小泉八雲 化け物の歌 「十 サカサバシラ」 (大谷正信譯)
[やぶちゃん注:本篇の詳細は『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」(大谷正信譯)』の私の冒頭注を参照されたい。]
十 サカサバシラ
サカサバシラといふ(次記の狂歌では屢〻サカバシラと約めてある[やぶちゃん注:「つづめてある」。])言葉は文字通りでは『逆さな柱』を意味する。木の柱は、殊に家の柱は、それを伐つた木の元の位置にして――言ひ換へれば、根に近い方を下にして――建てなければならぬのである。家の柱を逆さに立てることは不吉だと考へられて居る。――古昔はそんな失錯は、『逆さ』柱は有害な事をしようとするものであるから、妖異な不快な結果を惹起するものと信じられて居た。夜は唸つたり、呻いたりし、その裂け目凡てを口のやうに動かし、その節瘤凡てを眼のやうに開く。その上、その魂は(家の柱は悉く魂を有つて居るから)その木材から、その長い體(からだ)を外づして、頭を下にし、顰め面で人を見ながら部屋部屋をうろつきあるく。それだけでは無かつた。サカサバシラは家中の事の凡てを狂はせることを――家庭の爭ひを釀すことを――家の人や召使に不幸をたくらむことを――大工の過失を見付けて直す時までは生きて行くことが殆んど堪へられないやうにすること――知つて居たのである。
[やぶちゃん注:原拠「狂歌逆柱」の挿絵では(「中編」の「6」)、柱に巻きついて、上から降りてきているのは長い髮をした、「怨めしや」風に手を下に垂らした典型的な女の幽霊風体で描かれてある。]
さかばしら建てしは誰ぞや心にも
ふしある人のしわざなるらん
[やぶちゃん注:挿絵の左最上部に、
逆はしら
立てしはたそや 松梅亭
こゝろにもふし 槇住
ある人のしわさなるらん
とある。]
飛彈山を伐り來て建てしさかばしら
何んの工みのしわざなるらん
〔タクミといふ語は、假名で書くと、「大工」といふ意味にもなり、また「陰謀」、「惡るい策略」、「惡るいたくらみ」といふ意味にもなる。だから、二た通りに讀むことが出來る。一つの讀み方では、柱はうつかり麤麤[やぶちゃん注:「そそ」。大まか。但し、字が潰れているため、二字目は別な字の可能性もある。意味からかく採った。]で逆さに建つたといふこと、も一つの讀み方では、惡意があつてさう建てたといふことである〕
[やぶちゃん注:やはり挿絵の右端に、
飛弾山をきりきて立し逆はしら
何のたくみのしわさなるらん 金剛舎
玉芳
とある。]
うへしたをちがへて建てし柱には
さかさま事のうれへあらなん
〔サカサマゴトノウレヘは文字通りでは「逆さま事の憂」、サカサマゴト卽ち『逆樣事』といふ言葉は不幸、矛盾、災難、當惑を意味して普通に使ふ言葉である〕
[やぶちゃん注:英文原本でも“Chigaëté tatéshi”であるが、原拠の本文「逆柱」には(「15」の左丁初行)、
上下を違ひて立し柱にはさかさま事のうれへあらなん 靜渺園
とあって、表記が異なる。これは「たがひて」か、「ちがひて」かであるが、私は前者で採りたい。]
壁に耳ありて聞けとかさかしまに
建てし柱にやなりする音
〔カベニミミアリ(「壁に耳あり」)といふ諺を仄めかして居る。その諺は「他人の事を、内證にでも、言ふ時言ひ方に氣を付けよ」といふ意味〕
[やぶちゃん注:原拠本文に(「15」の左丁の後ろから四行目)、
壁に耳ありてきけとかさかしまに立し柱に家なりする音 周防 □□園
とある(狂号の頭の二字は私には判読出来ない)。]
賣り家のあるじを訪へば音ありて
われめが目をあくさかばしら
〔四句目には、自由譯にしても言ひ現せないことを暗示する洒落がある。ワレは場合次第で、「我れ」或は「我の」或は「その有つて居る」を意味するから、ワレ、メ(と別別に書くと)「そのものの眼」ともなる。しかしワレメ(一語の)の裂け目、或は分裂を意味する。サカバシラは「逆柱」を意味する計りで無く、その上逆柱の化け物をも意味することを想起しなければならぬ〕
[やぶちゃん注:原拠本文に(「15」の右丁七行目)、
賣家のあるしを訪へは音ありてわれめか目をあく逆柱 京 梅の門花兄
とある。]
思ひきやさかさばしらの柱掛
書きにし歌もやまひありとは
〔「書札に書いてある歌さへ逆樣でゐる」――間違つて居る、といふのである。ハシラカケ(「柱に吊るすもの」)とは美しい材木の薄板で、字が書いてあるか、繪が描いてあるかして、裝飾の爲め柱に吊ゐすものをいふ〕
[やぶちゃん注:挿絵(「6」)左上部中ほどに、
思ひきや逆柱の
はしら掛書にし
哥もやまひありとは
和風亭
国吉
とある。]
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