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2019/09/25

小泉八雲 蓬萊  (田部隆次譯)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ HI-MAWARI ”)は明治三七(一九〇四)年四月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された、恐らく小泉八雲の著作の中で最も日本で愛されている作品集「怪談」(原題“ KWAIDAN: Stories and Studies of Strange Things ”。来日後の第十作品集)の十七話目である。なお、小泉八雲はこの年の九月二十六日に五十四歳で心臓発作により急逝した。

 同作品集は“Internet Archive”のこちらで全篇視認でき(リンク・ページは挿絵と扉標題。以下に示した本篇はここから。)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める本篇はここ)。

 底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。★【2025年3月30日底本変更・前注変更】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和六(一九三一)年一月に刊行した「學生版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「學生版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『學生版 【第二囘豫約】』とあり、『昭和六年一月十日 發行』とあることが確認出来る)、 これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、之よりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「﹅」は太字に代えた。]

 

 

  蓬 萊

 

 天とつらなる靑海原――明るい靄のうちに入りまざつて居る海と空。日は春、時は朝。

 ただ空と海ばかり――一面の大きな淡靑……前面には漣が銀の光りをとらへて、細(こまか)い泡が漂うて居る。しかし少し向うにはもう何の動くものも見えない、また靑色の外には何物もない。水の黃ばんだ靑色がはるかに空の靑色と融け合つて居る。地平線はない、ただ遠い彼方が高く空となり――無限の凹みが、見る人の前にでき、巨大な弓形が見る人の上にできて――色が高さとともに濃くなつてゐる。しかしはるか中間の靑色のうちに月のやうに曲つた、角のある屋根のついた、かすかな、かすかな塔がかかつて居る、――記憶と云ふもののやうに柔らかな日光によつて照された不思議な、そして古い何かの榮華の影である。……私が今こんな風に說明しようとして居るものは掛物である、――卽ち私の床の間にかけである、絹にかいた日本の繪、――その名は蜃氣樓である。しかしこの蜃氣樓の形はまがふべくもない。それは仙境蓬萊の微かに光る門であり、又あれは龍宮の新月狀の屋根である、――その造りは(現代の日本畫家の筆で描かれたのではあるが)二千百年以前の支那の物の造りそのままである。

 その當時の支那の書物にその場所についてこんな事が書いてある、[やぶちゃん注:読点はママ。]

 蓬萊には死も苦もない、それから冬がない。そこの花は決して凋まない、果實は決して落ちない。人がこの果實を只一度味へば、決して再び飢渴を覺ゆる事はない。蓬萊には凡ての病氣を直す「さうりんしや」「六合葵」「ばんこんとう」と云ふ魔物のやうな草木がある。それから死者を蘇生させる「ようしんし」と云ふ魔法のやうな草がある。この草は一度飮めば、不老になれる不思議の水で養はれて居る。蓬萊の人々は極めで小さい椀で米飯を喰べる。しかしその椀の中の米飯は――どれ程喰べても喰べる人の滿足するまでは少くなる事はない。それから蓬萊の人々は極めて小さい杯から酒を飮む。しかし何人も[やぶちゃん注:「なんぴとも」。]――どれ程飮んでも――心地よい醉の眠氣を催すまでは、その杯を飮み乾す事ができない。

[やぶちゃん注:「さうりんしや」は訳者のミスか誤植。原文は“So-rin-sh”である。因みに一九七五年恒文社刊の平井呈一氏の訳(「骨董・怪談」)では「さうりんし」に「相鄰子」、「六合葵」に「りくごうあおい」のルビ(原文“ Riku-go-aoi ”)、「ばんこんとう」に「万根湯」、さらに「ようしんし」に「養神子」の漢字が当てられてあるのであるが、私はこれらが漢籍の如何なる書物に載っているか、不学にして知らない。識者の御教授を乞うものである。]

 

 泰の時代の傳說に、こんな事やもつと澤山の事がある。しかしこの傳說を書いた人が蓬萊を蜃氣樓でなりと見たとは信じられない。事實、一度喰べたら永久に滿腹する仙果や――死者の蘇生する魔草や――不老の泉や――米のなくならない椀や――酒のなくなる事のない杯はないから。悲しみと死が決して蓬萊に入り込まないといふ事は事實でない、――冬のない事もまた事實でない。蓬萊の冬は寒い、――冬の風は骨を嚙むやうである。それから龍王の屋根には驚くほど雪がつもる。

 それでもやはり蓬萊には不思議なものがある。そのうちの最も不思議なものについてはどの支那の記者も何も云つてゐない。それは蓬萊の大氣である。この土地に特有の空氣である、そのために蓬萊に於ける日光は、どこの外の日光よりも白い、――乳のやうな光りではあるが、目をまぶしくさせる事はない、――驚くほど澄み渡つて居るが、甚だ柔かである。この大氣は私共人間の時代のものではない、それは非常に古い――どれ程古いか考へようとすると恐ろしくなる程古い、――そしてそれは窒素と酸素の混合物ではない。それは全く空氣でできて居るのではない。それは精靈――幾萬億の幾萬億の靈魂――私共の考へ樣と少しも似てゐない考へ樣で考へる人々の靈魂の本質が、混合して一つの大きな半透明體となつたものである。どんな人間でもその大氣を呼吸する人は、その血液のうちにその靈感を取り入れる、そしてその魂はその人の內部の感覺を變へる――時空の觀念をつくり直す――それでその人は、それ等の魂が見た通りに見、感じた通りに感じ、考へた通りに考へるやうになる。これ等の感覺の變化は眠りのやうに柔かである。その變化を通じて見た蓬萊は、つぎのやうに說明してよからう、

 

 『蓬萊では邪念の何たるかを知らないから、人々の心は決して老ゆる事はない。そして心はいつも若いから、蓬萊の人々は生れてから死に到るまで――神々が彼等の間に悲しみを送る時、その時にはこの悲しみのなくなるまで顏は覆はれる、その時の外は――いつも微笑して居る。蓬萊の凡ての人々は一家族の人々のやうに、互に相信じ相愛して居る、――それから婦人の心は鳥の魂のやうに輕いから、言葉は鳥の歌のやうである、――そして戲れに乙女の袖のゆれる時は、柔かな廣い翼のひるがへるやうである。蓬萊では悲哀の外、隱されるものは何にもない、恥づべき理由はないからである、――それから盜みはないから鍵はない、――恐れる理由はないから夜も晝と同じく、どの戶口にも閂(くはんぬき)はさされない。それから人々は――不死ではないが――神仙であるから、蓬萊にある一切のものは龍王の宮殿を除いて、凡て小さくて奇妙で、奇體である、――そしてこの神仙の人々は甚だ小さい椀で米飯を喰べ、甚だ小さい杯で酒を飮む……』

 このやうに見ゆるわけは、その靈氣を吸入したためである事も多からうが――しかしそれだけではない。死者が及ぼした魔力は、ひとへに理想の美、古への希望の魔力である、――そしてその希望は多くの人の心に――無私の生涯の素朴な美はしさのうちに――婦人のやさしさのうちに――實現されて居るから。……

 

 ――西の國から邪惡の風が蓬萊を吹き荒んで居る、靈妙な大氣は、悲しいかな、薄らいで行く。今はただ日本の山水畫家が描く風景の上の長い雲の帶の如く、切れとなり、帶となつて僅かに漂うて居る。その帶と切れの下にだけ、蓬萊はなほ存して居る。しかし外にはない。蓬萊は觸れる事のできない、まぼろしと云ふ意味の蜃氣樓とも云はれる。そしてこのまぼろしは、ただ繪と歌と夢のうちでなければ、再び現れないやうに、消えかかつて居る。……


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