小泉八雲 化け物の歌 「一四 フルツバキ」 (大谷正信譯)
[やぶちゃん注:本篇の詳細は『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」(大谷正信譯)』の私の冒頭注を参照されたい。]
一四 フルツバキ
昔の日本人には、昔の希臘人同樣、花の精があり、樹の精があつて、それに關した面白い說話がある。また惡意を有つたものが棲つて[やぶちゃん注:「すくつて」。]居る木を――化け物木を――信じて居つた[やぶちゃん注:「をつた」。]。不氣味な木多くあるが中に、あの美しいツバキ(學名カメリア・ジヤポニカ)は不吉な木だとされた。少くとも赤花の種類のは、さうとされてゐた。尤も白花のは評判がよくて珍物として尊重されてゐたものである。その大きな厚ぼつたい深紅の花には、こんな妙な癖がある。色が褪せ始めると、身ごと莖から離れて、どたと耳にきこえる音を立てて落ちる。昔の日本人の想像(こころ)には、この重い赤花が落ちるのは、刀で斬られて、人間の首が落ちるやうに思はれた。そしてその落ちる鈍音は、斬られた首が地を打つ時のどたといふ音のやうだと言はれてゐた。それにも拘らず、椿はそのつやつやした葉が美しいが爲めに、日本の庭には好んで植ゑられたやうであり、またその花は床の飾りに使はれて居た。然しサムラヒの家では軍[やぶちゃん注:「いくさ」。]の間は決して椿を床花に使はぬが規則であつた。
[やぶちゃん注:ツツジ目ツバキ科ツバキ連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica。]
讀者は次記の狂歌に於て――これは奇怪な(グロテスク)[やぶちゃん注:ルビ位置はママ。]點に於ては、集中一番のもののやう自分には思へるが――化け椿がフルツバキ卽ち『古椿』と呼ばれて居るに氣が付くであらう。若木は化け物癖は無いもの――そんな癖は幾年經つて始めて發達するもの――と思はれて居た。他の氣味の惡るい木――例へば柳や榎の如き――もまた年經てから始めて危險になると言はれて居た。それと似た信仰が氣味の惡るい動物――子猫の時には無邪氣であるが、年とると魔物になる猫の如き――について行はれて居たものである。
[やぶちゃん注:「奇怪な(グロテスク)」原文は“grotesques”で複数形になっているので可算名詞としての「奇怪なもの」の意。「グロテスク」は語源としては、「地下墓所」や「洞窟」を意味するイタリア語の“grotta”(グロォッタ)、ギリシャ語で「隠れた場所」に遡る、ラテン語の“crypta”(クリプタ:やはり「地下墓所」・「洞窟」の意)に由来する。ここで「洞窟」というのは、西暦六四年の「ローマ大火」の後に、ネロが建設を開始した未完の宮殿群「ドムス・アウレア」(Domus Aurea:黄金宮殿)の部屋と回廊のことを指した。これらは長い間、放置され、地中に埋もれていたが、十五世紀になって再発見されている。参照したウィキの「グロテスク」によれば、この「ドムス・アウレア」には、『人、動物、植物などをモチーフとした装飾壁面が施されており、自然法則や本来の大きさを無視して人から植物へ、さらには魚、動物へと連続して変化する奇妙な模様が見られた』こと、最盛期のルネサンスに当たる十六世紀には、『ラファエロがその模様をバチカン宮殿回廊の内装に取り入れ、これが「地中 = 洞窟(grotto)で発見された古代美術」から「グロテスク装飾」と呼ばれるようになった』こと、更にそうした奇怪な人工物や人口洞穴を庭園に造作することが貴族の間で流行したことから、現行の主な意味合いへと傾いていったのである。]
夜嵐に血しほいただく古椿
ほたほた落ちる花の生首
〔三句目のフルといふ語には――フル(イ)卽ち『古』といふ形容詞として又フル卽ち「振る」といふ動詞として――二重の勤めを爲せれて居る、ナマクビ(文字通りでは「生な首」)といふ言葉は斬つたばかりの、血がまだ滲んで居る人間の首を意味する〕
[やぶちゃん注:原拠「狂歌百物語」の「古椿」(挿絵は(「中編」の「42」)木の切り口らしきものが怪しい魔性のものに変じたものが描かれてある)の本文に(「50」の左丁二行目)、
夜嵐に血しほいたゝく古椿ほたほた落る花の生首 □□
狂号判読不能。いろいろ考えたが、だめ。小泉八雲偏愛の一句であるだけに、慎重を期してかくした。是非にも識者の御教授を乞うものである。]
草も木も眠れる頃の小夜風に
眼鼻のうごく古椿かな
〔二つの日本語がメといふ假名で書ける。一つは「芽」の意味、一つは「眼」の意味である。ハナといふ發音も同樣に「花」にもなり「鼻」にもなる。奇怪なものとしては、此歌は確かに成功し居る〕
[やぶちゃん注:挿絵の左中央にあり、
草も木も
眠れる比の
小夜風に
目鼻の動く
古椿かな 宝山亭
金丸
とある。]
ともしびの影あやしげに見えぬるは
油しぼりし古椿かも
〔アヤシゲはアヤシ卽ち「怪しい」、「不思議な」、「超自然的な」、「疑はしい」といふ形容詞から造つた名詞である。カゲといふ語は「光」と「影」と兩方の意味で――此處では二重の暗示に用ひられて居る。古への日本の燈に用ひた植物性の油は、椿の實から採つたものであつた。讀者は「古椿」といふ言葉は――椿は古くなると化け物の木になると想像されて居るから――「化け椿」といふのと同じだと記憶してゐなければならぬ〕
[やぶちゃん注:挿絵の冒頭に、
燈火の
影あやしけに
みえぬるは
油しほりし古椿かも
スンフ
望月樓
とある。「スンフ」は駿府。
底本ではこの後に一行空けがあるだけであるが、原本では、このように(“Internet Archive”の当該ページ)大型の「*」の三角頂点配置のブレイクが入って終わって、後書き部になっているので、ここで切る。]
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