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2019/11/23

小泉八雲 團子を失くしたお婆さん (稻垣巖譯)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題は“ The old woman who lost her dumpling 。「dumpling」(ダンプリング)はウィキの「ダンプリング」によれば、『小麦粉をねってゆでただんご、果物入り焼き団子のこと』、乃至『は卵・牛乳で練り、団子状にしてゆでたものでシチューやスープに浮かす』『もの。あるいはゆでたじゃがいも、小麦粉、米、または両方に塩と水を加えて練り上げ、丸型に整えてから茹でたり、蒸したりしたもの。また、小麦粉などの生地で肉、野菜、果物などを包んだ料理もダンプリングと呼ばれる』。従がって『日本のすいとんや蕎麦がき、中国の餃子・粽子、イタリアのニョッキなども英語ではダンプリングに分類される。世界各地で多様なダンプリング料理が作られている』。『小麦粉のダンプリングを薄く伸ばして細く切れば』、それは『麺となるため、麺料理とも関連がある。dump は』、『動詞「ぐちゃぐちゃに(混ぜる・捨てる)」「どさっと(投げる・捨てる)」、dump-y は』、『形容詞「ずんぐりした」』で、『 dump-ing は(動)名詞「投げ捨てること、ダンピング」』であるとある)は、日本で長谷川武次郞によって刊行された『ちりめん本』の欧文和装の日本の御伽話の叢書“ Japanese fairy tale series ”の中の一篇である。同シリーズの第一期(英語で言うなら“First (Original) Series”)の№24(明治三五(一九〇二)年六月一日刊)で(但し、同シリーズは第一期を完結せずに続けつつ、別に第二期を開始しているために、第二期の一部よりも後の刊行になる作品が出てきており、本編も、その一つである)、編集・発行者は長谷川武次郞。小泉八雲は当該シリーズに五作品を寄せている。以下、同シリーズや長谷川武次郞氏及び訳者稻垣巖氏については『小泉八雲 化け蜘蛛 (稻垣巖譯)/「日本お伽噺」所収の小泉八雲英訳作品 始動』の私の冒頭注を参照されたい。

 本篇は、サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらが画像と活字化した本文を併置していて、接続も容易で、使い勝手もよい。“Internet Archive”のこちらでも、全篇を視認出来る。また、アメリカのアラモゴードの蒐集家George C. Baxley氏のサイト内のこちら(長谷川武次郎の「ちりめん本」の強力な書誌を附した現物リスト)の、The Old Woman Who Lost Her Dumpling Japanese Fairy Tale No. 24 ca 1902も必見である。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年三月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第六巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年5月2日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一二(一九三六)年三月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第六巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十二年三月一五日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作品集の標題はここ。本作はここから。 但し、同底本の「あとがき」の田部隆次のそれには、『『日本お伽噺』一九〇二年東京、長谷川の出版にかかる繪入りの日本お伽噺叢書の第二十二册から第二十五册までになつて居る物である』とあって、初版のクレジットと異なるのが、不審である。

 なお、一読、本篇は所謂、「おむすびころりん」(「鼠の餅つき」「鼠浄土」「団子浄土」などとも標題される)で知られる話譚の類型の一ヴァージョンであることが判る。その濫觴は、やはり、室町時代の「御伽草子」に溯ると考えられる。詳しくは、本篇読後に(別に知られたものであるし、小泉八雲のそれはかなり展開が異なるので、今、読まれても問題ない)ウィキの「おむすびころりん」を読まれたい。]

 

  團子を失くしたお婆さん

 

 昔々或る所に一人の面白いお婆さんがありました、笑ふのと米の粉(こ)團子を拵へるのが好きだつたのです。

 或る日、お婆さんはお晝ごはんにしようとお團子を拵へ[やぶちゃん注:「こしらへ」。]に掛つてゐましたが、一つ取り落して仕舞ひました、其の團子は小さい臺所の土間にあつた穴の中に轉がり込んで見えなくなつたのです。お婆さんは穴に手を突つ込んで拾はうとしました、すると忽ち土が崩れて、お婆さんは落ち込んで仕舞ひました。

 隨分深い所まで落ちたのですが、ちつとも怪我はしませんでした。再び起き上つた時、お婆さんは自分が道路(みち)に立つてゐるのに氣が付きました、自分の家の前のと同じやうな路なのです。其處は大層明るくて、お婆さんの眼には稻田が一面に見えました、でも何(ど)の田にも人つ子一人居ないのです。こんな事になつたのは全體どうした譯か、私には解りません[やぶちゃん注:この「私」は筆者小泉八雲を指す。]、然しどうもお婆さんは他所(よそ)の國に落ち込んで仕舞つたらしいのです。

 お婆さんの落ちた路は大分急な坂でした。それで、團子を探しても見付からなかつたものですから、お婆さんはきつと團子が坂の下の方へ轉がつて行つたに違ひないと思ひました。

 お婆さんは、

 ――『團子や團子。私の團子は何處[やぶちゃん注:「どこ」。]行つた』

と言ひながら、路を駈け下りて[やぶちゃん注:「かけおりて」。]探しに行きました。

 間もなくお婆さんは石地藏が一つ路端に立つてゐるのを見て、聲を掛けました――

 ――『これはこれはお地藏樣、私の團子をお見掛けになりましたか』

 地藏は答へました――

 ――うむ、團子が私の側(そば)を通つて下の方へ轉がつて行くのを見たよ。だがお前はもう先へ行かない方がい〻、其處を下りた所には、人を食べる惡い鬼が住んでゐるのだから』

 然し[やぶちゃん注:「しかし」。]お婆さんは唯笑つたばかり、――『團子や團子。私の團子は何處行つた』と言ひながら先へ馳け下りて行きました。やがてお婆さんは別の地藏が立つてゐる所にやつて來て、尋ねました――

 ――『これはこれはお優しいお地藏樣。私の團子をお見掛けになりましたか』

 すると地藏さんは言ひました――

 『うむ、團子がほんの今さつき轉がつて行くのを見たよ。だがお前はもう先へ行つてはいけない、其處を下りた所には、人を食べる惡い鬼が住んでゐるのだから』

 然しお婆さんは唯笑つたばかり、相變らず――『團子や團子。私の團子は何處行つた』と言ひながら駈け下りて行きました。やがてお婆さんは三つ目の地藏の所に來て尋ねました――

 『これはこれはおなつかしいお地藏樣。私の團子をお見掛けになりましたか』

 所が地藏は言ひました――

 『團子の事など言つてゐる場合ではない。今鬼が來る所だ。さあ此處へ來て私の袖の蔭に蹲(しやが)んでおいで、少しも音を立て〻はいけないよ』

 間もなく鬼が直ぐ近く迄やつて來ましたが、立ち止つて地藏にお辭儀をして、かう言ひました――

 『今日は、地藏さん』

 地藏も『今日は』を大層丁寧に言ひました。

 さうすると鬼は俄に空氣を二三遍不思議さうな樣子をして嗅ぎましたが、大きな聲で言ひました――

 ――『地藏さん、地藏さん。何處かに人間の臭ひがしますね』

 ――『いや』と地藏は言ひました――『それは多分お前の思ひ違ひだよ』

 ――『いえ、いえ』と鬼は又も空氣を嗅いでから言ひました、『人間の臭ひがしますよ』

 其の時お婆さんはもう堪へ切れなくなつて――

 『テ、ヘ、ヘ』とと笑ひました――さうすると鬼は直ぐに大きな毛むくじやらの手を地藏の袖の後ろに伸ばして、尙も『て へ、へ』と笑ひ續けてゐるお婆さんを、引つ張り出しました。

 ――『あー、はー』と鬼は大聲を出しました。

 其の時地藏はかう言ひました――

 ――『お前は其のよいお婆さんをどうしようとするのだ。いぢめてはならんぞ』

 ――『いぢめやしません』と鬼は言ひました。『唯家へ連れて行つて私等のおさんどんをして貰はうと思ふのです』

 ――『テ、へ、へ』とお婆さんは笑ひました。

 ――『それならよろしい』と地藏は言ひました――『だが本當にお婆さんに優しくしなくてはならんぞ。もししなかつたら、私はひどく腹を立てるよ』

 ――『決していぢめは致しません』と鬼は約束しました、『お婆さんは每日ちよつと許り私等の爲めに働いてくれさへすればよいのです。さよなら、地藏さん』

 それから鬼はお婆さんを連れてはるばる路を下つて行きましたが、やがて二人は廣い深い川の所まで來ました、其處には一艘の小舟があつたのです。鬼はお婆さんを其の小舟に乘せて、川を漕ぎ渡つて自分の家に連れて行きました。大層大きな家でした。鬼は直ぐお婆さんを臺所に案內して、自分や自分と一緖に住んでゐる他の鬼共に食べさせる御飯の拵へ方を敎へたのです。それから小さな木で出來た杓文子(しやもじ)を渡してかう言ひました――

 『お前はいつでもお米を一粒だけ鍋に入れるんだよ、其の一粒の米を水に浸(つ)けて此の杓文子で搔き𢌞せば、粒はどんどん殖えて終ひには鍋一杯になるからね』

 そこでお婆さんは鬼の言つた通りに、たつた一つの米粒を鍋に入れて、其の杓文子で搔き𢌞し始めましたが、搔き𢌞すにつれて、一粒は二つになり――それから四つ――それから八つ――それから十六、三十二、六十四といつた調子でどんどん出來上つて行きました。いつでもお婆さんが杓文子を動かす度每に米の分量は殖えるのです、それで僅かの間に大きな鍋は一杯になりました。

 それからといふもの、其の面白いお婆さんは長い間鬼の家に留つて[やぶちゃん注:「とどまつて」。]、每日鬼や其の仲間達みんなに御飯拵へをしてやりました。鬼は決してお婆さんをひどい目に會はしりおどかしたりしませんし、お婆さんの仕事は例の摩訶不思議な杓文子のお蔭で大層樂に捗取りました[やぶちゃん注:「はかどりました」。]――尤もお婆さんはそれはそれは隨分澤山のお米を炊かなければなりませんでした、何しろ鬼の食べる事といつたらどんな人間の食べるのよりずつと澤山なのですから。

 けれどもお婆さんは淋しかつたのです、そしていつも自分の小さい家に歸りたくて、團子が拵へたくてたまりませんでした。それで或る日、鬼共が殘らず何處かへ出掛けた時、お婆さんは逃げて見ようと考へました。

 お婆さんは先づあの魔法の杓文子を取つて、それを帶の下に挾みました、それから川まで下りて行きました。誰も見てゐません、小舟も其處にりました。お婆さんはそれに乘つてせつせと漕ぎ出しましたが、漕ぐのは中々上手でしたから、直きに岸から遠く離れて行つたのです。

 けれども川は大變廣くて、未だ四分の一も漕ぎ渡らない頃、鬼は、みんな揃つて、家に歸つて來ました。さあおさんどんがゐなくなつた、魔法の杓文子も無くなつたといふ始末です。みんなは直ぐ川まで駈け下りました、見るとお婆さんが大急ぎで向うへ漕いで行くところです。

[やぶちゃん注:「おさんどん」台所仕事、或いは、台所仕事をする下女を指す。語源には諸説あって定めにくいが、江戸時代、町家の台所仕事をする下女に「お三」とよばれる者が多く、名前の下に添える丁寧語「どん」をつけて、「お三どん」と呼び習わされていたことから、転じて、台所仕事をいうとするのが通説である。また「お三」については、大奥の居間「御三の間」の略とも、竃(かまど)を言う「御爨」(おさん)の洒落とも、下司(げす)の老女の意、「長女」(をさめ)の転訛ともされる(以上は「日本大百科全書」に拠った)。]

 多分鬼共は泳げなかつたのでせう。何しろ舟はありません。だからあの面白いお婆さんが向う岸に着かない內に捕まへるには川の水をすつかり呑み乾すより外に方法はないだらうと考へたのです。そこで鬼共は膝を突いて、大急ぎで呑み始めたのでお婆さんが未だ半分も渡り越さない內に、水嵩はずつと減つて仕舞ひました。

 然しお婆さんはどんどん漕ぎ續けてゐたのです、其の內水が大變に淺くなつたので鬼は呑むのをやめて、踏込んで[やぶちゃん注:「ふみこんで」或いは「ふんごんで」。私は後者で読みたい人種である。]渡り始めました。するとお婆さんは橈[やぶちゃん注:「かひ」。]を下ろし、帶から魔法の杓文子を取つて、鬼共に向つて打ち振りながら、それはそれはをかしな顏付をしたので鬼共はみんな吹き出しました。

 所が鬼共は、笑つた拍子に、こらへ切れなくて呑み込んだ水をすつかり吐き出して仕舞つたのです、そこで川はもとの通り充滿(いつぱい)になりました。鬼共はもう渡れません、それでお婆さんは無事に向う岸に着き、それから出來るだけ路を急いで逃げて行きました。お婆さんは息もつかずに走り續けてたうとう又自分の家に戾つて來ました。

 それから後、お婆さんは大層仕合せになりました、自分の思ふま〻にいつでも、團子が拵へられたからです。おまけに、お米の出來る魔法の杓文子を持つてゐたのです。お婆さんは近所の人達や通り掛りの人達にお團子を賣つて、ほんの僅かの間にお金持になりました。

 

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