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2019/11/14

小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「五」の「ハタオリムシ」・「うまおひ」・「キリギリス」

 

[やぶちゃん注:本篇については『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「一」・「二」』を参照されたい。]

 

        ハタオリムシ

 ハタオリは、非常に優しい形をした、冴えた綠色――美しい螽斯[やぶちゃん注:「きりぎりす」。]である。『機を織るもの』といふ意味、の此の妙な名に對して二つの理由が與へられて居る。一つは、或る特別な持ちやうをして支へて居ると、その、もがく身振りが機織娘の舉動に似て居るといふのである。も一つ[やぶちゃん注:ママ。]の理由は、その蟲の奏する音樂が、手織機で物を織つて居る折の、筬(をさ)と梭(ひ)の音――ヂイイイ――チヨンチヨン!――ヂイイイ――チヨンチヨン!――を眞似して居るやうに思へるといふのである。

[やぶちゃん注:一読してお判りの通り、また、次の段落の頭を見ても判然とするように、小泉八雲は「ハタオリ(ムシ)」を「キリギリス」の仲間としながら、「キリギリス」とは別種のものとしており、事実、次の次の項で別に「キリギリス」を別に立てている。しかし、「ハタオリ」は「キリギリス」の古名であって、「ハタオリ(ムシ)」と「キリギリス」は同じ種を指す。キリギリスは本邦に四種棲息するが、我々が「キリギリス」として思い浮かべる代表は、既に述べた、

直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属ニシキリギリス Gampsocleis buergeri本州西部(近畿・中国)及び四国・九州に分布し、翅が短く、側面に黒斑が多い

と、

ヒガシキリギリス Gampsocleis mikado青森県から岡山県(淡路島を含む)に分布し、近畿地方ではニシキリギリスを取り巻くように分布する。翅が長く、黒斑は一列程度か、或いは全くない点で前者と識別が出来る

の二種である。小泉八雲は、別種と誤認した「ハタオリ」について、「非常に優しい形をした、冴えた綠色――美しい」キリギリスの一種であると述べている点に気づかれるであろう。彼の誤認はその色と形の違いに拠るものなのであるが、これも既に注した通り、実はキリギリスは、生育環境によって、緑色の個体と褐色の個体が生じ、また、さらに若齢の幼虫(バッタ類は不完全変態で小さな時も成体と全体の大まかなフォルムは変わらない)は、全身が緑色を呈し、頭部が大きい点で成体と異なるのである。この緑色の個体や若年個体と、成体の褐色の各脚が刺々しいそれを比べると、思わず、それらは別種だと思い込んでしまうのは無理もないのである。さらに言えば、小泉八雲の来日後の前期に居住した出雲・熊本・神戸(前記二種の交点に近い)と、晩年の東京という地理を考えると、ニシキリギリスとヒガシキリギリスの異なるキリギリス二種の棲息域に被っていることに気づく。されば、小泉八雲はこの正しく違ったキリギリス二種を細部観察して、正しく別種と認識していた(実はウィキの「キリギリス」にあるように、『北海道のハネナガキリギリス』Gampsocleis ussuriensis『と』、『沖縄のオキナワキリギリス』Gampsocleis ryukyuensis『を除いたもの、すなわち』、『青森県から鹿児島県の地域に分布するものは』、実に二十『世紀末までただ』一『種のみであると見なされていた。その標準和名がキリギリスであり、学名はこの類としては日本で最も早く記載された』Gampsocleis buergeri (de Haan, 1843) が『用いられて来た』。『ところが』、一九九〇年代に『日本の』直翅(バッタ)目 Orthoptera『の研究が盛んになり始めると』、『地域ごとに』、『様々な特徴をもつ個体群が存在することが知られるようになった。なかでも東日本と西日本とに別れる広い分布域をもつ』二『群は明らかな別種と』見做されるようになり、遂に一九九七年に『それぞれ』、『ヒガシキリギリスとニシキリギリスと名付けられ』て分離されたと書かれているように、実は本篇が書かれた当時は、生物分類学に於いても北海道と沖縄を除く日本にはキリギリスは一種しかいないと考えられていたのである)可能性さえも排除出来ないのである。なお、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 斯螽(はたおり)」も参照されたい。鳴き声とその時の姿はYou Tube のtechan38氏のこちらがよい。

 ……さて、ところが、これで問題は終わらないのである。……何故かと言うと、小泉八雲はここと次の段落で「ハタオリ」の鳴き声の、次の段落で「キリギリス」の鳴き声のオノマトペイアを示して、

ハタオリJi-ï-ï-ï—chon-chon!—ji-ï-ï-ï—chon-chon!”“ji-ï-ï-ï, chon-chon! ji-ï-ï-ï, chon-chon!

キリギリスTsuzuré—sasé, sasé!—tsuzuré, tsuzuré—sasé, sasé, sasé!

と示しているからである。この「ハタオリ」の鳴き声は問題なくキリギリスのものだが、小泉八雲が「キリギリス」の鳴き声として出しているものはキリギリスのそれではないからである。先に言ってしまうと、まさにズバり、和名にこの名を持つコオロギさえいる。

剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科コオロギ亜科ツヅレサセコオロギ属ツヅレサセコオロギ Velarifictorus micado

である。しかし、だからと言って、平井呈一氏の恒文社版「虫の音楽家」のこの「ハタオリムシ」の項の最後に附された訳者注のように、『文中、キリギリスといっているのは、明らかにすなわち、今日でいう「コオロギ」のことである』として、例の「コオロギ」と「キリギリス」の逆転現象を掲げられ、『古歌や古俳諧に詠まれている「キリギリス」は、みな「コオロギ」のことである。こんにちでは[やぶちゃん注:ひらがなはママ。]キリギリスといえば、螽斯、もしくは機織のことをさすのである。念のためにお断りしておく』と注することで話がつくのかというと、私はどうもこれでは乱暴に過ぎるのではないか? という疑問を覚えるのである。何故かと言うと、確かに「二」の注で既に述べた通り、日本では古く(平安時代)は現在の種(群)としての「コオロギ」のことを「きりぎりす」と呼び、現在の種としてのキリギリスのことを「機織(はたを)り」と呼んでいた。ところが、鎌倉時代から室町時代にかけてであったと推定されるのであるが、現在と同じくこの「きりぎりす」を「こほろぎ」、「こほろぎ」を「きりぎりす」と呼ぶように逆転変化したらしい(この推移についてはサイト「コオロギは昔キリギリスだった? 虫の呼び名の謎」がよい。前で述べた私が支持する「鈴虫」と「松虫」等の他の古典のややこしい逆転批判も記されてある)のではある。

 まず、細かいところから片づけよう。平井氏の注の内の「古俳諧」というのはどうだろうか? 室町・戦国以降でなくては俳諧連歌は誕生しない。しかもその時は既に現在と同じ呼称になったのと一致する。しかも通常、「古俳諧」と言ったら、芭蕉以前の江戸初期の貞門・談林の俳諧を指すのが文学上の常識である。されば、狭義は勿論、広義の意味でも古俳諧のそれ(「こおろぎ」と「きりぎりす」の逆転理解)を必ず逆転させて観賞しなくてはならないというのは私は甚だおかしいと感ずるのである。無論、俳諧は一種の和歌の本歌取り的要素が強い部分があるからして、古い呼称を尊重したものも当然の如く有意にあろう。しかし、だからと言って全部の「古俳諧」でそれを読み換えねばならないというのは私はやはり組みすることは出来ないのである。さらに、後に小泉八雲が別項として後に出す「キリギリス」では、その鳴き声を「『ツヅレ サセ、サセ』(襤褸綴せ綴せ!)といふ音に似て居る」とする後半部はまさにコオロギと捉えざるを得ないのであるが、冒頭で、彼は『人が大いに珍重する此蟲には種々な變種がある。晝間歌ふアブラキリギリスといふは弱い蟲で、容れ物に入れて置いて大事に飼養しなければならぬ』と「アブラキリギリス」を第一に挙げているのである。この「アブラキリギリス」とは前に注した通り、生育環境の違いにより出現する、緑色でない褐色をしたキリギリスの個体の呼称なのだ。しかも、小泉八雲は続けて『上總の九十九里からもつと廉い別種なキリギリスを東京へ持つて出る。が、これは不快な色をして居るし、一種特別な寄生蟲に犯され』ていると記す。この千葉から供給された「キリギリス」は其角の日記に出たそれだ。されば、既に正しく今の「キリギリス」である。さらに、この寄生虫とは間違いなくハリガネムシ(脱皮動物上門類線形動物門 Nematomorpha線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea)を指す。バッタ類には全体に広汎に高い確率で寄生するが、私が実際に非常によく見たのはカマキリとキリギリスへの寄生である(コオロギにも寄生する)。また、後に掲げる小泉八雲の「キリギリス」の挿絵であるが、和文キャプションは「蛬」で、これは「コオロギ」を指す漢語であるものの、その描かれたそれは非常にゴッつく、脚の棘状突起も描かれており、私はコオロギではなく、褐色個体のキリギリスの成体のように思えてならないのである。小泉八雲が「キリギリス」と「コオロギ」を混同していたことは確かであるが、その記載でも、これら別種のそれらをも混淆して記載していると考えた方が自然な内容となっていると私は読むものである。大方の御叱正を俟つ。何より、挿絵がないのが痛恨の極みである。

「筬(をさ)」織機(しょっき)の部品の一つ。経(たて)糸の位置を整え、打ち込んだ緯(よこ)糸を押して、さらに密に定位置に打つようにするもの。竹片又は鋼片を平行に並べ枠にセットしたものから成る。

「梭(ひ)」「杼」とも書く。織機の付属用具の一つ。緯(よこ)糸とする糸を巻いた管を、舟形の胴部の空所に収めたもので、端から糸を引き出しながら、経(たて)糸の間を左右に潜らせる。所謂「シャットル」(shuttle)のこと。]

 

 ハタオリとキリギリスとの素性に就いて、古昔日本の子供等によく話してきかせた、面白い民間物語がある。その話によると、ずつとずつとの古昔(むかし)に、手仕事でもつてその盲目の老父を扶養して居た非常に親孝行な娘が二人居た。姉娘は織りものをし、妹娘は縫物をするのであつた。その盲目な老父が到頭死ぬると、この善良な二人の娘は非常に歎き悲しんで、これも亦間も無く死んでしまつた。或る晴れた美しい朝、今まで見た事の無い動物がこの姉妹の墓の上で音樂をやつて居るのが見つかつた。姉の墓石の上には、娘の子が機を織る時にするやうな音を――ヂイイイ、チヨンチヨン! ヂイイイ、チヨンチヨンといふ音を――立てて、綠色な可愛い蟲が居た。これが最初のハタオリムシであつた。妹の墓石の上には『ツヅレ――サセ、サセ!――ツヅレ、ツヅレ――サセ、サセ、サセ!』(襤褸綴(さ)せ、襤褸綴せ――つづれ、つづれ――綴せ、綴せ、綴せ!)と叫びつづけて居る蟲が居た。これが最初のキリギリスであつた。そこで誰れもその善心な姉妹の魂がその姿になつたのだと知つた。今でも秋ごとに此の二つの蟲は世間の人妻や娘子に、上手に機を織れよと叫び、寒さの來ないうちに一家の冬衣を繕へよと警める[やぶちゃん注:「いましめる」。]のである。

[やぶちゃん注:この伝承を記した書物に行き当たらない。識者の御教授を乞う。]

 ハタオリに就いて自分が手に入れることの出來た歌は一寸面白い空想といつただけのものである。自分がその自由譯を此處へ提供する二つの歌は古代のものである。初のは貫之ので、二番目のは、古典の上で『顯仲卿女』として知られて居る女詩人のである。

[やぶちゃん注:「顯仲卿女」(あきなかきやうのむすめ 生没年未詳)は平安後期の歌人で、散位藤原重通の側室か。姉妹に待賢門院堀河・上西門院兵衛と、歌人が多い。大治(だいじ)三(一一二八)年、父源顕仲(康平元(一〇五八)年~保延四(一一三八)年:公卿で歌人)主催の歌合わせに「伯卿女」として出詠しているようで、「金葉和歌集」(源俊頼編纂に成る勅撰集。天治元(一一二四)年完成)等の勅撰集に四首が載る。但し、問題がある(後述)。]

 

 秋くれははたおるむしのあるなへに

    唐錦にもみゆる野邊かな  (「古今和歌六帖」)

[やぶちゃん注:作者の表示がないが、これは紀貫之の作。「貫之集」(天慶八(九四五)年頃成立)に載る。整序すると、

 秋來ればはたおる蟲の有るなべに

    唐錦(からにしき)にも見ゆる野邊(のべ)かな

である。]

 

 さゝかにの絲引かくる叢に

    はたおる蟲の聲そきこゆる (「金葉和歌集」)

[やぶちゃん注:「金葉和歌集」の「巻第三 秋部」に以下の形で出る(二二五番)。

    はたをりといふ蟲をよめる

 さゝがにの糸引きかくる草むらに

    はたをる蟲の聲聞(きこ)ゆなり

「はたをり」「はたをる」はママ。「さゝがに」は蜘蛛。但し、流布本では確かに「顕仲卿女」とするが、岩波の「新日本古典文学大系」(正宗文庫伝二条為明筆本底本)では、「顕仲卿母」とする。顕仲卿母は顕仲の母で肥後守藤原定成の娘である。

 以上の二首は孰れも中古の歌集であるが、ここはしかし孰れも「はた織る蟲」であるから、これは何ら問題なく、ハタオリ=キリギリスで問題ない。]

 

 

        う ま お ひ

 ウマオヒは時々、それに能く似て居るハタオリと混同されて居る。が、本當のウマオヒ(出雲ではジユンタといふ)はハタオリよりも短くて太つて居るし、足に鈎形の突起があるが、機織にはそれが無い。その上に、此の二つの蟲が出す音に幾分の差異がある。馬追の音樂はヂイイイ チヨン、チヨンではなくて、ヅイイソツヨ――ヅイイインツヨ! だと日本人は言ふ[やぶちゃん注:「!」の後の字空けは私が特異的に挿入した。]。

Umaoi

[やぶちゃん注:原文キャプションは、

UMAOI (natural size).

馬追(実物大)。

で、画像の添え辞は、

馬追

であるが、「追」の崩しが異常である。ウマオイは本土には二種おり、

キリギリス科ウマオイ属ハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus

と、

ハタケノウマオイ Hexacentrus unicolor

である。ウィキの「ウマオイ」によれば、『鳴き声が、馬子が馬を追う声のように聞こえることから名づけられた』。二種の『外見上の違いはほとんどないが、鳴き声が異な』り、

ハヤシノウマオイは「スィーーーッ・チョン」と長くのばして鳴き、

ハタケノウマオイは「シッチョン・シッチョン……」と短く鳴く。

『前者は下草の多い林に棲むが、林といっても』、『屋敷の庭程度の量の樹木さえあれば』、『生息条件を満足する。後者は名の通り』、『畑の片隅や小河川沿いの草原によく見られる』。『生態は両者ともさほど変わら』ず、緑色の『華奢な姿に似合わず』、『肉食性が大変強く、他の小昆虫を捕らえて食べる。複数の個体を同じ容器に入れると』、『共食いが頻発する』。『キリギリスやヤブキリ』(キリギリス亜科ヤブキリ族ヤブキリ属ヤブキリ Tettigonia orientalis:和名は「藪螽蟖(やぶきりぎりす)」の略)、『各種コオロギと異なり、人工飼料にあまり餌付かない。与えても』、『少し口を付ける程度である。一方、生きた昆虫や死んで間もない新鮮な死骸を与えると喜んで食べる』とある。鳴き声とその姿の動画は、ハヤシノウマオイは「虫オタク見習い」氏のこちら、ハタケノウマオイはwins 1967氏のこちらがいいか。……ただ……私が幼少の頃、「スイッチョン」と呼んでいたのは、このハヤシノウマオイの鳴き声では「ない」ように思う。何を誤認していたのだろう?……

 

        キ リ ギ リ ス

 人が大いに珍重する此蟲には種々な變種がある。晝間歌ふアブラキリギリスといふは弱い蟲で、容れ物に入れて置いて大事に飼養しなければならぬ。夜間歌ふタチキリギリスの方が市場で普通賣つて居るものである。捕獲して來て東京で賣るキリギリスは多くは板橋、仁井曾及び戶田川附近のもので、そして高價を呼ぶ其邊からのが一番好いのだと考へられて居る。丈夫な大きな息で、甚だ明亮な音色を出して歌ふ。上總の九十九里からもつと廉い別種なキリギリスを東京へ持つて出る。が、これは不快な色をして居るし、一種特別な寄生蟲に犯されるし、そして聲の弱い樂師である。

 他のところで述べたやうに、キリギリスが立てる音は日本語の『ツヅレ サセ、サセ』(襤褸綴せ綴せ!)といふ音に似て居ると言はれて居る。そして此蟲に就いて書かれて居る多くの詩歌の大部分は、その面白味は、上記の語への巧妙な然し反譯[やぶちゃん注:「ほんやく」の意。]不可能な暗示に賴つて居る。だから自分はキリギリスの歌のただ二つだけの反譯を提供する。初のは『古今集』の中の一失名詩人[やぶちゃん注:「詠み人知らず」のこと。]ので、二番目のは忠房のである。

[やぶちゃん注:「忠房」藤原忠房 (?~延長六(九二九)年)平安前・中期の官吏で雅楽家。右京大夫藤原興嗣(おきつぐ)の子。従四位上・右京大夫。雅楽で知られる「胡蝶」を作曲し、また、神楽・催馬楽(さいばら)の増補選定に携わった。中古三十六歌仙の一人。]

 

 秋はきのいろつきぬれはきりきりす

    わかねぬことやよるはかなしき

[やぶちゃん注:初句の「の」は「も」の大谷の誤り(原本は英語自由訳のみである)。「古今和歌集」の「巻第四 秋歌上」の「詠み人知らず」の一首で(一九八番)、

    題しらず

 秋萩も色づきぬればきりぎりす

    わが寢ぬごとや夜はかなしき

が正しい。下句は――私が恋思いのために寝られぬのと同じように、きりぎりすよ、お前も秋の夜が哀しいのか?――の謂い。]

 

 きりきりすいたくな鳴きそ秋の夜の

    なかき思ひは我そまされる

[やぶちゃん注:「古今和歌集」の「巻第四 秋歌上」の藤原忠房の一首(一九六番)、

    人のもとにまかれりける夜、
    きりぎりすの鳴きけるを
    聞きてよめる

 きりぎりす いたくな鳴きそ秋の夜の

   長き思ひは我ぞまされる

である。前の歌と並べられると、「長き思ひ」も同じ恋のそれのように見えてしまうが、諸説あって必ずしもそれではない可能性もある。]

 

Kirigirisu

[やぶちゃん注:原文キャプションは、

Kirigirisu (natural size).

キリギリス(実物大)

で、画像の添え辞は、

である。「蛬」はコオロギの漢名であるが、しかしこの絵のそれは既に述べた通り、私は「コオロギ」ではなく、色は判らぬものの、褐色個体のキリギリスだと考えている。「キリギリス」の種と学名は「ハタオリ」で既注。そこでもかなりしつこく注したが小泉八雲は「キリギリス」と「コオロギ」を混同していることは間違いない。しかも小泉八雲は実は後に「コホロギ」の独立項をも作っているのである。さればこそ、私はこれをキリギリスと採らないとなおさらにおかしなことになると思うのである(後の「こほろぎ」に添えられてある挿絵は正しくコオロギなのである)。従って、コオロギの注はそちらに回す。なお、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 莎雞(きりぎりす)」も参照されたい。

「アブラキリギリス」既出既注。生育環境の違いにより出現する、緑色でない褐色をしたキリギリスの個体の呼称

「タチキリギリス」不詳。この異名は現在は生き残っていないようである。前の「アブラキリギリス」の対表現から見ると、キリギリスの緑色の成体或いは若年個体を指すか。

「仁井曾」原文“Niso”ではあるが、前で「板橋」を挙げていることから、これはその南西の荒川を挟んだ直近の新曽(にいぞ)、現在の埼玉県戸田市大字新曽(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。

「戶田川」埼玉県深谷市戸田川があるが、ちょっと離れており、寧ろ、荒川の旧戸田の渡しがあった附近の荒川の別名と採ると、地理的には前の二箇所と非常に近い。後者のような気がする。

「一種特別な寄生蟲」既注。脱皮動物上門類線形動物門線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea のハリガネムシ。詳しくはウィキの「ハリガネムシ」を参照されたい。]

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