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2019/09/06

1260000ブログ・アクセス突破記念 梅崎春生 偽卵

 

[やぶちゃん注:昭和二四(一九四九)年一月号『知識人』初出、後に同年十月月曜書房刊の作品集「ルネタの市民兵」に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 少し、フライングして一部に注を施しておく。ネタバレにならないように途中と最後にも別に注してある。

・ロケーションが一致するかどうかは別として、当時(昭和二十二年十月以降)、梅崎春生は現在の世田谷区松原(グーグル・マップ・データ)に住んでいた。昭和二十二年一月に山崎惠津と結婚、同年十月に長女史子が生れている。

・本作公開同年で米一升は二百円(小売価格)、翌昭和二十五年で鶏卵は一個十五円。

・「盲縞(めくらじま)」縦横ともに紺染めの綿糸で織った無地の綿織物。紺無地。

・「歩廊」「ホーム」と当て読みしているものと思う。

・「四間」約七メートル四十二センチ。

・「二間」約三メートル六十三センチ。

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の2005年7月6日)、本ブログが昨日の夕暮れに、1260000アクセスを突破した記念として公開する。]

 

 

   偽  卵

 

 それを見たのは、駅近くの小さな瀬戸物屋の店頭であった。すりばちや花瓶がならんだ棚の下に、木箱のなかにそれはたくさん積まれていた。瀬戸物屋でも卵を売るのか、と私は立ち止り、しばらくそれを眺めていた。日が射さない場所なので、淡黄色のひとつひとつは翳(かげ)をふくんで、埃(ほこり)のなかにしずんでいる。鶏卵にしてはすこし艶がわるい感じであったし、置かれてある場所も変だとは思った。

「あれ、いくらだね」

「へえ。ひとつ十円です」

 棚のものにはたきをかけていた若い男が、ふりかえってそう言った。そばかすのある顔が、ふりかえる瞬間に、妙に幅ひろく見えた。腰を曲げて木箱から拾いあげ、盲縞(めくらじま)の前垂れでぐるりと拭いて、私の方に差しだした。皮の厚そうな掌である。値が不当に廉(やす)いと思ったら、そこに乗っているのは、淡黄色の粘土の偽卵であつた。

「硝子のやつよりも、うまく出来ておりますでしょう」

 私の掌の上に、偽卵はがさがさところがった。硬く、脆(もろ)く、乾いた感じであった。重みがどこかで抜けてしまったような、実質をうしなった軽さがあった。ほんものの鶏卵にある、あのしっとりかかる重さがない。そして日の光のなかでは、すこし黄色すぎた。こんなものを、なんで見あやまったのだろう。

「本ものの卵を買うつもりだったんだよ、おれは」聞えないように口のなかだけでそんなことを不機嫌に呟(つぶや)きながら、次はすこし大きな声で、「貰っておくよ。十円だね」

「本ものよりは、ずっとお安くなっております」

 言いなれた口調で、笑わないでそう言った。私から十円札を受取ると、また棚にむかって、はたきをかけ始めた。はたきの先から埃がぱっと立って、また徐々にもとの瀬戸物に舞い降りる。どうもそばかすのある男は、どの男も、笑ってもいいときに笑わないような気が私にはするのだが、どんなものだろう。

 偽卵を掌でもてあそびながら、私は駅の方にあるく。もう卵を買う気持もなくなってしまった。実は朝食をとっていないので、卵でも買い求め、駅で電車を待つ間にでも、穴をあけて啜(すす)ってみようと思ったのだが、その気もなくなった。さっきまでは、小さな穴からしたたり流れる白味のぼったりした味や、ねとねとした黄味の舌ざわりを、妄想しながら歩いていたが、駅についた頃は、その嗜慾(しよく)も嘘みたいに消えてしまった。そのくせ腹は空いている。腹のなかで内臓や不随意筋がゆるゆると収縮してゆく感じがある。なにかゆたゆた揺れる、やわらかくて重く、甘く酸っぱいもの、そのようななにかで、腹いっぱいに満たしたい。そんな擬似めいた食慾が、瞬間的に私に起って消える。

 切符を買い、改札を通り、歩廊を果てまであるく。そこは黒い木柵で限られていて、そこに背をもたせて電車を待った。歩廊に人影がすくないから、どうせ電車が来るのも手間どるに違いない。ここからは、いろんなものがよく見える。線路に沿った黒い道。草原。立ち枯れた樹。遠くに病院。草原には牛が一匹つながれている。拳闘の真似をしながら、道をあるいている男。むこうの歩廊には、柵にもたれた中年のおかみさん。風呂敷包みを抱いている。包みからは、赤ん坊が首を出して泣いている。そして――ただそれだけ。私が動かないから、風景もおのずと枠のなかに入って動かない。人も牛も枠のなかで、私にかかわりなく動いている。

 ――あれは食牛かしら?

 ほとんど枯れ果てた草原を、綱いっぱい伸ばして草を食みながら、牛はのろのろと動いている。ここから見ると、黒い牛の形でしかない。軍隊にいたとき、牛を見ると食慾を感じるという「元屠殺業者」が、同年兵にいた。頭が小さく、手首が太く、頸(くび)の肉が厚い、いかにも屠殺業者らしい風貌であつたが、どういうものか上の兵隊から殴られたり尻を打たれたりするのを、ひどく恐がった。そのくせ同年兵の私たちには、ひどく傲慢で、ときには嘲弄的ですらあったのだが。――私はいまその男を思い出している。その男の言葉。

「ロース肉でも皿にならべて葱(ねぎ)でもそなえなきゃ、お前たちは食慾が起らねえと言うんだろう。バカな話さ」

 作業に出たとき、牛がいて、それからこんな話になったのだが、この屠殺業者によれば、牛という生体は、美味(おい)しい牛肉のかたまりであって、生きている牛の形のままで彼の食慾をそそるというのであった。額に斧(おの)をうちこみ、刃物ですばやく皮を剝ぐ。肋骨や赤い筋肉、白くはしる脂肪の層、なまなましい臓器。――そういう解体の経験を通して、あの時「元屠殺業者」の眼はきらきら光って、牛の姿を追っかけた。

「――魚を見れば、お前だって、うまそうだなと思うだろ。牛だって同じことよ」

 相手が牛にしたって何にしたって、ある確実な何かで眺めるということは、大したことだ。そう思いながら、私はぼんやり歩廊から牛の姿を眺め、屠殺業者の風貌を思い起していた。あの屠殺業者の眼にのりうつれば、あの牛の姿も、私のなにかをかきたててくるのかも知れない。……

 ひどく退屈に似た気分におちこみながら、私は掌の偽卵をポケットにすべりおとす。線路の遠くに、近づいてくる小さな電車の形があった。

 

 公園に面した建物の一階に、その法廷はあつた。法廷ではすでに裁判が始まっているらしかった。廊下にかけられた小さな掲示板の前に立ち、私は本日の予定を読んだ。それによると、今日中に此の法廷で、三十人余の犯罪者が裁かれることになっていた。石狩の名もその中にあった。石狩は今日ここで、判決の言渡しをうける筈であった。掲示を読んでいる間でも、法服を着た男たちや傍聴者らしい男たちが、廊下をがたがたいわせながら通った。壁一重むこうでは、人が人を裁いているというのに、廊下にはそれと無関係な雑然とした空気が流れていた。

 半開きになった扉のところにも、傍聴人が立っていて、法廷は満員のようであった。私は背を伸ばして、人の肩越しに、内部をのぞきこんだ。長方形の法廷の一番奥が、すこし高い壇になっていて、白髪を短く刈りこんだ裁判長らしい男の顔が見えた。口を動かして何かしゃべっている風(ふう)であった。

 法廷は思いのほか狭かった。幅が四間ほどしかなかった。奥の壇の上は裁判長だけで、左手に少し下ったところに、法服を着けた陪席検事らしい男がひとり、退屈そうに横むきに腰掛けていた。その向い側は弁護士席となり、そこからこちらが被告席になっているらしかった。被告席は人の頭や肩のかげになって見えなかった。私は身体をななめにして、人の背を押しながら、扉の内側に入りこんだ。視野がすこし広くなって、被告席にずらずらとならんだ頭が見えた。私はすばやく石狩の姿を探した。特徴のある石狩の後頭部を、二列目の腰掛けの中央に私はとらえた。痛みのようなものが、私の胸をはしる。私は眼をそらした。

 壇の前には二人の若い男がならんで立ち、その後姿が見えた。ふたりとも首をうなだれ、裁判長の言葉を聞いていた。裁判長はかなりの老人で、声は間延びしたりかすれたりした。壇のすぐうしろが硝子窓で、そのむこうが公園とこの建物をへだてる道路になっていた。道路と法廷とは、ほとんど等高であった。道路をあるく人の頭が、硝子窓に見えかくれした。十秒か十五秒おきに、自動車が音をたてて通った。音が近づくと裁判長の声は消され、自動車の車体が窓にあらわれて隠れると、また間延びした裁判長の声が法廷にもどってきた。二人の若者は兄弟で、ふたりして公園で通行人を脅迫して金をうばったというのであった。刑の言渡しとその理由を、裁判長がいま発言しているところであった。それは二分も経(た)たないうちに、直ぐに済んだ。礼をしてふたりが被告席にもどると、裁判長は書類の耳をいじくりながら、眼鏡をずり上げて、次の名前をよんだ。また別の男が手錠を外されて、壇の前にすすんだ。手錠を外す音は、私の耳にもはっきり届いた。うしろから見る被告席の男たちは、そろって肩をせばめている具合からして、皆手錠をかけられているに違いなかった。

 石狩は頸(くび)をまっすぐに立てたまま、身じろぎもしないで掛けていた。髪はすこし乱れ、鬚(ひげ)が一寸ほども生えているらしい。背後からだから、表情はもちろん判らなかった。しかし瞳を定めている感じが、うしろからでも窺われた。

 入口に背をもたせたまま、私はそれらを眺めていた。外部の雑音が遠慮なく入ってくるこの小部屋で、人間が人間を裁いているということが、蝶番(ちょうつがい)いの食いちがったようなもどかしい気分に私をさそった。窓の外を通る人や自動車が、この小世界とまったく関係がなく動いていること、ただ硝子一枚へだてただけで、色合の異なった世界がひらけているということが、私にある感じを起させた。その感じにはなにか抵抗があった。

 次々言渡しが済んで四五人たまると、巡査がひとまとめに立たせて、退廷の準備をした。そしてぞろぞろとつながって、腰掛けから離れた。扉ふきんの傍聴者は、自然と廊下に押し出され、人々の肩を分けるようにして、巡査に引かれた被告たちが廊下に出てきた。それらは繩(なわ)で数珠(じゅず)のようにつながっているのであった。それと一緒に傍聴者の何人かが、扉から食(は)み出てきた。これらの被告の身よりか何か、かかわりのある人たちにちがいなかった。廊下を中庭の方へあるく被告たちを、ばらばらに小走りに追いかけた。それを見ながら私はまた扉の内側に、身体をすくませながらすり入れる。

 言渡しはまだつづいていた。

 横手の傍聴席には二十人程の傍聴者が掛けていた。目白押しに腰掛けていた。傍聴者がすこし減ったので、そこが見えた。私はそのなかに麻子の横顔を見た。麻子は黒っぽいスーツを着て、身をすくめて腰かけていた。麻子の眼はしろっぽく見開かれて、なにもながめていないように見えた。膝に置いた手は白い手巾(ハンカチ)をにぎっていた。どのような表情も、麻子の顔になかった。なにもながめていないように見えながら、視線の方向はぼんやり石狩におちていた。私の場所からは、石狩の後頭部しか見えないが、麻子の場所は石狩をななめに眺め得る位置にあった。そして麻子が傍聴席に掛けているのは、ずいぶん早くからここに来ているからに相違なかった。

 ――麻子は石狩の横顔に、なにを見ているのだろう?

 瞬間眼の前で白っぽい光が吹きはらわれるように動いた。私は石狩のふとい頸筋を、そこにみだれる頭髪やよごれた生毛を、ざらざらに立った毛穴を見た。また襟(えり)あかに黒ずんだ上衣や、そこにただよう体臭をかんじた。それは突然私にやってきた。倒錯した快感のようなものが、私のなかを一瞬通りぬけた。それは苦痛にも似ていた。私は身ぶるいしながら、麻子の方を見た。ぎょつとしたようにこちらをむいた麻子の眼と、私の視線は合った。

 その時裁判長が間延びのした声で、石狩の名を呼んだ。影のように実体を失った感じで、石狩は立ちあがった。ここからは石狩の後頭部しか見えないのに、衰えをふくんだ彼の横顔を私は感じた。それは麻子の頰と同じように、すこし痙攣(けいれん)していた。かすかな錯乱が私をみたした。

 

「被告を八年の懲役に処する……」「以下その理由を説明する……」

 近づいては遠ざかる自動車の音をぬって、裁判長のそんな声が流れた。石狩は頸(くび)をたてたまま立っていた。それから裁判長は抑揚のない平板な口調で、判決の理由を述べはじめた。眼は石狩にむけられてはいるが、唇だけが独立に動いて、読本でも読んでいるような感情のない声音であった。それがかえって職業のもつ酷薄さを感じさせた。

 ――石狩はなにを見ているのだろう?

 裁判長のうしろの窓硝子は白くよごれ、道路をへだてた公園の植込みが見えていた。樹々の幹や葉も、道路の埃に白く褪(あ)せていた。葉がくれに便所の混凝土(コンクリート)の壁が見えた。掌のような八ツ手の葉がそこにいくつも垂れていた。ごくありふれた退屈な風景であった。道路の上の人や自動車が、ときどきそれをさえぎつた。それらの風物も今、石狩の眼に入っているのだろう。

(八年といえは検事の求刑からすこしも軽くなっていない)

 石狩が私の友人であること、そして彼が強盗を二件もはたらいたこと、心にかかる重さをはかるように、私はそう呟(つぶや)いた。しかしその重さも、私が手探ろうとすると、霧のように消えるのであった。私が今日この判決を聞きにやってきたのも、義務感と好奇心からだけでないとはいえなかった。むしろまことの重さはそのことにかかっていた。石狩がいまから服役せねはならぬ八年の歳月が、裁判長の唇から間のびした調子で発音され、それがどのような実質的な感じとして石狩におちかかっているのか。ある膜のようなへだたりが、私をいらだたせた。私は入口に頭をもたせたまま、ちらちらと麻子の方をぬすみ見た。

 裁判長の説明は聞えたり聞えなくなったりしてつづいた。

 麻子は片手を前の腰掛けの背にあてて、すこし身体をななめにして、前方を見詰めていた。ときどき身体を乗り出すようにもした。緊張した表情が、かえって麻子の顔を放心したように見せた。

 裁判長の調子が、やがて論述の終りを予感させた。被告の強盗をはたらいた心境は、幾分同情のできる余地もあるが、法の立場からしては八年の宜告は止むを待ないということを、裁判長は眼鏡ごしに石狩をながめながら、さとすような口調になって言った。私の視野の端を白いものが動いて、麻子はその時掌にもった手巾を顔にあげた。

 ――八年という年月はずいぶん長いんだな。

 瞬間にこの感じが、ひとつの形で私に来た。手巾(ハンカチ)はすぐに膝に降りて、私は麻子のむきだしの横顔をみた。頰の白粉(おしろい)がすこし斑(まだら)となり、眼は斜視じみて見開かれていた。裁判長の前で、石狩が軽く頭をさげているところであった。元の席へ戻るとき、石狩が私を見るかも知れない。そう思うと私は無意識に身体をずらせて、弾(はじ)け出るように廊下に出た。廊下をがやがや話しながら、弁護士服をつけた二人の男が通りすぎた。

 

 石狩が法廷から引かれて出るとき、私は廊下に立っていたし、麻子は私によりそうように立っていた。数珠(じゅず)のようにつながれた四人目に石狩はいた。入口から出てきて、ただようように動いていた石狩の視線が、私等をとらえた。私たちの間隔は二間ほどであった。石狩は突然なにか暗い灼けつくような眼になって、掌をあげようとしたが、手をしばった繩(なわ)にさまたげられた。その繩はぴんと張って、前の男の手に連繋(れんけい)していた。

 「…………」

 石狩は追われるような調子で早口になにか言ったらしかった。しかしその言葉の意味は開きとれなかった。麻子は脅えたように身体を私に寄せてきた。石狩の頰には硬(こわ)そうな鬚(ひげ)が密生して、膚のいろは黄色であった。前の方から繩を引かれて、石狩はすこしよろめいた。そしてそのまま繋がってあるきだした。廊下が中庭に折れる場所で、石狩はも一度私たちの方をふりかえった。そして見えなくなった。中庭には未決囚専用のバスが待っていて、それへ乗って小菅(東京拘置所の所在地)へかえるのである。

[やぶちゃん注:「東京拘置所の所在地」は底本では二行割注で丸括弧の中に入っている。梅崎春生にしては珍しい仕儀で、或いは、初出の雑誌編集者が、又は、底本の全集編者が挿入した可能性もあるが(前者は考えにくい。当時の読者にはこの直前の東京裁判(昭和二三(一九四八)年十一月十二日終了)があったのだからこんな注は不要である)、初出誌や作品集「ルネタの市民兵」を所持しないので、そのまま電子化した。現在の東京都葛飾区小菅にある東京拘置所(グーグル・マップ・データ)。]

 石狩が見えなくなると、麻子は私からはなれて、柱のところで声を立てないですこし泣いた。それはごく自然な感じであった。私は麻子のことはよく知らない。石狩の部屋で二三度会っただけである。石狩は私にふつうの紹介をしただけだから、ふたりがどんな関係にあるのか私は知らなかった。それは私にはどうでもよかったのだから。

 麻子はすぐに泣きやんで、手巾で顔をふいた。私たちはあるきだした。中庭と反対の方角にあるいて、この建物を出た。もう石狩はバスに追いこまれ、バスも動きだした頃だろう。

 木造の門を出、曲角をまがり、建物の外郭にそって公園の方へなんとなくあるいた。私にはある期待があった。その地点まできて、顔をまげてのぞきこんだ。建物のしろくよごれた窓硝子のなかに、さっきの部屋が見えた。そこには裁判長の腰かけた後姿と白髪の頭が見えた。その向うはうす暗く、人の顔がぼんやりとならんでいた。私たちのそばを音たてて、緑色のジープが通りすぎた。その窓硝子のなかは灰色に澱(よど)んでいて、いいようもない退屈な感じにあふれていた。ごく短い時間にそれを瞳に収めて、私はその地点を通りぬけた。

「可哀そうだわ。ほんとに、可哀そうだわ」

 麻子が独白のように呟いた。麻子があの部屋のなかを見たのかどうか判らない。ある衝動におされて、私は頭を廻し、公園の方を眺めた。白く褪色(たいしょく)した樹々の葉や便所の壁を。八ツ手の葉がそこに垂れていた。その風景が急に活き活きした感じとして私をうつた。平凡であれはあるだけ、その感じは私を瞬間かきたててきた。

 ――これだな。こんな感じなんだな!

 私は自分の心にきりきりと爪をたてながら思った。この風景を、裁判長の前に立った石狩が見ていたことが、その時私の胸にあった。その時彼がなにを思い、感じていたのか。窓のない囚人バスにのせられ、直ぐに刑務所にむかう。そして八年間。一年の八倍。九十六箇月。三千日。人人が通る道路というものや、樹々が茂った公園というものから、きっぱりと遮断されてしまう。――いわばその末期の眼は、どんなに貪婪(どんらん)に、あの風景を吸いこんだだろう。私は急ぎ足になって、公園の小径(こみち)に曲りこんだ。

 公園のなかに入っても、麻子は私につきそうように追ってきた。私は公園をぬけて、盛り場の街へ出るつもりである。麻子はまるであてどもないように、私についてくるようであった。黒いスーツにつつまれた肩が、あたたかく丸い感じがした。ならんで歩きながら、その肩がしばしば私の身体に柔かくふれた。

(よりそうように私たちが廊下に立っていたのを、あの暗い灼きつくような眼で、石狩はどんな風(ふう)に見たのか――)

 深いところに吸いこまれるような気持で、私はそう考えた。麻子と私が、ただ石狩をつうじての顔見知りで、それだけの無縁のものであること、それは石狩も知っている筈であった。しかし暗く燃える眼で彼がみたのは、それではなく、それを超えた痛烈なものであることを思ったとき、粟立つものが私の背中を奔(はし)った。あの眼には八年の歳月がおもくのしかかっていた。石狩の網膜にうつった私たちふたりの姿を、私は想像のなかで自ら組立てていた。そうして組立てられた幻影が、いま公園の広場の落葉のなかをあるいてゆく。危惧(きぐ)に似た感じが突然私の胸にしみこんできた。そばをあるく麻子が、急に匂いや味や肉の感触をたたえた実質として、私に感じられた。

「――裁判って、あんなものなの? あんなことで人の運命がきまったりするの?」

 麻子はすこし落着いてきたらしく、そんなことを言ったりした。公園の広場には、冬の花が咲いていた。落葉が道を埋め、靴の裏で鳴った。

「あれはね、単独裁判というんだよ。すこし略式になるんだろう。」

「もうどうにもならないのかしら」

「どうにもならないだろうね」私は冷淡にこたえた。

「――わたし、待てないわ。八年も。待っている自分を思うと、たまらなくなるもの」

 口走るように麻子は言った。麻子の言い方は、私が石狩と麻子の関係を充分知りぬいていると、錯覚しているような具合であった。麻子の心が私にもたれてくるのを、私はしだいに感じ始めた。それは女がもつ無意識の打算のように思われた。自分の心をも一度かきたてるように、私は思つた。

(石狩の眼に映ったように、おれはなってしまおうか。あの感じをたしかめるには、それ以外にないのだから)

 しかしそう思ったとき、故しらぬふかい疲れが私をおそった。私は急に麻子から気持が遠のくのを感じた。

「わたしこれから、どうなるのかしら?」

「さあ」私は十歩ほどあるいてから答えた。「どうなるか貴女は知ってるでしょう。だからそんなことが言えるんですよ」

「そうよ。そうだわ」

 びっくりする程素直な調子になって、麻子はうなずいた。それは私につよく、女というものを感じさせた。

 公園を出てから、私たちは別れた。別れぎわに私は麻子の住所を聞いて書き取った。麻子は私の住所を聞こうとはしなかった。道を右、左にわかれて、私は振りかえらずにまっすぐ歩いた。私は背中に麻子の視線を感じた。

 ――廊下を引かれてゆくとき、石狩は何と言ったのだろう。何を言おうとしたのだろう?

 あれは意味のない叫び声だったかも知れない、と私は自分に言いきかせるように呟いた。しかしあの瞬間の声や眼付は、私の意識のなかに長く長くとどまるだろう。その予感は私にあった。そして石狩の眼に収められたあの時の私の姿が、長く長く石狩の意識にとどまるだろうということを、裏打ちするように思い合せたとき、烈しい悔恨のようなものが私をおそった。

[やぶちゃん注:「単独裁判」簡易裁判所及び地方裁判所に於ける「単独審(たんどくしん)」のこと。一人の裁判官が単独で裁判(審理・判決など)を行う裁判。これに対し、我々が普通に見かけることが多い、複数の裁判官が裁判を行う場合は「合議審」という。本邦では単独審を行うことが出来るのは判事又は特例判事補の限られるが、簡易裁判所は一人の裁判官が総ての事件を審理し(則ち、簡易裁判所には合議審はない)地方裁判所に於いてのみ両審がある。地方裁判所では単独審と合議審があり、必ず合議体で審理しなければならない事件(法定合議事件。殺人・放火等のような重い刑罰が定められている犯罪の裁判)及び争点が複雑であるなどの理由から本来は単独事件で審理出来るものを特に合議制で審理する事件(裁定合議事件)の別がある。上訴審である高等裁判所や最高裁判所は常に合議審であるから,この区別はない。このシークエンスのそれは簡易裁判所のそれである。]

 

 駅の前の暗がりには、沢山女が群れていて、通る男たちをつかまえようとしていた。ビルの蔭になっていて、そこらはひとしお暗かった。すこしむこうには手相見の燈やピーナツ売りの燈がならんでいた。また彼方にはがたがたのマーケットが明るく浮き上り、人影をちらちらさせていた。そこへむかって歩いてゆく私の右腕を、よりそうように近づいてきて女の手がとらえた。

「ね。行かない?」

 女は黒っぽい服をつけていた。むこうの明りの照りかえしで、私は女の顔をみた。ひらたい感じの顔に、口紅をあざやかに点じていた。女は身体をすりよせた。そして掌で私の服にふれた。

「ねえ。一緒にあそばない?」

 私の背後でも、そんな取引の声がいくつも起っていた。女の嬌声もそこに混った。私は身体を引いて、離れようとした。

「どこに行くの。まだ飲むの。もう相当酔ってるじゃないの」

 女は私にからまって、四五歩ついてきた。照りかえしが女の顔を移動した。女は白く化粧はしていたが、声音(こわね)や身のこなしが三十を越した年齢を私に感じさせた。何故かそれが私を気安い気持にした。

「行ってもいいよ。しかしもう一廻りして、あとで行く」

「ほんと、ほんとね。あら。これは何?」

 女の指が私のポケットをおさえていた。女は私を見上げて、すこし惨めな笑い顔をした。私は女の指を押えて、ポケットに手を入れた。掌のさきがざらざらと偽卵に触れた。

「卵だよ。上げようか」

「あとでね。ほんとね」

 女の手が私から離れた。私はそこを通りぬけた。

 うすっぺらな板でつくったマーケットの店のひとつに、私は腰かけた。そして酒を注文した。マーケットの一番外(はず)れの位置に、この店はあった。すでに酔いが私の身体の部分部分に廻っていた。ばらばらに千切れたような酔いを、ひとつの酩酊にまとめるものを、私は漠然と欲していた。やがて酒がざらざらの卓の上に来た。客は私ひとりしかいなかった。私はすこしずつ酒を唇に流しこんだ。

 ――あの服は麻子のに似ていたな。しかしどうしてあんな色の服を着るのだろう?

 いまの女のことを私はふと考えていた。その着ているスーツからの聯想(れんそう)が、麻子につながった。軟かそうな麻子の肩の印象が、つづいてよみがえった。私は麻子の年齢も知らない。もう知ることもないだろう。しかし八年後には、あの女も黒い服がすっかり似合うようになって、眼の色ももつと乾いてくるだろう。公園とあの建物の間の鋪道で、ほんとに可哀そうだ、と麻子は口走った。あの言葉は石狩に対してなのか、それとも自分に対してなのか。私にも判らないけれども、麻子にも判らないだろう。誰だって何も判っていやしない。みんな馬鹿な鶏みたいに、自分の口から出たことや自分の眼で見たこともはっきり判らないで、やっとその日を生きている。……酔いに沈んだ頭の片隅を、そのような想念が走った。

 台の上には、卵が鉢に盛られていた。私はふと思いついて、ポケットからあの偽卵を出して、そこにならべた。電燈の光の下では、私の偽卵は黄色さを消して、ほんものの卵のように見えた。その光景はすこし私を浮き立たした。それを眺めながら、私はまた酒を口にふくんだ。偽卵の用途についてぼんやり考えていた。しかし鶏について私はほとんど知識をもたなかった。ただ鶏の巣箱にひとつずつ入れてあることは知っていた。産卵を刺戟するために、それが入れられているのかも知れなかった。しかし硝子や粘土のかたまりを、自らの生理と誤まるほど、鶏は馬鹿なのか?(鶏だって知っているのかも知れない)

 私は指で台上の偽卵をつついた。それは軽やかな音をたててころがった。卵の形をとりながら、やはりそれは卵ではなかった。実質のない土偶にすぎなかった。

 ほんものの卵を産むためにこんな土偶でも必要だとすれば、と私は酔いに乱れた頭でかんがえた。本当の感動をうむために、擬似の感動をかさねてゆくことも、無駄ではないだろう。ある確実な何かをつかむためにも、もっともっと馬鹿なことを私はやって行くのだろう。――

 短くて長い時間がすぎた。私はのれんを透して、駅の方を眺めていた。眼がちらちらと定まらなかった。駅の前のくらい場所には、まだ人影が見えたが、先刻よりずっと減っているらしかった。次々お客がついて、女たちは去ってゆくのらしい。だんだん減って行って、やがてひとりもいなくなるのだろう。

 ――もし先刻の女が最後の一人になって残ったら、いっしょに行ってもいいな。

 そんなことを私は考えながら、更に酒を口にふくんだ。女がポケットの偽卵にふれたときの、あの惨めそうな笑い方を私は思い出した。あの女はそれを、私の欲望の形象として感知したにちがいなかった。あの女は善い女かも知れない。私にふさわしい女かも知れない。最後まで残ったら、私はそこへ行く。海底撈月(ハイテイラオイエ)みたいな好運!

 金を払って外へ出た。偽卵をおさめたポケットを護符のようにたたきながら、私はすこしよろめいて歩いた。

[やぶちゃん注:最後の方の本物の鶏卵の山に偽卵を積んでみるシークエンスは確信犯で、かの梶井基次郎の「檸檬」(リンク先は私の古い電子テクスト)へのオマージュと私には読める。私の昔の教え子諸君には私の『梶井基次郎「檸檬」授業ノート』も懐かしかろう、ご笑覧あれ。
「海底撈月(ハイテイラオイエ)」如何にも李白みたような文人趣味のように見えるが、中国語に堪能とは思われない梅崎春生にして、「うん? これってもしかして?」と調べてみたら、案の定だ! これは麻雀(マージャン)の役(やく)の名であった。私は麻雀を全く知らないので、マージャン・サイトの「海底撈月(ハイテイラオユエ) 最後に笑う為に覚えるべきルール」から引いておく。『牌山(ハイヤマ)の最後の牌を海底といい、その牌をツモしてアガると成立。海底摸月(ハイテイモーユエ)とも呼ぶこともあります』。『「海に映った月をすくい取る」そんなロマンチックで美しい名前を持つ役、それが海底撈月(ハイテイラオユエ)です。別名を海底摸月(ハイテイモーユエ)とも言いますが、海底撈月には四字熟語で「無駄骨を折るだけで全然見込みのないこと」という意味もあります。ロマンチックな名前を持ちながら、なかなか見る事ができない海底撈月とは一体どんな役なのでしょうか』とあって、以下、解説されており、そこに海底牌とは『王牌(ワンパイ)を除いた壁牌(ピーパイ)の最後の』一『枚』で、『つまり、プレーヤーがツモをする事ができる最後の牌の事です』とある(私にはよく判らないが、附図を見るとなんとなく判る)。『最後の一枚である海底牌をツモるチャンスがあるのは一人だけ、加えてそのプレーヤーの手牌がテンパイになっていないとならない海底撈月、「無駄骨を折るだけで全然見込みのないこと」というのもなんとなく頷ける気がします』とある。どうぞ、詳しくはリンク先をお読みになられたいが、これで正しく梅崎春生の言っている「最後まで残ったら、私はそこへ行く。海底撈月(ハイテイラオイエ)みたいな好運!」の謂いを正しく理解出来た気にはなった。因みに、調べてみると、「海底撈月」は中国語の発音では「hǎi dǐ lāo yuè」で「ハァィ ディー ラァォ ュエ」が正しいようだ。]

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