小泉八雲 化け物の歌 「一三 フダヘガシ」 (大谷正信譯)
[やぶちゃん注:本篇の詳細は『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」(大谷正信譯)』の私の冒頭注を参照されたい。]
一三 フダヘガシ
〔ヘガシは動詞ヘグ『剝ぐ』の使然形[やぶちゃん注:使役形。]である。フダヘガシといふ言葉は『御札を剝がす化け吻』を意味する。讀者は自分の「靈の日本」のうちにフダヘガシの立派な日本物語があるのを見られるであらう〕
[やぶちゃん注:私が既に電子化した『小泉八雲 惡因緣 (田部隆次譯) 附・「夜窓鬼談」の「牡丹燈」』のこと。]
家家は聖句や護符で惡靈が入らぬやうに護られて居る。日本のどんな村にも、或は町のどんな橫丁にも。夜、戶が締つて居る時、そんな聖句を見ることが出來る。戶はトブクロヘ推し入れてしまふから、日中は、それを見ることが出來ぬ。さういふ聖句はオフダ(御札)と呼ばれて居る。白い紙片に漢字で書いてあるもので、飯糊でそれを戶に貼るのである。それには種類が多い。經から――例へば『般若波羅密多心經』か『妙法連華經』から――選んだ聖句のもある。陀羅尼――あの魔力のある――からの聖句もある。その家の宗旨を示して居る。祈りの言葉だけのもある。……この外に、種種な小さな聖句や小さな版畫が窻や隙間の上に、或は橫に貼つてあるを見ることが出來る――その或るものは、神道の神の名であり、或るものは象徵的な印畫だけか、又は佛や菩薩の繪である。凡て皆な神聖な護符――オフダ――である。何れもその家を護つて吳れるもので、かく守護されて居る家へは、その御札を除かなければ、化け物も幽靈も夜中、入ることが出來ぬのである。
執念を有つた幽靈は自分では御札を剝がすことが出來ぬ。が、嚇かしたり、約束事をしたり、賄賂を使つたりして、誰れか人にそれを取り除かせようとつとめる。で、戶から御札を剝がして貰ひたがる幽靈をフダヘガシと呼ぶのである。
へがさんと六字の札を幽靈も
なんまいだあと數へてぞ見る
〔四句目はつぎのやう二樣に讀める。
ナンマイダア――『何枚だ?』
ナム(アム)アイダア――『南無阿彌陀!』
南無阿弥陀佛といふ呼びかけの折りは、眞宗といふ大宗旨の信者が主として唱へるが、他宗の人も、殊に死者に祈りを捧げる時に、これを唱へる。それを唱へる間、祈つて居る人は數珠で祈りの數を數へる。この習慣がカゾヘテ(『數へて』)の語を用ひて仄めかしてある〕
[やぶちゃん注:原拠「狂歌百物語」の「札へかし」の挿絵(「下編」の「42」の左)の右手中ごろの位置から、
へかさんと 花前亭
六字の札を
幽㚑も
なんまいたあと
かそへてそ見る
とある。]
ただいちのかみの御札はさすがにも
のりけなくともへがしかねけり
[やぶちゃん注:原拠の本文に(「50」の右丁三行目)、
唯一の神の御札はさすかにものりけなくともへかし兼けり 樣星
とある。狂号の「樣」は自信がない。なお、一九七五年恒文社刊の平井呈一氏の訳(「骨董・怪談」所収の「天の川綺譚」の「化けものの歌」)ではこの句に注を附され、『これには原注がないが、「ノリ」は「糊」と「法(のり)」をかけたものと思われる』とあるのは至当である。]
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