小泉八雲 化け物の歌 「四 シンキロウ」 (大谷正信譯)
[やぶちゃん注:本篇の詳細は『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」(大谷正信訳)』の私の冒頭注を参照されたい。]
四 シンキロウ
シンキロウといふ言葉は『ミラアジユ』の意味に用ひられて居り、また東洋の物語の神仙鄕たる蓬萊の別名として用ひられて居る。日本の神話には蓬萊の蜃氣樓を造り出して、人間を迷はす力があると信じられて居るものが種種ある。古い繪に、蓬萊の幻影をつくる水氣を口から吐かうとして居る處を描いた蟾蜍[やぶちゃん注:「がま」。]を見ることがあらう。
[やぶちゃん注:「ミラアジユ」“mirage”。「蜃気楼・逃げ水」、「幻影・幻想・幻像・妄想」、「儚(はかな)い実現不可能な夢や願望」の意。語源はラテン語の「鏡で見る」の意に基づく。
「蓬萊」は小泉八雲の「蓬萊」を読まれるに若くはない。]
が、特に常にこの幻像をつくる動物はハマグリ――英語でいふクラムによく似て居る日本の軟體動物である。貝を開いて紫がかつた霧のやうな吐息を空へ送る。するとその霧が形を成して、眞珠貝の色味[やぶちゃん注:「いろみ」。色加減。]で、蓬來と龍宮の宮殿との光りある幻影になる。
[やぶちゃん注:「ハマグリ」軟体動物門斧足(二枚貝)綱異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ属ハマグリ Meretrix lusoria。博物誌は私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部 寺島良安」の「文蛤(はまぐり)」を見られたい。
「クラム」“clam”は、英語では食用の二枚貝の広義総称である。日本人以外は海産生物の個別名を驚くほど認識していない。ここで小泉八雲がこういった際に欧米の読者が想起するのは、クラム・チャウダーにする本邦のマルスダレガイ科アサリ亜科アサリ属アサリ Ruditapes philippinarum の近縁類と考えてよい。]
蛤の口あく時や蜃氣樓
世に知られけん龍の宮姬
蜃氣樓龍の都のひながたを
潮干の沖に見する蛤
〔ヒナガタは殊に「雛形」、「微小な模型」、「圖を引いた圖案」等を意味する〕
[やぶちゃん注:原拠「狂歌百物語」では「蜃氣樓」(絵は「下編」の「23」)の部立てに、前者は(「31」の右丁の三行目)、
蛤の口あく時やしんき樓世にしられけん龍の宮姬 橋乃屋
で、後者は(「31」の右丁七行目)、
蜃氣樓龍の都の雛形を汐干の沖にみする蛤 湯嶋山人
の表記で出る。]
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