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2019/09/17

小泉八雲 術數  (田部隆次譯) 附・原拠

[やぶちゃん注:本篇(原題“ DIPLOMACY ”。同語は交渉に於ける「駆け引き」の意。訳語の「術数」は「はかりごと・たくらみ」の意)は明治三七(一九〇四)年四月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された、恐らく小泉八雲の著作の中で最も日本で愛されている作品集「怪談」(原題“ KWAIDAN: Stories and Studies of Strange Things ”。来日後の第十作品集)の五話目である。なお、小泉八雲はこの年の九月二十六日に五十四歳で心臓発作により急逝した。

 底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。★【2025年3月28日底本変更・前注変更】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和六(一九三一)年一月に刊行した「學生版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「學生版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『學生版 【第二囘豫約】』とあり、『昭和六年一月十日 發行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、之よりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 本話の原拠は特定されていないようである(新しい論文の中にそれを見出したらしいものが見られるが、未見)。中国の伝奇・志怪小説の中に斬首に処せられた罪人が言葉を発したりする類話は多く見られるので、或いは、それらをもとに小泉八雲が創作したものかも知れないと考えている。原拠を知り得た際には追記する。【二〇二三年八月十三日削除・追補】これは山崎美成が天保一四(一八四四)年十二月に刊行した随筆集「世事百談」の巻三にある「○欺きて寃魂(ゑんこん)を散(さんず)」が原拠であった(柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」の「一念」の本日の電子化で判明した)。「富山大学学術情報リポジトリ」で、「ヘルン文庫」のもの(原版本)が、こちらでPDFでダウン・ロード出来る。左から三つ目の「PDF」の「32」コマ目である。

 

  術 數

 

 屋敷の庭で死刑が執行される事にきまつた。その罪人は引き出された。今も讀者が日本庭園で見られるやうな飛石の一列が眞中にある、砂を敷いた廣場へ坐らされた。彼は後ろ手に縛られてゐた。家來は手桶の水と小石の滿ちた俵を運んだ。それから坐つて居る男のまはりに俵をつめた、――動けないやうにくさびどめにして置いた。主人が來て、その準備をを見た。滿足らしく、何も云はなかつた。

 不意に罪人は彼に呼びかけた、――

 『お侍樣、今から御仕置を受ける事になつたが、私の過[やぶちゃん注:「あやまち」。]は、なにも知つて犯したんぢやございません。その過の元は只私が馬鹿だつたからです。何かの因果で愚鈍に生れて來たのでいつも間違をせずには居られない。だがなにも愚鈍に生れついたつて云ふわけで、人を殺すのはそりやひどい。――そんな無法は胸晴しをせずには居られない。どうでも私を殺すと云ふなら、きつと私は復讐する。――あなたが恨みを懷かせるから、復讐になる、つまり仇に報ゆるに、仇をもつてするんだ……』

 人がはげしい恨みを呑みながら殺されると、その人の幽靈は殺した人に恨みを報ゆる事ができる。この事を侍は知つてゐた。彼は甚だ穩かに――殆んど愛撫するやうに――答ヘた。

 『お前が死んだあとで、――自分等をおどかすことはお前の勝手だが、お前の云はうと思つて居ることは分りにくい。お前の恨みの何か證據を――首が切れたあとで――自分等に見せてくれないか』

 『見せるともきつと』男は答へた。

 『宜しい』侍が長い刀をぬいて云つた、――『これからお前の首を切る。丁度前に飛石がある。首が切れたら、一つその飛石をかんで見せないか。お前の怒つた魂がそれをやれるなら、自分等のうちにもこはがるものもあるだらう。……その石をかんで見せないか』

 『かまずにおくものか』大變に怒つてその男は叫んだ、『かむとも。かむ』――

 刅 [やぶちゃん注:「やいば」。底本は右手の点がない字体。]は閃いた。風を斬る音、首が落ちて、からだの崩れる音がした。縛られたからだは、俵の上へ弓なりになつた、――二つの長い血の噴出しが[やぶちゃん注:ママ。「噴(き)出したが」の誤植であろう。]、切られた首から勢よく迸つて[やぶちゃん注:「ほとばしつて」。]居る。それから首は砂の上にころがつた。飛石の方へ重苦しさうにころがつた。それから不意に飛び上つて、飛石の上端を齒の間に押へてしばらく、必死となつてかじりつき、それから力弱つてポタリと落ちた。

 

 物を云ふものがない、しかし家來達は恐ろしさうに、主人を見つめてゐた。主人は全く無頓着のやうであつた。彼は只すぐ側に居る家來に刀をさし出した。その家來は柄杓で柄から切先まで水をそそいで、それから丁寧に柔かな數枚の紙で幾度かそのはがねをふいた。……そしてこの事件の儀式的部分は終つた。

 

 その後數ケ月間、家來達と下部等はたえず、幽靈の來訪を恐れてゐた。誰もその約束の復讐の來る事を疑ふものがなかつた。そのたえざる恐れのために、ありもしないものを多く、聞いたり見たりするやうになつた。竹の間の風の音をも恐れた、――庭で動く影にも恐れた。遂に相談の結果、その恨みを呑んで居る靈のために、施餓鬼を行ふやうに主人に願ふ事にきめた。

 家來の總代が一同の願を云つた時に、『全く無用』と侍が云つた。……『あの男が死ぬ時に復讐を誓つたのが、つまり恐れの原因(もと)であらうと思ふ。しかし、この場合恐れる事は何もない』

 その家來は賴むやうに主人を見たが、この驚くべき自信の理由を問ふ事をためらつた。『あ〻、その理由は極めて簡單だ』その言葉に表はれない疑を推しはかつて侍が云つた。『彼の最後のもくろみだけが、ただ、危險になれたのだ。そして自分が彼にその證據を見せろといどんだ時、復讐の念から彼の心をわきへ向けた。つまり飛石にかじりつかたい一念で死んだのだ。その目的を果す事ができたが、ただ、それつきり。あとはすつかり忘れてしまつたに違ひない。……だからお前達はそんな事にもう、かれこれ心配しないでもいい』

 ――そして實際、死人は何も祟るところがなかつた。全く何事も起らなかつた。

 

[やぶちゃん注:なお、『柴田宵曲 妖異博物館 「執念の轉化」』で、小泉八雲の原文と原拠を示してあるので、見られたい。

【2025年3月28日追加】先に示した柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」の「一念」のものは、漢字が新字体な上に、表記を、かなり弄っていることが判ったので、心機一転で、ここは一つ、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷卷(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字体の原拠を視認して、以下に再度、示すこととした。但し、総ルビであるが、振れると思ったのみのパラルビとしつつ、自身の屋上屋にならぬよう、読み易さを考え、一部に読点・記号を打ち、段落を成形した。そのため、一部の「ゝ」を正字化した。

   *

   〇欺(あざむき)て寃魂(ゑんこん)を散(さんず)

 人は、初一念(しよいちねん)こそ大事なれ。

 たとへば、臨終一念の正邪(しやうじや)によりて、未來善惡の因(いん)となれる如く、狂氣するものも、金銀のことか、色情か。事にのぞみ迫りて狂(きやう)を發する時の一念をのみ、いつも口ばしりゐるものなり。

 ある人の、

「主命にて人を殺すは、わが罪にはならず。」

と云(いふ)を、

「さにあらず、家業(かげふ)といへども、殺生の報(むくひ)はあること。」

とて、

「庭なる露しげくおきたる樹(き)を、ゆり見よ。」

と、こたへけるまゝ、やがてその木の下(もと)に行きて動かしければ、その人に、おきたる露、かゝれり。

 さて、その人、云(いふ)やう、

「怨みのかゝるも、その如く、云(いひ)つけたる人よりは、太刀取(たちとり)にこそ、かゝれ。」

と、いひしとかや。

 諺にも「盜(ぬすみ)する子は惡(あし)からで、繩とりこそ、うらめし。」といへるは、なべての人情といふべし。

 これにつきて、一話(はなし)あり。

 何某(なにがし)が家僕(かぼく)、その主人に對し、さしたる罪なかりしが、その僕を斬らざれば、人に對して義の立(たゝ)ざることありしに依(より)て、主人、その僕を手討(てうち)にせんとす。

 僕、憤り怨みて云(いふ)、

「吾、さしたる罪もなきに、手討にせらる。死後に、祟りをなして、必ず、取殺すべし。」

と云(いふ)。

 主人、わらひて、

「汝、何(なに)ぞ、たゝりをなして、我をとり殺すことを得んや。」

といへば、僕、いよいよ、いかりて、

「見よ、とり殺さん。」

といふ。

 主人、わらひて、

「汝、我を取殺さんといへばとて、何(なに)の證(しよう)もなし。今、その證を、我に見せよ。その證には、汝の首を刎(はね)たる時、首、飛(とん)で、庭石に、齧(かみ)つけ。夫(それ)を見れば、たゝりをなす證とすべし。」

と云(いふ)。

 さて、首を刎たれば、首、飛びて、石に齧(かみ)つきたり。

 その後(のち)、何のたゝりも、なし。

 ある人、その主人に、その事を問(とひ)ければ、主人こたへて云(いふ)、

「僕、初(はじめ)には、『たゝりをなして我を取殺さん。』と、おもふ心、切(せつ)なり。後(のち)には、『石に齧つきて、その驗(しるし)を、見せん。』と、おもふ志(こゝろざし)のみ、專(もは)ら、さかんになりしゆゑ、たゝりをなさんことを忘れて、死(しし)たるによりて、祟り、なし。」

と、いへり。

   *]

 

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