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2019/09/30

小泉八雲 天の河緣起  (大谷正信譯) その3

 

[やぶちゃん注:本篇についての詳細は「小泉八雲 作品集「天の河緣起そのほか」始動/天の河緣起(大谷正信譯)(その1)」の私の冒頭注を参照されたい。歌の表示はブラウザの不具合を考えて、底本のものを上に引き上げてある。]

 

 我が讀者諸君は七夕傳說を取扱つて居る、日本の古歌の次記の選擇を見て興味を感ぜらるる筈と思ふ。これ等は悉く『マンエフシウ』から採つたものである。『マンエフシウ』卽ち『萬の葉の集り』といふは八世紀の半ば前に作られた大歌集である。勅命に依つて編纂されたもので、九世紀の初めに完成された。その中にある歌の數は四千の上にのぼる。『長い歌』(ナガウタ)もあるが、大多數はタンカ卽ち三十一文字に限られて居る作品で、そして作者は廷臣か高官かであつた。つぎに飜譯する初めの十一の短歌は千百年以上も前に筑前の國の守(かみ)であつた山上憶良が作つたものであり、その作のうちの少からずが希臘詩選中のより立派な奇警詩(エピグラム)の或る物と比肩するに足るから、氏の歌人としての名聲は頗る當然のものであつた。その幼兒フルビが死んだ折に物しら、つきの歌は例證とするに足るであらう。――

 

 若ければ道行き知らじ賂(まひ)はせむ

    下(しも)べの使負ひてとほらせ

[やぶちゃん注:九〇五番。九〇四番の長歌の反歌。九〇四の詞書に、「男子(をのこ)の、名は古日(ふるひ)に戀ひたる歌三首【長一首短二首】」とある。自分の幼子「古日」の死を悼むものである。

 稚(わか)ければ道行き知らじ幣(まひ)は爲(せ)む黃泉(したへ)の使(つかひ)負(お)ひて通(とほ)らせ

「道」は死出の旅路、「幣」は贈り物・捧げ物。「通らせ」尊敬の命令形。「行かせてやって下さい」。以下、底本では、一行空けがない(単に改ページであったため、植字工が勝手に行空けを行わなかったものと推察されるため、行空けを行った。]

 

 それよりも八百年前にサアデイス生れの希臘詩人デイオドオラス・ゾオナスはかう書いて居る、――

[やぶちゃん注:「サアデイス」「デイオドオラス・ゾオナス」原文“Diodorus Zonas of Sardis”。この「Sardis」(サルディス又はサルデス)は現代のトルコ共和国マニサ県サルトにかつてあった古代リュディア王国の首都の名。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、言わずもがなであるが、これは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(「ヴィンチ村のレオナルド」)と同じく、生地や活躍した場所等を名に入れ込んだもので、原本のそれ全体が固有名詞の名前、通称名である。フランス語の彼のウィキによれば、『紀元前一世紀前半に生きたギリシャの詩人』で、『彼の名前からサルディス出身であることが窺えるものの、彼の生涯については何も知られていない。彼はエピグラム』(epigram:結末に捻りを利かせるか、簡潔でウィットのある主張を伴う短い詩。語源は、ギリシャ語(ラテン文字転写:epigramma:「碑銘・碑文」の意)で、文学的修辞技法として長い歴史を持つ。本邦では「警句・寸鉄詩」と訳す)『を作曲しており、その内の幾つかは、後のギリシャの詩人・作家であった、テッサロニックのフィリッぺ(フランス語音で示した)が書した「詩選」に引かれてあり、後に編纂された「ギリシャ詩選」(ラテン文字転写‘ Anthologia Graeca ’)に纏められた』とある)

 以下は底本では全体が二字下げ。前後を一行空けた。]

 

この蘆の湖の水の上を、冥土指して死者の船を漕ぐなる汝ケエロンよ、キニラスの子が舷[やぶちゃん注:「ふなばた」。]の梯子を登る時、汝が手を伸ばして受け迎へよや。穿てる草履はかの子を滑らしむべく、また岸の砂を肌足にて踏まんことは恐るれば。

 

 然し、デイオドオラスのこの面白い奇警詩は――『キニラスの子』といふはアドニスに他(ほか)ならぬのだから――ただ、神話に感じて作つたのである。然るに憶良の歌は父が子に對する思慕の情を我我に言ひ現はして居るのである。

[やぶちゃん注:「冥途」原文は“Hades”。「ハーデース」はギリシア神話の冥府の神。冥界の代名詞ともなった。

「ケエロン」原文は“Charon”。「カローン」或いは「カロン」が一般的(この大谷の音写では、ギリシア神話の半人半馬の怪物ケンタウロスの一人である「ケイロン」(Cheiron)と誤るので甚だよくないと私は思う)。ギリシア神話に登場する神に準ずる存在で、冥界の河「ステュクス」(「憎悪」の意)或いはその支流「アケローン」(悲嘆)の渡し守で、「エレボス」(闇)と「ニュクス」(夜)の息子とされる。生物学名でご存知と思うが、ラテン語では“h”は、通常は発音しない。

「キニラス」原文は“ Kinyras ”。「キニュラース」或いは「キニュラス」(ラテン文字表記:Cinyras)は、ギリシア神話に登場するフェニキアの王。実の娘であるミュラーに思いを寄せられ、夜の闇によって相手が十二歳の自分の娘だということを知らずに近親相姦を行ったが、やがて相手が自分の娘だということを知ることとなる。彼女との間にアドニスが生まれた。妻はケンクレイス(以上はウィキの「キニュラース」に拠る)。

「アドニス」原文は“ Adonis ”。ラテン文字表記は「Adōnis」。ギリシア神話に登場する美と愛の女神アプロディーテーに愛された美少年(神ではなく人間)。フェニキアの王キニュラースと、その王女であるミュラーの息子。この名は後、「美しい男性」の代名詞としてしばしば用いられる。ウィキの「アドーニス」によれば、『アドーニスは狩りが好きで、毎日狩りに熱中していた。アプロディーテーは狩りは危険だから止めるようにといつも言っていたが、アドーニスはこれを聞き入れなかった。アドーニスが自分よりもアプロディーテーを選んだことが気に入らなかったペルセポネーは、アプロディーテーの恋人である軍神アレースに、「あなたの恋人は、あなたを差し置いて、たかが人間に夢中になっている」と告げ口をした。これに腹を立てたアレースは、アドーニスが狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺してしまった』。『アプロディーテーはアドーニスの死を、大変に悲しんだ。やがてアドーニスの流した血から、アネモネの花が咲いたという』とある。]

 

 七夕の傳說は實に、支那から借りたものではあるが、讀者は次記の作に何等支那らしいところを見出されぬであらう。いづれも外國の感化を受けてゐない昔の古典的な歌のその最も純なるものを代表して居るもので、千二百年前の日本人の生活と思想との情態[やぶちゃん注:ママ。大谷の癖。]について、幾多の暗示を我我に提供するものである。如何なる近代の歐洲文學もまだ形を具ふるに至らざる前に、書かれたものであることを想へば、その後の幾世紀の星霜の間に日本の文語がどんなに少ししか變化して居ないか、誰れしも非常に驚く。少しばかりの廢語と發音の樣樣な一寸とした變化とを差引けば、今日の尋常な日本讀書人は、英國の讀書人がエリザベス朝の詩人を硏究するに覺ゆると殆んど同じ位に、餘り困難を感ぜずにその自國の詩神(ミユウズ)のかういふ初期の作物を味ふことが出來るのである。その上、萬葉集の作品の典雅と簡素の妙趣とは、役の日本歌人は終にこれを凌駕し得ず、しかもこれと竝馳することも減多に無かつたのである。

[やぶちゃん注:「エリザベス朝」イングランド王国のテューダー朝の内、特にエリザベスⅠ世の治世期間(一五五八年~一六〇三年)を指す。しばしば「イングランドの黄金期」と呼ばれる。但し、参照したウィキの「エリザベス朝」によれば、『文学の分野で「エリザベス朝」という言葉が使用される場合』は、その後のジェームズⅠ世(一六〇三年~一六二五年)及びチャールズⅠ世(一六二五年~一六四九年)の『在位期間を含めることが多い。エリザベス』Ⅰ『世の頃にはウィリアム・シェイクスピアが現れ、現在に残る戯曲の多くを残した。シェイクスピアはソネットなどにも大きな足跡を残した。クリストファー・マーロウなどによっても多くの詩文が残され、英文学の大きな財産となっている』とある。

「竝馳」「へいち」。「並馳」。肩を並べて進むこと。並び競うこと。

 自分が飜譯した四十幾つの短歌に就いて云へば、その主たる興味は、思ふに、その作者は人間性を我我に洩す處に在つて存する。タナバタツメは今なほ頭が下る程に愛情の深い日本の人妻(ひとづま)を我我に代表して居り、ヒコボシは我我には神の光りは一向に放たず、支那の倫理的習慣がその拘束を生活竝びに文學に加ふるに至らない前の、六世紀若しくは七世紀の一年若い日本の夫(をつと)のやうに思はれる。それからまた此等の歌は、彼等が自然美に對する早くからの感情を表白して居るので、我我には興味がある。その歌に我等は日本の風景と、四季とが高天の蒼野に移されて居るのを見る。――急流がありまた淺瀨があり、石の多い河床の中に突然湧き上つて淙淙[やぶちゃん注:「そうそう」。水が音を立てて淀みなく流れるさま。]の音を立てたり、秋風に靡く水草が岸に生えたりして居る天の川は鴨川だと言つてもよいぐらゐ、――其岸にたゆたふ霧は嵐山の霧そのものである。木の釘の上で動くたつた一挺の櫂で推し進めるヒコボシの船はまだ廢れては居ない。多くの田舍の渡船場で、風雨の夜はそれに乘つて渡つて、とタナバタツメが夫に願つたヒキフネ――綱で河の上を曳つ張つて渡す幅の廣い淺い船――を今なほ諸君は見得るのである。そして少女と人妻とは、氣持ちのいい秋の日には、タナバタツメがその戀人たる夫の爲めに機を織つた如くに、田舍村のその門口で今なほ坐つて機を織つて居るのである。

[やぶちゃん注:以下、一行空けで和歌紹介パートに入るので、ここでブレイクしておく。

 ……因みに……私は、この最終段落の、小泉八雲が想起して呉れる、「不変のもの」としての美しい(ちょっと男にはスパイスが効かせてあるところも含めて)日本の原風景が……もう……多くの日本人に想起出来なくなっており……その風景が消滅しかけていることに……非常な「痛み」を感ずる…………

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