小泉八雲 死者の文學 (大谷定信譯) / 「五」 / 「死者の文學」~了
[やぶちゃん注:本篇書誌及び底本・電子化の凡例等については『小泉八雲 死者の文學 (大谷定信譯) / 「一」』を参照されたい。]
五
恐らくは自分は讀者の忍耐に餘りに附け上がつて居る。が、如上の硏究は、海の如くに廣く且つ深い題目の、瞥見以上のことを殆ど與へて居ないやうな氣がする。若しこれが、佛敎の碑銘文學の哲理と詩美とに、少しでも西洋の興味を惹起するならば、自分が希望しても尤もと思はれること總てを、確に成し遂げたことにならう。
自分は他の場合にもさうされたやうに、佛敎の文句を『實際以上に美しく』しようとして居る、といふ非難をされることは、ありさうに思はれぬでも無い。此の非難は大抵いつも原物を全く知らない人から來るもので、自分はそれに對して何等の同情を有たぬ、不公正の精神を露はして居るものである。宗敎が、人類の社會的並びに道德的歷史に、啓發的な感化力を有つて居たものといふことを自認する者は誰れでも――幾千年の間人間行爲のより高尙な進路を形造つた信心に對しては、尊敬を拂ふべきであるといふことと許容する者は誰れでも――偉大な宗敎ならばどんな宗敎でも、それには永遠の眞理が幾分か存在して居るに相違無いといふことを承認する者は誰れでも――自己の思想、或は語詞をその同飽が寬大に解釋して吳れるやうにと願ふと同樣に、外國人の信仰の槪念を寬大に解釋するのが、飜譯者たるものの最高の義務である、と思ふことであらう。漢字で書いた物を飜譯する時には、この義務が一種特殊な方面に現はれる。文字通りに譯しようと試みたならば、その結果は無意味(ナンセンス)なものを作り出すか、或は、極東人の思想には全然緣の無い思想の連續を拵へ出すことになるであらう。さういふ文句を取扱ふのに無上に必要なことは、その原(もと)の――『書いてある語』とは實際非常に異つて居る――表意文字が東洋人の心意に傳へる思想を瞥見し且つ之を說明することである。この隨筆中に收めて居る飜譯文は日本の學者が爲したもので、その現在の形式で、權能のある批評家達が是認して居るものである。
丁度此邊の處を自分が書いて居る時、彼(か)の寺の庭の樹木の上から、滿月が自分の書齋を覗き込んで、佛敎的な短い歌を自分に憶ひ出させる。
分け登る麓の道は多けれと
同し高嶺の月を見るかな
この短い歌に納められて居る眞理が分かつて居る讀者は、自分と一緖に瘤寺の間で過ごした一時間を悔ひはされぬであらう。
[やぶちゃん注:最後に小泉八雲が掲げた一首は、一休宗純の作と伝えられる道歌で、
分け登る麓の道は多けれど
同じ高嶺の月を見るかな
或いは、
分け登る麓の道は多けれど
同じ高嶺の月をこそ見る
で伝えられる。長禄元(一四五七)年に著したとされる「骸骨」に載る。「入口はいろいろと違っていても終いに辿り着くところのものは同じである」といった謂いである。私は一休をあまり高く評価しないが、これは確かに禪の極意の一つを表象するものではあろうとは思う。
さても。日本人で、これほどまでに誠意を以って、戒名・法名に込められた意味を、かく、誰にもわかるように解き明かしたものを、私は、他に、知らない。
……八雲先生、一時どころか……この電子化注に……拙者は……まる三日もかかってしまいまして御座りまする…………]