小泉八雲 (大谷正信譯) 六(「子守歌」)、及び、後書き部 / 日本の子供の歌~了
[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の子供の歌 (大谷正信譯) 序・一(「天と天象との歌」)』を参照されたい。]
六
子守唄
子守唄文學には、國といふこと或は人種といふことと離れて、一種特別な心理的興味が附隨して居る。子守唄は母の慈愛の事前の發言であるから、愛情經驗の最も古い形式を現はして居ると言つてよい。そして殆どいづれの時いづれの場所に於ても、此種の民間歌謠の本質的特性は、如何なる種類の社會的變化にも、殆ど影響されて居ない。それが物語風であらうとただの音響であらうと、意味があらうが無意味であらうが、その文句は子供の心がそれを見て不思議に感ずる、見慣れて居るものに――例へば馬或は牛、木或は花、月と星、鳥或は蝶、街路や庭園の眺め、といふやうなものに――何等かの關係を大抵は有つて居る。子守唄は愛撫の一と言葉を述べて、次に從順(すなほ)ならば褒美を與へるとの約束と、だだをこねる結果として危險があるぞとの仄めかしとを交互に述べて、それを反復して居るが常である。その約束は食物か玩具かに就いてで、脅かしの罰はその母が加へるのでは無くて、いけずな子供を罰する力のある魔物か化物かである。日本の子守唄は、この槪則に對して、何等著しい例外を提供しはせぬ。が、奇妙な空想に富んでゐて、一種明らかに東洋的な性質を具へて居る。
歐洲の讀者は、短いそんな歌の初めに『ネンネ』とか『ネンネコ』とかいふ綴音が出て來るのに、或は驚かる〻ことであらう。それは、佛蘭西の搖籃(ベルシユズ)の歌は多くは、殆ど同じ音の、『ネネ』といふ綴音で始まつて居るからである。(佛蘭西の――或る地方の方言では『ネンナ』とか『ノノ』とか發音する――『ネネ』といふ語は、多く南部佛蘭西の母親が使ふ。北部佛蘭西で、それに相當する語は『ドド』である)が、固よりのこと佛蘭西語の『ネネ』と日本語の『ネンネ』との間には、何等實際の語原的關係があるのでは無い。『ネンネコ』といふ日本語の句は、眠るといふ意味の『ネル』といふ動詞の一綴音と、赤ん坊といふ意味の『ネンネ』或は『ネンネイ』といふ語の一綴音と、子といふ意味の『コ』といふ語の、結合から成つて居るのである。『眠れよ、赤ん坊よ』といふがその言葉の眞の意味である。
附記 「ネネ」其他の佛蘭西語に就いては、ティエルソー氏の「佛蘭西俗謠史(イストアアル・ド・ラ・シヤンソン・ボブレエル・アン・フランス)」一三六――三七頁及び其後を參照されたい。
[やぶちゃん注:「搖籃(ベルシユズ)」原文(ここの右ページ二行目)は“ berceuses ”。音写するなら「ベルスゥーズ」。もと動詞の“bercer”の女性形。女性形名詞として「子どもを揺すりながら寝かしつける女」或いは「半自動的に動く揺り籠」のこと。但し、別に、これで音楽用語としては「子守唄」の意もある。されば、ここは本来なら「搖籃の歌」の四字に「ベルシユズ」をルビとして附すのが適切と思われる。
「ネネ」“ néné ”。これは“ nishons ”とともにフランス語の卑俗語で「女の胸・乳房」の意。
「ネンナ」原文“ nenna ”。但し、発音と言っているのでこれが綴りなのではなく、“ néné ”を訛っての謂いである。
「ノノ」原文“ nono ”。同前。
「ドド」原文“ dodo ”。これは「眠る」の意の動詞“ dormir ”(ドゥルミール)が元の「児童語」の名詞で、「ねんね」或いは「ベッド」の意。私の所持する普通の仏日辞書に載る。
『ティエルソー氏の「佛蘭西俗謠史(イストアアル・ド・ラ・シヤンソン・ボブレエル・アン・フランス)」』“ Tiersot’s Histoire de la Chanson Populaire en France ”。フランスの音楽学者・作曲家で民族音楽学研究の先駆者であったジュリアン・ティェルソー(Julien Tiersot 一八五七年~一九三六年)の、初期の民謡史研究の一書。一八八九年刊。「Internet Archive」のこちらが参照元(楽譜附き)。]
ねんね、ねんねと
寢る子は可愛い!
起きて泣く子は
面(つら)憎い! (伊勢)
ねんねこ、ねんねこ!
ねんねこや!
寢たらお母(かか)へ
連れて行(い)なあ!
起きたら ががまが
とつて囓(か)まあ! (出雲)
附記 ガガマといふは或る化物の出雲名である。これに古代の「ゴゴメ」といふ語の轉訛はではなからうかと思ふ。ゴゴメといふは原始的神道信仰の或る妖怪で、冥界の魔女である。
[やぶちゃん注:「ガガマ」「ゴゴメ」は恐らく黄泉醜女(よもつしこめ)のことであろう。]
寢たか、寢なんだか、
枕に問へば、
枕もの言うた、
寢たというた。 (京都)
ねんねこ、ねんねこ、
ねんねこよ!
己(おら)が赤ん坊は
いつ出來た?
三月さくらの
咲く時に、
道理でお顏が
さくら色! (武藏)
ねんねん、ねんねん、
ねんねんよ!
ねんねした子に
羽子板(はごいた)と羽子(はね)と!
ねんねせぬ子に
羽子ばかり! (讃岐)
ねんねんよう!
ころころよ!
ねんねん小山の
雉子の子は
啼くとお鷹にとられるよ! (信濃)
附記 雉子といふは美しい綠色のフエザントで、屢〻その啼聲で、その居場處を獵師に洩らす。だから「雉子も啼かねば打たれまい』といふ諺がある。
[やぶちゃん注:「フエザント」“pheasant”は鳥綱キジ目キジ科 Phasianidae のキジ類(及びその肉)を指す英語。
次は一行空けがないが、挿入した。]
ねんねこ、ねんねこ、
ねんねこや!
あちら向いてもやあま山!
こちら向いてもやあま山!
やあまの中(なか)に何がある?
椎やどんぐり榧(かあや)の實! (出雲)
附記 椎はライヴ・オークの一種。カヤはユウの一種。
[やぶちゃん注:「かあや」は原文では“kaya”であるが、大谷氏が知っている唄の韻律として、この音を選んで補正した確信犯のものであろう(彼は松江市末次本町生まれである)。
「椎」「ライヴ・オークの一種」“live-oak”。ブナ目ブナ科シイ属 Castanopsis で、本邦には関東以西にツブラジイ(コジイ)Castanopsis cuspidataと、シイ属の中では最も北に進出している(福島県・新潟県佐渡島にまで生育地がある)スダジイ(ナガジイ・イタジイ)Castanopsis sieboldii の二種が植生する。「ライヴ(リヴ)・オーク」はアメリカの太平洋岸からメキシコにかけて分布するブナ科コナラ属Quercus の常緑のオーク。バージニア州の州木。学名はメキシコ産が Quercus virginiana、カリフォルニア産が Quercus agrifolia。属名で異なっているので言うまでもないが、「live-oak」ではない。但し、シイは広義には「オーク(材)」には含まれるから、大まかにそう言ったものであろう。
「カヤはユウ」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera。「ユウ」は日本語ではなく、英語“yew”で、狭義にはイチイ科イチイ属 Taxus を指す語で、同じイチイ科 Taxaceae としては仲間であり、カヤは“Japanese nutmeg-yew”の英名で呼ばれる。]
ねんねこせ、
ねんねこせ!
寢んねのお守(もり)は
何處(どこ)へ行(い)た?
山を越えて
鄕(さと)へ行(い)た!
鄕(さと)の土產に
何貰うた?
でんでん太鼓に
古つづみ!
おきあがりこぼしに
犬張子! (出雲)
附記 「デンデン太鼓」は圓い淺いドラム。ツヅミは頗る妙な恰好のハンド・ドラム。こゝにいふ玩具ドラムは固より本當のものよりか餘程小さい。オキアガリコボシといふは相撲取の姿をした小さなもので、どんなに投げても眞直に立つやうに重みが入れてあるもの。
[やぶちゃん注:最後の解説の頭の「附記」はないが、補った。
「おきあがりこぼし」「起きあがり小法師」。小学館「日本大百科全書」によれば、『張り子製の小法師人形の底に、土のおもりをつけた玩具』で、『倒しても』、『すぐ起き上がるのでこの名がついた。原型は中国の酒胡子(しゅこし)に始まるといわれる。酒胡子は唐代からの木製人形で、尻』『がとがっている。盤中で転がしてしばらく舞ったのちに倒れると、その静止した方向の座にある者が杯(さかずき)を受けるという遊びに用いられた。明代』『に紙張り子でつくられるようになり、酒席の玩具となった。室町時代に日本に渡来、転がしても起き上がることから、不老長生の意味で不倒翁とよんだが、童形(小法師)につくり変えられて子供の玩具となった。「小法師」とは子供の意である。当時の狂言』「長光(ながみつ)」に、『「なに、おきあがりこぼしじゃ、子供たちの土産』『にこれがよかろう」とあり、子供向きの玩具に商品化された。江戸時代初期に京坂地方では摂津の津村(大阪市)が産地として知られた。やがて上方』『から江戸へ伝えられ、広い社会層に迎えられた。「おきあがりこぼうし」「おきあがりこぶし」などともよばれ、玩具以外に「七転び八起き」の縁起と結び付いて置物にされ、七福神や達磨』『の姿のものもつくられた』とある。但し、ウィキの「起き上がり小法師」では、『福島県会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具の一つで』、『起姫(おきひめ)ともいう。会津の人にとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具であ』り、『古くは』四百『年前に会津藩主・蒲生氏郷が藩士に小法師を作らせ』、『正月に売らせたのがはじまりと言われる』とある。汎日本的な「起き上がりこぼし人形」のルーツの説明としては、前者の方が納得出来る。]
寢んねんさんせよ!
今日は二十五日!
明日(あす)はこの子の宮參り!
宮へ參らばどういうて拜む?
この子一代まめなよに! (伊勢)
ねんねこ、ねんねこ、
ねんねこよ!
己(おら)が赤坊の
寢た留守に、
小豆をよなげて、
米といで、
赤の飯(まんま)に
魚(とと)添へて、
赤のいい子に
吳れるぞへ! (武藏)
[やぶちゃん注:「よなげて」「淘げて」。「よなぐ」は「米を水に入れてゆすって研(と)ぐ」・「水に入れて掻き混ぜて細かいものなどを揺らして選り分ける」・「より分けて悪いものを捨てる」の意。]
自家(うち)の此の子の
枕の模樣!
梅にうぐひす
松に鶴!
梅に慣れても
櫻はいやいや!
同じ花でも
散りやすい! (越前)
附記 櫻は、だから、不吉な模樣である。民間傳說の地方的小片がこの作で窺はれる。普通には、櫻は幸福な徽號と考へられて居る。この關係に於て、蓮の花の模樣は不吉だと思はれて居る、ことを述べてもよからう。子供の衣物の模樣には、決してそれを見ること出來ぬ。その花の繪すら殆ど部屋に掛けることをしない。その理由は、蓮は佛敎の表象的な花であるから、墓石に彫る。そして葬式の行列に一つの徽號として持ち運ぶ。
ねんねこ、ねんねこ、
ねんねこや!
この子何故(なあ)して
泣くやら?
お乳が足らぬか?
おままが足らぬか?
今にお父(とつあ)んの大殿の
お歸りに、
飴や、お菓子や、
ヒイヒイや、
ガラガラ、投ぐれば
フイと立つ、
おきあがりこぼし!
ねんねこ、ねんねこ、
ねんねんや! (出雲。松江)
[やぶちゃん注:「ヒイヒイ」不詳。小学館「日本国語大辞典」の「ひいひい」に、馬を表わす幼児語とし、「ひんひん」と同じとするから、馬の玩具か。]
善い子だ、さん子だ!
壯健(まめ)な子だ!
まめで育てた
お子だもの!
寢るとねり餅
くれてやる!
泣くと長持
しよはせるぞ!
怒(おこ)ると怒(おこ)り蟲
吳れてやる! (靜岡市)
附記 この作の主たる面白味は句が頭韻を踏んで構成されて居る點にある。妙な言葉のたはむれが方々にある。マメは發音では「豆」とも「壯健」とも意味する。同樣にオコリは「怒り」とも「瘧」とも意味する。オコリムシは「瘧蟲」で、寒氣と熱とを起こすと思はれて居る、或る大きな蛾の普通名である。
[やぶちゃん注:「さん子」不詳。識者の御教授を乞う。
『オコリムシは「瘧蟲」で、寒氣と熱とを起こすと思はれて居る、或る大きな蛾の普通名である』この冤罪の蛾の種は不詳。そもそも「瘧」はマラリアを指す。いろいろ調べたが、判らない。識者の御教授を乞う。因みに、柳田國男の「蟷螂考」に、新潟方言でカマキリを指す語として、「オコリムシ」が挙がっている。言っておくと、ここでは、赤ん坊(というより子守する子)にとっては、「ガ」より、「カマキリ」の方が忌まわしい虫であろうから、その意味かも知れない。]
坊やはいい子だ、
ねんねしな!
この子の可愛さ
限り無い!
山での木の數、
榧の數!
天へ上(のぼ)つて
星の數!
沼津へ下れば
千本松!
千本松原、小松原!
松葉の數より
まだ可愛ぃ! (駿河)
お寢んね、お寢んね
お寢んねや!
宵には早(とう)から
御寢(しん)なり、
あさまは早(とう)から
お目ざめて、
御目覺のお褒美に
なあに何?
お乳の出花を
上げませうぞ!
お乳の出ばなが
おいやなら、
鷄(にはとり)蹴合はせ
お目にかきよ!
鷄蹴合はせ
おいやなら、
御菓子澤山
おあがりか? (出雲。大名の子に歌つた子守唄)
附記 出雲松江で人のいふのを書き寫したもの。此の一篇の本來の面白味は、その奇妙なそして全く飜譯不可能な敬語にある。
ねんねんよ!
ころころよ!
ねんねん小山の
兎(うさぎ)は、
なあぜに御耳が
お長いね?
お母(か)さんのお腹(なか)に
居た時に、
枇杷の實 笹の實
喰べまして、
それで御耳が
お長いよ! (東京)
附記 この歌の出雲で歌ふのが自分の「知られぬ日本の面影」第二卷にある。出雲で歌ふのがこれよりも面白い。東京で變つた文句のがある。
[やぶちゃん注:私の「小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (二十七)」を参照されたいが、そこでの採取地は出雲でも隠岐でのもので、短いので、唄だけを以下に引いておく。
*
ねんねこ、お山の
兎の子、
なぜまたお耳が
長いやら、
おつかさんのおなかに
居る時に、
枇把の葉笹の葉
喰べたそな、
それでお耳が
長いそな
*]
ねんねん、ころいち、
天滿の市よ!
大根揃へて
船に積み、
船に積んだら
何處まで行(い)きやる?
木津や難波の
橋の下(した)!
橋の下には
お龜が居やる!
お龜とりたや
竹欲しや!
竹が欲しけりや
竹屋へ行(い)きやれ!
竹は何でも
御座ります! (攝津)
お月さん いくつ?
十三 ななつ!
まだ年 若い!
あの子を 產んで、
この子を 產んで、
だれに 抱かしよ?
お萬に 抱かしよ!
お萬 何處へ行た?
油買ひに 茶買ひに!
油屋の 前で
すべつて ころんで、
油一升 こぼした!
その油 どうした?
太郞どんの 犬と、
次郞どんの 犬と、
皆なめて しまつた!
その犬 どうした?
太鼓に 張つて、
あちの方でも どんどこどん!
こちの方でも どんどこどん!
たたいたとさ! (東京)
ねんねんや! ころころや!
ねんねの生まれた その日には、
赤いお飯(まんま)に 魚(とと)添へて、
父(とと)樣のお箸で あげましよか?
ととさまのお箸は ととくさい!
母(はは)樣のお箸で あげましよか?
母さまのお箸は 乳くさい!
姉(あね)さまのお箸で 上げましよう!
ねんねん、ころころ、ねんねしよう! (岐阜)
ねんねこ、さんねこ、
酒屋の子!
酒屋をいやなら
嫁にやろ!
嫁の道具は
何々ぞ?
簞笥、長持、
ひつ、とだな!
琉球づつみが
六荷(ろくか)ある!
風呂敷包は
數知れず!
それほどこしらへ
やるほどにや、
一生去られて
戾るなよ!
そりやまたお母(か)さん
どうよくな!
千石(ごく)積んだる
船さへも、
風が變はれば
戾るもの! (攝津)
附記 琉球で製造する種々な織物は日本で珍重せられる。小さな贈物は普通それを木綿か絹かの四角な切れに包んで持つて行く。それは大きなハンケチに似たもので、それをフロシキと呼ぶ。
[やぶちゃん注:「琉球づつみ」「琉球包」。]
千疊座敷の
唐紙(からかみ)そだち!
坊ちやまも善(よ)い子に
なる時は、
地面をふやして
土藏(くら)たてて、
土藏(くら)の隣に
松植ゑて、
松の隣に
竹植ゑて、
竹の隣に
梅植ゑて、
梅の小枝に
鈴下げて、
その鈴ちやらちやら
鳴る時は、
ぼつちやまもさぞさぞ
嬉しかろ! (東京の子守唄)
金柑、蜜柑、
なんぼ喰べた?
お寺の二階で
三つ喰べた!
そのお寺は
だれが建てた?
八幡(はちまん)長者の
末(おと)娘!
末(おと)が嫁入り
する時にや、
なんがい寺町
シヤラシヤラと
短い寺町
シヤラシヤラと
シヤラシヤラ雪駄の
緖が切れた!
姉(あね)さんたてて
呉れんかな?
たてて遣るこた
やろけんど、
針も無ければ
糸も無い!
針は針屋で
買うてやる!
糸は糸屋で
買うてやる!
針は針屋の
腐れ針!
糸は糸屋の
くされ糸!
姉さん雪駄に
血がついた!
それは血ぢや無い
紅(べに)ぢやもの!
大阪紅こそ
色よけれ!
色のよい程
値(ね)が高い!(博多市)
附記 セツタとは輕くはあるが頗る丈夫な草履で、その皮の踵の處へ薄い金屬が附けて强めてあるもの。ベニは主として唇に塗る。
さて、結論のつもりで述べさせて貰ひたい事は、この稍〻長たらしい一文を起草する際、讀者に或る新しい經驗を――日本の市(まち)の街路を初めて通(とほ)つた時の經驗に稍〻似寄つた經驗を――提供しようと希望し得るだけであつた。
日本の街路の初めての一般的印象は、多くの人には、奇異と云はんよりは寧ろ茫漠といつたものであるに相違無い。優れて銳敏な五感を有つて居なければ――例へばピエール・ロティの視力の如き視力を有つて居なければ、その街路を通つて居る間に見たものを、極少ししか記憶して居ることが出來ず、殆ど何物をも理解することが出來ぬ。にも拘らず、驚きもして居り面白くも感じて居ることが判かる。――何故とは知らずに、豆仙人國の、奇怪な土地の漢字を――意想外の魅力を――を感ずる。
[やぶちゃん注:「ピエール・ロティ」小泉八雲の来日影響を与えたとされる小説「お菊さん」で知られるピエール・ロティ(Pierre Loti 一八五〇年~一九二三年)はフランスの海軍士官で作家。これはペン・ネームで本名はルイ・マリー=ジュリアン・ヴィオー(Louis Marie-Julien Viaud)。職務で世界各地を回り、その航海中に訪れた土地を題材にした小説・紀行文を多く書き残した。
「豆仙人國」原文は“the elfish and the odd”と形容詞を名詞的に用いている。「ちっちゃい小妖精と風変わりな場所」の謂いであろう。]
さで、自分が引用した子供歌全部のうちで、明らかに讀者の注意を惹いたものは、恐らくは五つ六つにも上るまい。歿餘のものに就いては、多分殆ど記憶にとどまるまい。が、若しこの一聯の歌を、假令[やぶちゃん注:「けりやう(けりょう)」。仮初・いい加減であること。「たとひ」が一般的読み方だが、「や」には繋がらないので、やむなく、こう読んでおく。]や急速に且つ皮相的にでも、讀まれたならば、丁度日本の街路を初めて見た後に續いて起こつて來る感じに似ぬでも無い、或る一般的印象或は漠たる感念を得られたであらう。――諸君のとは別なそして測り知ることの出來ぬ人性の朧氣な推測を妙に心を誘ひはするが、永久に諸君のものとは異つた、別な人種精神を、――である。
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