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2019/10/18

小泉八雲 仏教に縁のある動植物  (大谷正信訳) /その3 ~「仏教に縁のある動植物」~了

小泉八雲 仏教に縁のある動植物  (大谷正信訳) /その3 ~「仏教に縁のある動植物」~了

[やぶちゃん注:本篇については「小泉八雲 仏教に縁のある動植物(大谷正信訳)/その1」の私の冒頭注を見られたい。]

 

 佛敎に緣のある名のうち、名そのものに非常に興味があるけれども、寺院の什物に關係があつたり、佛敎の勤行に使ふ特別な器具に關係があつたりするので、圖解の助を藉らんでは、西洋の讀者には了解の出來ないのがある。例を舉ぐれぱ普通サンコマツ(三鈷松)として知られて居る木の名の如きそれである。サンコ(梵語ではヷジラ)といふ語は、黃銅製の或る器具であつて、古典に見える雷電に、兩端に叉を附けたものに、似た恰好のもので、或る特別の式の場合に超自然力の表現として僧が用ひるものである。美しいグラス・スボンヂ學名ハイアロネマ・シーボルディに附けてあるホツスガイ(拂子貝)もまたさうで、拂子にそれが似て居るからである。拂子といふは佛敎の勤行に用ひる、白い長い毛で造つた塵拂ひやうのものである。それからまた、コロモセミ(衣蟬)と呼ばれて居る、小さな蟲のその立派な名もさうで、翼を收めて休んで居る折のその蟲の普通の形と色とは、實際に『コロモ』を着て居る僧侶の姿を偲ばせる。が、この蟲を實地見、また斯う述べてあるやうな『コロモ』を見なければ、この名稱の圖畫的價値を鑑賞することは出來なからう。

[やぶちゃん注:「サンコマツ(三鈷松)として知られて居る木の名」これは固有の種名ではなく、一般に知られている名勝個体木では、高野山の壇上伽藍にある「金堂」と「御影堂」の間に聳え立つ「三鈷の松」の巨木である。この松には以下のような高野山創建に纏わる空海伝説の一つが語られてある。空海が唐での修行を終えて帰国する際、師の恵果和尚から贈られた密教法具の一種である「三鈷杵(さんこしょ)」(もとはインドの投擲用武具或いは雷霆神インドラの所持物であったが、仏教では密教で特に採り入れられ、煩悩を打ち破って菩提心を表わすための法具として盛んに使用される。杵(きね)の形をした中央の握り部分の両端に鈷(鋭い突起)を形成したもので、両端の鈷数や形状によって独鈷杵(とっこしょ)・三鈷杵・五鈷杵(私はタイで求めた青銅製のそれを所持している)・九鈷杵・宝珠杵・塔杵・九頭竜杵などの別がある。リンクはグーグル画像検索「三鈷杵」)を東の空に向けて投じた(時に、大同元(八〇六)年)。彼が投げたのは「我、漏らすことなく受け継いだる密教を広めんがため、ふさわしき地に飛び至るべし」という願いを込めてのものであったという。帰国後、空海がその三鈷杵を探し求めたところ、弘仁七(八一六)年頃、高野山の松の木に掛かっていることが分かり、それによって高野山が真言密教の道場として開かれるようになり、この松を「三鈷の松」と称するようになったとする。実際、通常の松の葉は二本であるが、ここの松は三本あって、三鈷杵の先端が中鈷と左右の脇鈷と三つに分かれているのとミミクリーであるとされる。但し、この高野の「三鈷の松」は通称「三葉黒松」などと呼ばれる、植物学的には裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目マツ科マツ属クロマツ Pinus thunbergii の園芸品種の一つで、ここに限らず、各地にある。私も二十年ほど前、京都市左京区にある浄土宗の「永観堂」(正しくは聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)禅林寺(前身は真言宗)で拾ったそれを居間に飾ってある。

「ヷジラ」原文“vadjra”。現行のサンスクリット語ラテン文字転写では「vajra」でカタカナ音写は「バジュラ」。通常は先に説明した独鈷杵を指す。

「美しいグラス・スボンヂ學名ハイアロネマ・シーボルディに附けてあるホツスガイ(拂子貝)」原文“the name Hossugai, or“Hossu-sbhell”, given to the beautiful glass-sponge”。これは、貝ではなく、小泉八雲も言っているように深海産のガラス様の海綿類の一種である、 

海綿動物門六放海綿(ガラス海綿)綱両盤亜綱両盤目ホッスガイ科ホッスガイHyalonema sieboldi

 である。英名を“glass-rope sponge”と呼び、柄が長く、僧侶の持つ払子(「ほっす」は唐音。獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもので、本来はインドで虫や塵などを払うのに用いた。本邦では真宗以外の高僧が用い、煩悩を払う法具とする)に似ていることに由来する。この根毛基底部(即ち、「柄」の部分)には一種の珊瑚虫である、

 刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目イマイソギンチャク亜目無足盤族 Athenaria のコンボウイソギンチャク(棍棒磯巾着)科カイメンイソギンチャク Epizoanthus fatuus が着生する。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」の「ホッスガイ」の項によれば、一八三二年、イギリスの博物学者J.E.グレイは、このホッスガイの柄に共生するイソギンチャクをホッスガイHyalonema sieboldi のポリプと誤認し、本種を軟質サンゴである花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目 Gorgonacea の一種として記載してしまった。後、一八五〇年にフランスの博物学者A.ヴァランシエンヌにより本種がカイメンであり、ポリプ状のものは共生するサンゴ虫類であることを明らかにした、とあり、次のように解説されている(アラビア数字を漢数字に、ピリオドとカンマを句読点を直した)。『このホッスガイは日本にも分布する。相模湾に産するホッスガイは、明治時代の江の島の土産店でも売られていた。《動物学雑誌》第二三号(明治二三年九月)によると、これらはたいてい、延縄(はえなわ)の鉤(はり)にかかったものを商っていたという』。『B.H.チェンバレン《日本事物誌》第六版(一九三九)でも、日本の数ある美しい珍品のなかで筆頭にあげられるのが、江の島の土産物屋の店頭を飾るホッスガイだとされている』とある。私は三十五年前の七月、嘗つて恋人と訪れた江の島のとある店で、美しい完品のそれを見た。以上は私の七年前の仕儀「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(2)の2」の私の注に少し手を加えた。リンク先にはモノクロームであるが、図もある。

「コロモセミ(衣蟬)」現行、これはセミ亜科エゾゼミ族クマゼミ属クマゼミ Cryptotympana facialis の異名として同定比定されている。同種については、私の『小泉八雲 蟬 (大谷正信訳) 全四章~その「二」』を参照されたい。優れた歴史民俗学者であられる礫川全次(こいしかわぜんじ)氏のブログ「礫川全次のコラムと名言」の「横浜市磯子区ではクマゼミのことをオキョーゼミといった」では、『土の香』第一六巻第六号(昭和一〇(一九三五)年十二月発行)から高島春雄の「熊蟬の方言」という文章に、クマゼミの異名として『オキョーゼミ(横浜市磯子区)』、『カタビラ(京都市、京都府船井郡富本村、大阪府北河内郡四条畷村、泉北郡東陶器村、南河内郡狭山村、富田林町、中河内郡高安村、三島郡春日村、三宅村、愛知県東春日井郡小牧町、三重県河芸郡、兵庫県西宮市、兵庫県御影町、岡山県小田邯、愛媛、門司市、小倉市、福岡県企救郡)カタビラシェビ(肥前)カタビラゼミ(京都府船井郡八木町)』、『コロモゼミ(徳島県名東郡八万村、伊勢)』とあり、最後にこれが出ている。]

 

 或る二三の鳥に餘程佛敎に緣のある名が附けてある。鳥類學者にはユウリソトマス・オリエンタリスとして知られて居るもので、その啼聲が『ブツポフソウ』といふ語を唱へるのに似て居るからといふので、『ブツポフソウ』と名づけられて居る鳥がある。此語は梵語の『トゥリラトナ』或は『ラトナトゥラヤ』(三寶)に相當する日本語であつて、『ブ』といふ擬音はブツ(佛)、『ポフ』はホフ(法)、『ソウ』は僧である。この鳥はまたサムポウテウ(三寶鳥)と呼ばれて居る。『三寶』といふ語はトゥリラトナの文字譯である。これとは異つた鳥で、自分がその學名を知らないものに、ジヒシンテウ(慈悲心鳥)といふがある。その啼聲が佛の形容詞の一つたる、ジヒシン(慈悲心)といふ句を發音するに似て居るからである。自分への報告者は『この鳥は日光の附近にだけ棲んで居て、其處では夏には絕えず「汝、慈悲心! 汝、慈悲心!」[やぶちゃん注:前の「!」の後には底本では字空けがない。特異的に補った。]と鳴いて居るのを聞くことが出來る』と書いて居る。……殆ど同じほど興味のあるのは、日本詩人が能く褒め歌うて居るククウの一種たる、ホトトギス(學名ククルス・ボリオセフアラス)に附けてある佛敎に緣のある普通名である。ムジヤウドリ(無常の鳥)と呼ばれて居るのである。此名はその啼聲から來て居るとは思はれぬ。啼聲は普通には、『もう本尊を掛けたか』といふ意味の『ホンゾンカケタカ』だと解釋されて居るからである。(ホンゾンといふは、この鳥が年々出現する時より少し前の、四月の八日に寺院に掛ける聖畫である)自分にはこの名は『死の鳥』といふ意味で附けたものとする方が當たつて居さうに考へられる。といふのは、『ムジヤウ』といふ語は、變はるといふので、また死といふ意味も有つて居る。そしてホトトギスは靈の世界から來ると想像されて居る妙な事實の爲めに、この意味を强く思ひ浮かばしめられたのである。またタマムカヘドリ(魂迎へ鳥)とも呼ばれて居る。死者の靈魂がシデの山を越えて魂の川へ旅して行く時それを出迎へる、と思はれて居るからである。ホトトギスに就いては靈的な俗說や空想が澤山ある。そしてこの無氣味な民間俗說は、ホトトギスが五十二も異つた名を! 州々[やぶちゃん注:「くにぐに」。]で有つて居る理由を說明するに足るであらう[やぶちゃん注:「名を!」の後の字空けは底本にはない。特異的に挿入した。]。

[やぶちゃん注:「ユウリソトマス・オリエンタリス」(Eurystomus orientalis)「その啼聲が『ブツポフソウ』といふ語を唱へるのに似て居るからといふので、『ブツポフソウ』と名づけられて居る鳥がある」これは所謂、「姿の仏法僧(ブッポウソウ)」である、

ブッポウソウ目ブッポウソウ科ブッポウソウ属ブッポウソウ Eurystomus orientalis

である。御存じの通り、「声の仏法僧」は、

フクロウ目フクロウ科コノハズク属コノハズク Otus scops

である。但し、これが判明したのは、本書が刊行された明治三四(一九〇一)年から隔てること、実に三十四年も後のことである。ウィキの「ブッポウソウ」から引くと、『森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえ、仏・法・僧の三宝を象徴するとされた鳥の鳴き声がこの鳥の声であると信じられてきたため、この名が付けられた。しかし、実際のブッポウソウをよく観察しても「ゲッゲッゲッ」といった汚く濁った音の鳴き声』『しか発せず』、『件の鳴き声を直接発することが確認できないため、声のブッポウソウの正体は長く謎とされた』。『結局のところ、この鳴き声の主はフクロウ目のコノハズクであり、このことが明らかになったのはラジオ放送が契機となった』。昭和一〇(一九三五)年六月七日、『日本放送協会名古屋中央放送局(現在のNHK名古屋放送局)は愛知県南設楽郡鳳来寺村(現在の新城市)の鳳来寺山で「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥の鳴き声の実況中継を全国放送で行った』。『その放送を聞き、鳴き声の主を探した者が、同年』六月十二日に『山梨県神座山で、「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥を撃ち落としたところ、声の主がコノハズクであることが分かった』。『時を同じくし、放送を聴いていた人の中から「うちの飼っている鳥と同じ鳴き声をする」という人がでてきた』。六月十日に『その飼っている鳥を鳥類学者黒田長禮が借り受け見せてもらうとその鳥はコノハズクであり、山梨県神座山で撃ち落とされたのと同日である』六月十二日の『早朝に、この鳥が「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くところを確認した』。『そのコノハズクは東京・浅草の傘店で飼われていたもので、生放送中、ラジオから聴こえてきた鳴き声に誘われて同じように鳴き出したという』、『この二つの事柄がその後に行われた日本鳥学会で発表され、長年の謎だった鳴き声「ブッ・ポウ・ソウ」の主はコノハズクだということが初めて判明した』のであった。私はこのエピソードが何故か、非常に好きだ。

「此語は梵語の『トゥリラトナ』或は『ラトナトゥラヤ』(三寶)に相當する日本語であつて」原文“This word is a Japanese equivalent for the Sanscrit term Triratna or Ratnatraya”。「さんぼう」と濁るのが一般的であるが、「さんぽう」でもよい。サンスクリット語の「トリーニ・ラトナーニ」(ラテン文字転写:tri ratnni)、「トリ・ラトナ」(tri-ratna)」、「ラトナ・トラヤ」(ratna-traya:これは主に仏教とほぼ同時期にインドに起こった宗教で、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ 紀元前六世紀~紀元前五世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど、徹底した苦行・禁欲主義で知られる)の三宝を指す語)の訳であり、「三種の宝」の意。仏(ブッダ:Buddha)と法(ダルマ:Dharma)と僧(サンガ:Sagha:仏教修行者集団)の三つをいう。この三つは仏教徒が尊崇すべき基本であるので、世の宝に譬えて三宝と称する。「仏宝」とは、悟りを開いた人で仏教の教主を、「法宝」とはその仏の教えで真実の理法を、「僧宝」とは仏の教えのもとで修行する出家者の和合の教団を指す。古く原始仏教に於いては仏教を構成する根本的要素と考えられ、後代には三宝の見方について種々な解釈が行われた。三宝はそれぞれ別なものであると見做す説(別相三宝)、本質的に同一であるとみなす説(一体三宝)、或いは、仏像と経巻と出家者は仏教を維持し伝えていく意味での三宝であるとみなす説(住持三宝)などがある。三宝は仏教のあるところ、必ず存在し、三宝に帰依すること(「三帰依」または「三帰」と称する)は仏教への入信の最初の要件とされる(以上は主文を小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「これとは異つた鳥で、自分がその學名を知らないものに、ジヒシンテウ(慈悲心鳥)といふがある」私の七年前の「耳吹路 卷之四 慈悲心鳥の事」の注で、カッコウ目カッコウ科カッコウ属ジュウイチ Cuculus fugax とした。成鳥は全長凡そ三二センチメートル。頭部から背面にかけては濃灰色の羽毛で覆われ、胸部から腹面にかけての羽毛は赤みを帯びる。胸部には鱗模様を持つ。幼鳥は胸部から腹面にかけて縦縞が入っている。脚は黄色で脚指は前二本後二本の対し足。托卵する。日光では初夏(五月中旬)に渡って来て囀るが、和名も異名ジヒシンチョウもその鳴き声のオノマトペイアである。サイト「日光野鳥研究会」の「ジュウイチ」のページには、江戸時代に書かれた日光ガイドブック「日光山志」に日光はジュウイチの産地とあり、また『この鳥は「神山に住む霊鳥で、自らの名を呼ぶ」』などとされ、『「仏法僧」と鳴くと思われていたブッポウソウ、「法、法華経」と鳴くウグイスを加えて、日本三霊鳥として』崇められたとする。同族類では『ウグイス以外は、身近な鳥ではないだけに色々想像され、神格化された部分があったと思』われ、特に江戸時代有数の霊場であった日光に棲むことから格別な霊鳥と意識されたと考えられるとあり、また、「日光山志」『には、ジュウイチのいるところとして「荒沢、寂光、栗山辺にも多く(中略)人家のあるところでは声を聞くことは希なり」と書かれてい』るとも記す。リンク先では慈悲心鳥の鳴き声もダウン・ロード出来る。神霊の声を耳を澄ませてお聴きあれ。但し、他の音源を聴くに、私には「ヒュイチィ! ヒュイチィイ!」と聴こえ、また、連続して囀ると、本文でも触れているようにテンポと音程が徐々に早く高くなるように思われる。

「ククウ」原文“cuckoo”。カッコウのこと。カッコウ目カッコウ科 Cuculidae 或いはカッコウ属 Cuculus 或いは種としてのカッコウ Cuculus canorus を指す語。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鳲鳩(ふふどり・つつどり)(カッコウ)」を読まれたい。

「ホトトギス(學名ククルス・ボリオセフアラス)」カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」を読まれたい。

「ムジヤウドリ(無常の鳥)」ホトトギスの異名には「無常鳥(むじょうとり)」が事実ある。

「四月の八日に寺院に掛ける聖畫」釈迦の誕生を祝う灌仏会(かんぶつえ)の会式の一齣。現行でも毎年四月八日に行われ、一般的には「花祭り」の名で知られる。ゴータマ・シッダッタが旧暦四月八日に生誕したとする伝承に基づくもので、「降誕会(ごうたんえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」「浴仏会(よくぶつえ)」「龍華会(りゅうげえ)」「花会式(はなえしき)」といった別名もある。現行の灌仏会では草花で飾った花御堂(はなみどう)の中に甘茶を満たした灌仏桶の中央へ誕生仏の像を安置し、それに柄杓で甘茶を掛けて祝うのが通常である。

「自分にはこの名は『死の鳥』といふ意味で附けたものとする方が當たつて居さうに考へられる。といふのは、『ムジヤウ』といふ語は、變はるといふので、また死といふ意味も有つて居る。そしてホトトギスは靈の世界から來ると想像されて居る妙な事實の爲めに、この意味を强く思ひ浮かばしめられたのである。またタマムカヘドリ(魂迎へ鳥)とも呼ばれて居る。死者の靈魂がシデの山を越えて魂の川へ旅して行く時それを出迎へる、と思はれて居るからである」古く、ホトトギスが「渡り鳥」であることが分からなった頃、「ホトトギスは秋に死んで春に生き返るもの」と思われていたらしい。そこから「死出の鳥」「冥土の鳥」と表現されることがあったようである(後には「山奥に住み、春に里に出てくる」とする山の神と田の神の相互置換に親和性を持ったものに変化したようでもある。)。また、中国由来の「杜宇」「蜀魂」「不如帰」も見るからに不吉であるが、「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」で注した通り、これらは中国のある伝説に基づく。長江流域に「蜀」という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに「杜宇」という男が現われ、農耕を指導して蜀を再興して帝王となって望帝と呼ばれた。後に長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。後、死んだ杜宇の霊「魂」はホトトギスと化し、農耕を始める季節が来ると、それを民に告げるために、鋭い声で民に注意を促して鳴くようになったという。また、後に、蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去(ゆ)くに如かず: 何よりも故国へ帰るのが一番よいことだ)と鳴きながら、血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い伝え、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになったともされるのである。他にも、悲劇的な本邦のホトトギス転生伝承譚「時鳥と兄弟」の話もある(私の「郭公の歌 伊良子清白 (附初出形)」の注を参照。この「郭公」は詩篇本文で「ほととぎす」と訓じている。清白もそこで「汝は醜き冥府(よみ)の鳥」と詠んでいる。その私の注でもホトトギスの冥界性を記してある)。さらに言えば、民俗社会に於いて、ホトトギスがそうした不吉でネガティヴな一面を持っているのは、彼らの習性にも関係するものであろう。奇体な自分で子を育てない托卵については既に万葉時代に知られていたし、彼らが夜や雨の日にも平気で鳴いていること、しかも一ヶ所に留まらずに飛び回りながら鳴くためにその姿を現認し難いいことなどが、霊的なもの闇の世界と結びついていると考えられたというのは腑に落ちるのである。

「ホトトギスが五十二も異つた名を!」このリスト! ここに残しておいて欲しかった!]

 英語のナイティンゲールの一變種たるもので、日本の歌謠者總てのうちで一番聲のうるはしいウグヒスは、何等佛敎に緣のある俗名を有つて居るやうには見えぬ。が、その笛(フルート)のやうな啼聲は、ニチレン卽ちホツケ宗の大聖典たる、妙法蓮華經の普通名ホケキヤウといふ語を發音するのだ、と云はれて居る。そして佛敎の篤信は、この鳥は妙法蓮華の經を讃へず一生を送ると言ひ張る。だから、ウグヒスは實際佛敎に緣のある鳥だと思はれて居る。他の鳥で佛敎に少し緣があるやうに思はれる鳥は、ボンナフサギ(煩惱鷺)といふ異常な名稱が與へてある雪白の鷺である。『ボンナフ』とは浮世の願望、色欲、情欲の佛語で、どうしてそれがこの鳥の名に見えて居るか、自分は言ふことが出來ぬ。

[やぶちゃん注:「英語のナイティンゲールの一變種たるもので、日本の歌謠者總てのうちで一番聲のうるはしいウグヒス」誤り。別名「夜鳴鶯(よなきうぐいす)」や「墓場鳥」という有り難くない別名でも呼ばれる「西洋のウグイス」と称されるほどに鳴き声の美しい鳥、「ナイチンゲール」(英語:Nightingale)は日本では「小夜啼鳥(さよなきどり)」と呼び(本邦には棲息しない)、スズメ目ヒタキ科 Luscinia 属サヨナキドリ Luscinia megarhynchos であるが、ウグイスはスズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphone である。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鶯(うぐひす)(ウグイス)」を見られたい。

「ボンナフサギ(煩惱鷺)」サギ亜目サギ科サンカノゴイ亜科ヨシゴイ属ヨシゴイ Ixobrychus sinensis の異名博物誌は私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 𪇆𪄻(さやつきどり)(ヨシゴイ)」を見られたい。因みに私は彼らの葦の擬態がお気に入り! さても。動画で幾つかのヨシゴイの鳴き声を聴いたが、遠くの人を呼ぶような、何かもの悲しさのある叫びに感じた。気のせいかと思って検索すると、サイト「C.E.C.」の「徒然野鳥記」の「ヨシゴイ」に、その声は『「オーツ、オーツ」ともの悲しく聞こえます。ゴイサギ』(類)『の古名で、「凡悩鷺(ぼんのうさぎ)」と呼ばれることがあるのは、この鳴き声に由来するのではないでしょうか』とあった(嘗つて近代㎡まで「ヨシゴイ」は「ゴイサギ」(サギ亜科イサギ属ゴイサギ Nycticorax nycticorax)の類と誤認されていたようである)。]

 

 斯んな佛敎に緣のある名の起原を推測するの困難は、例證の助けを藉りなくては想像すら及ばぬ。その文字通りの意味は、多くの場合、硏究を誤らす川を爲すに過ぎぬ。例へば、槌のやうな頭をした鱶[やぶちゃん注:「ふか」。]は、九州海岸地方では、ネムブツバウ(念佛坊)といふ異常な名稱で知られて居る。『ネムブツ』といふ語は、多くの宗派の信心者が祈禱として、殊に死者に對する祈禱として、口に唱へる『ナム・アミダ・ブツ!』(アミダ佛に敬禮)といふ祈願の名である。で、[やぶちゃん注:ここは底本では読点ではなく、巨大な「ヽ」であるが、誤植と断じて特異的に変えた。] 凄みを仄めかすネムブツバウといふ名は、リトレに從へば、鱶の近代佛蘭西語は――元來は(千六百六十七年ペール・ドゥテルトルの述ぶる處に據ると)鱶に捕られた人間にはその鎭魂の祈禱を唱へるほか他の策が無い、といふ意味が籠もつて居る名稱たる――『レクイエム』の訛つたのである、といふことを自分に思ひ出させた[やぶちゃん注:フランス語の「鮫」は“Requin”(ルゥカン)で、「レクイエム(鎮魂歌)」は“Requiem”(レキュイエム)。]。が念佛坊といふ佛敎に緣のある名が、それと同じ樣な意味をや〻含んで居はせぬか、と思つた自分は間違つて居つた。この言葉の眞の意味はこの怪物が有つて居る佛敎的な別な名――シユモクザメ(撞木(しゆもく)鮫)――に依つて證明されて居る。『シユモク』といふ語は、僧が念佛や他の祈禱を唱へる間鉦を打つ、T字形の槌を意味するのである(信心深い家では、家の内の佛壇の前で念佛を唱へる間に、鉦を鳴らすのに同じ種類の槌を用ひることを述べてもよからう)シユモクザメ(撞木鮫)の別名としてメムブツバウといふ語を思ひ附かせたのは、祈願の言葉を唱へる間に斯く撞木と鉦とを使用するが爲めであつた。だからネムブツバウの眞の意義は『念佛坊』では無くして『撞木坊』なのである。

[やぶちゃん注:「槌のやうな頭をした鱶」軟骨魚綱メジロザメ目シュモクザメ科 Sphyrnidae のシュモクザメ類。“Hammerhead shark”の英名で知られるシュモクザメ類は世界で二属九種いるが、本邦で見られるのはシュモクザメ属 Sphyrna のシロシュモクザメ Sphyrna zygaena・ヒラシュモクザメ Sphyrna mokarran・アカシュモクザメSphyrna lewini三種ほどである。一言言っておくと、本種はかなり古くから人を襲う、と信じられている向きがあるが、私はそれに強い疑義を感じている。一九八二年八月に熊本県天草郡大矢野町沖の羽干島(グーグル・マップ・データ)近くで十三歳の女子中学生が襲われて死亡したケース(三人の子をヨットの船尾に結んだロープに繋いで曳航して遊ばせていた際の事故という少し特殊な状況下での不幸であった)では、シュモクザメが疑われているが、確定されてはおらず、シュモクザメが人を襲った事例は殆んど見当たらない。人を襲うシーンが出る小説も私は知っているが、如何にも造り物臭い、いやな小説であった。寧ろ、シュモクザメの奇体な頭部が、凶悪な印象を生んでいるだけのように私には思われてならない。ダイバーなどが襲われたケースも私は知らない。但し、シュモクザメはサメとしては珍しく、群れを成して行動し、時にその数は数百匹のレベルに及ぶこともある。それらが大型個体であった場合、そのインパクトは絶大で、熟練したダイバーでも「慄っとした」という証言を聴いたことはある。幾つかの記載に、人間にとっては潜在的に危険、と記すものが見られることは事実ではある

「凄みを仄めかすネムブツバウといふ名は、リトレに從へば、鱶の近代佛蘭西語は――元來は(千六百六十七年ペール・ドゥテルトルの述ぶる處に據ると)鱶に捕られた人間にはその鎭魂の祈禱を唱へるほか他の策が無い、といふ意味が籠もつて居る名稱たる――『レクイエム』の訛つたのである、といふことを自分に思ひ出させた。」ここの原文は、

The grim suggestiveness of the name Nembutsu-bō reminded me that the modem French word for shark is, according to Littrè, only a corruption of “Requiem,”— the appellation originally implying  (as stated by Père Dutertre in 1667)  that for the man caught by a shark there was nothing to be done except to chant his requiem.

である。「リトレ」は辞書編纂者で哲学者でもあったエーミール・マクシミリアン・ポール・リトレ(Émile Maximilien Paul Littré 一八〇一八年~一八八一年)であろう。「ペール・ドゥテルトル」は不詳。フランス人植物学者にジャン=バプティステ・デュ・テルトレ(Jean-Baptiste Du Tertre 一六一〇 年~一六八七年)ならいる。

「だからネムブツバウの眞の意義は『念佛坊』では無くして『撞木坊』なのである」最後にちょっと遊ぶ。前の引用で判る通り、小泉八雲は日本語をローマ字で表記する場合には口語音に合わせた表記をしている。従って「念佛坊」は“Nembutsu-bō”なのである。訳のように歴史的仮名遣を使われると、「ばう」でダメだが、「ぼう」なら、違う可能性を指示出来る。則ち、鉦を叩くための「棒」で「念仏棒」である。まあ、比叡山の千日回峰で被る奇体な前後に長い被り笠(未開の蓮華の葉を象ったものとされる)のミミクリーを考えると、シュモクザメは「僧」でもあろうが。お後がよろしいようで……。]

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