小泉八雲 日本の子供の歌 (大谷正信譯) 二(「動物に關した歌」)
[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の子供の歌 (大谷正信譯) 序・一(「天氣と天象との歌」)』を参照されたい。]
二
動物に關した歌
昆蟲と爬蟲、鳥と獸とに關した子供歌は――日本の殆どどの村もこの部類に属する歌を一つ二つ銘々に有つて居るから――その數驚くべきものがある。その大多數は二行乃至八行の短いものである。其うちの好いのは同種類の英國の子守唄――例を舉ぐれば、『蝙蝠、蝙蝠! わしの帽子の下へ來い!』[やぶちゃん注:底本は「!」の後に字空けはないが、特異的に挿入した。以下、同じ仕儀を施しても注しない。]――『てんたうむし、てんたうむし、飛んで歸れ!』――『クツクウ、クツクウ! お前何をする?』――『かささぎ止(とま)つた、梨の木に』等等のやうな子守唄――を思ひ出させる。次に記す拔萃のうち、我々の子供歌の多數のものよりも古いのが隨分澤山あるやうである。殆どこの何れもの變種が非常に多い。
附記 動植物に關した出雲の歌の小蒐集が自分の「世に知られぬ日本の面影」の中の「日本の庭」にあるから、參照されたい。
[やぶちゃん注:私の『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (九)』・同『(一一)』・同『(一二)』・同『(一三)』を参照されたい。]
鳩ぽつぽ、
豆がたべたい! (東京。鳩の歌)
烏、かあらす、勘三郞!
親の恩を忘れなよ! (東京。烏の歌)
附記 勘三郞といふは極めてありふれた固有名である。此處では多分ただ音の關係でこの烏へ附けたのであらう。この歌は疑も無く「烏に反哺の孝あり」から思ひ附いたものである。年老いた烏は自分で餌を求めることが出來なくなると、その子が養つてやるといふことである。烏が群を爲して日暮に飛んで居るのを見ると子供が之を歌ふ。
[やぶちゃん注:底本では「勘三郞」に「註」記号が附されてあるが、相当する原註は存在しない。「附記」がそれに当たるが、目障りなので省略した。後にも同様の箇所があり、同じように処理したが、それはもう注さない。
「烏に反哺の孝あり」「反哺」(はんぽ)は口移しで餌を与えることを言う。成長した鴉は自分にして呉れたように口移しで老いた親に餌を与えて己れの恩を返す(「養を返へす」)という「事文類聚」(宋の祝穆(しゅくぼく)編になる類書(字書)。百七十巻。一二四六年成立)などに載る故事に基づくもので、鴉さえ親の恩に報いる、況や人をや、という謂い。「慈烏反哺(じうはんぽ)」という四字熟語でも知られる。しばしば鳩の譬えと合わせて「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」(前者は「子鳩は育てて呉れた親鳩に敬意を表して、必ず親鳥より三本も下の枝に止まる」とする謂い)とも言う。小泉八雲は、既にこれを『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一三)』で語っている。但し、残念ながら、実際にはそんなことはしない。鳥は巣立ちすれば、親鳥とは縁がなくなり、実の親や兄弟とも喧嘩や餌の奪い合いをする。この誤認については、「生物學講話 丘淺次郞 第十七章 親子(7) 三 子の飼育(Ⅱ)」(私の電子化注)で丘先生は『昔から『「からす」に反哺の孝がある』といひ傳へたのは恐らく、鳥類の親が雛の口の中へ餌を移し入れてやる所を遠方から見て、子が親を養ふのかと思ひ誤つたためであらう。烏類に限らず如何なる動物にも、子が生長し終つた後に、老耄して生き殘つて居る親に餌を與へて養ふものは、決して一種たりともない。それはかゝることをしても種族の維持のためには何の役にも立たぬのみか、餌が少くて生活の困難な場合には、却つて種族のために明に不利益になるからであらう』と述べておられる。]
五郞助ほうこ、
むだぼうこ! (東京。烏の歌)
[やぶちゃん注:原文は、
Gorosuké-hokō
Muda-bōkō !
であるから、正確には「ほうこ」は「ほうこー」、「むだぼうこ!」は「むだぼうこー!」である。]
雀はちゆうちゆう忠三郞!
鳥はかあかあ勘三郞!
とんびは外山の鐘た〻き!
一日た〻いて米一升!
粟一升! (伊勢。烏の歌)
附記 『鳶はとうとう藤三郞』とも歌ふ。藤三郞といふ名は、忠三部勘三郞同樣、實際にある名である。
勘三郞、忠三郞、五郞助といふ人名は男子に普通見る名である。チユウといふ音(おん)に似た雀の銳い啼聲が、前記の子供歌に忠三郞といふ名を使はうと、初めに思はせたに相違無い。そして烏の啼聲は『カ』といふ綴音のやうにきこえるから、烏を勘三郞と呼んだのであらうが、梟に附けた名――五郞助――には妙な傳說がある。古昔或るえらいサムラヒの邸內に五郞助といふ家來があつた。この五郞助生まれ付き愚鈍で、大切な勤務(つとめ)を託された極の最初に、大失策をやって重大な損害を招いた。爲めに誰れも彼れもが嘲り笑つて辱かしめた。そこで到頭自殺した。その後その靈が、今呼ばれて居る名前の小さな梟になって、夜通しその梟は全く絕望の調子で、
五郞助奉公
無駄奉公!
と叫ぶ、といふのである。
[やぶちゃん注:「綴音」「ていおん」或いは「てつおん」と読み、「二つ以上の単音が結合して生じた音」を指す。
「大切な勤務(つとめ)を託された極」(きよく)「の最初に」原文は“the very first time that a duty of importance was confided to him”。「極めて大切な務めを言いつかったその一番大切な初っ端に」の意。]
附記 烏は普通カハ! カハ!(川! 川!)――「川へ行かう、川へ行かう」といふ意味で――と啼くと言はれて居ることを書いてもよからう。烏の啼聲は實際『カハ』といふ語の音に能く似て居る。
兎、うさぎ!
何を見てはねる?
十五夜のお月さま見てはねる!
ヒヨイ、ヒヨイ! (東京。兎の歌)
附記 「ヒヨイ、ヒヨイ」の言葉で歌つて居る者皆、飛ぶ。
雀のあつまり、チイチイ、パツパ!
だれにあたつても怒(おこ)るなよ!
怒るなら最初(はじめ)から加(よ)らんがよい。 (東京。雀の歌)
附記 チイは雀が怒つた時の啼聲を現はすに發明した擬聲である。パツパはその翼を早くはたく音を意味して居る。
白(しろ)鷺、白鷺、
なぜ首が長い?
ひだるて長い。
ひだるきや田打て。
田打ちや泥(どろ)がつく。
泥がつきや拂へ。
はらや痛い。 (伊勢。白鷺の歌)
蟇(ひき)さん蟇さん、出てごんせ!
出んにや熟艾(もぐさ)すゑるぞ! (土佐。蟇の歌)
[やぶちゃん注:「熟艾(もぐさ)」ヨモギ(キク目キク科キク亜科ヨモギ属 ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii 。但し、「もぐさ」用には同属種のヤマヨモギ Artemisia montana も使われる)は高さ五十センチメートルから一メートルほどに成長すると、全体にあった白色の丁字毛(ちょうじもう)は葉の下面だけとなる。これらを採取して陰干しにして乾燥させ、臼でよく搗くと、葉肉・葉脈は細かな粉となり、葉裏の長い毛は縺(もつ)れて綿状の塊となる。これを篩(ふるい)に掛けて、毛だけを分離したものが「さらしもぐさ」又は「熟艾(じゅくがい)」と呼ばれ、灸に使用される材料となる、と小学館「日本大百科全書」の「もぐさ」にある。]
鳶、鳶、舞うて見せ!
あしたの晚に、
鴉にかくして鼠やる! (出雲。鳶の歌)
蝙蝠來い! 酒飮ましよ!
酒が無きや、樽振らしよ! (出雲。蝙蝠の歌)
螢來い、水飮ましよ!
あつちの水はにがいぞ!
こつちの水はあまいぞ!
廿い方へ飛んで來い! (出雲。螢の歌)
螢來い! つち蟲來い!
己(おの)が光で狀もって來い! (伊勢。螢の歌)
附記 「ツチムシ」は文字通りでは「地蟲」であるが、此の歌では多分「螢」であらう。
[やぶちゃん注:「つち蟲」は小泉八雲の推察する通りであるが、狭義には「土蛍」(つちぼたる)で、翅が退化したホタルの♀の成虫又は幼虫を指す。幼虫の形状は蛆状で、水中又は水辺の草むらに棲み、巻貝などを捕食する。彼らも多くは発光をする。
「狀」は「じやう(じょう)」で原文は“a letter”であるから、「手紙」である。但し、私はこの歌を知らないし、何故、「手紙」なのかも説明は出来ない。識者の御教授を乞うものである。]
おほわた來い! 來い!
豆食はしよ!
おまんまがいやなら魚くはしよ! (東京)
附記 「おほわた」(御綿)といふに、その尾に、綿の總[やぶちゃん注:「ふさ」。]に似た白い絨毛の突出を有つた紫色の小さな蠅である。
[やぶちゃん注:ここで小泉八雲が言っているのは、恐らく、半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科 Prociphilus 属トドノネオオワタムシ(椴之根大綿虫)Prociphilus oriens などに代表される「雪虫」と思われる。一般には、同前種は北海道や東北地方を中心に知られるが、ウィキの「雪虫」を見ると、『雪虫(ゆきむし)とは、アブラムシ(カメムシ目ヨコバイ亜目アブラムシ上科』Aphidoidea『のうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称』で、『体長』五ミリメートル『前後の全身が、綿で包まれたようになる』とあり、さらに、『この虫の呼び名としては、他に綿虫』、『東京地域のオオワタやシーラッコ、シロコババ、京都地域の白子屋お駒はん、伊勢地域のオナツコジョロ、水戸地域のオユキコジョロがある他』、『ユキンコ、しろばんばといった俗称もある』とあるので、小泉八雲のそれが東京での採取であっても、何ら問題ない。]
蝶々、蝶々、
菜の葉にとまれ!
菜の葉がいやなら手にとまれ! (蝶の歌)
附記 「ナ」といふ名は種々異つた野菜に與へてある名であるが、此處では多分蕪菁を指して居るのであらう。この歌に日本の殆ど到る處で歌ふ。
[やぶちゃん注:「蕪菁」は「かぶ」。原文“Japanese turnip”。アブラナ目アブラナ科アブラナ属ラパ変種カブ(アジア系)Brassica rapa var. glabra 。確かにそれでも間違いとは言わないものの、しかし、我々は、百%、カブの近縁種のアブラナ属ラパ変種アブラナ Brassica rapa var. nippo-oleifera を指すと認識しているはずである。他ではいろいろ原文を補正して修正訳している大谷にして、私は不審な気がちょっとするのである。]
蝶々とんぼも鳥のうち。
山に囀るのは
まつむし、すずむし、轡蟲。
オツチヨコ、チヨイ、ノ、チョイ! (東京の歌)
あつちへ行くと、
閻魔がにらむ。
こつちへ來ると、
ゆるしてやるぞ! (蜻蛉を追ふ時歌ふ)
鹽や! 鉄漿(かね)や!
やんま かへせ! (東京。蜻蛉の歌)
附記 この歌は頗る古い。ここに名ざしてある蜻蛉の事は前に載つて居る蜻蛉の文にある。
[やぶちゃん注:私の『小泉八雲 作品集「日本雜錄」 / 民間傳說拾遺 / 「蜻蛉」(大谷正信譯)の「一」』を指す。]
まいまいつぶろ!
お湯屋の前に、
喧嘩があるから、
角(つの)出せ、槍出せ! (東京。蝸牛の歌)
[やぶちゃん注:「お湯屋」小泉八雲は原文で “O-yuya”とするが、正しく東京方言ならば、「湯屋」は「ゆうや」であるから「O-yuuya」とすべきかとも思う。]
蛙(かへる)が鳴くから
かへろ! (東京。蛙の歌)
附記 この歌には言葉のたはむれがある。「カヘル」は發音しただけでは「歸る」とも「蛙」とも意味する。「カヘロ」はその動詞の未來形である。
[やぶちゃん注:「未來形」確かに時制的にはそうだが、口語の推量の助動詞「う」であるから、ここは、「話者の意志・決定を表わす」とすべきところである。]
つぶ、つぶ、山へ行け!
おりやいやだ、われ行け!
去年の春も行つたれば、
鴉と申す黑鳥(くろどり)が、
あつちへつ〻き、つんまはし、
こつちへつ〻き、つんまはし、
二度と行くまい、あの山へ。 (信濃。蝸牛の歌)
つくつくばうさんな、
なんゆう啼くか?
親が無いか? 子が無いか?
親も御座る、子も御座る。
おいとし殿御を有つたれば、
鷹匠(たかじやう)にとられて今日七日(けふなぬか)、
七日と思へば四十九日!
四十九日の錢金(ぜにかね)を、
どうして遣ふたらよからうか?
たかい米買うて船に積む。
廉い米買うて船に積む。
船は何處船、大阪船。
大阪船こそ 價(ね)がよけれ。 (筑前。つくつくばうしといふ蟬の歌)
附記 この珍らしい蟬に就いての記事が自分の「影」の中の「セミ」といふ文にあるから參照されたい。また、この歌には死後四十九日日に營む佛敎の法要のことが詠みこんである。
[やぶちゃん注:「附記」のそれは『小泉八雲 蟬 (大谷正信譯) 全四章~その「二」』(リンク先は私の電子化注)を指す。「影」は明治三三(一九〇〇)年に出版された作品集“ SHADOWINGS ”(「影」:来日後の第七作品集)で、その第二パートである“ JAPANESESTUDIES ”(「日本の研究」)の冒頭に配されたのが“ SÉMI ”である。なお、このわらべ唄、かなり内容的に気になるので、検索して見たが、見当たらない。識者の御教授を乞うものである。]
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