甲子夜話卷之六 3 詩歌降たる事
6-3 詩歌降たる事
同上云ク。近時詩道降りて小巧を爭ふことになり、大雅の風は響を遏る計なり。然れども小巧ゆへ、よく言おゝせておもしろきこともあり。「隨園詩話」の中に見へし、人無キハ二風趣一官常ニ貴ク、几ニ有ル二琴書一家ハ必ズ貧シなどは、前人の言ざる所を言て、世の中の事にいと切當なり。されど言たる迄にて餘味なし。唐の員半千が、冠冕無キㇾ醜ルコト士モ賄賂成ス二知己ヲ一は、世態を言おおせて、又限りも無き餘情に咏歎を含めりと。
■やぶちゃんの呟き
「降たる」「くだりたる」。格調や品位が有意に下がってしまった。
「同上云ク」「同上に云はく」。前条の「定家卿詠歌」を指すので、話者はまたしても、林述斎。
「小巧」「しやうこう(しょうこう)」小手先の修辞技巧。
「大雅」「たいが」。「詩経」の分類の一つ。三十一篇から成る。「詩経」の詩の六つの類型である六義(りくぎ:「詩経」の詩群をその属性・内容から分類した「風(ふう)」・「雅」・「頌」(しょう)に、表現法から分類した「賦」・「比」・「興(きょう)」を合わせた総称)の一つである「雅」を「小雅」(七十四篇)とともに構成する。周王朝の儀式・宴席などで歌われた詩で、周の歴史を主題とした叙事的内容のものもある。
「風」「ふう」。風流。雅(みやび)さ。但し、上記の「詩経」の六義の「風」(各地の民謡を集めた「国風(こくふう)」で百六十篇から成る)のそれも利かせた(「大雅」が宮廷の祝祭歌であるのに対し、こちらは土地に根ざした民衆の唄である)謂いであろう。
「響」「ひびき」。
「遏る」「とどめる」。「結滞してしまっている」或いは「絶えてしまっている」。
「計」「ばかり」。
「隨園詩話」清代の詩人袁枚の詩論。袁枚は前条の「定家卿詠歌」で既注。
「人無キハ二風趣一官常ニ貴ク、几ニ有ル二琴書一家ハ必ズ貧シ」訓読すると、
人 風趣無きは 官 常に貴(たふと)く
几(き)に琴・書有る家は 必ず 貧し
である。但し、「隨園詩話」の巻十四には以下のように出る。
余有句云、「人無風趣官多貴。」。一時不得對。周靑原、對、「案有琴書家必貧。」。吳元禮、對、「花太嬌紅子必稀。」。
従って、これは最初の句が袁枚で、それに、袁枚の友人で工部侍郎であった周青原が対句して和したというのが正解である。なお、「案」(あん)は中国の台状の机や食盤のことで「几」とは同義的ではある。「案」は、一般に、長方形の板に、概して短い足が附いたものを指し、漆が施されているのが普通で、板上には菱形紋・雲気紋・動物紋などが描かれることがある。戦国時代の古墓から既に出土している。
「言ざる所を言て」「いはざるところをいひて」。
「切當」「せつたう(せっとう)」で、適切にして能(よ)く目的に適(かな)っていること。
「餘味」風雅な余韻。
「員半千」(六二一年~七一四年)は初唐末の官人で詩人。
「冠冕無キㇾ醜ルコト士モ賄賂成ス二知己ヲ一」訓読すると、
冠冕(くわんべん)醜(はづかしむ)ること無き士も 賄賂(わいろ) 知己を成す
で、「冠冕」は「冕冠(べんかん)」で、中国では皇帝から卿大夫以上が着用した冠(かんむり)。冠の上に冕板(べんばん)と呼ばれる長方形の木製の板状の物を乗せ、冕板前後の端には旒(りゅう)と称する玉飾りを複数垂らしたもの。旒の数は身分により異なる。全体の意味は恐らく、「高官たることを汚して恥をかくことがない士大夫(階級)の高潔に見える立派な人物であっても、賄賂とは必ず仲が良いものだ」との謂いであろう。これは員半千の五言排律(推定)「隴右途中遭非語」の一節。中文サイト「中華詩詞網」のこちらで全篇が読める。
「言おおせて」ママ。歴史的仮名遣では「言(いひ)おほせて」でなくてはおかしい。漢字では「果せる」「遂せる」と書く。
「咏歎」「詠嘆」に同じい。