諸国因果物語 巻之四 狸の子を取て報ひし事
狸の子を取て報ひし事
加州金沢に弥九郞といふものあり。奇妙の狐(きつね)つり也。
此おとこ、出て行時は、假初(かりそめ)にも萬の[やぶちゃん注:「よろづの」。]獸(けだもの)、心よく出て遊ふ事、なし。何といふ事なく、一目見つる物をのがさす、悉(ことごとく)つりて、市にはこび、五貫、三貫のあたひを得て、おのが身のたすけとしけるに、ある時、用の事ありて、越前の國福井へ行事ありしに、月津(つきづ)よりとゞろきへ行あひだに、敕使(ちよくし)といふ所有、此邊に「道竹(どうちく[やぶちゃん注:ママ。])」とて、隱れもなき古狸ありて、漸(やゝ)もすれば、人をたぶらかし、化して難義させけるが、折もこそあれ、弥九郞が通りける時、道竹が子ども、二、三疋、此ちよくし川の邊(ほとり)に出て、遊び居けるを、弥九郞、はるかに見付、
「あつぱれ、よき儲(まふけ)や。是を釣(つり)て、道中の酒代に。」
と、おもひ、かたはらなる茨畔(いばらくろ)に這(はひ)かくれ、さまざまと手を盡し、難なく、二疋は釣おほせ、一疋は取逃しぬ。
[やぶちゃん注:「五貫、三貫」本作が刊行された一七〇〇年代で、金一両は銀六十匁で銭四貫文(四千文)で、一両を現在の十三万円と換算する例があったのに従うなら、「五貫」で、一両二匁半で十八万二千円、「三貫」だと七匁半で九万七千五百円となる。
「月津(つきづ)」現在の石川県小松市月津町(つきづまち)(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「とゞろき」福井県あわら市轟木。
「敕使(ちよくし)」石川県加賀市勅使町(ちょくしまち)。名(旧村名)は花山法皇や一条天皇の勅使の逗留所が在ったことに由来するとされている。
「道竹」不詳。この妖狸の名は伝承や他の怪奇談には出ないようである。
「茨畔(いばらくろ)」川の畔(ほとり)の茨の茂み。]
「口おしき事歟[やぶちゃん注:「か」。「口おしき」はママ。]。我、今まで何ほどか獸をとりけれども、終に仕損(しそん)ぜし事、なし。おのれ、是非に釣(つら)ずして置べきか。」
と、かの二疋を囮(をとり)として、逃うせし狸を待し所へ、五十ばりかと見ゆる禪門、かせ杖にすがりて、此所を通りあはせ、弥九郞が隱れゐたる所へ立より、
「弥九郞、弥九郞。」
と呼(よぶ)。
[やぶちゃん注:「かせ杖」「鹿杖(かせづゑ)」と漢字表記する。先が二股になった杖、或いは、上端をT字形にした杖。撞木(しゅもく)杖。また別に、僧侶などが持つ、頭部に鹿の角をつけた杖。]
弥九郞、むなさはぎして、
『こは、何ものぞ。』
と、立あがりけるに、禪門のいふやう、
「我、もと人間にあらず。其方も聞およびつらん、此所に年久しく住(すみ)て多(おほく)の人を欺きたぶらかしける、道竹なり。我、今、千年を經たれば、通力、心のまゝにて、よく火に入、水に隱れ、雲となり、霞と化(け)して、自在なる事を得たるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、此國に弥九郞といふ狩人(かりふど[やぶちゃん注:ママ。])ありて、手をつくせども、我、また、變化(へんげ)して、終に其方が手にまはらず。今、あらはれて爰(こゝ)に來(きた)る事、大切なる望(のぞみ)あるがゆへ也。我願ひをかなへ給らば、我、そのかはりに其方が身、一代光耀にほこり、歡樂にほこる樣(やう)をおしへ[やぶちゃん注:ママ。]申さん。」
と、いふ。
弥九郞、聞(き)て[やぶちゃん注:ママ。]、
「何なりとも、いひ給へ。かなへ申さん。」
と、請合[やぶちゃん注:「うけあふ」。]時、道竹、なみだを、
「はらはら。」
と流し、
「誠に生ある者として子を思はざるはなきぞかし。我、此年ごろ、人を惱し、人に敬(うやま)はれ、恐れを請(うけ)し事あれども、人に詞(ことば)をたれ、人に手をさげし事、なし。弥九郞なればこそ、我も詞をかはし、我なればこそ、子のために顯(まのあたり)かたちを顯しけるぞや。最前、其方に釣(つら)れしは、我が子ぞもの中にても、殊に末子(まつし)なり。常に、我、いましめて、猥(みだり)にあそぶ事なかれ、と制すれども、おさなき心にはやりて、今、此難にあひけるを、親の身なれば、見捨ても置かだく侍り。此心を察して、彼が命をたすけ得させ給ひてんや。」
と、淚にむせびける程に、弥九郞、
「しからば、我、二疋の子をたすけ歸すべし。其悅(よろこ)びには、何をもつて、我に一生の歡樂をあたふべきや。品によりて、免さん。」
といふに、道竹、
「されば、一生の歡樂といふは、過去の因緣に隨ひ、宿習(しゅくしう[やぶちゃん注:ママ。])の福報をうけ、音、德本(とくほん)を植(うへ[やぶちゃん注:ママ。])て、今、冨貴(ふうき)の身となり、尊(たつと)きにいたる也。我、數(す)千歲(ざい)を經て、神通無㝵(じんつむげ)[やぶちゃん注:「無碍」に同じい。]なれども、其宿福をおこして、決定して、貧を轉ずる事、あたはず。只、幻化虛妄(げんけこもう[やぶちゃん注:ママ。])の奇特(きどく)をもつて、假(かり)なる樂(たのしみ)を語るに、術を得たり。今、しばらく、大なる福を受(うく)るといへども、人を惑(まどは)し、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])を奮(ふるひ)て冨貴を貪(むさぼ)るが故に、未來は、かならず、惡趣(あくしゆ)に落(おち)て苦を受(うく)る事、治定(ぢでう)也。しかれども、我、これを知(しる)といへども、畜生の身を得しかば、本心、また、過去の業(ごう[やぶちゃん注:ママ。])にひかれて、漸(やゝ)もすれば、惡にそみやすく、此妙用を樂しみと思ふ也。かゝる類(たぐひ)の幻術、いくばくともなく、我に備へたれば、其方に命を乞(こひ)て、子をたすけ、其変替りに、歡樂をなさしめ、一生の榮花にほこらせ申さんといふも、此通力の内を、只、ひとつ、授(さづけ)申さんがため也。」
と、いふに、弥九郞も未來を恐れざるにはあらねども、先(まづ)、當分の歡樂といふに、心うつりて、
「さらば、其神通の内を、何にても、我に授(さづけ)よ。」
と望しかば、子を思ふ心の闇にひかれて、道竹は弥九郞をともなひ、ほそろ木の山ちかき熊坂(くまさか)の城あとへ、わけのぼり、さまざまの行ひをさせ、いろいろの勤(つとめ)を敎けるが、一つも、人間の世に聞(きゝ)もしらぬ事ども也。
[やぶちゃん注:「惡趣(あくしゆ)」三悪道。悪業の結果、受ける輪廻転生の存生の様態。狭義に「地獄」・「餓鬼」・「畜生」を指す(但し、広義には六道輪廻自体が煩悩に拠る不全の時空間であるから、広義にはそれに「修羅」を加えて「四悪趣」とも、また「人間」「天上」を加えた六道輪廻全体をもそれとなる)。
「ほそろ木の山」福井県坂井郡にあった細呂木村(ほそろぎむら)か。現在のあわら市の北東部で、北陸本線細呂木駅の周辺に当たる。なお、当該駅から東北に四キロメートル弱の位置に石川県加賀市熊坂町がある。
「熊坂(くまさか)の城あと」上記の熊坂町内には複数の山城跡(土塁・郭・堀)が残る。「熊坂花房砦」・「熊坂菅谷砦」・「熊坂黒谷城」・「熊坂口之砦」を見出せる。よく判らないが、南北朝期以後の山城か。]
さて、
「此つとめ、毎日、朝日にむかひ、身、おはる迄、行ひ給はゞ、万寶(まんぼう)は心のまゝなるべし。」
と、堅く誓言(せいごん)させ、
「今こそ、其方が經法はかなひたれ。あなかしこ。此事、人に語り給ふな。」
とて、立わかれぬ。
弥九郞は、何を何とわきまへたる所もなく、いぶかしけれど、此山中を立いづるに、行(ゆき)かふ山人・里人など、弥九郞を、ふりかへり、ふりかへり、見て、
「扨も。美しき女郞(ぢようらう[やぶちゃん注:ママ。])かな。およそ、此近國にあれほどの女をみず。」
と、私語(さゝさき)わたりけるにも、
「扨は。此身ながら、女になりけるにや。」
と、心もとなさに、あたりなる溜池にさしうつぶき、水かゞみ見しに、
『さても、化(ばけ)たり。我ながら、是程には、器量よく、髮のかゝり、爪(つま)はづれのよくも、女とは、なりしよな。』
[やぶちゃん注:「爪(つま)はづれ」「爪外(つまはづ)れ」「褄外れ」で裾のさばき方。転じて、身のこなし・所作の意。]
と、見るより、あまた人の見かへり見とむるを、面白く、福井の町を行返りけるに、年ばへなる女、弥九郞が袖をひかへ、
「みづからは、加州大聖寺(だいせうじ[やぶちゃん注:ママ。])より一里ばかり山代の湯もとに隱れなき『増㙒(ますの)』と申者なり。我、湯もとに年久しく住(すみ)て、あまた、湯治の人を宿し、按摩を所作(しよさ)として、客達の機嫌を取、あるひは、女中・お國住(ずみ)のお局(つぼね)・御國腹(おくにばら)の御姬さまなどに取入(とりいり)、御痞(つかへ)を挲(さすり)、腰をもみて、定(さだま)りの外の金銀をまふけ、活計に暮し、今、六十にちかくなるまで、何のふそくもなき身なれども、夫(おつと)は十年跡(あと)に世を去(さり)、親類とては從兄弟(いとこ)むこ一人のみなり。我家は此所作に名ありて持(もち)つたへし宿や、殊に貴人・高位にも立(たち)まじはる事を專(せん)とすれば、尋常なる人にゆづる事も本意なく、年ごろ、湯本の藥師堂に此事を歎き、祈りけるしるしに、此ほど、正(まさ)しき夢想ありて、『福井まで迎(むかへ)に出べし』との告(つげ)、ありありと人相・衣服まで露ばかりも違(たが)はず。其方は、我家(わがいゑ[やぶちゃん注:ママ。])の跡とり也。いざ、此方(こなた)へ。」
とさそはれ、心はづかしく、
『いかゞ、』
と思へども、
『是や、彼道竹がはからひなるべし。』
と、おもふに任せて、いとやすく請(うけ)あひ、此祖母(うば)と、うちつれて山代へ行けるに、聞(きゝ)しは物かは、家居(いゑい[やぶちゃん注:ママ。])、おびたゞしく、下部(しもべ)なども餘(あま)た出入て、にぎはしく、湯治の男女(なんによ)、ひまなき中にも、幕(まく)の湯(ゆ)・留湯(とめゆ)など、いひのゝしり、女中、ひまなく此家に關札(せきふだ)を打(うち)て、いり込(こむ)に、祖母(ばゞ)は弥九郞を引(ひき)つれ、
「我(わが)むすめ也。」
と、披露しけるは、心にいかばかりおかしけれども、齒をくいしめて、聞いたるに、「平河(ひらかは)の御かた」といふ名をさへ付て、地(ぢ)なしの小袖を打かけさせ、御目見へ[やぶちゃん注:ママ。]させける。
[やぶちゃん注:「大聖寺(だいせうじ)」大聖寺藩の城下町。現在の石川県加賀市中心部。「大聖寺」を冠する町が並ぶ。
「山代の湯もと」石川県加賀市山代温泉。
「湯本の藥師堂」行基が開いたとされる山中温泉の、真言宗薬王院温泉寺の本尊である薬師瑠璃光如来像が祀られてあったものであろう。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面3間軒唐破風向拝付き、現在は本堂内陣にあるが、三十三年に一度しか開帳されない秘仏である(次の開帳は二〇四八年である)。
「幕(まく)の湯(ゆ)」不詳。当時の湯治場は開放式(露天)が普通であったから、貴人女性などが入浴するために、幔幕を巡らしたところがあったものか。次注も参照されたい。
「留湯(とめゆ)」不詳。複数ある源泉の中でも最後に入るべき湯のことか。或いは山代温泉は硫酸塩泉系と単純温泉系の二種の泉質の源泉が存在するから、その区別なのかも知れない。
「關札」ここは宿札(やどふだ/しゅくさつ)のこと。大名・旗本などが宿泊する本陣や脇本陣の門又は宿の出入り口に、宿泊者の名を書いて掲げた札。
「平河(ひらかは)の御かた」由来不詳。]
恥かしき燈臺の陰に綿ぼうしとりかけたるひまより、御客と覺しき御かたを見れば、年のほど、廿二、三と見えて氣高く美しき女中也。さすがに、我はいやしかりし身のかゝる貴人の姬君など、いさゝかにも見たる事なく、そのうへ、此きみの器量、また、類(たぐひ)あるべしとも覺えぬうつくしさに、見とれ、
『何とぞして、此御方に取いり、思ひそめつるかたはしをも、いひしらせ奉り、せめては哀(あはれ)ともいはれ參らせばや。』
の心づきて、夜と共に御かたはらを離れず、湯治の御あかり場(ば)[やぶちゃん注:脱衣所のことであろう。]までも入たちけるにつきて、御浴衣(ゆかた)を參らせける序に、御腰(こし)を、
「しか。」
と、いだき參らすれば、
「こは、いかに。」
と仰られしを便(たより)に、平河、なみだを流し、
「誠は、我、をんなにあらず。弥九郞と申[やぶちゃん注:「まうす」。]獵人(かりうど)なり。去(さる)子細ありて、かゝる女のかたちを作り、此宿のあるじとなる事を得たれば、冨貴榮耀は並びなき身となり候へども、知(ち)あるも、愚(おろか)なるも、たゞ、彼[やぶちゃん注:「かの」。]まどひの一つは忘れがたく、君がありさまを見そめまいらせしより、露(つゆ)わするゝ隙なくて。」
などゝ、搔(かき)くどきけるは、おもひもよらぬ事に、姬君も當惑したまへども、はしたなくも引はなさず、
「誠に御心ざし、無下(むげ)にはなし難(がた)く、いとほしと思へど、かゝる男心ありては、湯治(たうじ)のしるしもなきとかや、湯文(ゆぶみ)にもしるされて待れば、心よく待(また)せたまへ、ひとまはりといふも、暫(しばら)くの事ぞかし、又の年の迎ひ湯には、かならず。」
と、いひて慰め給ふに、弥九郞、面(おもて)の色をかへ、
「よしよし、賤(いやしき)身とおもひて此事をなだめ、いたづらに戀死(こひじぬ)とも、又、あはじとおぼしめす心底にこそ。いでいで、我心ざしを無足(むそく)にし給はゞ、見すべき報(むくひ)こそあれ。」
と、御腰(こし)いだきたる手を、つきはなしけると思へば、俄に、五体、くるしみ、御病氣、おもくなり、物いひ給ふ事もなりがたく、口ごもるやう也けるまゝ、是に恐れて、心よく、身をうき物と思ひながら、假(かり)の枕をかはし給ひしより、人しれぬ通ひ路に、關守も心とけて、あさからぬ中となり給ひける。
[やぶちゃん注:個人的には最後のシークエンスは言葉が足りない気がする。「是に恐れて」の部分で、これは、彼(女に化けた弥九郎)が姫君を突き放したところが、姫の病いが急に重くなってしまい、言葉さえまともに発することが出来なくなってしまった結果(文脈上では弥九郎の神通力によってという風に読めるようには出来ていよう)、「その変事を姫君自身が恐れてしまい、」ということである。]
かゝる事ありとは夢にもしらず、此度、湯治の御禮せし團佐(だんすけ)といひし侍、この平河が器量になづみ、明暮と心をつくし、隙(ひま)を窺(うかがひ)、
「責(せめ)て、一言のなさけにも預らばや。」
と心かけ居たりしに、ある朝、まだほの暗きに、平河の御かた、姬君の御ねやより、しのびやかに出で歸りけるを、兎(と)ある片陰に引すへけるを、はしたなく聲たてゝ、
「爰に男あり。」
と、のゝしるを、團佐は日比、戀わびし思ひの色、よしや、此女ゆへには、たとひ、命を捨(すつる)とも、露(つゆ)うらみぬ氣になりしかば、ひたすらに、いだき留つゝ、何角(なにか)と聞(きゝ)もわきがたく、言つゞけ、ふところに手をさし入けるに、むないたより、毛、おひ、骨ぐみ、あらゝかなりしかば、恐しき心つきて、
「おのれ、癖者め。のがさじ。」
と、いひしより、人々も出あひ、立かゝりて、吟味せしに、弥九郞が化(ばけ)あらはれ、終に死罪におこなはるゝよ……と……おもへば……夢のさめたる如くにて……勅使川原に……たゝずみ、ける。
是より、思ひとまりて、長く獵師をとまりしとぞ。
諸國因果物語卷之四
[やぶちゃん注:エンディングの現実覚醒部分には特異的にリーダを用いた。ここまでの話柄の中では、特異的に、徹頭徹尾、面白さを狙ったものである。構造上は神話伝承に於ける、〈破約のモチーフ〉であるものの、標題自体が「狸の子を取て報ひし事」であるのは、予め、エンディグは決定(けつじょう)されていた夢落ち、まんまと弥九郎は老化狸道竹に騙されたのであった。そもそもが、道竹はその語りに於いて、越前・加賀の獣たちから非道の狩人弥九郎を懲らしめてくれるように頼まれていたに違いないということが、見え見えではないか。とすれば、この子狸三匹でさえも、道竹の子らなんどではなくて、彼の使った陰陽道の式神(しきがみ)みたようなものが演じたダミーだったのではなかろうかと私は考えてさえいるのである。
「湯治の御禮せし」よく判らない。湯治にきて、宿の女将に挨拶にきたということか。
本話を以って「諸国因果物語」巻之四は終わっている。]