小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「コホロギ」・「クツワムシ」・「カンタン」 / 「五」~了
[やぶちゃん注:本篇については『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「一」・「二」』を参照されたい。なお、以下の「コオロギ」の多様な表記はママである。]
[やぶちゃん注:エンマコオロギは何故か二葉の挿絵がある。一枚目の原文キャプションは(原本はここ。右ページ)、
EMMA-KŌROGI (natural size).
で、
エンマコオロギ(実物大)。
であり、絵の添え書きは、
エンマコヲロゲ
となっている。]
コ ホ ロ ギ
この夜の蟋蟀には多數の變種がある。コホロギといふ名は、その音樂のキリキリキリキリ!――コロコロコロコロ――ギイイイイイイ! から來て居る。その一變種エビコホロギ卽ち『蝦コホロギ』は何の音も立てぬ。だがウマコホロギ卽ち『馬蛼』や、オニコホロギ卽ち『鬼蛼』や、エンマコホロギ卽ち『閻魔蛼』はいづれも立派な樂師である。色は黑味
【注】エンマは梵語ではヤマ。その名が此の虫[やぶちゃん注:ママ。]に附けてあるのは眼が大きくてぎろぎろして居るからであらう。閻魔大王の像はいつもその眼を大きくまた怖ろしげにしてある。
がかつた鳶色か黑で――一番上手に歌ふ變種のは翅に妙な波模樣が附いて居る。
コホロギに關して興味ある事實は、多分八世紀の央ごろ[やぶちゃん注:「なかごろ」。]に編纂された『萬葉集』に――世に知れて居る日本の一番古い歌集に、此蟲が記載されて居る事である。一失名詩人の作として此蟲の名が記されて居る。次記の歌は、だから一千百年よりも餘程前のものである。
庭草爾村雨落而(ふりて)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]蟋蟀之鳴音聞者秋付爾家里
[やぶちゃん注:エンマコオロギの二枚目(原本はここ。左ページ)。
EMMA-KŌROGI
エンマコオロギ(実物大)。
絵の添え書きは、やはり、
エンマコヲロゲ
となっている。
コオロギ類は直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科 Grylloidea に属し、コオロギ科 Gryllidae・ケラ科 Gryllotalpidae・アリヅカコオロギ科 Myrmecophilidae(アリと共生する種群で本邦には十種以上棲息する)に別れる。世界で約二千種、日本には約六十種が知られている。但し、ウィキの「コオロギ」によれば、一般的な日本人の認識している「コオロギ」は、日本ではコオロギ科コオロギ亜科 Gryllinae に分類される、
コオロギ亜科フタホシコオロギ族エンマコオロギ属エンマコオロギ Teleogryllus emma(日本本土に棲息するコオロギでは最大種で、成虫の体長は約二・六~三・二センチメートル。背面は一様に黒褐色で腹面は淡褐色だが、体側や前翅は赤みを帯びる。体つきは太短く、頭部から腹部までほぼ同じ幅で、短く頑丈な脚がついている。頭部は大きく、光沢のある半球形を成し、口器がわずかに下向きに突き出る。若干ではあるが、♂の方がやや顎が長く、♀は丸顔である。『触角は細く、体よりも長い。複眼の周りに黒い模様があり、その上には眉のように淡褐色の帯が入る。この模様が閻魔の憤怒面を思わせることからこの和名がある。また、日本の昆虫学者である大町文衛と松浦一郎によって、学名の種小名にも emma が充てられている』とウィキの「エンマコオロギ」あった。「海野和男のデジタル昆虫記」のこちらの♀の顔面写真が判り易い。鳴き声とその時の姿はYou Tube のNyanta8355氏のこれがよい)
コオロギ亜科オカメコオロギ属ミツカドコオロギ Loxoblemmus doenitzi(ウィキの「ミツカドコオロギ」によれば、体長は一・五~二センチメートルで、『他の多くのオカメコオロギ属と同様、オス成虫の頭部顔面は扁平で、かつ前傾し、さらにその輪廓の左右、上方、口器の四方が突出し十文字を形成している。また背面からみると、左右前方の三方に角(かど)が出ているように』見え、『本種の標準和名』(三角蟋蟀)『はこれに由来する』とある。グーグル画像検索「ミツカドコオロギ」をリンクさせておく。鳴き声とその時の姿はYou Tube のMIZUSIMANADA氏のこちらがよい)
コオロギ亜科オカメコオロギ属ハラオカメコオロギ(原阿亀蟋蟀)Loxoblemmus campestris(ウィキの「ハラオカメコオロギ」によれば、『単にオカメコオロギと言えば本種を指す。体長は一・三~一・八センチメートルで、♂『成虫の頭部顔面が扁平で、かつ』、『前傾しているのが最大の特徴で』あり、『標準和名にある「オカメ」は、この扁平な頭部の輪廓下半分が下膨れ気味で、「おかめ」を連想させることに由来する』とある。個人サイト「ご近所の小さな生き物たちフォト」のこちらの写真がよいか。鳴き声はYou Tube のaiaicamera氏のこちらがよいか)
コオロギ亜科ツヅレサセコオロギ属ツヅレサセコオロギ Velarifictorus micado(ウィキの「ツヅレサセコオロギ」によれば、『単にコオロギという別名を持つ』という。『日本では北海道から九州、対馬、甑島列島(下甑島)、種子島に分布する』。『海外では中国にも分布しているほか、北アメリカにも帰化している』。体長は一・三~二・二センチメートルで、『農耕地、庭、草地に生息し、成虫は』八~十一月に『かけて出現する。雑食。家屋内に入ってくることも多い。「ギィギィギィ」または「リィリィリィ」という深みのある声で鳴き、気温が下がると』、『速度が落ちる』(引用元で鳴き声が聴ける)。和名は『「綴れ刺せ蟋蟀」の』オノマトペイアとされる(私には逆立ちしてもそうは聴こえないが)。『これは、かつてコオロギの鳴き声を「肩刺せ、綴れ刺せ」と聞きなし、冬に向かって衣類の手入れをせよとの意にとったことに由来する』とある)
などが『代表的な種として挙げられる』。但し、人や地方に『よって「コオロギ」の概念は異なり、コオロギ上科の中でもスズムシ、マツムシ、ケラ』(コオロギ上科ケラ科ケラ属ケラ Gryllotalpa orientalis )『などを外すこともある』とある。また、既に「ハタオリ」の項で述べた通り、日本では古く(平安時代)は現在の種(群)としての「コオロギ」のことを「きりぎりす」と呼び、現在の種としてのキリギリスのことを「機織(はたを)り」と呼んでいた。ところが、鎌倉時代から室町時代にかけてであったと推定されるのであるが、この「きりぎりす」を現在の通りに「こほろぎ」、「こほろぎ」を現在の通りの「きりぎりす」と呼ぶように逆転変化したらしい(この推移についてはサイト「コオロギは昔キリギリスだった? 虫の呼び名の謎」がよい)。それに加えて漢字表記と読みが、これまた、混同・錯綜して認識誤認が複雑化してしまった経緯がある。なお、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」も参照されたい。
「その一變種エビコホロギ卽ち『蝦コホロギ』」恐らくは、
剣弁亜(キリギリス)亜目カマドウマ上科カマドウマ科カマドウマ亜科カマドウマ属カマドウマ Diestrammena apicalis かその近縁種(七種ほどが知られる)
を指していよう。古名「いとど」。俗称の「便所蟋蟀」はかなり有名だが、私は幼少の頃、ここにある通り、誰かが「エビコオロギ」と呼んでいたのを記憶する。なお、本種には翅がないため、鳴かない。和名は台所の竈の傍で見かけることが多く、色や姿が馬に似ていることによる。芭蕉四十七歳、元禄三(一六九〇)年九月の堅田での作、
海士(あま)の屋は小海老にまじるいとど哉
を思い出す。
「ウマコホロギ卽ち『馬蛼』」群馬の方らしい人物のネット記事に、ツヅレサセコオロギのことを「うまこおろぎ」と呼んでいる、とあった。
「オニコホロギ卽ち『鬼蛼』」幾つかの資料を見たが、どうもエンマコオロギの異名のように思われる。しかし、小泉八雲は後にそれを並べて孰れも立派な音楽家であるとするから、何か別種を当てている。鬼を角と採るなら、ミツカドコオロギのそれに親和性があるか。
「コホロギに關して興味ある事實は、多分八世紀の央ごろに編纂された『萬葉集』に――世に知れて居る日本の一番古い歌集に、此蟲が記載されて居る事である」「万葉集」には「こほろぎ」が七首に詠み込まれてある。但し、これらの「こほろぎ」はコオロギ・キリギリス等の秋に鳴く虫を広く指しているかと思われ、コオロギ類に限定することは出来ない。しかし、前にも言ったが、侘しさ・哀れさを誘うのは、私はやはりコオロギ類に軍配が挙がるかとは思う。
「庭草爾村雨落而(ふりて)蟋蟀之鳴音聞者秋付爾家里」「万葉集」の「卷第十」の「秋の雜歌」の「蟋蟀(こほろぎ)」を詠める三首の二番目の(二一六〇番)、
庭草(にはくさ)に村雨(むらさめ)降(ふ)りて蟋蟀の
鳴く聲聞けば秋づきにけり
である。「蟋蟀」は古注も現行も「こほろぎ」で一貫している。なお、存在していれば、音数からみて、使用があってもおかしくない「きりぎりす」は、「万葉集」には使用例は、ない。]
[やぶちゃん注:原文は、
KUTSUWAMUSHI (natural size).
クツワムシ(実物大)。
絵の添え書きは、
紡績娘(クツハムシ)
となっている。]
ク ツ ワ ム シ
此の――擬聲的にガチヤガチヤとも呼ばれて居る――字書には『やかましく啼く一種の螽斯[やぶちゃん注:「きりぎりす」。]!』と頗る癪に障はる[やぶちゃん注:辞書編纂者が「癪に障はつたやうな」の意。]記述がしてある。異常な蟲には變種が數々ある。東京で普通賣つて居るのは、背が綠で、胴が黃がかつた白だが、鳶色のや赤味を帶びたのも居る。轡蟲は捕りにくい。が、飼ふのは易い。ツクツクボウシが太陽を愛する蟬類のうちで一番驚嘆すべき樂師であるが如くに、クツワムシは夜の螽斯のうちで最も驚嘆すべきものである。『轡蟲』といふ意味のその名は、その音が、日本の昔風の轡(クツワ)[やぶちゃん注:以上はルビではなく、本文。]をチヤリンチヤリン鳴らす音に似て居るから來て居る。然しその音は實際はクツワ一個のチヤリンチヤリンとは、遙か聲高で、遙か複雜したもので、此の比喩の精確か否かは、此蟲が諸君の橫で盛んに啼いて居る間は容易に識別の出來ないものである。自分自らの眼でもつて實際に見なくでは、こんな小さな生物があんな素敵な音を出し得るとは信じ難からう。確に此音の振動は非常に複雜したものに相違無い。その音(ね)は、蒸氣を洩らす時のやうな、ヒユウといふ銳い、かすかな音で始つて、徐々に强まる。――それからそのヒユウヘ突然に、四つ竹[やぶちゃん注:原文“castanets”。「四つ竹」(よつだけ)はカスタネットに似た本邦の打楽器。四個の竹片を片手に二片ずつ持ち、それを手の中で打ち合せて音を出す。民謡では口説(くどき/くどうち)風の歌などの伴奏に用いるほか、沖縄では芸術的な舞踊の伴奏にも盛んに用いられる。]の音のやうな迅速な、涸れた、カタカタいふ音が加はる。――それから、全機關が突進して運轉を始めると、そのヒユウとカタカタとの上に、銅鑼[やぶちゃん注:「どら」。]を叩くやうな急速なヂヤンヂヤンといふ音の流れが聞こえる。この音は、始まるも最後だが、歇む[やぶちゃん注:「やむ」。]のも亦最初である。それから四つ竹の音が止(と)まり、最後にヒユウといふ音が消える。――だが此の完全な合奏は一と休みも無しに、一度に數時間演奏を續けて居ることがある。夜、遠くから聞いて居ると、その音は愉快である。そして實際いかにも轡のチヤリンチヤリンいふ音に似て居るので、『人の通へぬ道に靈的な護送の曲を奏して居る』のだと古昔からた〻へられて居る此當の名に、如何に多くの眞の詩美が存して居るか、それを感ぜずには居れぬ程である。
クツワムシを詠んだ最も古い歌は和泉式部の次記のものであらう。
わかせこは駒にまかせて來にけりと
きくにきかするくつわむしかな
[やぶちゃん注:直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス上科キリギリス科 Mecopoda 属クツワムシ Mecopoda nipponensis。鳴き声は別名ともなっている「ガチャガチャ」が一般的なオノマトペイアであるが、私はこの激しい五月蠅い印象の擬音語には幼少期から抵抗がある。私には、クツワムシの鳴き声は
「シャッカシャッカシャッカシャッカ」
或いは
「ジッカジッカジッカジッカ」
時に
「ジッジッジッジッ」
「ジカジカジカジカ」
を、ギュッと圧縮して続けたような感じ――古い電池式のロボットのオモチャのよう――に聴こえる。私の二階の書斎の下の崖には、彼らの好物である葛(くず)が繁茂しており、よく鳴いているが、まあ、確かに、他のすだく虫の音(ね)ように、ずっと聴いていたい部類の鳴き声ではなく、ちょっと五月蠅いと思わないこともない。鳴き声とその姿は、You Tube のKoo Yatagaws氏のこちらがよかろう。私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 鑣蟲(くつわむし)」も参照されたい。
最後の歌は、まず、「日文研」の「和歌データベース」で調べたが、「和泉式部續集」に(ガイド・ナンバー「00243」)、
わかせこはこまにまかせてきにけりと
ききにきかするくつわむしかな
下句の頭が異なる。この歌は原文はローマ字で表記されてあるが、それ自体が「きくに」となっている。意味は通るが、しかし「ききにきかする」の方がよい。所持する岩波文庫「和泉式部集・和泉式部續集」(清水文雄校注・一九八三年刊)を参考に正字で前書ともに示すと、
遠き所に人待ちし比(ころ)、
近く草の許(もと)に轡蟲の
啼くを聞(き)きて
わか背子は駒にまかせて來にけりと
聞(き)きに聞かする轡蟲かな
である。前書きの頭は「遠くにいる人を待っていた時」の意。]
[やぶちゃん注:原文は、
KANTAN (natural size).
カンタン(実物大)。
絵の添え書きは、
邯鄲
となっている。]
カ ン タ ン
此蟲は『カンタンギス』とも、『邯鄲のキリギリス』とも呼ばれて――濃い鳶色をした、夜の蟋蟀の一種である。その音色の――ヅイイイイイン――といふ音は一種特別なものである。弓絃のピインといふ長びいた響に一番能くたぐへ得ると自分は思ふ。だが、此蟲の音には筆には書けない、耳を貫く金屬性な音色がそのピインの中にあるから、此の比較は滿足なものではない。
[やぶちゃん注:私が、その音(ね)を偏愛する剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科カンタン亜科カンタン属カンタン Oecanthus longicauda。ウィキの「カンタン(昆虫)」によれば、『カンタンの名は明治時代の文献に見える。中国の古都邯鄲の字をあてているのは当て字で、鳴き声から名がついたものかという』。『夏の終わりから晩秋まで約』二『ヶ月近くその音色を聞くことが出来るが、個体としての成虫の寿命は短い』。体長は一・一~二センチメートルと『スズムシ程の大きさで、羽根を立てて鳴いている時はシルエットもやや似ている。体は細長く、長い触角を持ち、薄黄色をしている。成虫の腹部下面(腹部腹板)は通常』、『黒くなる』。『クズ、ヨモギ、ススキ』『などが多い草地に生息する。これら草本が密生し』、『湿度の高い状態を好むことから、とりわけ河川等の岸辺に多数生息する。成虫は』八~十一月に『かけて出現する』。♂は『夜間、葉に空いた穴やえぐれなどから頭を覗かせ』、『「ルルルルルルルル」と連続して鳴く。図鑑その他でよく「穏やかな声」といわれるが、これは野生の生息地で多くの草本により音が遮蔽され和らげられるからで、至近距離や室内で聞くその声は、大音量の「ティピピピピピピピピピ…!!」というようなやかましいものである』。『姿が小さく、人の気配に非常に敏感で鳴き声を頼りに探すのはかなり困難であり、根気を要する。捕獲するので有ればむしろ昼の方が良く、鳴き声がした場所を覚えておき、植物の枝の先、特にアブラムシが居るような場所を丹念に探すと捕まえることが出来る』。『静止し澱んだ空気よりも、ある程度風通しがよい状態でよく鳴く傾向にある。ただ、近接状態を嫌うため、互いに』十数センチメートル『以内の距離に接近したり、同じ飼育容器に入れられると、継続して鳴かなくなる、または全く鳴かなくなり、闘争する』。『コオロギの仲間としては』、『飛翔能力がたいへん優秀で』、『自在に飛ぶ。蓋の無い容器からは』、『たちまち飛び出して逃げてしまう。また、マツムシ科やクサヒバリ科、キリギリス科ほど強力ではないが』、『垂直滑面を歩行できる吸盤を附節に有する』。『食性は肉食性が強い雑食性で、アブラムシを好んで食べるほか、ヨモギやクズなどの葉も食べる。幼虫は花粉や花びらも好む。糖分と動物質が不足すると幼虫は成長が止まり、多くが死亡する。アブラムシを好んで捕食するのは、体内にその糖分が豊富だからであると考えられている』。九『月中旬頃から産卵をはじめ、直径が』五~八ミリメートルの『生きたヨモギなどの茎に噛み傷をつけ、産卵管を差し込んで数個の卵を産む。卵は翌年の』六『月中旬頃に孵化する』とある。鳴き声とその姿はYou Tubeのminmincyou氏のこちらがよい。]
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