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2019/09/01

小泉八雲 蟬 (大谷正信譯) 全四章~その「二」

 

       

 

 進んでセミの詩文學に就いて語る前に、自分はセミその物に就いて二三の談論を試みなければならぬ。然し讀者は何等昆虫學上のものを期待し給ふ要は無い。日本の昆虫は、恐らく蝶類を除いて、科學者にまだ少ししか分かつて居ないので、自分が蟬について言ひ得ることは、總て皆穿鑿により、個人的觀察により、また興味はあるが全く非科學的な日本の古い書物によつて、知り得たものだけである。著作家が、一番に能く知られて居るセミの名前や特性に就いて、互に矛盾して居る計りでは無い、蟬で無い昆虫の名にセミの語を用ひさへして居る。

[やぶちゃん注:「一」の最後に紹介させて戴いた加工用データとして使用させて貰っているサイト「βάρβαροι!」の『特別付録 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)「蝉」』の作成者注に出るように、私もインセクターでないが、知られた一般的に普通に見かける種で、「蟬で無い昆虫の名にセミの語を用ひさへして居る」昆虫の和名や異名を知らない。改めて、ネットで各種フレーズを駆使して検索してみたが、地方名でも見当たらない。敢えて言うなら、セミやヨコバイ類に近縁である、カメムシ目頸吻亜目セミ型下目ツノゼミ上科ツノゼミ科 Membracidae のツノゼミ亜科 Membracinae のツノゼミ類(日本に分布するのはツノゼミ亜科のみで十六種)が挙げられる。]

 次記のセミの列擧は確に不完全である。が、能く知られて居る種類と最上の旋律家とは綱羅して居る、と自分は信じて居る。が然し、或る種の蟬の出現時が日本の地方に依つて異つて居る事、同一種の蟬が國[やぶちゃん注:原文は“Province”で「地方」・「県」或いは「田舎」である。]に依つて名を異にして居るかも知れぬ事、且つ此記述は東京で爲したものといふ事、これを心に有つて居て貰ひたいと讀者に乞はなければならぬ。

 

         ハルゼミ譯者註一一

 

 種々な小蟬が春出る。然し大きな蟬で耳にきこえる聲を立てる第一番のはハルゼミ(春蟬)、またの名ウマゼミ(馬蟬)、クマゼミ(熊蟬)など稱するものである。これはジーイーイーイーイーイイイイイイと、最初は低いが、段々と苦しい程高い調子に上つて行く――銳いゼイゼイ聲を立てる。春蟬ほど騷々しい蟬は他に無い。が、此のセミの壽命はその時候と共に終はるらしい。これが屹度、

 

  初蟬やこれは暑いといふ日より  太無

 

と、古い句に詠まれて居るものである。

譯者註一一 ハルゼミはマツゼミともともクダマキともいふ、ウマゼミ或はクマゼミはそれとは別種なり。

[やぶちゃん注:「ハルゼミ」。節足動物門昆虫綱有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目頚吻亜目セミ型下目セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ属ハルゼミ Terpnosia vacua「一」の図版の部分で詳細注を附した。

「太無」古川太無(ふるかわたいむ ?~安永三(一七七四)年)江戸中期の俳人で常陸水戸の生まれ。佐久間柳居の門人。芭蕉の資料を模刻した「鹿島詣」(原作は貞享四(一六八七)年)や撰集「星なゝくさ」などがある。別号は秋瓜・吐花・義斎・松籟庵など(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。なお、俳号は二字空けが中に入るが、総て詰めている。]

 

Plate2

 

       PLATE Ⅱ.

Shinné-Shinné,”

Also called Yama-Zémi, and Kuma-Zémi.

[やぶちゃん注:訳す。

       第二図版。

「シンネ・シンネ」。

或いは又、「ヤマゼミ」、そして「クマゼミ」とも呼ぶ。

「シンネ・シンネ」は以下で小泉八雲が述べるようにオノマトペイアによる命名で現在は死語に近い。なんなら、フレーズ「ミンミンゼミ シンネシンネ」で検索を掛けてみられよ、そこに掛かる獲物は、私が二〇一五年十一月一日に電子化注した『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一一)」』ばかりである(そこでは本篇を取り上げて、私なりの小泉八雲の日本の蟬の音に対する生理的な好悪を問題にしているので、是非、読まれたい。最終的には藪の中なんだが)。「山蟬」。「熊蟬」。現在の標準和名クマゼミのこと。同種の詳細は以下の後注に回す。]

 

         シンネシンネ譯者註一二

 

 シンネシンネ――又の名ヤマゼミ(山蟬)、クマゼミ(熊蟬)、オホゼミ(大蟬)――は五月に早歌ひはじめる。頗る大きな蟬である。體の上部は黑いといつていい位、腹は銀白、頭には赤い妙な模樣がある。シンネシンネといふ名は、その音色から來て居るので、それはシンネといふ綴音を連續して早く反復するに似て居る。此蟬は京都邊では普通、東京では稀に聞く。

 〔自分が初めてオホゼミを檢べる機會を得たのは靜岡であつた。その聲音は日本の擬音が現はして居るよりも遙か複雜で、勢一パイに𢌞して居る折の裁縫ミシンの音に似て居るやうに思ふ。音が二重で、金屬性な銳いリンリンといふ音が連續して聞こえる計りで無く、その底に、もっとゆるく續いて居る重いヂヤンヂヤンといふ音がある。發聲器官は色は薄綠で、胸廓に附着して居る小さな靑葉一枚といつたやうな外觀のものである〕

譯者註一二 このシンネシンネが普通クマゼミともウマゼミとも或はなほ普通にシヤアシヤアゼミ或はワシワシゼミと稱せらるゝものなり。

[やぶちゃん注:〔 〕は原本本文が[ ]で括られていることに基づく(以下小泉八雲の本文では同じなので、この注は附さない)。

「綴音」「ていおん」或いは「てつおん」と読み、「二つ以上の単音が結合して生じた音」を指す。

 セミ亜科エゾゼミ族クマゼミ属クマゼミ Cryptotympana facialis ウィキの「クマゼミ」を一部引いておく(太字・下線は私が附した)。『成虫の体長は60-70mmほど。アブラゼミ』(セミ亜科アブラゼミ族アブラゼミ属アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata )『やミンミンゼミ』(セミ亜科ミンミンゼミ族ミンミンゼミ属ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis )『に比べて頭部の幅が広い。日本産のセミの中では』同属種の『ヤエヤマクマゼミ』( Cryptotympana yayeyamana:石垣島と西表島にのみ分布する固有種。山地の森林に棲息し、平地のクマゼミとは概ね棲み分けている。鳴き声はミンミンゼミに似る。大陸や台湾の低山帯に分布するタイワンクマゼミ』( Cryptotympana holsti )『は近縁種である。体長はクマゼミよりさらに大きく、日本最大のセミである。)『に次いで大きな体をしている。翅は透明で、付け根付近の翅脈は緑色。背中側は艶のある黒色だが、腹部の中ほどに白い横斑が2つある。また羽化から数日までの個体は、背中側が金色の微毛で覆われる。腹部は白、褐色、黒の組み合わさった体色で、オスの腹部には大きな橙色の腹弁がある』。『温暖な地域の平地や低山地に棲息し、都市部の公園や街路樹などにも多い』。『成虫が発生するのは7月上旬から9月上旬くらいだが、特に7月下旬から8月上旬、大暑から立秋にかけての最も暑い頃が発生のピークである。成虫の寿命は2週間程度とされているが、大阪市立大学の調査では30日生きたメスが捕獲されたという研究結果も報告されている(下線太字は私が附した。これは他のセミ類でも概ね同じ(セミの平均寿命を34週間程度、条件(主に樹種嗜好性の適合。以下の引用を参照)が良ければ最大一ヶ月程度とするインセクタ―の方の記載もある)で、所謂、蟬が数日の短命というのは、主に近世までの文芸等から受け継がれた嘘であり、今や都市伝説と言ってもよい誤りである)。『オスは腹を激しく縦に振りながら大きな声で鳴く。鳴き声は「シャシャシャ…」や「センセンセン…」などと聞こえるが、その前後には「ジー…」という長い声が入る。また、オスを捕まえると「ジー」とも「ゲー」とも聞こえる大声を出し続けてもがく。羽を羽ばたかせる力も強力で、近くでは「ブーン」という羽の音が聞こえる。手足の力も強く、素手で捕まえようとすると引っ掻き傷をつけられる可能性があるので注意が必要である』。『鳴く時間帯は主に日の出から正午までの午前中で、日が照って温度が上がる午前7時頃から午前10時頃まで最も盛んに鳴く。棲息地では朝日が昇ってから昼近くまで、鳴き声が騒がしいほどに響きわたる。鳴き終わると』、『すぐに別の場所に飛んで移動するという習性があり、朝の時間帯は空中をクマゼミが飛び交っている様子がよく見られる。雨の日や午後はあまり鳴かず、センダンやキンモクセイ、サクラなどの木の幹に止まって樹液を吸う。ただし、曇っていたり、午前中が雨で午後から天候が回復した時などは、時間をスライドさせて鳴くことがある。朝の鳴いている時間帯は高い場所にいるが、昼間は木の根元付近まで降りてきている。またアブラゼミと共存している地域では、午前11時ごろまではクマゼミのみが鳴き、それから後はアブラゼミのみが鳴くという「鳴き分け」が見られる』(今、作業をしているのは831日午前810分。書斎の前の山桜の木にとまっていたアブラゼミが盛んに鳴いている)。『幼虫はアブラゼミと似ているが、わずかに大きくて体に艶がなく、頭部や腹部に泥が付くので区別できる。他のセミと比較しても割と高い位置まで登っていって羽化する。樹木だけでなく、民家の外壁やコンクリートブロックをよじ登るなど、幼虫も強い手足の力を持っている。羽化したばかりのクマゼミの成体は白っぽい色をしており、一晩かけて徐々に黒く染まっていく。翌朝には成虫としての身体が出来上がって飛ぶことも可能だが、その時点ではまだ完璧に鳴くことはできない』。『幼虫の生態について「湿った所にアブラゼミ、乾いたところにクマゼミの幼虫がいる」との説があるが、京都成安高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)生物部と高校教諭・米澤信道による10年間の調査では、「アブラゼミ、クマゼミはそれぞれ好む木、嫌いな木があり(樹種嗜好性)乾湿によってきまるものではない」との立場をとっている。なお、センダンには脱皮殻が全くつかないという統計結果がある』。『ミンミンゼミとクマゼミの鳴き声は、実際に人間の耳で聞く限りは全く違って聞こえる。しかし、この2種のセミの鳴き声のベースとなる音はほぼ同じであり、その音をゆっくりと再生すればミンミンゼミの鳴き声に、早く再生すればクマゼミの鳴き声となる。このように両種のセミの鳴き声には共通点があるため、クマゼミとミンミンゼミは互いに棲み分けをしていると言われる。それは、環境による棲み分けの場合もある(城ヶ島では、平坦な台地においてクマゼミが、傾斜地においてミンミンゼミが発生している)が、時期的な棲み分けのほうが主流である。つまり、クマゼミがほぼ終息した頃にミンミンゼミの発生が始まるということである。西日本の、両種が棲息している地域では概ねそのような棲み分けが行われている。特に、広島県東広島市の市街地では非常に明確に棲み分けられている』。『また、ミンミンゼミとクマゼミはともに午前中によく鳴く種類であるが、このことも両種のセミが時期的な棲み分けを行っている原因の一つである。例えば』、『鹿児島県の屋久島ではクマゼミとクロイワツクツク』(セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属クロイワツクツク Meimuna kuroiwae)『が市街地において完全な時期的棲み分けをしており、クマゼミがほぼいなくなってからクロイワツクツクが発生する傾向があるが、クロイワツクツクもまたクマゼミと同じく午前中によく鳴く種類である。クマゼミとアブラゼミ、もしくはミンミンゼミとアブラゼミの場合でも、クマゼミ・ミンミンゼミが午前中、アブラゼミが午後に鳴いており、棲み分けができている』。『なお、ミンミンゼミとクマゼミが同時期に出現し、時期的な棲み分けをしていない地域もある(神奈川県の城ヶ島など)。そのような地域では、クマゼミが午前中に、ミンミンゼミが午後に発声活動を行っている。いずれにせよ、ミンミンゼミとクマゼミが同時に合唱をするケースはほとんどない』。『クマゼミは南方系のセミであるため、温暖な西日本以南の地域が主な棲息域である。そのため、西日本から東海地方の太平洋側と関東地方南部に多数棲息しているが、山陰地方以北の日本海側と内陸部では冬の寒さによって棲息数が少なくなり、北日本には棲息しない』。『分布域は関東南部、東海、北陸地方と西日本(近畿、中国、四国、九州、南西諸島)である。なお、台湾、中国に分布するという報告もあったが、台湾の記録の多くが近縁のタカサゴクマゼミ』(Cryptotympana takasagona)『の誤同定で、中国大陸の分布も疑わしい』。『近畿・九州地方(鹿児島市を除く)などの西日本の平地では個体数が多く、都市域でも普通に見られる』。『静岡県の伊豆半島東海岸では、南部(下田市など)では昔から非常に多いが、北部(熱海市など)ではそれほど多くはない』。『近年、関東地方では、生息数を増やしている。京都大学教授・沼田英治の2019年時点の見解によると、関東での北限は50年前(昭和期に相当)の神奈川県から、東京都内や茨城県へ北上している。その原因として、気候の温暖化や植樹に伴う卵・幼虫の移動の可能性を推定している』。You Tube の若杉駿冶氏の「クマゼミの鳴き声!」をリンクさせておく。]

 

Plate3

     PLATE Ⅲ.

     Aburazémi.

[やぶちゃん注:訳す。

     第三図版

    「アブラゼミ」。

現在の標準和名アブラゼミ。「油蟬」。種の詳細は後注を参照。]

 

 

         アブラゼミ譯者註一三

 

 アブラゼミ卽ち油蟬は夏早く現はれる。聞けばその名は、その耳を貫くやうな銳い聲が、鍋で油揚げをする折の音に似て居る、といふ事實に基づいて居るといふ事である、その銳い音がガチヤリンガチヤリンときこえるといふ作家もあるが、湯の沸き立つ音にたぐへて居る者も居る。アブラゼミは日の出頃から歌ひ出す。すると大きな低いシイシイといふ聲があらゆる樹々から立ち昇るやうに思はれる。そんな時刻に、卽ち森や花園の木の葉がまだ露できらきらして居る時分に、次記の句は作られたものかも知れぬ。自分の蒐集中油蟬を詠んだものはただこれだけである。

 

  あの聲で露が命かあぶらぜみ  ( ? )

 

譯者註一三 秋山蓮三氏に據れば、アカゼミ、サトゼミ、ヤマトゼミとも呼ばれ居るものなりと。

[やぶちゃん注:セミ亜科アブラゼミ族アブラゼミ属アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata ウィキの「アブラゼミ」を一部引いておく。『アブラゼミ』という名前の由来は、翅が油紙を連想させるため名付けられたという説や、鳴き声が油を熱したときに撥ねる音に似ているため、『油蝉(アブラゼミ)』と名付けられた説などがある』。『体長は 56-60mm で、クマゼミより少し小さくミンミンゼミと同程度である。頭部は胸部より幅が狭く、上から見ると頭部は丸っこい。体は黒褐色-紺色をしていて、前胸の背中には大きな褐色の斑点が2つ並ぶ。セミの多くは透明の翅をもつが、アブラゼミの翅は前後とも不透明の褐色をしていて、世界でも珍しい翅全体が不透明のセミである。なお、この翅は羽化の際は不透明の白色をしている』。『抜け殻はクマゼミと似ているが、ひとまわりほど小さく、全身につやがあり色がやや濃い。また、抜け殻に泥がつかないのも特徴である』。『日本(北海道から九州、屋久島)、朝鮮半島、中国北部に分布する。人里から山地まで幅広く生息し、都市部や果樹園でも多く見ることができる』。『南西諸島にはアブラゼミと近縁なリュウキュウアブラゼミ』(Graptopsaltria bimaculata:『成虫の体長は53-66mm。前胸の褐色部がアブラゼミより広く、後胸部も褐色である』。『オスは「ジュクジュクジュクジーーイッ」という数秒ほどの鳴き声を繰り返す。ジュクジュクジュクと声を大きくしながら鳴き始めるが、ジーイッと突然鳴き止んでしまうように鳴き終わ』り、『アブラゼミとはかなり異なった鳴き声である。沖縄本島では森林・低山帯ではごく普通に生息するが、市街地では生息数が少ない』)『が生息する。このセミは成虫・幼虫ともに湿度の高い環境を好むため、森林部には多いが』、『市街地にはほとんど生息しない』。『アブラゼミは北海道・本州・四国・九州の広い範囲に生息しており、かつては都心部でも最も多いセミであった。しかし、環境の変化やヒートアイランド現象の進行等を背景に、関東以西の都市(太平洋側)や北日本の一部都市では生息数が減少している』。『一方、本州日本海側や九州の多くの地域ではアブラゼミが減少しておらず、むしろ優勢な地域が多い。特に北陸地方では、ほとんどの地域で近年アブラゼミの勢力が著しく強くなっており、ミンミンゼミの生息場所は低山帯に押しやられている。また』、『東京都内でも全体的には現在でもアブラゼミが最も多い。このようなセミ類の増減動向は、主にその土地ごとの気候条件によって左右される』。『アブラゼミは現在に至るまで』、『郊外・山地では全国的に普通に見られる(北海道・南西諸島を除く)種類のセミであり、かつては都心部の市街地でも最も多いセミであったが、近年、夏の暑さが厳しくない北日本太平洋側の都市では市街地を中心に軒並み数を減らしている』。『一方、同じ北日本でも、日本海側の秋田市や山形県庄内地方では夏の暑さが比較的厳しいためか、アブラゼミはさほど減少していない。ただ、山形市は夏の暑さが厳しいものの、アブラゼミの競争相手であるミンミンゼミが市街地で近年急増しているという事情があり、競争に負けたアブラゼミが激減している(なお秋田市や山形県庄内地方ではミンミンゼミが生息しておらずアブラゼミの独占状態となっている)。このように北日本では地域によってアブラゼミの生息状況に大きな偏りがある』。『なお、札幌や青森では、昔から市街地ではアブラゼミしか生息していなかった(エゾゼミ』(クマゼミ族エゾゼミ属エゾゼミ Lyristes japonicus)『やコエゾゼミ』(エゾゼミ属 コエゾゼミ Lyristes bihamatus)『は森林性なので森や山の中に限って生息)ので、平成以降は夏になっても街中ではセミの声が全くといってよいほど聞こえなくなっている。ところで、仙台や長野は気候的にミンミンゼミの生息条件に合っている(夏が比較的涼しい・冬の湿度があまり高くないなど)ため、市街地ではアブラゼミを凌駕する勢いで増加しており、競争に敗れたアブラゼミが大きく数を減らしている』。『アブラゼミは幼虫・成虫とも、クマゼミやミンミンゼミと比べると』、『湿度のやや高い環境を好むという仮説がある。実際、都市化の進んだ地域ではヒートアイランド現象による乾燥化によってアブラゼミにとっては非常に生息しにくい環境となっており、乾燥に強い種類のセミが優勢となっている。つまり、東京都心部ではミンミンゼミに、大阪市など西日本太平洋側の大都市中心部ではクマゼミに置き換わっているという説もある』。『しかしながら、この仮説に一見従わないように思われるデータも多数存在する。たとえば、比較的温暖(大阪市よりは寒冷)なはずの山口大学キャンパス内でクマゼミがほとんど発生せず、大多数がアブラゼミという報告がある。また、現在よりも寒冷であった100年ほど前の京都で、クマゼミの目撃証言がある。さらに、京都市中心部において』、『土壌含水率とセミ種を調査したところ、全く相関がなく、樹種と相関があるという報告がなされている』。『一方、大阪市立自然史博物館の調査によれば、大阪市内のクマゼミは主に乾いた土壌から発生し、アブラゼミはやや湿った土壌のみから発生するという、京都市の調査とは全く異なった結果が示された。これらの調査から、アブラゼミは都市によって異なった発生の仕方をしており、その原因は各都市の気候の違いに求められる、という仮説が導き出され』ており、『また、アブラゼミは気温のみならず湿度からも多大な影響を受ける。たとえば、年間にわたって湿度が比較的高い九州南部よりも、瀬戸内地方の都市部や静岡県の市街地のほうがアブラゼミの減少ペースが早い。特に静岡県では、冬の激しい乾燥が大きな原因となっているとみられる。この現状を考慮した場合、上述の仮説は正しいということになるが、それを明確に立証する研究結果はまだ出ていない』。『なお、これらは一部の地域の話であり、都内23区や都市部の市街地でもアブラゼミが最も多く生息している場所が現在でも多い。特に、夏場の高温で知られる埼玉県内は全く減少しておらず、アブラゼミを見る機会が最も多い。東京都内でも全体的にはアブラゼミが最も多い』。『本種が都市で減少した直接の要因として野鳥による捕食が重要であることがアメリカ昆虫学会誌に報告されている』。『アブラゼミ成虫の天敵は主に野鳥であるが、都市での捕食圧は極めて高く、ほとんどのアブラゼミが捕食される。逆にクマゼミへの捕食圧は、都市では低くなる。この差は、それぞれのセミが天敵から逃げる方法(捕食回避戦略)による。天敵に気付いたアブラゼミは周辺の樹木に隠れるので、都市など樹木が粗な環境では隠れるのに手間取り捕食されやすくなるが、クマゼミは木に隠れず』、『飛んで逃げるので周囲の空間が開けているほど効率がよくなるためである』。以上のように、『都市部においては「湿った所にアブラゼミ、乾いたところにクマゼミがいる」との説が唱えられている。これに対し』、『京都成安高等学校教諭・米沢信道と生物部の生徒は10年間の調査を行い』、『「アブラゼミ、クマゼミはそれぞれ好む木、嫌いな木があり(樹種嗜好性)乾湿によってきまるものではない」と解明された』とされる、『ただし、この研究結果はあくまで京都市街地のみの研究結果にすぎず、大阪市内では上述のとおり』、『異なった結果が出ていることに注意を要する』。『成虫はサクラ、ナシ、リンゴなどバラ科樹木に多い。成虫も幼虫もこれらの木に口吻を差しこんで樹液を吸う。そのため、ナシやリンゴについては害虫として扱われることもある』。『成虫は7月から9月上旬くらいまで多く発生するが、10月や11月でもたまに鳴き声が聞こえることがある。オスがよく鳴くのは午後の日が傾いてきた時間帯から日没後の薄明までの時間帯である』。『鳴き声は「ジー…」と鳴き始めたあと「ジジジジジ…」とも「ジリジリジリ…」とも聞こえる大声が15』秒から『20秒ほど続き』、『「ジジジジジー…」と尻すぼみで鳴き終わる。単調で、抑揚のあるニイニイゼミと識別出来る。この鳴き声は昼下がりの暑さを増幅するような響きがあり「油で揚げるような」という形容を使われることが多い。「アブラゼミ」という和名もここに由来する』。『このセミは「夜鳴き」をすることで有名である。もともと』、『このセミは薄暗く湿度の比較的高い時間帯を好むため、最も盛んに発声活動をするのが夕刻時である。深夜の発声活動はその延長であるが、生息密度がある程度高い時期にしか普通は鳴かない。また、クマゼミ・ミンミンゼミ・エゾゼミも、生息密度が高い時期は夜中に鳴いていることも多い。しかし、これらのセミと比較してもアブラゼミは特に夜鳴きをしやすいセミであるため、少しでも生息密度が高くなればすぐに夜鳴きをする傾向がある』とある。リンク先で鳴き声(合唱の一部)を再生出来る。

 小泉八雲が引いた句の作者は不明である。因みに『( ? )』は訳者の大谷が附したものであって、原典には、この通り、ない。この句や作者は、調べてはみたが、不明であった。

「秋山蓮三」(れんぞう)は恐らくは動物学者である。確実な生歿年を確認出来なかったが、国立国会図書館デジタルコレクションのこの画像データの一部に、『浩瀚なる内外普通動物誌の著者であり、』「コムカデ」(節足動物多足亜門コムカデ(結合)綱 Symphyla)『の名附の親たる秋山蓮三氏の御長逝を哀悼するものである』という記載があることから(恐らくは「コムカデ」という和名の発案者と思われる)、当該資料の刊行された昭和一三(一九三八)年三月以前か前年昭和十二年後期に没している可能性が高い。ネットでは彼の専門的学術書が複数冊ヒットし、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かくある。その数種のデータを調べてみたが、この手の学術書や受験参考書にしては不思議なことに肩書きがまるで見当たらない。【同日夜:追記】いつも私の公開テクストを見て戴き、各種の御指摘を頂戴するT氏よりメールを貰い、国立国会図書館デジタルコレクションの「魚類に就て」(PDF)という『東京動物學會明治三八(一九〇五)年十二発行の『動物学雑誌』の「雜錄」に、『三重縣師範學校敎員』とある旨の御教授と、ウィキの「ミズグモ」の中に(これ、実は私が既に、「宿直草卷二 第三 百物語して蛛の足をきる事」でそこを引用していた!)、昭和五(一九三〇)年に京都の中学校(校名は不明)の博物科担当教諭(うひゃあ! こんな素敵な科と教員がいたんだ! 調べてみると、旧制中学校の科目にしっかり「博物学」があり、動物学・植物学・鉱物学を教えていたらしい)であった動物学会『會韻秋山蓮三』と名が出ていることをお教え下さった。所謂、インキ臭いアカデミズム系の学者ではない、市井の古き良き博物学者の最後の方だったのだろうと思うと、なんだかしみじみしてしまった。

 

Plate4

        PLATE IV.

1-2, Mugikari-Zémi, also called Goshiki-Zémi.

3, Higurashi.

4, “Min-Min-Zémi.”

[やぶちゃん注:訳す。

       第四図版

1-2 「ムギカリゼミ」、或いは「ゴシキゼミ」と呼ぶ。

3 「ヒグラシ」。

4 「ミンミンゼミ」。

4」の句点は外に出した。

「麦刈蟬」。「五色蟬」。以下に見る通り、現在の標準和名ニイニイゼミの異名。種の詳細は以下の「四」の後注を参照。

「蜩」(日暮れ時(実際には日の出頃も有意に鳴き、日中でも小暗い林中では普通に鳴いている)に鳴くことから「日を暮れさせるもの」の意から)。現在の標準和名。後の「五」を参照。

「ミンミン」はオノマトペイア。後の「六」を参照。]

 

         ムギカリゼミ譯者註一四

 

 ムギカリゼミ(麥刈蟬)又の名ゴシキゼミ(五色蟬)は夏早く出る。シインシン――チイチイといふ綴音に似た、調子の異なった二樣のはつきりした音を出す。

譯者註一四 普通ニイニイゼミ(蟪蛄)と呼ばれて居るものなるべし。ムギカリゼミ、ゴシキゼミの名のほかにナツゼミ、コゼミの名あり。

[やぶちゃん注:セミ亜科ニイニイゼミ族ニイニイゼミ属ニイニイゼミ Platypleura kaempferiウィキの「ニイニイゼミ」より、一部を引く。なお、本邦産ニイニイゼミ族 Platypleurini は二属六種が知られているが、上記ニイニイゼミ以外の五種の分布は全て南西諸島の限定された島嶼部のみの固有種である(以下にも出るが、各種に詳細はリンク先を見られたい)。『日本・台湾・中国・朝鮮半島に分布する小型のセミで』、『成虫の体長は20-24mm。生きている時は全身に白っぽい粉を吹くが、頭部と前胸部の地色は灰褐色、後胸部と腹部は黒い。後胸部の背中中央には橙色の"W"字型の模様がある。他のセミに比べて体型は丸っこく、横幅が広い。複眼と前翅の間に平たい「耳」のような突起がある。また、セミの翅は翅脈(しみゃく)以外透明な種類が多いが、ニイニイゼミの前翅は褐色のまだら模様、後翅は黒地に透明の縁取りである』。『ニイニイゼミとその近縁種の抜け殻は小さくて丸っこく、全身に泥をかぶっているので、他のセミの抜け殻と容易に区別がつく。また、他種に比べて木の幹や根元などの低い場所に多い』。『北海道から九州・対馬・沖縄本島以北の南西諸島、台湾・中国・朝鮮半島まで分布する』が、『喜界島・沖永良部島・与論島には分布しない』。『日本産のセミとしては学名の記載が早かった種類で、学名 "kaempferi" は、江戸時代に長崎・出島に』商館医として『赴任したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル』(Engelbert Kämpfer 一六五一年~一七一六年:現代ドイツ語の読みでは「エンゲルベアト・ケンプファー」)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師で博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した「日本誌」の原著者として知られ、出島(でじま)の三学者の一人。因みに他の二人(やはり長崎商館医)はスウェーデン人医師で植物学者にしてリンネの弟子であったカール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg:原語発音転写では「カール・トゥーンベリ」が近い)と、知られたドイツ人医師で博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold:「シーボルト」は正確な音転写では「ズィーボルト」)である)『に対する献名となっている』。『平地の明るい雑木林に生息し、都市部の緑地などでも見られるが、幼虫が生存するには湿気を多く含んだ土壌が必要で、乾燥する公園などでは数が少ない。ただし』、『近年は都市部で復活傾向も見られる』。『地域にもよるが、成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から7月頃にかけて発生し、他のセミより早く鳴き始める。8月には少なくなり、9月にはあまり見られなくなる。地中から出てきた幼虫は、他のセミの幼虫と比較して割と木の根元付近で羽化する。成虫になるまでの時間が短く、羽化した日の夜のうちには飛行が可能になる。成虫はサクラの木によく集まり、人の手が届くような低い枝にもよく止まる。体の灰褐色と翅のまだら模様は樹皮に紛れる保護色となっていて、遠目には「木の幹に小さなこぶがある」ように見える』。『オスは翅を半開きにして「チー…ジー…」と繰り返し鳴く。鳴き始めは「チー」が数秒、急に音が高く大きくなって「ジー」、数秒』から『10秒ほどで緩やかに「チー」へ戻り、数秒後に再び「ジー」となり、鳴き終わりは「チッチッチ…」となる。日中の暑い時間帯には鳴く個体が少ないが、明るいうちはほぼ一日中鳴き、夜でも街灯などの近くで鳴くことがある。他のセミが鳴かない朝夕の薄明頃にはヒグラシと並んでよく聞こえる』。『交尾が終わったメスは枯れ木に産卵管をさしこんで産卵する。セミの卵は孵化するまでに1年近くかかる種類が多いが、ニイニイゼミの卵はその年の秋に孵化する』。『上述のように』、『ニイニイゼミは乾燥した環境に弱いセミとされてきたが、近年の増加傾向を見る限り、乾燥への耐性を徐々に身につけつつある可能性が高い。かつて、このセミは東京ではアブラゼミと並ぶ最普通種であったが、一時(90年代~2000年代前半)は極端に数を減らしていた。ちなみに、田園地帯では昔も今もごく普通のセミである』とある。You Tube 浅見氏の「ニイニイゼミの移動と鳴き声」をリンクさせておく。

「蟪蛄」「けいこ」であるが、小学館「日本国語大辞典」では、これを『ツクツクボウシ』(セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna opalifera。小泉八雲は後の「五」に出す)『をいう。夏だけ生存して春や秋を知らないところから、短命のたとえとする』などと書かれてあり、「莊子」の「逍遙遊篇一」にある、「朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。此小年也。」(「朝菌(てうきん)は晦朔(くわいさく)を知らず、蟪蛄は春秋を知らず。此れ、小年なればなり。」。「朝菌」は「朝生えて、晩には枯れる茸(きのこ)」のこと。「晦朔」はここでは「一ヶ月に晦日(みそか)と朔日(ついたち)があること」を指す)を解説して、蟪蛄は蜩(セミ亜科ホソヒグラシ族ヒグラシ属ヒグラシ Tanna japonensis)を指すとのたもうておられる御仁も莊かけるが、ニイニイゼミの中文ウィキには、バッチリ、漢名を「蟪蛄」で掲げているし、流石は大修館書店の「廣漢和辭典」、「蟪」(及び「蟪蛄」も)に『なつぜみ。にいにいぜみ』とある大谷先生、大正解です!

 

         ヒグラシ或は『カナカナ』

 

 『日を暗くす』といふ意味の名を有つた此蟬は日本の蟬類中一番顯著なものである。一番巧妙の歌手といふのでは無い。然し旋律家としてもただツクツクボウシの次位に位するだけである。他の多數の蟬はその樂(がく)を燃える日盛にだけ奏して、雨雲が日をかぎらふ折にさへ中止するのに、これは未明と日沒にだけ歌ふ特別な黃昏の樂師てある。ヒグラシは東京では通例六月の末七月の初め頃現はれる。其驚くべき――カナ、カナ、カナ、カナといふ――叫聲は、いつも高い明瞭な調子に始まつて、徐々に低うなるが、いかにも上等な呼鈴を極早く振る音に酷似して居る。亂暴に振る時のやうな、ヂヤリンヂヤリンといふ音では無くて、速くキマリがついて、兼ねてまた驚く許り淸亮[やぶちゃん注:「せいりやう(せいりょう)」。音が清らかで澄んでいること。]な音である。一匹のヒグラシを四分の一哩[やぶちゃん注:「哩」は「マイル」。約四百二メートル。]離れた處で明瞭に聞き得ると自分は思ふ。でも古昔の日本詩人也有が言つたやうに『ひぐらしは多きも八釜敷[やぶちゃん注:「やかまし」。]からず』譯者註一五である。ヒグラシの叫は、金屬の反響の如くに、力の强いそして貫通(つきとほ)す音ではあるが[やぶちゃん注:「强い」の後の句読点なしはママ。]、優雅とも思へる許り音樂的である。そしてそれには、暮れ初める時刻と調和した一種特別な悲哀な調がある。然しヒグラシの叫に關して最も驚く可き事實は、その一匹一匹の音色に特色を帶ばしめる個性である。正(まさ)しく同じ音調で歌ふヒグラシは一匹も居らぬ。十匹が同時に歌ふのを聞いて居て、一匹一匹の一音色が判然と區別の出來ることを諸君は認めるであらう。或る音色は銀の如く響き、或るものは銅の如く震ひひゞく。そして、重量と素質との異つた鐘を暗示する種々な音色のほかに、鐘の色をこんな形狀を暗示する差違すら音色に存して居るのである。

 ヒグラシといふ名は――黃昏、薄暗、朦朧の意味で――『日を暗くす』といふ意義を有つて居ることは既に述べた。ところで此の語を弄んだ――次記の例に見るやうに、その啼くのが暗黑の到來を促すと作者が信じて居る風にしての――澤山の韻文が日本に在る。

 

  日ぐらしや捨てて置いても暮るる日を  すて女

 

 或る悲哀な氣分を言ひ現はさうとした此の句は、西洋の讀者にはこじつけに思へるかも知れぬが、今一つの小詩――此聲が橫着者の良心に來たす効果に言ひ及ぼして居るの――は、ヒグラシを聞き馴れて居る人は誰れも感服するであらう。この序(ついで)に、これが初めてはつきりした聲で夕方鳴くと、鐘を突然に鳴らすと同樣に、全く人をびつくらさすことを述べてよからう。

 

  蜩や今日の懈怠をおもふ時  里桂

 

譯者註一五 その「百蟲譜」に「日ぐらしは多きも八釜敷からず。暑さは晝の梢に過ぎて夕は草に露置くころならん」とあり。

[やぶちゃん注:セミ亜科ホソヒグラシ族ヒグラシ属ヒグラシ Tanna japonensis圧倒的な文章量からも小泉八雲が蜩の音(ね)を特異的に好んだことが伝わってくる。私は幼少期から蜩の声が好きで好きでたまらない人間である。暑い夏は大嫌いだが、蜩の声だけで、それらを総て赦すという気が小さな頃から私にはあったのだ。そこには小泉八雲の謂うような、曰く言い難いある哀感が属性としてある。青年期にこの文章に触れた瞬間に私は小泉八雲と一身同体に成った気がして体が蟬が鳴くときのように、震えたのを忘れない。ウィキの「ヒグラシ」から引く。『日本を含む東アジアに分布する中型のセミで、朝夕に甲高い声で鳴く』。『日本ではその鳴き声からカナカナ、カナカナ蟬などとも呼ばれる。漢字表記は蜩、茅蜩、秋蜩、日暮、晩蟬などがあり、秋の季語にもなっている』。『成虫の体長はオス28-38mm、メス21-25mmほど。オスの腹部はメスよりも明らかに太くて長く、オスメスの区別がつけ易い。また、オスの腹腔内は大きな共鳴室が発達しているためほとんど空洞で、光が透けるほどである。体色はほとんど赤褐色だが、頭部の複眼附近、前胸の縁と背面中央は緑色をしている。ただし』、『体色は個体群によって変異することがあり、山地のものはより黒っぽくなる傾向がある』。『なお、おもにヒグラシの成虫の寄生虫としてセミヤドリガ(Epipomponia nawaiDyar, 1904)というガの一種が知られ、成虫の腹部に1匹』乃至『数匹の蛆虫型のセミヤドリガの幼虫が外部寄生していることがある。また』、『ニクバエ科の一種・ヒグラシヤチニクバエ』(ヒグラシヤドリバエ)Angiometopa cicadina Kato, 1943)『も稀にヒグラシに寄生するとされる』。『日本では北海道南部から奄美大島(原名亜種。亜種イシガキヒグラシは下記参照)と、ほぼ全国の範囲に生息する。日本以外では中国大陸に分布(朝鮮半島には分布しない。かつて記録されたことがあったが、現在は誤記録とされる)。広葉樹林やスギやヒノキの林に生息し、北海道から九州北部では平地から山地まで見られるが、九州南部以南ではやや標高の高い山地に生息する』。『俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミのイメージがあるが、実際には(地域にもよるが)成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から7月にかけて発生し、ニイニイゼミと同じく、他のセミより早く鳴き始める。以後は9月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができる』。『オスの鳴き声は甲高く、「キキキキキ…」「ケケケケケ…」「カナカナカナ…」などと聞こえる。標準的な聞きなしとしては「カナカナ」が使われる。日の出前・日の入り後の薄明時によく鳴くが、曇って薄暗くなった時、気温が下がった時、または林内の暗い区域などでは日中でも鳴く。夕方の日暮れ時に鳴く(稀に夜中の2時ぐらいにも鳴くことがある)ことから、「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついた。また奄美大島産は鳴き声が本土産と多少異なるが、後述のイシガキヒグラシほどではない』。『朝夕に響く声は涼感や物悲しさを感じさせ、日本では古来より美しい声で鳴くセミとして文学などの題材にも使われてきた。テレビ番組などでも「夏の夕暮れ」を表す効果音としてこの鳴き声がよく用いられる。しかし間近で聞く声はかなり大きく、遠くで聴く「物悲しい印象」とは異なるともいう』。『イシガキヒグラシ(石垣蜩) Tanna japonensis ishigakianaKato, 1960)』は『石垣島と西表島に分布するヒグラシの亜種。分布が局所的で、環境省レッドリストで準絶滅危惧(NT)、さらに石垣島の個体群は沖縄県レッドデータブックで絶滅のおそれのある地域個体群(LP)に指定されている。オスの鳴き声は「キーンキンキンキンキキキキキ…」と聞こえる。基亜種ヒグラシよりも鳴き声が金属音的で、しり上がりにテンポが速くなる』とある。因みに私は一年中、長いパソコンの作業にはYou Tube TOMOKI Nature Sounds & Landscapes の「【作業用BGM】ひぐらしの鳴き声1時間/Nature sound healing music」を流すのを常としている。……亡くなったアリスと幻影の散歩をしながら……聴いている…………

 なお、日本人と本種「ひぐらし」の付き合いは永い。「万葉集」には蟬は題に二つ、和歌本文では以下の一首にしか出ない(巻第十五・三六一七番)。遣新羅使一行の道中吟詠の一首で、大石蓑麿(おおいしのみのまろ)の作(同巻目次冒頭に『天平八年丙子(へいし)[やぶちゃん注:七三六年。]の夏六月、使(つかひ)を新羅國に遣はしし時に、使人等(つかひひとら)の、各々、別れを悲しびて贈答し、また海路(うなぢ)の上(ほとり)にして旅を慟(いた)み、思ひを陳(の)べて、幷(あは)せて、所に當りて誦詠(しようえい)せる古歌) 一百四十五首』とある)。前書は『安藝國の長門の島にして礒編(いそへ)に舶泊(ふなはて)して作る歌五首』の冒頭。

   *

 石走(いはばし)る瀧もとどろに鳴く蟬の

    聲をし聞けば都し思ほゆ

   *

であるのに対して、蜩(ひぐらし)を歌った歌は実に九首を数えるのである。まず巻第八(一四七九番)

   *

   大伴家持の晩蟬(ひぐらし)の歌一首

 隱(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰さまむと

    出で立ち聞けば來鳴(きな)く晩蟬

   *

巻第十に四首(一九六四・一九八二・二一五七・二二三一番。纏めて示す)

   *

   蟬を詠める

 默然(もだ)もあらむ時も鳴かなむ晩蟬の

    もの思ふ時に鳴きつつもとな

   蟬に寄せたる

 晩蟬は時と鳴けども戀ふるしに

    手弱女(たわやめ)我は時わかず泣く

   蟬を詠める

 夕影に來鳴く晩蟬幾許(ここだく)も

    日ごとに聞けど飽かぬ聲かも

   風を詠める[やぶちゃん注:前の歌の前書だが、ここに配してよかろう。]

 萩の花咲きたる野邊にひぐらしの

    鳴くなるなへに秋の風吹く

   *

巻第十五に三首(三五八九・三六二〇・三六五五番。同前)。三六一七番と同設定。

   *

 夕さればひぐらし來鳴く生駒山(いこまやま)

    越えてぞ吾(あ)が來る妹(いも)が目を欲(ほ)り

[やぶちゃん注:右は秦間滿(はたのはしまろ)の作。]

 戀繁(しげ)み慰さめかねてひぐらしの

    鳴く島陰に廬(いほり)するかも

[やぶちゃん注:三六一七番の前書の内の一首。]

 今よりは秋づきぬらしあしひきの

    山松蔭(やままつかげ)にひぐらし鳴きぬ

[やぶちゃん注:三六五二番の『筑紫の館(たち)に至りて遙かに本鄕(もとつくに)を望みて、悽愴(いた)みて作る歌四首』の内の一首。]

   *

巻第十七の『八月七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持の館(やかた)に集ひて宴(うたげ)せる歌』の中の一首(三九五一番)。作者は大目(だいさくわん)[やぶちゃん注:四等官。]秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)。

   *

 ひぐらしの鳴きぬる時は女郞花(をみなへし)

    咲きたる野邊を行きつつ見べし

   *

この数を見ても、蜩が既にして万葉人の哀感に如何に共鳴した声であったかが判る(但し、万葉学者の中には広汎な蟬類を万葉集の「ひぐらし」と同義とする、則ち、「ひぐらし」=「蟬」=現在の全セミ類と解釈する非博物学的な暴挙をぶち上げている輩も多い)。なお、こうして見ると、「蟬」として詠まれた巻第十五の三六一七番歌は、文字数の違いとは言え、同設定で読まれた「ひぐらし」とは一線を画すものと私には見える。「石走(いはばし)る瀧もとどろに鳴く蟬」の声と蜩の声とは、どうも私には同一のものには思われないからである。瀧の音は「カナカナ」ではない。寧ろ、アブラゼミやクマゼミに相応しい。因みに、個人ブログ「古事記・日本書紀・万葉集を読む」の「万葉集3617番歌の「蝉」はツクツクボウシである説」は、詳細な検討を成された上で、『3617番歌の「蝉」は、ツクツクボウシのことで、都の井戸滑車の「蝉」を彷彿とさせて歌った歌であることを語学的に証明した』と結語されておられる。非常に興味深い(が私は俄かには賛同しかねる)ので読まれたい。

「也有」横井也有(よこいやゆう(歴史的仮名遣「よこゐやいう」) 元禄一五(一七〇二)年~天明三(一七八三)年)は江戸中期の俳人。通称、孫右衛門。本名、時般(ときつら)。別号に野又(やゆう:この場合は歴史的仮名遣もそのまま)・蓼花巷(りょうかこう)・知雨亭(ちうてい)・半掃庵(俳号)、暮水(ぼすい:和歌名)、蘿隠(らいん:漢詩名)、螻丸(けらまる:狂歌名)などを使い分けた。名古屋の人。横井家は尾張藩の名門で、也有十六歳の享保二(一七一七)年から六年間は第六代藩主徳川継友(つぐとも)の御近習詰(ごきんじゅづめ)を勤めている。享保十二年、二十六の時に父が他界し、家督知行一千石を継承して普請組寄合となる。三年後には御用人となり、初めての江戸勤番に出、四十歳で大番頭兼御用人となる。のちに寺社奉行も兼務した。多趣味多芸で、平家琵琶・謡曲・書画・詩歌・狂歌にも通暁していた。さらに武道にも精通しており、謙信流の兵法にまで及んでいた。俳諧は、祖父が太田巴静(はじょう)の父貞静と同じ季吟門であった関係上、祖父の指導を得てさらに巴静と交流していった。基本的に十五歳で自学自習を始め、一家言を持つに至った人である。仕官の時代から、暇さえあれば、句作や文章執筆に専念したが、職務には忠実で、勤めと趣味の区別は厳然としていた。宝暦四(一七五四)年五十三歳の時に致仕し、気の合った下男の石原文樵と二人きりの小さな別宅知雨亭(ちうてい)で、悠々自適の生活を送った。宝暦(元年は一七五一年)から次の明和(末年は十年で一七七二年)にかけて、也有の名は全国に響くようになり、江戸の大島蓼太、越前三国の遊女歌川らが来訪する一方、「去来問答評」では森川許六を批判し、「こだま草」では涼袋(建部綾足)批判を展開するなど、指導的役割も果たした。也有の俳諧活動は、必ずしも俳壇動向に敏感に反応するようなものではなかったが、同郷の加藤暁台(きょうたい)を庇護支援することによって、俳諧中興復古に参加した。その作品は平明且つ軽妙。著述は多く、発句集「羅葉集」「蟻づか」、俳論「管見草(くだみぐさ)」などの俳諧関係書や、若衆「蘿窓集」・漢詩文集「蘿隠編」、狂歌集「行々子(ぎょうぎょうし)」などもある。しかし、俳諧史に輝く俳文集「鶉衣(うずらごろも)」(前編は江戸開板で天明七(一七八七)年。私の愛読書である)こそが也有の真骨頂を示すものと言える。蕉風の俳文と異なり、軽妙な俳趣に富む点を特徴とする(以上は主文を「朝日日本歴史人物事典」に拠ったが、一部を私が追加をした)。

「百蟲譜」は「鶉衣」の「前編下」に載る。ここではその「蜩」(所持する二〇一一年岩波文庫刊堀切実校注の「鶉衣」では「日ぐらし」)とその前にある「蟬」を示す。近い将来、この也有の「百蟲譜」全体(短いものである)を電子化したいとは思っている。底本には国立国会図書館デジタルコレクションの志田義秀(ぎしゅう)著「花鳥虫魚百譜詳釋」(明四五(一九一二)年辰文館刊)に所収する正字版を用いた。「蟬」はここ「日ぐらし」はここ順序を原本に合わせて「蟬」「蜩」で示す。なお、この二つは繋がっておらず、この間に無関係な(旧暦五月で「蟬」に連関して挿入し、同じ蟬で繋がる平板さに変化をもたせたものであろう)「螢」が入る。それぞれに簡単な注を附した。〔 〕は私が添えた読み(堀切版を参考にした)で、一部に読点・記号を施した。踊り字「〱」は正字化した。

   *

蟬はたゞ五月晴(さつきばれ)に聞き初〔そ〕めたるはどがよきなり。やゝ日ざかりに鳴きさかる比〔ころ〕は、人の汗しぼる心地す。されば、「初蝶(はつてふ)」とも「初蛙(はつかはづ)」とも、いふことを聞かず。此者ばかり、「初蟬(はつせみ)」といはるゝこそ、大きなる手柄〔てがら〕なれ。『やがて死ぬけしきは見えず』と、此も者の上〔うへ〕は、翁〔をう〕の一句に盡きたりといふべし。

   *

『「初蝶(はつてふ)」とも「初蛙(はつかはづ)」とも、いふことを聞かず』の部分について、底本の志田氏の評釈に、『作者は斯く云うへど、初蝶、初蛙など全く云はざるにあらず。「夫木抄」に家隆の歌にて、「尋ね來るははかなき羽にも匂ふらん軒端の梅の花の初蝶』と詠めるものあり。又俳句にても、作者と殆ど同時代の白雄の句に、「初蛙水には啼かぬ夜聲なり」、「初蝶の小さく物に紛れざる」など作れるものあり。唯大體に於いて少き方なれば、斯く言へるのみ』とあり、堀切氏も『蛍布の「初蛙きはめて遠く聞く夜かな」』を引いている。

「やがて死ぬけしきは見えず」言わずと知れた、松尾芭蕉の名句。元禄三(一六九〇)年夏、幻住庵にて加賀の秋の坊が訪れ、翌日辞してる折り、山の麓まで芭蕉が見送った際に与えた句とする。これは「猿蓑」所収の句形で、

 頓(やが)て死ぬけしきは見えず蟬の聲

「卯辰集」(楚常編・北枝補・奥書元禄四年)では、

   無常迅速

 頓てしぬけしきも見へず蟬の聲

(「見へ」はママ)で載る。「やがて」は言わずもがな、「間もなく」の意。無常に添加する係助詞「も」より、取り立ての係助詞「は」がやはり遙かに良い。なお、この句は本篇のコーダにしっかり用いられている

   *

「蜩(ひぐらし)」は、多きも、やかましからず。暑さは晝の梢に過ぎて、夕〔ゆふべ〕は草に露をく比ならん。「つくつくぼうし」といふせみは、「つくし戀し」ともいふ也。『筑紫の人の旅に死して此〔この〕者になりたり』と、世の諺にいへりけり。哀れは、蜀魄〔しよくはく)〕の雲に叫ぶにも劣るべからず。

   *

「をく」「つくつぼうし」の表記はママ。「つくし戀し」はツクツクボウシのオノマトペイアの掛詞的地方異名。堀切氏の注に『『物類称呼』に「近江のつくしこひし」云々』とあり、近江地方の方言か』とあり、底本の志田氏の評釈もそれを挙げ、「つくしよし」の異名も掲げて、よく考証されている。必見。「蜀魄〔しよくはく)〕の雲に叫ぶ」は堀切氏の注に、『蜀』(?~紀元前三一六年に秦に滅ぼされた古蜀)『の望帝』(第四代君主とする)『は譲位後、再び位にとこうと』野心を再燃させたが、『失敗して死に、その魂はほとぎすとなって悲しげに鳴いたという。「蜀魄」は』鳥のホトトギスのことで、宋代の『『太平寰宇記』巻七十二「剣南西道」「益州」の条に「蜀之(の)後王、名は杜宇(とう)、望帝と号す。位を鼈霊(べつれい)に譲る。望帝自ら逃(に)ぐ。後位に復せんと欲するも得ずして死す。化して鵑(ほととぎす)と為(な)る。春月間毎に、昼夜悲鳴す。蜀人之を聞いて曰、我望帝の魂なりと」』とある。但し、中文サイトの「太平寰宇記」の同パートを調べた限りでは、少し違う。そこに出るのは、ウィキの「望帝杜宇」にでる伝承の一つである。ただ、この伝承、偽作や変形ヴァージョンが多いらしいので、堀切氏の注のそれがすっきり判って、私は、よいと思う。

「日ぐらしや捨てて置いても暮るる日を」「すて女」ここで言っておかねばならないが、「蜩」は、昔も今も、季題は秋である。こんな馬鹿な話はない。これだから、守旧派は嫌いなんだ。私は大の蜩好きで、今年の初音も聴き逃さない。概ね、早い場合は、五月の下旬に、遅くとも六月には鳴くのだ! 

「捨女」田捨女(でんすてじょ 寛永一一(一六三四)年~元禄一一(一六九八)年)は女流歌人・俳人。ウィキの「田捨女」によれば、『氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく』、『女流歌人の名に添える接尾辞である。法名は貞閑で、貞閑尼とも呼ぶ』。『丹波国氷上郡柏原藩(現在の兵庫県丹波市柏原地域』『)に、柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した』。六歳の時の作とされる、彼女の最も知られた句。

 雪の朝二の字二の字の下駄の跡

『という俳句を詠み、周囲にその才を認められる。後に北村季吟に師事』した』。延宝二(一六七四)年四十歳の時、『夫が死去したため』、『髪を下ろし』、『妙融と号した。この頃にはすでに貞門女流六歌仙の』一『人として著名であった』。『その後』、『子供らの独立を見届けた後、京都で俳諧・仏道などの修行を重ねた後』、元禄元(一六八八)年、『播磨国の天徳山龍門寺の傍らに「不徹庵」という庵を構え、貞閑と改名。その地で後進の指導に当たった』とある。私の好きな句を挙げると、

 水鏡見てよまゆかく川柳

 ぬれ色や雨のしたてる姬つゝじ

である。なお――蜩の名句――と言ったら、私は断然、その声に視覚の思い切った動きと景観のワイドさがぐっと絡まる、小林一茶の文化六(一八〇九)年の作、

 日ぐらしや急に明るき湖(うみ)の方(かた)

を挙げるに、躊躇しない。

「蜩や今日の懈怠をおもふ時」「里桂」懈怠「けたい」。一般名詞としては、近世までは「けだい」と読み、「怠惰」の意であり、句の表向きはその意でよいが、恐らくは字背に仏語としての「善行を修めるのに積極的でない心の状態」、則ち、精進の対義語としての意味があり、それも匂わせてこそ俳句としての良さが出るし、蜩の晩鐘のようなその声を重ねる以上は、是が非でも「けたい」で読むべきである。「里桂」は不詳。ただこの句、句柄をみるに、幕末から明治初期の近代俳人ではないかとも思われ、もしそうなら、明治一五(一八八二)年に発行された加藤東岡編「明治新撰俳諧姿見集」に「里佳」の俳号を見出せはした(調べたところ、熊谷在の俳人である)。

 最後に。知られた芭蕉の立石寺(山寺)の傑作、

 閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蟬の聲

の蝉の種については、長く論争があった。アブラゼミ説(斎藤茂吉。但し、後に以下の小宮から批判されて撤回)・ニイニイゼミ説(小宮豊隆)があり、ニイニイゼミ説が文学界では主流派のようである。しかし、芭蕉が立石寺に着いたのは元禄二年五月二十七日で、これはグレゴリオ暦で一六八九年七月十三日である。到着は午後二時過ぎであるが、それから麓の坊に宿を借り、やおら、寺に上ったのである。既に七月中旬に近いしかも夕暮れにかからんとする時刻であった。この頃、山形で蟬声を聴き得る可能性のある蝉としては、ニイニイゼミやアブラゼミの他に、ヒグラシ・エゾハルゼミ(セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ属エゾハルゼミ Terpnosia nigricosta)がおり、エゾハルゼミの声にはやや色気を感じはするが、ニイニイゼミやアブラゼミなんぞの騒々しい「音」は、とても芭蕉自身の姿さえ掻き消した静謐寂寞の幽界の石に貫入する「声」には相応しくない。私は断然、芭蕉が聴いたのはヒグラシでなくてはならないと考える人間である。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 37 立石寺 閑さや岩にしみ入る蟬の聲』も参照されたい。]

 

         ミンミンゼミ譯者註一六

 

 ミンミンゼミは大暑の頃鳴き出す。ミンミンといふ綴音を――初めは緩やかに且つ甚だ聲高く、後、倍々速かに且つ倍々聲和らかに、終には聲音がヴーンンといふやうな音に消え去る迄――反覆するのに、卽ちミンーミンーミンーミン、ミン、ミン、ミン、ミン、ミン、ズズズズズといふに似て居るので――ミンミンと稱せられて居るのである。その音は悲哀な調を帶ぴて居るが、不快では無い。往々僧侶が經文を誦する聲にたぐへられて居る。

譯者註一六 メンメンともヤマゼミとも呼ぶ。

[やぶちゃん注:セミ亜科ミンミンゼミ族ミンミンゼミ属ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis ウィキの「ミンミンゼミ」から一部を引く。『成虫の体長は33-36mmほど。幅が狭い頭部と太くて短い腹部をもち、太く短い卵型の体型をしている。ただし翅が体に対して大きく、翅を含めるとアブラゼミとほぼ同じ大きさになる。体色は胸部と腹部の境界付近が白いが、他は黒地の地に水色や緑色の斑紋があり、日本産のセミとしては比較的鮮やかな体色をしている。黒斑部がほとんどなく青緑色主体の個体もおり、これらはミカドミンミンと呼ばれる。抜け殻はつやがなくアブラゼミと同じくらいの大きさ』。『また、このセミはアブラゼミやニイニイゼミなどとは異なり、ヒグラシやエゾハルゼミと同じく森林性である。東京23区や横浜市、仙台市などでは例外的に街中でもミンミンゼミが数多く生息するが、その理由については後述する』。『ミンミンゼミは、アブラゼミやクマゼミと比べると暑さに弱い、とする仮説がある』。『愛知県では、名古屋市など夏の暑さが非常に厳しい地域ではこのセミがほとんど生息していない。その一方、知多半島南部や渥美半島西部など、夏に涼しい海風が卓越し最高気温の上昇が抑えられる地域には多数生息している。中でも特に涼しい伊良湖岬(渥美半島の先端部)では、生息密度が非常に高い。加えて西三河の豊田市を例に見ると、やはり似たような傾向が見られる。豊田市の中心部など、海抜の低いところではほとんど生息していないが、豊田市の山間部(旧足助町や旧稲武町など)では多数生息している。なおアブラゼミやクマゼミにはこのような地域によっての偏在傾向はなく、名古屋市中心部でも毎年多数発生しておりごく普通に見ることができる』。『鹿児島県では、市街地には全く生息していないが』、『海沿いの鬱蒼とした樹林には局地的に多数生息している。これに関しても、日中に海風が入り涼しい所を好んで棲んでいることがうかがわれる』。『このように、ミンミンゼミは暑さを好まず涼しい環境を好む傾向の強いセミである』。『しかし、これらの事実だけをもって「ミンミンゼミは暑さに弱い」と断定すべきではない。たとえば、夏の暑さが東京より厳しい松江市(しかもその暑さの程度は年々厳しくなっている)で、後述のようにミンミンゼミの生息数が昔と比べて増加しているという事実もある。これは上記の仮説とは明らかに逆行する事実である』。『夏期の最高気温が高温となりやすい甲府盆地では、体の黒味がほとんどないミカドミンミンの発生確率がかなり高い。黒は熱や光を吸収する色であるが、その黒地がほとんどない甲府盆地のミンミンゼミは、同盆地の夏の高温に対する耐性を身につけたタイプであると言われる』。『逆に、真夏でも涼しい北海道のミンミンゼミ(江差町など主に道南に生息する)は、むしろ体の黒味が標準型より強い個体がほとんどである。また特に、ロシアの沿海州地方に生息するミンミンゼミの多くはほぼ全身が真っ黒(羽は除く)という異様な体色をしている』。『このようにミンミンゼミは、生息する地域の夏の暑さによって自らの身体の色を調節している、という説がある。現に、甲府盆地のように暑さの厳しい地域では黒地のほとんどないミカドミンミン型、東京都心部や山形市のように暑さが中程度の地域では黒と緑が適度に混ざった標準型、そして北海道やロシア沿海州のように涼しい地域では黒地の部分の割合が高い黒化型が多く見られ、こうした地域変異が起こる理由は以上の通り説明可能である』。『ただし、このミカド型ミンミンは、夏の暑さがとりたてて厳しくない特定の地域においても局所的に多発することが知られている。具体的には、山形県の飛島、新潟県の粟島がその代表例である。飛島ではとりわけミカドミンミンの発生確率が高い(全体の1割強)が、いずれの島も夏の気温は低めで過ごしやすい』。『このため、「ミカドミンミンの発生と夏の気温との関係は無い」とする説も有力である』。『ミンミンゼミは傾斜地の樹木に生息することが多い。東京23区内でも、ミンミンゼミが多いのは傾斜地の公園であり、平坦な公園では少なくアブラゼミが主流となっている』。『これは、ミンミンゼミの幼虫が傾斜地における土中を好んで生息するためである。後述のようにミンミンゼミの幼虫はやや乾燥度の高い土中を好むのであるが、傾斜地における土も日中は太陽の光が当たりやすく、高温乾燥状態となりやすいためこのセミにとっては良好な環境である。そして、乾燥した土を好むというこのような幼虫の性格を見越し、ミンミンゼミの成虫(メス)は傾斜地における木を選んで卵を産み付けるのである』。『なお、ミンミンゼミがもともと低山帯の谷沿いに多く生息していて尾根沿いでは少ないのも、上述と同じ理由による。谷沿いは尾根沿いと比べて高温乾燥状態となりやすいため、谷沿いに繁殖しやすい』。『日本国内では北海道南部から九州、対馬、甑島列島に分布する。このうち、北海道・屈斜路湖の和琴半島にあるミンミンゼミ生息地が分布北限とされ、1951年に国指定の天然記念物に指定された(「和琴ミンミンゼミ発生地」)』。『大陸では、韓国や中国華北に生息し市街地にも生息する。鳴き声は、日本産のミンミンゼミとはやや異なり、冒頭の「ミーン」がなくいきなり「ミンミンミンミンミー」となる(セミの方言)。また、対馬産のミンミンゼミの鳴き声もこれとよく似ており、東京周辺のミンミンゼミの鳴き声とは幾分異なっている。なおツクツクボウシも、日本産と大陸産とでは少し鳴き声が異なる』。『韓国ではスジアカクマゼミと並んで普通のセミで、日本と比べると』、『地域的な生息数差は小さく国内のどこでも一定数の鳴き声が聞かれる。ソウル中心部でも、緑地帯では夏になると』、『このセミの声がたくさん聞かれる。中国では、北京や大連などで多く、特に大連では非常に多い』。『日本のミンミンゼミは土地の気候条件によって分布する範囲が限定されやすい。そのためアブラゼミをはじめとする他のセミと比べ、非常にいびつな分布をしている。分布決定にはもちろん、他の原因(異種間の棲み分け・植生・土壌の湿度等)が絡むこともあるが、とりわけ重要な決定要因として気候があげられる。もっともこれはミンミンゼミに限らずほぼ全ての昆虫において見られる傾向であるが、とりわけミンミンゼミにおいてはこの傾向が強く見られる。これは、気候の変化に対するミンミンゼミの感度が強く、繊細な昆虫であることを意味する』。『このセミは本来は森林性の昆虫であるが、前述のように東京都心部・横浜市や仙台市などでは中心オフィス街の街路樹でも普通に鳴き声が聞こえる』。『その理由は以下のとおりである。つまり、ミンミンゼミの幼虫は比較的乾燥した土中を好み、成虫はケヤキやサクラなどの樹木を好む。ヒートアイランド現象によって乾燥化が進んでいる東京都心部や仙台市中心部ではミンミンゼミの幼虫の成育に好ましく、またケヤキ・サクラなどの街路樹も多いので成虫となったミンミンゼミにとっても生活しやすい環境である。さらに、北東気流(やませ)の影響で夏に曇りがちの涼しい天候となりやすい東京や仙台の気候も、高温を嫌い、暑さに比較的弱いこのセミの生息数増加に大きく影響している』。『北関東平野部でミンミンゼミが少ない原因として、この地方では夏の猛暑日日数が東京や横浜と比較して多いことが挙げられる。一方、青森市や盛岡市のような北東北太平洋側でこのセミが少ないのは、北関東とは逆にこの地方の夏の気候がミンミンゼミにとって涼しすぎることが挙げられる』。『ミンミンゼミの鳴き声は、ヒグラシと同様に日本のドラマ、アニメなどの効果音としても頻繁に使用されており、夏の風物詩として知られているが、その生息分布は東日本太平洋側が中心である』。『東日本日本海側や西日本のミンミンゼミは山地に生息しており、平地や人口の多い都市には基本的に生息しておらず、鳴き声を聞く機会は非常に少ない。これに代わって平地や都市部ではアブラゼミやクマゼミの生息数が多いため、ミンミンゼミに代わってこれらのセミの鳴き声が夏の風物詩となっている』。『なお、北海道や青森県の市街地では夏にセミ自体の声が極めて少ないため、セミは夏の風物詩にはなっていない』。『夏の風物詩ミンミンゼミのオスは午前中によく鳴き、鳴き声は大きな声で、人間の耳ではっきり聞き取れる。標準的な聞きなしとしては「ミーン・ミンミンミンミンミー…」などであり、この鳴き声を繰り返す。この「ミン」という鳴き声は、三回ぐらいのときもあれば、五、六回以上続くときもある。東日本太平洋側では身近なセミなので、テレビ番組などでも「夏の日中」の効果音としてこの鳴き声がよく用いられる。しかし上述のように東日本日本海側や西日本の平野部にはミンミンゼミがほとんどいないので、安易なミンミンゼミの登場には違和感を覚える人もいる』とある。]

 

Plate5

        PLATE V.

1,“Tsuku-tsuku-Bōshi,” also called Kutsu-kutsu-Bōshi,”etc.  (Cosmopsaltria Opalifera?)

2, Tsurigané-Zémi.

3, The Phantom.

[やぶちゃん注:訳す。

       第五図版

1 「ツクツクボーシ」、或いは「クツクツボーシ」、等々とも呼ぶ。(学名コスモプサルトリア・オパリフェラ Cosmopsaltria Opalifera のことか?)

2 「ツリガネゼミ」。

3 ファントム(幻しのような見かけ上の形影)。

「クツクツボーシ」の後のコンマは外に読点で出した。Cosmopsaltria opalifera (Matsumura, 1907) は、セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna opalifera (Walker, 1850) のシノニムであるから、小泉八雲の謂いは正しい。「2」は「釣鐘蟬」。由来は小泉八雲が本文(「八」)で書いてはいる。しかし、当該項でも記すが、これは現在の如何なる種なのか、私には同定比定が全く出来ない。これを特定種としたネット記載もどこにもないのである。困った。しかし、ここに図は載る。インセクターのセミの御専門の方なら、この絵で種を同定出来るのではないか? もし種を指示出来る方がおられれば、是非とも、お教え願いたい。“Phantom”は「幻・幻影」「幽霊・お化け」で、言わずもがな、「蟬の抜け殻」を指す。但し、英語では通常は“Cicada shell”で、小泉八雲独特のゴシック・ホラーのような洒落たキャプションと言えるのではないかと思い、敢えてかく意訳を添えておいた。]

 

         ツクツクボウシ

 

 日本の舊曆(自然の變化と表現とに關しては比較にならぬ程西洋曆よりも精確なもの)に據って言つて、死者の祭日のすぐ後にツクツクボウシは歌ひ出す。この蟬は鳥のやうに歌ふと言つてよろしい。ツクツクボウシとも、チヨコチヨコウイスとも、ツクツクホウシとも呼ばれて居る、――いづれも擬音的命名である。その歌の響は種々な作家に色々に模擬されて居る。出雲では普通の解釋は、

 

    ツク、ツク、ウイス

    ツク、ツク、ウイス

    ツク、ツク、ウイス――

      ウイ、オオス

      ウイ、オオス

      ウイ、オオス

      ウイ、オオス、ススススススス

 

 他の解釋では、

 

    ツク、ツク、ウイス

    ツク、ツク、ウイス

    ツク、ツク、ウイス――

      チイ、ヤラ

      チイ、ヤラ

      チイ、ヤラ

      チイ、チ、チ、チ、チ、チイイイ。

 

ところが或る人は、この音はツクシコヒシだと言ふ。古昔筑紫(九州の古名)の人が遠國で病氣の爲め死んで、その魂魄が一匹の秋蟬となつたもので、それてツクシコヒシ、ツクシコヒシ(『筑紫慕はし! 筑紫見たし!』)と絕え間無しに叫ぶのだといふ傳說譯者註一七がある。

 

 早出の蟬が一番聞き苦しい一番單純な音を出すといふのは奇妙な事實である。音樂的な蟬は夏までには出て來ぬ。そして就中最も複雜な最も瞭喨[やぶちゃん注:「れうりやう(りょうりょう)」。音が明るくすっきりとして、しかも冴え渡って鳴り響くさま。]たる聲を發するツクツクボウシは成育の最も遲いものの一つである。

譯者註一七 也有の「百蟲譜」に「つくつくほうといふせみはつくし戀しともいふなり。筑紫の人の旅に死して此物になりたりと世の諺にいへりけり。哀は、蜀魂の雲に叫ぶにも劣るべからず」とあり。

[やぶちゃん注:「筑紫慕はし!」の後の字空けは底本にはない。特異的に私が挿入した。

 セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna opalifera ウィキの「ツクツクボウシ」より、一部を引く。南西諸島と小笠原諸島には以下の同属の固有種が四種が棲息する。孰れも本土のツクツクボウシによく似た形態ではあるが、鳴き声はそれぞれ有意に異なり、一一月・一二月でも、まだ鳴き声が聴こえることがある。

クロイワツクツク Meimuna kuroiwae(『大隅半島南部から沖縄本島まで分布するが、与論島には分布しない。また、指宿市や鹿児島市からの記録もある』。『成虫は7月から11月まで発生する。オスの鳴き声は「ジジジジ…」に、数秒ごとに「ゲッ!ゲッ!」という短い声が2回入る。鳴く時間帯は主に午前中で、ツクツクボウシとは異なる』)

オオシマゼミ Meimuna oshimensis(奄美大島・請島・徳之島・沖縄本島(沖縄市以北)・『久米島に分布し、名前は奄美大島に由来する。成虫は8月下旬から11月まで発生する。オスの鳴き声は「ジジジジ…」の合間に「カン!」という甲高い声が入る』)

イワサキゼミ Meimuna iwasakii(西表島・石垣島・台湾に分布。『成虫は7月下旬から12月下旬まで発生する。オスの鳴き声は「ジジジジジ…」と鳴き始め、声を大きくしながらハルゼミに似た「ジーッ・ジーッ・ジーッ」を十数回繰り返し、「ジジジジジ…」と尻すぼみに鳴き終わる』)

オガサワラゼミ Meimuna boninensis(小笠原諸島の父島・母島・弟島に『分布するが、クロイワツクツクに似るため』、『南西諸島から移入されたのではないかとする説もある。成虫は5月から12月まで発生する。小笠原の固有種として1970年に天然記念物に指定されたが、外来種として侵入した』トカゲの一種グリーンアノール(爬虫綱有鱗目トカゲ亜目イグアナ下目イグアナ科アノールトカゲ亜科アノールトカゲ属グリーンアノール Anolis carolinensis)に『捕食され、個体数が激減している』)

『晩夏から初秋に発生するセミで、特徴的な鳴き声をもつ。ツクツクホーシ、オーシンツクと呼ばれることもある』。『成虫の体長は30mm前後で、オスの方が腹部が長い分メスより大きい。頭部と前胸部は緑色で、後胸部の中央にも"W"字型の緑の模様があるが、他の後胸部と腹部は黒色が多い。また、オスの腹側の腹弁は大きく、縦長の三角形をしている。外見はヒメハルゼミやヒグラシに似るが、頭部の横幅が広く、腹弁が大きいことで区別がつく』。『抜け殻は小型で前後に細長く、光沢がない淡褐色をしている』。『北海道からトカラ列島・横当島』(よこあてじま)『までの日本列島、日本以外では朝鮮半島、中国、台湾まで、東アジアに広く分布する』。『平地から山地まで、森林に幅広く生息する。地域によっては市街地でも比較的普通に発生する(盛岡市など)が、基本的にはヒグラシと同じく森林性(湿地性)であり、薄暗い森の中や低山帯で多くの鳴き声が聞かれる。この発生傾向は韓国や中国でも同様である。成虫は特に好む樹種はなく、シダレヤナギ、ヒノキ、クヌギ、カキ、アカメガシワなどいろいろな木に止まる。警戒心が強く動きも素早く、クマゼミやアブラゼミに比べて捕獲が難しい』。『成虫は7月から発生するが、この頃はまだ数が少なく、鳴き声も他のセミにかき消されて目立たない。しかし他のセミが少なくなる8月下旬から9月上旬頃には鳴き声が際立つようになる。9月下旬にはさすがに数が少なくなるが、九州などの西南日本では10月上旬に鳴き声が聞かれることがある。なお、後述のように八丈島や岡山・長崎では7月上旬から鳴き始めることが知られている』。『ツクツクボウシはアブラゼミやニイニイゼミと比べて冬の寒さに弱いので、元来北日本では川沿いのシダレヤナギ並木など局地的にしか分布していなかった。しかし近年、盛岡や仙台においてこのセミが増えつつある。特に盛岡ではアブラゼミが激減している(仙台でもかなり減少している)が、ツクツクボウシは逆に増えている。これは気候変動が原因と考えられるが、生態学的に優位な立場にあるアブラゼミの数が減ったことで、ツクツクボウシが繁殖しやすくなったという原因もある』。『八丈島では、セミはツクツクボウシ一種しか生息しておらず、ひと夏中ずっと鳴いており』、『個体数も非常に多い。八丈島はツクツクボウシの楽園である』。『八丈島では7月上旬(年によっては6月下旬)、対馬でも夏の初めから現れる。その一方で本土では、岡山市や長崎市など特定の地域を除くと夏の終わりを象徴する昆虫とされている(岡山や長崎などでは近年は夏の初めから鳴きだすことが知られている)。捉え方を変えればアブラゼミなど他の大型のセミが数を減らしてから個体数が増すということである。以上のことからツクツクボウシは、アブラゼミなどとは時期的な棲み分けをしていると推察される』。『岡山・長崎などでのツクツクボウシの早鳴きについては、現在原因を解明中である。気候だけでなく、上述のように他種のセミとの関係も関わっている可能性が大きい』。『ツクツクボウシは東京などでは一般に晩夏のセミとされており、実際にそうなっているが、本来このセミはむしろ「夏の初めから現れるセミ」としての性格が強い。東京でも、夏の初めにツクツクボウシの声を聞く機会が少しずつ増えてきている。こうした傾向の原因が地球温暖化にあるのかどうかは不明である』。『オスは午後の陽が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まる。最初の「ボーシ!」が聞き取りやすいためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク…」と逆に表記することもある。以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返しながらだんだん速度が早くなり、「ウイヨース!」などと表現される鳴き方を数回繰り返したのちに、最後に「ジー…」と鳴き終わる』。『また、1匹のオスが鳴いている近くにまだオスがいた場合、それらのオスが鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し声を挙げる。合唱のようにも聞こえるが、これは鳴き声を妨害しているという説がある』。『大陸産のツクツクボウシの鳴き声は、日本産のものと比べて少し異なる(セミの方言)。またミンミンゼミも同じくやや異なっている』(引用元に音声ファイルが二種ある)とある。

 因みに。私はツクツボウシと言えば、もう、梅崎春生の事実上のデビュー作にして名品である「桜島」(リンク先は私のサイトの全注釈一括β版PDF)を想起せずにはいられない。特に、この『此の、つくつく法師の声を聞きながら、死んで行ったに違いない!』のシークエンスである(後者のリンク先は私の全注釈版分割ブログ版の『梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注(8)』)。

『也有の「百蟲譜」に……』「五」で既出既注。「蜀魂」はママ。大谷の引用の誤りの可能性が高い。本邦では「魂魄」で霊魂だから問題はないが、中国の陰陽説では、人は死ぬと、陽気である「魂」が空中へ向かい、陰気である「魄」地下(この地上)に留まるとされたので、原典の伝承から考えると、「魄」でないとおかしい。]

 

         ツリガネゼミ

    此蟬は主もに四國に居るやうである。

 

 ツリガネゼミは秋蟬である。ツリガネといふは吊るしてある鐘――殊に佛敎寺院の大鐘――を指す言葉である。自分は此名稱の解釋に惑うて居る。といふのは、この蟬の音樂は、――立派な權威が明言して居るやうに――眞實日本のハアプ卽ち琴の音を思ひ浮かばせる。だから此命名は、鐘のゴオンと響く音に似た處があるからといふのでは無くて、鐘を撞いた後に響く、波また波の、好い唸り聲に似て居るといふので附けたものであらう。

[やぶちゃん注:図版注で述べたことを繰り返す。小泉八雲は原注で、『主』(お)『もに四國に居るやうである』と注記しているものの、彼は四国に行ったことはない。また、全体を終始、このような伝聞推定表現で書いていることが判然とする内容である。則ち、その「ツリガネゼミ」の鳴き声を、小泉八雲自身は、全く実地に聴いたことがないのだと考えてよいのである。しかも、これは現在の如何なる種なのか、私には同定比定が全く出来ないのである。これを特定種としたネット記載も調べた限りでは、どこにもない。このセミの種を知りたいとする現役の作家のツイートを見出したばかりである。しかし、ここに図は載るのである。或いは、インセクターのセミの御専門の方なら、この絵で以って種を同定出来るのではないか? もし、種を指示出来る方がおられれば、是非、お教え願いたいのである。よろしくお願い申し上げる。但し、新種である可能性は、ない。変種である可能性も多分、ない。奇形個体群なら、名前がついて、当代の大作家小泉八雲とあろう人物の耳にまで入るはずも、ない。伝聞であることから、この「ツリガネゼミ」は、既に掲げ尽くした本邦産の知られた種の何れかの地方名、特に敢えて小泉八雲が注しているところから、四国での方言名である可能性が頗る高い。さらに言えば、その声を「鐘を撞いた後に響く、波また波の、好い唸り聲に似て居る」とするなら、これはもうやはり「ヒグラシ」しかないのではないか!?! と、私は深く疑っているのであるが(しかし、図はヒグラシよりデカいように見える。何じゃこりゃあ!?!)。

 それにしても、今まで、これだけ詳細な訳者註を附してきた大谷が、これに何の注も附さないのは、如何にも解せない。いや、寧ろ、いろいろ専門家に聴いて見たが、まるで判らなかったために、ほったらかしにした、というのが実状だろう。 

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