小泉八雲 天の河緣起 (大谷正信譯) その4 / 「天の河緣起」~了
[やぶちゃん注:本篇についての詳細は「小泉八雲 作品集「天の河緣起そのほか」始動/天の河緣起(大谷正信譯)(その1)」の私の冒頭注を参照されたい。歌の表示はブラウザの不具合を考えて底本のものを上に引き上げてある。小泉八雲の〔 〕書き割注(〔 〕のポイント落ち)も、同ポイントで引き上げた。「万葉集」の校合や注には中西進氏の講談社文庫版を参考にした。小泉八雲は必ずしも順番に引用していない。一部で前後しているので注意されたい。]
これ等の歌の多くのものに於て、妻の方が夫に會ひに天の川をまめまめしく渡るのではなくて、夫の方が妻に會ひに川を漕ぎ渡るといふこと、また鳥の橋のことには少しも言ひ及んでないことが觀られるであらう。……自分の飜譯については、日本の詩句を飜譯するの困難を經驗して知つて居らるる讀者諸君は、最も寬容であらるることと自分は思ふ。自分は(アストンが採用した方法に從つて古風な綴音を示す方がよいと考へた一二の場合を除いて)羅馬字綴りを用ひた。そして必要上補充した語なり句なりは、括弧で括つて置いた。
[やぶちゃん注:「綴音」「ていおん」或いは「てつおん」と読み、「二つ以上の単音が結合して生じた音」を指す。
「アストン」イギリスの外交官で日本学者のウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston 一八四一年~一九一一年)。十九世紀当時、始まったばかりの日本語及び日本の歴史の研究に大きな貢献をした、アーネスト・サトウ、バジル・ホール・チェンバレンと並ぶ初期の著名な日本研究者である。詳細は参照したウィキの「ウィリアム・ジョージ・アストン」を参照されたい。]
天の川相向き立ちて我が戀ひし
君來ますなり紐解きまけな
〔この最後の句は非常に古い日本文學に記載されて居る面白い習慣を指して居る。戀人は、分れる前に、互の內側の帶(ヒモ)を結んで、つぎに會ふ時までその結びに手を觸れずに置くことを約束する習はしであつたのである。この歌は養老七年――二十三年――今を去る千百八十二年前に作られだものだといふ〕
[やぶちゃん注:本篇に既出の山上憶良の一首であるが、小泉八雲は、ここで改めて英訳を附し、解説をするために確信犯で掲げているのである。]
久方の天の川洲に船うけて
今宵か君があがり來まさん
〔ヒサカタノは天(そら)の物に關して古の歌人が用ひた「枕詞」であつて、飜譯するのが困難なことが往往ある。アストン氏はヒサカタの文字通りの意味は――ヒサ(久しい)、カタ(堅い、堅固な)で――長く續くといふ意味での『久堅』に過ぎぬと考へて居る。だから、ヒサカタは『蒼空の』といふ意味になると言ふ。處が日本の註譯者は此言葉はヒ(日)、サス(射す)、カタ(方)の三語で出來て居ると言ふ。――この語源說から見るとヒサカタノを『光りを注ぐ』とか『光りを與へる』とかいふやうな言葉で飜譯すゐことが正しいことになる。枕詞のことについてはアストンの日本文語文典を見られたい〕
[やぶちゃん注:「万葉集」巻第八の、やはり山上憶良の一首(一五一九番)。後書に「右は、神龜元年七月七日の夜に、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)の宅(いへ)」とある。「神龜元年」は七二四年で、長屋王の屋敷での詠歌。
ひさかたの天(あま)の川(かは)瀨に船浮(う)けて今夜(こよひ)か君が我許(わがり)來(き)まさむ
「ひさかたの」は以上のような説もあるが、小学館「日本国語大辞典」によれば、現在でも語義・語源は未詳とする。
「日本文語文典」“ A grammar of the Japanese written language ”(一八七二年と一八七七年に二版が出ている)。]
風雲は二つの岸に通へども
わがとほつまのことぞ通はぬ
[やぶちゃん注:この歌も、やはり、同巻第八の山上憶良が七夕を詠んだ十二首の歌の内の一つ(一五二一番)、前の一五二〇番の長歌に添えられた反歌の一つ目である。
風雲(かぜくも)は二つの岸に通へども
わが遠妻(とほづま)の言(こと)そ通はぬ
第四句目は別に、一本では、「はしづまの」とする、という注記が附く。
「わが遠妻」は「私の遠くにいる妻」。「はしづま」は「愛しい妻」の意。]
つぶてにも原註四投げ越しつべき天の川
隔てればかもあまたすべなき
原註四 古書にはツブテはタブテとある。
[やぶちゃん注:同前の反歌の二つ目(一五二二番)。
礫(たぶて)にも投げ越しつべき天の川
隔てればかもあまた術(すべ)無き
後書があり、「右は、天平元年七月七日の夜に、憶良、天の川を仰ぎ見たり。【一に云はく、師(そち)の家の作】」とある。「天平元年」七二九年だが、厳密には神亀六年が正しい。この年の改元は八月五日であるからである。「帥」は大伴旅人。]
秋風の吹きにし日よりいつしかと
わが待ちこひし君ぞ來ませる
[やぶちゃん注:「万葉集」巻第十の「七夕(なぬかのよ)九十八首」の中の詠み人知らずの一首(二〇八三番)。
秋風の吹きにし日より天の川瀨に出で立ちて待つと告げこそ
「こそ」は動詞の連用形に付いて、他に対する願望を表わす終助詞。「~してほしい。~てくれ。」。]
天の川いと川波は立たねども
さもらひがたし近きの瀨を
[やぶちゃん注:既注の「万葉集」巻第八の山上憶良が七夕を詠んだ十二首の歌の一つ(一五二四番)。
天の川いと川波は立たねども伺候(さもら)ひ難(かた)し近きこの瀨を
「天の川に、ひどく、川波が立っているわけではないのに、川の様子をまず見ようとしても、その舟さえも出せない。これほど、川瀬が近く見えるのに!」の意。何故、舟出出来ないのか不明だが、牽牛の焦りを読んだものではある。]
袖振らば見もかはしつべく近けれど
渡るすべなし秋にしあらねば
[やぶちゃん注:憶良の同前の次の歌(一五二五番)。
袖振らば見もかはしつべく近けども渡るすべ無し秋にしあらねば
牽牛の立場からの一首である。]
かげろひの原註五ほのかに見えて別れなば
もとなや戀ひん逢ふ時までは
原註五 カゲロヒはカゲロウの古語、陽炎。
[やぶちゃん注:憶良の同前の次の一首(一五二六番)だが、初句の読みが現行とは異なる。
玉かぎる髣髴(ほのか)に見えて別れなばもとなや戀ひむ逢ふ時までは
これは「後書」があり、「右は、天平二年[やぶちゃん注:七三〇年。]七月八日の夜に、師(そち)の家に集會(つど)へり」とする。「かぎる」から「かげろひ」は派生したものだが、「玉かぎる」が、しっくりくる。
玉が一瞬キラリと光るように、ほんのわずかの間、逢っただけで別れてしまったなら、心もとない思いが、ずっと続くのだなぁ……また逢う日まで、ずっと……
といった謂い。]
彥星の妻迎船漕ぎづらし
天の川原に霧の立てるは
[やぶちゃん注:憶良の同前の次の一首(一五二七番)。
牽牛(ひこぼし)の嬬迎(つまむか)へ船(ぶね)漕ぎ出(づ)らし天(あま)の川原(かはら)に霧の立てるは
で、作者の「観察景仕立て」である。]
霞立つ天の川原に君待つと
いかよふほどにものすそ濡れぬ
[やぶちゃん注:憶良の同前の次の一首(一五二八番)。
霞立(かすみた)つ天の川原(かはら)に君待つといゆきかへるに裳(も)の裾ぬれぬ
で、迎える織姫の立場から。「いゆきかへる」は「い行き返る」で「彷徨(さまよ)う」の意。]
天の川水の波音騷ぐなり
わが待つ君のふなですらしも
[やぶちゃん注:憶良の同前の次の一首(一五二九番)。但し、二句目の読みが現行と異なる。
天の川ふつの波音騷くなりわが待つ君し舟出すらしも
「ふつ」は「皆・すっかり」。「し」は強意の副助詞。]
七夕の袖卷く宵のあかときは
川瀨のたづは鳴かずともよし
[やぶちゃん注:「万葉集」巻第八の湯原王(ゆのはらのおほきみ)の七夕(なぬかのよ)歌二首の二つ目(一五四五番)。但し、二句目の読みが現行と異なる。
織女(たなばた)の袖つぐ夜(よる)の曉(あかとき)は川瀨の鶴(たづ)は鳴かずともよし
「つぐ」は「続ける・くっつける・交わす」。ただ、「卷く」でもシチュエーションとしては問題はない。]
天の川霧立ち渡るけふけふと
我が待つ戀ひしふなですらし
[やぶちゃん注:「けふけふ」の後半は底本では踊り字「く」。「万葉集」巻第九の「七夕(なぬかのよ)の歌一首幷(あは)せて短歌」の後者。前書は「反歌」(作者未詳・一七六四番)。但し、現行とは、下の句が異様に異なる。
天の川霧立ち渡る今日今日とわが待つ君し舟出すらしも
小泉八雲のローマ字の転記ミスと思われる。]
天の川安の渡りに船うけて
わが立ち待つといもにつげこそ原註六
原註六 日本古語ではイモは「妻」と「妹」と兩方を意味してゐる。「いとしの者」といふ語に譯してよからう。
[やぶちゃん注:「万葉集」巻第九の「七夕(なぬかのよ)九十八首」の中の一首(作者不詳(以下同じ)・二〇〇〇番)。
天の川安(やす)の渡(わたり)に船浮(う)けて秋立ち待つと妹に告げこそ
「天の川」は高天原神話に登場する「安の川」と同一と考えたもの。そこには川原があって、牽牛が織女のもとへと通う際に乗る、船の船着き場があると捉えたものである。]
おほそらよ通ふわれすらながゆゑに
天の川路のなづみてぞこし
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇〇一番)。但し、初句の「よ」は「ゆ」が正しい。小泉八雲の転写ミス。
大空ゆ通(かよ)ふわれすら汝がゆゑに天の川路(かはぢ)をなづみてぞ來し
「ゆ」は経過点を示す格助詞。万葉時代の歌語。「なづみて」は「漬づみて」で、ここは、現実的に「行き悩む」の意。]
八千矛の神の御世よりともしづま
人知りにけりつぎてし思へば
〔ヤチホコノカミ、これには他にも名が多くあるが、此神は出雲の大神で、普通にはオホクニヌシノカミ卽ち「大國主神」として知られて居る。地方ではまた結婚の神として崇められて居る――その爲めに此作者はかうこの神の名を持つて來たのであらう。ツマ(ヅマ)といふ語は、古代日本にあつては、妻とも夫とも意味した。だから、この歌は妻の思ひを叙べたものとも、或は夫の思ひを叙べたものとも解してよからう〕
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇〇二番)。
八千戈(やちほこ)の神の御代より乏(とも)し妻(づま)人知りにけり繼ぎてし思へば
小泉八雲は、「ともしづま」をかく両用に解説しているが、現行では、「乏し妻」は「逢うことが稀な妻」として、織女を指すものとする訳解が圧倒的である。「繼ぎてし思へば」は「かくも私が絶えることなく思い続けているから」の意。開けっ広げな感懐吐露からも、以下に並べられた首群から見ても、その方が自然である。]
あめつちと別れし時ゆおのがつま
しかぞてにある秋原註七待つあれは
原註七 古の曆では七月の七日は秋季。
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇〇五番)。四句目の字余りは原歌のままである。
天地と別れし時ゆ己(おの)が妻然(しか)ぞ年にある秋待つ我れは
「天地開闢以来、私の妻には、かくも、年に一度しか会えぬのだ! だから秋を待ち焦がれるのだ! 私は!」の意。]
わが戀ふるにほのおもは今宵もか
あまの河原に石枕まく
[やぶちゃん注:「おもは」は訳者大谷のミス。小泉八雲は正しく“Niho no omo wa”と記している。同前の一首(前歌より前・二〇〇三番)。
わが戀ふる丹(に)の穗(ほ)の面(おもわ)今夕(こよひ)もか天の川原に石枕(いしまくら)まく
「丹(に)の穗(ほ)の面(おもわ)」「丹色が秀でている顔」で「匂うような美しい顔」。牽牛が織女のことを想像して仮想したもの。石を枕にして独り寝しているのは織女。]
天の川みこもりぐさの秋風に
なびかふ見れば時來るらし
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇一三番)。但し、「みこもりぐさ」が現行と異なる。
天の川水蔭草(みづかげぐさ)の秋風に靡(なび)かふ見れば時は來にけり
「水蔭草」は「川辺の草」の意。]
わがせこに原註八うらこひおれば天の川
よふね漕ぎとよむかぢのときこゆ
原註八 古代の日本語ではセコという語は夫か兄を意味した。
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇一五番)。下の句の字余りは原歌のままである。「おれば」は原本のママ。小泉八雲は口語表記に変えてしまっている。
わが背子にうら戀ひ居(を)れば天の川夜船漕ぐなる楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ
「なる」伝聞推定の助動詞。]
遠妻とたまくらかはし寢たる夜は
とりがねななき明けばあくとも
〔「玉枕を取り換はす」とは互の手を枕に用ひるといふ意味。この詩的な句は、よく最初の日本文學に用ひられて居る。玉(タマ)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]といふ語は「貴とい」、「親しい」とかいふ語と同意味に、よく複合詞に用ひられる〕
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇二一番)。原歌は以下のように最終句が字余りであり、意味が、微妙に強い意志が伝わってこない。
遠妻(とほづま)と手枕(たまくら)交(か)へて寢(ぬ)る夜は鷄(とり)が音(ね)な鳴き明けば明けぬとも
「な」は禁止の副詞。最終句は「夜が明けてしまったなら、それはそれで仕方がないのだが」の意。]
よろづよにたづさはり居てあひみども
おもひすぐべき戀ならなくに
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇二四番)。
万代に攜(たづさ)はり居て相見(あひみ)とも思ひ過ぐべき戀にあらなくに
「思ひ過ぐべき戀にあらなくに」「思いが消えてしまうような恋ではないのに」の意。]
我が爲とたなばたつめのその宿に
織れる白妙ぬいてきんかも
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇二七番)。以上の訓では、恐らく、殆んどの読者は下句の意味が採れない。現行は、
わがためと織女(たなばたつめ)のその屋戶(やど)に織る白栲(しろたへ)は織りてけむかも
である。「織り終ったかなぁ?」という牽牛の想像である。]
しら雲の五百重かくりて遠けども
よひさらず見ん妹があたりは
[やぶちゃん注:同前の前の一首(二〇二六番)。現行とは四句目に異同がある。
白雲の五百重隱(いほへがく)りて遠(とほ)けども夜(よる)去らず見む妹があたりは
「白雲の五百重隱(いほへがく)りて遠けども」は「白雲が幾重にも重なり合って、織女のいる方は隠れて見えないし、遠いけれど」の意であり、「夜(よる)去らず見む」は「夕方になるといつも」の意である。これは、「夕方を離れない」の意から「夕方になる毎(たび)に」、則ち、「毎夕」の意である。富山県高岡市に六年住んだ私は、中学一年で、この意味を知ることが出来た。かの地では、「夜が来ること」を「よさり」(夜去り)と、今も言うからである。万葉時代の雅な古語が、今も現に残っているのである。]
秋されば川霧たてる天の川
川に向き居て戀ふ夜ぞ多き
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇三〇番)。
秋されば川霧立てる天の川川に向き居(ゐ)て戀ふる夜そ多き
係助詞「ぞ」は最も古くは清音で、上代には「そ」「ぞ」が併存していた。]
ひととせになぬかの夜のみ逢ふ人の
戀もつきねばさよぞあけにける
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇三二番)。
一年に七日の夜のみ逢ふ人の戀も過ぎねば夜は更(ふ)けゆくも
であるが、別に、
一年に七日の夜のみ逢ふ人の盡きねばさ夜そ明けにける
の異形が、「万葉集」には、示されてある。]
年の戀今宵つくして明日よりは
常のごとくや我が戀居らん
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇三七番)。
年の戀今夜(こよひ)盡して明日よりは常のごとくや我が戀ひ居(を)らむ
「や」疑問の係助詞。]
彥星とたなばたつめと今宵あふ
天の川戶に波立つなゆめ
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇四〇番)。
彥星(ひこぼし)と織女(たなばたつめ)と今夜(こよひ)逢ふ天の川門(かはと)に波立つなゆめ
「川門」川の流れが狭くなっているところ。渡し場は、そこにあるのである。「な」禁止の副詞。「ゆめ」「努・勤」で、呼応の副詞であり、通常文では、下に禁止・命令表現を伴うが、ここでは、和歌の修辞技巧として、反転させて、強調されているのである。]
秋風の吹きただよはすしら雲は
たなばたつめの天つひれかも
〔日本の夫人服裝史に於て、時代を異にして、異つた衣裳品が此名で呼ばれて居た。此歌の場合では、云ふところのヒレは、頸のまはりに著けて、肩の上から胸へと下して、其處で垂らしたままで置くか、又は或る飾り結(むすび)に結んだ白いスカアフであつたらしい。ヒレは、今日同じ目的に手巾[やぶちゃん注:「ハンカチ」或いは「ハンケチ」と読んでおく。]を振るやう、それで合圖をするによく用ひた。――で、この歌に叙べてある問ひはかういふ意味らしく思はれる。「あれはタナバタが――自分を呼びに――その襟卷を振つて居るのではあるまいか』極くの昔には普通著る着物は白であつた〕
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇四一番)。
秋風の吹きただよはす白雲は織女(たなばたつめ)の天つ領巾(ひれ)かも
「領巾(ひれ)」は、元々は「呪具」であった。私は「魂振り(魂呼び)」の一呪法――フレーザーの言う「類感呪術」――と見る。]
しばしばも相見ぬ君を天の川
船出はやせよ夜の更けぬまに
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇四二番)。
しばしばも相見ぬ君を天の川舟出(ふなで)早(はや)せよ夜の更けぬ間に
織女の焦りをモチーフとしたもの。]
天の川霧立ち渡り彥星の
かぢのときこゆ夜の更け行けば
〔カヂといふ語は今は「舵」。――舳[やぶちゃん注:ママ。「艫」(とも)の誤記か誤植。]に乘せて、同時に舵の役も櫂役もする一本の櫂(ヲオル)で匕橈(スカル)、今、ロ[やぶちゃん注:カタカナの「ろ」であるので注意。]と呼んで居るもの。註釋家の說に據ると、天の川を橫ぎつて居る霧は星神の櫂の飛沫であるといふ〕
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇四四番)。第四句は、現行の訓読では、以下のようになっては、いる。
天の川霧立ちわたり彥星の楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ夜の更けゆけば
の第四句は字余りである。但し、私は、字余りで読まない八雲のそれでも、一向によい考える。何故なら、万葉語では「音」は普通に「と」と一音で読むことが、散見されるからである。]
天の川かはとさやけし彥星の
はや漕ぐ舟の波の騷か
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇四七番)。
天の川(かは)川音(かはと)淸(さや)けし彥星の秋漕ぐ舟の波のさわきか
「騷ぎ」は上代は清音である。]
このゆふべ降り來る雨は彥星の
はや漕ぐ舟の櫂(かい)のちりかも
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇五二番)。
この夕(ゆふべ)降り來(く)る雨は彥星の早(はや)漕ぐ舟の櫂(かい)の散(ちり)かも
「散(ちり)」は水の飛沫。]
あすよりはわがたまどこを打拂ひ
君といねずてひとりかも寢ん
[やぶちゃん注:同前の前の前の一首(二〇五〇番)。
明日よりは我が玉床(たまどこ)をうち掃ひ君と寢(い)ねずてひとりかも寢(ね)む
「玉床」は「壻(むこ)迎えのための飾ったベッド」を指す。牽牛の心境であろう。]
風吹きて川波立ちぬ引き舟に
渡り來ませ夜の更けぬまに
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇五四番)。
風吹きて川波立ちぬ引船(ひきふね)に渡りも來(きた)れ夜の更けぬ間に
だが、別な訓では「渡り來ませ」もあるようだ。]
天の川波は立つとも我が舟は
いざ漕ぎいでん夜の更けぬまに
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇五九番)。
天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に
リアルな牽牛の逸る瞬間を、見事に彼になりきって、スカルプティング・イン・タイム(Sculpting in Time)した素敵なリアリズムの一首である。]
いにしへに織りてし機をこのゆふべ
ころもにぬひて君待つあれむ
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇六四番)。
いにしへゆ織(お)りてし機(はた)をこの夕(ゆふべ)衣(ころも)に縫(ぬ)ひて君待つわれを
「を」は詠嘆の間投助詞。]
天の川瀨を早みかもぬばたまの
夜は更けにつつあはぬ彥星
[やぶちゃん注:同前の一首(二〇七六番)。
天の川瀨を早(はや)みかもぬばたまの夜(よ)は更けにつつ逢はぬ彥星
ちょっと変わった、無意識的に少し意地悪な客観観察である。]
わたし守船早や渡せひととせに
再びかよふ君ならなくに
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇七七番)。
渡守(わたしもり)舟早(はや)渡せ一年に二たび通ふ君にあらなくに
ここでは牽牛は自分で漕がずに、渡し舟で船頭の漕ぐそれでやってくる設定にしてあるのである。なんとなく後世の文楽の一場面のような印象がする。]
秋風の吹きにし日より天の川
川瀨にてたち待つと告げこそ
[やぶちゃん注:同前の次の一首(二〇八三番)。
秋風の吹きにし日より天の川瀨に出で立ちて待つと告げこそ
この「こそ」は、係助詞ではなく、動詞の連用形に付く、他に対する願望を表わす終助詞である。「~してほしい・~してくれ」である。]
七夕のふなのりすらしまそかがみ
きよき月夜に雲立ち渡る
〔天平十年(紀元七百三十八年)七月の七日、天の川を眺めながら、かの有名な大友[やぶちゃん注:ママ。]宿禰家持が作つたもの。三句目の枕詞(マソカガミ)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]は飜譯が出來ぬ〕
[やぶちゃん注:「万葉集」巻第十七の、大伴家持の、天平「十年の七月七日に、大伴宿禰家持の、獨り天漢(あまのがは)を仰ぎて、聊(いささ)かに懷(おもひ)を述べたる歌一首」(三九〇〇番)である。現行表記とは、やや異なる。
織女(たなばた)し舟乘(ふなの)りすらしまそ鏡淸き月夜(つくよ)に雲立ち渡る
家持二十歳頃の作で、これは、織女が出向く形だが、これは中国の伝説のままなのであって、おかしくないのである。「まそ鏡」は、もとは、神「聖なる鏡」を褒めていう語で「立派な鏡」のことであったが、「鏡を見る」の意から転じて、「見る」にかかる枕詞となったものである。「霧」は、その織女の乗る舟の乗り出す「飛沫(しぶき)」と、とっているのである。「し」は強意の副助詞であろう。]
しかるに、日本の昔の歌人は星空に何の美をも認め得なかつた! と眞面目に主張され來たつて居る。……
[やぶちゃん注:感嘆符の後の字空けは底本にはない。特異的に入れた。]
恐らく如上の昔の歌人が了解して居たやうな、七夕傳說は西洋の人の心にはただ微かにしか訴へ得ないであらう。にも拘らず、澄み切つた靜寂の夜、月の昇る前に、この古い物語の妙趣が、熒熒[やぶちゃん注:「けいけい」。小さくきらきらと輝くさま。]たる空からして――科學の奇怪なる事實を、且つまた空間といふ途轍も無い怖ろしいものを自分に忘れさせに――自分へ下(お)りて來る。すると自分はもはや天の川をば、その幾億萬の太陽も奈落を照す力を有たぬ[やぶちゃん注:「もたぬ」。]彼(あ)の恐ろしく大きな宇宙の環とは思はずに、ただ、アマノガハそのものとして、――天つ川として眺める。自分にはその光つて居る川のおののきが見え、その川岸にたゆたふ霧が見え、秋風に靡く水草が見える。白い織姬がその星の機に坐つて居るのが見え、向うの岸に草を喰んで居る牛が見える。――そして自分は降る露は牽牛の櫓が散らす飛沫だと思つて居る。そして天(そら)が非常に近いものにまた暖かいものにまた人間味のあるものに思はれ、身のまはりの靜寂は――とこしへに戀ひ慕ふまたとこしへに年の若い、そしてとこしへに神神の父性智に不滿足で居る――變ること無き、不死不滅の、或る戀の夢に充たされて居る。
[やぶちゃん注:……私は……哀しいことに――思うのだ……、
この小泉八雲の「天の河緣起」が――
真の「日本人」が書いた――
美しき日本の――
美しき七夕の伝承を讃美した――
「最後の作品」
である、と…………]
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