小泉八雲 日本の古い歌 (大谷正信譯) ~ (その1)
[やぶちゃん注:本篇(原題“ Old Japanese Songs ”)は一九〇〇(明治三三)年七月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“ SHADOWINGS ”(名詞「shadowing」には「影」以外には「人影」・「影法師」・「影を附けること」・「尾行」などの意味がある。本作品集の訳は概ね「影」が多いが、平井呈一氏は「明暗」と訳しておられ、私も漠然とした「影」よりも、作品群の持つ感性上の印象としてのグラデーションから「明暗」の方が相応しいと思う。来日後の第七作品集)の第二パート“ JAPANESE STUDIES ”の掉尾第三話として配された作品である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットと献辞の入ったページを示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。
底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年4月14日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十一年十一月二十七日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。添え辞附きパート中標題はここ。なお、公開当時は、各歌曲の注を、殆んど、行っていなかった(私は本邦の歌曲の知識が貧困である)ので、今回、大幅に(と言っても、小泉八雲が入手した資料の原拠(恐らくは訳者大谷氏が提供したものとは思われる)が全く分からないので、ネット上の参考記事リンクのみの箇所も多いのは、悪しからず)付注した。
訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。
傍点「﹅」は太字に代えた。踊り字「く」は正字化した。また、最後に纏めてあるポイント落ち字下げの「譯者註」は適切な位置に本文同ポイントで行頭まで引き上げて示した。また一部が(例えば、最初のフランス歌謡の英訳や小泉八雲自身の丸括弧による割注)がポイント落ちであるが、概ね本文と同ポイントで示した(長過ぎる場合は、ブラウザの不具合が生ずる虞れがあるので、ポイントを落とした)。歌謡の一部は(底本は全体が四字下げ)ブラウザの不具合を考え、上に引き上げた。
かなり長い作品なので、分割して示すこととし、全体の公開が長引くのが厭なので、注はごくストイックに附すこととした。]
日本の古い歌
今年の正月元日の朝、見ると自分の机上に、自分が教へて居る文學科の一靑年詩人からの非常に嬉しい贈物が二品載つて居る。一品は新しい着物にとの織物――我が西洋の讀者が一度も見たことの無いやうな織物――の一卷(まき)である。その褐色の經(たて)は木綿絲であるが、緯(よこ)は不規則に黑の斑點のある白い柔らかい紙糸である。細かに檢べて見ると、その黑い斑點は支那文字や日本文字であることが判かる。といふのはその紙型の緯糸(よこいと)は、字の書いてある表面を外側にして、手際よく撚つて細い紐にしてある肉筆物――歌の肉筆物――で出來て居るからである。地合のその白と黑と褐色との全體としての感じは暖か味のある灰鼠[やぶちゃん注:「はいねず」。原文は“a warm mouse-grey
”。マウス・グレーは、茶色みを帯びた灰色。]である。出雲の多くの家庭でこれと似寄つた織物を家族用に製するのであるが、此の一卷(まき)は自分のその生徒の母が特に自分の爲めに織つたのである。頗る氣持ちのいい冬着になるであらう。そしてそれを着て居る時は、恰も神が日の光を纏うて居るが如くに、自分は文字通りに詩歌を身に纏うて居ることにならう。
[やぶちゃん注:「自分が教へて居る文學科の一靑年詩人」これはまず間違いなく、訳者である俳人(俳号は繞石)でもあった大谷正信のことである。彼は松江市末次本町生まれで、島根県尋常中学校での小泉八雲の教え子であり、学生の中でも最もハーンの信任を得た人物の一人であった。後、京都第三高等学校から学制改革で仙台第二高等学校へ転じた(第三高等学校・第二高等学校では同級生に高浜虚子と河東碧梧桐がおり、この頃から俳句への傾倒が始まっている)。明治二九(一八九六)年に第二高等学校を卒業すると、東京帝国大学英文学科に入学したが、まさに同年、小泉八雲が同大学に赴任し、再会を果たしていたのである。まさに大谷は小泉八雲の直弟子と言ってよいのである。大谷は、また、この東京大学在学中に正岡子規に出会い、本格的に俳句の道に精進することとなったのであった。]
他の一品はこれまた詩歌であるが、その原形を侶つで居る詩歌である。餘り人の知らぬ書物から蒐めたもので、その殆ど全部が復唱句(くりかへしく)を有つて居るといふ事實からして殊に興味のある日本の歌の筆寫した驚嘆す可き蒐集なのである。舊いのもあり新しいのもあり――いくつもの異常な物語歌(バラツド)、多くの踊歌、それから驚く許り種々雜多な戀歌を含んで居て――幾百の作品から成つて居る。感情に於ても構造に於ても、自分が、今迄の書物で、飜譯して見本を既に提供した日本の歌に類似して居るものは唯だの一つも無い。その形式は、多くの場合、奇妙にも不規則である。がその不規則さはそれ獨得の一種奇異な妙趣を有たぬ[やぶちゃん注:「もたぬ」。]でも無い。
自分はさういふ作品の一つにはそれが情操的に珍らしい性質を有つて居るが爲めと、また一つにはその構造法が奇異なので、その方面に我々は得る所がありうるが爲めとで――實例を提供しようと思ふ。古い方の歌(古代の劇詩譯者註一から拔萃した)は殊に注目に値するやう自分には思はれる。思想若しくは感情とその發言とは極めて單純であるが、反覆と途切れとの原始的な手段に賴つて、頗る著しい效果が奏せられて居る。次記の見本のうち特に注意に値すると自分に思はせる事は、第一節の三行目で始まつて居て途中一種の和唱句で中斷されて居る句が、次の節で繰り返されて言ひ終へられて居る遣り方である。恐らくはこの休止は、二重の和唱句がある英吉利の物語歌の或る物が、或はかの有名な
Au jardin de mon père—
Vole, mon cœur, vole!
Il y a un pommier doux,
Tout doux!
〔ふる里の父の園生へ――
飛べ、わが心よ、飛べ!
そこにに林檎の木があつて
甘い甘い實がなる!〕
のやうな佛蘭西歐の妙な古い形式が與へる效果を、西洋の讀者に思ひ出させることであらう。然し日本の歌では途切れ句の反覆は、日本の舞踊の動作が西洋のどんな輪舞とも同じからぬ如く、この佛蘭西の作品の效果とは同じからぬ夢見るやうな悠々とした效果を奏する。
譯者註一 劇詩(ドラアマ)とあれど寧ろ謠ひ物とあるべきもの。
[やぶちゃん注:以上のフランス語のそれは、フランスのブルターニュ地方で採集された民謡の冒頭の一部である。フランス語の“Wikitrad”のここに、以下のように電子化されてある。
*
Derrièr' chez mon père, vole, vole, mon cœur vole !
Derrière chez mon père, y a t'un pommier doux,
Et you, tout doux ! Tout doux, et you !
Y a t'un pommier doux.
Trois belles princesses, sont couchées dessous,
– Ça, dit la première, je crois qu'il fait jour.
– Ça, dit la deuxième, j'entends le tambour !
– Ça, dit la troisième, c'est mon ami doux.
Il va-t-à la guerre, combattre pour nous.
S'il gagne bataille, aura mes amours.
Qu'il perde ou qu'il gagne, les aura toujours !
*
日本語訳は、リンク先で機械翻訳でも十全に判る。]
彼乃行(かのゆく) (十一世紀のものでゐらう)
かの行くは
雁(かり)か鵠(くぐひ)か
雁ならば。
(覆唱句) ハンヤ、トウトウ。
ハンヤ、トウトウ。
雁ならば
名のりぞせまし
猶ほくぐひなりや
(覆唱句) トウトウ。
[やぶちゃん注:この唄、後の竹久夢二の小曲絵本「三味線草」(大正四(一九一五)年新潮社)の中に、
*
かのゆくは雁か鵠か
雁ならばはれやとうとう。
雁ならば名のりぞせまし
なほ鵠なりや
はれやとうとう。
*
と全く同じ形で載る。如何にも小唄で、小泉八雲の謂うような十一世紀というのはちょっと溯り過ぎのようにも感ずるが、後で出る催馬楽の一篇などとの親和性を感じさせることは、させる。
「雁」広義のガン(「鴈」「雁」)は、鳥綱 Carinatae 亜綱 Neornithes 下綱 Neognathae 小綱カモ目カモ科ガン亜科 Anserinae の水鳥の中で、カモ(カモ目カモ亜目カモ科 Anatidae の仲間、或いはその内のマガモ属 Anas )より大きく、ハクチョウ(カモ科 Anserinae 亜科ハクチョウ属 Cygnus の六種、及びカモハクチョウ
Coscoroba 属の一種の全七種)より小さい種群を総称する。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴈(かり・がん)〔ガン〕」を参照されたい。
「鵠(くぐひ)」は、広義の「白鳥」(鳥綱カモ目カモ科ハクチョウ属 Cygnus 或いはそれに類似した白い鳥)の古名であるが、辞書によっては、特にハクチョウ属コハクチョウ(小白鳥)亜種コハクチョウ Cygnus columbianus bewickii とする。私も個体の大きさから、コハクチョウを採る。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵠(くぐひ)(コハクチョウ)」を参照されたい。]
上記の形式での古い敍情詩は澤山にある。構造は異つて居るが、これ亦古い劇詩から採つた別な歌を次に揭げよう。これには復唱句は無いが、句の同じく特有な中絕がある。そしてその四つ拍子の反覆の效果は情緖的に感銘が深い。
磯 等(いそら)
いそらが崎に
鯛釣る海士(あま)も
鯛釣る海士も
我妹子(わぎもこ)がためと
鯛釣る海士も
鯛釣る海士も。
[やぶちゃん注:この歌は、「神樂歌(かぐらうた)」の中の一つ。サイト「紅玉薔薇屋敷」内の「梁塵秘抄口伝集巻第十一(その四)」に詳しいので、そちらを見られたい。]
が然し次記の古歌では、言ひ終へて居ない句の異常な反覆と、二重の中絕とで、前のよりも猶ほ一層著しい效果を得て居る。自分はこれほど純然と自然なものは想像が出來ぬ。實に此の單純な發言の寫實は殆ど哀切の性質を有つて居る。
總 角(あげまき) (古い敍情劇詩――年代不明)
總角(あげまき)を
早稻田にやりてヤ
其(そ)をもふと譯者註二
そをもふと
そをちふと
そをもふと
そをもふと
そをもふと
何もせずして
春日すら
春日すら
春日すら
春日すら
春日すら。
註 昔は、男の子は兩の顳顬[やぶちゃん注:「こめかみ」。]の處だけ一總の垂れ髮を殘して頭を綺麗に剃るが習慣であつた。そんな垂れ髮を「アゲマキ」と呼んだもので、總(ふさ)といふ意味の語である。ところがしまひには其語が男兒或は童といふ意味を有つやうになつた。この歌のやうな歌では――丁度英國の少女がその愛人のことを「マイ・ディア・ラツド」或は「マイ・ダアリング・ボイ』と言ふやうに、なつかしみいとほしみての言葉として使用されて居るのである。
譯者註二 「もふと」は「おもふと」の意。
[やぶちゃん注:houteki氏のブログ『雅楽研究所「研楽庵」』の「総角」を参照されたい。
「ラツド」“lad”。「若者・少年・(年齢に関係なく)男・元気のいい男・大胆な男」等の意を持つ。]
反覆と覆唱句との他の形式を次記の二つの敍情詩が提供して居る。
鬢多多良(びんだたら) (十二世紀に作られしものと想はる〻もの)
びんだたらむ
あゆかせばこそ
あゆかせばこそ
愛敬(あいぎやう)づいたれ。
ヤレコ トウトウ。
ヤレコ トウトウ。
[やぶちゃん注:この歌は、本来は「郢曲」(えいきょく)「鬢多多良」と呼ばれたもの。「郢曲」の起源は中国で、「郢」は古代の春秋時代の楚の都の名であったが、淫(みだ)らな土地柄であったところであったことから、転じて「賤しい音楽」「はやり歌」「俗曲」を指した。それが、本邦に伝わり、平安・鎌倉期の「謡い物」の総称となり、狭義には「早歌」(そうか:宴会曲)又は「朗詠」の意で用いられた。広義には平安初期には、神楽(かぐら)・催馬楽(さいばら:元々、各地に古くからあった民謡・風俗歌に、外来楽器の伴奏を加えた形式の歌謡)・風俗歌・朗詠をさし、中期には「今様」(いまよう)も加わり、後期には多くの雑芸も附加され、鎌倉時代には「早歌」として好まれ、加えられた。曲名の「鬢多多良(びんだたら)」は「びんざさら」(編木・拍板)と同義で、原義は民俗芸能の打楽器の一つを指し、短冊形の薄い板を数十枚連ねて上方を紐で綴じ合わせたもの。両端を握って振り合わせて音を出す。単に「ささら」とも言う。また、その「びんざさら」を持って行う歌を伴う、「田楽踊」(でんがくおどり)を指す。これも、そうしたものの一曲(以上は、概ね、所持する小学館「日本国語大辞典」の記載を参考にした)。]
樣は天人 (多分十六世紀のもの)
樣(さま)は天人(てんにん)。
ソレソレ
トントロリ。
乙女の姿
雲の通ひ路
ちらと見た。
トントロリ。
乙女の姿
雲の通ひ路
ちらと見た。
トントロリ。
[やぶちゃん注:調べても、見当たらないが、思いつきに過ぎないが、このルーツは、「大嘗祭」(おおなめさい)や「新嘗祭」(にいなめさい)の際、「豊明節会」(とよあけのせちえ)で行われる、本邦の雅楽の中でただ一つの複数の女性によって演ぜられる「五節の舞」(ごせちのまい)ではないかと思われる。それが、武家や市井に伝播変形する中で、かくくだけたオノマトペイアを添えた歌詞が生じたものではなかろうか。ウィキの「五節舞」によれば、『天武天皇の時代、吉野に天女が現れて袖を五度振って舞ったのが由来との説が、平安中期にあった』。五『度、袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があるという説もあ』り、「年中行事秘抄」には『「乙女ども乙女さびすも唐玉を袂に巻きて乙女さびすも」という歌謡が載せられており、この歌にあわせて舞われたもののようである』とあり、なにより、そこにも掲げられてあるが、「百人一首」で知られた(第十二歌・原拠「古今和歌集」「卷十七 雜歌上」)僧正遍昭の五節舞の情景を詠じた、
五節のまひひめを見てよめる
あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
を、インスパイアしているのが、はっきり感じられるからである。]
自分が次に選んだのは年月不明の戀歌からである。時代は鎌倉時代(一一八六――一三三二)である。この斷片は、佛敎の言葉が引いてあるのと、節(せつ)の形式が甚だ規則正しいのとが主として目立つて居る。
まことやら
鹿島の港に
彌勒の船が
着いて御座りまうす。
ヨノ!
サア、イヨエイ、イヨエイ!
サア、イヨエイ、イヨエイ!
ほばしらは
黃金(こがね)のほばしら
帆には法華經の
五のまんまきもの。
サア、イヨエイ、イヨエイ!
サア、イヨエイ、イヨエイ!
…………………………………
[やぶちゃん注:歌詞が完全な一致を見るわけではないが、文化庁の「鹿島みろく 調査報告書 平成二十五年度文化庁「変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業」(PDF:8.06MB)の中に「鹿島の港に」「弥勒の舟」「黄金の」「法華経」の歌詞を確認出来る。詳しくはそちらを見られたいが、この歌詞は、鹿島神宮に関わる古くからある「みろく踊り」の歌詞であることは間違いない。その分布は、茨城県・千葉県・埼玉県・東京都・神奈川県、及び、静岡県等の関東南部に広く現存するものである。]
奇妙な復唱句があつて、他の點で興味があるのは、『サイバラ』といふ奇妙な一類の敍情劇詩譯者註三の一つたる、今一つの『あげまき』といふ名の歌である。これには稍〻『放恣』といふ缺點があるが、殆ど同年代に作られたらしく思はれる我がエリザベス朝の歌の世人が賞讃するもののうちの或る物よりも餘計に非難を受くべきものとは自分は考へぬ。
譯者註三 劇詩は謠ひ物とあるべきもの。
[やぶちゃん注:「サイバラ」催馬楽。日本の雅楽の種目の一つで、平安時代に貴族の間で盛んに歌われた声楽曲。アジア大陸から伝来した唐楽・高麗楽(こまがく)風の旋律に日本の民謡や童謡の歌詞を当て嵌めたものが多い。発生の時期は平安初期に溯るが、平安中期以後、特に源雅信の活躍した九〇〇年代から鎌倉初期にかけて盛行した。歌い方には藤家(とうけ)と源家(げんけ)の二つの流儀があり、その曲目も数十曲に及んだ。歌の内容は恋愛歌・祝儀歌などさまざまで、饗宴の性質によって歌われる歌が決っていて、後には一種の故実として固定化したが、室町時代に途絶した。その後、寛永三(一六二六)年に「伊勢海(いせのうみ)」が再興されて以来、今日までに十曲が宮内庁楽部に伝わる。曲は歌のリーダー(句頭)が曲の冒頭部分を独唱し、次に、全員の拍節的斉唱となる。伴奏楽器は現行は竜笛・篳篥(ひちりき)・笙・琵琶・箏・笏拍子を用いる。現行の十曲の催馬楽は双調 (そうぢょう:ト音)を主音とする呂(りょ)の歌「安名尊(あなとう)」・「山城」・「席田(むしろだ)」・「蓑山」・「田中井戸」・「美作(みまさか)」などと、平調(ひょうぢょう:ホ音)を主音とする律の歌「伊勢海」・「更衣」・「大芹(おおせり)」・「西寺」に二分類されている(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「放恣」「はうし(ほうし)」は「勝手気ままで乱れていること」の意。以下に見る通り、この歌、性的なニュアンスがあからさまである。
「我がエリザベス朝の歌の世人が賞讃するもののうちの或る物よりも餘計に非難を受くべきものとは自分は考へぬ」具体には英文学に不学にして知らぬが、ネットの英語辞書の“bawdy”(猥褻な)の例文に、“They published a collection of Elizabethan bawdy.”とあり、訳に、『彼らはエリザベス朝の猥褻な事柄の収集を発刊した。』とあった。]
總 角(あげまき) (多分十六世紀のもの)
あげまきや
トウトウ!譯者註四
尋(ひろ)ばかりや
トウトウ!
放(さか)寢たれども
まろび逢ひにけり
トウトウ!
かより逢ひにけり。譯者註五
トウトウ!
譯者註四 原英文に「トントン」あるは誤。
譯者註五 「かより」の「か」は接頭語。「かより逢ひ」は「寄り逢ひ」なり。
[やぶちゃん注:本歌については、柴田稔氏のブログの『「翁」を観る前に知っておきたいこと ③ <「翁」の舞台経過 その2>』を参照されたい。
「尋(ひろ)」は中国や本邦に於いての両手を広げた長さを指す古い長さの単位。「尋」の解字もまさにその意味である。ここは「總角」をした少年少女は、孰れも、距離を離して寝ていたものだったが、ころこっろと転(まろ)び合って、互いに逢い、そうして「か寄る」=寄り添って(一説に「ゆらゆら揺れ動いて」。性的ニュアンスが濃厚に感じられる)逢うことができたのだ、の謂いであろう。]
自分が次に揭げる一群の選擇は『地方の歌』から成つて居る。『地方の歌』とは自分にそれを蒐めて吳れた生徒の心では、特殊な郡或は國に固有な歌といふ積りである。いづれも――前に揭げた作品よりも古くはないけれども――古いもので、その興味は主として情緖的なところに在る。が、讀者は氣附かれるであらうが、妙な復唱句のあるのが數々ある。此種の歌は殊に村の踊に――盆踊や豐年踊に――歌ふものである。
戀 歌 (越後國)
花か蝶々か
蝶々か花か
ドンドン!
來てはちらちら迷はせる
來てはちらちら迷はせる。
サウカネ、ドンドン!
戀 歌 (紀伊國小川村)
聲はすれども
姿は見えぬ
深野のきりぎりす!
註 キリギリスは非常に音樂的な音を出す一種のグラスホパアである。色が全く草色だから、近く鳴いて居る時でも、之を見るのは困難である。此歌に田畠で仕事をしてゐながら歌をうたふ百姓の愉快な習慣を仄めかせて居るのである。
[やぶちゃん注:「紀伊國小川村」中世以来の荘園であった和歌山県の海草郡旧小川村、現在の和歌山県海草郡紀美野町(きみのちょう)のこの附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。
「グラスホパア」“grasshopper”は、英語圏では広く「バッタ」・「イナゴ」・「キリギリス」総てを指す。魚と同じで、日本と異なり、世界的には、それぞれの虫類を細かく指示する語は、ない、のである。]
戀 歌 (陸奧國津輕郡)
私(わし)の心と
冲來る舟は
らくに見せても
苦が絕えぬ。
戀 歌 (周防國井關村)
淚ぼして
辛苦を語る
可哀らしさが
ましまする!
[やぶちゃん注:山口県山口市の阿知須(あじす)井関(いせき)か。]
戀 歌 (駿河國御殿場村)
花や能く聽け
性(しやう)あるならば
人がふさぐに
何ぜひらく。
古の東京の歌
いやなお方の
親切よりか
好いたお方の
無理がよい。
戀 歌 (石見國)
可愛らしさよ
螢の蟲は
忍ぶ繩手に
灯をともす。
おどけ歌 (信濃國)
あの山かげで
光るは何ぢや
月か星か螢の蟲か
月でも無いが
星でも無いが
姑のお婆の眼が光る――
(合唱) 眼が光る!
かへり踊 (讃岐國)
かへり踊(文字通りでは「變へる踊」又は「歸る踊」)の眞の意味は自分は確とに知らぬ。
おれが姑(しうとめ)のたけちなや!
(合唱) たけちなや!
流る〻水にも繪をかけと!
流る〻水に繪をかかば
あなたはそら夜の星ぞ讀め!
星ぞ讀め!
お庭踊はいざをどららう!
チヤン、チヤン!
チヤチヤ!
ヨイトセ!
ヨイトセ!
誰(た)ぞやお裏(うら)に竹伐るは?
(合唱) 竹伐るは?
おれが殿御(とのご)のうゑ竹を
うゑ竹を?
お庭踊はいざをどらう!
チヤン、チヤン!
チヤチヤ!
ヨイトセ!
ヨイトセ!
おれが姑(しうとめ)のたけちなや!
たけちなや!
岩を袴にたち縫へと!
岩を袴にたち縫へば
あなたは小砂を糸に縒(よ)れ!
糸に縒れ!
お庭踊はいざをどらう!
チヤン、チヤン!
チヤチヤ!
ヨイトセ!
ヨイトセ!
[やぶちゃん注:「たけちなや!」の「たけち」を小泉八雲は“the cruelty”(残酷・冷酷)と訳している。これは、ここでは、古語「猛し」の訛りで、「激しい・荒っぽい」の意であろう。]
お寺踊 (伊賀國上野町)
お寺へまゐりて御門(ごもん)を見れば、
御門は臼かね扉(とびら)はこがね、
御門は氣高(けだか)いお寺かいな。
お寺かいな!
お寺へまゐりて御庭を見れば、
せりせり小松は四方に榮え、
一(いち)の小枝へ四十雀(しじふから)が巢を
巢をかけた。譯者註六
お寺へ參りて泉水見れば、
色々の小ばなを集めてござる、
めんめにその色咲き分ける、
咲きわける。
お寺へ參りて書院を見れば、
いろいろの小鳥を集めてござる、
めんめにその音(ね)をいだしける、
いだしける。
お寺へまゐりて客殿(きやくでん)見れば、
か〻ヘの屛風にゆえんをすゑて、
御經あそばすありがたや!
ありがたや!
註 四十雀は英詩のマンチュリアン・グレイト・ティツト。その巢を邪魔せずその雛を保護しやれば、そが巢をつくる庭の持主に幸福を齎すといふ。
譯者註六 原歌は此一節は「お寺へ參りて御庭を見れば、せりせり小松は四方へ榮え、一の小枝へ四十雀は巢に巢をかけて、其子が育てばお寺繁昌、お寺はんじよ」なり。そのまゝ逐字譯しては行數他の節よりも多くなる爲め都合よく自由譯されしなり。
[やぶちゃん注:この「お寺踊」というのは、聴いたことがない。調べても判らない。識者の御教授を乞うものである。
「四十雀(しじふから)」スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属シジュウカラ Parus minor であるが、本邦産は現在、四亜種が留鳥として棲息する。代表種は亜種シジュウカラ Parus minor minor(アムール川流域から朝鮮半島・長江流域・四川省にかけてと、日本(北海道・本州・四国・九州・壱岐・隠岐・対馬・伊豆諸島・五島列島・佐渡島)及びサハリンに分布)に分布する(他の三亜種は南西諸島島嶼部限定の固有種)。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 四十雀(しじふから)(シジュウカラ・附ゴジュウカラ)」を参照。
「マンチュリアン・グレイト・ティツト」“The Manchurian great tit.”(「満州産四十雀」)。「great tit」はシジュウカラ属 Parus のシジュウカラ類の総称(「tit」はシジュウカラ科 Paridae のそれ)。]
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