諸国因果物語 巻之五 正直の人虵の難をのかるゝ事
正直の人虵の難をのかるゝ事
越後新潟といふ所に傳介といふ百姓あり。我すむ所より畑(はたけ)までは半道ありけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、朝、とく、畑に出んとしては、先[やぶちゃん注:「まづ」。]、焼めしを、二つ三つほど、こしらへ、昼食のたくはへとし、ちいさき藁(わら)づとに入て、もちゆき、畠(はたけ)の畝(うね)にをきて[やぶちゃん注:ママ。]、常に田をも打、畠をも、つくりけり。
[やぶちゃん注:「半道」一里の半分で二キロメートル弱。]
ある年の夏の事なりしに、いつもの如くして畠へ行、彼(かの)やきめしの入たる畚(ふご)を、かたはらなる木の枝にかけ置、農業をつとめ、漸(やゝ)日も昼にかたぶきけんとおもふ比(ころ)、かの畚をおろして昼食(ちうじき[やぶちゃん注:ママ。])せんとせしに、食物は、なし。
「こは、いかに。」
と、思ひめぐらすに、慥(たしか)に今朝(けさ)入たるに、まがひなくおぼゆれども、さあればとて、人のとりたるかとおもふ事も、なし。
[やぶちゃん注:「畚」ここは竹や藁などを編んで作った容れ物。]
ふしぎながら、腹のすきたるを堪忍(かんにん)して、其日をつとめ、歸りぬ。
又、明(あく)る日、おなじごとくに木の枝に掛たりしが、又、焼めしを失ひて、なし。
『合点の行(ゆか)ぬ事。』
と、おもひて、さまざまにためしけるに、二、三日のほど、おなじ木にかけて、ためし見るに、何ものゝ態(わざ)ともしれず、只、かいくれて、失(うせ)けるまゝ、口おしき事に思ひて、此たびは畚ばかりを木にかけ、焼めしは手ぬぐひにつゝみて、腰にさげ、農業をやめて、うかゞひしに、やうやう日もたけて、八ツ[やぶちゃん注:夏で百姓であるから、不定時法で午後二時半頃。]にやなりぬらんとおもふころ、腰のまはりの、ひやゝかになりたるやうにおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、ふりかへりて見るに、三尺ばかりなる小虵(へび)の來りて、腰につけたるやきめしの手ぬぐひを、
「くるくる。」
と卷(まき)て、まん中ほどを、くいきりつゝ、かの食を、くらひける。
『にくいやつかな。扨は。此ものゝしわざなりけり。』
と、思ひしかば、鎌をひそかにぬき出して、まき付せながら、此虵を、
「ずたずた。」
に、切てすてたり。
『あら、心よや。けふよりして、又と焼めしは、とらるべからず。』
と、おもひて、畠をせゝり[やぶちゃん注:掘り起し。]、田の水をおとしなどして、いつもの夕ぐれになりければ、歸らんとせし所に、むかふより、見馴れざる女、のりものをかきて、こなたへ來りぬ。
御こしもと・はした、それぞれの女中、あまたありて、おさへ[やぶちゃん注:護衛。]と見ゑ[やぶちゃん注:ママ。]つるは、四十ばかりの[やぶちゃん注:人数。異様に多い。]侍・若黨など、きらびやかにて、すゝみ來るを、
『あれは、何方(いづかた)へ行人ぞや。此道は聖つゞきにて、末は道もなき所なるに。いかなる事にや。』
と、おもふ内、傳介が傍ちかくなりける時、あとにすゝ見つる侍、ことばをかけ、
「その男なり。のがすな。」
と、いふは、とこそあれ、若黨ども、
「ばらばら。」
と、取まはし、傳介をくゝりあげ、のり物の前に引すゑける時、のり物の戶をあけて、顏さしいだしける人は、年のほど、廿ばかりかと見へし、氣高(けだか)き女房の、いろいろの小袖ひきつくろひたるが、脇息にもたれて、數珠(じゆず)をつまぐり、淚、おしのごひて、腰元をよび、の給ひしは、
「先、姬が行ゑを見とゞけ、死骸を取て、彼が首にかけさせて、御前(ぜん)に引べし。」
と也。
傳介は、一圓(いちゑん)、おぼへなき事なれば、合点ゆかず、何を何とわきまへたる所もなくて、うつぶき居たるを、何やらん、
「しか。」
と、重き錦(にしき)のふくろを、傳介が首にかけさせ、又、引たてゝ行[やぶちゃん注:「ゆく」。]事、一里ばかりして、大きなる惣門の内へ入りぬ。
やゝありて、おくより、三十ばかりと見ゆる男、玄關に立いて[やぶちゃん注:ママ。「立ちゐて」。]、傳介にいふやう、
「おのれ、此國に生れて、此所に、かゝる御かたありといふ事をしらずや。年ごろの無禮はともあれ、今日、我君の姬を殺せしは、何事ぞ。此つみ、もつとも輕(かろ)からされば、今、すでに天帝へ申、雷神をもつて、たゞいま、汝がかうべを、打くだくぞ。」
と、あらゝかにいひける時、傳介、ふりあふのき、
「我、つゐに人を損ずる事、なし。君、また、何人と、しらず。定(さだめ)て、人たがひに候ぞ。」
と、いふに、又、いはく、
「此ほど、汝がわづかなる食をおしみて、さまざまとねらひしは、いかに。」
と、とひけるにぞ、
『扨は。我、けふ殺しつる虵の事なるべし。』
と思ふに、彼(かの)首にかけたる袋より、小虵、いくらともなく、わき出て、傳介が手足、すき間なく、まきたてしとぞ見えしが、俄(にはか)に、空、かきくもりて、雷(かみなり)、おびたゞしく、いなづま、しきりに、雨は車軸を流し、傳介が上におほふ、と見えしに、傳介、大ごゑをあげ、のゝしりて、いふやう、
「それ、天道は、まことをもつて人をたすけ、神鳴、また、正直のかたへにやどり給はずや。我を飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])つかれさせ、おのが口をたすけんと、人の目をくらましける盗(ぬすみ)は、天、これを惡む所にて、謀計(ぼうけい)の罪、のがれがたし。それをたすけて、我を殺したまはゞ、神明、なにゝよりて、人の信あるべき。よし、殺さば殺し給へ。我、まことある神となりて、此むくひは、しらせ申さん。」
と、飛(とび)あがり、飛あがり、大にいかりて、空をにらみて立けるに、今まで、ましぐらに[やぶちゃん注:まっしぐらに。]鳴(なり)おほひし空も雷も、すこし遠ざかるやうに覚へしが[やぶちゃん注:ママ。]、
「はた。」
と、落(おち)し神鳴に、傳介も氣を失ひ、しばし、うつぶきて居たりし内、やうやうに、空、はれ、月のひかりも花やかにさし出しかば、いましめの繩も、ことごとく、引ちぎれ、身(み)の内、何の事なかりしまゝ、急ぎ、我宿に歸りぬ。
明(あけ)の日、かの所に行(ゆき)て見るに、大なる蝮(うはばみ)、いくらともなく、頭(かしら)を雷(らい)に打くだかれ、そのほとり、七、八丁がほどは、血にそみてありしとぞ。
諸國因果物語卷之五
[やぶちゃん注:この伝介、ただの百姓とは思えない類い稀れなる智者である。これまでの暴悪姦計の人非人どもとの対照が際立つ。
「七、八丁」約七百六十四~八百七十三メートル。
本話を以って「諸国因果物語」巻之五は終わっている。]