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2019/11/13

小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「マツムシ」・「すずむし」

 

[やぶちゃん注:本篇については『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「一」・「二」』を参照されたい。]

 

       

 東京の値段表に記載した蟲が總て皆同一樣の興味を有つて居るのでは無い。そして、或る一種の單なる變種を指したもののやうに思へるもが幾つもある――尤も此點に於て自分は斷定的には言へないが。この蟲どものうちに未だ科學的に分類をされて居ると思へないのがある。ところで自分は昆蟲學者では無いのである。が、自分は此の小音樂者共のうち、より重要なものに就いて一般的な註釋と、彼等に關した無數の歌のうち二三の自由譯とは提供が出來る。――先づ、一千年前に日本の詩に讃へられて居るマツムシから始める。

[やぶちゃん注:以下、虫名標題は底本では総てポイント落ちである。]

 

        マ ツ ム シ

 表意文字で書くと、此程の名は『松蟲』である。が、發音の上から見ると――『まつ』(待つ)といふ動詞と『まつ』(松)といふ名詞と同じ音であるから――『待つ蟲』といふ意味にもなる。マツムシを詠んだ日本の詩の大多數の基礎を爲して居るのは、主として此語の發音の上の此の二重の意味である。頗る古いものもある、――少くとも第十世紀へは溯れる。

 決して稀な蟲では無いのであるけれども、松蟲は(擬音辭的にチンチロリン、チンチロリンと日本語で現はしてある)その音色――遠くで電鈴の音を聞くに似て居ると述べるが一番宜いと自分は思ふ銀のやうな小さな銳い聲――が殊に淸らで美はしいので大いに尊重されて居る。松蟲は松林や杉の森に棲んで居て、夜間その音樂を奏する。濃い鳶色の背をして、黃ばんだ腹をした、甚だ小さな蟲である。

[やぶちゃん注:これは、正真正銘の、

直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科 Xenogryllus 属マツムシ Xenogryllus marmoratus

である。

 多くの辞書や文学系学術書の解説で、古典作品では「松虫」は「鈴虫」(コオロギ科 Homoeogryllus 属スズムシ Homoeogryllus japonicus )を、「鈴虫」は「松虫」を指した、と逆転説を――まことしやかに――述べてあるのであるが、この鬼の首を取ったように喧伝されるは、江戸後期の類書(百科事典)で、幕命によって国学者で幕府右筆であった屋代弘賢(やしろひろかた)が編集した「古今要覽稿」(ここんようらんこう:全五百六十巻。文政四(一八二一)年から天保一三(一八四二)年まで二十一年の歳月をかけて完成させたもので、自然・社会・人文の諸事項を分類し、その起源・歴史などを古今の文献をあげて考証解説したもの)が濫觴とされる。

しかし、★私はこれを採らない。

但し、ここでそれを問題にすると、異様に長くなるので省略するが、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 松蟲」の私の注、及び、そこでリンク・引用させて戴いた個人サイト「タコツボ通信」の中の「文学にでてくる昆虫 古典編」の『「松虫」と「鈴虫」の呼称について』を是非お読み戴きたい。

★但し、少なくとも、「源氏物語」に於ける両者は、確かに、逆転しており、『平安時代には、チンチロリンが鈴虫、リーンリーンが松虫』『であった』とされ、中世後期の『十五世紀中頃以降、チンチロリンが松虫、リーンリーンが鈴虫という』現在と同じ『呼称が定着した』と結論される、中古文学の研究者武山隆昭氏の緻密な論考「『源氏物語』の「すゞむし」考――鈴虫・松虫転換説再評価――」(『椙山国文学』(すぎやまこくぶんがく)第二十五号(二〇〇一年発行)所収。PDFでダウン・ロード可能)もあるので御紹介しておく。鳴き声とその時の姿はYou Tube の sphere10nsa 氏のこちらがよい。]



Zillt060h

[やぶちゃん注:英文キャプションは、

MATSUMUSHI ( slightly enlarged ).

で、

松虫(実物よりも僅かに拡大されたもの)。

画像の添え辞は、

松虫

である。]

 

 松蟲を詠んだ一番古い歌で現存して居るのは多分『古今集』に――九百〇五年に宮廷詩人の貫之とその友人の貴族共が編輯した有名な歌集に――載つて居るものであらう。此蟲の名前の發音の上の前述の戲れを我々は此歌集に初めて認める。これは九百年以上の文學に通じて非常に澤山な詩人が幾千通りにも異つた樣式に繰り返して居るものである。

[やぶちゃん注:以下、引用される和歌は底本では総て四字下げポイント落ちであるが、引き上げて同ポイントで示した。添え辞等との字空けも再現していない。また、歌の後の丸括弧による出典明記は原本にはなく、一部の原文表記も大谷氏のサーヴィスである。]

 

 あきの野に道もまとひぬまつ蟲の

     聲するかたに宿やからまし (讀人不知)

[やぶちゃん注:「古今和歌集」(延喜五(九〇五)年奏上後、内容に手が加えられ、現行のそれの完成は延喜一二(九一二)年頃ともされる。撰者は紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の四人であるが、貫之が主体となったものと推定される)の「卷第四 秋歌上」に、

 秋の野に道もまどひぬ松蟲の

    聲する方に宿やからまし

と載る(二〇一番歌)。先の武山隆昭氏の結論に従うなら、ここの「松蟲」は――現在のスズムシ――となる。

 

 『秋の野で自分は路に迷つた。待つ蟲の聲の方角に宿と求めようか』で、言ひかへると『あの蟲が自分を待つて居る草の上で今宵は眠らうか』である。同じ『古今集』に松蟲を詠んだ貫之のもつと美しい歌がある。

 

 夕されは人まつ蟲のなくなへに

    ひとりある身そ置き處なき (『玉葉集』)

[やぶちゃん注:小泉八雲の「古今和歌集」所収というのは誤り。大谷の示す「玉葉和歌集」は鎌倉後期の勅撰和歌集。その「卷十二 戀四」に載る。整序すると、

 夕去れば人まつ蟲の鳴くなべに

    ひとりある身ぞ置き處なき

「なへに」(上代は清音)・「なべに」は接続助詞で「~同時に」。また、古い酷似した一首に、平安時代の天禄元(九七〇)年頃から永観二(九八四)年頃の間に成立したとされる私撰和歌集「古今和歌六帖」(撰者不詳であるが、紀貫之説・兼明(かねあきら)親王説・具平(ともひら)親王説・源順(したごう)説がある)の「第六 蟲」に、

 夕去れば人まつ蟲の鳴くなべに

    ひとりある身ぞ戀ひまさりける

がある。これはもう、確信犯の「本歌取り」である。先の武山隆昭氏の結論に従うなら、ここの「松蟲」は――現在のスズムシ――となる。

 

 同じ蟲をうたつた次の歌はそれほど古くは無いが、それに劣らず興味のあるものである。

 

 來んと言ひしほとや過きにし秋の野に

        人まつ蟲の聲のかなしき (讀人不知、『後選集』)

[やぶちゃん注:「後撰和歌集」(村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。天暦七(九五三)年頃には完成していたか)の「卷第五 秋上」に載るのは(二五六番)、

 來むと言ひし程(ほど)や過ぎぬる秋の野に

       誰(たれ)まつ蟲の聲のかなしき

の形である。先の武山隆昭氏の結論に従うなら、ここの「松蟲」は――現在のスズムシ――となる。  ]

 

 大方の秋のわかれも悲しきに

    淚をそへそ野邊の松蟲 (『源氏物語』賢木の卷)

[やぶちゃん注:「源氏物語」第十帖「賢木(さかき)」の、光が、伊勢下向を決意した六条御息所を、野の宮に訪ねたシークエンスの、暁の別れでの、光の歌に応えた相聞の御息所の一首である。

   *

 やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。

 曉の別れはいつも露けきを

    こは世に知らぬ秋の空かな

 出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。

 風、いと冷やかに吹きて、 松蟲の鳴きからしたる聲も、折知り顏なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、 まして、わりなき御心惑(みこころまど)ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。

 おほかたの秋の別れも悲しきに

    鳴く音(ね)な添へそ野邊の松蟲

 悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。 道のほど、いと露けし。

   *

先の武山隆昭氏の結論に従うなら、ここの「松蟲」は――現在のスズムシ――となる。

 

 風も無く更け行くまゝに松蟲の

     聲すむ庭の月そ身に沁む (作者不詳、『草野集』)

[やぶちゃん注:「草野集」(さうやしふ(そうやしゅう))は江戸後期の木村定良編の類題和歌集。整序すると、

 風も無く更け行くままに松蟲の

    聲澄む庭の月ぞ身に沁(し)む

である。先の武山隆昭氏の結論に従うなら、この「松蟲」は――既に正しくマツムシ――となる。

 

 

        す ず む し

 此名は『鈴蟲』といふ意味である。が、斯くその音を指示して居る鈴は、頗る小さな鈴か、又は神道の巫女が神聖な舞に使用するやうな小さな鈴の一束(ひとたば)になつて居るのである。鈴蟲は蟲類愛好者に非常に愛せられ居るもので、市[やぶちゃん注:「いち」。]へ出す爲めに極めて數多く飼育せられる。野生狀態では、日本の方々に居るもので、夜間、或る淋しい處で、その群集が立てる音は――自分も一度ならずさう思つたのだが――つい早瀨の音と思ひ誤る位である。日本人が此蟲の形を『西瓜の種』――黑い種類の――に似て居ると述べて居るのは巧い形容である。非常に小さな蟲で、背は黑く、腹は白いか黃味を帶びて居るかである。日本人がその音を形容して、リイイイインだというて居る音は、容易に鈴のチンチンいふ音と間違へられる。松虫も鈴虫も[やぶちゃん注:「虫」はママ。]延喜時代(九〇一――九二二年[やぶちゃん注:九二三年の誤り。])の日本の歌に記されて居る。

[やぶちゃん注:これは、正真正銘の、

直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ科 Homoeogryllus 属スズムシ Homoeogryllus japonicus

である。私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 金鐘蟲(すずむし)」を、と言いたいが、こちらは、前項の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 松蟲」の私の注で、言い尽くしたので、全く、ろくな注はしていない。鳴き声と、その時の姿はYou Tube のGRENDEL1997氏のこちらがよい。

「巫女」は我々は「みこ」と訓読みしてしまうが、ここは、西洋人への語りであり、原文は“Shinto priestess”で、“priest”(「聖職者」)の女性形(音写「プリースティス」)であるから、「ふぢよ」(ふじょ)と読むべきである。]

 

Zillt063h

[やぶちゃん注:原文キャプションは、

Suzumushi (slightly enlarged).

で、

鈴虫(実物よりも僅かに拡大されたもの)。

画像の添え辞は、

鈴虫

である。]

 

 次に記載する鈴蟲の歌のうちには頗る古いのがある。他は比較的近時のものである。

 

 こゝろもて草のやとりをいとへとも

    なほ鈴蟲の聲そ古りせぬ   (『源氏物語』鈴蟲の卷)

[やぶちゃん注:「源氏物語」三十八帖「鈴虫」(女三宮と柏木の不倫・出産・柏木の逝去・女三宮出家から二年後)の、光が女三宮を八月十五日の中秋の名月の暮れ方に訪ね、彼女の持物に経を唱えて秋の虫の話をするシークエンスの光の一首。

   *

 十五夜の夕暮に、佛の御前に宮おはして、端近う眺めたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たち、二、三人、花奉るとて鳴らす閼伽坏(あかつき)[やぶちゃん注:水を入れて仏に供えるのに用いる器。多くは銅製。]の音、水のけはひなど聞こゆる、さま變はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに[やぶちゃん注:ここまでの主語は女三宮。]、例の渡りたまひて、

「蟲の音(ね)、いとしげう亂るる夕べかな。」

とて、われも忍びてうち誦じたまふ阿彌陀の大呪、いと貴(たふと)く、ほのぼの聞こゆ。げに、聲々聞こえたる中(なか)に、鈴蟲のふり出でたるほど、はなやかにをかし。

「秋の蟲の聲、いづれとなき中に、松蟲なむすぐれたるとて、中宮の、はるけき野邊を分けて、いとわざと尋ね取りつつ放たせたまへる、しるく鳴き傳ふるこそ少なかなれ。名には違(たが)ひて、命のほどはかなき蟲にぞあるべき[やぶちゃん注:「松」は長寿を意味するにも拘らず、である。]。心にまかせて、人聞かぬ奧山、はるけき野の松原に、聲惜しまぬも、いと隔て心ある[やぶちゃん注:人に馴染まぬ意地の悪い心を持っている。暗に女三宮を揶揄する含みとなっている。]蟲になむありける。鈴蟲は、心やすく、今めいたるこそらうたけれ。」

などのたまへば、宮、

   おほかたの秋をば憂しと知りにしを

      ふり捨てがたき鈴蟲の聲

と忍びやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。[やぶちゃん注:上句は源氏に飽きられていることを含んだ謂い。次の光の台詞はそれに反駁したもの。]

「いかにとかや。いで、思ひの外なる御ことにこそ。」

とて、

   心もて草の宿りを厭へども

      なほ鈴蟲の聲ぞふりせぬ

 など聞こえたまひて、琴の御琴召して、珍しく彈きたまふ[やぶちゃん注:琴を弾くのは光。]。宮の御數珠(おほんずず)引き怠りたまひて、御琴に、なほ、心入れたまへり。[やぶちゃん注:「ふり」は「古る」の連用形の名詞化したもの。「御數珠引き怠り」「数珠を繰(く)るのをうっかり忘れて」の意。]

 月さし出でて、いとはなやかなるほどもあはれなるに、空をうち眺めて、世の中さまざまにつけて、はかなく移り變はるありさまも思(おぼ)し續けられて、例よりもあはれなる音(ね)に搔き鳴らしたまふ。

   *

先の武山隆昭氏の結論に従うなら、この「鈴蟲」は――現在のマツムシ――となる。

 

 たまさかに今日あひみれは鈴蟲は

    むつましなから聲そきこゆる  (?)

[やぶちゃん注:大谷は出典未詳とするが、これは「古今和歌六帖」の「第六 虫」の一首。整序すると、

 たまさかに今日逢ひみれば鈴蟲は

     睦まじながら聲ぞきこゆる

であろう。先の武山隆昭氏の結論に従うなら、この「鈴蟲」は――現在のマツムシ――となる。

 

 小鈴振るすゝむし聞けは秋ゆふへ

     野を思ふかな家に居なから  (?)

[やぶちゃん注:不詳。下句の表現からは近世・近代の感じはする。整序すると、

 小鈴振るすゞむし聞けば秋ゆふべ

     野を思ふかな家に居ながら

であろう。私の推理が正しいならば――これは既に――正しくスズムシ――である。

 

 月はなほくさ葉の露に影とめて

      ひとり亂るゝ鈴蟲の聲  (『新英集』)

[やぶちゃん注:明治一九(一八八六)年から翌年にかけて刊行された井上喜文編になる類題和歌集「類題新英集」。これは既に――正しくスズムシ――である。

 

 よその野になく夕くれの鈴蟲は

    我か故鄕のおとときこゆる  (?)

[やぶちゃん注:詩情からは近代のものであろう。整序すると、

 よその野になく夕ぐれの鈴蟲は

    我が故鄕(ふるさと)の音ときこゆる

である。私の推理が正しいならば――これは既に――正しくスズムシ――である。

 

 鈴蟲の聲の限りをつくしても

    なかき夜飽かすふる淚かな  (『源氏物語』桐壺の卷)

[やぶちゃん注:「源氏物語」第一帖「桐壺」の、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)が、桐壺帝の命を受けて亡き桐壺更衣の里に彼女の母を弔問、その帰りがてのシークエンスに出る命婦の歌。

   *

月は入り方の、空淸う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの蟲の聲ごゑ、もよほし顏なるも[やぶちゃん注:いかにも侘しくて涙を誘わせるようである。]、いと立ち離れにくき草のもとなり。

 鈴蟲の聲の限りを盡くしても

    長き夜あかずふる淚かな

えも乗りやらず。[やぶちゃん注:「牛車」に。]

 いとどしく蟲の音しげき淺茅生(あさぢふ)に

        露置き添ふる雲の上人

[やぶちゃん注:これは更衣の母の桐壺帝への返歌。「淺茅生」茅(ちがや)が生えている荒れ果てた場所。

「かごとも聞こえつべくなむ。」[やぶちゃん注:「かごと」「託言」。恨み言(ごと)。

と言はせたまふ[やぶちゃん注:母が「おつきの女房を通して命婦に言わせなさった」の意。]。をかしき御贈り物などあるべき折にもあらねば、ただ、かの御形見(おほんかたみ)にとて、かかる用もやと殘したまへりける御装束(おほんせうぞく)一領(ひとくだり)、御髮上(みぐしあ)げの調度(でうど)めく物、添へたまふ。

   *

先の武山隆昭氏の結論に従うなら、この「鈴蟲」は――現在のマツムシ――となる。

 

 ふり出てゝなく鈴蟲は白露の

    玉に聲ある心地こそすれ   (『新竹集』)

[やぶちゃん注:明治四(一八七一)年の序がある猿渡樅園(さわたりひろもり)編の類題和歌集「類題新竹集」。これは既に正しく――スズムシ――ととってよかろう。 ]

 

 村雨の降るにつけても戀しきは

    いかゝなるらん鈴蟲のはて  (『輪池叢書』蟲の歌合)

[やぶちゃん注:「輪池叢書」国学者で幕府右筆であった屋代弘賢(やしろひろかた)が編纂した江戸中・後期の複数の著作を集めた一大叢書。輪池は弘賢の号。これは困った。何故なら、鈴虫・松虫逆転説の張本人の編になるものだからである。どちらとも言えぬが、何となく歌風は中世以前を模したとは私には思われない。であれば――正しくスズムシ――であろう。逆転説を説いた人物が「虫」の歌合せの一例として引くなら――正しいスズムシでなくては、却ってマズいことになる――とも考えるからである。

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