]、情を含む。志丈、杯を侑〔すす〕め、應酬、合巹(しうげんのさかづき)[やぶちゃん注:祝言の盃。]の禮のごとし。相偕〔あひとも〕に親昵〔しんぢつ〕[やぶちゃん注:ともに打ち解け。]、遂に期せずして氷を爲す[やぶちゃん注:志丈が、あたかも月下氷人、仲人(なこうど)のような形になってしまった。]。日、漸く傾く。厚く辭して還る。
志丈、後の累〔るい〕[やぶちゃん注:(自分に降りかかる)よくないこと。]を慮〔おもんぱか)〕り、或いは其れ穴を鑽(き)り、牆(しやう)を踰〔こゆ〕るの過〔あやまち〕有らんことを恐れ、復た、兩家に到らず。
生、日夜、阿露を思慕し、屢〔しばしば〕、志丈を招く。志丈、來らず、苦慮百計、其の梯〔てい〕[やぶちゃん注:算段。]を得ること、能はず。
因循[やぶちゃん注:ぐずぐずして。]、兩三月、寤寐〔ごび〕、忘れず[やぶちゃん注:寝ても覚めても。]、悒然〔いふぜん〕として[やぶちゃん注:憂えふさぎ込んで。]日を送るのみ。
僕、伴藏〔ともざう〕なる者、其の憂鬱を慰めんと欲し、頻りに遊步を勸む。遂に伴藏を伴ふて、舟を泛〔うか〕べて深川に釣る。
行々、柳島を過ぎ、將に飯島の莊に近づかんとす。後園の門扉、半ば開くを見る。乃〔すなは〕ち、船を繫がしめて、竊〔ひそか〕に園中を覘〔うかが〕ふ。婢、生を見て、喜び走り、告げて曰く、
「娘子、君を待つこと久し。君終に來らず。故を以つて、飯粒、喉(のど)を下らず、病、日に逼(せま)る。身、瘦せ、體、羸(つかれ)て、將に木に就かんとす[やぶちゃん注:意味不明。前記の「夜窓鬼談」(小倉斉・高柴慎治訳注)の訳では『いまや瀕死の状態です』とある。]。請ふ、來〔きたり〕て娘子の病を慰〔い〕せよ。」
と。
生、驚く。乃ち、堂に登る。婢、延〔のべ〕て[やぶちゃん注:奥へと案内して。]帳中に入る。
娘子、生を見て、且つ、喜び、且つ、泣く。共に衷情を伸〔のべ〕て[やぶちゃん注:ありったけの思いを述べて。]、綢繆[やぶちゃん注:「ちうびう(ちゅうびょう)」。睦み合うこと。馴れ親しむこと。]將に離れざらんとす。
日、已に昏〔く〕れ、將に歸らんとす。阿露、一香盒(かうがう)を出して曰く、
「是れ、母の遺物なり。秘愛し、身を離さず。今、蓋を君に贈る。冀〔ねがは〕くは、相合〔さうがふ〕の時を待たん。」
と。
生、之れを視れば、泥金〔でいきん〕[やぶちゃん注:金粉を膠(にかわ)の液で泥のように溶かして細工したもの。]して秋草を畫〔ゑが〕く。精巧、毫末に入る[やぶちゃん注:細部にまで丁寧に作られている。]。生、喜びて之れを懷〔ふところ〕に收む。
忽ち、人、有り。唐突に室に入り、聲を勵して曰く、
「何者の狡兒〔かうじ〕[やぶちゃん注:悪賢い奴。]ぞ。來〔きたり〕て我娘を辱〔はづかし〕む。速〔すみやか〕に首を延べて我が刀を受けよ。」
と。
兩人、愕然として、仰ぎ見れば、則ち、父、飯島[やぶちゃん注:傍線はない。]なり。將に刀を揮〔ふるひ〕て生を斬〔きら〕んとす。阿露、生を覆〔かばひ〕て之れを隔てゝ曰く、
「罪、妾〔わらは〕に在り。請ふ、妾を殺せ。」
と。
父、怒りて直〔ただち〕に阿露を斬る。
生、驚絕、覺へず聲を發す。
伴藏、傍〔かたはら〕に在りて曰く、
「舟、山谷に來れり。」[やぶちゃん注:「山の谷側に御座います。」。]
と。
生、蘧然〔きよぜん〕[やぶちゃん注:自ら悟るさま。自得するさま。]として覺むれば、正に是れ、一醉の夢、流汗淋漓(しだゝば)、襯衣(じばん)[やぶちゃん注:和服用の下着。単衣(ひとえ)の短い衣。肌着。じゅばん(襦袢)。ポルトガル語のそれを意味する“gibão”の字音に引かれた発音に漢字を当て字したものとされる。]、皆、濡〔うる〕ふ。
[やぶちゃん注:阿露(おつゆ)逢ったという前段部は彼の見た夢だったのである。舟遊びの船中での白昼夢であったのである(後掲される)。]
試みに懷中を探れば、金蓋、依然として有り。生、其奇夢を怪しみ、未だ敢て人も告げず。
偶〔たまたま〕、志丈[やぶちゃん注:傍線はない。]、來〔きた〕る。潛然として告げて曰く、
「娘子、死せり。」
と。
生、又、駭(おど)ろく。其の故を問ふ。曰く、
「君を思ふ、數月、沈鬱の病を益す[やぶちゃん注:「加わる」の意か。但し、私は「發」の誤字のような気がしてならない。]。縱〔たと〕ひ嚴父に告ぐとも、自ら事の成らざるを知り、藥を去り、食を絕ち、溘然(がいぜん)として[やぶちゃん注:読みはママ。正しくは「こふぜん(こうぜん)」俄かに。]終〔つひ〕に亡〔し〕せり。」
僕、聞きて甚だ悼む。
「請ふ、香華を供へ、冥福を修せよ。君、一勺の水を灑〔そそ〕ぐは、萬僧の讀經に勝れり。」
と。
生、亦、大〔おほい〕に悲しむ。始めて、舟中の奇夢を悟り、彼〔か〕の香盒の蓋を示す。
志丈[やぶちゃん注:傍線なし。]、亦、異〔い〕に驚く[やぶちゃん注:原文は「き」であるが、以下、シチュエーションが変わるので、特異的に「く」として、ここで切った。]。
既にして孟蘭盆會に及ぶ。邦俗、華燈を照らし、蔬果を供し、以つて祖先を祀る。生、亦、家廟に娘子の靈を合祀す。
時に初秋、暑熱、未だ退かず。窓を開けて涼を納〔い〕れ、嫦娥(つき)[やぶちゃん注:月。「嫦娥(じょうが/こうが)」は、中国神話に登場する神で、后羿(こうげい)の妻。古くは姮娥(こうが)と表記された。「淮南子」の「覽冥訓」によれば、もとは仙女であったが、地上に下りたために不死でなくなり、夫后羿が西王母から貰い受けた不死の薬を盗んで飲み、月(月宮殿)に逃げ、蟾蜍(ひきがえる)になったと伝える。別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥を、より近くで見るため、月に向かって供え物をしたのが「月見」の由来だとも伝える。道教では嫦娥を月神と見做し、「太陰星君」さらに「月宮黃華素曜元精聖後太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている(以上はウィキの「嫦娥」に拠った)。]、雲に隱るを恨む。獨り空庭に對して、悵然〔ちやうぜん〕[やぶちゃん注:悲しみ嘆くさま。がっかりして打ちひしがれるさま。]として、寢ること、能はず。
忽ち、牆外〔しやうがい〕[やぶちゃん注:垣根の外。]、履聲(げたのこへ)の來〔きた〕るを聞く。
生、意に之れを訝〔いぶか〕る。竊かに牆𨻶〔しやうげき〕より之れを視れば、飯嶋氏の婢、牡丹花の繡燈〔しふとう〕[やぶちゃん注:牡丹の花を縫いとりした燈籠。]を携へて、冉冉〔ぜんぜん〕[やぶちゃん注:しだいに進んで来るさま。]として娘子と與〔とも〕に來〔きた〕る。
生、見て大に喜ぶ。匇匇〔そうそう〕[やぶちゃん注:急いで。]、門を開きて之れを邀〔むか〕ふ。其の來る所以を問はば、婢、曰く、
「阿娘、君に逢ふの後、戀戀として、誼(わす)るゝこと[やぶちゃん注:不審。「忘る」であろうが、「誼」にそのような意味は、ない。「親(よ)しみ」の意に当て訓したものか。]、能はず、竟〔つひ〕に病を爲す。父、之れを憂へ、將に壻〔むこ〕を擇んで、嗣〔し〕を定めんとす。阿娘、之れを厭ひ、懊惱(わやみわづろう)、置くこと、能はず。偶〔たまたま〕、志丈、來〔きた〕りて謂ふ。『君、病を以て死す』と。阿娘、悲傷、髮を剃りて尼と爲らん欲す。妾、苦諫[やぶちゃん注:強く諌め。]、遂に柳島の莊を脫して、潛かに谷中に來り、僅に茅屋を借りて僦居〔しうきよ〕[やぶちゃん注:借家住まいすること。]す。今夜、貴館に來るは、君の靈牌を拜せんと欲するなり。
生、曰く、
「志丈、亦、謂ふ、『阿娘の病を以つて亡す』と。何ぞ其れ、僞れるや。」
と。
遂に相伴ふて室に入る。婢を別室に臥せしめ、二人、再會を喜び、共に歡好を極む。
鷄鳴、戶を開きて之れを送る。此〔かく〕のごとくすること、連夜、綢繆〔ちうびう〕、愈〔いよい〕よ堅し。
伴藏、牆〔かきね〕を隔〔へだて〕て室を構ふ。竊に、生の房、夜夜、笑語の聲有るを怪しむ。牆を穿〔うがち〕て之れを覘ふ。
兩婦人、有り。生と相※戲す[やぶちゃん注:「※」=「女」+「棄」。読みも意味も不明。先の現代語訳では、『親しげに戯れ合っている』とある。]。其の形、模糊として烟霧のごとく、生、人に非ざるに似たり。伴藏、大に怪しむ。
之れを隣家の白翁〔はくをう〕なる者に告ぐ。白翁[やぶちゃん注:傍線なし。]、鑒相〔かんさう〕[やぶちゃん注:先の訳本では『人相観』とある。人相見(にんそうみ)。]の術を以つて業〔なりはひ〕と爲す。生と甚だ親しむ。
明朝、生を訪〔おとな〕ふ。
生の血色、常ならざるを視て、大に驚きて曰く、
「君、生氣、大に衰へ、邪氣、身に纏(まと)ふ。恐らくは「鬼〔き〕」の爲めに憑らるる者[やぶちゃん注:「憑らるる」は読み不詳。「とりつからるる」か。]。聞く、夜夜、來客、有り。必ず、生人〔しやうじん〕に非ず。終に君の命を奪はん。宜〔すべから〕く遽〔すみやか〕に之れを避くべし。」
と。
生、曰く、
「是れ、飯島氏の娘子〔むすめご〕。今、谷中に在り。夜夜、婢と共に來〔きた〕る。固より、鬼に非ず。」
と。
白翁、曰く、
「試みに谷中に之〔ゆ〕きて之れを尋ねよ。恐らくは、其の人、無からん。」
と。
生、往きて、之れを索〔もと〕む。果して、有ること無し。
歸途、新幡隨院の墓所を過ぐ。
新塚、有り。牡丹の繡燈を掛く。婢の携ふる所と相同じ。
因〔より〕て、之れを寺僧に問ふ。曰く、
「飯島氏娘子の塚なり。」
生、始めて駭く。乃ち、白翁に告げて、之れを避〔さく〕るの法を請ふ。
白翁、曰く、
「我〔わが〕力、能はざるなり。聞く、良石和尙は當世の碩德〔せきとく〕[やぶちゃん注:広大な徳のある人のこと。]、子、往きて、之れを問へ。」
と。
乃ち、簡(てがみ)を折りて、之れを授く。
生、和尙に謁して、實〔まこと〕を告ぐ。懇〔ねんごろ〕に其の鬼を避ることを請ふ。
和尙、曰く、
「是れ、前世の宿因、一朝の故に非ざるなり[やぶちゃん注:一朝一夕に起きた偶発のものではない。]。凝魂纏綿、世世、釋〔と〕けず[やぶちゃん注:輪廻転生しても消え去ることはない。]。世を換へ、所を異にすると雖ども、免るゝこと、能はず。但し、佛の擁護を得ば、或いは、今世を全〔まつと〕ふすることを得ん。宜〔よろ〕しく、佛を念じ、經を誦すべし。」
と。
則ち、符[やぶちゃん注:呪符。]を書して、之れを授けて、曰く、
「宜しく諸〔これ〕を窻戶〔さうと〕に糊貼〔のりばり〕すべし。必ず、幽鬼を避けん。」
生、拜謝して歸る。敎のごとく、之れを貼〔てん〕ず。
其夜、二更[やぶちゃん注:およそ現在の午後九時又は午後十時からの二時間。]、又、履聲〔げたのこゑ〕を聞く。
生、竊かに戶隙〔とのすきま〕より之れを覘ふ。
婢の曰く、
「君の心變あり。戶を閉〔とざし〕て容〔い〕れず。何ぞ、其れ、薄情なるや。」
と。
阿露、泣きて曰く、
「已に約を堅む。何ぞ遽〔にはか〕に背くや。是れ、必ず、人の爲めに纔せらるるなり[やぶちゃん注:「纔」は読み不明。思うに、「事実でないことを言って他人を陥れる」の意の「讒(ざん)」の誤字ではなかろうか。先の現代語訳でもそのように訳されてある。]。」
と、戶を繞〔めぐり〕て徘徊す。
遂に悲號して、去る。
其夜、二鬼、伴藏の宅に至り、懇〔えんごろ〕に靈符を除〔じよ〕せんことを、請ふ。
伴藏、恐怖、言を接すること、能はず[やぶちゃん注:叫び声を挙げることさえ出来ず]、唯唯〔ただただ〕、之れを諾す。期するに[やぶちゃん注:約束するに際して。]、翌夜〔あくるよ〕を以てす。
伴藏、おもへらく、
「除せずんば、二鬼、又、來らん。」
と、已むことを得ず、遂に之れを除〔のぞ〕く。
其夜、二鬼、又、生の室に入る。
明朝、伴藏、白翁に告ぐ。白翁、之れを憂ひ、伴藏と生を訪ふ。
生、未だ起きず。
室を開けば、生、已に死せり。
[やぶちゃん注:以下の石川の注記的記載は底本では全体が一字下げである。]
此れ、圓朝氏の談ずる所〔とこ〕ろ。尙ほ、飯島氏の僕孝助の忠心及び伴藏の姦惡・其妻の橫死、怪を爲す等の事、有り。枝葉に涉るを以つて之れを畧す。此の事、甞つて、土佐某氏の畫く所の橫卷に觀る[やぶちゃん注:「橫卷」は絵巻のこと。]。畫間、和文を以つて之れを錄す。然れども、生、死の後、皆、之れを省く[やぶちゃん注:その絵巻では萩原の死後の出来事は省かれていた。]。孝助の復讎、伴藏賊を爲す等の事、恐くは圓朝氏の蛇足を添〔そふ〕るなり。
*
なお、最後に言っておくと、底本の田部隆次氏の「あとがき」には、『ヘルンは菊五郞の芝居を見たやうに書いて居るが、實際東京では時間を惜しんで芝居を見た事はなかつた。しかし夫人と共に團子坂から新幡隨院を車で訪うて、この編の終りに書いたやうな事件を經驗したのであつた』と、断言、なさっておられる。最後のサゲで、小泉八雲先生に騙されていたという……お後がよろしいようで……]