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« 大和本草卷之十三 魚之下 海鰌 (クジラ) | トップページ | 小泉八雲 「蜻蛉」のその「二」・「三」  (大谷正信譯) »

2019/10/14

小泉八雲 作品集「日本雜錄」 / 民間傳說拾遺 / 「蜻蛉」(大谷正信譯)の「一」

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ Dragon-flies ”。「蜻蛉(とんぼ)」)は一九〇一(明治三四)年十月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“ A JAPANESE MISCELLANY ”(「日本雑記」。来日後の第八作品集)の冒頭パート「奇談」(全六話)の次のパート“ Folklore Gleanings ”(「民俗伝承拾遺集」)全三篇の最初に配されたものである。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットの入ったページを示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは、整序されたものは見当たらない(今まで紹介していないが、同前の“Internet Archive”にはフル・テクスト・ヴァージョンはあるにはあるのであるが、OCRによる読み込みで、誤まりが甚だ多く、美しくなく、読み難く、味気ないのである)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した【2025年4月5日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十一年十一月二十七日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。 底本では、中パート標題は以下の通り、「民間傳說拾遺」と訳してある。

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「﹅」は太字に代えた。また、本文にはトンボ類の博物画的ないい挿絵が六葉入っており、これはどうしても併載したく思い、“Internet Archive”で入手出来る全画像(PDF)から、挿絵画部分のみをトリミングして適切な位置に配した。キャプションは原文を示して、訳を添えた。

 本文内に禁欲的に(と思いつつ、結局、神経症的になると思う)注を挿入した。

 本篇は全五章から成るので、分割して示すこととした。なお、瞥見した銭本健二氏が担当された小泉八雲の年譜(一九八八年恒文社刊「ラフカディオ・ハーン著作集 第十五巻」所収)によれば、本篇は明治三三(一九〇〇)年四月下旬の完成とある。]

 

 

  民間傳說拾遺

 

 

  蜻 蛉

 

       

 

 日本の古名の一つにアキツシマといふがある。それは『蜻蛉の島』といふ意味で、そして蜻蛉といふ意義の文字で書き現はされて居る。この蟲は、今はトンボといつて居るが、古代に於てはアキツと呼んだものである。思ふに、このアキツシマ卽ち『蜻蛉の島』といふ名は、同じくアキツシマと發音はするが、異つた文字を用ひて書き現はされて居る『豐穰な國』といふ意味を有つた、なほ一册古い日本の稱呼からして、聲音上思ひ附いたものであらう。それは兎も角、約二千六百年前に、神武天皇が大和の國を眺望しに或る山へ登られて、國の蜻蜓のとなめせるに似たり、と御附の人達に御述べになつたといふ傳說がある。この御言葉があつたので、大和の國は蜻蜓洲と言はれるやうになつた、しまひには此名が全土に及ぶやうになつた。そして蜻蛉は今日に至る迄も依然この帝國の徵號となつて居る。

[やぶちゃん注:「蜻蛉」(とんぼ)は昆虫綱 Insecta 蜻蛉(トンボ)目 Odonata の、均翅(イトトンボ)亜目 Zygoptera・均不均翅(ムカシトンボ)亜目 Anisozygoptera・不均翅(トンボ)亜目 Anisoptera に属するトンボ類。全世界で約五千種、本邦にはその内、二百種近くが棲息している。なお、ウィキの「トンボ」によれば、「とんぼ」の古称の由来は『諸説あり、たとえば以下のようなものがある』とする。『「飛羽」>トビハ>トンバウ>トンボ』という説、『「飛ぶ穂」>トブホ>トンボ』という説、『「飛ぶ棒」>トンボウ>トンボ』という説、『湿地や沼を意味するダンブリ、ドンブ、タンブ>トンボ』という説、『秋津島が東方にある地であることからトウホウ>トンボ』という説、『高いところから落下して宙返りのツブリ、トブリ>トンボ』という説などである』。『なお、漢字では「蜻蛉」と書くが、この字はカゲロウを指すものでもあって、とくに近代以前の旧い文献では「トンボはカゲロウの俗称」であるとして、両者を同一視している』。『例えば』、『新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒(』セキソツ/『赤とんぼ)をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である』。なお、かく普通に一般人が用いた場合の「カゲロウ」とは、真正の「カゲロウ」類である、 有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea 上目蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera の仲間に、その成虫の形状に非常によく似ている、真正でない「カゲロウ」である、有翅昆虫亜綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅亜(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae に属するクサカゲロウ類及び、脈翅(アミメカゲロウ)目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae に属するウスバカゲロウ類を加えたものを指す。この「カゲロウ」の真正・非真正の問題は、私は、さんざん、いろいろなところで注してきたので、ここでは繰り返さない。未読の方は、最も最近にその決定版として詳細に注した、「生物學講話 丘淺次郞 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命」の私の冒頭注『「かげろふ」の幼蟲は二年もかかつて水中で生長する』以下をお読み戴きたい

「アキツシマ」秋津島。日本の古称。古くは日本語としては珍しく「あきづしま」と濁った。小学館「日本大百科全書」によると、通説では、「日本書紀」の第六代孝安天皇の「葛城室之秋津嶋宮(かづらきのむろのあきつしまのみや)」の記事と、神武紀三十一年、同地に於ける秋津島の称の起源伝承をもとに、秋津を奈良県御所(ごせ)市内の地名とし、この地名が大和、さらに日本の総称、また大和にかかる枕詞となったと説いているが、しかし、孝安天皇の宮については「日本書紀」が『都を室(むろ)の地に遷(うつ)す。是(ここ)を秋津島宮といふ』と述べており、これは秋津を地名とは見做し難く、また、神武紀の称も「浦安国、細戈千足国」の称と並べられていて(後掲注参照)、寧ろ、賛称の一つに過ぎないと見るのが相応しい。上記の例と記紀雄略天皇の条の蜻蛉(あきづ)(=トンボ)にかけた起源伝承(「古事記」では雄略天皇の腕に食いついたアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、そこで倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と呼んだと出る)を除けば、他のすべてが大和の語とともに使用されているのも、賛称であるためであろう。その語義については、水辺の農耕平地のことを指す「アクツ」と関連させる説、秋=実りと解する説などがあるが、未詳である。国号としての単独使用は平安以後と考えられている。なお、耶馬(やま)=野馬(やま/陽炎)→蜻蛉(かげろう)→蜻蛉(とんぼ)と転義されたものとして、起源を耶馬台国の称に求める説もあるという。

「神武天皇が大和の國を眺望しに或る山へ登られて、……」「日本書紀」巻第三の終りの方に神武天皇三十一年(機械換算紀元前六三〇年)相当の条に、

   *

 卅有一年四月乙酉(きのととり)朔(つひたち)、皇(すめらみこと)輿巡幸(めぐりいで)ます。因りて、腋上嗛間丘(わきのかみのほほまのをか)に登りまして、國の狀(かたち)を𢌞(めぐ)らし望(おほ)せて曰(のたま)はく、

「妍哉(あなにゑや)、國、獲(み)えつ。內木錦(うつゆふ)の眞迮國(まさきくに)と雖も、猶ほ、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)ごとくもあるか。」

是れに由りて始めて「秋津洲(あきつしま)」の號有り。昔、伊弉諾尊(いさなきのみこと)此の國を目(なづ)けて曰(のたま)はく、『日本(やまと)は浦安國(うらやすのくに)、細戈千足國(くはしほこちたるくに)、磯輪上秀眞國(しわかみほつまくに)。』と。復た、大己貴大神(おほむなちのおほかみ)之れを目けて曰はく、』『玉牆內國(たまがきのうちつくに)。』と。饒速日命(にぎはやひのみこと)、天磐船(あまのいはふね)に乘りて、太虛(おほそら)翔行(めぐ)りて、是の鄕(くに)を睨(おせ)りて降りたまふに及至(いた)りて、故(か)れ[やぶちゃん注:そのために。]、因りて目づけて『虛空見日本國(そらみつのやまとのくに)』と曰ふと。

   *

とある。「蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)」はトンボの交尾行動を言ったもの。♂が尾端の附属器で♀の頭部(複眼の後部)挟んで、♀の生殖器♂が自身の副性器に差しこんだ形(私にはハート形に見える)を、雄雌が互いの尻を嘗めているように古代人は見たのである。

「蜻蜓」これも「とんぼ(う)」と読む。「蜻蛉」と区別する場合は、大型の「やんま」で訓ずる。「蜓」は大型のトンボに対して用いられることが多い。にしても、何故、大谷は「蜻蛉」と「蜻蜓」を混在させているのかが、全く、分からない。区別して使い分けている訳ではない。不審である。なお、底本は一部で「蜓」ではなく、おぞましい長い虫(ゲジやムカデ)やヤモリ(彼は好き)を指す「蜒」で誤植しているように見える箇所が散見されるが、ここは特異的に総てを正しく「蜓」とした。

 日本は、文字返りの意味で、蜻蜓の國と呼ばれる値値を充分に有つて居る。といふは、レインが詩的に述べて居るやうに、日本は『脈翅類愛好者にはまことのエルドラアド』だからである。恐らくは京北兩溫帶のどの國も、日本ほど多種類の蜻蛉を所持しては居まい。また熱帶國すらも、日本の種類の或る種の、ものより、もつと珍らしく美しい蜻蛉を造り得るかどうか、自分は怪しむものである。自分がこれまで見たうちで一番驚嘆すべき蜻蛉は、昨夏靜岡で捕つた一カロプテリツクスであつた。土地の人は『黑トンボ』と呼んで居るものであつた。が、その色は實際は非常に濃い紫色であつた。天鵞絨[やぶちゃん注:「ビロウド(ビロード)」。]のやうな紫色のその細長い翅は――觸つて見ても――不思議な或る花の花瓣のやうに思はれた。縫針のやうにか細いその紫色の體は、光澤無しの金の点線の裝飾を有つて居つた。頭部と胸部とは眼の覺めるやうな金綠であつたが、眼は磨きをかけた金の球そつくりであつた。脚は、肢部に直角を爲して、丁度豆仙人の櫛の齒のやうな、何とも言へぬ纎細な棘がその內側を緣取つて居た。それは餘りに微妙なものだつたので、その平和を亂したことに一種の後悔の念を自分は覺え――神界に屬する者に要らぬ手出しをしたやうに感じ――た程であつた。――で、自分は直ぐとそのとまつて居た灌木へ返してやつた。……此の特殊な蜻蛉は燒津町の近くの淸流の附近だけに棲んで居るといふことである。が、然しこれは多くの可愛らしい變種の一つたるに過ぎぬのである。

[やぶちゃん注:「レイン」恐らくは、ドイツの地理学者で日本研究家として知られるヨハネス・ユストゥス・ライン(Johannes Justus Rein 一八五三年~一九一八年)である。明治七(一八七四)年にプロイセン王国政府の命により、日本の工芸調査を名目に来日し、工芸研究の傍ら、北海道を除く日本各地を精力的に旅行し、地理や産物を調査した。明治十年に帰国し、マールブルク大学地理学教授・ボン大学地理学教授を務め、多くの日本人ドイツ留学生の世話をした。以下の出典は不詳。【2020年1月9日追記】いつもお世話になっているT氏より出店元の情報を戴いた。この引用は彼の著書“ Japan nach reisen und studien im auftrage der königlich preussischen regierung dargestellt ” (二巻本)の第一巻の英訳“ Japan : travels and researches undertaken at the cost of the Prussian government ”』(「日本:プロイセン政府の費用に拠りて行われた旅行と研究」)の中の、“ THE PHYSIOGRAPHY OF JAPAN “(「日本の自然地誌」)の“ F. INSECTS AND SPIDERS ”(「昆虫類と蛛形(クモ)類」)のp203にある第二パラグラフ、

   Japan is a true Eldorado to the neuroptera fancier. The abundance of water in the rice-fields appears essentially to promote the development of the larvre of the dragon-flies (Tombo), as well as of those of the Ephemera. A kind of dragon-fly larva, called Magotaro-mushi (Magotaro’s insect), is celebrated throughout Japan, and is employed as a remedy against the diseases of children.

に基づくものである、ということを御教授戴いた。以上を訳してみると、現代の分類学からは、かなり問題のあるものではあるが(後注する)、言葉を添えて表記も現行の分類名に直して示すなら、

   *

 日本は、ネウロプテラ(脈翅(アミメカゲロウ)目)Neuroptera の愛好家にとっては真の「エルドラド」(黄金鄕)である。 田圃の水の豊かさは、本質的には、トンボ(日本語「蜻蛉(とんぼ)」)の幼虫と、エフェメラ(カゲロウ(蜉蝣)目)Ephemeroptera の幼虫の発生・成長を促すように見受けられる。「孫太郎虫」(マゴタロウ・インセクト)と呼ばれる一種のトンボの幼虫は、日本全国で著名なものであって、子供たちの病気に対する治療薬として使用されている。

   *

ここで「Neuroptera」と「Ephemera」(この語の元はギリシャ語で本虫である「蜉蝣(カゲロウ)」 を指し、原義は「 epi(英語の「on」)」+「hemera(day:その日一日)」であって、カゲロウの寿命の短さに由来する。一般名詞「ephemera」 は配られるチラシやパンフレットなどを意味し、「その日一日だけの一時的なもの」であることによる謂いである)、及び、広義の「トンボ」が異様な混交を以って使用されているのは、そもそもがリンネがそれらを似たような葉脈状の翅を持つことから同一の昆虫群として一緒くたにして「Neuroptera」に分類した、古典的な、形態や大まかな習性の人為観察による恣意的分類によるものであって、それがまだ尾を引いていた結果なのである。現行では既に注で述べた通り、アミメカゲロウ(網目蜉蝣)目 Neuroptera とカゲロウ(蜉蝣)目 Ephemeroptera とは一部の種が形状や生態で酷似するものの、全く系統の異なる生物群であり、そして蜻蛉(トンボ)目 Odonata も全く独立していて、以上の三つは一グループに纏めて認識されることはなく、この何でもトンボの仲間にしてしまうラインの叙述は、今となっては、時代遅れで誤っていると言わざるを得ない。さらに、指摘するならば幼虫が古くから「孫太郎虫」と呼ばれて子供の疳に効く民間薬とされるヘビトンボは、アミメカゲロウ(脈翅)上目広翅(ヘビトンボ)目ヘビトンボ科ヘビトンボ亜科ヘビトンボ属 Protohermes のヘビトンボ類は御覧の通り、「トンボの仲間」ではなく、強いて言いたいとするなら、「アミメカゲロウ」の仲間と言わずばなるまい。

 なお、T氏に御礼申し上げる。

「エルドラアド」“Eldorado”。「エル・ドラード(El Dorado)」。大航海時代、スペインに伝わったアンデスの奥地に存在するとされた伝説上の黄金境。語源は十六世紀頃まで南米アンデス地方に存在した「チブチャ」文化(「ムイスカ」文化)に伝わっていた「黄金の人」の意の言葉に基づくもの。

「カロプテリツクス」“ Calepteryx ”。小泉八雲の繊細な描写でお判りなったことと思うが、所謂、「糸トンボ」と我々が読んでいる仲間の内の、イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ(青膚蜻蛉)属 Calopteryx を指す。インセクターの方は、八雲の記載で種同定が可能なのかも知れぬが、私は昆虫には詳しくないので同定比定は控える。アオハダトンボ Calopteryx japonica か、ハグロトンボ Calopteryx atrata か。]

 

 だが、より美妙な蜻蛉は稀に目にするもので、且つ日本文學に出て來ることは滅多に無い。――それで自分が讀者の興味を呼び得るのは、ただ蜻蜓の詩歌と、民間傳說との方面に於てのみである。自分は蜻蜓の談論を古風な日本流儀で試みたいのである。そして自分が――奇妙な書物と永く人に忘られて居る圖畫との助を藉りて――此題目に就いても知り得た僅少の知識は、大半は、より普通な種類に關してである。

 

 だが蜻蛉文學を論述する前に蜻蛉の名稱に就いて少しく語る必要があらう。日本の古書は五十種許りを名ざさうとする。『蟲譜圖說』には實際その數に近い蜻蛉の彩色繪があるのである。が此書には、蜻蛉に似て居る蟲で、不穩當にも蜻蛉の部に入れてあるのが數々あり、又同一種の雄と雌とに異つた名が與へられて居るやうに思へる例が少からずある。之に反して、異つた種類の蜻蛉が四つも同じ普通名を有つて居るのを自分は知つて居る。そこで如上の事實を眼中に置いて居て、次記の目錄は先づ完全なものと思つてよからうと自分は敢て考へるのである。――

[やぶちゃん注:「蟲譜圖說」江戸後期の旗本で博物学者飯室昌栩(いいむろまさのぶ 寛政元(一七八九)年~安政六(一八五九)年)作の安政三(一八五六)年序を持つ昆虫図譜。飯室は江戸市ケ谷に住み、設楽(しだら)甚左衛門に学び、天保七(一八三六)年、越中富山藩主前田利保の主宰する博物研究会『赭鞭(しゃべん)會』に参加した。本「蟲譜圖說」は日本最初の体系的に分類された虫類図鑑である。同図説は国立国会図書館デジタルコレクションにもあるが、各ページを見るには「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の方が使い勝手がよい。同書の「卷之四 卵生蟲類七」の巻頭に「蜻蛉類」が載る。全体を一画面で見たい場合はこちらでPDF。なお、それに遙かに先行する、私の寺島良安の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蜻蛉」も以下の読解の助けとなると思われるのでリンクさせておく。

 以下、底本では、全体が三字下げでボイント落ちである。完全に引き上げて、同ボイントで示した。なお、私は昆虫は守備範囲外なので、素人考えで推測して注している。誤りがあれば、御指摘戴けると幸いである。]

 

一、ムギワラトンボ(或は單にトンボ)卽ち麥藁蜻蛉――その身體が形も色も稍〻麥藁に似て居るので斯の[やぶちゃん注:「この」。]名がある。――これは多分蜻蛉のうちで一番普通なもので、且つ最も早く現はれるものであらう。

[やぶちゃん注:初っ端から悪いけれど、小泉八雲先生は冒頭から前段で指弾した誤りを御自身で犯してしまっている。恐らくは飯室の配列に習って(「蟲譜圖說」の当該頁。以下、断らなければ、総て早稲田の当該書画像である)、これを頭に持ってきたものであろう。無論、民間での蜻蛉の呼称のリストとなれば、特に問題はないものの、敢えて前段で同一種の異名(性的二型に基づくとしても)を問題視し、以下の自身のリストを、ある意味で昆虫学的にトンボ類の「完全なもの」と自負する以上は、性的二型を指示していないからには、やはりやや瑕疵の趣はある。さても則ち、これは次の「二」で掲げる、日本産亜種である、トンボ科ヨツボシトンボ亜科シオカラトンボ属シオカラトンボ亜種シオカラトンボ Orthetrum albistylum speciosum ♀の異名である。ウィキの「シオカラトンボ」によれば、同種は♀や未成熟の♂では、『黄色に小さな黒い斑紋が散在するため、「ムギワラトンボ(麦藁蜻蛉)」とも呼ばれ』、『複眼は緑色で』ある。

 なお、この日本産トンボに就いての小泉八雲のリストは近代昆虫学のトンボ学の中でも、市井の非専門家の記載の中では有意に意義を持つものと思われ、専門家やインセクタ―の方の考察比定論文が当然あるのではなかろうかと、ネット検索を掛けたが、見当たらない。同じく、小泉八雲が概ね原拠として使用した飯室昌栩の「蟲譜圖說」の「蜻蛉」パートも、論文か解説が有りそうなものと思ったが、残念ながら、やはりネット上には見当たらないのだ。御存じの方があれば、お教え願いたい。

二、シホカラトンボ或はシホトンボ――卽ち、鹽辛蜻蛉或は鹽蜻蛉――尾の尖が鹽に浸つて居たやうな色をして居るので斯の名がある。シオカラとは鹽に漬けられた一種の魚の食品である。

[やぶちゃん注:同前の、亜種シオカラトンボ Orthetrum albistylum speciosum の♂の異名である。ウィキの「シオカラトンボ」によれば、♂は『老熟するにつれて、体全体が黒色となり、胸部から腹部前方が灰白色の粉で覆われるようになってツートンカラーの色彩となる。この粉を塩に見立てたのが名前の由来である。塩辛との関係はない』とある。以下に、原本にある以上の二つ(くどいが、二種ではない)の画像を示す。挿絵では順序が逆転している。

 以下、総ての挿絵パートでは前後を一行空けた。]

Plate1_20191014195901

[やぶちゃん注:キャプションを電子化する。

    Plate  1

Ⅰ.  SHIO-TOMBŌ (“ Salt D.

Ⅱ.  MUGIWARA-TOMBŌ (“ Barley -straw ”)

訳す。「D.」は「Dragon-fly」の略と採った。「TOMBŌ」は江戸以前の「とんぼう」を採りたかったが、長音符なので間が抜けているが、「とんぼー」とした(原本本文でも総てが“Tombō”表記である)。

    図版 1

Ⅰ しほ・とんぼー(「塩」蜻蛉)

Ⅱ むぎわら・とんぼー(「麦の藁」)

「Barley」麦(コムギ・オオムギ・ライムギ・エンバクなどの、一見、外見の類似したイネ科 Poaceae 植物の総称)は、英語では「oat」・「wheat」・「barley」が用いられはするが、この単語は狭義には単子葉植物綱イネ目イネ科オオムギ属オオムギ Hordeum vulgare を指す。但し、本邦の「麦藁」は広義のそれであるから、かく訳しておいた。]

三、キノトンボ、卽ち黃蜻蛉――まつ黃では無く、黃色い線や條のある赤味がかつた蜻蛉である。

[やぶちゃん注:「キノトンボ」原文“ Kino-Tombō ”。「ノ」は性質を表わす格助詞の「の」。トンボ目トンボ科アカネ属キトンボ  Sympetrum croceolum個人サイト「神戸のトンボ」の「キトンボ」によれば、本邦では『北海道・本州・四国・九州に分布』し、『海外では朝鮮半島,中国に分布する』が、『分布域の連続性から見て,朝鮮半島のものは日本のものと同じと見てよいであろう』とされる。『翅の前縁に沿って黄橙色帯が存在』し、『また翅のつけ根から結節』、『または』、『それを超えるくらいにまで黄橙色の部分が広がる.胸部・腹部はほとんど黒条斑が見られない』。『♂では成熟すると』、『腹部背面などが赤色になる』。『♀の産卵弁は幅広く、また下方に突き出ている』とある。]

四、アヲトンボ。アヲといふ言葉は靑にも綠にも使ふ。で、異つた二種類の蜻蛉を――一つは綠。一つは金屬質の靑いのを――此名で呼んで居る。

[やぶちゃん注:緑色のというのは、恐らくトンボ亜目ヤンマ科アオヤンマ Aeschnophlebia longistigma を指していると見てよかろう。金属光沢で異なった種で「靑いの」というのであれば、思い出すのは、トンボ目カワトンボ科アオハダトンボ属アオハダトンボ GCalopteryx virgo であるが(先の「神戸のトンボ」の「アオハダトンボ」の画像等を参照されたい)、同色の金属光沢は多種で見られるので同定比定は控える。]

五、コシアキトンボ――腰明蜻蛉。普通斯く呼ばれて居る蜻蛉は黑と黃との斑のものである。

[やぶちゃん注: トンボ科ベニトンボ亜科コシアキトンボ属コシアキトンボ Pseudothemis zonata ウィキの「コシアキトンボ」によれば、『腰空蜻蛉』とあり、『東南アジアから東アジアに広く分布するが、北海道には分布しない』。『全身は黒色で、腹部の白い部分が空いているように見えるために名づけられた。成熟したオスは腹部の付け根が白色、メスと未成熟のオスは黄色』。『腹部の白い部分を、暗闇に輝く電灯に見立てて、「電気トンボ」と呼ぶ地方もある。木立に囲まれた池や沼などに生息し』、『市街地の公園の池でも見られる』。『未成熟な成虫とオスはホバリングしながら』、『生息水域上の狭い範囲を長時間飛翔する』とある。]

六、トノサマトンボ――殿樣蜻蛉。恐らくその色が美しいが爲めであらうが、種類の異つた澤山の蜻蛉を此名で呼んで居る。コシアキ卽ち腰明といふ名も、これと同樣、種々な變種の數々に與へられて居る。

[やぶちゃん注:不均翅(トンボ)亜目オニヤンマ科オニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii を始めとして大型のヤンマ類や、やはり大型のヤンマ上科サナエトンボ科 Gomphidae の複数の種に対して、多くの地方でこの名が汎用されている。

七、コムギトンボ、卽ち小麥蜻蛉。――麦藁蜻蛉よりか少し小さい。

[やぶちゃん注:飯室の「蟲譜圖說」のこちらに『コムギワラトンボ』『ムギガラトンボ』と出るものであろう。そこには『此亦ムキワラトンボノ一種ニシテ身丈ノ文』(もん)『異なる者ニシテ小麥藁トンボと云大暑ノ比稀ニ在リ飛フコト髙クシテ採得ガタシ』とある。また、小野蘭山述の「重修本草綱目啓蒙」の「卷之二十七」の「蟲之二」の「蜻蛉」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該頁画像)に、『身黑ク白糝(シロキコ)』(白い粉)『アルモノヲ シホカラトンボト云一名シホ【備前】シホカイ【加州】又豫州ニテハ身ニ灰ト黑ノ橫斑アルモノヲ シホカラトンボト云 又一種身ニ黃ト黑ノ橫斑アルモノヲ コムギトンボト云一名ムギハラトンボ【共豫州】』とある。「神戸のトンボ」のこちらシオヤトンボ Orthetrum japonicum の解説)、『北海道・本州・四国では,本種以外のシオカラトンボ属では,シオカラトンボ Orthetrum albistylum speciosum とオオシオカラトンボ Orthetrum melania しかみられない』とあるから、「少し小さい」とあるからには、オオシオカラトンボは除外でき、調べて見ると、シオカラトンボに比べて、シオヤトンボの方が小柄で腹部が扁平で短いとあったので、シオカラトンボの若年個体でなければ、シオヤトンボの可能性が高いと言えようか。]




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[やぶちゃん注:キャプションを電子化する。

    Plate  2

Ⅰ.  KINO -TOMBŌ

Ⅱ.  KO-MUGI-TOMBō

訳す。

    図版 2

Ⅰ きの・とんぼー

Ⅱ こむぎ・とんぼー

しかし、この「Ⅱ」の画は、どう見ても、上記本文で比定したシオカラトンボ属ではない。こんな特異な斑点を持つ種は、私は現に見たことがないから判らない。識者の御教授を乞う。これ、しかし、飯室の「蟲譜圖說」のそれを不正確に転写したもののように見える。よく似た有意に大きな円紋があるからである。

 

八、ツマグロトンボ、卽ち褄黑蜻蛉。翅の端が黑いか又は濃い赤い色かなので、斯う呼ばれて居る蜻蛉で種類の異つた、居るのがある。

[やぶちゃん注:飯室の「蟲譜圖說」のこちらに『ツマクロトンボ』として出、『此亦江雞』(右頁の(コムギワラトンボ/ムギワラトンボに記された漢名。則ち、「七」の注で示した通り、それはシオカラトンボ属 Orthetrum である)『トノサマトンボノ如クニテ只翅ノ先黑クシテヤヽ大ナルモノツマグロトンボト云』とある。あまり翅の褄黒は目立つ感じではないが、オオシオカラトンボ Orthetrum melania が候補とはなろうか。しかし、それが「赤」いというのは、小泉八雲の言うように別種であろう(そうした別種候補まで私は捜すだけの知識も余裕もない。悪しからず)。]

九、クロトンボ、卽ち黑蜻蛉。クロといふ語は色の濃い意味にも、黑い意味にも用ひるから、濃紅色の蜻蛉にも、濃紫色の蜻蛉にも、此名が與へられて居るのは不思議では無い。

[やぶちゃん注:直ちに想起する種は、イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ属ハグロトンボ Calopteryx atrata ではある。現在も別名を「クロトンボ」と言う。但し、後の「十三」にハグロトンボは出る。]

十、カラカサトンボ、卽ち傘蜻蛉。この蜻蛉の身體は、形も色も、細かに割つた竹で骨組が出來て居て、それへ厚い油紙を張つたカラカサといふ傘をすぼめたのに似て居るといふことである。

[やぶちゃん注:不詳。似た種を想起出来ない。ところがこれ、飯室の「蟲譜圖說」のそれを見ると、『蜓』『カラカサトンボ』と標題するも、後のキャプションが『鉛山縣志云六足四翼……」に始まって異例の漢文が記され、最後に改行して『啓蒙圖ニ載スルモノ』とあって、これは本邦産トンボでない可能性が高い気がしてきた。だって、この「鉛山縣志」というのは「江西省鉛山縣志」で清の連柱等纂の華中地方の地方誌だからである(無論、本邦にも棲息するのかも知れぬが、判らぬ)。中文で「蜓」で調べても、蜻蛉の総称であって、種名は見出せなかった。

十一、テフトンボ、――卽ち蝶蜻蛉。翅のが蛾か蝶の翅模樣に似て居るので、この名を有つて居るのだから、同じ名でゐて種類の異つて居るのがある。

[やぶちゃん注:トンボ科チョウトンボ亜科チョウトンボ属チョウトンボ Rhyothemis fuliginosa が筆頭に挙げられるウィキの「チョウトンボ」によれば、『翅は青紫色でつけ根から先端部にかけて黒く、強い金属光沢を持つ。前翅は細長く、後翅は幅広い。腹部は細くて短い。腹長は』二~二・五センチメートルほどで、出現期は六~九月、羽化は六月中旬頃から『始まる。朝鮮半島、中国に分布し、日本では本州、四国、九州にかけて分布する。おもに平地から丘陵地にかけての植生豊かな池沼などで見られる。チョウのようにひらひらと飛ぶので』、『この和名がついている。日本以外にも、近縁種が多数存在する』とある。]

十二、シヤウジヤウトンボ、鮮やかな赤い色の或る蜻蛉を斯う呼んで居る。色が赤いので此名があるのである。支那及び日本の動物神話に於て、シヤウジヤウといふのは、人間以下のものではあるが、動物以上のもので、――姿をいふと、深紅な長い髮を生やした、巖疊な[やぶちゃん注:「ぐわんじやう」な。]子供のやうである。この深紅の髮毛から不思議な赤の染料加とれると言はれは居る。此の猩々は非常に酒が好きだと想像されて居る。そして日本の美術では此の動物は酒壺のあたりで踊つて居る處を普通は見せてある。

[やぶちゃん注:トンボ科アカネ亜科ショウジョウトンボ属タイリクショウジョウトンボ亜種ショウジョウトンボ Crocothemis servilia mariannaeウィキの「ショウジョウトンボ」によれば、『オスは和名の』伝承上の妖獣『ショウジョウ(猩猩)』(私の「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類  寺島良安」の「猩猩」を参照されたい。詳しく解説し、モデル動物も考証した)『から連想できるように真っ赤だが、メスはハクビシンを連想させる茶色である』。『オスは単独で池の縁に強い縄張りを持ち、縄張りの縁に沿って力強く哨戒飛行をする。他のオスが飛来すると斜め』二十センチメートル『弱の距離に位置関係を保ち、地形に合わせて低空編隊(にらみ合い)飛行を見せる。やや下側を飛ぶのが地主である。時に激しく羽音を立てて格闘するが、メスの飛来にはおおらかである。交尾は、概ね向かい合って上下飛行を繰り返した後、やや高く』二メートル『位に上昇し、オス同士の格闘よりやや弱く縺れ合い、数秒以内ですませているように見える。おつながり飛行は観察できない。交尾後にメスは飛びながらアオミドロなどの水草を腹の先でこするように産卵する。オスは、産卵中のメスの上空』一メートル『未満でホバリングし、他者(虫)の接近を許さない。雄の飛翔は速くてパワフルであり、風に乗ってゆっくり飛ぶことはなく、哨戒飛行の後はすぐに縄張り内のお気に入りの基点に止まり警戒を続ける。メスは同じオスの縄張りに居座らないで』、『産卵後はさっさと移動する。また、飛翔はオスに比べて緩やかである』。『羽化直後は黄色がかって羽もキラキラで初々しい。飛翔は弱々しく、午前中の最初の飛行でツバメやスズメの餌食になることが多く観察できる。飛翔後の晩は、巣立った池の周囲の開けた草地の地面から』十センチメートル『内外の高さの草の上に水平に止まっていることが多く、見つけやすい。草陰等に露を避けるようにぶら下がって止まっているのではない。概ね』二、三日で『姿を消す』。『ヤゴは、水底より水草に留まって生息している』。『食物は、肉眼では微小(ミジンコの』十分の一『程度)な動物プランクトンを希にみる程度の水盤でも冬を越し、十分に成長し』、『成熟する』。四『月の雨上がりの数日後の晴れた日には、一坪程の産卵繁殖池から』七~八『メートル離れた伸びたスズメノカタビラ』(単子葉植物綱イネ目イネ科イチゴツナギ属スズメノカタビラ Poa annua )『の(水没しない)繁茂地の湿った地面上でヤゴを発見することが多々あり、歩行は素早いので、陸上での採餌活動も推測される』とある。]

十三、ハクロトンボ、卽ち羽黑蜻蛉。

[やぶちゃん注:「九」の注で示した、イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ属ハグロトンボ Calopteryx atrata と思うのだが、しかし、飯室の「虫譜図説」のそれを見るに、所謂、イトトンボ型でなく、『形状赤卒』(アカトンボの異名)『ニ似テ』いるとし、図にも本文にも両後翅に五つ(実際には画には各六つ見える)の白い有意な円状の斑点がある。少なくとも、飯室の示すそれはハグロトンボではないと断言できる。なお、このハグロトンボ相当の小泉八雲の原本の挿絵は第五図であるが、本文と一致させるためにここに持ってきた

 


Plate5_20191014200001

[やぶちゃん注:キャプションを電子化する。

 Plate  5

HAGRUO-TOMBŌ

訳す。

 図版 5

はぐろ・とんぼー

この図も、明らかに飯室の「虫譜図説」の上下を入れ替えた写しである。]

 

十四、オニヤムマ、卽ち鬼ヤムマ。日本の蜻蛉のうちで一番大きなものである。どつちかといふと不快な色をして居る。身體は黑くて、あざやかな黃色い條がある。

[やぶちゃん注:日本最大のトンボとして知られる、不均翅(トンボ)亜目オニヤンマ科オニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii Sélys, 1854。種小名は、近代黎明期日本の生物研究に貢献したフィリップ・フランツ・フォン・ズィーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年)に捧げられたものである。]

十五、キヤムマ、卽ち鬼ヤムマ。キエムマともいふ。エムマといふは死界の王で靈魂の審判者である。

[やぶちゃん注:この「キ」は通常、我々の知識では「鬼」ではなく、「黃(黄)」とすべきところではなかろうか? そうでないと、小泉八雲には悪いが、前との区別がつかなくなるからである。しかも、これは私はヤンマ類ではなく、トンボ目トンボ科アカネ属キトンボ Sympetrum croceolum ではあるまいかと今は思っている。何故、「今は」と言ったというと、私は先の寺島良安の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蜻蛉」に注して、

   *

・「胡黎(きやんま)」「小にして黃なる者なり」ここでのこれは、ネット情報を見る限りでは、特定の種ではなく、不均翅(トンボ)亜目トンボ科ヨツボシトンボ亜科シオカラトンボ属シオカラトンボ亜種(日本産)Orthetrum albistylum speciosum 或いはシオカラトンボ属オオシオカラトンボ Orthetrum triangulare melaniaの♀ではないかと思われる。トンボ科アカネ属キトンボ(黄蜻蛉)Sympetrum croceolum の和名があるが、この種は体部は赤く、翅の半分近くが黄色味を帯びたもので、この記載とはどうも一致しないように思われる。

   *

としたからである。寺島の文章は小泉八雲とそれは異なるから、別に新たに考証し直しても別段、そちらに影響はないとも考えてはいる。]

十六、シヤウリヤウトンボ、卽ち精靈蜻蛉。此名は、似よつた意味の、も一つの名、シヤウライ蜻蛉と共に、自分の知つて居るところでは、多くの種類の蜻蛉に與へられて居るやうである。

[やぶちゃん注:小学館「日本大百科全書」で朝比奈正二郎氏は「ショウリョウトンボ」(精霊蜻蛉)について、『昆虫のトンボのうち、夏季精霊会のころに多数現れるものをさすらしいが、その種類を正確に指示することは困難である』。七、八『月の候に』、『水田の上などをおびただしく徘徊』『するウスバキトンボなどをさすのかも知れない』とある。トンボ科ハネビロトンボ亜科ハネビロトンボ族ウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉)属ウスバキトンボ Pantala flavescens は、ウィキの「ウスバキトンボ」によれば(下線太字は私が附した)、『全世界の熱帯・温帯地域に広く分布する汎存種の一つで』、『日本のほとんどの地域では、毎年春から秋にかけて個体数を大きく増加させるが、冬には姿を消す』。『お盆の頃に成虫がたくさん発生することから、「精霊とんぼ」「盆とんぼ」などとも呼ばれる。「ご先祖様の使い」として、捕獲しないよう言い伝える地方もある。分類上ではいわゆる「赤とんぼ」ではないが、混称で「赤とんぼ」と呼ぶ人もいる』。『成虫の体長は』五センチメートル『ほど、翅の長さは』四センチメートル『ほどの中型のトンボである。和名のとおり、翅は薄く透明で、体のわりに大きい。全身が淡黄褐色で、腹部の背中側に黒い縦線があり、それを横切って細い横しまが多数走る。また、成熟したオス成虫は背中側にやや赤みがかるものもいる』とある。リンク先に写真がある。

「シヤウライ蜻蛉」は同じく「精霊蜻蛉」と漢字表記するようで、ネット上の記載では、京都での「精霊」の訛りであるらしいともあった。平井呈一氏の恒文社版「トンボ」でも、ここは『ショウライ・トンボ(精霊トンボ)』と訳しておられる。というより、原文自体が“ Sōrai-tambō, or " Dragon-fly of the Dead,"”となっているのを、大谷氏が勝手に省略してしまっているのである。これは痛い。

十七、ユウレイトンボ――卽ち幽靈蜻蛉 種々な蜻蛉がこの名で呼ばれて居る。或る美しいカロプテリツクスで、その音無しに黑く飛ぶのが影の動くが如くに――蜻蛉の影の動くが如くに――思ひ誤らるゝやうな一種のカロプテリツクスの場合には、此名は殊に適切である、と自分は思つた。實際此の黑い蜻蛉に此名を附けたのは、影を幽靈だと思つた、原始的な思想を思はせる爲めであつたのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:後の「二十」の「ヤナギジヤラウ」の注を参照のこと。

「カロプテリツクス」“ Calepteryx ”。既出既注であるが、再度、注しておくと、所謂、「糸トンボ」と我々が読んでいる仲間の内の、イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ(青膚蜻蛉)属 Calopteryx 。私はやはり真っ先にハグロトンボ Calopteryx atrata を想起する。

 

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[やぶちゃん注:キャプションを電子化する。

    Plate  3

YUREI-TOMBŌ(“GhostD.)or

KURO-TOMBŌ(“blackD.

訳す。

    図版 3

ゆうれい・とんぼー((幽霊」蜻蛉)又は

くろ・とんぼー(「黒」蜻蛉)

しかし、このキャプションでは、幽霊蜻蛉と黒蜻蛉(本文「九」)は同一種の異名であるように採れてしまう。まあ、小泉八雲の記載からは、それでも問題はないのだが。]

 

十八、カネツケトンボ或はオハグロトンボ。どつちも古昔夫のある婦人が齒を黑くする爲めに用ひた調劑に關係のある名である。だから御齒黑蜻蛉と譯していい譯である。オハグロ(御齒黑)或は鐡漿は齒を染めるに用ひる浸劑を呼ぶ普通の言葉であつた。カネヲツケルといふは、その品物を用ひる、或はもつと文字通りに言へば、『附着』するといふことである。だからカネツケトンボといふ稱呼は、鐡漿附け蜻蛉と譯しても宜い[やぶちゃん注:「よい」。]。此の蜻蛉の翅は半黑で、半分印氣[やぶちゃん注:インキ。]に浸けたやうに見える。同じく繪のやうな、コウヤ卽ち紺屋といふ別名がある。

[やぶちゃん注:現行、これらは狭義には、やはり、直前のハグロトンボ Calopteryx atrata の異名であるようである。「鐡漿」(おはぐろ/かね)「お歯黒」に就いては、私の「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(6) 天象台の私の居室/鉄漿附けのスケッチ」の本文・挿絵・私の注を参照されたい。]

 

Plater4

[やぶちゃん注:「Ⅰ」は「十二」だが、「Ⅱ」がここに出るので、ここに配した。キャプションを電子化する。

    Plate  4

Ⅰ.  SHōJō -TOMBŌ

Ⅱ.  KANÉ-TUKÉ-TOMBō(“stained-with-KanèD.)

訳す。

    図版 4

Ⅰ しょーじょー・とんぼー

Ⅱ かね・つけ・とんぼー(「鉄漿(かね)を附けた」蜻蛉)]

 

十九、タノカミトンボ、卽ち田の神蜻蛉。赤と黃とが雜つた色の蜻蛉につけた名である。

[やぶちゃん注:小野蘭山述の「重修本草綱目啓蒙」の「卷之二十七」の「蟲之二」の「蜻蛉」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該頁画像)に、『赤卒』=赤蜻蛉の異名を列挙する中に『タノカミトンボ【會津】』と見出せるから、トンボ科アカネ(アカトンボ)属  Sympetrum の多様な赤蜻蛉類を指すと見てよい。ウィキの「赤とんぼ」によれば、世界では約五十種が記載されており、日本では二十一種が記録されているとして、リストが載る。狭義には、アカネ属アキアカネ Sympetrum frequens を指して俗に「赤とんぼ」と呼ぶ傾向がある。]

二十、ヤナギヂヨラウ、卽ち柳女郞。美しいが氣味の惡るい名である。といふのは、柳女郞といふは柳の木の靈であるから。非常に優美な蜻蛉で此の名で呼ばれて居るのが二種あると思ふ。

[やぶちゃん注:飯室の「蟲譜圖說」のそれを見るに、『ヤナギ女﨟』(「女郎」ではないぞ! 大谷先生! 八雲先生も、ちゃんと、“lady”って記してますよ!)『シヤウリヤウトンボ』とあって、

   *

淺水陰湿ノ地ニ生ス夏秋ノ間羣飛す深黑色ニシテリアリ其翅イカニモ力ナク疲労ノ状ナレハ俗に幽霊トンボト名ヅク

   *

とキャプションするのだ。私はその内容と、画の形状・色を見るに、これは間違いなく、

トンボ類ではなく、広義のカゲロウ類を指している

と断言できる。この広義の「カゲロウ」(真正・非真正を含む)の問題は、私はさんざんいろいろなところで注してきたので、ここでは繰り返さない。未読の方は、最も最近にその決定版として詳細に注した、「生物學講話 丘淺次郞 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命」の私の冒頭注『「かげろふ」の幼蟲は二年もかかつて水中で生長する』以下をお読み戴きたい。]

二十一、セキイシシヤ。卽ち赤衣使者。

[やぶちゃん注:中国での「赤とんぼ」の異称。「赤とんぼ」は夏の終ろうとする頃に決まって飛んで来るので、赤い衣を着たこの秋の季節の到来を告げる使者として擬人化して呼んだもの。]

二十二、ヤムマトンボ、此名は類語を重ねたやうなものである。ヤムマは大きな蜻蛉で、トンボはどんな蜻蜓でもさう呼ぶ。これは興味のある綠色をした蜻蛉につけた名である。出雲では之をヲンジヤウと呼んで居る。

[やぶちゃん注:「ヤムマ」はトンボ亜目ヤンマ科 Aeshnidae のヤンマ類(本邦産はウィキの「ヤンマ」を見られたい。主な種として十七種が挙がっている。既に述べた通り、門外漢の私にはそれらを識別して細かく比定同定する力はない)とオニヤンマ科 Cordulegastridae のオニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii を含む。]

二十三、クルマヤムマ、卽ち車ヤムマ、――尾に圓盤のやうな附屬物があるのでさう呼んだものであらう。

[やぶちゃん注:これは尾部の附属物でピンときた。トンボ亜目 Anisoptera 下目ヤンマ上科サナエトンボ(早苗蜻蛉)科ウチワヤンマ(団扇蜻蜓)亜科ウチワヤンマ属ウチワヤンマ Sinictinogomphus clavatus である。ウィキの「ウチワヤンマ」によれば、『中国、朝鮮半島、日本』(本州・四国・九州)『ネパール、ミャンマー、タイ、ベトナム、ロシア北東部に分布する』。『名称に「ヤンマ」と付くが、サナエトンボの仲間である事は、頭部の複眼が接していない事からも判る。単に体が大柄なトンボ=ヤンマという思い込みから、ヤンマの名を付けられたに過ぎない。同じような思い込みで名がつけられたサナエトンボの仲間ではコオニヤンマ』(サナエトンボ科 Hageniinae 亜科コオニヤンマ属コオニヤンマ Sieboldius albardae)『がいるが、長時間飛行するヤンマ科に比べ、サナエトンボの仲間らしく、ある程度』、『飛翔したら』、『すぐに止まって休むという行動からも見分けられる』。全長は七~八・七センチメートルで、腹長は四・九~六センチメートル、後翅長は四~五・一センチメートル。『脚には黄斑がある』。『オス、メスともに腹部の第』八『節には、黄色を黒色で縁取ったうちわ状の広がりがある』。『オスは水辺の岸近くの枝先などに留まる。平地、丘陵地の深くて水面の開けた池や湖(湖底は砂泥で少し汚れた水質)に生息する』。『成熟したオスは縄張りをもち、水面から出た杭などの突起物の先端に静止して占有する。交尾も同様な場所の先端で静止して行う。その後、交尾態のまま飛び回って』、『産卵場所となる水面の浮遊物を探し、見つけると連結を解いて産卵する。産卵はメス単独で行われ、ホバリングをしながら』、『腹部の先で間欠的に浮遊物を打つ。卵は、糸で連なっている。卵の期間は』一~二『週間程度であり、幼虫で』一~二『年間を過ごす。幼虫は水深の深いところで生活する』とある。この団扇状突起は実際にパタパタと可動する(捕獲された方の記録にある)なお、十数件のインセクターの方の「ウチワエンマ」記載を縦覧したが、遂に、この団扇状突起の機能を説明されたものに出逢えなかった。御存じの方は、御教授願いたい。]

二十四、アカトンボ、卽ち赤蜻蛉。種々な種類に此名を今つけて居る。だが殊に赤蜻蛉と古の詩人が言うて居るのは、小さな蜻蛉で、屢〻群を爲して居るものである。

[やぶちゃん注:既注。]

 

Plate6

[やぶちゃん注:キャプションを電子化する。

    Plate  6

Ⅰ. SÉKI-I-SHISHA(“ Red-Robed Messenger ”)

Ⅱ. AKA-TOMBŌ

訳す。

    図版 6

Ⅰ せき・い・ししゃ

Ⅱ あか・とんぼー

「Ⅰ」は前の「二十一」。]

 

二十五、トウスミトンボ、卽ち燈心蜻蛉。非常に小さい。古風な日本のラムプに使用するか細い、木の髓の心(しん)に身體が似て居るので此名があるのである。

[やぶちゃん注:「か細い」でお判りの通り、トンボ目均翅(イトトンボ)亜目イトトンボ科Agrionidae のイトトンボ類の内、特に小型の種類を俗に「トウスミトンボ」と呼ぶようである(イトトンボ全体を古くはそう呼んだとする記載もあった)。イトトンボ類は、本邦では、二十七種が知られ、体長約二センチメートルのヒメイトトンボ Agriocnemis pygmaea が「トウスミトンボ」(「トウスミ」は「豆娘」と書いたり、「とうしみ」と呼んだりするが、小泉八雲の謂うように、これは「灯心蜻蛉」「とうしんとんぼ」が訛ったものと考えるのが自然に思われる)その代表種か。]

二十六、モノサシトンボ、卽ち尺蜻蛉。これもまた甚だ小さな蜻蛉である。關節の條(すぢ)の十あるその身體がこの名を思ひ附かせたのである。――普通竹で出來て居る尋常一般の日本の物指は、甚だ幅の狹いもので、ただ十スン卽ち十吋[やぶちゃん注:「インチ」。しかし、この換算はいい加減。「一寸」は三十・三センチメートルであるのに、十インチは二十五・四センチメートルである。]に區劃されて居る。

[やぶちゃん注:均翅(イトトンボ)亜目モノサシトンボ科モノサシトンボ属モノサシトンボ Copera annulataウィキの「モノサシトンボ」によれば、『中国、朝鮮半島、日本に分布する』。『日本では、北海道、本州、四国、九州に広く分布する』が、『小笠原諸島と南西諸島での生息は確認されていない』。『成虫は中型で』、『イトトンボ亜目』Zygoptera『の中では大きい』。『秋に出現する個体は小さい』。『近縁種のオオオモノサシトンボ(学名:Copera tokyoensis (Asahina, 1848))』『と形態が酷似する』。『腹部に物差しのような等間隔』『の環状紋があり』、『和名』「物差し」『の由来となっている』。『後頭部に青白い斑紋があり』『複眼は左右に離れていて、複眼の内側に波状の斑紋がある』。『前翅と後翅は同じ形で同じ大きさ』で、『翅に黄色と黒の斑紋があり、若い個体の斑紋は赤色』を呈する。全長は♂で三・九~五センチメートル、腹長三・一~四センチメートル、後翅長は一・八~二・六センチメートル。『成熟すると』、『斑紋が水色となる』。『中脚と後脚の脛節は白くやや拡がる』。『腹部第』九『節』と第十『節が青白い』。『斑紋が黒化した個体も時々見られる』。♀の成虫は殆んど♂に同じ(孰れもごく少しだけ大きい)』で、『黄緑色と水色の個体がいる』。「ヤゴ」の『全長は約』二・七センチメートルで、『木の葉』のような三『枚の尾鰓は長大な柳葉状で、長さは腹長とほぼ同じ』。『下唇はスプーン形』を呈する。『平地から丘陵地にかけて分布』し、『河川の中流域の樹林に囲まれた池、沼や湿地』『でよく見られ』、『岸辺が暗い環境を好む』。『成熟したオスは縄張りを持ち』、『水辺の植物に翅を閉じて』『静止し、時々』、『周囲を飛翔してメスを探す』。『他のオスが近づくと追い払う』。『メスを見つけたオスは連結し、植物に止まって移精と交尾を行う』。『交尾は午前中に行われることが多い』。『交尾後』、『連結態のまま』、『水面付近の植物に産卵したり、メス単独で産卵したりする』。『ヤゴは捕獲されると』、『脚を縮め、U字型に体を曲げて死んだふりをする』。『生物化学的酸素要求量(BOD)が10-20 (mg/l)の汚れた止水の水質環境に生育する』。『卵期間は』一~二『週間程度』で、『幼虫(ヤゴ)期間は』四ヶ月から一年程度(一年に一、二世代を経過する)、『幼虫で越冬する』。『成虫の主な出現期間は』五月末から九月であるが、ライフ・サイクルから、四月や十~十一月に『見られることもある』とある。]

二十七、ベニトンボ、色が赤い爲めにつけたもので、淡紅色の美しい蜻蛉である。ベニといふは日本の女の子が或る場合にそれを脣や頰に少しつける一種の臙脂である。

[やぶちゃん注:トンボ科ベニトンボ亜科ベニトンボ属ベニトンボ Trithemis aurora 。参照したウィキの「ベニトンボ」によれば、『湖沼や湿地などで見られる中型のトンボ。体長は約』四センチメートルで、『胸部には黒い縞模様があり、尾の先は黒くなる』。『羽の基部は茶褐色に色づく』。『オスの成虫は体色が赤紫色になるが、メスの体色はオレンジ色となる』とある。♂は、かなり特徴的な色で、小泉八雲が「臙脂」と言っているのが納得出来る。]

二十八、メクラトンボ、卽ち盲蜻蛉。この名を有つた[やぶちゃん注:「もつた」。]蜻蛉は決して盲目では無い。然しその大きな身體を不細工に室内の品物へぶつつけるので、一時(いつとき)視力の無いものと想像されて居たのである。

[やぶちゃん注:ネット検索を掛けると、各地で「イトトンボ」類をこう呼んでいることが判った(差別和名でそのうち、消滅してしまうであろうが)。しかし、飯室の「蟲譜圖說」のそれを見るに、これは「イトトンボ」類ではない。小泉八雲はこのキャプションをもとに本文も書いているから、小泉八雲自身は「イトトンボ」の類とは思っていないものと、私は思う。

二十九、カトンボ。卽ち蚊蜻蛉。――多分、亞米利加のモスキイトホークと同じ意味のものであらう。

[やぶちゃん注:無論、トンボではなく、双翅(ハエ)目糸角(カ)亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae のガガンボ亜科 Tipulinae・シリブトガガンボ亜科 Cylindrotominae・ヒメガガンボ亜科 Limoniinae に属するガガンボ類の異名。

「モスキイトホーク」不審。原文は“Mosquito Dragon-fly”。しかし、アメリカ英語にこの単語は見出せない。そこで大谷氏の訳から“Mosquito hawk”で画像検索を掛けたところ、バッチリ「ガガンボ」のオン・パレードとなった! 英語では“Crane fly”とも呼ぶ。]

三十。クロヤマトンボ、卽ち黑山蜻蛉。――ヤマトンボ卽ち山蜻蛉といふがあるが、これは大抵綠色をして居るので、それと區別する爲めに斯く呼んだものであらう。

[やぶちゃん注:不詳。小泉八雲は殆んど緑色と言っているから、彼の認識は、ヤンマ、或いは、オニヤンマ類であろう。飯室の「蟲譜圖說」のこれで、これは寧ろ、キャプションも含めて「五」の「コシアキ・トンボ」(コシアキトンボ Pseudothemis zonata)に見えるのだが?

三十一、コヤマトンボ、卽ち小山蜻蛉。形も色も山蜻蛉に似て小さい。

[やぶちゃん注:トンボ目ヤマトンボ科コヤマトンボ属コヤマトンボ Macromia amphigena amphigena 「神戸のトンボ」のこちらを見られたい。

「山蜻蛉」ヤマトンボ科 Macromiidae はあるが、ヤマトンボという和名の種のトンボはいないようである。]

三十二、ツケテダン。ダンといふ語は雜色の織物への總名である。でツケテダンとは『色んな色の衣物を着たもの』と大まかに譯してもよからう。

[やぶちゃん注:飯室の「蟲譜圖說」のここに出る。画はヤンマ系。しかし、キャプションから、これも、本邦産じゃないみたいなので、深追いしない。悪しからず。流石に――疲れた…………

 【2019年10月15日16:27追記】今になって、迂闊にも本篇「蜻蛉」の最後で、大谷氏が纏めてこれらの「蜻蛉」類に就いての訳注(一つに纏められてある)を附しているのに気づいた(則ち、以上の注はあくまで私独自の探究によるものである)。現在、取り敢えず、その訳者注をテクスト化したので、以下に取り敢えず示しておく。一見して分かる通り、学名が異なるものがある。これはシノニムであったり、後に学名変更が行われたものも含まれるが、拡大してみても、脱字としか思えない奇体な学名もある。明日以降、それらに就いては、私の個々の注を附して示したいと思うが、今日のところは、「譯者註」を追加するに留める(奇体な部分もそのままに示す。学名の綴りは拡大して確認した)。底本ではポイント落ち字下げであるが、本文と同じにした。学名が斜体になっていないのもママである。【同日21:21追記】気持ちが悪いので、酒を飲むのを切り上げて、注を附した。

譯者註 ムギワラトンボは學名 Orthctrum japonicus. シホカラトンボは別種では無く、麥藁蜻蛉の雄である。キノトンボは學名 Diplax croccola. アヲトンボは――學名上此名は無い。コシアキトンボの學名は Pseudothemis zonata。『蟲譜圖說』には、之をトノサマトンボともいふ人あり。トノサマトンボは腰が白い。キノトンボの一變種か。コムギトンボ――麥藁蜻蛉の一變種か。動物學上にはこの名は無いやうである。ツマグロトンボは殿樣蜻蛉の翅の尖端が黑いもの。クロトンボとカラカサトンボとは譯者には學名不詳。テフトンボの學名は Rhyothemis fuliginosus. 全身淡黑して翅の先き白し、と『蟲譜圖說』には書いてある。シヤウジヤウトンボの學名は Crocothemis servillia. ハグロトンボの學名は譯者はこれを知らぬ。オニヤムマの學名は Anotogaster Sieboldii[やぶちゃん注:種小名の頭文字大文字はママ。]. オホヤマトンボともいふ。キヤムマは「鬼ヤンマ」とあるが、鬼(き)では無く、黃(き)であらう。キトンボともいつて、黃色で、翅も淡黃、大小の黑點がその翅にゐる。學名未詳。シヤウリヤウトンボは、『言海』に據ると、キヤムマと同じものらしい。精靈祭頃に見るのにこの名を與へるのではあるまいか。ユウレイトンボ――動物學上にはこの名を見ぬ。カネツケトンボの學名は Calopteryz atrata[やぶちゃん注:ママ。]. タノカミトンボ――『蟲譜圖說』には、形キノトンボに似て、身丹黃、尻に黑斑あり、足黑く、翅赭色、とあれども、會津地方で或る種のもに與ヘて居る地方名らしい。ヤナキヂヤラウ 學名は譯者には分からぬ。セキイシシヤは別種では無く、猩々蜻蛉の別名である。ヤムマトンボの學名は Anax pa thenope[やぶちゃん注:属名はママ。脱字であろう。]. キンヤムマとも呼ぶ。クルマヤムマの學名は譯者には未詳。アカトンボ――これは種の名では無くて、小さな赤い色の蜻蛉の總稱かと思ふ。トウスミトンボの學名は  Agrion quadrigerum. モノサシトンボ――動物學上この名は無いやうである。ベニトンボもメクラトンボも動物學上認めぬもののやうである。前者は或は Psilocnemis annulata か。カトンボは實は蜻蛉では無い。蜉蝣科のものである。異名 Heptagenio binotata. 亞米利加のモスキイトホークと同意味のものでもらう、と原著者は言うて居るが、モスキイトホークは蚊を好んで食ふ一種の蜻蛉。日本のこのカトンボは蚊のやうに、小さいからこの名を有つて居るのであらう。クロヤマトンボの學名は譯者之を知らぬ。コヤマトンボの學名は Epophthalmiaa mphigena. ツケテダンといふは實は譯者にも不明である。『蟲譜圖說』に載つてゐたので、當時そのまま、譯者は原著者に報道したのであつた。

[やぶちゃん補足注:「ムギワラトンボは學名 Orthctrum japonicus」ありそうな感じだったが、欧文のリストを見たが、シオカラトンボOrthetrum albistylum speciosum のシノニムにはこれは見当たらなかった。或いは、大谷氏は、同属のシオヤトンボ Orthetrum japonicum japonicum を二名法で表記したものを誤認したのではなかろうかとも思われる。

「シホカラトンボは別種では無く、麥藁蜻蛉の雄である」私が注した通りで正しい。

「キノトンボは學名 Diplax croccola」キトンボ Sympetrum croceolum のシノニムには見当たらない。感じからは、大きな属名変更が行われた可能性があり、その際に種小名の綴りも変更されたのかも知れない。にしても、シノニムは記載ととして残る筈だが、「 Diplax 」属自体が全く見当たらない。不審。

「アヲトンボは」「學名上此名は無い」正しい。

「コシアキトンボの學名は Pseudothemis zonata」正しい。

「トノサマトンボは腰が白い。キノトンボの一變種か」私は注で「不均翅(トンボ)亜目オニヤンマ科オニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii を始めとして大型のヤンマ類や、やはり大型のヤンマ上科サナエトンボ科 Gomphidae の複数の種に対して、多くの地方でこの名が汎用されている」と述べた。それが孰れであっても、属名どころか科レベルのタクソンが異なるので変種ではなく、全くの別種となる。

「コムギトンボ――麥藁蜻蛉の一變種か。動物學上にはこの名は無いやうである」私は注でこれをシオヤトンボ Orthetrum japonicum の異名の可能性が大とした。同種は「麥藁蜻蛉」=シオカラトンボ属の一種であるから、もし私の同定が正しいとすれば、変種ではなくて同属の別種となる。

「ツマグロトンボは殿樣蜻蛉の翅の尖端が黑いもの」大谷氏は「殿樣蜻蛉」の同定を誤っているので、この説明は学術的には無効となる。

「クロトンボとカラカサトンボとは譯者には學名不詳」私は前者の候補の一つして、イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ属ハグロトンボ Calopteryx atrata を挙げた(あくまで名前の印象からではある)。後者は注で示唆したように、これは中国産種であって本邦には棲息せず、和名はない、とするのが結果した私の判断である。

「テフトンボの學名は Rhyothemis fuliginosus」現行は Rhyothemis fuliginosa で、種小名の末尾が異なるが、如何にもありそうな綴りであり、洋書の一部の種名索引を見るに、チョウトンボの古いシノニムであった可能性が高い。

「シヤウジヤウトンボの學名は Crocothemis servillia」現行は三名法で Crocothemis servilia mariannae であるから、正しい。

「ハグロトンボの學名は譯者はこれを知らぬ」実在するハグロトンボの学名は示した通り、Calopteryx atrata である。しかし、注で留保した通り、本種であるかどうかは怪しい。

「オニヤムマの學名は Anotogaster Sieboldii」正しいが、種小名の頭文字大文字は誤り。ただ、古記録を見ると、種小名を大文字化するものはしばしば認められる。

『キヤムマは「鬼ヤンマ」とあるが、鬼(き)では無く、黃(き)であらう』私も注でそう述べた。但し、「學名未詳」とあるが、私はこれはヤンマ類ではなく、トンボ目トンボ科アカネ属キトンボ Sympetrum croceolum ではあるまいか、という注を附した。そちらを見られたい。

「シヤウリヤウトンボは、『言海』に據ると、キヤムマと同じものらしい」所持する「言海」を見ると、『しやうりやうとんぼ』の項に『きやんまニ同ジ』とある。そこで「きやんま」の項を見ると、『黃蜻蜓』『とんぼうノ一個、やんまヨリ小クシテ、紅黃ナリ、初秋イ多ク飛ブ、聖靈祭ノ頃ナレバしやうりやうとんぼノ名モアリ。又、きとんぼ。胡黎』(「胡黎」には右に二重線)とある。

「ユウレイトンボ」「動物學上にはこの名を見ぬ」私は「二十、ヤナギヂヨラウ」の注で述べた通り、広義のカゲロウ類を指すものと考えている。これは確信に近い。

「カネツケトンボの學名は Calopteryz atrata」注で述べた通り、現行のハグロトンボ Calopteryx atrata の異名と私は考えている。大谷氏もそう考えたわけであるが、学名の属名が致命的におかしい。これは発音が出来ない。恐らく、植字ミスと思われる。

「タノカミトンボ」「會津地方で或る種のもに與ヘて居る地方名らしい」大谷氏は恐らく、私が注した「本草綱目啓蒙」を見たのだと思う。『タノカミトンボ【會津】』とあるからである。しかし、私はその記載からトンボ科アカネ(アカトンボ)属 Sympetrum の多様な「赤蜻蛉」類を指すと比定した。

「ヤナキヂヤラウ 學名は譯者には分からぬ」判らないはずである。注で示した通り、私はこれはトンボ類ではなく、広義のカゲロウ類と断じているからである。必ず、その注を見られたい。

「セキイシシヤは別種では無く、猩々蜻蛉の別名である」大谷先生、違います。どう考えても、見ても、中国での広義の「赤蜻蛉」の異称ですよ。

「ヤムマトンボの學名は Anax pa thenope」これは完全な植字工のミスである。「Anax pa」はオニヤンマ属 Anotogaster の誤植と見てまずはよいと思うが、問題は種小名で、オニヤンマ Anotogaster sieboldii とは全く異なる。オニヤンマ科 Cordulegastridae ではなく、ヤンマ科 Aeshnidae を調べても、およそ、この綴り字に似たものはいない。不審極まりない。「キンヤムマとも呼ぶ」とあるが、前掲通り、その学名とも一致しない。不審の極みである。

「クルマヤムマの學名は譯者には未詳」私はウチワヤンマ Sinictinogomphus clavatus に自信を以って同定比定した

「アカトンボ」「これは種の名では無くて、小さな赤い色の蜻蛉の總稱かと思ふ」正しい。

「トウスミトンボの學名は  Agrion quadrigerum」私はヒメイトトンボ Agriocnemis pygmaea  とした。綴りが話にならないほど異なるのだが、やはり英文の種索引を見ると、これはシノニムであった可能性が排除出来ない気がした。

「モノサシトンボ――動物學上この名は無いやうである」これは、外れです、大谷先生。モノサシトンボ Copera annulata です。

「ベニトンボもメクラトンボも動物學上認めぬもののやうである。前者は或は Psilocnemis annulata か」前者はベニトンボ Trithemis aurora と私は比定したが、この大谷の言う「Psilocnemis annulata」というのは、どうも、彼が調べる内に、前のモノサシトンボと混同して誤認して注してしまった可能性が極めて高いと私は思う。何故なら、モノサシトンボ Copera annulata、実は現在でも、別属の Psilocnemis の種として扱われる場合があるからである(ウィキの「モノサシトンボ」を参照されたい)。annulata」と「 aurora 」は生理的に気持ちが悪いほど似ているではないか。

「カトンボは實は蜻蛉では無い。蜉蝣科のものである。異名 Heptagenio binotata. 亞米利加のモスキイトホークと同意味のものでもらう、と原著者は言うて居るが、モスキイトホークは蚊を好んで食ふ一種の蜻蛉」「蜉蝣科」は致命的な誤り(或いは当時はそう思われていたか? いや、それはちょっとなかろう。そもそもカゲロウ科というタクソンは少なくとも現在は存在しない(蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera はある)。既に注した通り、ガガンボ類、双翅(ハエ)目糸角(カ)亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae に属する。しかも、注で述べた通り、「亞米利加のモスキイトホークと同意味のものでもらう、と原著者は言うて居」りませんよ! 大谷先生! 小泉八雲は「モスキート・ドラゴン・フライ」って言ってるんですッツ! しかも、「モスキイトホーク」“Mosquito hawk”を逆引きすると、実はこれ、不均翅(トンボ)亜目 Anisoptera に属する多様なトンボ類を指す総称でんがな!

「日本のこのカトンボは蚊のやうに、小さいからこの名を有つて居るのであらう」おかしいですよ! 大谷先生! 彼らは「蚊」よりも驚くべく大きいじゃあないですか!?!

「コヤマトンボの學名は Epophthalmiaa mphigena」現行のコヤマトンボは Macromia amphigena amphigena 。「Epophthalmia」なら、トンボの科の属にはあるが、本邦産種は同科にはいないようである。

「ツケテダンといふは實は譯者にも不明である。『蟲譜圖說』に載つてゐたので、當時そのまま、譯者は原著者に報道したのであつた」実状を暴露されましたな、大谷先生。しかし、誠実です。]

 

 上記の目錄のうちで、なほ進んで說明の要ある名は、『死者の蜻蛉』といふ意味のシヤウリヤウトンボ又の名シヤウライトンボだけであらうと思ふ。同じく無氣味なユウレイトンボ卽ち幽靈蜻蛉とは異つて、シヤウライトンボといふ名は、その姿形に關係を有つた名では無くて、或る種の蜻蛉には――翼ある馬として――死者が騎つて[やぶちゃん注:「のつて」。]居るといふ、妙な迷信から來て居るのである。舊曆七月の十三日の朝から十五日の夜半まで――盆會のあひだ――蜻蛉は、その時分にその舊の家を見舞はるミホトケサマ卽ち祖先の靈を背負つて居る、と言はれて居る。だから、佛敎の此の『萬靈節』中は、子供はどんな蜻蛉でもそれを――殊にその折家の內へ偶〻入つて來る蜻蛉を――いぢめることを禁ぜられる。蜻蛉と超自然界との此の想像されて居る關係が、今なほ方々の國に行はれて居る、蜻蛉とる子は『智慧を得ぬ』といふ意味の、古くからの諺を說明する役に立つ。も一つ奇妙な信仰は、或る種の蜻蛉はクワンノンナマ(觀音菩薩)を背に負うて居る、といふ信仰である。――背の斑點模樣が佛像の形に微かに似よりがあるからのことである。

[やぶちゃん注:「佛敎の此の『萬靈節』」原文は“this Buddhist " All-Souls,"”。本来、この「All-Souls」は、キリスト教で全ての死者の魂のために祈りを捧げる「死者の日」または「万霊節(ばんれいせつ:All Soul’s Day)を指す。ローマ・カトリック教会では正式には“The Commemoration of All the Faithful Departed”(「信仰を持って逝った人全ての記念日」)と呼ぶ。大のキリスト教嫌いの小泉八雲が英語圏読者のために使ったのだと思うと、何となく、私は心にチクチクと、痛みを感ずるのである。]

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