小泉八雲 化け物の歌 「一二 ウミバウズ」 (大谷正信譯)
[やぶちゃん注:本篇の詳細は『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」(大谷正信譯)』の私の冒頭注を参照されたい。]
一二 ウミバウズ
卓の上へ、身を上に脚を下にして大きな章魚[やぶちゃん注:「たこ」。]を載せて見給へ、――さうすると、ウミバウズが卽ち『海の坊主』といふ空想を初めて思ひ付かせた怪異な實物が眼前にあることになる。この姿勢の下の方にぎろつとした眼を有つた、この大きな禿げた軀(からだ)は坊主の剃髮した頭に歪みなりに[やぶちゃん注:「歪んだ風体のままに」の意。]似て居り、下に這うて居る脚(或る種類では黑い蹼[やぶちゃん注:「みづかき」。]で繋がつて居る)は坊主の衣(ころも)のひらひらする動搖を想はしめるからである。……海坊主は日本の化け物文學にまた古風な繪本に隨分と出て來る。天氣の惡るい時、餌食を捉へに、深い海から現れ出るのである。
[やぶちゃん注:蛸を冒頭に出して、すこぶるヴィジュアルに説明し、西欧の読者がイメージし易いようにしている辺りは、流石であるが、しかし、実は原文は“cuttlefish”であって、タコではなく、イカなのである。この翻案は結果した理解の上では正しいと言えるし、小泉八雲の謂いは明らかにイカではなく、タコを説明しているから、いい。小泉八雲は『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (二)』で海坊主に言及している。そちらの私の注も参照されたい。]
板一重下は地獄にすみぞめの
ばうずの海に出るぞあやしき
〔洒落の說明が出來かねる。……アヤシイは「怪しい」、「驚く可き」、「超自然的」、「面妖な」、「疑はしい」といふ意味である。初めの二句に、フナイタイチマイシタハヂゴク(「船板ただ一枚の下は地獄」)といふ佛敎的俚諺が用ひてある。(この諺を引用して居る今一つの歌に就いては自分の「佛の畠の落穗」の第八章を見られたい〕
[やぶちゃん注:絵は「中編」の「25」にあり、本文の「海坊主」の掉尾に(「34」の右丁六行目)、
板一重下は地こくに墨染の坊主の海に出るぞあやしき 懿斎
狂号の判読は正直、自信はない。「懿斎」ならば、「しさい」と読む。「板一重下は地獄」「いたひとへしたはぢごく」だが、普通、現行は「板子(いたご/いたこ)一枚下は地獄」である。「板子」は「和船の舟底に敷く揚げ板」を指す。
「佛の畠の落穗」明治三〇(一八九七)年に刊行した“ GLEANINGS IN BUDDHA-FIELDS:STUDIES OF HAND AND SOUL IN THE FAR EAST ”(「仏陀の畑(仏国土・浄土)の落穂集 極東に於ける手と魂の研究」:来日後の第四作品集)の第八章“VIII BUDDHIST ALLUSIONS IN JAPANESE FOLK-SONG”のここ(“Internet Archive”のこちらに左の206ページ)の六行目にある、
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Now they are merry together; but under their boat is Jigoku.
Blow quickly, thou river-wind,—blow a typhoon for my sake!
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を指す。訳すなら、
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今、彼らは互いに陽気だが、しかし、彼らの舟の下は地獄だ。
吹け! 素早く! 川風よ!――俺のために! 嵐よ! 吹くがいい!
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か。“Internet archive”の第一書房家庭版「小泉八雲全集」(昭和一二(一九三七)年刊の第六巻所収・訳者金子健二)の当該部では、以下のように訳されてある。
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彼等は一緖に樂んでをるが彼等のボートの下は地獄だ、河風よ早く吹け、私のためにつむじ風よ吹け、(大意)
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且つ、その後に『註 地獄は種々の地獄を總稱した佛敎用語である。ここで言つてをることは船板一枚下は地獄といふ句、卽ち海上の危險を形容した句に關係してをる。この歌は嫉妬を皮肉つたものである。ここでいふ船(ボート)は恐らく屋根のある遊覽船で管弦の遊びに用ひられるやうな物であらう。』ともある。【追記】後に、私は「小泉八雲 日本の民謠に現れた佛敎引喩 (金子健二譯)」を電子化注したので、そちらを見られたい。]
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