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2019/10/20

小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 五(「羽子突歌と手毬歌」)

 

[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 序・一(「天氣と天象との歌」)』を参照されたい。]

 

 

       

 

       羽子突歌と手毬歌

 

 正月の休暇時分には、幾組もの少女が羽子を突いたり、手毬の種々な遊戲をしたりして居るので、街路はまことに美はしくなる。袖の長い、色取りの多樣な、晴衣をまとうて居るそんな少女共よりも美はしいものは、何も想像が出來にくからう。蛾か蝶の非常に燦爛たるものだけがそれに比べられよう。さういふ少女の優美さと上品さとを描くのに東京の畫工は甚だ巧みで、年ごとにそんな畫工は、手毬をついて居る少女共の群集の(時の流行も見せて)新しい着色の版畫や、或は、羽子板を手に、飛んで行くその羽毛の球(たま)を見やつて居る、花の脣を半ば開き、微笑む顏と輝く眼とを上に向けて居る、仙女のやうな少女の繪、を提供して我々を悅ばせる。それでも實物の方が時にはその繪よりも愛らしいこともあらう。それから、嗚呼! どんなにか驚嘆すべき羽子板を時々見ることが出來ることか! 或る山水、或る庭園、或る古代の貴公子の夢、かと思ふやうなのをば、絹のモザイク細工でその裏に貼り附けてある!

 が、その妙味は眼へだけのものでは無い。――さういふ仙女達は、遊戲を爲しながら、節奏と旋律とが不思議な、聞いて實に面白い、そして(西洋人の耳には)記憶することの不可能な、短い歌をうたふのである。

 

 此等の奇妙な短い歌は、多くは、つぎつぎの行又は句の最初の綴音が、その行又は句の順位を示して居る數詞の最初の綴音と同じになるやうに構成されて居る。最も普通に用ひられる日本の數詞はヒトツ、フタツ、ミツ、ヨツ、イツツ、ムツ、ナナツ、ヤツ、ココノツ、トヲである。が、種々な實例に於て支那の數詞[やぶちゃん注:本邦の漢字の「音読み」のこと。]が用ひられて居る。卽ち、イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジフである。そして色々の作品にその二組の數詞が交ぜて用ひてある。行又は句の一つづつを歌ふと共に、羽子板なり球なり、それを一度突くことになつて居る。『チヤウ』(偶數)といふ言葉は普通は十たび突くことを意味して居るやうである、――が、この意味は必ずしも明白では無い。

[やぶちゃん注:「『チヤウ』(偶數)といふ言葉は普通は十たび突くことを意味して居る」不詳。小学館「日本国語大辞典」の「丁」を見ると、魚商人仲間の隠語で「十」を表わすとあるが、理由は書かれていないが、関係はありそうだ。

 以下に再録する複数の歌の読みについて、大谷氏は基本、当該文字(列)の綴り音の初めの字音のみを示して、後を省略している場合が多いので、注意されたい。読みが判らない場合は、原本画像(ここ以降)を確認されたい。但し、これは彼が不親切なのではなく、小泉八雲が原本で斜体にしている数の呼称音の掛けてある斜体部のみをルビ化していることがそれで判然とする。]

 

一(ひ)人來な!

二(ふ)人來な!

見(み)て行きな!

寄(よ)つて行きな!

何(い)時來て、

六(む)づかし!

七(なな)藥(や)師!

此(こ)處のまで!

十(と)よ! (東京。羽子突歌)

 

一(ひ)人來な!

二(ふ)人來な!

見(み)て行きな!

寄(よ)つて行きな!

何(い)時來て見ても、

七(な)子帶を、

矢(や)車に締めて、

ここのよで、

一丁! (京都。羽子突歌)

 

附記 ナナコはうねうねの光澤のある、一種の思い綾織の絹。ミテモの「ミ」といふ綴音がこの歌ではムツ(六)の最初の綴音の「ム」の代りになつて居る。

 

一(ひ)と目!

二(ふ)と目!

目證(めあかし)!

嫁(よ)御!

いつ屋の

六指(むさし)!

なな屋の

矢(や)指!

ここの屋

とを! (京都。羽突歌)

 

比(ひ)良屋彥兵衞!

中根のお豐(とよ)!

三度目に負けて、

あべこべちんちくりん!

ちんちくりんのちんちくりん!

一(ひ)人子に 双(ふ)見!

見(み)渡す 嫁(よ)御!

何(い)時來て 見(み)ても、

七(な)子の帶を、

矢(や)の字に 締めて、

此(こ)の家を 通(と)る! (信濃。羽子突歌)

 

附記 此歌にいうて居る「ヤ」は平假名の「ヤ」である。帶のこの結び方は今も流行つて居て、「やの字結び」といつて居る。

[やぶちゃん注:グーグル画像検索「矢の字結び 帯」をリンクさせておく。]

 

 時には有名な十ケ寺の名、或は十體の神佛の名、或は月の名すら――次記の例に見る如く――この款へ立てる目的に用ひる。

 

一(い)に一(い)畑お藥師樣よ!

二(に)には日(に)本の日光樣よ!

三(さ)に讃(さ)岐の金比羅樣よ!

四(し)には信濃(し)の善光寺樣!

いつつ江(え)の島辨天樣よ!

六(ろ)に六(ろ)角堂の觀音樣よ!

ななつ七(な)浦の天神樣よ!

八(や)つ八(や)幡の八幡樣よ!

ここのつ 高野(かうや)の弘法樣よ!

十(と)で 處(と)の氏神樣よ!

掛けた願なら解かねばならぬ! (東京。手毬歌)

 

附記 この作品の變形が殆ど日本到る處にあるやうである。

[やぶちゃん注:「高野(かうや)」は原本は口語音で“Kōya”となっているのだから、この読みのルビはよくない。大谷氏は寧ろ、妙なところで歴史的仮名遣に拘らずに「こ」だけを振るべきであった。

 

正月 門松、

二月 初午、

三月 節句、

四月 お釋迦、

五月 幟、

六月 天王、

七月 七夕、

八月 八朔、

九月 菊月、

十月 蛭子講、

霜月 師走、

ここので 一丁よ! (京都。羽子突歌)

 

附記 カドマツ卽ち「門松」は新年の元日に家の正門の前へ樹てる[やぶちゃん注:「たてる」。]。ハツウマは稻の神の大祭。三月の節句は雛祭ともいふ。佛陀の誕生日は四月八日に祝ふ[やぶちゃん注:「灌仏会」のこと。]。幟は男の兒の祭。ノボリは布で象徴的な模樣が附いて居る。男兒の出生を祝つて揭げる。東京ではノボリの代りに紙又は布で造つた鯉を用ひる。天王は市又は郡の守護神に普通與へる名。七夕の織姬はヹガの星。エビスは勞働の守護神。

[やぶちゃん注:「八朔」「はつさく」は陰暦八月朔日(ついたち)の称。この日にその年の新穀を収めて祝うのが、大切な農事の儀式であった。

「菊月」旧暦九月(長月)の異称。節句中、最も重要な吉日である九月九日(陰陽説で最大の陽数が重なる目出度い日)「重陽の節句」(菊の節句)があることに由来するものと推察される。

「蛭子講」「えびすかう」は神無月(旧暦十月)に、出雲に赴かない「留守神」とされた「えびす神」(他に「夷」「戎」「胡」「恵比須」「恵比寿」「恵美須」などとも表記する)或いは「竈神(かまどがみ)」を祀って、一年の無事を感謝し、五穀豊穣・大漁・商売繁盛を祈願する。地方や職種或いは寺社によって異なるものの、概ね旧暦十月二十日に配する。漁師や商人が集団で祭祀を行う「講」の一つとして近世に時に発達した信仰結社的祭祀要素も含まれるが、本来の「えびす講」は各家庭内での祭祀行為であったものと思われる。

「ヹガ」「こと座」の主星ベガ(Vega)。織女(しょくじょ)星。

 以下、行空けがないが、施した。]

 

大黑樣といふ人は、

一に俵を踏んまへて、

二ににつこりと笑うて、

三に杯(さ)いただいて、

四つで世(よ)の中よいやうに、

五つで泉(い)の湧くやうに、

六つで無(む)病息災に、

七つ何(な)事無いやうに、

八つで屋(や)敷を平らげて、

九つこ倉を推し立てて、

十(と)でとつくり治まつた。 (信濃。手毬歌)

[やぶちゃん注:「杯(さ)」は「さかづき」。

「こ倉」小倉。小蔵。]

 

 最後に記した此歌は、祈願の言葉を手毬歌に變形した珍らしい一例である。初めの四行を除いては、その文句は、一語一語、昔のサムラヒが唱へた文句――どんなサムラヒも每日唱へた家內での祈願の文句――である。……に反して次に記すものの中には、殆ど無意味詩(ナンセンス・ヴアス)といつても宜いものが二三ある。

[やぶちゃん注:「無意味詩(ナンセンス・ヴアス)」“nansense-verses”。「無意味な詩篇」。意味をあまり問題にせず、発音・韻・言い回しの面白さを主眼に置いた戯れ歌。]

 

ひや、ふや、

おこまさん!

たばこの煙は

丈八さん! (越前。羽子突歌)

 

附記 この歌は『お駒才三』といふ通俗な戲曲に關係して居る。その戲曲の女主人公お駒は美しい女なのだが、その父の店の番頭丈八なるものの奸策の爲め、不幸な最期を見る。丈八は芝居では種種の場に、火鉢の前に坐つてで[やぶちゃん注:「ままで」の意であろう。]盛んに煙草を吸かす[やぶちゃん注:「ふかす」。]。

[やぶちゃん注:「お駒才三」こう表記した場合は「おこま・さいざ」と読む。浄瑠璃・歌舞伎の登場人物。材木問屋の娘お駒が、手代の才三と密通し、婿の喜蔵を殺害、お駒は黄八丈の着物を着て市中引き回しとなる。享保一二(一七二七)年に江戸日本橋で起きた「白子屋お熊」の事件を素材としたもので、人形浄瑠璃「戀娘昔八丈(こいむすめむかしはちじやう)」(松貫四(まつ かんし)・吉田角丸(かどまる)の合作。安永四(一七七五)年・江戸・外記座初演)や「木場綺娘好」(これで「きはちじょうふりそでごのみ」と読む:天保九(一八三八)年・江戸・河原崎座初演)などとして上演された。ウィキの「恋娘昔八丈」が詳しい。]

 

一月二月、

三月さくら、

柳の下(した)で

化粧して十(とを)よ! (信濃。羽子突歌)

 

ひや 彥兵衞!

はげたか 次郞兵衞!

次郞べの頭(あたま)は

なぜはげたか?

親が邪慳で

火へくベた! (信濃。羽子究歌)

 

ひい、ふう、みい、よ。

よもの景色を、

春と眺めて、

梅にうぐひす、

法法華經と囀る。

明日(あす)は 祇園の

二軒茶屋で、

琴や三味線、

はやしテンテン、

てまりうた。

歌の中山、

ちよ五に五十で、

ちよ六――六――六!

ちよ七――七――七!

ちよ八――八――八!

ちよ九に九十で、

ちよつと百ついた! (京都。手毬歌)

 

附記 うぐひすの啼聲に關して、この文の前にある、佛敎に緣のある名、の一文を讀まれたい。この歌でのチヨはチヨウと同じで、偶數か又は全る[やぶちゃん注:「まる」。行きつくところの。]十の意味。

 

うぐひすや! うぐひすや!

たまたま都へ上(のぼ)る時、

梅の小技に晝寢して、

お千代に何々着せてやる?

上衣(うはぎ)は紺々 紺縮緬!

下着(したぎ)はちんちんちんちりめん!

それを着せてやつたれば、

道でころぶか 手を突くか?

殿さんが通(とほ)たら御辭儀せよ!

おん馬が來たらば傍(わき)へ寄れ!

手習子供をかまふなよ!

かまふと草紙でぶたれるぞ!

先づ先づ一貫お貸し申した! (靜岡。手毬歌)

 

附記 昔の一貫は一千文(もん)、だからその値は百セントの一弗(ドル)と似たもの。

[やぶちゃん注:「一貫」「百セント」=「一弗(ドル)」江戸初・中期にかけての金一両(四千文)を現在の十万円に相当とする資料があり、一貫文は千文であるから二万五千円相当(但し、幕末にかけては激しいインフレとあったので、一貫文は七千円程度相当まで落ちる)。本作品集が刊行された明治三四(一九〇一)年前年の為替レートは一ドルは二円、当時、白米十キログラムは一円強。]

 

一(ひ)つ挽(ひ)いた豆

    粉にした豆!

二(ふ)つ踏(ふ)んだ豆

    つぶれた豆!

三(み)つ味(み)噌豆

    ふくれた豆!

四(よ)つ選(よ)つた豆

    綺麗な豆!

五(い)つ炒(い)つた豆

    腹切つた豆!

六(む)つ貰(も)うた豆

    得(とく)した豆!

七(な)つ生(な)つた豆

    莢つき豆!

八(や)つ與(や)つた豆

    損した豆!

九(こ)つ買(か)うた豆

    錢出した豆!

十(と)で取(と)つた豆

    盜人(ぬすと)した豆! (越前)

[やぶちゃん注:「買(か)うた豆」は原文“Kōta mamé”で、やはり歴史的仮名遣なぞに代えずに、そのまま「こ」だけを振るべきであった。]

 

 次に抜萃する――手毬歌の一番好い――のの興味は前のとは全く性質を異にして居る。作(さく)の仕組は英國のあの有名な子供歌『わたしの好きなは、アの字附き』の仕組に似ぬでも無い。演者の想像的機智次第で、無限に擴げたり或は變更したり、出來るのである。

[やぶちゃん注:「わたしの好きなは、アの字附き」原文は“I love my love with an A”。平井呈一氏は『わたしの好きなの、A がつく』と訳しておられる。イングランドの童謡。かのルイス・キャロル(Lewis Carroll 一八三二年~一八九八年)が「言葉遊び」としては流行らせたものらしい。

 以下の「甲の遊戲者。」「乙の遊戲者。」はポイント落ちで(再現した)、以下の歌本文より一字分上から記されてある(則ち、本篇本文で三字下げ位置から)。それを表現するために、ここでは以下、歌本文を一字下げで示した。途中の解説挿入もポイント落ちであるが、これは同ポイントで示した。但し、ブラウザの不具合を考え、途中で改行した。

 

甲の遊戲者。

 おかん、かん、かん、

 加賀樣屋敷ぢや。

 おけさ米搗く、

 小糠が落ちる。

 なんとて落ちる?

 ささしちく竹!

 ささはちく竹!

 向うの向うの、

 格子づくりの、

 白壁づくりの、

 赤い暖簾のかかつた、

 お姬樣まで、

 お〻渡し――

 もうす――す――す――の――す!

 

   此處で手毬をこの娘に渡すと、その娘は
   それを受け取つて斯う歌ひ出す。

 

乙の遊戲者。

 受け取つた! 受け取つた!

 受け取りた!

 大事のお毬を受け取つた!

 あ〻受け取つた!

 蝶や花やと

 おそだて申して、

 おかへし申して、

 今夜の晚から、

 紙もいらずみ、

 硯もいらずみ、

 針三本、

 絹糸三筋に、

 おん馬が三匹、

 お籠が三挺、

 のりかへひつかへ、

 向うの向うの、

 格子づくりの、

 柿の暖簾の

   ? さんまで、

 お〻渡し

 もうす――す――す――の――す! (東京。手毬歌)

 

附記 シチクダケ、ハチクダケ、共に竹の名。ササは一種の小さな竹。シチクダケは黑い竹、ハチクダケは紫がかつた竹である。が、此の歌では同語とも擬聲である。「ササ」といふ綴音は、米搗きが足で揚げた時の木造の大きな臼が軋る音。シチクダケ、ハチクダケは、槌の落つる音や、打たれてどしんといふ音やらを現はしたもの。?の處で、次にその毬を渡してやる女の子の名を言ふのである。

[やぶちゃん注:「シチクダケ」「紫竹竹」であるが、「黒竹」、単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科タケ連マダケ属クロチク Phyllostachys nigra の異名。竹本体の直径二~三センチメートルほどで、高さは三~五メートルほどになる。初め、本体は緑色で、夏を過ぎると、徐々に黒くなり、二年ほどで真っ黒になる。日当りの良い乾燥地では特に鮮やかな黒色となる。伐採後も黒い色は変わらず、庭園に植栽されたり、建築用や装飾用に利用され、工芸品の素材とされる。主産地は高知県中土佐町と和歌山県日高町(以上はウィキの「クロチク」に拠った)。

「ハチクダケ」「淡竹竹」。前のマダケ属クロチクの変種ハチク Phyllostachys nigra var. henonis ウィキの「ハチク」によれば、『中国原産の竹の一種。黄河流域以南に広く分布し、日本ではモウソウチク』(マダケ属モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescens :「f.」は「forma」の略号で「品種」であることを示す)・『マダケ』(マダケ属マダケ Phyllostachys bambusoides )『に次いで』、『各地でよく植栽されている。北海道南部以南に分布し、モウソウチクよりも耐寒性を有するため』、『特に日本海側に多い。川岸や山地では野生化しているものもある。別名アワダケ、呉竹(くれたけ)』。『直径は』三~十センチメートル、高さは十~十五メートルほどであるが、高いものは二十メートルに『なるものもある。節の輪は』二個で、節の間は二十~四十センチメートル。若い本体部には『白い粉があり、各節から枝が』二『本出る』という『特徴を有する』。勝宝三(七五〇)年『頃には日本にあったことが知られているが、起源は不明』。『細く割れるため』、『茶筅などの茶道用具、花器に利用されるほか、枝が細かく分枝するため』、『竹箒として利用される。 正倉院の呉竹笙、呉竹竿、彫刻尺八、天平宝物の筆などはハチク製と鑑定されている。また、内側の薄皮は竹紙と呼ばれ、笛の響孔に張り』、『音の響きを良くするほか、漢方薬としても使用される』。『ハチクの筍(タケノコ)は食用で径が約』三~十センチメートルで、最盛期は五月中旬から六月上旬頃となる。『主に孟宗竹のピークが過ぎた』頃『に出回り始める。皮は紫色で』、『まばらに毛があり、掘り出したばかりの筍はクセが無く』、『生食も可能だが、時間の経過につれ』、『えぐみが増すため』、『あく抜きが必要となる。筍は』、『マダケと比べると』、『やや太くずんぐりとしている。また』、『出始めの時期がやや早いこと、マダケでは皮にある黒い斑点がない事や』、『色の違いで見分けがつく』。『開花周期は、マダケなどと同様に約』百二十『年とされており、開花後は一斉に枯死することが知られている』とある。]

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