[やぶちゃん注:本篇(原題“ROKURO-KUBI”)は明治三七(一九〇四)年四月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された、恐らく小泉八雲の著作の中で最も日本で愛されている作品集「怪談」(原題“KWAIDAN: Stories and Studies of Strange Things”。来日後の第十作品集)の九話目である。なお、小泉八雲はこの年の九月二十六日に五十四歳で心臓発作により急逝した。
同作品集は“Internet Archive”のこちらで全篇視認でき(リンク・ページは挿絵と扉標題。以下に示した本篇はここから。)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここ)。
底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。
田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。
傍点「ヽ」は太字に代えた。
最後に原拠である「怪物輿論」の「轆轤首悕念却報福話」(轆轤首(ろくろくび)の悕念(きねん)却つて福を報ふ話)を添えた。]
ろくろ首
五百年程前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連(たけつら)と云ふ人がゐた。この人は代々武勇にすぐれた祖先からの遺傳で、生れながら弓馬の道に精しく非凡の力量をもつてゐた。未だ子供の時から劒道、弓術、槍術では先生よりもすぐれて、大膽で熟練な勇士の腕前を充分にあらはしてゐた。その後、永享年間(西曆一四二九―一四四一)の亂に武功をあらはして、ほまれを授かつた事度々であつた。しかし菊池家が滅亡に陷つた時、磯貝は主家を失つた。外の大名に使はれる事も容易にできたのであつたが、自分一身のために立身出世を求めようとは思はず、又以前の主人に心が殘つてゐたので、彼は浮世を捨てる事にした。そこで剃髮して僧となり――囘龍と名のつて――諸國行脚に出かけた。
[やぶちゃん注:「九州菊池」肥後の豪族。寛仁三(一〇一九)年の「刀伊(とい)の入寇」(平安中期の外敵侵入事件。刀伊とは朝鮮語で夷狄の意であるが、本邦では沿海州地方に住んでいた女真族を指した。この年の三月に高麗(こうらい)襲った女真族が五十艘余りの船に分乗し、壱岐・対馬に襲来、ついで筑前国怡土(いと)郡を侵し、志麻郡・早良(さわら)郡を略奪したが、大宰府が警固所に派遣して防戦に当たったため、賊は警固所や筥崎宮の攻略に失敗、ほぼ一週間で、日本近海から退散した)を撃退した大宰府の官人藤原政則の子孫で、「元弘の乱」では鎮西探題を攻め、以後、一貫して南朝方に組し、九州宮方(みやがた)の中心勢力となった。南北朝合一後は肥後守護となったが、次第に衰え、戦国時代に大友氏に滅ぼされた(以上は諸辞書の記載)。ウィキの「菊池氏」によれば、その滅亡は、『父である』第十八『代菊池兼朝を追って当主に就いた』第十九『代菊池持朝のころから』、『菊池氏一族の間で家督をめぐる争いが持ち上がるようになっていたが』、第二十『代菊池為邦の弟で』、『宇土氏の養子になっていた宇土為光が、甥である』第二十一『代菊池重朝に対し』、文明一六(一四八四)年に挙兵し、『敗れたものの』、重朝の没後の文亀元(一五〇一)年に再度、『挙兵した。為光に追われた』第二十二『代菊池能運』(よしゆき)『は有馬氏を頼って玉名を経由して島原に逃れ、翌』年、他の豪族らと『呼応して為光を自刃させた。能運は戦いに勝利したものの、戦傷がもとで』永正元(一五〇四)年、わずか二十三歳で『死亡し、以後』、『菊池氏の家督は庶流から輩出されるようになり、菊池氏家督は阿蘇氏や大友氏に横取りされ、こうして菊池氏は滅亡した』。『能運の死後肥後国では下克上が進み』、『戦国時代に突入したとされるが、菊池氏の遺領は菊池三家老と言われた赤星氏・城氏・隈部氏らが領するところとなった』とあるから、そうした連中に対して、この主人公武連は武士の一分として許し難いものを感じたのであろう。まさに本文の「外の大名に使はれる事も容易にできたのであつたが、自分一身のために立身出世を求めようとは思はず、又以前の主人に心が殘つてゐたので、彼は浮世を捨てる事にした」という下りがそれを如実に物語っていると思う。なお、西郷隆盛もこの菊池氏の末裔と伝えられるともある。
「磯貝平太左衞門武連」「囘龍」(後者は原文が“Kwairyō”であるから、「かいりやう(かいりょう)」と読まねばならない。原拠「怪物輿論」でもその読みである)でも同名であるが、不詳。
「大膽で熟練な勇士」底本は「勇士」が「勇土」であるが、原文は“a daring and skillful soldier”(大胆で熟練した兵士)であるので、誤植と断じて特異的に訂した。
「永享年間(西曆一四二九―一四四一)の亂」永享の乱。室町時代の永享一〇(一四三八)年に関東地方で発生した戦乱。鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の対立に端を発し、室町幕府第六代将軍足利義教が持氏討伐を命じた戦い。]
しかし僧衣の下には、いつでも囘龍の武士の魂が生きてゐた。昔、危險をものともしなかつたと同じく、今は又難苦を顧みなかつた。それで天氣や季節に頓着なく、外の僧侶達の敢て行かうとしない處へ、聖い[やぶちゃん注:「きよい」。]佛の道を說くために出かけた。その時代は暴戾亂雜[やぶちゃん注:「ぼうれいらんざつ」。荒々しく道理に背いており、残酷で徳義に悖(もと)る、乱れ切った状態にあること。まさに下剋上である。]の時代であつた。それでたとへ僧侶の身でも、一人旅は安全ではなかつた。
始めての長い旅のうちに、囘龍は折があつて、甲斐の國を訪れた。或夕方の事、その國の山間を旅して居るうちに、村から數里を離れた、甚だ淋しい處で暗くなつてしまつた。そこで星の下で夜をあかす覺悟をして、路傍の適當な草地を見つけて、そこに臥して眠りにつかうとした。彼はいつも喜んで不自由を忍んだ。それで何も得られない時には、裸の岩は枝にとつてはよい寢床になり、松の根はこの上もない枕となつた。彼の肉體は鐡であつた。露、雨、霜、雪になやんだ事は決してなかつた。
橫になるや否や、斧と大きな薪の束を脊負うて道をたどつて來る人があつた。この木こりは樹橫なつて居る囘龍を見て立ち止まつて、しばらく眺めてゐたあとで、驚きの調子で云つた。
『こんなところで獨りでねて居られる方は、そもそもどんな方でせうか。……このあたりには變化のものが出ます――澤山に出ます。あなたは魔物を恐れませんか』
囘龍は快活に答へた、『わが友、わしはただの雲水ぢや。それ故少しも魔物を恐れない、――たとへ化け狐であれ、化け狸であれ、その外何の化けであれ。淋しい處は、かへつて好む處、そん處は默想をするのによい。わしは大空のうちに眠る事に慣れて居る、それから、わしのいのちについて心配しないやうに修業を積んで來た』
[やぶちゃん注:「そん處」はママ。私は別段、口語表現として違和感はない。寧ろ、元猛者の武士ならば猶更である。]
『こんな處に、お休みになる貴僧は、全く大膽な方に相違ない。ここは評判のよくない――甚だよくない處です。「君子危きに近よらず」と申します。實際こんな處でお休みになる事は甚だ危險です。私の家はひどいあばらやですが、御願です、一緖に來て下さい。喰べるものと云つては、さし上げるやうなものはありません。が、とにかく屋根がありますから安心してねられます』
熱心に云ふので、囘龍はこの男の親切な調子が氣に入つて、この謙遜な申出を受けた。きこりは往來から分れて、山の森の間の狹い道を案内して上つて行つた。凸凹の危險な道で、――時々斷崖の緣を通つたり、――時々足の踏み場處としては、滑りやすい木の根のからんだものだけであつたり、――時々尖つた大きな岩の上、又は間をうねりくねつたりして行つた。しかし、やうやく囘龍は或山の頂きの平らな場所へ來た。滿月が頭上を照らしてゐた。見ると自分の前に小さな草ふき屋根の小屋があつて、中からは陽氣な光がもれてゐた。きこりは裏口から案内したが、そこへは近處の流れから、竹の筧で水を取つてあつた。それから二人は足を洗つた。小屋の向うは野菜畠につづいて、竹藪と杉の森になつてゐた。それからその森の向うに、どこか遙かに高い處から落ちて居る瀧が微かに光つて、長い白い着物のやうに、月光のうちに動いて居るのが見えた。
[やぶちゃん注:「筧」(かけひ(かけい))は「懸け樋」とも書く。地上に掛け渡して水を導く、竹や木の樋(とい)のこと。]
囘龍が案内者と共に小屋に入つた時、四人の男女が爐にもやした小さな火で手を暖めて居るのを見た。僧に向つて丁寧にお辭儀をして、最も恭しき態度で挨拶を云つた。囘龍はこんな淋しい處に住んで居るこんな貧しい人々が、上品な挨拶の言葉を知つて居る事を不思議に思つた。『これはよい人々だ』彼は考へた『誰かよく禮儀を知つて居る人から習つたに相違ない』それから外のものが『あるじ』と云つて居るその主人に向つて云つた。
『その親切な言葉や、皆さんから受けた甚だ丁寧なもてなしから、私はあなたを初めからのきこりとは思はれない。多分以前は身分のある方でしたらう』
きこりは微笑しながら答へた。
『はい、その通りでございます。只今は御覽の通りのくらしをしてゐますが、昔は相當の身分でした。私の一代記は、自業自得で零落したものの一代記です。私は或大名に仕ヘて、重もい役を務めてゐました。しかし餘りに酒色に耽つて、心が狂つたために惡い行をいたしました。自分の我儘から家の破滅を招いて、澤山の生命を亡ぼす原因をつくりました。その罸[やぶちゃん注:「ばつ」。]があたつて、私は長い間この土地に亡命者となつてゐました。今では何か私の罪ほろぼしができて、祖先の家名を再興する事のできるやうにと、願つてゐます。しかしさう云ふ事もできさうにありません。ただ、眞面目な懺悔をして、できるだけ不幸な人々を助けて、私の惡業の償ひをしたいと思つて居ります』
囘龍はこのよい決心の告白をきいて喜んで主人に云つた。
『若い時につまらぬ事をした人が、後になつて非常に熱心に正しい行をするやうになる事を、これまでわしは見てゐます。惡に强い人は、決心の力で、又、善にも强くなる事は御經にも書いてあります。御身は善い心の方である事は疑はない。それでどうかよい運を御身の方へ向はせたい。今夜は御身のために讀經をして、これまでの惡業に打ち勝つ力を得られる事を祈りませう』
かう云つてから囘龍は主人に『お休みなさい』を云つた。主人は極めて小さな部屋へ案内した。そこには寢床がのべてあつた。それから一同眠りについたが、囘龍だけは行燈のあかりのわきで讀經を始めた。おそくまで讀經勤行に餘念はなかつた。それからこの小さな寢室の窻[やぶちゃん注:「窓」の異体字。]をあけて、床につく前に、最後に風景を眺めようとした。夜は美しかつた。空には雲もなく、風もなかつた。强い月光は樹木のはつきりした黑影を投げて、庭の露の上に輝いてゐた。きりぎりすや鈴蟲の鳴き聲は、騷がしい音樂となつてゐた。近所の瀧の音は夜のふけるに隨つて深くなつた。囘龍は水の音を聽いて居ると、渇きを覺えた。それで家の裏の筧を想ひ出して、眠つて居る家人の邪魔をしないで、そこへ出で水を飮まうとした。襖をそつとあけた。さうして、行燈のあかりで、五人の橫臥したからだを見たが、それには何れも頭がなかつた。
直ちに――何か犯罪を想像しながら――彼はびつくりして立つた。しかし、つぎに彼はそこに血の流れでゐない事と、頭は斬られたやうには見えない事に氣がついた。それから彼は考ヘた。『これは妖怪に魅(ばか)されたか、或は自分はろくろ首の家におびきよせられたのだ。……「搜神記」に、もし首のない胴だけのろくろ首を見つけて、その胴を別の處にうつして置けば、首は決して再びもとの胴へは歸らないと書いてある。それから更にその書物に、首が歸つて來て、胴が移してある事をさとれば、その首は毬のやうにはねかへながら三度地を打つて、非常に恐れて喘ぎながら、やがて死ぬと書いてある。ところで、もしこれがろくろ首なら、禍[やぶちゃん注:「わざはひ」。]をなすもの故、――その書物の敎へ通りにしても差支[やぶちゃん注:「さしつかへ」。]はなからう』……
[やぶちゃん注:「搜神記」六朝時代、四世紀の晋の干宝の著になる志怪小説集。神仙・道術・妖怪などから、動植物の怪異・吉兆・凶兆の話等、奇怪な話を記す。著者の干宝は有名な歴史家であるが、身辺に死者が蘇生する事件が再度起ったことに刺激され、古今の奇談を集めて本書を著したという。もとは 三十巻あったと記されているが、現在伝わるものは系統の異なる二十巻本と八巻本である。当時、類似の志怪小説集は多く著わされているが、本書はその中でも、比較的、時期も早く、歴史家らしい簡潔な名文で、中国説話の原型が多く記されており、後の唐代伝奇など、後世の小説に素材を提供し、中国小説の萌芽ということが出来る(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。なお、同書の巻十二に載るそれは、「古今百物語評判卷之一 第二 絶岸和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」(そこでは、実は最後の原拠(注の内)の電子化も既に行っている(二〇一八年十月四日公開)。但し、今回のは後で述べる通り、原本底本の私の決定稿となる)の私の注で原文を電子化してあるが、そこでは白文表示のみであったので今回は訓読して示す。
*
秦の時、南方に「落頭民」有り、其の頭(かうべ)は能く飛ぶ。其の種の人、部(ぶ)[やぶちゃん注:民族集団。]に祭祀有り、號して「蟲落(ちゆうらく)」と曰ふ。故に因りて名を取る[やぶちゃん注:半可通。「落」は判るが、「蟲」は判らぬ。中国音の音通でもない。]。
吳の時、將軍朱桓(しゆこう)[やぶちゃん注:孫権の下で将軍を務めた。「三国志」に伝が載る。]、一婢を得(う)。每夜、臥(ふ)するの後(のち)、頭、輒(すなは)ち飛び去る。或いは狗竇[やぶちゃん注:犬潜(くぐ)り。犬が自由に出入り出来るように家に開けた穴。]より、或いは天窗中(てんさうちゆう)[やぶちゃん注:空いた天窓。]より出入(しゆつにふ)し、耳を以つて翼と爲(な)す。將(まさ)に曉(あかつき)ならんとして、復た、還る。
數數(しばしば)此くのごとくすれば、傍(そば)の人、之れを怪しみ、夜中、照らし視るに、唯だ、身、有りて、頭、無し。其の體(からだ)微(わづ)かに冷たく、氣息(きそく)、裁(わづ)かに屬(つ)ぐ[やぶちゃん注:呼吸がやっと続いている。]。
乃(すなは)ち、之れを蒙(おほ)ふに被(ひ)[やぶちゃん注:懸け布団。]を以つてす。
曉に至り、頭、還るも、被に礙(さへぎ)られて安んずるを得ず[やぶちゃん注:体と接合出来ない。]。兩三度[やぶちゃん注:二、三度。]、地に墮(お)ち、噫咤(あいた)して[やぶちゃん注:溜め息をついて。]甚だ愁ふ。體氣(たいき)[やぶちゃん注:呼吸。]、甚だ急にして、狀、將に死せんとするがごとし。乃ち、被を去れば、頭、復た、起き、頸に傅(つ)く。頃(しばら)く有りて、和平せり[やぶちゃん注:落ち着いた。]。
桓、以つて大怪と爲し、畏れて敢へて留めず、乃ち、之れを放遣(はうけん)す[やぶちゃん注:解雇した。]。
既にして、之れを詳らかにすれば[やぶちゃん注:その後に詳しく調べたところが。]、乃ち、天性なるを知れり。
時に南征の大將も亦、往往にして之れを得。
又、嘗つて覆(おほ)ふに銅盤を以つてする者、有り。頭、進み得ずして、遂に死せり。
*]
彼は主人の足をつかんで、窻まで引いて來て、からだを押し出した。それから裏口に來て見ると戶が締つてゐた。それで彼は、首は開いてゐた屋根の煙出しから出て行つた事を察した。靜かに戶を開けて庭に出て、向うの森の方へできるだけ用心して進んだ。森の中で話し聲が聞えた、それでよい隱れ場所を見つけるまで影から影へと忍びながら――聲の方向へ行つた。そこで、一木の樹の幹のうしろから首が――五つとも――飛び𢌞つて、そして飛び𢌞りながら談笑して居るのを見た。首は地の上や樹の間で見つけた蟲類を喰べてゐた。やがて主人の首が喰べる事を止めて云つた、
『あ〻、今夜來たあの旅の僧、全身よく肥えて居るぢやないか、あれを皆で喰べたら、さぞ滿腹する事であらう。……あんな事を云つて、つまらない事をした、――だからおれの魂のために、讀經をさせる事になつてしまつた。經をよんで居るうちは近よる事がむつかしい。稱名を唱へて居る間は手を下す事はできない。しかしもう今は朝に近いから、多分眠つたらう。……誰かうちへ行つて、あれが何をして居るか見屆けて來てくれないか』
一つの首――若い女の首――が直ちに立ち上つて蝙蝠のやうに輕く、家の方へ飛んで行つた。數分の後、歸つて來て、大驚愕の調子で、しやがれ聲で叫んだ、
『あの旅僧はうちにゐません、――行つてしまひました。それだけではありません。もつとひどい事には、主人の體を取つて行きました。どこへ置いて行つたか分りません』
この報告を聞いて、主人の首が恐ろしい樣子になつた事は月の光で判然と分つた。眼は大きく開いた、髮は逆立つた、齒は軋(きし)つた。それから一つの叫びが唇から破裂した、忿怒の淚を流しながらどなつた、
『からだを動かされた以上、再びもと通りになる事はできない。死なねばならない。……皆これがあの僧の仕業だ。死ぬ前にあの僧に飛びついてやらう、――引き裂いてやらう、――喰ひつくしてやらう。……あ〻、あすこに居る――あの樹のうしろに隱れて居る。あれ、――あの肥(ふと)つた臆病者』……
同時に主人の首は他の四つの首を隨へて、囘龍に飛びかかつた。しかし强い僧は手ごろの若木を引きぬいて武器とし、それを打ちふつずて首をなぐりつけ、恐ろしい力でなぎたててよせつけなかつた。四つの首は逃げ去つた。しかし、主人の首だけは、如何に亂打されても、必死となつて僧に飛びついて、最後に衣の左の袖に喰ひついた。しかし囘龍の方でも素早くまげをつかんでその首を散々になぐつた。どうしても袖からは離れなかつたが、しかし長い呻きをあげて、それからもがくことを止めた。死んだのであつた。しかしその齒はやはり袖に喰ひついてゐた。そして囘龍のありたけの力をもつてしても、その顎を開かせる事はできなかつた。
彼はその袖に首をつけたままで、家へ戾つた。そこには、傷だらけ、血だらけの頭が胴に歸つて、四人のろくろ首が坐つて居るのを見た。裏の戶口に僧を認めて一同は『僧が來た、僧が』と叫んで反對の戶口から森の方へ逃げ出した。
東の方が白んで來て夜は明けかかつた。囘龍は化物の力も暗い時だけに限られて居る事を知つてゐた。袖について居る首を見た――顏は血と泡と泥とで汚れてゐた。そこで『化物の首とは何と云ふみやげだらう』と考へて大聲に笑つた。それから僅かの所持品をまとめて、行脚をつづけるために、徐ろに山を下つた。
直ちに旅をつづけて、やがて信州諏訪へ來た。諏訪の大通りを、肘に首をぶら下げたまま、堂々と濶步してゐた。女は氣絕し、子供は叫んで逃げ出した。餘りに人だかりがして騷ぎになつたので、捕吏(とりて)が來て、僧を捕へて牢へ連れて行つた。その首は殺された人の首で、殺される時、相手の袖に吹ひついたものと考へたからであつた。囘龍の方では問はれた時に微笑ばかりして何にも云はなかつた。それから一夜を牢屋ですごしてから、その土地の役人の前に引き出された。それから、どうして僧侶の身分として袖に人の首をつけて居るか、何故衆人の前で厚顏にも自分の罪惡の見せびらかしを敢てするか、說明するやうに命ぜられた。
囘龍はこの問に對して長く大聲で笑つた、それから云つた、
『皆樣、愚僧が袖に首をつけたのでなく、首の方から來てそこへついたので――愚僧迷惑至極に存じて居ります。それから愚僧は何の罪をも犯しません。これは人間の首でなく、化物の首でございます、それから化物が死んだのは、愚僧が自分の安全を計るために必要な用心をしただけのことからで、血を流して殺したのではございません』……それから彼は更に、全部の冒險を物語つて、五つの首との會戰の話に及んだ時、又一つ大笑ひをした。
しかし、役人達は笑はなかつた。これは剛腹頑固な罪人で、この話は人を侮辱したものと考へた。それでそれ以上詮索しないで、一同は直ちに死刑の處分をする事にきめたが、一人の老人だけは反對した。この老いた役人は審問の間には何も云はなかつたが、同僚の意見を聞いてから、立ち上つて云つた、『先づ首をよく調べませう、これが未だすんでゐないやうだから。もしこの僧の云ふ事が本當なら、首を見れぱ分る。……首をここへ持つて來い』
囘龍の背中からぬき取つた衣にかみついて居る首は、裁判官達の前に置かれた。老人はそれを幾度も𢌞して、注意深くそれを調べた。そして頸の項にいくつかの妙な赤い記號らしいものを發見した。その點へ同僚の注意を促した。それから頸の一端がどこにも武器で斬られたらしい跡のない事を見せた。かへつて落葉が軸[やぶちゃん注:茎のこと。]から自然に離れたやうに、その頸の斷面は滑らかであつた。……そこで老人は云つた。
『僧の云つた事は全く本當としか思はれない。これはろくろ首だ。「南方異物志」に、本當のろくろ首の項(うなじ)の上には、いつでも一種の赤い文字が見られると書いてある。そこに文字がある。それはあとで書いたのではない事が分る。その上甲斐の國の山中には餘程昔から、こんな怪物が住んで居る事はよく知られて居る。……しかし』囘龍の方へ向いて、老人は叫んだ――『あなたは何と强勇なお坊さんでせう。たしかにあなたは坊さんには珍らしい勇氣を示しました。あなたは坊さんよりは、武士の風がありますな。多分あなたの前身は武士でせう』
[やぶちゃん注:「南方異物志」唐の房千里撰の南方の物産誌。一巻。中文サイトで調べたところ、そこに、
嶺南溪峒中、有飛頭蠻者、項有赤痕。至夜以耳爲翼飛去、將曉復著體。
勝手に訓読を試みると、
嶺南の溪峒中に、飛頭蠻なる者、有り。項(うなじ)、赤痕、有り。夜に至りて、耳を以つて翼と爲して飛び去り、將に曉に復た體に著かんとす。
とあった。私の「古今百物語評判卷之一 第二 絶岸和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」の一節にも(下線太字は私が附した)、
*
絕岸和尚といふ僧、西國行脚の折から、肥後へ行(ゆき)て、「しころ村」といふ所に一宿せられしに、軒(のき)あばらなる、かり枕、風、凄(すさ)まじく吹き落ちて、夢もまどかならざりければ、夜更(よふくる)まで念佛稱名して居(ゐ)給ひしに、うしみつばかりに、其屋の女房の首、むくろよりぬけて、窓の破(やぶ)れより、飛出(とびい)でぬ。『あやし』と思ひて、念比(ねんごろ)に見れば、其首の通(かよ)ひしあとに、白きすじのやうなる物、見えたり。『是れこそ轆轤首よ』とおそろしく、誠に過去の業因までおしはからるゝに、夜明がたになりて、其すじ、動(うごく)やうにて、又、もとの處より、彼(か)の首、かへり、「につこ」と笑ふやうにて、おのがふしどに入りぬ。夜明(よあけ)て、其女房を見れば、首のまはりに筋あるやうにて、別のかはりなし。
*
とある。
「甲子夜話卷之八」に出る「轆轤首の事」にも(私の『柴田宵曲 妖異博物館 「轆轤首」』で全文を電子化している)。
*
世の人、云ふ。轆轤首は其人の咽に必ず紫筋(むらさきのすぢ)ありと。
*
とあり、近世ではかなり知られた識別特徴であるようであるが、これが差別を呼んだことは、私の「耳囊 卷之五 怪病の沙汰にて果福を得し事」でも明らかだ。則ち、撫で肩でほっそりとして、そのために首が幾分長く見え、美人ではある(家族総てが轆轤首の本篇のケースを除いて、私の知るそれは、轆轤首或いは轆轤首と噂される女の場合は殆んど総てが、皆、美人であるのだけれども、血行不良等で顔色が悪く、しかも首の皮膚の横筋が特に目立つ場合、それがアダとなって、「あの娘は轆轤首だ」などという心ない(美人故に流されるイジメとしての)噂が立ったのだと私は認識している。]
『如何にもお察しの通り』と囘龍は答へた。『剃髮の前は、久しく弓矢取る身分であつたが、その頃は人間も惡魔も恐れませんでした。當時は九州磯貝平太左衞門武連と名のつてゐましたが、その名を御記億の方も或はございませう』
その名前を名のられて、感嘆のささやきが、その法廷に滿ちた。その名を覺えて居る人が多數居合せたからであつた。それからこれまでの裁判官達は、忽ち友人となつて、兄弟のやうな親切をつくして感嘆を表はさうとした。恭しく國守の屋敷まで護衞して行つた。そこでさまざまの歡待饗應をうけ、褒賞を賜はつた後、やうやく退出されたを許された。面目身に餘つた囘龍が諏訪を出た時は、このはかない娑婆世界でこの僧程、幸福な僧はないと思はれた。首はやはり携へて行つた――みやげにすると戲れながら。
さて、首はその後どうなつたか、その話だけ殘つて居る。
諏訪を出で一兩日のあと、囘龍は淋しい處で一人の盜賊に止められて、衣類を脫ぐ事を命ぜられた。囘龍は直ちに衣(ころも)を脫して盜賊に渡した。盜賊はその時、始めて袖にかかつて居るものに氣がついた。さすがの追剝ぎも驚いて、衣を取り落して、飛ぴ退いた。それから叫んだ、『やあ、こりやとんでもない坊さんだ。おれよりもつと惡黨だね。おれも實際これまで人を殺した事はある、しかし袖に人の首をつけて步いた事はない。……よし、お坊さん、こりやおれ達は同じ商賣仲間だぜ、どうしてもおれは感心せずには居られない。ところで、その首はおれの役に立ちさうだ。おれはそれで人をおどかすんだね。賣つてくれないか。おれのきものと、この衣(ころも)と取り替へよう、それから首の方は五兩出す』
囘龍は答へた、
『お前が是非と云ふなら、首も衣も上げるが、實はこれは人間の首ぢやない。化物の首だ。それで、これを買つて、そのために困つても、わしのために欺かれたと思つてはいけない』
『面白い坊さんだね』追剝ぎが叫んだ。『人を殺してそれを冗談にして居るのだから、……しかし、おれは全く本氣なんだ。さあ、きものはここ、それからお金はここにある。――それから首を下さい。……何もふざけなくつてもよからう』
『さあ、受け取るがよい』囘龍は云つた。『わしは少しもふざけてゐない。何かをかしい事でも若しあれば、それはお前がお化けの首を、大金で買ふのが馬鹿げてゐてをかしいと云ふ事だけさ』それから囘龍は大笑をして去つた。
こんなにして盜賊は首と、衣を手に入れて暫らく、お化の僧となつて追剝ぎをして步るいた。しかし諏訪の近傍に來て、彼は首の本當の話を聞いた。それからろくろ首の亡靈の祟りが恐ろしくなつて來た。そこでもとの場所へ、その首をかへして、體と一緖に葬らうと決心した。彼は甲斐の山中の淋しい小屋へ行く道を見つけたが、そこには誰もゐなかつた。體も見つからなかつた。そこで首だけを小屋のうしろの森に埋めた。それからこのろくろ首の亡靈のために施餓鬼を行つた。そしてろくろ首の塚として知られて居る塚は今日もなほ見られる。(とにかく、日本の作者はさう公言する)
[やぶちゃん注:「ろくろ首の塚」今に伝わらぬものと思う。サイト「座敷浪人の壺蔵」の「あやしい古典文学の壺」の十返舎一九の「列国怪談聞書帖」(私は未見)の「ろくろ首」が訳されてあるが、そのエンディングは主人公の、もと僧(名を回信。還俗して武士となっていた)の『右膳は再び仏門に入って、巡国の後、女の墓をたてた。「ろくろ首の塚」といって、駿河と甲斐の境の山中に今もある』とある。展開は本話の原拠とは全く異なるものの、塚のある場所を「甲斐」するところで強い親和性がある。あれば、激しく、見たい!
本篇の原拠は、十返舎一九の「怪物輿論」の巻之四の巻頭にある「轆轤首の悕念(きねん)却(かへ)つて福(さいはひ)を報(むく)ふ話(はなし)」を示す。実は私は既に先に示した私の『柴田宵曲 妖異博物館 「轆轤首」』(轆轤首集成で必見。本話の原拠もそこで電子化している。但し、今回の最後のものはブラッシュ・アップした原典版である)で全文を電子化しているのであるが、それは一九九〇年講談社学術文庫刊の小泉八雲作・平川祐弘編「怪談・奇談」の「原拠」に載るものを参考に恣意的に正字化した不完全なものであった。ところが、今回、幸いなことに、「人文学オープンデータ共同利用センター」のこちらで同書原本の全画像データを入手することが出来たので、それを底本としてゼロから視認して改めて電子化することとした。但し、原文の読みは一部の振れると判断したものに限った。但し、読み難いと判断した部分には〔 〕で推定の歴史的仮名遣の読みを振った。二度目の電子化で原本底本であるから、歴史的仮名遣や清音はそのままで、それらについてのママ注記は五月蠅いので省略した。読みの内、( / )となっているものは(右/左)に二様の読み(後者は一種の意味注)を示す。読み易さを考え、句読点(原典は句点を読点として使用している)と直接話法の鍵括弧や他の記号を附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は正字或いは「々」に代えた。漢字で正字か略字が迷ったものは正字を採った。なお、底本の解凍ファイル「200020593_00045」には挿絵がある。是非、見られたい。
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轆轤首悕念却報福話
[やぶちゃん注:訓点に従うと、「轆轤首の悕念(きねん)却つて福(さいわい)を報(むく)ふ話(はなし)」(歴史的仮名遣誤りはママ)である。「悕念」は「思い・願い・悲しみ」の意であるが、どうもソフト過ぎてしっくりこない。]
九刕[やぶちゃん注:「州」の異体字。]菊池の侍臣(じしん)磯貝平太(いそがいへいだ)左衞門武連(たけつら)なるもの、農祖(のうそ)[やぶちゃん注:逆立ちしても「農」だが、「先祖・祖先」の意の「曩祖(なうそ)」(現代仮名は「のうそ」)誤記である。]より相(あい)傳へて、弓馬の道、他門に越(こへ)、鎗術(さうじゆつ)に精(くはし)く、代々力量の血緣(けちみやく)、連綿として、雷名(らいめい)頗(すこぶる)遠近(ゑんきん)に漏達(らうたつ/もれいたり)し、永享の亂(みだれ)に屢(しばしば)武功を露(あらは)して、各國に威を震(ふる)ふといへども、主家(しゆか)、終(つゐ)に大内義弘が爲に滅亡せしかば、武連、それより薙髮(ちはつ)して囘龍(くわいりやう)と名乘(なのり)、空(くうの)門[やぶちゃん注:一切を空と考える大乗仏教の教えから転じて「仏門」のこと。]に入(いり)て、斗藪行脚(とさうあんぎや/しゆつけのぎやう)[やぶちゃん注:衣食住に対する欲望を払い除け、身心を清浄にして、諸国を巡る修行。]をこゝろざし、面(おもて)に皁紗(かうしや/くろきころも)を着(ちやく)すといへども、性質は徃昔(むかし)に變らず、剛強狼戾(かうきやうらうれい/がむしやもの[やぶちゃん注:後者は「狼戾」(「乱暴」「狼藉」の意)にのみ左ルビする。])にして、深山・幽谷・曠野(くはうや)といへども、夜に入れば、草を補(しき)て安宿(あんしゆく)し、吾妻(あづま)の方へ杖(そもと)をすゝめて出行ほどに、甲斐の山中に着(いた)り、既に、日、暮(くれ)ければ、岩上(ぐわんしやう)に袖うち敷(しき)て、木の根に枕し、寛々(くわんくわん)と安臥(あんぐわ)し居たり。時に樵夫(しやうふ/きこり)とおぼしく、身に綴衣(つゞれ)を引まとひ、柴を束(つかね)て負(おふ)たるが、忽然と出來り、囘龍を見て、いふ。
「足下(そくか)、何人なれば、斯(かゝ)る山中に奇宿(きしゆく)して、惡獸の害を恐れざるや。」
囘龍、いふ。
「我、雲水の旅客(りよかく)なれば、行路、難の山川にあらざる事を觀念し、患苦(くはんく)を好(このん)で行(ぎやう)とすれば、敢て一命をも惜むに非ず。去〔さり〕ながら、武門に生立(おひたち)、聊(いさゝか)其藝にも達(わた)りたれば、何ぞ徒(いたづら)に畜獸の餌(ゑ)に遭(あは)んや。是を以て、奈何なる邊土幽辟(へんどゆうへき)の地に臥すとも、曾而(かつて[やぶちゃん注:二字へのルビ。])恐るゝ叓[やぶちゃん注:「事」の異体字。]なし。」
と。
樵夫、いふ。
「誠に御坊は狼戾(らうれい)なり。されど、『君子は危(あやふき)に近よらず』。好(このん)で怪を索(もとめ)給ふは、眞勇丈夫(しんゆうじやうぶ)の所爲(しよゐ)に非ず。我(わが)茅屋(ぼうをく)、いぶせくは候へ共、投宿あつて、羈旅の勞(らう)を休(やすめ)給へ。」
と。
懇請、他事なく聞へければ、囘龍、怡悦(いえつ)し[やぶちゃん注:喜んで。]、
「さあらば、足下の詞(ことば)に隨ひ、一夜(ひとよ)の報謝に預るべし。」
と。
打連(〔うち〕つれ)て九折(きうせつ/さかみち)の道をたどり、岩角(いはかど)を攀(よぢ)り、木のねを傳ひて、頓(やが)て一箇(ひとつ)の弊屋(あばらや)に着(いた)り視るに、いかにも、古木、苔蒸(こけむし)て、寂々(せきせき)たる軒墀(けんち/のきには)[やぶちゃん注:「墀」は「階段(きざはし)」で通常は「軒墀」で「富貴な人の家」を指す。山上の家であるから「階」はよいとしても、この熟語はその家の感じからは相応しい用語ではない。]の邊(ほとり)、筧(かけひ)つたふ水を結(むすん)で、足を泛(そゝ)ぎ、竹の編戶、押明(おしあけ)て内に入るに、男女(なん〔によ〕)四、五人打擧(〔うち〕こぞり)て、榾(ほた)折〔をり〕くべたる圍爐裏〔いろり〕の火にまたがりながら、囘龍を見て、膝を折、手を束(つか)ねて、蹲踞(うづくまる)。囘龍、主(あるじ)の承仕應答(しやうじおうたう/たちゐふるまひあひさつ)、尋常ならざるを感賞し、其長成(しやうせい)を商問(せめと)ふに[やぶちゃん注:「商問」は漢語では「相談」の意。]、主、いふ。
「我々、此山中に隱遁して、擧家(きよか/かない)五人、糧(かて)を啗(くら)ひ、水を吞(のみ)て、祥(さいはひ)に露命を繫ぎ、潦倒(らうたう/おちぶれたる)の住居(すまゐ[やぶちゃん注:ママ。])をなすといへども、以前は當國の主將に仕(つかへ)て、肖(かず)ならねども、重役を勤(つとめ)、聊(いさゝか)弓馬に名たゝる者の嫡孫なり。我、暗昧(あんまい)[やぶちゃん注:道理に冥く愚かなこ。暗愚。]にして父の家業を受繼(うけつぎ)しより、色に耽り、酒に溺れ、剩(あまつさへ)、諂諛(てんゆ/へつらひおもねる)人を欺くの舌頭に載(のせ)られ、無名[やぶちゃん注:無実。冤罪。]の刑罪を管内(くはんだい/りやうない)[やぶちゃん注:領内。]に施行(せぎやう/ふれながら)し、人をして打屠(〔うち〕ほふ)る事、幾許(いくばく)の數をしらず。其積悪のなす所にや、今、身に報ひて如斯(かくのごとく)零落し、雜戶(ざつと)[やぶちゃん注:ここは低い身分に落とされたことを指すようだ。]に堕入(おちいり)、千辛萬苦し、あはれ、再び父祖の家名を起さんとするに、不期(ふご/おもひもよらぬ)の故障(さはり)出來りて、兎角、心神(しんじん)を安んずる事、能はず、因玆(これによつて)、かゝる罪障の深きを愁ひ、前禍(ぜんくわ)を追悼のあまり、山中通行の旅人(りよじん)を止(とゞめ)て、是に供養し、懺悔(さんげ)滅罪の功德(くどく)を仰ぐ。」
と。
囘龍、聞(きき)て、
「實(げに)。さる事もあるものなり。凡(およそ)、積善に餘慶、積悪に餘殃(よわう)[やぶちゃん注:先祖の行った悪事の報いが、後に災いとなって、その子孫に残ること。「余慶」の反対語。]ある事、「唐書(とうしよ)」に[やぶちゃん注:「に」はルビであるが、特異的に出した。]曰(いふ)、雍州(ようしう)の孝政が蜜蜂(みつほう/みつはち)に湯を泛(そそ)ぎて、其仇(あた)に沒落し、又、「類篇」に、梅香(ばいこう)[やぶちゃん注:原本の「梅」は(上)に「木」で(下)に「毎」の異体字。]は鼈(かめ)を活(いか)して熱病を痊(いや)したり。鳥獸虫魚といへども、是に報ずるの速(すみやか)なるは、則、天史(てんり)[やぶちゃん注:「史」は「吏」の誤字。]の默報(もくほう/てんのむくひ)なり。况んや、萬物の霊長たる人間に於て、其報を全(ひか)ざらんや[やぶちゃん注:その応報をことごとく受けないなどということがあろうか、いや、ない。]。「北辰神咒經(ほくしんじゆきやう)」に曰、暴虐濁乱(ぼうぎやくじよくらん)にして諸(もろもろ)の群臣を縱(ほしいまゝ)にし、百姓を酷虐(こくぎやく/むごくしいたげ)せば、我、能(よく)、是を退(しりぞ)け、賢能(けんのう)を召(めし)て、其位に代(かへ)んと。是(こゝ)を以て見る時は、國王のみに非ず、諸侯・太夫・庶人といへども、怨枉(えんわう/うらみよこしま)[やぶちゃん注:道理に背いたお門違いの怨み。]を保(たもち)、民物(みんもつ)を枉(まげ)[やぶちゃん注:人民に無理強いをし。]、無名の[やぶちゃん注:「の」はルビを出した。]刑罪を施し、人を殺害(せつがい)せしむる逆罪、爭(いかでか)、其報を免(まぬが)るゝ事、有(あら)んや。「阿含經(あごんきやう)」に「慚愧(ざんき/はぢはづ)」の二字を解(とき)たるは、則〔すなはち〕、慚悔(さんげ)の意(こゝろ)なり。足下、今、徃(わう)を改め、來(らい)を修(しゆ)し、慚愧懺悔(ざんぎさんげ)し、滅罪の功德を願ふ、近ころ、奇特(きどく)千万なり。愚僧、因(ちなみ)に諸佛を請じ、終夜(よすがら)、讀經念誦して、その驗(けん)を祈るべし。」
と。
[やぶちゃん注:「唐書」これは書名ではなく、中国の書の意と採った。以下の話は、「太平広記」の「報應三十一殺生」の「陸孝政」に「法苑珠林」を出典として出る。
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唐雍州陸孝政、貞觀中爲右衛隰川府左果毅。孝政爲性躁急、多爲殘害。府内先有蜜蜂一龕、分飛聚於宅南樹上、孝政遣人移就別龕。蜂未去之間、孝政大怒、遂以湯就樹沃死、殆無孑遺。至明年五月、孝政於廳晝寢、忽有一蜂螫其舌上、遂卽紅腫塞口、數日而死。
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「類篇」は一〇六七年に北宋の皇帝に奉られた部首引きの官製字書。但し、中文サイトで調べて見たが、以下の下りは見当たらなかった。
「梅香」人名。
「北辰神咒經」「七仏八菩薩諸説陀羅尼神呪経」(「妙見神呪経」とも)のことであろう。道教の北極星信仰と仏教が集合して出来た妙見菩薩についての仏教経典。以下。
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心無慚愧 暴虐濁亂 從諸群臣 酷虐百姓 我能退之 徴召賢能 代其王位
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「阿含經」仏教の全資料の中でも最古の初期仏教経典の総称。サンスクリット語・パーリ語の「アーガマ」の漢音写。その意は「伝来」で、「代々伝承されてきた経」の謂い。ゴータマ・シッタルダ(釈迦)の言行を収め、仏弟子たちのそれも混じっている。以下は「中阿含経慚愧経」か。]
對話、數刻(すこく)を費し、頓(やが)て、囘龍、別間の端居(はし〔ゐ〕)に出て安居(あんご)し、一心に經を讀(よみ)、鈴(りん)打ならし、信念勤行の聲、稍(すこ)しも絶間なかりけるが、夜も深々(しんしん)と更渡(ふけわた)り、淸風(せいふう)、稠木(ちうぼく)[やぶちゃん注:茂った木々。]のうちに戰(そよ)ぎ、月光、露のきらめくに移りて、虫の音(ね)、冷々(れいれい)と心耳(しんに)を澄(すま)し、筧の水の歷々たるに、囘龍、頃刻(しばらく)、讀經をとゞめて、感情を催(もよふ)し、猶、左右を顧るに、擧家(きよか/かない)、おのづから閑寂(かんじやく/しづか)にして、各(おのおの)睡眠(すいみん/ねふる)の体(てい)なりける。囘龍、茶水を需(もとめ)んとて、何心なく破襖(やぶれぶすま)、引明(ひきあけ)、勝手のかたを編見(すかしみ)るに、こは、怪(くわい)なるかな、主(あるじ)を初め、宅眷(たくけん/かないのもの)すべて、五人ながら、骸(からだ)[やぶちゃん注:漢字はママ。]のみ臥(ふし)て、その首、なし。
囘龍、懈慱(げでん/びつくり)し、
『かゝる奇怪は正敷(まさしく)狐狸の我を誑(たぶらか)すものなる歟(か)。但しは、かの傳聞(つたへきく)、「轆轤首(ろくろくび)」といへるにや。「搜神記」に曰(いはく)、尸頭蠻(しとうばん/ろくろくび)あり。頭(かしら)飛去(とびさつ)て後(のち)、其身を別の所に移せば、頭歸て三度、地に落(おち)、息(いき)、喘(あへぎ)、急にして死す、と謂(いへ)り。診(こころみ)に其(その)如くして慰(なぐさみ)ん[やぶちゃん注:気晴らしをしてやろう。流石! 回龍ならではの一言!]。』
と。
探寄(さぐりよつ)て、主が骸(からだ)をひき起し、壮前(そうぜん)に[やぶちゃん注:不詳。「勇ましくも即座にの意か。]持出(もち〔いだし〕)、投屠(なげほふり)て、猶、
『その動靜(やうす)を點檢(てんけん/ぎんみ)せん。』
と、暗(あん/ひそか)に立出(たちいで)、爰彼所(ここかしこ)を伺ひ見るに、斬墀(けんち/には)を離れし樹林のこなたに、人の聲して虫物(ちうもつ)を喰(くら)ふ、五つの首、あり。
主の首、さゝやかに云やう、
「今宵の旅僧こそ全身(ぜんしん/そうみ)、肥(こへ)、盛んにして、是を啗(くら)ふに恐らくは飽滿(はうまん/あきみつ)せん。我なまじゐにいらざる事を、不問語仕出(とはずがたりしだ)して、渠(かれ)、經をよみ、称名(しやうめう)を唱ふる故に、近寄(ちかよる)事、叶(かなひ)がたく、空(むなし)く彼を喰(くら)ふことの延引せり。最早、旅僧、眠(ねふ)りつらん、誰(たれ)か見屆來るべし。」
と、詞(ことば)の中(うち)より一箇(ひとつ)の首、㸃頭(てんとう/うなづく)して忽(たちまち)に飛去(とびさり)、稍あつて立歸り、いふ。
「旅僧、如何(いかゞ)せしや、別間に見へず。其上、何者の仕業(しわざ)にや、主の身体(しんたい)、是、なし。」
と。
急に告(つげ)て走去(はしりさる)主の首、大〔おほひ〕に悲傷慟哭(ひしやうどうこく/かなしみいたみさけびなく)し、
「いかなる事ぞや、我〔わが〕身体を失ひなば、再び合(がつ)する事、叶はず。既に死に臨むの外、なし。必定、彼(かの)旅僧が所爲(しわざ)、紛れなし。我、俱に渠(かれ)を死地(じち)に誘引せずんばあるべからず。」
と、忿怒(ふんぬ/いかる)を顯(あらは)し、飛出(とびいで)しが、囘龍、傍(かたはら)に跼蹐(きよくせき/ひくがまへ)し居(い)たるを見つけて、
「すは、旅僧こそ、爰にあれ。」
と、五筒(いつつ)の頭(かしら)、一齊(〔いち〕どき)に飛還(とびかへ)るを、囘龍、手頃(てごろ)の樹木を引拔(〔ひき〕ぬき)、打振(〔うち〕ふつ)て、前後左右に薙𢌞(なぎまは)る。
威(いきほ)ひ、猛(もう)に激しければ、主の首、忽(たちまち)に打倒(たを)され、殘りし首も一同に逃(にげ)去れば、囘龍、悠然と、もとの弊室(へいしつ)[やぶちゃん注:普段は使われていない部屋。]に歸り見るに、擧家者(かないのもの)、皆、俱に、其頭(かしら)、本躰(ほんたい)に復し居(ゐ)たりけるが、囘龍を見て、
「あな、恐しや、今の法師こそ、又、我々を打斃(〔うち〕たを)しに來〔きた〕るなれ。」
と、狼敗(らうばい/うろたへ)し、迯惑(にげまど)ふ。
囘竜、靜(しづか)に頭陀袋(づだふくろ)打懸〔うちかけ〕、杖(つえ)を曳(ひき)て、たち出るに、主の首、再び飛出(とびいで)、
「汝、我(わが)身体(しんたい)を屠(ほふ)りしゆへ、我、本(もと)に歸る事、能はず。看(み)よ、汝が首筋より喰切(くひきり)、其五体を、奪ふべし。」
と。
牙(きば)を嚙(かん)で、喰付(くひつき)かゝるを打倒(〔うち〕たを)せば、飛上つて、囘龍が袂(たもと)に喰付〔くひつく〕。
敲(うて)ども放れず、突(つけ)どもたゆまず、唯、其儘に死(しゝ)たりける。
不敵の囘龍、わざと、其首を袂に附(つけ)て事ともせず、
「我〔わが〕編參(へんさん)の家土産(いへつと)、斯(かゝ)る怪異に出合〔であひ〕たる、其證に携(たづさへ)ん事、究竟(くつきやう)なり。」
と。
強而(しゐて)是を取捨(とりすて)ず、自後(それより)、信刕(しんしう)諏訪に着(いた)り、終日(ひねもす)、城下を徘徊せしに、往來の男女、囘龍が袂に生首の下(さが)りたるを見て、各(おのおの)怕(おそ)れ魂(たましひ)[やぶちゃん注:漢字は(上)が「云」で(下)が「鬼」。]を飛〔とば〕し、神色(いろ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])を失ひ、逃走(にげはし)る。
官吏(くはんり/やくしよ)の諸士、此(この)体(てい)を不審(いぶかしく)、囘龍を捕(とらへ)て、いふ。
「汝、那里(いづく)にてか、人を害し、迯(にげ)きたる者と覺ゆるなり。有体(ありてい)に申べし。陳疏(ちんそ/あらがふ)[やぶちゃん注:条理に従って上申すること。箇条を挙げて陳述すること。]せば、縲紲(るいせつ/なはめ)[やぶちゃん注:「縲」は罪人を「縛る黒繩」。「紲」は「繩」或いは「繫ぐ」の意で、罪人として捕らわれることを指す。]の誡(いましめ)にかけ、糺明すべし。」
と、捕吏(ほり/とりて)に命じ、官府(くはんふ/やくしよのところ)に率(ひか)んと、ひしめきける。
囘龍、人々を看て、怪異に遭(あひ)ひたる[やぶちゃん注:「ひ」は衍字であろう。]始末を詳(つまびらか)に物語るに、猶、
「其(その)分説(いゝわけ)、不審なり。」
と、聊(いさゝか)も信ぜずして、捕吏(ほり)、既に攻擊(せめうた)んとす。
其裡(そのうち)、頭(かしら)取〔とり〕たる侍、囘龍が袂に附(つき)たる首を更見(あらため)て、いふ。
「誠(まこと)に旅僧が分説(いゝわけ)、分明(ふんみやう)なり。「南方異物志」に曰、飛頭蠻(ひとうばん/ろころくび)は項(くびすぢ)に赤痕(せきこん/あかきすぢ)ありと。今、此首に赤痕あり。甲斐の國の山中に、かゝる奇怪ある事、粗(ほゞ)風聲(ふうせい/うはさ)に聞(きこ)へたり。去(さる)にても希代(きたい)の饒勇(きやうゆう/ふてき)[やぶちゃん注:「ぜうゆう」が正しい。有り余るほどに凄い勇気。]、法師の所業(しよげう)にあらず。」
とて、其〔その〕長成(ちやうせい)[やぶちゃん注:「成」長して「成」ったところの「事蹟」んの意であろう。]を訊問し、官吏に偈(いざな)ひ、吹擧(すいきよ)して、褒賞を與へければ、囘龍、面目(めんぼく)、身に餘り、國主の仁慈寛容なるを感服して、そこを立出、上州路(ぢ)へさしかゝるに、或山中にて盜賊に出合〔であひ〕、連(しきり)に酒錢(しゆせん)を乞(こは)れて、囘龍、いふやう、
「我、一所不住にして、樹下一宿の觀行(くはんぎやう)[やぶちゃん注:自身の心を見つめて仏・菩薩や象徴的像及び宗教上の真理を出現させて直観する修行法のこと。]なれば、何ぞ路金(ろきん)の貯(たくはへ)あらん。餘人を待(まつ)て乞(こふ)べし。」
と、索笑(さくしやう/ほほゑむ)して取敢(とりあへ)ざれば、賊、怒(いか)つて、
「汝、否(いな)む事なかれ。我(わが)黨(とう)、一囘(ひとたび)、舌頭(ぜつとう)を動(うごか)して、空(むなし)くせし例(ためし)、なし。路用の過餘(くはよ/あまり)なきに於ては、着類(きるい)脱捨(ぬぎすて)、通るべし。」
と。
聞(きく)より、囘龍、態(わざ)と其意に應諾し、鼠色木綿布子(ぬのこ)を脱捨(ぬぎすて)、
「左あらば、足下へ與(あた)ふべし。」
と、差出したるに、賊徒、其袂に下(さが)りし首を見て、大〔おのい〕に恐怖し、
「汝、桑門(そうもん/しゆつけ)の身として人を害し、怨恨をひき、斯(かく)の如く、頭(かしら)に、念、慮止(とどま)り、你(なんぢ)に附添(つきそふ)ものならん。されど、是を晏然(あんぜん/なにごとなく)と著(ちやく)しおるは、誠に不敵大膽の法師也。我、其强勢(きやせい)を感ずる餘り、我〔わが〕衣服をして是に更(かへ)ん。」
と、賊が着たるを、囘龍に与へ、かの鼠色の木綿布子を、賊、引とりて、是を著(ちやく)し、
「我(わが)黨、累年(るいねん)、此業を以て事とするに、人を怕〔おそ〕れしめん事、かゝる衣服の怪異にこそ、言(いは)ずして强(きやう)を示す究竟(くつきやう)の一物(いちもつ)なり。」
と。
猶、囘龍に方金(はうきん/こつぶ)[やぶちゃん注:方形の金貨。一分金・二分金・一朱金・二朱金などであるが、これは江戸時代のことで、相応の金の塊りと考えてよい。]を與へ、道路を送(くり)て立逝(たちさら)しむ。
囘龍、心中に思はざる怪事(くはいじ)より、彼是(かれこれ)、徳(とく)、附(つき)たるを喜び、
「幸(さいはひ)にして役害物(やくかいもの)[やぶちゃん注:厄介物。]を讓(ゆづり)たり。」
と、抃笑(べんしやう/てうちわらふ)して立別れぬ。
此賊、后(のち)に甲斐の國に着(いた)り、囘龍が話に據(より)て其影跡(えいせき/あとかた)を尋(たづぬ)るに、如何(いかゞ)しけん、荒廢(あれすたれ)たる空家(くうか/あきいへ)のみ殘りて、其人もなく、其原(げん/もと)を知や者も、なかりける。
賊、かの首を土中に堙(うづ)み、墳(しるし)を建(たて)て、今も甲斐の山中に「轆轤首の墳(つか)」として、草莽(そうぼう/くさはら)に殘れり、と言傳(いひつた)ふ。
猶、此「ろく轤首」といふ事は、元(げん)の陳孚(ちんぷ)が記事の詩に曰、
鼻飮如瓴甋 頭飛似轆轤
[やぶちゃん注:原典の訓点に従うと、
鼻に飮(の)んで 瓴甋(れいてき)のごとく
頭(かしら)飛んで 轆轤に似たり
である。「瓴甋(れいてき)」は陶器製の吸飲み(すいのみ)のようなものを指すものと私は考えている。 ]
是、南方、「尸頭蠻(しとうばん/ろくろくび)」の詩なり。依(よつ)て、其号(な)、此(ここ)に本(もとづ)くものならん。又、「瀛涯勝覽(えいかいしやうらん)」の「落頭民(らくとうみん/ろくろくび)」、「本草綱目」の「飛頭蠻(ひとうばん/ろくろくび)」、其外、「博物志」・「星槎勝覽(せいさしやうらん)」等(とう)に、粗(ほゞ)記す所なれば、敢てなき例(ためし)にも、あらざるべし。[やぶちゃん注:最後の「あらざるべし」は、改行して下(一字上げインデント風)に配されてある。]
*
「元(げん)の陳孚(ちんぷ)が記事の詩」「鼻飮如瓴甋 頭飛似轆轤」「元詩紀事」巻九に、元の政治家陳孚(一二五九年~一三〇九年)の詩として「安南卽事」の詩を引き(彼は一二九二年に安南(現在のベトナム)に官人として赴いている)、そこに、
鼻飮如瓴甋
頭飛似轆轤
の詩句を見出せる。中文サイト「中國哲學書電子化計劃」のこちらで原文と注が読めるが、かなり長いものである。而してその注には、『習以鼻飮、如牛然。酒或以小管吸之。峒民頭有能飛者、以兩耳爲翼、夜飛往海際、拾魚蝦而食、曉複歸、身完如故、但頸下有痕、如紅線耳』とあり、詩本文(五言排律)だけなら、中文サイトのこちらでも読め、その注に『習以鼻飮,如牛然、酒或以小管吸之。峒民頭有能飛者、以兩耳爲翼、夜飛往海際、拾魚蝦而食、曉復歸、身完如故、但頸下有痕如紅線耳』(漢字の一部と記号を変更した)とある。
「尸頭蠻」本邦の妖怪或いは変化である「ろくろっくび」の、中国に古くからある漢名。
「瀛涯勝覽」(えいがいしょうらん)明の馬歓(ばかん)によって書かれた東南アジア及びインド洋沿岸諸国の地誌。チャンパ国からメッカに至る二十ヶ国について記している。馬歓は鄭和による遠征の随行者であった。但し、中文サイトの同書を調べたが、「落頭民」はない。但し、
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其曰尸頭蠻者、本是人家一婦女也。但眼無瞳、人爲異。夜寢則飛頭去、食人家小兒糞尖、其兒被妖氣侵腹必死。飛頭囘合其體、則如舊。若知而候頭飛去時、移體別處、囘不能合則死。於人家若有此婦不報官、除殺者、罪及一家。
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という記載は発見した。
『「本草綱目」の「飛頭蠻」』明の李時珍撰の同書の巻五十二の「人之一」の掉尾の「人傀」の末尾に、
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而荒裔之外、有三首、比肩、飛頭、垂尾之民。此雖邊徼餘氣所生、同於鳥獸、不可與吾同胞之民例論、然亦異矣。
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とあり、その後に、
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「南方異物志」云、嶺南溪峒中、有飛頭蠻。項有赤痕。至夜以耳爲翼飛去、食蟲物、將曉復還。如故也。「搜神記」載、『吳將軍朱桓、一婢、頭能夜飛』、卽此種也。
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とあるのを指すのであろう。
「博物志」十巻。もとは三国時代の魏から西晋にかけての政治家で博物学者であった張華(二三二年~三〇〇年)が撰したものであるが、散佚してしまい、後代、諸書に記された引用を集めたものが残る。博学な著者が山川や不思議な動植物・物名などについて、様々な珍しい話を集めて記した書である。「太平廣記」の「蠻夷三」に、
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飛頭獠
鄴鄯之東、龍城之西南、地廣千里、皆爲鹽田。行人所經、牛馬皆布氈臥焉。嶺南溪洞中、往往有飛頭者、故有飛頭獠子之號。頭飛一日前、頸有痕、匝項如紅縷、妻子遂看守之。其人及夜、狀如病、頭忽離身而去。乃於岸泥、尋蟹蚓之類食之、將曉飛還、如夢覺、其腹實矣。梵僧菩薩勝又言、闍婆國中有飛頭者、其人無目瞳子。聚落時。有一人據於民志怪。南方落民、其頭能飛、其欲所祠、名曰蟲落、因號落民。昔朱桓有一婢、其頭夜飛。「王子年拾遺」言、漢武時、因墀國有南方有解形之民、能先使頭飛南海、左手飛東海、右手飛西海、至暮、頭還肩上、兩手遇疾風、飄於海外(出「酉陽雜俎」)。
又南方有落頭民、其頭能飛、以耳爲翼、將曉、還復著體。吳時往往得此人也(出「博物志」)。
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とある最後の部分を言っているようである。
「星槎勝覽」明の費信が著わした東南アジア・南アジア方面の旅行記。一四三六年成立。著者は鄭和の遠征に参加し、自らその地域を調査した上、他の記録を参照しつつこれを書いている。同書の巻一に、
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歲時縱人採生人之膽、鬻於官、其酋長或部領得膽入酒中、與家人同飮、又以浴身、謂之曰通身是膽。相傳屍頭蠻者、本是婦人也。但無瞳人爲異。其婦與家人同寢、夜深飛頭而去、食人糞尖、飛囘復合其體、仍活如舊。若知而封固其項、或移體別處、則死矣。人有病者、臨糞時遭之、妖氣入腹、病者必死。此婦人亦罕有、民家有而不報官者、罪及一家。番人愛其頭、或有觸弄其頭者、必有生死之恨。
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とあるのを指すか。
なお、手っ取り早く、轆轤首の古典文芸史をコンパクトに読まれたい方には、森信壽氏の「非科學時代の迷信」(PDF)がよかろう。]