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2019/11/19

小泉八雲 初の諸印象 (岡田哲藏譯) / 作品集「異國情趣と囘顧」の「囘顧」パート(総て岡田哲藏氏の訳)に入る

 

[やぶちゃん注:本篇(原題は“ First Impressions ”)は一八九八(明治三一)年十二月に、ボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)とロンドンの「サンプソン ・ロウ社」(SAMPSON LOW)から出版された来日後の第五作品集「異國情趣と囘顧」(“ EXOTICS AND RETROSPECTIVES ”)の第二パート“ RETROSPECTIVES ”の第一話である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社「リトル・ブラウン社」及びクレジット(左ページ)及び献辞の入った(右ページ)を示した)で全篇視認できる(パート標題(添え辞有り)はここ本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年三月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第六巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年4月27日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一二(一九三六)年三月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第六巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十二年三月一五日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作品集の中標題はここ。本作はここから。

 本「囘顧」パートは総てが岡田哲藏氏の訳である。岡田哲藏(明治二(一八六九)年~昭和二〇(一九四五)年)は英文学者。千葉県佐倉市生まれで、東京帝国大学文科大学哲学科選科卒。通訳官として明治三七(一九〇四)年の日露戦争に従軍し、その後、陸軍大学校教官や青山学院・早稲田大学講師などを務めた。英詩文をよくし、昭和一〇(一九三五)年に出版された最初の「万葉集」の英訳として有名な‘ Three Handred Manyo Poems ’」などの著書がある。

 標題の「初の」は「はじめの」であろう。傍点「○」は太字下線、「﹅」は太字に代えた。但し、この区別は岡田氏の独自のものであり、原本では孰れも斜体である。

 

 

   囘  顧

     『無限の海の囁きと香ひと』

           マシウ・アァノルドの「未來」より

 

[やぶちゃん注:「マシウ・アァノルド」マシュー・アーノルド(Matthew Arnold 一八二二年~一八八八年)はイギリスの耽美派詩人の代表にして文明批評家。本引用元(但し、引用元は原本には記されていない。岡田氏のサーヴィスである)である詩篇“ The Future ”は英文サイト「POETRY FOUNDATION」のこちらで全篇が読める。引用は同詩篇の最終行である。但し、最後の「無限の海」の二単語が、標題ページでは、以下のように大文字になって固有名詞化されている。小泉八雲の宇宙観からの確信犯であろうか。“Murmurs and scents of the Infinite Sea.”。なお、この詩篇は二年後に刊行される作品集「影」“ SHADOWINGS ”の最終第三パート「幻想」(“ FANTASIES ”)の巻頭の添え辞にも一部が引用されてある。私の『小泉八雲 夜光蟲 (岡田哲藏譯) / これより作品集「影」の最終パート標題「幻想」に入る』を参照されたい。]

 

 

   初の諸印象

 

 

       

 重複寫眞(コムポジツト・フオトグラフ)の表號的意義が進化論の哲學者達に考へらるる事のかく少きは何故ぞと私は不思議に思ふ。それを作成する幾個の影の混化合體するは、無數の生の混合によりて人格の組織を結成するかの原生質化學(バイオプラズミツク・ケミストリ)を暗示するでは無いか。感光板の上に形影を重複するのは遺傳の限り無き重複から各個體の形を成すと似ては居らぬか。……たしかにこの重複寫眞は頗る不思議なもの、――更に不思議なる諸物の暗示。

[やぶちゃん注:「重複寫眞(コムポジツト・フオトグラフ)」“Composite Photograph”。人工的に造られた合成写真・モンタージュ写真のこと。

「原生質化學(バイオプラズミツク・ケミストリ)」“bioplasmic chemistry”。「生物学上の形質に関わる生化学」のことであろう。所謂、現在の――「遺伝的形質」――広義の「遺伝子」(現在では必ずしも染色体上のそれに限らない)によって――「受け継がれる形質」――の謂いと、言い換えてよかろう。本作品集の刊行は明治三一(一八九八)年であるが、ウィキの「遺伝子」の「歴史」の項の前期部分を参考に記しておく。何より、この時は、未だ「遺伝子」という概念も言葉も生まれてはいなかったことを留意しなくてはならない。

   *

1865年 グレゴール・ヨハン・メンデルが豌豆の交雑実験の結果を発表(所謂、後の「メンデルの法則」に相当する研究)。

1869年 フリードリッヒ・ミーシェルが膿(うみ)の細胞抽出液からDNAを発見。

【★本篇が書かれたのは、この間。】

1900年 メンデルの投稿した論文が、ユーゴー・ド・フリース(オランダ)、カール・エーリヒ・コレンス(ドイツ)、エーリヒ・フォン・チェルマク(オーストリア)によって再発見される。この再発見者の一人フリースは「パンゲン説」を推し、細胞内で形質を伝達する物質を「パンゲン」(Pangen)と仮定した。

1903年 ウォルター・S・サットンが遺伝子が染色体上にあることを提唱した(所謂、「染色体説」の始まり)。

1909年 ウィルヘルム・ヨハンセンはメンデルの指摘した因子をフリースの名づけた「パンゲン」 から「ジーン」(gene:遺伝子)と呼び変えることを提案。

1910年 トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエの交雑実験を開始。

1921年 DNAのテトラヌクレオチド・モデルを解説した論文が発表される。この当時は遺伝物質は多様性に富んだポリペプチド(タンパク質)であり、テトラヌクレオチドはその保護の役割を果たしていると考えられていた。

1922年 モーガンらのグループによってショウジョウバエの四つの染色体上に座している五十個の遺伝子の相対位置が決定されて発表される。

1934年 カスパーソンがDNAは生体高分子であることを示し、テトラヌクレオチド・モデルが誤りであることが証明される。

1935年 マックス・デルブリュックらは、遺伝子は物質的単位であることを提案した。

1944年 フレデリック・グリフィスの肺炎双球菌の形質転換実験(「グリフィスの実験」)を元にした、オズワルド・アベリーらの「DNAが遺伝物質であることの実験的証明」を収めた論文が掲載される(この論文はDNA=遺伝物質であることが確実な今、矛盾のないものだが、当時は評価を全く受けなかった)。

1950年 エルヴィン・シャルガフがペーパー・クロマトグラフィーを用いて塩基存在比に数学的関連があることを明らかにした。則ち、A(アデニン)とT(チミン)、G(グアニン)とC(シトシン)はそれぞれ数が等しいことを示したのである。

1952年 アルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによる『ハーシーとチェイスの実験』結果が論文に掲載され、この論文によって、「ファージの遺伝物質がDNAである」ことが確実視されたとされる。同年、ロザリンド・フランクリンが、DNAが二重螺旋構造であることを証明するX線回折像写真を撮影する。

1953年 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAB型二重螺旋構造のモデルが示され、DNAは生体内で『二重螺旋構造』をとっていることを示す論文が発表される。

   *]

 

 各人の顏は無數の顏の生ける重複である、――それは大宇宙發展の過程の爲め、の感光フィルムの上に重ねられし幾代また幾代の顏を含む。而して如何なる生ける人の顏も、或は愛し或は憎みて、よくそれを見守ればこの事實を表現する。友人又は戀人の顏は異れる百の面相を有つ[やぶちゃん注:「もつ」。]、そして我々は彼又は彼女の『似姿』が寫されるとき、此等諸相のうち最もなつかしい相が反影してあらねばならぬと要請することを知る。我々の敵の顏は、――如何なる敵意をそれが刺戟するとしても、――それ自ら不變に憎らしいのでは無い、我我は少くとも我々自らにとりて、その顏が價なきにあらざりし表現をなせし瞬間を見たことあると承認せざるを得まい。

[やぶちゃん注:「太字下線。則ち、底本では傍点「○」である。冒頭で示してあるが、「生」に下線なので、機器やブラウザによっては、判読し難いかも知れぬと思い、注しておいた。読みは「せい」である。【★2025年4月27日追記】しかし、この訳、私は初回電子化した折り、ちょっと『うん?……ああ、そうか……』と理解出来たが、初っ端から岡田氏には悪いが、あまり親切ではない、そう言うのが適切でないとするならば――万人の日本人に対しての訳としては――この箇所の訳は――達意の訳とは言えない――と言えると私は思うのである(これに就いては、初回に最後の方でも私は物言いを記している)。この段落の原文全文を以下に示す。原本はここである。字空け等、その通りに打った。

   *

   Every human face is a living composite of countless faces,—generations and generations of faces superimposed upon the sensitive film of Life for the great cosmic developing process.   And any living face, well watched by love or by hate, will reveal the fact.   The face of friend or sweetheart has a hundred different aspects; and you know that you want, when his or her “likeness” is taken, to insist upon the reflection of the dearest of these.   The face of your enemy,—no matter what antipathy it may excite,—is not invariably hateful in itself: you must acknowledge, to yourself at least, having observed in it moments of an expression the reverse of unworthy.

   *

ネットのGoogle翻訳のもの(最近はかなり自然に訳すようになった)を参考に、私が大幅に手を加えたものを、以下に示す。

   *

 人間の顔はどれも、無数の顔の生きた複合体であり、偉大な宇宙の発展過程に於ける生命という感光したフィルムの上に、何世代にも亙る顔が重ね合わされている。そして、生きた顔は、愛によって、或いは、憎しみによって、よく観察するならば、その事実が明らかになる。友人や恋人の顔には、百もの異なった様相がある。そして、あなたは、その人の「肖像」を捉える際、その中でも最も愛しい人の姿を映し出したいと望むであろう。しかし、憎しみを感ずる敵の顔であっても、それがどのような反感を抱かせようとも、それ自体が常に憎むべき顔であるわけでは、ない。あなたは、少なくとも自分自身の中で、その顔に価値のないものとは、これ、正反対の表情を見たことがあることを、認めなければならないのである。

   *
而して、岡田氏の訳の『の感光フィルムの上に重ねられし幾代また幾代の顏を含む。』という箇所が、少なくとも、現代の若いの読者たちは、確実に――多重に躓く――のである。後も、生硬に――いや――佶屈聱牙に過ぎるのである。因みに、尊敬する平井呈一氏の訳(恒文社版「第一印象」・一九七五年刊「仏の畑の落穂 他」所収)を引用させていただく。

   *

 人間ひとりのひとりの顔は、無数の顔の生きている組み合わせだ。――大宇宙の発展作用で、生命という感光膜の上に、いくえにもいくえにも重ねて焼きつけられた、無慮幾代もの顔である。生きている人間のどんな顔でも、これを愛情、もしくは憎悪の眼をもってよく見まもってみると、この事実がはっきり表われてくる。たとえば、友人、あるいは愛人の顔、これは百の異なった相貌をもっている。相手がはっきり現われてくる。たとえば、友人、あるいは愛人の顔、これは百の異なった相貌をもっている。相手が男にしろ女にしろ、その人の写真を撮(と)るばあいには、誰しもぜひいちばんいとしい顔を写したがるものだ。憎い相手の顔だって、――それがどんなに虫を好かないにしても――顔そのものが、いつみても憎らしいというわけではあるまい。ときには、まんざら捨てたものでもない顔つきを見受ける時もあることを、内々認めなければならないだろう。

   *

これこそ、まず、誰もが、すらすらと読め、腑に落ちる訳である。どうしても硬くなりそうな箇所、判り難くなりそうな部分を、平井先生は、見事に意訳されてもいるのである。言わずもがなであるが、岡田氏の訳も、私の訳も、平井先生のものも、現代に、全く、そぐわなくなっている致命的な箇所として、「感光フィルム」「感光したフイルム」「感光膜」があるのは仕方がない。年少の読者には、銀塩写真そのものが死語だからである。私は、平井先生より後の小泉八雲先生の翻訳を読む気にはさらさらならないのだが(よく言われる「翻訳には賞味期限がある」という謂いは、根本的には、私は否定するものである。特に語学に堪能でも、作家の才能を持たない人の訳は、数行読んで、やめてしまうことがしばしばある)、ここで、『さても、ここを、新しい訳者は、どう訳すのかね?』と、意地悪い笑みを浮かべて、独りごちたことを告白しておく。

 思ふに祖先以來の諸〻の模型のうちで顏面表現の變調のうちに現はれんと試むるものは槪していつも比較的に近代のものである、――極めて古いのは重複の下に壓されて、漠然たる下層に變形し了はり、ほんの原形質的(プロトプラズミツク)[やぶちゃん注:“protoplasmic”。]背景に過ぎぬものとなり、それからは稀なる奇怪なる場合に於ての外は、輪郭が分離して出て來る事が無くなつたのである。然しすべて規範的の顏には種々の模型の諸時代が盡く[やぶちゃん注:「ことごとく」。]、氣分の變化に應じて、臨機の出現をするのである。母たる人は誰れでもこの事を知る。彼女は己が子の姿を日々注目し居りて單に生長によつて說明されぬ變化をそこに見る。時には親の一方に又は祖父母の一人に似ると見え、時には他の、また更に遠い親類に似て、また稀には家族の何人[やぶちゃん注:「なんぴと」。]にも似てもつかぬ特徴を見ることがある。(かくして、今よりも暗かりし昔の代には、魔の取換兒(チエンジリング)[やぶちゃん注:“changeling”。後注参照。]といふ畏ろしい迷信もあり得たのみならず、或る意味ではそれが當然であつた)。靑年と大人の時を通じて遙か老年に至るまでも此等の變遷が繼續する、――但しいつも、もつと徐々として、且つ微かに[やぶちゃん注:「かすかに」。]――その間、一般的特徵は確實に增して來る、而して死そのものが生の中に嘗て認められなかつた或る不思議な表情を容貌に現はすことがある。

[やぶちゃん注:「魔の取換兒(チエンジリング)」ウィキの「取り替え子」によれば、『取り替え子 (とりかえこ、英語:Changeling)とは、ヨーロッパの伝承で、人間の子どもが』、『ひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされる』ところの、妖精(フェアリー)、エルフ(ゲルマン神話に起源を持つ北ヨーロッパの民間伝承に登場する妖精族。本来の神話では自然と豊かさを司る小神族で、しばしばとても美しく若々しい外見を持ち、森・泉・井戸や地下などに住むとされ、また、彼らは不死或いは長命で魔法の力を持っているとされる)、トロール(北欧、特にノルウェーの伝承に登場する妖精の一種)『などの子のことを指す。時には連れ去られた子どものことも指す。また』、『ストック(stock)あるいはフェッチ(fetch「そっくりさん」)と呼ばれる、魔法をかけられた木のかけらが残され、それは』、『たちまち弱って死んでしまうこともあったと言う。このようなことをする動機は、人間の子を召使いにしたい、人間の子を可愛がりたいという望み、また悪意であるとされた』。『取り替え子は、彼らのしなびた外観、旺盛な食欲、手のつけられないかんしゃく、歩行できないこと、不愉快な性格によって識別された』。『中世の年代記は、フェアリーについての民俗伝承の断片として知られる最古のものの一つを、この例として記載している』。『一部の伝承によると、取り替え子は人間の子供より知能がはるかに優れていた』(これは、実は、その子がサヴァン症候群(savant syndrome:当該ウィキを参照されたい)であった可能性が強く疑われるように私には感ぜられる)『ことから、見破ることは可能であった。ある時』、『取り替え子であることが見破られると、その子の両親が子供を連れ戻しにやってきた。グリム兄弟の民話の一つでは、我が子が取り替え子にすり替えられたのでは』、『と疑った女が、木の実の殻の中でビールを醸し始めた。取り替え子はうなった。『おいらは森の中のオークの木と同じくらいの年だけれど、木の実の殻の中でビールを醸すなんて見たことがない。』そういうと、彼はたちまち消え失せた』とある。『一部の人々は、トロールは洗礼前の幼い子供をさらうと信じていた。また、人間の中でも美しい子供と若い女性、特に金髪の持ち主は、フェアリーに好まれるとされた』。『スコットランドの民俗伝承では、子供は地獄へ十分の一税として献上される妖精の子の身代わりに取り替えられたという』。これは、『タム・リン』(Tam Lin)というバラッドによって『よく知られている』(ウィキの「タム・リン」を参照されたい)。『一部の民俗学者はフェアリーが多神教時代のヨーロッパの住人で、侵略を受けて地下へ隠れたと信じている。それによると、実際に取り替え子を引き起こした人々は、自分たちのひ弱な子供の代わりに、侵略者である人間の健康な子と取り替えたと』考えるのである。『スカンディナヴィア民俗伝承によると』。『妖精は鋼』(はがね)『を恐れるので、スカンディナヴィア諸国の親たちは』、『しばしば洗礼前の子供の揺りかごの上に』、『一対のハサミやナイフをそっとしのばせていた。もしそのような手だてにもかかわらず』、『子供がさらわれてしまった場合、両親が取り替え子を冷酷に扱うことで』、『子供を取り返すことが出来ると信じられており、そのために、鞭で打ったり』、『熱いオーブンの中に入れたりするような方法が取られた。少なくとも一つの例では、ある女がオーヴンの中で実子を焼死させてしまい裁判沙汰になっ』ている、とある。以下、リンク先には、各地方の伝承や実際の不幸な事件が記されてあるので、参照されたいが、「現代の取り替え子」の項には、『多くの取り替え子の伝説の陰には、現実にはしばしば奇形児や知的障害児の誕生があった。多種多様な取り替え子の記述は、多くの病の症状、二分脊椎症、嚢胞性線維症、フェニルケトン尿症、プロジェリア症候群、ウィリアムズ症候群、ハーラー症候群、ハンター症候群、脳性麻痺と合致する。男児の出生欠陥の大半の傾向は、男の赤ん坊の方がより連れ去られそうに思われていたという迷信と関連づけられる』。『記載があるように、取り替え子伝承は正常に成長しない子供たちの特異性を説明するために、発展し、少なくとも用いられてきたと仮説されてきた。おそらく、成長の遅れや異常のある症状も多種に含まれていただろう。特に、自閉症児は取り替え子や、その不可思議さや時に説明しがたい振る舞いから、エルフの子というレッテルを貼られがちであった。これは自閉症文化で見受けられる。一部の高い知能を持つ自閉症の大人』(先に私が言った「サヴァン症候群」である)『は、取り替え子と同一視されてきた(またはエイリアンのような交換者)。この理由からと、自分の世界の中で彼ら自身の感情が、周りの普通の生き物には自分たちは属せず、実質的に同じようになれないのだ、と感じるようになった』のだ、ともある。]

 

       

 槪ね我々が顏を認識するのは、何か確實な線[やぶちゃん注:“lines”。ここは「輪郭」のこと。]の記憶によるよりは、寧ろ居常[やぶちゃん注:「きよじやう(きょじょう)」。「常日頃・普段」平生」の意。]その帶ぶる表情の樣式により、それが通常示す性質の調子によるのである。然し如何なる顏も凡ての時、全然一樣では無い、而して例外の變化の場合には表情は認識の爲めに十分ならず、我我は或る定まれる特徵を求め、容貌から獨立せる或る細密なる表面上の特徴を捉へねばならぬ。一切の表情は唯だ關係的永久性を有するのみ、最も强き印ある顏に於てすら、其變化は測定を難からしむることがある。思ふに、移動性は、或る制限內に於て、容貌の不規則なることと直接に比例しありて、――理想の美への接近はまた關係的不動性への接近である。何れにしても、我々が何れかの普通の顏と親熟するに從ひ、我々がそれに見る變形の多樣なる事が益〻驚くべく、――其表情の定まりなき精微は益〻記述を難くし且つ人を迷はすに至る。そして此等は祖先以來の生命の滿干に外ならず、――魂の流れたる人格の測るべからざる泉に立てる底波に過ぎぬ。肉の流動組織の下には絕えず死者達が型に入り來りては動いて居る――それは單一にてでは無い(如何なる現象のうちにも何等の單一なるものは無い)、諸〻の潮流のうちに、また諸〻の波動によりてである。時には愛の精靈の渦卷くことあり、そして旭がそれを輝かせる如くに顏に夜が明ける。時には憎の精靈の波立ち擾ぐ[やぶちゃん注:「さはぐ」。]ことあり、そして顏は惡夢の如く暗くなり且つ歪む、――そして我々はその顏その裏にある心に對していふ、『汝は今汝のより良き自我で無い』と。然し我々が自我と呼ぶところのものは、それがより良きにもより惡るきにもせよ、その諸〻の連合の順序を永久に變化しつつある複雜性のものである。希望又は恐怖、喜悅又は苦痛の刺戟に應じて、各人のうちに、異れるリズムに於て、變化ある遷移をなしつつ、祖先以來の生命の數ふべからざる振動があらねばならぬ。最も靜穩なる制規の存在に於て、過去一切の心理の調子は眠つて居る、――原始的感覺衝動の鮮かなる赤色から精神的渴仰の紫に至るまで――恰も白光のうちに凡ての知られたる色の眠るが如くに。而して感受的なる生ける假面の上に、心的潮流の强き交代每に、死せる表情の影の如き復活が閃く。

[やぶちゃん注:「思ふに、移動性は、或る制限內に於て、容貌の不規則なることと直接に比例しありて、――理想の美への接近はまた關係的不動性への接近である。」ここは、何だか、日本語として、異様に意味が取りづらい。原文は、

Perhaps the mobility is, within certain limits, in direct ratio to irregularity of feature;—any approach to ideal beauty being also an approach to relative fixity. 

で、原文自体が、何だか、訳しにくい感じがするのであるが、因みに、平井呈一先生は恒文社版「第一印象」(一九七五年刊「仏の畑の落穂 他」所収)では、

『おそらく、顔の移り気は、ある程度、目鼻立ちの不揃いなことに正比例するものらしい。理想的な美しさに近づくということは、釣合のとれた各固不動なものに近づくことなのだから。』

と訳しておられる。かなり、こなれた訳である。しかし、それでも何か、ちょっと、喉につっかえるような箇所があるのだ。

 これ、英語の苦手な私が言うのもなんだが、「mobility」の訳の問題と、小泉八雲が、やや差別的な内容であるのを遠慮してか、或いは、話が判り易くはなるにしても通俗に堕することを警戒してか、ひどく迂遠な言い方しているところに起因するものなのではなかろうか? この「mobility」というのは、

《顔の持っている、他者から見た際の認識の時間上の、或いは、感覚・感性上の、或いは感情印象上の――流動性――流動的な変化・傾向を示す印象認識の感じ》のこと

を示唆しているのではあるまいか? 私はそのような意味で採って初めて腑に落ちるのである。平井氏の訳を一部参考にして判り易く解説し直すと、ここは、

《我々は時に、ある人の顔を――経年的変化ではなくして――ちょっと前よりも――いや、ついさっきよりも――ひどく変わって、別人のように見えて感じたり、或いは、『異様なまでに顔の感じが変化する人だなあ』と、内心、呆れながら感ずることがよくあるものだが、そうした現象は――ある程度まで――失礼ながら――その対象たる人物の――〈目鼻立ちがあまり良くない〉点――と正比例する現象であるように感じられるのである。「圧倒的多数の人にとっての理想的な美しさへのアプローチ」とは、取りも直さず、「最大多数が支持するところの親和性に富んだ固定的でゆるぎないものへのアプローチ」であるからである。》

というような意味なのではあるまいか? 大方の御叱正を俟つものである。ただ、この岡田氏の訳語を見つめていると、小泉八雲が「日本人には難語崇拝癖がある」(但し、これは小泉八雲が、英語を学ぶ日本人が、知られた既習の平易な単語の熟語や連句・フレーズで組み合わせて、幾らも表現出来ることを、滅多にネイティヴが使わない小難しい英単語を覚えて使うことを好む、そうした難解な語を多く覚えていることが英語力だと勘違いしていることを戒めた言葉であったと思う。中学生の時、買って面白かった英語の参考書で見た)と警鐘を鳴らしておられたという話を、図らずも、思い出してしまうのである。

 序でに、正直、はっきり言ってしまうと、本パートを縦覧するに、岡田氏には異様なまでに「造語か」と思わせるような難解な漢字熟語表現を殊更に好んで使用される傾向がある。言い換えると――《ぐだぐだ言葉を添えて判り易く訳すことを英文和訳としては拒否されており、そうすることを恐らくは軽蔑されておられ、漢語熟語こそ品位を保つ絶対性を持っていると考えておられる》――ように感ずるのである。さらに言えば――《日本語の助詞の用法や、助動詞の接続法や、それに接続する動詞の活用形に適切でない用法や誤りが認められ、修辞法にも甚だ佶屈聱牙な部分が多い》――のである。いや、歯に物着せずに言うなら――《一部は明らかに「甚だ読み難い」し、なによりも「凡そ音読には耐え得ない訳」「聴いて判る訳」では決してない》――と私は思う。ズバり言うなら、失礼乍ら、その一部は――《一部は「学術論文」のように訳されてあり、決して小泉八雲の「文学」として訳されていない嫌いがある》――と言ってよい、と私は強く感じていることを、ここに表明しておくものである。

「汝は今汝のより良き自我で無い」原文は“ You are not now your better self”で、傍点は岡田氏によるものである。因みに、平井氏は『「おまえもこの頃芽が出ないな」』と訳しておられる。平井氏のそれは一見、判りは良いのだが、逆に過剰に口語的・直接話法的で、心内印象の倫理的道徳的批評を含んだ謂いとしての鋭角感のそれが、殺がれてしまっている憾みがあるようには見える。

 諸〻の顏とその變化とを見て、我々は直覺的に、我々に對抗する諸我と我々の自我との關係を知る。極めて少數の場合に、如何にして此知識が來るか、――如何にして普通の談に於て『第一印象』と呼ぱる〻結論に達するかを、我々は說明せんと試みることさへある。顏はまれぬ。顏の與ふる印象は唯だぜらる〻のみ、そして音の印象と等しく漠然たる性質の多くを有し、――我々の內に快き又は不快なる、又は兩者の幾分宛[やぶちゃん注:「づつ」。]を具ふる精神狀態を作り、――忽ち危險の感覺を呼び起こすかと思へば、また溶くる如き同情を生じ、折折はやさしき悲哀を招く。そしてかかる印象は、誤りに陷ることは稀なれど、よく言語を以て說明されぬ。それが正確なる理由は同時にそれが神祕の理由であり、――それは我々個人の經驗の狹隘[やぶちゃん注:「きやうあい」。]なる範圍に求めがたき理由、――我々よりもずつとずつと古き理由である。我々が我々の前生を記憶し得れば、我々の好みと惡み[やぶちゃん注:「にくみ」。]の意味をもつと正確に知る筈である。何となればかかる好惡は超個人的のものであるから。一の顏に認めらる〻あらゆるものを認むるのは個人の眼では無い。死者こそ眞の見者である。然るに死者等は心の快苦の絃に觸る〻以外に我々を指導し得ざる故に、諸〻の顏の關係的意味を力あれども漠たる方法に於てのみ感じ得るのである。

 少くとも直覺的に、超個人性は普通に認識せらる〻。故に『性格の力』、『道德力』、『個人的魅力』、『個人的磁氣』などの成句があり、其他個人が個人に及ぼす影響は單なる身體的條件から獨立せるものと知らる〻ことを示す句がある。極めて云ふに足らぬ體が、恐るべき體を制し導く力を內に蓄ふることがある。血肉の人間は無限の過去より現在の瞬間に達する力の見えざる柱の見ゆる端末たるに過ぎぬ、――卽ち非物質的なる大群の物質的象徴たるのみである。二つの意志の爭鬪すらも幻影たる兩軍の爭鬪である。唯だ一人の意志によりて多くの人格の征服せらる〻ことは、――强制者の背後にある優等なる見えざる力を被强制者が認むることを暗示するのであつて――それは魂を平等と見る舊說を以てしては決して解すべくも無い。科學的心理學によりてのみ或る恐るべき性格の神祕を一部なりと說明し得る。然し何らかの說明は、或る形式又は他の形式に於て、心理的遺傳の莫大なる進化的事實を承認する上に存す。而して心理的遺傳は超個人的を意味す、――卽ち前生の存在が重複せる人格に甦るの意である。

 然るに、我々の倫理的見地より見れば、その超個人性なるものは我々がその用ゆる言語に於て、無意識的に心理的征服を現はすと思ひ居れど、實はそれは低級なる表現である。善の爲めに働くことも屢〻あれど、力それ自らは惡のものである。而して被征服者がそれを承認するのは高等の道德力を承認するのでなくて、惡のより大なる進化的經驗、侵略的巧妙のより深き蓄積、苦痛を與ふる爲めのより重き能力を意味する、高等なる力を承認するのである。如何なる美名を以て之を呼ぶとも、かかる力はその起原は動物的であつて、人間と、より下等の食肉の動物とに、共通なる惡意と獰猛とに猶ほ連絡あるものである。然し超個人の美は、死者が信用を得ん爲めに、理想を鼓吹せん爲めに、愛を創造せん爲めに、光と音樂の言語に於ての外は決して記述されぬ人格の愛嬌と驚異を以て存在の全圓を輝かす爲めに、生者に貸與するその稀なる力のうちに表現さる〻。

 

       

 若し重複寫眞を分解し順序を飜して[やぶちゃん注:「ひるがへして」。]そのうちに混合しありし凡ての印象を分離することを得れば、かかる過程は、見知らぬ顏の姿が生者の網膜から遺傳せる記憶の神祕なる局處へ――警察寫眞(ポリス・フオトグラフ)の如く――遠方より寫し還さる〻時に起こることを、粗笨[やぶちゃん注:「そほん」。「麁笨」とも書く。大まかでぞんざいなこと。細かいところまで行き届いていないこと。「粗雑」に同じい。]ながら代表し得よう。そこに電光の閃く如く速かに、影の顏はそのうちに結合されたる一切の祖先的模型に分解され、その結果たる死者の判決は、ただ明言しがたき感覺によりて爲さるとも、なほいかなる性格の筆記證文が信ずべきよりも一層信ずべきものである。然しその信賴性は、見る個人の見らる〻個人に對する可能性關係に限らる。人格の纎細なる平均に應じ、觀察者の心理的作成に於ける遺傳せる經驗の質的の量に應じ――異れる人心の上に同一の姿は差別の大なる印象を殘すであらう。一人には强く反撥的なる顏も、他の人には同じ位に强く愛着的なることあり、感情的に同類の性質の人々の群に於てのみ、略ぼ[やぶちゃん注:「ほぼ」。]同じき印象を生ずるのであらう、此の能力が顏の成分のうちに、或は歡迎し、或は警戒する明言し難き或る物を認むるの事實はたしかに、倫理的觀相學の或る法則を決するの可能なることを暗示する、然しかかる法則は必然に極めて一般的にして單純なるものたるべく、その關係的價値は敎育されざる個人の直覺と決して同じきを得ざるものである。

[やぶちゃん注:「警察寫眞(ポリス・フオトグラフ)」“police-photograph”。この場合、現行の警察が作成する狭義の犯人の顔をパーツで合成した「モンタージュ写真」を、つい想起しがちだが、そもそも本書が刊行された明治三一(一八九一)年に狭義の「モンタージュ写真」は未だなかったのである。岡田氏の訳は、厳密には文法が適切でなく、「分離することを得れば」よりは、「分離することを得ば」であってこそ躓かないのである。閑話休題。それでは、これは何かと言えば、逮捕された犯人、或いは、被疑者が、警察署で強制撮影(前面と横顔)される例の、如何にも根っからの悪党(小泉八雲風に謂うならば「前生からの悪党」)だと言わんばかりの冷たい無表情な顔で写されるところの、通常、「マグショット」(mug shotmugshot)のことであろう。ウィキの「マグショット」によれば、『犯罪者の写真の撮影は写真の発明から数年後の』一八四〇『年代に始まったが、一八八八『年になってからフランスの警察官アルフォンス・ベルティヨンによってこの手順が標準化された』とあり、しかもそこの最初の注に、『非公式には police photograph booking photograph とも呼ばれるよう』である。その意味でこそ、ここの話は、ちゃんと通るのである

 實に、如何にしてかくあらぬことを得よう。何の科學がよく心理的結合の無限の可能性を測定することを企て得るものぞ。而して各人の容貌に於ける現在は過去の複合である、――生者はいつも死者の復活である。顏を見て起こす同情と恐怖、希望と反撥とはすべて再生と反覆である、――不可測の時を通じて働ける不可測の經驗によつて幾百萬の心のうちに創造せられたる感受性の反響である。現時の我が一友は、彼の祖先達と異ること、恰も一の流[やぶちゃん注:「ながれ」。]の單一なる漣波[やぶちゃん注:「さざなみ」。]がそれより先きに存せし一切の漣波と同じからぬと一樣であるが、それに關らず彼は魂の複合によつて、他鄕に在りて、他の生命のうちに、――記錄されし時間に、また忘られし時間に、――今尙ほ殘る都市に、また存在せざる都市に、――我が失せたる幾千の自我によつて、知られ且つ愛されたる巨萬のものと一である。

 [やぶちゃん注:――「顔」と「写真」――である。言わずもがなであるが――小泉八雲は、一八六六年(慶応二年相当)十六歳の時、イギリスの聖職教育を目的とした寄宿学校聖カスバート校(St. Cuthbert's College)に在学していたが(なお、この年に彼は同校の三年生への進級に失敗しており、翌年には大叔母ブレナンの破産により、中退している)、「ジャイアント・ストライド」(giant stride:「回転塔」「回転ブランコ」のこと。英文サイト“Heroes, Heroines, and History”のここに写真がある)で遊んでいる最中、ロープの結び目が左眼に当たって予後悪く失明し(一説には友達の拳が当たったともされる)、以後、他者からは、左目の光彩の色が右目とは異なって見えるようになって、彼自身、コンプレクスを抱くようになり、その後は、終生、写真を撮る際には左を向くか(これはまさに「三」に出る「マグショット」に実は似ているではないか!!)、瞼を殆んど閉じるように下を見下ろしたポーズでしか、撮らなかったことを思い出すのである。]

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