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2019/10/05

小泉八雲 『究極の問題』  (大谷正信譯)

 

[やぶちゃん注:やぶちゃん注:本篇(原題“ " ULTIMATE QUESTIONS " ”(ダブル・クォーテーション・マーク附きである。大谷訳では再現されていない)は一九〇五(明治三八)年十月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON MIFFLIN AND COMPANY)刊の“ THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES ”(「『天の河の恋物語』そして別の研究と物語」。来日後の第十二作品集)の三番目に配されたものである。本作品集は“Internet Archive”のこちら(目次ページを示した)で全篇視認でき(本篇はここから)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。小泉八雲は、この前年の明治三七(一九〇四)年九月二十六日に心臓発作(狭心症)のため五十四歳で亡くなっており、このブログ・カテゴリ「小泉八雲」で完遂した「神國日本」(戸川明三訳。原題は“ Japan: An Attempt at Interpretation ”(「日本――一つの試論」)に次いで、死後の公刊となった作品集である。

 底本は上記英文サイト“Internet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落し、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。★【2025年4月1日底本変更・前注変更】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和六(一九三一)年一月に刊行した「學生版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「學生版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『學生版 【第二囘豫約】』とあり、『昭和六年一月十日 發行』とあることが確認出来る)、 これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、之よりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「﹅」は太字に代えた。

 ブログ標題の二重括弧は私の確信犯である。本文を読まれれば、納得されるであろう。

 

 

  究極の問題


 ずつと前の或る記憶である。……雲無き眞午(ひる)の光りを溶びて居る御影石の建物の間の、鐡のやうに鏗鏗と響く御影石の鋪道を自分は步いて居る。物の影は短かく銳い。その輝かしい暑い空氣はそよとも動かむ。そしてその街路での物の音は、妙に高い自分の跫音だけである。……不意に或る變な感じが――物すべてが虛妄だといふ感じ、卽ち疑ひが――疼かせる衝動といつたやうな風に、自分を襲ふ。鋪道、巨大な切石、鐡栅、眼に見ゆるもの凡て、夢で! ある。光、色、形、重さ、堅さは――感覺に訴へ得る存在物の凡ては――ただ、實在の幻影である。それに對して人間の國語が何等の語をも有たぬ一つの無限な靈性の表現に過ぎぬ。……

[やぶちゃん注:「鏗鏗」「かうかう(こうこう)」。「鏗」は「金石の打ち合う音」の意で、「鐘や硬質の石の音などが鳴り渡るさま」を言う。

「!」の後に字空けがないが、特異的に挿入した。以下の「?」でも同じ仕儀を行った。]

 この經驗は、『綜合哲學』――その讀みやうを或る亞米利加の友人が自分に敎へたのであつたが――の第一卷を硏究して起きて來たのであつた。自分はあれが容易には讀めなかつた。それは一つには自分が思索が遲(のろ)いからでもあるが、主として自分の心がこんな方面に努力を續けて行く、訓練をそれまで蒙つて居なかつたからであつた。『第一原理』を學ぶのに幾月もかかつた。あの叢書のうちの書卷で、これと同じほど骨の折れたのは他に無い。自分は一度に一節――稀に二節――を讀むことにして、前節が確かと解つたと思ふまでは、新規な節を讀むことを敢て爲なかつた。自分の進行は、暗がりにある長く幾つも續いて居る梯子を初めて登る人の進行のやうに、甚だ用心深く又甚だ遲かつた。終に[やぶちゃん注:「つひに」。]光明に達すると、自分は事物に對する不意な新規な視方を得た――物の表面の虛妄を瞬時看ることが出來た。そして其時からしてこの世界が、自分にはもう二度と、それまでと全く同じものとは見えなくなつた。

[やぶちゃん注:『綜合哲學』小泉八雲が深く敬愛するハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)の一八六〇年刊行の“ System of Synthetic Philosophy ”(「総合哲学体系」)。本書を解説したウィキの「総合哲学体系」によれば、『スペンサーは本書で社会発展を主題としており、社会進化論を基礎とした社会学の理論を提唱した。社会学とは宇宙が進化する終局としての社会有機体の原因と発達について研究する学問として定義し、それを社会の均衡を形態学的に研究する社会静学と、社会の均衡にいたる力を生理学的に研究する社会動学に分かれる。そして有機体として社会が成立しているという把握に基づきながら個人の社会的な機能が相互に関連しながらある種の均衡状態を維持する社会状態を研究し、社会はコミュニケーションに基づいた協働で成立しており、社会の成員の意識は集合体の内部で散在していると特徴付ける。この散在する個々の意識を結合させて機能を分化させながら社会が連携している完全社会の状態をもたらすためには自由競争が必要であると論じた』。従って、『スペンサーにとって社会の全体と個人の自由は矛盾せず』、『結びついていた。社会の変動はこの社会状態の変動であり、強制的な協働に裏付けられた軍事型社会の状態は自発的な協働に裏付けられた産業型社会へと進化すると考えていた。軍事型社会では集権的な社会構造が成立しているものの、産業型社会では文献的な社会構造を備えていながら個々人が緊密に結合している。スペンサーの見解において、産業型社会の具体例は19世紀の近代イギリス社会であった。スペンサーは本書で資本主義の理論を社会学的に捉えることを試みている』とある。]

 

 二十年以上も前のこの記憶と、その時の異常な身戰き[やぶちゃん注:「みおののき」。]とが、世界最大の思索家が我等に遺した最後の、そして前のに劣らず貴重な一册の中にある「究極の問題」といふ論文を讀んで最近また自分に復活して來た。生死の謎は一生の知的勞苦の夕暮れに、その巨大な心へ自づと浮かんで來たのであつて、その謎に就いての氏の最後の發言が、其論文に收められて居る。確かに氏の我我に語らんとする處のものの實質は、或はその「綜合哲學」から推知し得たのかも知れぬ。が、あらゆる深い思索家の心を惱ます問題に關する個人的觀念を著者が述べて居る處に、この最後の論文の特殊の興味が存して居る。恐らくは我我のうちで、氏の純乎として科學的な態度に滿足したままで居れたものは少なからう。『意識といふ形の下(もと)に我我に湧き出づる』力と、萬物を形成するあの知り得べからざる力とは同一不二であるとの氏の言明を十分に受け入れて居ながらも、この師の多くの門弟は、直接氏に向つて『だが、人の身は死ぬると分解して無くなるといふ前途を思つて、あなたはどう御感じになりますか』と質問する或る機會を渇望したに相違無い。ところが、この全く感情的な質問に對して氏は、我我の如何なるものが願ひ得た通り、率直に且つ十分に――恐らくは、より以上に率直にすら――答へて居る。氏は辯解的に斯く述べて居る。『年のいつた人達は共通の多くの囘想を有つて居るに相違無い。自分が今心に有つて居る一囘想は疑ひも無く頗る有りふれたものである。過去幾年間、春、花の蕾が開いて行くのを看て居る時、こんな考へが起こつた、「自分は花の蕾の開くのを二度と、また見るであらうか。自分は未明に鶫[やぶちゃん注:「つぐみ」。]の囀りに目覺さるることが二度と、またあるであらうか」と。最後は長く延期されさうでは無いから、從つて究極の問題を默想する傾向が次第に募つて來る』……それから氏は、『如何にしてか何が故にかとの、また何處よりしてか何處へかとの』此究極の問題は、基督敎の信條を受け入れることの出來ぬ人達の心には、當時の思想が大多數の人の心を占めて居るよりも、もつと廣い容積を占めて居る、と、かう我我に語つて居る。生の問題は絕大なものであるといふ事は、嚴正科學が提供し得る一切の幇助を思索に與へて、自由に且つ廣く、且つ深く思索してもいいとして居る人達だけに明白になるので、其思索家の知識が大きければ大きいほど、此問題は愈〻差し迫つたものに思はれ、恐ろしいものに思はれ、愈〻絕望的に解答不可能なものに思へるのである。ハアバアト・スペンサア自らにはこの問題は、尋常人の心が理解出來ないほどの巨大なものであつたに相違無い。そして死期が近づくに從つて、愈〻刻薄に氏を壓して氣掛りを大ならしめたのである。氏は――これはその壯大な心理學にも、其大著作の他の書卷にも、明らかに仄めかしてあるが――死後、意識ある個性が繼續するといふ如何なる信仰に對しても、何等合理な證據が存在して居ないといふ確信を避けることが出來なかつた。

[やぶちゃん注:ここで標題のダブル・クォーテーション・マーク“ " ULTIMATE QUESTIONS " ”の意味が判然とする。スペンサーの最晩年、死の前年の一九〇二年刊の随想“ Facts and Comments ”(「事実と評言」)の中に、“40. Ultimate Questions?”を見出すことが出来た。“Internet archive”の同書のここからである。

 以下、底本では全体が一字下げであるが、特異的に、前後に私が「*」を附して、小泉八雲の本文と区別した。]

   *

 原始的信仰を硏究して、そして夢が思はす考へからして、覺めると歸つて來て、死ぬると不定の時間の間去つて行く、漂泊する離魂について野蠻人が得て居る結論のほかには、後生といふ觀念には何等の根源が無いことを發見してからは――頭腦と意識との間に存する、測り得べからざる關係を熟考して、そして頭腦の活動無くして意識の存在する證據はこれを得ることは出來ぬといふことを發見してからは、物質組織が不活動になつた後に、なほ、意識が繼續するといふ思想は、我等はこれを放棄せざるを得ざるやうに思はれる。

   *

 この整齊たる[やぶちゃん注:「せいせいたる」。整然と揃っているさま。]發言のうちには、希望の語は一つもない。しかし、これを發展せんと欲する人は發展せしめて、一縷の希望の種(たね)にされようかと思へる、非常に用心して述べてある疑ひが一つ少くとも氏の發言のうちにある。『放棄せざるを得ざるやうに思はれる』といふ用心した文句は、人智の現在の情態[やぶちゃん注:ママ。]では意識の繼續を信ずべき、何等の理由も無いけれども、未來のより大なる或る知識は、それ程に覺束無くは無い前途の望みを抱かしめて吳れるかも知れぬ、といふことを確かに暗示して居る。が、今の今、我等に見えて居る前途には、さすが思索家中のこの最大思索家も二の足を踏んだ。

[やぶちゃん注:同前の引用と同じ。同じ仕儀を施した。引用の後は一行空けがあるのはママ。

   *

 ……死んで意識が無くなると同時に、生存してゐたといふことを知つて居る、といふことが無くなつてしまふといふことは、奇妙なまた嫌はしい[やぶちゃん注:「いとはしい」。]結論のやうに思はれる。自分の末期の一呼吸と共に、誰れもに取つて、自分がこの世に生きて居なかつたのと同じ事になる、といふのだから。

 それからまた、その意識そのものは――それが繼續して居る時間中、それは果して何んであるか。そして、終はる時、それはどうなるか。意識といふは、我我の知識をも我我の想像をも超絕して居る處の、あの無限永久のエネルギイの分化された、そして個個にされた一個の形であるといふ事、そして死ぬると其要素は、其要素が出で來たつた、その無限永久のエネルギイへ逆戾りするといふ事、それを推定し得るのみである。

   *

 

 自分の末期の一呼吸と共に誰れもに取つて自分がこの世に生きて居なかつたと同じ事になる、さうであらうか? 恐らくは、その個人にはさうであらう――その個人の勞力によつて一層賢しくなり[やぶちゃん注:「さかしくなり」。]、一層よくなつた人類には、確かにさうでは無い。……然し、この世界は去つてしまふに相違無い。去つた後でこの世界は宇宙に對して、人類が住つて[やぶちゃん注:「すまつて」。]居なかつたと同じことであらうか。このことは、惑星相互間の未來の交通の可能如何によるかも知れぬ。……しかし幾多の太陽、幾多の惑星より成るこの宇宙全體も亦、死滅しなければならぬのである。死滅した後で字宙全體は、理知ある生物が、その無數の世界の上で勞したり、苦しんだりしたことが無かつたと同じことであらうか。我我は少くとも、生のエネルギイは絕滅出來ないものであるといふ確信を抱いて居り、且つまた、そのエネルギイがまだこれからして開展さるべき幾多の宇宙に於て、別な生と別な思想とを構成する役に立つであらう、といふ鞏固な蓋然信念を抱いて居る。……がしかし、想像の上のあらゆる可能を先づあるものとして置いて――過去のあらゆる因果律に由る存在物と未來のあらゆる因果律に由る存在物との間に、或る理解し得べからざる關係がありさうだといふことをも許容して――この幻の如き生の全體が因果律を超越して居るものに對して、何を意味するかといふ、大きな恐ろしい問題が殘つて居る。稻妻の明滅が夜に何等の記錄を殘さぬが如くに、その闇黑[やぶちゃん注:「あんこく」。]に幾十百千萬億の宇宙が來ては去つて、しかも、存在して居たといふ何等の痕跡も殘さぬかも知れぬ。

 この問題のあらゆる方向に、ハアバアト・スペンサアは思索を與へたに相違無い。が、現在構成されて居る處の人間の智力は、これに何等の解答を提供することは出來ぬ、と明白に公言して居る。この世界がこれまでに產出したうちで、一番大きな心が――人間のあらゆる知識を組織的に排列した、近代科學に革命を與ヘた、唯物論を永久に追ひ拂つた、あらゆる生の靈的渾一[やぶちゃん注:「こんいつ」。いろいろなあらゆるものが融け合って一つになること。「渾」は「混じる」「総て」の意。]を我等に示現した、あらゆる倫理を永遠不易な根抵の上に立て直した心が――蚊蚋[やぶちゃん注:「ぶんぜい」。カやブヨのような小さな存在の謂い。]の歷史、或は一太陽の歷史を、同じ明快さを以て、しかも、同じ普遍的な法式によつて解釋し得た心が生の謎の前へ出ては[やぶちゃん注:「いでては」。]、殆んど子供の心に劣らぬ手緣りない[やぶちゃん注:「たよりない」。]ものであることを自白した。

 が然し、自分にとつては、氏のこの最後の論文の價値は、多くの不確實と多くの蓋然とのその悲壯な敍述のうちに、信念の言明に頗る類せる或る物を誰れも見分けることが出來るといふ事實に存して居る。我我には、頭腦が死んだ後、意識が持續するといふ如何なる信念をも抱くべき根據は、まだ一つも無いと確信しては居るけれども、意識なるものの究極の性質は、依然として測り知ることは出來ぬ、といふことを記憶せよと命ぜられて居る。意識と得見られぬものとの關係は、我我には推測が出來ないけれども、意識といふものは無限なエネルギイの一表現として考へなければならぬこと、また、その要素は、死によつて分解すると、時間の無い、そして量の無い生の根源へ還るのであらうといふこと、を我等は思はせられる。……今日の科學もまた、如何なる物でも存在して居たものは悉く――いつか動物となり、或は植物となつて動いて居た個個の生は悉く――いつか人間の意識の中で動いて居た感情と思想とは悉く――感覺界を越えて、自己記錄を閃めかせたに相違無いと我我に保證して居る。そして、我我はこれを知ることは出來ぬけれども、かかる記錄の最善のものは、永存性を有つやう運命づけられて居るかも知れぬと、想像せざるを得ぬのである。この後の方の題目に就いては、色々と明白な理由があつて、ハアバアト・スペンサアは長く無言のままで居た。しかし、讀者は『第一原理』の最終の第六版の中の、或る顯著な一節――意識は宇宙エエテルのものかも知れぬといふ假說を論じて居らるる一節――を深く考察してよからう。この假說は、氏は輕輕にこれを片付けては居ない。そして、その不妥當なることを證明しながらも、まだ、人間の心では理解の出來ぬ或る眞理を、不完全に現して居るのかも知れぬ、と告げて居るやうである。――かう書いてある、

[やぶちゃん注:「宇宙エエテル」“the cosmic ether”。古代ギリシア時代から二十世紀初頭までの間、実に永く想定され続けた、全世界・全宇宙を満たす一種の物質の名称。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、地水火風に加えて、「エーテル」(「輝く空気の上層」を表わす言葉)を第五の元素とし、天体の構成要素とした。近代では、全宇宙を満たす希薄な物質とされ、ニュートン力学では「エーテル」に対し、「静止する絶対空間」の存在が前提とされた。また、光や電磁波の媒質とも考えられた。しかし、十九世紀末に「マイケルソン=モーリーの実験」で、「エーテル」に対する地球の運動は見出されず、この結果から、「ローレンツ収縮」の仮説を経て、遂に一九〇五年、アインシュタインが「特殊相対性理論」を提唱し、「エーテル」の存在は否定された(ここまでは「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」に拠った)。但し、現在でも擬似科学や一部の新興宗教の中に「エーテルの亡霊」が巣食って蠢いているのである。……人間という奴は、まっこと、「執拗(しゅう)ねき悪足掻きをする哀れな因業者である」と、私は、思うのである。

 以下、同前の仕儀を施した。]

   *

 意識が本來具へて居るものは、萬有に滲み亘つて居るエエテルであるといふ假定が、矛盾を有たぬ唯一の假定である。この物は――網膜に於ける光線の作用が證明する如く、――運動をして居る物質の分子に影響され得るもので、そして逆にまた分子の運動に影響を與へ得るものであるといふことを、我我は知つて居る。この假定を追うて行くと、空間凡てに滲み亘つて居る計りで無く、物質凡てに滲みみ亘つて居るこのエエテルは、神經系の或る部分に於て特殊の事情の下に、感情といふものを將來するやうな工合に、神經的變化によつて影響され得るものであつて、且つまた交換的に、さういふ事情の下に神經的變化に影響を與へ得るものである、と假定することが出來よう。然し、若し我我が、この說明を受け入れるならば、感情の潛在勢力は普遍なものであること、また、感情がこのエエテルの中に開展發達して來るといふ事は、或る神經中心に起こる極はめて複雜な事情の下にあつて、始めて出來するものであるといふことを、假定しなければならぬ。が然しこれは、このエエテルは何んであるかを知らぬのであるから、且つ又、最もよく判斷の出來得る人達の自白によれば、これまで造られた假說のうちで、エエテルが有つて居る力悉くを說明する假說は、一つも無いといふことであるから、說明に似たものといふに過ぎぬ。斯の如き說明は、この現象を性質の知れない記號を以て、記號づけるだけのことで、それ以上のことはしないのだと云つてもいい。(『第一原理』、千九百年の確定版七十一章)

 

 幼稚な空虛からして、徐徐に開展進化し來たつたこの複雜な意識は――他の形に於て、生きて居る物共によつて、廣く表現されて居る意識なるものは――如何なる生物でもその發達發育中、無意識な物質と見えるものから現れ出づる處の、そして、意識なるものは或る初步の形に於て遍在なものではなからうかといふ考へを起こさせる處の、この意識なるものは――實に測り知ることの出來ぬものである。(『自傳』第一卷四百七十頁)

   *

 あらゆる近代の思索家の中で、スペンサアは恐らく、有力な證據が支へて居ない假說は、どんな假說もこれに奬勵を與へることを避けるのに、最も用心深い思索家であつた。氏自らの信條の簡單な總額すらも、三つの蓋然の陳述として、至當の差し控へを以てして、漸く發言して居る。卽ち、無限のエネルギイの分化され、個性化された一つの形が意識であるといふ事、意識は死によつて分解して消える事、意識の要素は死後萬有の根源へ還つて行く事、これである。此無限の神祕に對する我我の心的態度に就いては、氏の助言は平明である。我我はこの永遠の大法に身を任せて、『知られざる或る力が仕出かす、この宇宙の過程は無慈悲ではあるが、しかも、そのうちに何處にも報復といふことは見出されぬ』といふことを記憶してゐて、我我が古昔から承け來たつて居る、迷信的恐怖の遺產を征服するに努めなければならぬ、といふのである。(『事實と註釋』二百〇一頁)

 同じその短かい論文のうちに、今一つ殊に興味ある自白がある、――卽ち、空間の恐怖を認知して居る文である。尋常普通の心にすらも、これを理解するのに眞面目な硏究は少しも要らないあの天文學上の驚くべき事實が、我我に思はざるを得ざらしめる處の無限の空間といふ念は、實に人を慄然たらしめるものである。――幾百萬の太陽の赫赫たる光りも、それへ何の光りも何の暖か味も、齎さぬあの永久の夜といふ其茫漠たる觀念である。然しハアバアト・スペンサアの智力には、空間といふ觀念は、比較にならぬほど非常に神祕に、且つ洪大に現れ來たつたのに相違無い。數學家だけが、位置の幾何學竝びに空間關係の神祕が論じてある章の――『假令、生の神祕を貫き得ても、更に一層超絕的な神祕が殘るであらう』といふ悸然[やぶちゃん注:「きぜん」或いは「はつと」と当て訓しているかも知れぬ。怖れや驚きのために、心臓がドキドキするさま。]とするやうな言明の――十分の意義を理解することが出來ることであらう。がしかし、ハアバアト・スペンサアは、そんな幾何學的神祕の槪念を離れて、赤裸裸たる空間そのものの問題が、氏の生涯の夕暮れに、氏には魔攻(まぜめ)となり、消魂事[やぶちゃん注:「せうこんじ」。「驚きや悲しみのあまりに気力を失うこと」或いは「我を忘れて物事に耽ること」の意。両意で私は採る。]となつた、と我我に語つて居る。

[やぶちゃん注:以下、同前の仕儀。]

   *

 ……創造に或は進化に――どちらと考へてもいいが――それに均しく先立つて居て、そして擴がりに於ても、時間に於ても、均しく兩者を無限に超絕して居る、この普遍な構成素其物といふ考へがつぎに起こつて來る。兩者を超絕してといふのは、苟くも考ヘるとなれば、兩者は始めがあつたものと考へなければならぬのに、空間には始めといふものが無かつたからである。想像の力の達し得る限り、四方八方を探求すると、想像の力が橫ぎつた部分は、それに比べれば全く無限小といふべき程の未探索の地が、その先(さき)にある空空漠漠たるこの存在といふ考へは――それに比べれば、我我の測り知り得べからざる恒星系は縮んで、一小點となるやうな空間があるのだといふ考へは壓倒的に絕大で、思ひ想ふに堪へぬ考へである。近年は、根源も原因も無くして無限のがいつからとなく存在し來たつて居るので、その空間はいつまでも存在するに相違ないものだといふ意識は、それを考へまい、それを避けたいといふ感じを自分に起こす。

   *

 無限の空間といふ觀念が、自分の心とは比較を絕して遙かに强大な心に、どんな風に影響を與へ得るものか、これは自分には分らぬ。また、空間關係の諸法則が幾何學者に提出する、或る種の問題の性質はどんなものか、これは自分は推測が出來ぬ。然し、その觀念が自分の弱い想像力の裡に喚起する、恐怖の原因を決定して見ようとすると、自分にはその感情の種種異つた要素を――科學の啓示が我等に思はしめる(合理なまた不合理な)特殊の觀念に對應する特殊の種種な恐怖を――見分けることが出來る。そのうち一つの感じは――恐らくこれがその恐怖心の主要な要素と思ふが――無限の空間を占めて居る、あの言語に絕した見得べからざるものの中(なか)に、永遠永久に閉ぢ籠められて居るといふ考へが起こるのである。

 この感じの背後には、永久に取圍まれて居るといふ考へ以上のことが存して居る。――それからまた、名なきものによつて永久に貫かれ、橫ぎられ、震はされて居るといふ念がある。――その上また、奧の奧の祕密ののどんな小さな分子も、それの永久の接觸を避けることは出來なからうといふ確實さがある。――なほ進んで、自分のが、光線の遠さを以て、光線の速さ以上の速さを以て、あらゆる銀河を越え、科學がそれを用ひて以てその量を示し得るどんな符號も知らぬほど絕大な時間の繼續を越えて突進し得ても、そして更に前へ前へ、上へ下へと飛んで行くことが出來ても、――いつまでも、いつまでも、自分のそのは如何なる邊端にも、決して達し得られない、如何なる中心からも決して、少しも遠のくことが出來ないのだといふ恐ろしい確信がある。といふのは、その無聲境にあつては、大きさと高さと深さと時間と方向とが、悉く呑み込まれ居て、其處では關係といふことは、飛び走つて居る自分の意識のその一小點――原子無しの音響無しの名稱無しの際限無しの潛在勢力の中を獨り脈搏つて居る、恐怖心の一小分子――に對しての外、全く何等の意味も有ち得ないものであるからである。

 それから、その潛在勢力といふ考へが別な性質の恐怖を――無限の可能(ポシビリテイ)といふ恐怖を惹起する。といふのは、恰も物質なるものは、全く無きが如くに物質を通して誰れもその起伏の流れを感ずることが出來ぬほどに微細にではあるが、しかも、それが一秒の分數(ぶんすう)間に爲す振動の數を數へるのに、一生を費やしても足りぬほどに迅速に――脈搏つこの測り知るべからざるものは、無邊際から我我に戰くからである、――そして無限の力が、その最も輕い震ひにも住んで居り、――永遠の重さが、その最も微かなわななきにも、その後ろに迫つて來て居るからである。その幽遠な感觸には、一花の著色[やぶちゃん注:「着色」に同じ。]も或は一宇宙の消滅も等しく造作の無いものであらう。此處ではそれは色彩の妙趣と迷妄とを以て人目を悅ばしめ、其處では一群の巨大な太陽を飛び出させる。人間の心が可能だと考へ得る(しかも、その人間の心なるものは、どの位また物を考へることが出來ないで、永久居なければならぬものか)一切の物が、その底知れぬもののたつた一と振動で如何なる處にも、到る處に、造られ得るのである。……

[やぶちゃん注:「戰く」は「わななく」或いは「をののく」であるが、この語は自動詞で「恐怖・寒さ・興奮などで震える」であるから、日本語として成形するなら、「我々を戰かせるからである」でないと、日本語しては、おかしい。

 

 或る人達が我我に信ぜしめんと欲したやうに、の消滅といふ恐怖が最上の恐怖であるとは眞であらうか。……といふのは、無限の渦卷の中にあつて、自分といふものが永久に存續するといふ思ひは、口之を[やぶちゃん注:「くち、これを」]述ぶべからざる大恐怖を――完全にそれを意識するには餘りに絕大な或る一種の恐怖の忽如たる[やぶちゃん注:「こつじよたる」。俄かなさま。たちまち。突然。忽然。]數刹那を――迅速な、暗い、瞬時的瞥見に於てのみ堪へられる一種の恐怖の惹起するに足るからである。そして、我我は絕對なものと一つである――それの底無しの淵に在つての朧氣なるおののかの點點である――といふ信念は、意識といふものは頭腦の崩壞と共に無くなると思考せざるを得ぬ人達にのみ、慰安の信念となる得るのである。……自分には、知り得べきものの境界線を突破しようと、新らたなる企てを試みる度每に、人間の智慧を否應無しに後戾させる處の、あの偉大な疑惑と恐怖とを率直に云ふを敢てする人は少い(全く無い)やうに思はれる。若しその境界線がだしぬけに突き下げられたなら――知識が突然に且つ洪大に擴められて、その現時の境界を越えたなら――恐らくは我我はその示現に堪へることが出來ないであらう……

 

 パアシヷル・ロオヱル氏の驚く可き書物『火星』は、地球よりも古くて、また進んで居る或る世界の住民と――埋知に於ても道德に於ても、我我よりか遙か高く進化して居て、今なほ我等の科學の裏を搔いて居る幾千の神祕を說明し得る生物の一種と――交信が出來る場合の結果に就いて考へさせる。恐らくは、そんな事があつたなら、我我の全文明よりも幾萬年、或は幾百萬年古い知識の、假令、結果は借り得るとしても、手段は理解することが出來ないであらう。しかし或るより古い惑星からしてより大なる知識が突然到來するといふことは、人類の現在の道德情態の故を以てして、我我にはただ、破滅を齎すに過ぎないことになるのではなからうか。――人種の絕滅といふ結果になりさへもしないであらうか。……

[やぶちゃん注:「パアシヷル・ロオヱル氏の驚く可き書物『火星』」火星人の存在を唱え、「火星の運河」を描いたことで知られる、アメリカのボストン出身の天文学者で日本研究者でもあったパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell 一八五五年~一九一六年)が一八九五年に刊行した“Mars”のこと。ウィキの「パーシヴァル・ローウェル」によれば、彼は明治二二(一八八九)年から明治二六(一八九三)年にかけて(小泉八雲の来日は明治二十三年であるが、彼との実際の接触はなかったものと思われる)、日本を五回訪れ、通算、約三年間滞在した、とある。『来日を決意させたのは大森貝塚を発見した』動物学者でお雇い外国人であったエドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse 一八三八年~一九二五年)『の日本についての講演だった。彼は日本において、小泉八雲、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲロー、バシル・ホール・チェンバレンと交流があった。神道の研究等日本に関する著書も多い』。『日本語を話せないローウェルの日本人観は「没個性」であり、「個性のなさ、自我の弱さ、集団を重んじる、仏教的、子供と老人にふさわしい、独自の思想を持たず輸入と模倣に徹する」と自身の西洋的価値観から断罪する一方で、欧米化し英語を操る日本人エリートたちを「ほとんど西洋人である」という理由から高く評価するといった矛盾と偏見に満ちたものであったが、西洋の読者には広く受け入れられた』とある。ローウェルへの小泉八雲の言及は既に『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (九)』・同『第二十六章 日本人の微笑 (五)』や、後の遺作となった「小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附原文 附やぶちゃん注 (2)  新奇及び魅力」(孰れも私の原文附き電子化注)にも見られ、小泉八雲が終始深い関心を寄せていたことが判る(なお、私はブログでE.S.モース著石川欣一訳「日本その日その日」の全電子化注を完遂している)。因みに、芥川龍之介は本作品集刊行の十九年後、大正一三(一九二四)年十月号『文藝春秋』に「侏儒の言葉」の一節として、火星人のことを書いている。『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)  火星』を参照されたい。]

 或る國民の大多數が倫理的にこれを受け入れる準備が出來てゐないうちに、危險なより高等な知識を撒布すれば、保守的本能が常に必ず、これを妨げるといふことは、法則であるやうに思はれる。そして(個人個人の例外はあるものとして)より高い知識を得る力は、そんな知識によりて利益を蒙り得べき德性が進化開展し來たる時、始めて發達するものと想像すべき理由がある。若し、他の世界と知的通話を爲すの力が萬一、今、我我に役に立ち得るならば、我我は早速これを得べきであると想ふ。然し若し、何か不思議な機會で、エエテル電信の或る方法と云つたやうなものを發見して――この力を得ることが早過ぎたならば、その使用は十中八九屹度、禁止せられるであらう……例へて云へば、近くの或る惑星の人間と通信する手段を發見したといふ罪に問はれた人に、中世時代にどんな事が出來したらうか! 想つて見るがいい。確かに其發明者と、その裝置とその記錄とは、焚かれたらう。その勞苦の如何なる痕跡も、記憶も、根絕(ねた)やしされたらう。今日でも、人間の經驗がそれを支へない眞理の突然の發見は、現存して居る確信に全然反對した事實の突然の啓示は、迷信的恐怖の或る狂熱的復活を――科學の呼吸の根を止め、一千年の間、心的闇黑へ世界を再び投げ込むやうな宗敎的な或る恐慌を――惹起することであらう。

[やぶちゃん注:のキリスト教嫌いであった小泉八雲の持つ絶対の恐怖感は、恐らく今も連綿と続く現在的で未来に続く、なまじいにちっとばかり下らない「知識」(現行の先端科学技術をも含む)を持ってしまった人類だけが、それ故に滅亡するまで背負い続ける孤独感に由来するものである。則ち――この無限の大宇宙にあって「人類以外の高等な存在が必ずある」――という科学的根拠を実は持たない待望感(カール・セーガンなどは「ドレイクの方程式」(Drake equation:我々の銀河系に存在し、人類と接触し得る可能性のある地球外文明の数を推定する方程式。一九六一年にアメリカの天文学者フランク・ドレイク(Frank Drake 一九三〇年~)によって考案された。詳しくはウィキの「ドレイクの方程式」を参照)を以ってその存在を「必ずさわにある」としたが、宇宙論的にも生物学的にも、またそれを基にした通常の常識的確率論からも、私は――そうした生命存在と人類の生存の針の頭が一致する時間がある可能性はゼロに等しい――と今は考えている。因みに、私は高校時代まで、宇宙人の存在を信じていた。小学六年生の時、「未確認飛行物体研究調査会」を立ち上げ(『少年マガジン』で募集し、高校三年まで活動し、複数の友人の協力も得て、目撃事件の現地取材も何度か行った。但し、会員は最年少の私を含めて年上の方二名のみだった。それでも、三島由紀夫も会員であった本邦最初の「日本空飛ぶ円盤研究会」の会長荒井欣一氏とも手紙を遣り取りした)が、成人して、人々が地球外の高度に知的な生命体の存在に拘るのは、「宇宙でヒトだけが、独りぼっちなのは、いやだ!」という子供っぽい低次元の孤独感情が生み出したものに過ぎないと考えるようになった。「人類は孤独ではない」と信じたいそれは、原始宗教的意識――さらに言えば――孤独への神経症的フォビアに依拠するものであると断じている。私は同時に、死を恐れない。尊敬していた国語教師の方は死に際し、「宇宙の塵となります」と書かれた葉書を送って去られたが、私は「塵になる」という認識さえ、ない。無神論者である私は、「死」を――ちっぽけな私という生物が物理的に「無」となるに過ぎない――とのみ、冷徹に捉えている人種である。……但し……かく言っても、小泉八雲先生は黙って微笑されるものと信じている。先に示した芥川龍之介の「火星」(小泉八雲の期待を裏切って、芥川龍之介らしくすこぶる絶望的でアイロニックである)を引いて終りとしよう。

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 火星の住民の有無を問ふことは我我の五感に感ずることの出來る住民の有無を問ふことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出來る條件を具へるとは限つてゐない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保つてゐるとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸[やぶちゃん注:「すずかけ」。]を黃ばませる秋風と共に銀座へ來てゐるかも知れないのである。

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