小泉八雲 耳無芳一の話 (戸川明三訳)
[やぶちゃん注:本篇(原題“THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI”)は明治三七(一九〇四)年四月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された、恐らく小泉八雲の著作の中で最も日本で愛されている作品集「怪談」(原題“KWAIDAN: Stories and Studies of Strange Things”。来日後の第十作品集)の第一話である。なお、小泉八雲はこの年の九月二十六日に五十四歳で心臓発作により急逝した。
同作品集は“Internet Archive”のこちらで全篇視認でき(本篇はここから。)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここ)。
底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。
戸川明三は英文学者で評論家としても知られる戸川秋骨(明治三(一八七一)年~昭和一四(一九三九)年)の本名である。彼の著作権は既に満了している。本ブログ・カテゴリ「小泉八雲」では、彼が訳した小泉八雲の遺作となった大作「神國日本」(“Japan: An Attempt at Interpretation”)を全電子化注している。
本篇原本本文は非常にお洒落な造りとなっており、例えば、タイトル・ページの題名は版画風の朱印で、先のページを一ページめくると判る通り、左右ページの肩(左ページは左肩に、右ページは右肩に)にそれぞれ朱色で「怪談」の漢字が印刷されてある。
禁欲的に注を附し、最後に原拠となった一夕散人(いっせきさんじん)作「臥遊奇談(がゆうきだん)」の巻之二所収の「琵琶祕曲泣幽靈」(琵琶の祕曲、幽靈を泣かしむ)のそれを電子化注しておいた。]
耳無芳一の話
七百年以上も昔の事、下ノ關海峽の壇ノ浦で、平家則ち平族と、源氏則ち源族との間の、永い爭ひの最後の戰鬪が戰はれた。此壇ノ浦で平家は、其一族の婦人子供幷びに其幼帝――今日安德天皇として記憶されて居る――と共に、全く滅亡した。さうして其海と濱邊とは七百年間その怨靈に祟られて居た……他の個處で私は其處[やぶちゃん注:「そこ」。]に居る平家蟹という不思議な蟹の事を讀者諸君に語った事があるが、それは其背中が人間の顏になつて居り、平家の武者の魂であると云はれて居るのである。しかし其海岸一帶には、澤山不思議な事が見聞きされる。闇夜には幾千となき幽靈火が、水うち際にふはふはさすらふか、若しくは波の上にちらちら飛ぶ――則ち漁夫の呼んで鬼火則ち魔の火と稱する靑白い光りである。そして風の立つ時には大きな叫び聲が、戰の叫喚のやうに、海から聞えて來る。
[やぶちゃん注:「七百年以上も昔の事」「壇ノ浦の戦い」は元暦二/寿永四年三月二十四日(ユリウス暦一一八五年四月二十五日/グレゴリオ暦換算五月二日)で、七百十九年前となる。
「他の個處で私は其處に居る平家蟹という不思議な蟹の事を讀者諸君に語った事がある」既に全電子化注を終えた「骨董」の「平家蟹」を指す。]
平家の人達は以前は今よりも遙かに焦慮(もが)いて居た。夜、漕ぎ行く船のほとりに立ち顯れ、それを沈めようとし、又水泳する人をたえず待ち受けて居ては、それを引きずり込まうとするのである。これ等の死者を慰めるために建立されたのが、則ち赤間ケ關の佛敎の御寺なる阿彌陀寺であつたが、其墓地も亦、それに接して海岸に設けられた。そして其墓地の内には入水された皇帝と、其歷歷の臣下との名を刻みつけた幾箇かの石碑が立てられ、且つそれ等の人々の靈のために、佛敎の法會が其處で整然(ちやん)と行はれて居たのである。この寺が建立され、その墓が出來てから以後、平家の人達は以前よりも禍ひをする事が少くなつた。しかしそれでもなほ引き續いて折折、怪しい事をするのではあつた――彼等が完き平和を得て居なかつた事の證據として。
[やぶちゃん注:「赤間ケ關の佛敎の御寺なる阿彌陀寺」現在の山口県下関市阿弥陀寺町にあった聖寿山阿彌陀寺。赤間関(「下関」の旧称)に貞観元(八五九)年に創建(創建当時は真言宗で、後に浄土宗となったが、江戸時代にはもとの真言宗に戻っている)れれたと伝え、建久二(一一九一)年、後鳥羽天皇の勅命により、安徳天皇御影堂が建立され、建礼門院所縁の尼を奉仕させ、平家一門の供養塔も造立された。以後も勅願寺として崇敬を受けたが、明治の神仏分離により、阿弥陀寺は廃されてしまい、安徳天皇を祀る天皇社から赤間宮となり、今の赤間神宮(グーグル・マップ・データ)に変わった経緯がある。現在でも神社の境内に平家一門十四名の供養塔が並ぶ。名前に「盛」の字を含む者が多いことから「七盛塚」とも称する。グーグル画像検索「七盛塚」をリンクさせておく。]
幾百年か以前の事、この赤間ケ關に芳一といふ盲人が住んで居たが、この男は吟誦[やぶちゃん注:「ぎんじゆ(ぎんじゅ)」。]して、琵琶を奏するに妙を得て居るので世に聞えて居た。子供の時から吟誦し、且つ彈奏する訓練を受けて居たのであるが、まだ少年の頃から、師匠達を凌駕して居た。本職の琵琶法師としてこの男は重もに[やぶちゃん注:「おもに」。]、平家及び源氏の物語を吟誦するので有名になつた、そして壇ノ浦の戰の歌を謠ふと鬼神すらも淚をとどめ得なかつたといふ事である。
芳一には出世の首途(かどで)の際、甚だ貧しかつたが、しかし助けてくれる深切な友があつた。則ち阿彌陀寺の住職といふのが、詩歌や音樂が好きであつたので、度度[やぶちゃん注:「たびたび」。]芳一を寺へ招じて彈奏させ又、吟誦さしたのであつた。後になり住職は此少年の驚くべき技倆に酷く[やぶちゃん注:「ひどく」。]感心して、芳一に寺をば自分の家とするやうにと云ひ出したのであるが、芳一は感謝して此申し出を受納した。それで芳一は寺院の一室を與へられ、食事と宿泊とに對する返禮として、別に用のない晚には、琵琶を奏して、住職を悅ばすといふ事だけが注文されて居た。
或る夏の夜の事、住職は死んだ壇家の家で、佛敎の法會を營むやうに呼ばれたので、芳一だけを寺に殘して納所[やぶちゃん注:「なつしよ(なっしょ)」。寺の会計・庶務を取り扱う下級僧。]を連れて出て行つた。それは暑い晚であつたので、盲人芳一は涼まうと思つて、寢間の前の緣側に出て居た。この緣側は阿彌陀寺の裏手の小さな庭を見下して居るのであつた。芳一は住職の歸來を待ち、琵琶を練習しながら自分の孤獨を慰めて居た。夜半も過ぎたが、住職は歸つて來なかつた。しかし空氣はまだ中中[やぶちゃん注:「なかなか」。]暑くて、戶の内ではくつろぐわけには行かない、それで芳一は外に居た。やがて、裏門から近よつて來る跫音が聞えた。誰れかが庭を橫斷して、緣側の處へ進みより、芳一のすぐ前に立ち止つた――が、それは住職ではなかつた。底力[やぶちゃん注:「そこぢから」。]のある聲が盲人の名を呼んだ――出し拔けに、無作法に、丁度、侍が下下(したじた)を呼びつけるやうな風に――
『芳一!』
芳一はあまりに吃驚(びつくり)して暫くは返事も出なかつた、すると、その聲は嚴しい命令を下すやうな調子で呼ばはつた――
『芳一!』
『はい!』と威嚇する聲に縮み上つて盲人は返事をした――『私は盲目で御座います!――何誰(どなた)がお呼びになるのか解りません!』
見知らぬ人は言葉をやはらげて言ひ出した、『何も恐はがる事はない、拙者はこの寺の近處に居るもので、お前の許(とこ)へ用を傳へるやうに言ひつかつて來たものだ。拙者の今の殿樣と云ふのは、大した高い身分の方で、今、澤山立派な供をつれてこの赤間ケ關に御滯在なされて居るが、壇ノ浦の戰場を御覽になりたいといふので、今日、其處を御見物になつたのだ。處で[やぶちゃん注:「ところで」。]、お前がその戰爭(いくさ)の話を語るのが、上手だという事をお聞きになり、お前のその演奏をお聞きになりたいとの御所望である、であるから、琵琶をもち卽刻拙者と一緖に尊い方方の待ち受けて居られる家へ來るが宜い[やぶちゃん注:「よい」。]』
當時、侍の命令と云へば容易に、反く[やぶちゃん注:「そむく」。]わけには行かなかつた。で、芳一は草履をはき琵琶をもち、知らぬ人と一緖に出て行つたが、其人は巧者に[やぶちゃん注:「こうしやに(こうしゃに)」。非常に手慣れた感じで。器用に。但し、ここは後の続きを見るに、ちゃっちゃと素早くの謂いであろう。]芳一を案内して行つたけれども、芳一は餘程急ぎ足で步かなければならなかつた。また手引きをしたその手は鐵のやうであつた。武者の足どりのカタカタいふ音はやがて、その人が悉皆(すつかり)甲冑[やぶちゃん注:「よろいかぶと」と訓じておく。]を著けて居る事を示した――定めし何か殿居(とのゐ)の衞士ででもあらうか、芳一の最初の驚きは去つて、今や自分の幸運を考へ始めた――何故かといふに、此家來の人の「大した高い身分の人」と云つた事を思ひ出し、自分の吟誦を聞きたいと所望された殿樣は、第一流の大名に外ならぬと考へたからである。やがて侍は立ち止つた。芳一は大きな門口に達したのだと覺つた――處で、自分は町のその邊には、阿彌陀寺の大門を外にしては、別に大きな門があつたとは思はなかつたので不思議に思つた。「開門!」と侍は呼ばはつた――すると閂[やぶちゃん注:「かんぬき」。]を拔く音がして、二人は這入つて行つた。二人は廣い庭を過ぎ再び或る入口の前で止つた。其處で此武士は大きな聲で「これ誰れか内のもの! 芳一を連れて來た」と叫んだ。すると急いで步く跫音、襖のあく音、雨戶の開く音、女達の話し聲などが聞えて來た。女達の言葉から察して、芳一はそれが高貴な家の召使である事を知つた。しかしどういふ處へ自分は連れられて來たのか見當が付かなかつた。が、それを兎に角考へて居る間もなかつた。手を引かれて幾箇かの石段を登ると、其一番最後(しまひ)の段の上で、草履をぬげと云はれ、それから女の手に導かれて、拭(ふ)き込んだ板鋪[やぶちゃん注:「いたじき」。ここは廊下。]のはてしのない區域を過ぎ、覺え切れないほど澤山な柱の角を𢌞り、驚くべきほど廣い疊を敷いた床を通り――大きな部屋の眞中に案内された。其處に大勢の人が集つて居たと芳一は思つた。絹のすれる音は森の木の葉の音のやうであつた。それから又何んだかガヤガヤ云つて居る大勢の聲も聞えた――低音で話して居る。そしてその言葉は宮中の言葉であつた。
芳一は氣樂にして居るやうにと云はれ、座蒲團が自分のために備へられて居るのを知つた。それでその上に座を取つて、琵琶の調子を合はせると、女の聲が――その女を芳一は老女則ち女のする用向きを取り締る女中頭と判じた――芳一に向つてかう言ひかけた――
『只今、琵琶に合はせて、平家の物語を語つて戴きたいといふ御所望に御座います』
さてそれを悉皆[やぶちゃん注:「すつかり」。]語るのには幾晚もかかる、それ故芳一は進んでかう訊ねた――
『物語の全部は、一寸は[やぶちゃん注:「ちよつと(ちょっと)」。]語られませぬが、何(ど)の條下(くさり)[やぶちゃん注:「一齣(ひとくさり)」。謡い物・語り物などの一段落のこと。]を語れといふ殿樣の御所望で御座いますか?』
女の聲は答へた――
『壇ノ浦の戰(いくさ)の話をお語りなされ――その一條下(ひとくさり)が一番哀れの深い處で御座いますから』
芳一は聲を張り上げ、烈しい海戰[やぶちゃん注:「うみいくさ」と訓じておく。]の歌をうたつた――琵琶を以て、或は橈[やぶちゃん注:「かい」。「櫂」に同じい。]を引き、船を進める音を出さしたり、はツしと飛ぶ矢の音、人々の叫ぶ聲、足踏みの音、兜にあたる刅 [やぶちゃん注:「やいば」。底本は右手の点がない字体。]の響き、海に陷る[やぶちゃん注:「おちいる」。]打たれたもの音等を、驚くばかりに出さしたりして。その演奏の途切れ途切れに、芳一は自分の左右に、賞讃の囁く聲を聞いた、――「何といふ巧(うま)い琵琶師だらう!」――「自分達の田舍ではこんな琵琶を聽いた事がない!」――「國中に芳一のやうな謠ひ手はまたとあるまい!」すると一層勇氣が出て來て、芳一は益〻うまく彈き且つ謠つた。そして驚きのため周圍は森[やぶちゃん注:「しん」。]としてしまつた。しかし終りに美人弱者の運命――婦人と子供との哀れな最期――雙腕に幼帝を抱き奉つた二位の尼の入水を語つた時には――聽者は悉く皆一樣に、長い長い戰(をのの)き慄へる苦悶の聲をあげ、それから後といふもの一同は聲をあげ、取り亂して哭き悲しんだので、芳一は自分の起こさした悲痛の强烈なのに驚かされた位であつた。暫くの間はむせび悲しむ聲が續いた。しかし、徐ろに哀哭の聲は消えて、又それに續いた非常な靜かさの内に、芳一は老女であると考へた女の聲を聞いた。
その女はかう云つた――
『私共は貴方が琵琶の名人であつて、又謠ふ方でも肩を竝べるもののない事は聞き及んで居た事では御座いますが、貴方が今晚御聽かせ下すつたやうなあんなお腕前をお有ち[やぶちゃん注:「おもち」。]になろうとは思ひも致しませんでした。殿樣には大層御氣に召し、貴方に十分な御禮を下さる御考へである由を御傳へ申すやうにとの事に御座います。が、これから後六日の間每晚一度づつ殿樣の御前(ごぜん)で演奏(わざ)をお聞きに入れるやうとの御意に御座います――その上で殿樣には多分御歸りの旅に上られる事と存じます。それ故明晚も同じ時刻に、此處へ[やぶちゃん注:「ここへ」。]御出向きなされませ。今夜、貴方を御案内いたしたあの家來が、また、御迎へに參るで御座いませう……それからも一つ貴方に御傳へするやうに申しつけられた事が御座います。それは殿樣がこの赤間ケ關に御滯在中、貴方がこの御殿に御上りになる事を誰れにも御話しにならぬようとの御所望に御座います。殿樣には御忍びの御旅行ゆゑ、かやうな事は一切口外致さぬやうにとの御上意によりますので。……只今、御自由に御坊に御歸り遊ばせ』
芳一は感謝の意を十分に述べると、女に手を取られてこの家の入口まで來、其處には前に自分を案内してくれた同じ家來が待つて居て、家につれられて行つた。家來は寺の裏の緣側の處まで芳一を連れて來て、そこで別れを告げて行つた。
芳一の戾つたのはやがて夜明けであつたが、その寺をあけた事には、誰れも氣が付かなかつた――住職は餘程遲く歸つて來たので、芳一は寢て居るものと思つたのであつた。晝の中芳一は少し休息する事が出來た。そして其不思議な事件に就いては一言もしなかつた。翌日の夜中に侍が又芳一を迎へに來て、かの高貴の集りに連れて行つたが、其處で芳一はまた吟誦し、前囘の演奏が贏ち得た[やぶちゃん注:「かちえた」。「勝ち得た」に同じい。]その同じ成功を博した。然るにこの二度目の伺候中、芳一の寺をあけて居る事が偶然に見つけられた。それで朝戾つてから芳一は住職の前に呼びつけられた。住職は言葉やはらかに叱るやうな調子でかう言つた、――
『芳一、私共はお前の身の上を大變心配して居たのだ。目が見えないのに、一人で、あんなに遲く出かけては險難だ。何故、私共にことわらずに行つたのだ。さうすれば下男に供をさしたものに、それから又何處へ行つて居たのかな』
芳一は言ひ逭れる[やぶちゃん注:「のがれる」。]やうに返事をした――
『和尙樣、御免下さいまし! 少々私用が御座いまして、他の時刻にその事を處置する事が出來ませんでしたので』
住職は芳一が默つて居るので、心配したといふより寧ろ驚いた。それが不自然な事であり、何かよくない事でもあるのではなからうかと感じたのであつた。住職は此盲人の少年が或は惡魔につかれたか、或は騙されたのであらうと心配した。で、それ以上何も訊ねなかつたが、密かに寺の下男に旨をふくめて、芳一の行動に氣をつけて居り、暗くなつてから、また寺を出て行くやうな事があつたなら、その後を跟ける[やぶちゃん注:「つける」。]やうにと云ひつけた。
すぐその翌晚、芳一の寺を脫け出して行くのを見たので、下男達は直ちに提燈をともし、その後を跟けた。然るにそれが雨の晚で非常に暗かつた爲め、寺男が道路へ出ない内に、芳一の姿は消え失せてしまつた。正しく[やぶちゃん注:「まさしく」。]芳一は非常に早足で步いたのだ――その盲目な事を考へてみるとそれは不思議な事だ、何故かと云ふに道は惡るかつたのであるから。男達は急いで町を通つて行き、芳一がいつも行きつけて居る家へ行き、訊ねて見たが、誰れも芳一の事を知つて居るものはなかつた。しまひに、男達は濱邊の方の道から寺へ歸つて來ると、阿彌陀寺の墓地の中に、盛んに琵琶の彈じられて居る音が聞えるので、一同は吃驚した。二つ三つの鬼火――暗い晚に通例其處にちらちら見えるやうな――の外、そちらの方は眞暗であつた。しかし、男達はすぐに墓地へと急いで行つた、そして提燈の明かりで、一同はそこに芳一を見つけた――雨の中に、安德天皇の記念の墓の前に獨り坐つて、琵琶をならし、壇ノ浦の合戰の曲を高く誦して[やぶちゃん注:「じゆして(じゅして)」。]。その背後(うしろ)と周圍(まはり)と、それから到る處澤山の墓の上に死者の靈火が蠟燭のやうに燃えて居た。未だ嘗て人の目にこれほどの鬼火が見えた事はなかつた……
『芳一さん!――芳一さん!』下男達は聲をかけた[やぶちゃん注:句読点なしはママ。]『貴方は何かに魅(ばか)されて居るのだ!……芳一さん!』
しかし盲人には聞えないらしい。力を籠めて芳一は琵琶を錚錚嘎嘎[やぶちゃん注:「さうさうかつかつ(そうそうかつかうつ)」。「錚錚」は「楽器の音が冴えて響くさま」。「嘎嘎」は擬音語で短くてよく透る音を表わす。「きいっ!」「がきっ!」という感じ。]と鳴らして居た――益〻烈しく壇ノ浦の合戰の曲を誦した。男達は芳一をつかまへ――耳に口をつけて聲をかけた――
『芳一さん!――芳一さん!――すぐ私達と一緖に家にお歸んなさい!』
叱るやうに芳一は男達に向つて云つた――
『この高貴の方方の前で、そんな風に私の邪魔をするとは容赦はならんぞ』
事柄の無氣味なに拘らず、これには下男達も笑はずには居られなかつた。芳一が何かに魅(ばか)されて居たのは確かなので、一同は芳一を捕(つかま)へ、その身體(からだ)をもち上げて起たせ、力まかせに急いで寺へつれ歸つた――其處で住職の命令で、芳一は濡れた著物を脫ぎ、新しい著物を著せられ、食べものや、飮みものを與へられた。其上で住職は芳一のこの驚くべき行爲を是非十分に說き明かす事を迫つた。
芳一は長い間それを語るに躊躇して居た。しかし、遂に自分の行爲が實際、深切な住職を驚かし且つ怒らした事を知つて、自分の緘默[やぶちゃん注:「かんもく」。]を破らうと決心し、最初、侍の來た時以來、あつた事を一切物語つた。
すると住職は云つた……
『可哀そうな男だ。芳一、お前の身は今大變に危ふいぞ! もつと前にお前がこの事を悉皆(すつかり)私に話さなかつたのは如何にも不幸な事であつた! お前の音樂の妙技がまつたく不思議な難儀にお前を引き込んだのだ。お前は決して人の家を訪れて居るのではなくて、墓地の中に平家の墓の間で、夜を過して居たのだといふ事に、今はもう心付かなくてはいけない――今夜、下男達はお前の雨の中に坐つて居るのを見たが、それは安德天皇の記念の墓の前であつた。お前が想像して居た事はみな幻影(まぼろし)だ――死んだ人の訪れて來た事の外は。で、一度死んだ人の云ふ事を聽いた上は、身をその爲(す)るがままに任したといふものだ。若しこれまであつた事の上に、またも、その云ふ事を聽いたなら、お前は其人達に八つ裂きにされる事だらう。しかし、何れにしても早晚、お前は殺される……處で、今夜私はお前と一緖に居るわけに行かぬ。私は又一つ法會をするやうに呼ばれて居る。が、行く前にお前の身體を護るために、その身體に經文を書いて行かなければなるまい』
日沒前住職と納所とで芳一を裸にし、筆を以て二人して芳一の、胸、背、頭、顏、頸、手足――身體中何處と云はず、足の裏にさへも――般若心經といふお經の文句を書きつけた。それが濟むと、住職は芳一にかう言ひつけた。――
『今夜、私が出て行つたらすぐに、お前は緣側に坐つて、待つていなさい。すると迎へが來る。が、どんな事があつても、返事をしたり、動いてはならぬ。口を利かず靜かに坐つて居なさい――禪定に入つて居るやうにして。若し動いたり、少しでも聲を立てたりすると、お前は切りさいなまれてしまふ。恐(こ)はがらず、助けを呼んだりしようと思つてはいかぬ。――助けを呼んだ處で助かるわけのものではないから。私が云ふ通りに間違ひなくして居れば、危險は通り過ぎて、もう恐はい事はなくなる』
[やぶちゃん注:「禪定」(ぜんじやう(ぜんじょう))は、身体を安静に保ち,心静かに人間本来の姿を瞑想すること,心を一つに集中させ,動揺させない修行法。所謂、「座禅」と同じい。「禅」はサンスクリットの「ディヤーナ」の漢音写で、「定」はその意味を示す。古代インドでは仏教以前から広く行われていた修行法の一つであるが、仏教に於ける最も代表的な修行法となった。]
日が暮れてから、住職と納所とは出て行つた、芳一は言ひつけられた通り緣側に座を占めた。自分の傍の板鋪の上に琵琶を置き、入禪の姿勢をとり、じつと靜かにして居た――注意して咳もせかず、聞えるやうには息もせずに。幾時間もかうして待つて居た。
すると道路の方から跫音のやつて來るのが聞えた。跫音は門を通り過ぎ、庭を橫斷り、緣側に近寄つて止つた――すぐ芳一の正面に。
『芳一!』と底力のある聲が呼んだ。が盲人は息を凝らして、動かずに坐つて居た。
『芳一!』と再び恐ろしい聲が呼ばはつた。ついで三度――兇猛な聲で――
『芳一』
芳一は石のやうに靜かにして居た――すると苦情を云ふやうな聲で――
『返事がない!――これはいかん!……奴、何處に居るのか見てやらなけれやア』……
緣側に上る重もくるしい跫音がした。足はしづしづと近寄つて――芳一の傍に止つた。それから暫くの間――その間、芳一は全身が胸の鼓動するに連れて震へるのを感じた――全く森閑としてしまつた。
遂に自分のすぐ傍(そば)であらあらしい聲がはう云ひ出した――『此處に琵琶がある、だが、琵琶師と云つては――只その耳が二つあるばかりだ!……道理で返事をしない筈だ、返事をする口がないのだ――兩耳の外、琵琶師の身體は何も殘つて居ない……よし殿樣へこの耳を持つて行かう――出來る限り殿樣の仰せられた通りにした證據に……』
その瞬時に芳一は鐵のやうな指で兩耳を摑まれ、引きちぎられたのを感じた! 痛さは非常であつたが、それでも聲はあげなかつた。重もくるしい足踏みは緣側を通つて退いて行き――庭に下り――道路の方へ通つて行き――消えてしまつた。芳一は頭の兩側から濃い温いものの滴つて來るのを感じた。が、敢て兩手を上げる事もしなかつた……
日の出前に住職は歸つて來た。急いですぐに裏の緣側の處へ行くと、何んだかねばねばしたものを踏みつけて滑り、そして慄然(ぞつ)として聲をあげた――それは提燈の光りで、そのねばねばしたものの血であつた事を見たからである。しかし、芳一は入禪の姿勢で其處に坐つて居るのを住職は認めた――傷からはなほ血をだらだら流して。
『可哀そうに芳一!』と驚いた住職は聲を立てた――『これはどうした事か……お前、怪我をしたのか』……
住職の聲を聞いて盲人は安心した。芳一は急に泣き出した。そして、淚ながらにその夜の事件を物語つた。『可哀そうに、可哀そうに芳一!』と住職は叫んだ――『みな私の手落ちだ!――酷い私の手落ちだ!……お前の身體中くまなく經文を書いたに――耳だけが殘つて居た! そこへ經文を書く事は納所に任したのだ。處で納所が相違なくそれを書いたか、それを確かめて置かなかつたのは、重重[やぶちゃん注:「ぢゆうぢゆう(じゅうじゅう)」。]私が惡るかつた!……いや、どうもそれはもう致し方のない事だ――出來るだけ早く、その傷を治(なほ)すより仕方がない……芳一、まア喜べ!――危險は今全く濟んだ。もう二度とあんな來客に煩はされる事はない』
深切な醫者の助けで、芳一の怪我は程なく治つた。この不思議な事件の話は諸方に廣がり、忽ち芳一は有名になつた。貴い人々が大勢赤間ケ關に行つて、芳一の吟誦を聞いた。そして芳一は多額の金員[やぶちゃん注:「きんゐん」。金銭。]を贈り物に貰つた――それで芳一は金持ちになつた……しかし此事件のあつた時から、この男は耳無芳一という呼び名ばかりで知られて居た。
[やぶちゃん注:本話の原拠は天明二(一七一二)年板行された一夕散人(詳細事蹟不祥)作の読本「臥遊奇談」(板元は京都)の巻之二巻頭にある「琵琶祕曲泣幽靈」(琵琶の祕曲、幽靈を泣かしむ)である。但し、類話に、それに先行する延宝五(一六七七)年板行の荻田安静編著の「宿直草(とのいぐさ)」の「第十一 小宰相の局幽靈の事」があるので見られたい(私は同書を総て電子化注している)。その注で解説しているように、「臥遊奇談」のそれは、この「宿直草」の影響を明らかに受けて書かれたものであるとされるからである。
底本は富山大学の「ヘルン文庫」(PDF)のものを用いたが、読みは振れそうなもののみに留めた。読み易く句読点・記号・濁点を添え、段落も作った。歴史的仮名遣の誤りはママ。踊り字「〱」「〲」は正字化した。
*
琵琶祕曲泣幽霊
長州赤間關は古(いにしへ)源平戰爭の地にして、千載(せんざい)の遺恨をとゞむ。幽魂、長く消(せう)する事能はず、月明(あきら)かなれば、海面にあやしき声をきゝ、雨しきる夜(よ)は、平砂(へいさ)[やぶちゃん注:砂浜。]に鬼火を飛(とば)す。
後世にいたつて一宇を建立し、幽㚑[やぶちゃん注:「靈」の異体字。]を慰(い)する。其名を「阿弥陀寺」と名づく。一門の縉紳(しんじん)[やぶちゃん注:普通は清音「しんしん」。「縉」は「挿」,「紳」は「帯」の意で、官位にある者の象徴である笏を「帯」に「挿」していた官吏を指す。ここは高位高官。]及び兵士多少の古墳を連ぬ。
爰(こゝ)に阿弥陀寺の近邊に瞽者(こしや/めしゐ[やぶちゃん注:後者は左側に配された読み。後も同じ。])あり、「芳一」といふ。幼少より琵琶に習熟して、長ずるに隨ひ、其妙を極む。三位伯雅(さんみはくが)の昔を悲しみ、關(せき)の蝉丸の面影をうつして、明(あけ)て彈じ、暮(くれ)てかきならす。其頃、世に稱じて「芳一が平家をかたるや、人をして感泣せしめ、鬼神(きしん)を動かす」とぞ、もてはやしける。
[やぶちゃん注:「三位伯雅」「伯」は「博」の誤りで、平安中期の公卿で雅楽家の源博雅(ひろまさ 延喜一八(九一八)年~天元三(九八〇)年)のこと。醍醐天皇の第一皇子兵部卿克明(よしあきら)親王の長男。官位は従三位・皇后宮権大夫。博雅三位(はくがのさんみ)と呼ばれた、管絃の名手。琵琶の名器「玄象(げんじょう)」を羅城門から探し出したことでも知られる。
「關の蝉丸」(生没年不詳)は「百人一首」で知られる彼平安前中期の歌人。ウィキの「蝉丸」によれば、盲目で『あり』、『琵琶の名手という伝承』『から、仁明天皇の第四宮人康親王と同一人物という説もある』「平家物語」の巻十の「海道下り」では、『醍醐天皇の第四宮として山科の四宮河原に住んだとあり、平家を語る琵琶法師・盲僧琵琶の職祖とされている』とあり、また、前の源博雅は、三年間、彼の下に通い続けて、遂に琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」・「啄木(たくぼく)」を伝授されたとも言われる。]
又、阿弥陀寺の住職和尚、常に是を賞じて、彼を寺中に滯留せしめ、琵琶を弾(だん)ぜしむる事、連夜。
一日、和尚、法務によつて他に出らるに當つて、芳一、暑威(しよゐ)をさけんがため、客殿の椽上(ゑんじやう)に獨座し、琵琶を弾じけるに、夜(よ)、深更に及(およん)で、門外、人、あり、内に入て、椽下(ゑんか)に立(たち)、
「芳一、芳一。」
と、呼ぶにぞ、撥(ばち)をとゞめて、
「誰(たれ)にてわたり候や。」
と問へば、
「くるしからず。近邊の者なるが、去(さ)る縉紳の御方、歌枕に事寄(よせ)られ、檀[やぶちゃん注:ママ。]の浦の陣跡(ぢんせき)をさぐらせられんが爲、此地に遊歷まし、宿を近邊に投ぜらる。しかるに、汝が琵琶端正(たんえい/とくゐ)を極(きはむ)るの旨、風說あれば、こよひの御つれづれ、御旅館に召さしむ。我に從ひ來るべし。」
と。
芳一、心に思ひけるは、
『かゝる高貴の御方、我を召出さるこそ、道(みち)の冥加に叶ひたるといふべし。』
と、自ら悅び、つゐに、其人に從ひ出行に、やがて一つの門を過(すぎ)て、殿中にいたり、
「芳一こそ召(めさ)れ候ひき。」
と云(いひ)入給へば、官女とおぼしく、多く立出、手を取て一間(ま)に入。
是、高貴の御座所(ござどころ)とおぼしく、左右、相つゝしんで、物云、ものなし。
しばらく有て、老女の聲にて、
「平家を語り、琵琶を弾ずべし。」
との命あるにぞ、
「いづれの卷(まき)をか語り申べし。」
と伺ふに、
「所がら、檀の浦合戰の篇こそ、あはれも深からめ。」
と有により、已(すで)に曲を奏すれば、初めのほどは、左右、たゞ感賞し給ふ声の、
「ひそひそ。」
と聞へぬるが、「一門入水(じゆすい)」の篇にいたりて、男女、感泣して、其声、しばしは、やまざりけり。
已にして曲終れば、又、老女、芳一にむかひ、
「汝が妙手、甚(はなはだ)感じおぼし召。追(おつ)て賜物も有べき間(あひだ)、是より又、六夜、御旅館にいたるべし。世間をはゞかり給ふ御身なれば、かたく他にもらし申べからず。」
と、御暇(いとま)を給はり、以前の武士に引進(あんない)せられて、寺内へぞ、かへりける。
翌晚も召されて、夜ふけて歸れば、寺中、是をあやしみ、和尚に、
「かく。」
と告(つぐ)るにぞ、頓(やが)て芳一を呼出し、
「毎夜、いづくへ行しや。」
と尋(たづね)らるれども、
「たゞ、所用あつて、他出(たしゆつ)致候。」
とて、申さざりければ、
「今夜も又、如此(かくのごとく)出去(いでさ)らば、其後(あと)を認尋(みとめたづぬ)べし。」
と。
衆僧、芳一が出去るを待(まち)、案のごとく、夜に至つて、芳一が見へざれば、衆憎・下部(しもべ)にいたるまで、村落・境内(けいだい)、搜索(そうさく/さかしもとむ)するに、今夜は、こと、雨ふりて、例の鬼火(きくは)、四方に飛(とび)さり、いとゞ淋しき夜のみちなど、
「近邊にあらんや。」
と、みなみな、精もつきぬる比(ころ)、はるかに琵琶の聲の聞へければ、これをしたひて、一所(しよ)にいたるに、安德帝御陵(みさゝぎ)の御前に、芳一、琵琶を弾じて座す。
「扨、こそ。」
と、大勢よりかゝり、
「汝、決して狐狸の爲に化(ばか)されし物成べし。」
と罵れば、芳一、声をひそめ、
「御前なるぞ。みだりに來り給ふべからず。」
と、制す。
衆僧、大に笑ひて、理不盡に芳一をとらへ、寺に歸つて和尚にゑし、偈(ゑつ)[やぶちゃん注:ママ。]し、件(くだん)の趣(おもむき)を申せば、和尚、芳一に向ひ、
「いかゞして、かやうの所にはいたりけるぞ。」
と尋らるれども、たゞ首をたれて有無のこたへ、なし。
和尚、色を變じて、盤詰(ぎんみ)[やぶちゃん注:ママ。]あれば、やむ事を得ず、初よりの次㐧を語る。
和尚、大に驚き、
「是、必定(ひつじやう)、幽魂、汝が名曲を賞じ、すかして弾(ひか)せしむる成べし。汝、連夜、彼地に至らば、恐らくは、陽氣陰氣に壓(おさ)れて命(めい)を害するに及(およぶ)べし。」
芳一、これを聞て、色、靑ざめ、後悔す。
和尚、良(やゝ)久しく計較(けいかう/しあん[やぶちゃん注:思案。])して、
「うれふることなかれ。これをまぬかる一計(けい)あり。汝、宜(よろし)く我(わが)言(ことば)を用ゆべし。背(そむ)かば、命(めい)を落すならん。」
と、芳一を裸體にして、和尚、自筆をとり、又、衆僧にも命じ、芳一が身に明所(あきどころ)なく、「般若心經」を書せしむ。
寫(うつ)し卒(おはつ)て、
「汝、今夜、例の通り、琵琶を弾ずべし。いかやうの怪事ありとも言葉を發する事なかれ。」
と、得(とく)と云含め、其儘、客殿の椽上に座さしめ、和尚をはじめ、衆僧は、みな、おのれおのれ龍(りやう)象窟へ引取り、尚、やうすをぞ待居ける。
[やぶちゃん注:「龍象窟」「龍象」は「りゆうざう(りゅうぞう)・りやうざう(りょうぞう)」で、高徳の優れた人物を龍と象に喩えたものであって、多く「聖者」「高僧」の意に用いるが、単に僧の敬称としても用いるので、各人の僧の自室のことである。]
芳一は、命にしたがひ、ひたすら、おしかへし、曲を奏しけるに、深更に至つて、例のごとく、
「芳一、芳一。」
と呼ぶ。
『ここぞ。』
と、直(すぐ)に、琵琶をさし置(おき)、默然(もくねん)として、ひそみ居けるに、此人、椽下に至り、
「あやしむべし。声なし。」
と、直(ぢき)に殿にのぼり、
「いつも此所に座(ざ)しぬるに、今夜、いかなれば其人、なし。只、兩耳のみ、おとしけるぞ。知覺がたし[やぶちゃん注:「しりおぼえがたし」。]。此耳を證見(しやうこ)[やぶちゃん注:ママ。]に上へ訴へ申べし。」
と、兩の耳朶(みゝたぶ)に諸手(もろて)をかけ、何氣なく引ちぎり、殿を下つて、出去りぬ。
芳一は耳朶(しくはく/みゝのぐるり)を割落(そぎおと)され、いたみにたへずといへども、猶、忍びてゐけるに、夜も明ぬる比おひ、和尚、衆僧を召具し、客殿に出て、
「芳一は、いかゞしけるぞ。」
と椽上をみれば、血、流れて、板を染む。
「憐むべし、命(めい)をおとしけるや。」
と此所に至れば、芳一。兩耳をかゝへ、忍び泣(なき)に哭(こく)しける。
和尙の來(きたり)給ふを聞(きゝ)て、
「あ。」
と、叫びけるを、和尙、
「我なるぞ。氣をたしかに持(もつ)べし。」
とあれば、初(はじめ)て人心付。
此時、和尙、次第を尋らるゝに、耳を取られし始末(しまつ/はじめおはり)をかたりければ、和尙、大きにあきれ、
「我、誤つて耳を落して經文を書せず、汝にかゝる難をかけたり。しかれ共、今より後(のち)、來るまじければ、命(めい)恙(つゝが)なかるべし。」
と示して、尚、芳一に養生を加へられけるに、其後(そののち)、寺中、夜更(よふけ)て芳一を呼ぶ者、なし。
あやふき命を拾ひける。
琵琶は、尚々、妙をきはめて、世に「耳きれ芳一が琵琶」と称じけるとぞ。
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最後に、一九七八年恒文社刊「小泉八雲」の八雲の妻小泉セツ(明治二四(一八九一)年~明治三七(一九〇四)年:小泉八雲より十八歳下)さんの「思い出の記」から引用する。
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『怪談』の初めにある芳一の話は大層ヘルンの気に入った話でございます。なかなか苦心いたしまして、もとは短い物であったのをあんなにいたしました。「門を開け」と武士が呼ぶところでも「門を開け」では強みがないというので、いろいろ考えて「開門」といたしました。この『耳なし芳一』を書いています時のことでした。日が暮れてもランプをつけていません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。「はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか」と内から云って、それで黙っているのでございます。いつも、こんな調子で、何か書いている時には、そのことばかりに夢中になっていました。またこの時分私は外出したおみやげに、盲法師の琵琶を弾じている博多人形を買って帰りまして、そっと知らぬ顔で、机の上に置きますと、ヘルンはそれを見るとすぐ「やあ、芳一」と云って、待っている人にでも遇ったという風で大喜びでございました。それから書斎の竹籔で、夜、笹の葉ずれがサラサラといたしますと「あれ、平家が亡びて行きます」とか、風の音を聞いて「壇の浦の波の音です」と真面目に耳をすましていました。
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