小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「二」
[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「一」』の私の冒頭注を参照されたい。なお、本文内の原「註」は底本では四字下げポイント落ちであるが、引き上げて同ポイントで示した。文中内の( )の原注や訳者の疑問を示す『〔?〕』(これは末尾注の最後の方に改行して、
*
尙ほ本文中著者の自註は槪ね日本語の說明でゐるが、我が讀者に不用のものは省き、あるものは略記した、そのうち誤解も往々あれどそれらはそのま〻になしおき、不明のものに〔?〕を附けておいた。華族女學校の方の名も同校卒業者名簿を參照して見たが今考へ難きものが少からぬ。
*
とある)もポイント落ちであるが、同じ仕儀とした(以下、この注記は省略する)。
なお、私が読みが振れると判断して添えた読み以外に、読み方に迷う箇所があれば、“Project Gutenberg”の本篇で原綴りを確認されたい。]
二
日本の女の名に關しての重要な規則の若干を今舉げて見ねばならぬ。
此等の呼び名の大多數は假名二字の語である。中流及びそれ以下の相當の身分の女の個人名は殆ど凡て二字、但し或る奇妙な接尾音をつけて延ばす場合は別である、そのことは後に言ふ。以前には三字又はそれ以上の名は上流の女のものであつた。然るに今日は上流の間にても二字だけの女の名が流行して居る。
二字の女の名は敬稱として上にオを、下にサンをつけるのが習慣である。オ松サン、オ梅サンなどと。然し三字の名には敬稱のオをつけず、菊枝といふ名の女はオ菊枝サンでなしに、ただ菊枝サンと呼ぶ。
註 或る親密の場合にはオもサンも省く。目上の人が目下の人を呼ぶときも同じで、淑女が召使をオ米(ヨネ)サンと呼ばず、ただ米(ヨネ)と呼ぶ。
貴夫人の名の上に敬稱のオをつけることはもはや以前の樣で無い。それは名が唯一言であるときでもさうである。呼び名の上に何もつけないで下に敬稱として子の字をつける。富といふ名の農家の娘は同輩からオ富サンと呼ばれる。同名の淑女は富子と呼ばれる。例へば華族女學校敎頭下田夫人は歌といふ美しい名を有つ[やぶちゃん注:「もつ」。]。彼女は手紙に下田歌子と書かれ、自らも返書に同じ樣に署名する。日本の習慣では家の苗字はいつも個人の名の上におかれて西洋とは反對である。
[やぶちゃん注:「下田歌子」(嘉永七(一八五四)年~昭和一一(一九三六)年)は教育者。美濃岩村藩儒者平尾鍒蔵(じゅうぞう)の娘。祖父は儒学者にして尊王論を唱えた東条琴台(きんだい)。幼名は鉐(せき)。明治五(一八七二)年、女官となり、皇后から歌子の名をうける。旧丸亀藩士で剣術師であった下田猛雄(四年後、病没)と結婚。明治十四年に桃夭女塾を開設、明治十八年には華族女学校(女子学習院の前身)の設立に参画し、教授・学監となった。明治三十一年、一般の女子のために帝国婦人協会を設立し、翌年には附属の実践女学校(実践女子大学の前身)を創立した。著作に「香雪叢書」「家政學」などがある。]
名の下につける子は漢字で書いて子供の意であるが、同音の漢字の小と混じてはならぬ。小は屢〻舞妓の名に見ゆる。この上品な子の字は愛撫的に物を小さく見る語の價があると私は言つて見たい。それで愛子といふ名はスペンサァの仙女王(フェアリ・クイン)のアモレタ(Amoretta)によくあたると思ふ。それは何れにしても、節、貞の如き日本淑女は今日はオ節、オ貞と呼ばれずに、節子、貞子と呼ばれる。然るに民衆の女が節子、貞子などと署名すれば笑はれるにきまつて居る。それは節子夫人、貞子夫人といふ意味になるからである。
[やぶちゃん注:「スペンサァの仙女王(フェアリ・クイン)のアモレタ(Amoretta)」原文“the "Amoretta" of Spenser's Faerie Queene.”。イングランドの詩人エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser 一五五二年頃~一五九九年)が当時のイングランド女王エリザベスⅠ世に捧げた、一五九〇年(初版)刊のアレゴリーをふんだんに用いた長詩「妖精の女王」(‘ The Faerie Queene ’)は全六巻と断篇からなる長編叙事詩で、アーサー王物語を題材にしている。本来は全十二巻で構成を予定し、各巻で十二の徳を描く予定であったが、最終的(追加された二版は一五九六年、最終の第三版は彼の死後の一六〇九年刊)には「神聖」・「節制」・「貞節」・「友情」・「正義」・「礼節」の六パートのみが詠まれた。参照したウィキの「妖精の女王」によれば、『作品の中で「グローリアーナ」と呼ばれるのは、他ならぬ女王エリザベス』Ⅰ世その人であるという。本詩は『高く評価され』、『テューダー家はアーサー王の子孫だと褒め称えている』とある。英文サイト「Renascence Editions」のこちらで全篇が活字化されたもので読める。「Amoretta」(アモレッタ)は同詩に登場する双子の娘の名で、恐らくは、ギリシア神話の「愛」の神「エロス」のラテン語「アモル」(Amor)由来であろう。]
私は中流及びそれ以下の女の呼び名の上に敬稱のオをつけるといつた。車屋の妻でも多分オ何サンといはれるであらう。然しオに關するこの一般の規則には著しい例外がある。或る地方では二字の通常の呼び名の終に妙な字を加へて三字にするが、か〻る三字名の上には決してオをつけぬ、例へば紀伊國和歌山の娘は通常呼び名の下にエをつける、それは江、灣、時には河の意である。それで波江、富江、佳江、靜江、玉江などの名を見る。また地名により野又は原の意なるノを多くの女の名につける所がある。吉野、梅野、靜野、浦野、歌野などが此類の模範的の名である。波江とか菊野とかいふ娘は、オ波江サン、オ菊野サンとは呼ばれず、ただ波江サン、菊野サンと呼ばる。
註 「江」と「枝」とは混同してはならぬ。『枝』もまた多くの通常の名につけられる。漢字を見ぬと例せばタマエといふ名が玉枝だか玉江だか判らぬ。
サンはもと形式、外見の意の『樣』を略したのだが、女の名の下につけると英語の Miss 又は Mrs.に當たる。男の名の下につけると少くも英語の Mr. に當たり、或はそれ以上の意があらう。『樣』といふ略さない形は男女とも高貴の人の名の下にも、神々の名の下にも用ゐらる。神道の神は神樣といはる、それを譯せば The Lords Supreme [やぶちゃん注:「最高の君主さま」。]であろう。地藏菩薩は地藏樣と呼ばる。淑女にも樣をつける。例せば綾子といふ淑女は當然綾子樣と呼ばる。然し淑女の名が子を除いて三字以上の時は子又は樣をつけぬ例である。菖蒲[やぶちゃん注:「あやめ」。]夫人は菖蒲子樣とはいはれず、もつと音の良い菖蒲樣又は菖蒲子と呼ばる。
註 しかし菖蒲樣の方が通例だが、此形式は知らぬ人が口語で呼ぶときには用ゐぬ、手紙ならさう書いてよい。槪して子の方が敬意を表した形である。
名の上下の文字に關してはそれだけとして、私はこれから女の名の類別を試みよう、先づ普通の呼び名からはじめる。此等の名が特に興味があるわけは、それが倫理學や美學に關して民族感情のあるものを示し、また日本の習慣に關する奇妙な事實を說明するに足るからである。私は先づ純然道德的の意義の名を第一位におく、それは槪ね子供がその名にふさはしいものになれとの望でつけられたのである。然し次の表は決して完全と認むべきで無く、ただ代表的のものを舉ぐるに過ぎぬ。それから或る名の理由は說明が出來ず、それは私にも私の日本の友人にも謎であつたことを告白しておく。
[やぶちゃん注:以下、三段で掲げられてあるが、一段で示した。後の方も、皆、同じなので、この注は示さない。]
道德及び禮節の名
オ愛
オ智慧
オ忠
オ仁
オ順
オカイヨウ(赦しの意)〔?〕
[やぶちゃん注:平井呈一氏は恒文社版(一九七五年刊)の「日本の女性の名」でこれに注され、『Forgiveness—pardon とあるから、お海容か?』とする。「海容」は、「海が広くて何物でも受け容(い)れる如くに寛大な心で相手の罪やあやまちを許すこと」の意で、現代では殆んど書簡の用語となっている。「海恕(かいじょ)」に同じいから、これは或いは、手紙の末尾に奥付として記されたそれを、小泉八雲は女性名と見誤ったものではなかろうか?]
オ賢(道德的分別の意にて)
オ孝
オ正
オ道
操
オ直
オ信
[やぶちゃん注:原文“ O-Nobu ”。]
オ禮(古き漢字の意にて)
オ烈
オ良
オ貞(サダ)
オ誠
オ信(シン)
オ靜
オ節
オ爲
[やぶちゃん注:原文“ O-Tamé ”。]
オ貞(テイ)
オ德
オ友
オ常
オ安
オ良(ヨシ)
オよし(尊敬の意)〔?〕
次の表は一見すると實際よりは混種と見ゆるであらう。それは前の表よりもつと變化多き名稱を含む。然し殆ど凡ての呼び名は何か善良な性質、または或る將來の幸福に關はり、親達が子がその德を示すことを冀ひ[やぶちゃん注:「こひねがひ」。]、或はその幸に與る[やぶちゃん注:「あづかる」。]に足ることを望んでつけたのである。その後者の類に美代、正代の如き幸運の名が屬して居る。
個人の性質又は親の希望を表はす諸名
[やぶちゃん注:以下の丸括弧の長い解説は、原本では、二行割注である。以下、同じ。]
オ篤
オ近
オ千賀
オ長
オ大
オ傳
オエ(幸福の意)〔?〕
オ榮
オ艷[やぶちゃん注:「おえん」。]
オ延
オ越
オ悅
オ福
オ源
オ早
オ秀
秀代
オ廣
オ久
勇(イサム)
オ甚(ジン)〔?〕
龜代
オ兼(一時に二つのことを爲すの意)
薰
オかた
オ勝
オ慶
オ敬
オ謙
オ吉
オ君
オきわ(顯著の意)〔?〕
オ淸 }
淸(キヨシ)}
[やぶちゃん注:以上の下方の記号二つは、底本では下方で大きな「}」一つで括られてあることを示した。]
オくる(來る人、「口笛吹かば我れ來る」と英詩にあるに似たれどもさにあらず、家庭にての從順の意あらん)
[やぶちゃん注:「口笛吹かば我れ來る」“O whistle, and I'll come to you, my lad”は、私の偏愛するスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns 一七五九年~一七九六年)の詩篇の題名と一節。英文のバーンズのサイトのこちらで読める。]
オ丸
オ正
正代
オ益
オ三枝
オ幹
オ三緖 [やぶちゃん注:「おみを」。]
オ滿
オみわ(先見)〔?〕
オ三輪(佛敎の名らしけれど、佛敎的の呼び名は殆どなき筈)
オ美代
深雪(ミユキ)(雪積もれる後の靜寂の意にて美しき名)
オ元
オ仲
オ賴(ライ)
オ樂(諺に「樂は苦の種」といへば、この名あるはいぶかし)
オ幸(サチ)
オ才
榮
オ咲
オ淸
オ勢
オ仙
オ茂
オしめ(全―最上善)〔?〕[やぶちゃん注:「―」はダッシュ。]
オ新
オ眞
オ品
しるし(證)譯者註一〇
譯者註一〇 この誤は前述の(三)の通り。
オ賤
オ正
オ俊
オスキ(愛さる)〔?〕
オ助
オ澄
オ捨(必ずしも拾はれし捨兒にあらず、子供續きて死せし後に生まれし子を特更に[やぶちゃん注:「ことさらに」。]一度捨てて拾ふときは其子よく生長すとて、然する[やぶちゃん注:「しかする」。]習はしあり)
オ妙
オ尊(タカ)〔?〕
[やぶちゃん注:岡田氏の疑問の意図が判らぬ。普通にある女性名である。]
オ高
寳
[やぶちゃん注:「たから」。寧ろ、この方が不審。「おほう」なら判るが?]
オ玉
玉枝
常磐(磐の如く動かぬ道德的の意、この名は源義経の母の名として知らる)
[やぶちゃん注:うーん、八雲先生、これは「常磐木(ときわぎ)」で、「変わらぬ生」を指す方が、民俗社会では、先ではないでしょうか? それと、岡田先生にも一言、義経の母の名は「常盤」と漢字表記しますよ?]
オ富
オ敏
オ妻
オ賴(ヨリ)
オ若
地名卽ち地理名は普通であるが、此等は特に說明が無い。子の生地の爲めに、または親の家のありし地の爲めに、方角や地位に關する昔の支那の哲學に屬する信仰の爲めに、傳統的習慣の爲めに、または神道の宗敎と聯關する觀念の爲めに樣々の名がつけられる。
[やぶちゃん注:「昔の支那の哲學に屬する信仰」陰陽五行説に基づく方位・四神相応の地形に基づく名を指していよう。]
地 名
オ富士
オ濱
オ市
オ伊豫
オ河
オ岸
オ際(キハ)
オ國
オ京
オ町
松江
オ南(ミナ)(南の略)
オ峯
オ宮〔神道〕(一の宮に關係あるかと思ふ)
オ門(關の如く、或る門の傍に住む爲めかと想像す)
オ村
オ波(不運なりとかいふことの外は不明)
[やぶちゃん注:割注、意味不明。]
浪速
オ西
オりん
オ崎
オ里
オ澤
オ關
繁木(シゲキ)
オ島
オ園
オ瀧
オ谷
オ塚
オ山
次の表はそれに含まる〻呼び名の性質に關はる上に於ては奇異なる混合である。或る名は眞に美的で快い。或る名はただ工業的である。少數は極めて不快な綽名とも認めらる。
物の名及び特に女に屬する職業の名
綾子又はオ綾(京都の綾錦のことか)
オ文
オ房
オ糸
オ鎌(農家に多き名)
オ釜(婢の名、婢はその娘をも婢にするつもりにて育つる故に、かかる醜き名もあり)
オ絹
オ琴
オ鍋
オ縫
オしめ(飾り結び)〔?〕
[やぶちゃん注:これは「お〆」で、後に出る「オ留」、また「オ末」と同じく、これ以上、子がもう生れないようにという意味とするのが一般的解釈であろう。]
オ染
オ樽
次の表は全く物質名詞を名としたものから成る。そのうち或る呼び名は私にはその寓意が判からない。槪言すれば貴い物質を示す呼び名、例へば銀や金の如きは美名である。石、岩、鐡の如き普通の貴い物質を示すのは性質の確實とか强力とかを暗示する。然し岩といふ名は時には長壽又は家族の生命の永續を願ふの象徵として用ゐらる。砂といふ奇名は個人の剛さ(グリツト)と關係なく、それは半ば道德的、半ば美的である。細かい砂、特に色のついた砂はこの造園の仙境たる日本に於て大いに貴ばれ、いつも汚塵なく美しくしておいて、園丁の外は踐んではならぬ[やぶちゃん注:「ふんではならぬ」。]場所にはさういふ砂が敷いてある。
人の名として用ゐられたる物質名詞
オ銀
オ石
オ岩
オかね
オ風(この奇名の理由不明。)
オ金
オ瑠璃又は瑠璃子(これはエスメラルダと同じき美感を含まず、瑠璃は槪ね綠ではなくて靑、るり色は通常深い菫色)
[やぶちゃん注:「エスメラルダ」“Esmeralda”。欧米の男性又は女性の名。宝石の「エメラルド」を指す古フランス語 “esmeraude”(音写「エメラゥード」)を直接の語源とする。]
オりゆう(精金屬)〔?〕
[やぶちゃん注:「りゆう」は以下の説明では、全く不明。漢字も浮かばない。「精金屬」とは、精錬された金属の意だろう。]
オ砂糖〔?〕
オ石(セキ)
オ鹽
オ砂
オ錫
オ種
オ鐡
次の五の呼び名は美名である、但し文字の上では知的の業に屬する物を意味す。少くもそのうち四は、西洋で文學の美といふ何物よりも、寧ろ書法、それは天下無双の極東の書法に關はる。
文學の名
オ文(ブン)
オ筆
オ文(フミ)
オ書く〔?〕
オ歌
數に關はる名は多々あるが頗る興味あるものである。此等は更に誕生の順序又は時を示す名と、祝賀の名とにあらまし二分される。一、三、六、八などの呼び名は槪して誕生の順序による。但し時には誕生の日取りを示す。例へば私はオ六といふ人を知つて居るが、その人はその家の第六子であつたのではなくて、明治六年六月六日に此世に生まれたので、この名をつけられた。それから表に二、五、九が無いことがわかるがオ二、オ五、オ九などいふのは日本人には馬鹿らしくて考へられぬ。私はよくは知らぬがそれは不快な洒落を暗示する爲めかもしれぬ。だがオ二の代はりにオ次といふ名があつて、次の表にも見ゆる。八十から千、及びそれ以上にいたる數を示す名は祝賀の名である。それらは名の持主が極めて長壽であること、又はその子孫が幾百年も榮える樣にとの願を寓したのである。
[やぶちゃん注:「それは不快な洒落を暗示する爲めかもしれぬ」「オ二」は「鬼」、「オ五」の「ゴ」は「誤」、「オ九」は「御灸」或いは「窮」「舊」「臭」辺りの通音だからか。]
數字及び數に關する語
オ一
オ三
オ三つ
オ四つ
オ六
オ七 [やぶちゃん注:原文“ O-Shichi ”。]
オ八
オ十
オ五十(父五十歲にて舉げし長子の意なる事あり)
[やぶちゃん注:原文“ O-Iso ”。]
オ八十 [やぶちゃん注:原文“ O-Yaso ”。]
オ百
オ八百
オ千
オ三千
八千代
オ重(シゲ)
オ八重
オ數
オ皆
オ半(英語のベタァ・ハァフの意かと思はるべきも、これは父が半右衞門又は半兵衞にて其名の一部をとれるならむ)
[やぶちゃん注:“Better half”は「連れ合い」、特に「妻」の意。]
オ幾
誕生の順序に關する他の名
オ初
オ次
オ仲
オ留
オ末
次の名の二類のうち或る者は多分美名であらう。然し時にはか〻る名は誕生の時又は季節の關係だけでつけられる。そして此類の或る特別の呼び名の理由は人每に尋ねて見ねば定め難い。
時及び季節に關する名
オ春
オ夏
オ秋
オ冬
オ朝
オ朝(テウ)
オ宵(ヨヒ)
オ小夜(サヨ)
オ今
オ時
オ年
實在する又は神話的なる動物の名が呼び名のまた一類となつて居る。此程の名は槪ねその動物の表象する性質か器量かを養ふ樣にとの望でつけられる。龍、虎、熊などの名は槪ね外の性質よりは寧ろ道德性を示す積りである。鯉の道德的象徵はよく知られて居て、ここに說明を要せぬ。龜と鶴の名は長壽に關はる。駒はそれが奇妙に思はれ樣が愛撫の名である。
[やぶちゃん注:「熊」の「道德性」というのは、恐らく「龍」「虎」と同様、本邦に於ける陸生動物の頂点に立つ象徴的存在であり、民俗社会では、自然界の支配的存在と考えられるからであろう。また、私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 熊(くま)(ツキノワグマ・ヒグマ)」によれば、『其の子を生(う)むこと、甚だ容-易(やす)く、自らの手を以つて抓(つま)み出だす。故に、人、熊の掌を用ひて、臨産の傍らに置く。亦、安産の義を取るものなり』とあるのは、これ、女性名に相応しいとも言えるであろう。]
鳥、魚、などの動物の名
千鳥
オ龜
オ鯉
オ駒
オ熊
オ龍(リユウ)
[やぶちゃん注:ルビは誤り。原文は“ O-Ryō ”であるから、「おりょう」或いは「おれう」。]
オ鹿
オ鯛
オ鷹
オ章魚(タコ)〔?〕
[やぶちゃん注:流石にこれはなかろうと思いますが? 八雲先生……。]
オ龍(タツ)
オ虎
オ鳥
オ鶴(縮めてオツといふことありこの頃東京にては子供を呼ぶごとくツチヤンといふを習とす)
オ鷲
花又は果、植物又は木の名なる呼び名すら槪ね美的の意味の名よりは、寧ろ道德又は祝賀の名である。梅花は婦德の標章である、菊は長壽、松は長壽及び恒常、竹は忠信、杉は正直、柳は溫順及び形の優美を示す。蓮と櫻の花の象徵は恐らく熟知されて居よう。然し『花』や『瓣』[やぶちゃん注:原文“ Ben (“Petal”) ”。この「Petal」(ペェタル)は「花びら」の意。]は眞に美しい意である、百合は外國に於ての如く日本にでも婦人の優雅の標章となつて居る。
花 の 名
菖蒲
[やぶちゃん注:「あやめ」。]
蘅
[やぶちゃん注:「蘅」とあるが、原文は“ Azami ”で、“ Thistle-Flower ”(ティーソル・フラワー)であるから、アザミ、「薊」である。「蘅」は漢語としては、コショウ目ウマノスズクサ科属カンアオイ属 Asarum の、本邦には自生しない中国産の中文名「杜衡」Asarum forbesii を指すが、全然、関係ない。そもそも、こんな漢字、日本人の女性に使わんだろ!]
オ瓣
オ藤
オ花
オ菊
オ蘭
オ蓮
[やぶちゃん注:「おれん」。]
櫻子
オ梅
オ百合
植物、果實、及び本の名
オ稻
楓
オ萱 [やぶちゃん注:「おかや」。]
オ榧(カヤ)
オ栗
オ桑
オ槇
オ豆
オ桃(これは百(モモ)の誤字かも測られず)
オ楢
オ柳
早苗
オ核(サネ)
オ篠
オ菅
オ杉
オ竹
オ蔦
オ八重(花の名に相違なけれど、こゝでは八重櫻の略ならんか)
オ米(ヨネ)
若菜
光又は色を示す名は我々には凡ての呼び名の中、最美的と思はる。それは多分日本人にもさう思はれるのであらう。だが此等の名すらその關係的意味が一見して判かるのでは無い。色は昔の自然哲學に於て道德的及び其他の價値を有つ、而して西洋人の心にはただ光彩又は美をのみ暗示する名稱が實に道德的又は社會的に顯著なることに關はり、さういふ名の娘が光榮あるものになれかしとの望にも關はるのである。
光輝を示す名
オ三日(ミカ)(三日月の略ならむ)
オ光
オ霜
オ照
オ月
オ艷(ツヤ)
色彩の名
オ藍
オ赤
オ色
オ紺
オ黑
綠(貴族的の名なれど中流にも見出さる)
紫(特に貴族的の名、但し華族女學校の名簿に見えず、色の名は槪して少き故階級に關はらずこゝに集む)
オ白
次の最終の一類は種々奇異な謎を含む。日本の娘は時には家紋によりて名をつけられる。紋章學が此等呼び名の一二を說明し得よう。但し或る娘が舟と呼ばる〻理由は私は確に推察し得ぬ。或る讀者はニイチエの『アンジエリンと呼ばる〻小舟』を思出づるかもしれぬ。
アンジエリン――人はさう我を呼ぶ――
今は舟、かつて少女、
(嗚呼、いつまでも少女!)
漕ぐ人を思ふ、あなたこなた、
立派に出來てる車が𢌞る。
[やぶちゃん注:哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 一八四四年~一九〇〇年)の一八八二年初めに書かれた詩篇“ Die kleine Brigg, genannt das Engelchen ”(『「小天使」号と呼ばれる小さな帆船』)。の第一連目。「車」は操舵舵輪のことで、愛の廻(めぐ)るのを、それに掛けたもの。ドイツ語ウィキソースのこちらで原詩が読める。]
然しか〻る空想は日本人の心には入るまい。だが私は家紋の表のうちに舟を示す意匠の變種二つ、箭を示すもの二十、弓を示すもの二つを見る。
分類又は說明の困難なるもの
オ服(これはオ縫オ染と同類ならんか但し確ならず)
オ舟
オ雛(愛撫の名、人形―紙人形、但し雛祭の雛もあり)
[やぶちゃん注:注の「―」はダッシュ。]
オ此(コノ)
[やぶちゃん注:ここ以下、原本とは順序が異なってごちゃごちゃになってしまっている。原本を見られたい。]
オ雷
[やぶちゃん注:「おらい」。]
オ類
オ鈴(美しき音の爲めに名づく、子供の守り袋に小さき鈴をつけ、その步むごとに鳴る美しき風習)
鈴枝
オ民
オとし(鏃)〔?〕
[やぶちゃん注:「鏃」は矢尻のこと。]
オ對(ツイ)
オ尙
オ鳴(雷鳴)
[やぶちゃん注:「おなり」。]
オにほ(駕籠)〔?〕
[やぶちゃん注:この「?」は原文にもある。]
オ唯
手卷
[やぶちゃん注:「たまき」。]
オ綱
オ弓
貴族の名に移るに先き立ち日本の名の昔の規則を舉げよう。それは奇妙な規則で前の諸表中の種々の謎を解くに助になるやも知れぬ。此規則は以前は男女とも總ての人名に應用された。本論に於てそれを十分に說明する譯にはいかぬ。滿足な說明には少くも五十頁を要す。然し最も簡單に云へば、この規則は、個人の帶ぶる名のはじめの文字が支那の哲學の意に於て、その人の所謂性(シヤウ)と思はる〻もの、卽ち星占術で定められた性質と一致すべしといふにある。その必要なる一致は漢字の意味でなくて發音で定まるのである。此問題の困難なることは幾らか次の表で覺られるであらう。
日本文字と五行との發音的關係
[やぶちゃん注:【2025年4月14日改稿・画像変更】以下、本邦の易学の姓名判断に基づくものらしい五行と五十音の関係を示す図が、底本のここに載る。新底本から高度画像を取り込み、補正を加えたものを上に示した。★【2025年4月18日・画像を旧版に回復】以上の本文新底本の同巻は、著作権存続である『送信サービスで閲覧可能』『国立国会図書館内/図書館・個人送信限定』であるため(思うに、この国立国会図書館デジタルコレクション(旧「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」)に最初に公開された際には、どこかの記載者・訳者の著作権が存続していたため――確実と思われる一つは巻末に貼付けられてある『月報』と思われる。冒頭の「邦譯小泉八雲全集に就て」の筆者佐藤春夫は公開当時は著作権継続であったから)、許可を得ないと画像の転載は出来ない。従って、不本意ながら、本篇中の表画像を転写することは出来ない。しかし、上記で述べた通り、モノクロームの“Internet Archive”版の方が、圧倒的に『鮮明』であるから、八雲先生も肯んじて貰えるものと信ずる。一応、以上の図が鮮明でない箇所があるので、私が示した関係表の関係を以下に解説しておく。]
「一、木性」→カ行とガ行
「二、火性」→タ行とダ行・ナ行・ラ行
「三、土性」→ア行・カ行とガ行・ヤ行・ワ行
「四、金性」→サ行とザ行
「五.水性」→ハ行とバ行とパ行・マ行
と対応している。また、原文の英文の
“PHONETIC RELATION OF THE FIVE ELEMENTAL-NATURES TO THE JAPANESE SYLLABARY”
の図の方が遙かに見易いので、“Project Gutenberg”版にある図版をトリミングして、
以上に示しておいた。]
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