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2019/09/14

小泉八雲 病理上の事  (田部隆次譯)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ Pathological ”)は一九〇二(明治三五)年十月にニュー・ヨークのマクミラン社(MACMILLAN COMPANY)刊の“ KOTTŌ ”(来日後の第九作品集)の話柄数では十七番目に配されたものである。作品集“ KOTTŌ ”は“Internet Archive”のこちらで全篇視認でき(本篇はここから。但し、これは翌一九〇三年の再版本である)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める本篇はここから)。標題は猫を例にとった記憶の病理の謂いであろう。因みに、一九七五年恒文社刊の平井呈一氏の訳(「骨董・怪談」)では標題は『病のもと』である。それもまた、訳として悪くない。

 底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。★【2025年3月26日底本変更・前注変更】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和六(一九三一)年一月に刊行した「學生版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「學生版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『學生版 【第二囘豫約】』とあり、『昭和六年一月十日 發行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、之よりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。新底本の本話はここから。

 傍点「﹅」は太字に代えた。挿絵は底本にはないが、原本では各話の前後に同じ絵がサイズを変えて配されてある。“Project Gutenberg”版にある最初に配された大きい方のそれを使用した。挿絵画家は既に述べた通り、佐賀有田の生まれの画家江藤源次郎(えとうげんじろう 慶応三(一八六七)年~大正一三(一九二四)年)である。但し、本底本最後の田部隆次氏の「あとがき」によれば、『マクミランの方でヘルンが送つた墓地の寫眞と「獏」の繪「獏」の繪の外に、當時在英の日本畫家伊藤氏、片岡氏などの繪を多く入れたので、ヘルンは甚だ喜ばなかつたと云はれる』とある。それを考えると、挿絵の多くは、スルーされた方が、小泉八雲の意には叶うと言うべきではあろう。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 簡単な私の注も添えた。]

 

Kotto_039

  病理上の事

 

 大層私は猫好きである、洋の東西で色々の時、色々の風土で、私が飼つた色々の猫の事を書いて一册の大きな書物にする事もできようと私は思ふ。しかしこれは猫の本でない、それで私はただ心理上の理由で「玉」の事を書く。玉は私の椅子の側で寢ながら一種特別の聲を發して居るが、それは私の心に特別の感動を與へる。その聲は猫が子猫に對してのみ發する聲で、――柔かなやさしい震へ聲――全く愛撫の音調である。それから橫に寢て居るその姿勢は何かもつて居る、――何か捕へたばかりのものをもつて居る猫の姿勢である。前足は何かつかむやうにのばして眞珠のやうな爪は動いて居る。

 

 玉と呼んで居るのは、綺麗だからではない、(但し綺麗ではある)たゞ玉と云ふ名は普通飼猫につける女性の名であるからである。三毛猫は日本では珍らしいので、――始めて私の處へ重寳な進物として贈られて來た時は、甚だ小さい子猫であつた。日本の或地方ではこんな猫は緣起のよい猫で、鼠と同樣にお化をも退治する力があると信じられて居る。玉は今二歲である。脈管に外國の血があると思はれる。一般の日本の猫よりももつと優美でもつとほつそりしてゐて足は著しく長い。それだけが日本人の眼から見ると缺點である。多分彼女の祖先の一人が家康の時分にオランダかスペインの船で日本へ來たのであらう。しかしどんな祖先から來たにしても玉はその習性では全く日本の猫である。――たとへば玉は米飯をたべる。

[やぶちゃん注:「三毛猫は日本では珍らしい」確かに“a cat-of-three-colours (miké-neko) being somewhat uncommon in Japan”(厳密には「やや稀れな」)と言っているが、これは小泉八雲の勘違いで、日本では普通に見かける。或いは、ウィキの「三毛猫」にあるように、『日本では珍しくないネコだが、日本国外では比較的珍しく、キャリコまたはトーティ・アンド・ホワイトと呼ばれる。フランス語風にトリコロール、あるいはトライカラー(Tricolor)と呼ばれることがある。ただし』、『英語のトライカラーは錆び猫』(黒の被毛と赤の被毛が入り混じってモザイク模様を成している猫の総称。英語で「トータスシェル」( Tortoiseshell:「鼈甲」の意)、或いは、縮めて「トーティ」(Tortie)と言う。ここは当該ウィキに拠った)『も含み、かつ「真の」トライカラーは赤(茶、オレンジ)、白、黒の』三『色、もしくは赤黒が「薄まった」色がすべてある猫である、ただし』、『白の部分が極めて少なく』二『色に見える場合も含む』。『西欧や北米にあっては、ジャパニーズボブテイルが「ミケ」(Mi-ke)の愛称で珍重されている』という諸外国の事実を、本邦の事実として誤認したものか、或いは、ご存じの通り、『ネコの遺伝子の特徴』によって、三毛猫は『そのほとんどがメスであり』、『オスはめったに出現しない』という驚くべき事実を誤って認識して「オスがいない珍しい」猫」としての属性を述べたものかも知れない。または、『オスの三毛猫を船に乗せると』、『福を呼び』、『船が遭難しないという言い伝えがあ』り、『江戸時代には高値で取引されていたという説もある』(但し、『実際の取引事例は不明である』とある)こと、また、『縁起物である招き猫において、三毛猫がモデルにされることが多い』ことから、そうした意味での「珍しい稀れにみる目出度い猫」という話を人から聴いた際に、その「稀にみる」を物理的に「希少の存在である」の意で受け取ってしまったものかも知れない。なお、滅多にオスがいないことについては、『基本的に三毛猫の性別はメスであるが、ごくまれにオスの三毛猫が産まれることがあ』るものの、『その希少性は』三『万匹に』一『匹程度とされる』。『これは、ネコの毛色を決定している遺伝子がどの染色体に存在するかに原因が求められる。ぶち(白斑)や黒などを決定する遺伝子は常染色体上に存在するが、オレンジ(茶)を決定するO遺伝子のみはX染色体上に存在し、伴性遺伝を行う。そのため、三毛猫が産まれるのはO遺伝子が対立するo遺伝子とのヘテロ接合になった場合となる。これは哺乳類では』二『つのX染色体のうち、どちらか一方がランダムに胚発生の初期に不活性化されることにより、毛色がオレンジになる(O遺伝子が発現)部分と他の色になる部分に分かれるからである。ゆえに、原則として三毛猫はメス (XX)となる』。『オスの三毛猫が生まれる原因は、クラインフェルター症候群』(Klinefelter syndrome:♂の性染色体にX染色体が一つ以上多いことで生じる一連の症候群)『と呼ばれる染色体異常(X染色体の過剰によるXXYなど)やモザイクの場合、そして遺伝子乗り換えによりO遺伝子がY染色体に乗り移ったときである』。『染色体異常の場合は通常繁殖能力を持たないが、モザイク、遺伝子乗り換えの場合は生殖能力を持つことがある。なお、クラインフェルター症候群のオスの出生率は』三『万分の』一『である』。『生殖能力のある三毛猫のオスは』一九七九年に『イギリスと』、一九八四年に『オーストラリアで確認されたものの他』、二〇〇一年には『日本でも確認され』ている。しかし、『生殖能力のあるオスの三毛猫が交配しても、オスの三毛猫の子猫が生まれる確率は変わらず、その可能性は非常に小さい』とある。]

 

 始めて子供をもつた時には全く立派な母である事を證明した。子供の世話に精力と智慧のあらん限りをつくしたので、たうとう子供の養育と子供のための骨折とで氣の毒な程、又をかしい程やせてしまつた。彼女は子供等に、淸潔法や、――遊ぶ事、跳ぶ事、相撲を取る事や――狩獵の法を敎へた。初めのうちは勿論、ただ自分の長い尾をおもちやにして遊ばせてゐた。しかし、後に外のおもちやを見つけてやつた。野鼠家鼠ばかりでなく、蛙、とかげ、蝙蝠までも持つて來た。それから或日小さな八ツ目鰻をもつて來たが、それは近所の水田で、何とか工夫して捕へて來たものに相違ない。日が暮れてから私はいつも臺所の屋根から狩に出られるやうに、――書齋に通ずる階段の上の小さい窓を、彼女のために開けて置いた。そこで或晚その窓から、彼女は子猫のおもちやに大きな藁草履を持ち込んで來た。野原で彼女はそれを見つけた。それから一丈の板塀を越えて、家の板壁を上つて、臺所の屋根に上つて、それから小窓の格子をくぐつて、階段へ持ち込んだに相違ない。そこで彼女と子猫は朝までそれをもつて大騷ぎして遊んだ。それから草履は泥だらけであつたので階段をよごした。母としての第一の經驗で玉よりももつと幸運な猫はゐなかつた。

 しかしそのつぎは運がよくなかつた。彼女はあぶない程離れた外の町で友達の猫を訪問する習慣がついてゐた。それで或晚そこへ行く途中或野蠻な人間に害を加へられた。ぼんやりして弱つて歸つ來た。それから子猫は死んで生れた。私は彼女も死ぬだらうと思つた。しかし誰に想像できない程早く囘復した、――それでも明かに心はやはり子猫をなくした事で惱まされて居る。

[やぶちゃん注:「そのつぎ」二度目の玉の妊娠と出産(死産)を指す。]

 

 或種類の一時的の經驗に關しては動物の記憶は奇態に薄弱で朦朧として居る。しかし動物の本質的記憶、――數へきれぬ幾千億の生活の間に蓄積された経驗の記憶は超人間的に生々として殆んど誤る事はない。……溺れた子猫の呼吸作用を囘復する驚くくべき巧妙な手際を思ひ見よ。始めて見た危險な敵、例へば毒蛇に面する時の敎へられた事のない技倆を思ひ見よ。小さい動物とその習慣に關する彼女の廣い知識――彼女の草木に關する藥物學的知識――狩獵の場合又戰鬪の場合に處する彼女の戰略上の能力を思ひ見よ。彼女の知識は全く博い[やぶちゃん注:「ひろい」。]。それから彼女はそれを完全に、若(もし)くは殆んど完全に知つて居る。しかしそれは過去の生活の知識である。現在の生活の苦惱に關する彼女の記憶は憐れむべく短い。

 

 玉は自分の子猫が死んだ事は明らかに覺えてゐない。子猫はある筈だとだけ知つて居る。それで庭に葬られて餘程になつてからもどこでもさがし、どこででもそれを呼んで見た。友達に色々愚痴をこぼした。私にも押入れ、戶棚を悉く――何遍となく――子猫がうちにはゐない事を證明するために、あけさせた。たうとうもうこれ以上さがしても駄目と云ふ事が自分でも分つて來た。しかし彼女は夢のうちに子猫と戲れる。それでやさしい愛撫の聲を出して居る。それから彼等のために、色々小さいまぼろしのものを捕へて來る、――事によれば記憶のどこか朧げな窓から、まぼろしの藁草履をさへもつて來てやる。……

[やぶちゃん注:最後の一文、“But she plays with them in dreams, and coos to them, and catches for them small shadowy things,—perhaps even brings to them, through some dim window of memory, a sandal of ghostly straw....”は、胸を撲つ。]

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