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2019/11/06

小泉八雲 佛敎に緣のある日本の諺 (大谷正信譯)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ Japanese Buddhist Proverbs 。「Bit」は「小片・細片・小さな一片」・口語で「風景画の小品」や「劇の一シーン」の意がある)は一八九九(明治三二)年九月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“ IN GHOSTLY JAPAN (「霊的なる日本にて」。来日後の第六作品集)の第十話目に置かれた作品である。本作品集は“Internet Archive”こちら(出版社及びクレジット(左ページ)及び献辞の入った(右ページ)を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”こちらで全篇が読める。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年4月19日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十一年十一月二十七日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。添え辞附きパート中標題はここ

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「﹅」は太字に代えた。また、引用される諺はブラウザの不具合を考えて、底本通りではなく、引き上げてあり、それぞれのその諺の「註」も更に字下げでポイント落ちとなっているが、同ポイントで引き上げて示した。句は一部で行空けせずに並んでいるが、原則、前後に一行空けを施した。一部で「!」の後に特異的に字空けを施した。底本には「地藏」(菩薩)と「閻魔大王」のキャプションを持つ絵図が載るが(ここと、ここ)、底本から採るには許諾が必要なので、英文原本からトリミングし、補正を加えて、適切と思われる位置に配しておいた。

【2025年4月19日追記】今回、この訳を、再度、精読してみて、原文英文と比較してみたところが、大谷氏にしては珍しく、かなり手抜きがあることに気づいた。恐らく、八雲の解説の内、安易に『日本人にはいらない』と断じて、カットして訳していない部分が多量にあるのである。正直、呆れ果てた。全部ではないが、これは、訳すべきだと思った箇所を中心に、注を有意に増やしておいたので、旧版を読まれた方も、今回、是非、再読されたい。

 

 

  佛敎に緣のある日本の諺

 

 道德的經驗の一般的特性といふものは、どんな種類の社會的變化にも殆ど影響を受けずに其儘で居るものであるが、その一般的特性を現はすものとして、或る國民の俚諺的な言葉は、思想家にはいつも一種特別な心理的興味のあるものに相違無い。此種の民間傳說には、口にまた筆に傳へられ來たつた日本文學は、例を示すのに大きな書物一册を要する程に豐富である。ただの一隨筆の範圍內では、全體としての此問題を至當に處理することは出來ぬ。然し或る部類の俚諺及び俚諺的な言葉に對しては、幾らかの事が、三四頁內にでも爲し得られる。そして、その敎を暗に指して居るか、或はその敎に由來して居るか、兎も角佛敎に關した言葉は、自分には特に硏究の價値あるが如く思はれる一部類を成して居る。だから、日本の一友の助を藉りて――選擇が可能の場合には、より普通なより一層人口に膾炙して居るものを擇んで、そして參照に便ならしめん爲め原文をアルフアベツト順に置いて――次に記載する一聯の實例を選んで飜譯した。固よりの事、この選擇は十分に代表的とはいへないが、民衆の思想幷びに言葉への、佛敎の或る感化を說明するには足りるであらう。

 

一、惡事身に止まる

註 惡るい行爲或は惡るい思想は如何なるものでもその結果は――因果の續く限りは――それを犯した人の生に必らずいつまでも作用する。

 

二、頭剃るより心を剃れ

註 佛敎の男女の僧侶は頭をすつかり剃つて居る。此の諺は宗敎の人となるよりも心を正しうする方が――徒な[やぶちゃん注:「いたづらな」。]哀惜と欲望とを制する方が――宜いといふ意味である。日常の談話では「頭を剃る」といふ句は僧になることを意味する。

 

三、會ふは別れのはじめ

註 哀惜と欲望とはこの無常の世界にあつては等しく徒爾である。一切の歡喜は、苦痛がそれにあるに決つて居る一經驗の始であるからである。此諺は經語――シヤウジヤ ヒツメツ ヱシヤ ヂヤウリ(「盛者必滅會者定離」)――に直接基づいて居る。

[やぶちゃん注:「徒爾」「とじ」で、「無益であること・無意味なこと・空しいこと」の意。「遺敎經」が原拠。日本では四字熟語として知られ、「平家物語」の影響で、かく「盛者」などと表記して違和感がないように見えるのだが、この引用部は――実は本当は――「生者必滅會者定離」――でなくては、おかしいのである。]

 

四、萬事は夢

註 一句は原句の文字通りでは『萬の事』。[やぶちゃん注:底本では、句点がないが、補った。]

 

五、凡夫も悟れば佛なり

註 境涯の相違はただ全く最高なる智慧の相違である。

 

六、煩惱苦惱

註 あらゆる肉體的欲望は悲哀を齎す。

 

七、佛法と藁屋の雨出て聽け

註 これはシユツケ(僧)――文字通りでは『己が家を出た人』――の境遇を指して居る。此諺は佛敎のより高等な眞理は、いつまでも愚痴欲望の世界に住んで居るものには、得られぬといふことを暗示して居る。

 

八、佛性緣より起こる

註 因果にも惡るいのもあれば善いのもある。我々が享樂するどんな幸福も、我々に來る如何なる不幸もがさうのやうに、同じく前生[やぶちゃん注:「ぜんしやう」。]の行爲と思想との結果である。善い思想、善い行爲は、悉く我々の心裡の佛性を開展せしむるに貢獻する。も一つの諺〔第十[やぶちゃん注:ママ。]〕――エンナキ シユジヤウハ ドシガタシ――はこの意味を更に進んで說いて居る。

[やぶちゃん注:「佛性」「ぶつしやう」(ぶっしょう)。大乗仏教の教理で、「総ての人間が生まれながらにして持っている仏と同一の本質・本性・仏になるための機因を指す。「覺性(かくしやう)」(かくしょう)とも漢訳される。] 

 

九、猿猴(ゑんこう)が月を取らんとするが如し

註 佛陀が語られたいふ譬話[やぶちゃん注:「たとへばなし」。]を指して居る。幾匹かの猿が一樹の下に井戶を見出して、その水に映つて居る月影を本當の月だと思つた。その輝いて居る幻を捉へようと決心した。一匹の猿がその井戶に垂れて居る木の枝に尾で吊り下がり、今一匹が最初のにつながり、今一匹が、第二のに、今一匹が第三のへと、順次つながつて、この長い體の鎖が殆ど水面に達した。突然その枝が餘りの重さに折れて、猿は皆溺死したといふ。

[やぶちゃん注:これは、「身の程知らずの大望を抱いた結果、命を縮めること。」を謂い、「分不相応なことは考えてはならない。」という教訓で、仏画にもよく書かれる。原拠は「摩訶僧祇律」の第七の「猿猴捉月」に基づくもの。]

 

一〇、緣無き衆生は度しがたし

註 緣無し卽ち因果關係無し、といふのは、功過ともに全く無いこと。

[やぶちゃん注:「度す」は「悟りを開かせる」の意。「功過」「こうくわ(こうか)」は「手柄と過(あやま)ち・功績と過失・功罪」の意味だが、この解説は致命的に間違っている。この語は「仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。」の意である(但し、この謂いは、仏教としては「誤り」である。阿彌陀如来は菩薩時代に、四十八誓願の第十八誓願で、「総ての衆生を救わない限り、如来にならない。」と誓っているからである)。俗に転じて、「人の忠告を聞こうともしない奴は救いようがない」の言い捨てとして、専ら、用いられる。

 

一一、不淨說法する法師は平茸(ひらたけ)に生まる

[やぶちゃん注:鎌倉前期に成立した「宇治拾遺物語」の「巻第一」の二話目に出る「丹波國篠村に平茸生ふる事」に既に、『故仲胤僧都とて說法並びなき人』が、『不淨說法する法師、ひらたけにむまるといふことある物を』と言っているので、古くからある諺であることが判る。元は北宋の道原によって編纂された禅宗を代表する僧の伝記を収めた「景德傳燈錄」(一〇〇四年成立)の「二」で、迦那提婆(かないだいば)尊者が毗羅(びら)国の長者に説いて、「汝家昔曾供養一比丘。然此比丘道眼未明、以虛霑信施、故報爲木菌」(汝が家、昔、曾つて一比丘を供養す。然れども、此の比丘、道眼(だうがん)、未だ明らかならざるに、虛(むな)しく信施(しんせ/しんぜ)を霑(うるほ)すを以つて、故に報ひて木菌(きのこ)と爲す)とあるのが原拠か。菌界担子菌門ハラタケ綱ハラタケ目ヒラタケ科ヒラタケ属ヒラタケ Pleurotus ostreatus は「今昔物語集」にも盛んに登場し、非常に古くから、食用茸として、よく知られていた。ここで、転生(てんしょう)が、それなのは、恐らくは――その形が、編み笠を被った坊主――に似ており、また、――容易く手に入って、さらに、売られる値段も安い(=そうした属性が「売僧」(まいす)っぽいのである)からであろうと私は思っている。

 

一二、餓鬼も人數(にんず)

註 文字造りでは『餓鬼でも一群衆(卽ち一人口[やぶちゃん注:「いちじんこう」。])である』この通俗な諺はいろいろに使ふ。普通には、一群を爲して居る個人個人はどんなに貧しく或は賤しくとも集つては相當の力を現はす、といふ意味に用ひる。戲談にはこの諺は時には一群の大儀さうな顏したみじめな人達に用ひ――時には示威をやらうとして居る弱い男兒の一と集りに用ひ――時には憫れさうな[やぶちゃん注:「あはれさうな」。]一隊の兵士に用ひる。下等階級の人達の間では不具な人間又に貪欲な人間を『ガキ』と呼ぶは珍らしからぬ。

 

一三、餓鬼の眼に水見えず

註 前世に犯した罪の報として殊に渴[やぶちゃん注:「かはき」。]に苦しむ餓鬼は水を見ることが出來ぬと典據のある或る人々に述べて居る。此諺は愚鈍で又は性が惡るくて道德上の眞理を悟ることが出來ぬ人のことを說べるのに用ひる。

[やぶちゃん注:「典據のある或る人々に述べて居る」この日本語は、おかしく、訳としても、致命的に間違っている。原文は“ Some authorities state that those prêtas who suffer especially from thirst, as a consequence of faults committed in former lives, are unable to see water. ”で、「ある種の仏教の権威とされる人々は、『前世で犯した過ちの結果として、特に喉の渇きに苦しむ餓鬼は、水を目視することが生来的に出来ない。』と述べている。」である。

 

一四、後生(ごしやう)は大事

註 普通の人は『ゴシヤウダイジ』といふ妙な言ひ現はしを『非常に緊要な』といふのと同意義に用ひる。

 

一五、群盲(ぐんばう)の大象を撫(さ)するが如し

註 無智無學でゐて佛敎の敎理を批評する人達のことをいふ。象の軀を擦つて[やぶちゃん注:「さすつて」。]その大いさを判斷しようとした一群の盲人についての、『六度經』のうちにある有名な喩話[やぶちゃん注:「たとへばなし」。]に基づく。脚を擦つた者は象は木のやうだと言ひ、鼻を擦つた者に象は蛇のやうだと言ひ、腹を擦つた者は象は壁のやうだと言ひ、尾を擦つた者は象は綱のやうだと言つたといふ。

[やぶちゃん注:「ぐんばう」はママ。誤記か誤植であろう。「ぐんまう」が正しい。

「六度經」「六度集經(ろくどじつきやう)」(ろくどじっきょう)は、古代インドの説話にして、聖典の一種となった説話集で、釈迦の前生の生涯と、その善行・功徳を述べた物語「ジャータカ」(パーリ語本では五百四十七話が現存)の漢訳本の一つ。]

 

一六、外面如菩薩 內心如夜叉

註 ヤシヤ(梵語「ヤクジヤ」)は人を食ふ鬼。

[やぶちゃん注:読みは、「げめんによぼさつ ないしんによやしや」(げめんにょぼさつ ないしんにょやしゃ:「如菩薩」は「似菩薩」(じぼさつ)とも)。小学館「日本国語大辞典」によれば、『容貌は菩薩のように美しく柔和であるが、その心は夜叉のように残忍邪悪であるの意。仏教で、女性を出家の修行のさまたげになるものとしていましめたことば。外面は菩薩の如く内心は夜叉の如し。』で、「華嚴經」を出典とする。

「夜叉」は古代インド神話に登場する鬼神。後に仏教に取り入れられると、護法善神の一尊となったが、ここで語られているのは、原義の「鬼神」である。ウィキの「夜叉」によれば、『一般にインド神話における鬼神の総称であるとも言われるが、鬼神の総称としては他にアスラという言葉も使用されている(仏教においては、アスラ=阿修羅は総称ではなく固有の鬼神として登場)』。『夜叉には男と女があり、男はヤクシャ(Yaksa)、女はヤクシーもしくはヤクシニー と呼ばれる。財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属と言われ、その性格は仏教に取り入れられてからも変わらなかったが、一方で人を食らう鬼神の性格も併せ持った。ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。また水との関係もあり、「水を崇拝する(yasy-)」といわれたので、yaksya と名づけられたという語源説もある。バラモン教の精舎の前門には一対の夜叉像を置き、これを守護させていたといい、現在の金剛力士像はその名残であるともいう』とある。]

 

一七、花は根に還る

註 此諺は最も屢〻死に關して用ひられるが、一切の形態はそが發生した無有に歸還するといふ意。がまた因果律に關しても用ひられる。

 

一八、響の聲に應ずるが如し

註 因果の敎を指す。この譬喩の美は、反響の音色すら聲の音色を繰り返すことを心に思うて初めて翫味が出來よう。

 

一九、人を助けるが出家の役

 

二〇、火は消ゆれども燈心は消えず

註 情欲は一時征服することが出來てもその根源はその儘で居る。同じ意味の諺がある。卽ち、ボンナウノイヌハ オヘドモ サラズ『煩惱の犬は逐うてもまた歸り來ずには居らぬ』

 

二一、佛も元は凡夫

 

二二、佛になるも沙彌を經る

[やぶちゃん注:「沙彌」(しやみ(しゃみ)/さみ)は、出家して十戒(沙彌・沙彌尼(しゃみに:女子のそれ)の受持する十戒。「不殺生」・「不偸盗」・「不淫」・「不妄語」・「不飲酒」(ふおんじゅ)・「不塗飾香鬘」・「不歌舞観聴」・「不坐高広牀」・「不非時食」・「不蓄金銀宝」。普通は「沙彌十戒」と呼ぶ。「沙彌戒」とも)は受けたが、まだ具足戒(正式な僧であることを示す戒律。比丘には二百五十戒、比丘尼には三百四十八戒あるとする)は受けていない男子の僧。出家したばかりで修行の未熟な僧を指す。]

 

二三、佛の顏も三度

註 これは『佛の顏も三度撫でれば腹を立つ』といふ長い諺を短くしたのである。

[やぶちゃん注:「ことわざを知る辞典」(北村孝一編)の『解説』に拠れば、『江戸中期から使われたことわざで、古くは「仏の顔も三度撫なずれば腹〔を〕立つ」といっていました。ことわざは、広く知られるようになると、削ぎ落とせるものはすべて削ぎ落とすのが通例で、明治期になると、ほとんどのことわざ集が「~三度」でとどめています』。『 「仏」は穏やかでめったに怒ることのない者のたとえで、「も」でいっそう強調されています。用例をみると、二度までは許しても三度目はただではすまない、好意に甘えるのもいいかげんにしろ、と強く警告することが多いといえるでしょう。また、口に出さなくても、何度も好意を踏みにじられたときの心理を表したり、逆に失礼なことを繰り返した際に相手の気持ちを推し量るのにも用いられます。日本語の「三」は区切りを示す象徴的な数で、実際に三度目で気持ちが大きく変わり、本当に怒って見捨てる結果につながりかねないことを示しています』とある。]

 

二四、佛たのんで地獄へ行く

註 『鬼の念佛』といふ通俗な諺も似よつた意味のもの。

 

二五、佛造つて魂入れず

註 言ひ換ふれば、佛像を造つてそれに精神を入れぬこと。此諺は或る事業を企ててその事業の最も本質的緊要な部分を仕終へずに殘す人の行爲に關して用ひる。これには「カイゲン」卽ち「開眼」といふ妙な式への暗示も含まれて居る。このカイゲンといふは一種の聖化で、その聖化の式の爲めに新たに造つた佛像が、その佛性を眞に現はして活きて來る、と想像されて居るのである。

 

二六、一樹(いちじゆ)の蔭 一河(いちが)の流 多少の緣

註 一樹の蔭に或る人と共に休むとか、或る人と同じ流の水を飮むとか、いふやうな些細な出來事でも、或る前生[やぶちゃん注:「ぜんしやう」。「前世」に同じ。]の因果關係で起こるのである。

 

二七、一盲 衆盲を引く

註 『大智度論』といふ佛書からのもの、讀者はリス・デヸツドの『佛書』(東洋聖典)一七三頁にこれに似寄つた話があり、――脚註に記載されて居て、それに或る印度の註釋者が說明を與へて居る頗る珍らしい譬話もある、ことを發見されるであらう。

[やぶちゃん注:「無門關 四十六 竿頭進步」にも出る(リンク先は私の原文・訓読・野狐禪訳)。愚かな者が、他の多くの愚かな者を導いて結局、皆、全部を誤らす結果となること。

「大智度論」インドの大乗仏教の論書。「摩訶般若波羅蜜經」(「大品(だいぼん)般若」)の注釈書。著者は竜樹。漢訳は全百巻で、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳。原本は伝わらない。大乗仏教の百科全書的著作で、中国・日本では「大論」と呼ばれて重視された。

『リス・デヸツドの「佛書」(東洋聖典)』原文“ Rhys-David's " Buddhist Suttas " (Sacred Books of the East) ”。 トーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズ(Thomas William Rhys Davids 一八四三年~一九二二年)はイギリスの東洋学者で、パーリ語と上座部仏教の研究で知られ、同書は一八八一年刊で、“Internet Archive”のこちらで原本の当該ページ(当該箇所は右の下部の「15」)が見られる。但し、私の乏しい英語力でも、本文では、三人の目の見えない視覚障碍者たちが前・中・後部で触れている対象物は、先の「一五、群盲(ぐんばう)の大象を撫(さ)するが如し」のようには、具体的に示されていない。小泉八雲が謂っているのは、下の注「2」(後半は次のページ下に続く)の、三人のそうした人々が、数珠つなぎになって騙されて荒野に捨てられた、という詳しい逸話注を指していよう。

 

二八、因果な子

註 不幸な或は不具な子に關して下等社會で用ひる普通な言葉。此の場合『イングワ』といふ語は殊に應報の意に用ひてある。通例惡るい方の因果に用ひる。善い方の因果とその結果との事を言ふ時にはクワハウといふ言葉を用ひる。不幸な子供を『因果な子』だといふ一方に、甚だ幸運な人をば『クワハウモノ』――言ひ換へれば、クワハウの一例――だと呼ぶ。

[やぶちゃん注:「クワハウモノ」「果報者」。]

 

二九、因果は車の輪

註 因果を車の輪に喩へることは佛敎を學ぶ人の能く知つて居ることである。此諺の意味は『法句經』の詩句の『中心念惡、卽言卽行、罪苦自追、車轢于轍』と全然同じである。

[やぶちゃん注:「法句經」「ほつくぎやう(ほっくぎょう)」と濁るのが普通らしい。パーリ語経典「ダンマパダ」の漢訳名。仏陀の言葉を生(なま)の形で伝える貴重な文献の一つで、古来、広く愛読され、仏教徒の思想と実践の指針とされてきた。全篇二十六章の四百二十三から成る詩句集で、パーリ上座部系統に属するもののほかに、大衆部が伝えたガンダーラ語のものや、説一切有部(せついっさいうぶ)系統の「ウダーナバルガ」の題名で伝えられたもの、その系統のチベット訳・漢訳の「法句經」二巻、「法句譬喩經」 四巻、「出曜經」三十巻、「法集要頌經」四巻などもある(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「中心念惡、卽言卽行、罪苦自追、車轢于轍」「法句經」の頌偈(じゅげ:仏の徳を頌(たた)える一種の詩形式のもの)にあり、

中心に惡を念じ、卽ち、言ひ、卽ち行ひ、罪苦、自から追ふこと、車の轍(てつ)を轢(ふ)むがごとし。

と訓読出来る。]

 

三〇、因緣(いんねん)が深い

註 戀人同志の愛著、若しくは二人の間に親密な關係の不幸な結果のことを言ふ時普通に用ひる言葉。

 

三一、生命(いのち)は風前(ふうぜん)のともしび

註 或は『風に曝露(さら)されたる灯の炎の如く』佛敎文學で能く用ひる言葉は『死の風』。

[やぶちゃん注:「死の風」原文“ “the Wind of Death.” ”だが、私は、聴いたことがない。これ、多分、今、言うところの、「無常の風に誘われる」英語で“To Be Carried Off by Death”のことだろう。

 

三二、一寸(すん)の蟲にも五分の魂

註 文字通りでは『五分の魂を有つ』五分は日本の一寸の半分[やぶちゃん注:十五・一五ミリメートル。]。佛敎では殺生を禁じて居て、感覺のあるもの悉くを生命ある物(ウジヤウ)の部類に入れる。が此諺は――「魂」(タマシヒ)といふ語を用ひて居るので知れるやうに――佛教哲理よりも聊か民衆信仰を反映して居る。どんな生物も、小さく或は賤しくとも、慈悲を受くべきであるといふことを意味して居る。

[やぶちゃん注:「ウジヤウ」「有情」。]

 

三三、鰯の頭(あたま)も信心から

註 イワシはサアデインに餘程能く似た甚だ小さな魚。此諺は、完全な信仰と純潔な意志とを以て祈禱を爲すならば、崇拜の對象が何であらうと、そは重きを爲さぬといふ意味である。

[やぶちゃん注:「イワシはサアデインに餘程能く似た甚だ小さな魚」いやいや! 八雲先生! ここでは意義を唱えます! それでは、ろくに海産生物の一般名詞も知らない有象無象の欧米人(嘗てのあなた)の半可通と同じになってしまいます! 「鰯(いわし)」、則ち、条鰭綱ニシン目ニシン亜目 Clupeoidei の複数種の小型魚類の総称である「鰯」は、イコール、英語の「サーデイン」(sardine)そのものですよ!

「重きを爲さぬ」というのは、若干、誤解を惹起させる訳である。原文は“The iwashi is a very small fish, much resembling a sardine. The proverb implies that the object of worship signifies little, so long as the prayer is made with perfect faith and pure intention.”であるが、ここは、「祈りがm心からの(仏教或いは神道の)信仰と純粋(正当にして正統)な意志に基づいてなされている限り、礼拝の対象が如何なるものであるかということは殆んど全く意味を持たないことを示唆している」で、「正直な信仰者の礼拝対象は、その如何を問わぬ」という意味でなくてはならぬ。大谷氏の訳では、「対象が淫祠邪教のものであっても、いい」というニュアンスを排除出来ないからである。

 

三四、自業自得(じごふじとく)

註 通俗な佛敎の文句でこれほど屢〻用ひる文句は少い。『ジゴフ』は自己の行爲或は思想の意味、『トク』は――佛敎的にこの語を使用する時は殆ど何時も不幸の意味で――自己に齎すといふ意味。『うん、そりや自業自得だ』といふ風に、人が牢屋へ連れて行かれるのを見て世間の人は言ふ、「自己の罪の結果を刈り入れて居ゐのである」といふ意味で。

[やぶちゃん注:小学館「日本国語大辞典」によれば、「正法念處經」の「七」とする。「大蔵経データベース」で確認した。]

 

三五、地獄でほとけ

註 不幸の折に善い友に會ふ喜を指して。上記のは省略で、この諺は全部は「ヂゴクデホトケニアフタヤウダ」。

 

三六、地獄極樂は心にあり

註 高等な佛敎と全く一致する諺。

 

三七、地獄も住家(すみか)

註 地獄に住まざるを得ぬ者共でもその境地に適應するやうになるに相違無いとの意味。人はいつもその境遇に出來るだけ善處しなければならぬ。これと似寄つた意義の諺に、『スメバミヤコ』卽ち『何處であらうと自分の家のある處が卽ち首府〔卽ち、帝都〕である』といふのがある。

 

三八、地獄にも知る人

[やぶちゃん注:原文は“Even in hell old acquaintances are welcome. ”。これは「地獄にあっても、古い知り合いは歓迎される。」の意である。「デジタル大辞泉」の「地獄にも知る人」に『地獄のような所でも、知己はできるものであるということ。地獄にも近づき。』とある。最近は使わないような気がする。少なくとも、私は六十八年の間、このフレーズを聴いたことがない。] 

 

三九、影の形(かたち)に隨ふが如し

註 因果の敎を指す。『法句經』第二十有二章參照。

[やぶちゃん注:既に注した「法句經」は仏陀の諸言の採録集で、複数のテクストがある。二二四年に支謙・竺将焔によって訳された漢訳経典には、

   *

心爲法本 心尊心使 中心念善 卽言卽行 福樂自追 如影隨形

(心を法本(ほふほん)と爲す。心、尊(たつと)く、心、使ふ。中心、善を念じ、卽ち言ひ、卽ち行はば、福樂、自(おのづか)ら追ふこと、影の形に隨ふがごとし。)

   *

とあり、また、立花俊道の大正七(一九一八)年刊の「國譯法句經」の「雙雙品(さうさうほん)第一」の二には、

   *

諸法は心に導かれ、心に統(す)べられ、心に作らる、〔人(ひと)、〕若(も)し淨(きよ)き心を以て、言(ものい)ひ且つ行はば、其よりして、樂の彼(かれ)に隨ふこと、猶ほ影の〔形を〕離はなれざるが如し。

   *

とある。しかし、より簡潔で判り易いそれは、「涅槃經」の「憍陳如品第二十五」(「きょうちんにょぼん」と読むか。「憍」は「驕(きょう)」の正字。サンスクリット語で「マダ」。煩悩の一つ)の、

   *

善惡之報 如影隨形 三世因果 循環不失

(善悪の報、影の形に隨ふがごとし。三世の因果、循環し、失はず。)

   *

であろうか。]

 

四〇、金(かね)は阿彌陀より光る

註 阿彌陀は梵語のアミタバ卽ち無量光佛。寺院にあるその像は頭から足まで通例金で鍍金[やぶちゃん注:「めっき」。]されて居る。富の力について他にも多くの皮肉な諺がある。例へば、ヂゴクノサタモカネシダイ卽ち「地獄での審判すら金に左右せられる」といふがある。

 

四一、借る時の地藏顏 濟(な)す時の閻魔顏

註 エンマはヤマ――佛敎では地獄の主で死者の審判者――の支那及び日本での名。この諺は附圖を見れば一番能く判かる、この二つの神が普通にはどういふ顏に現はされて居るかが解らうから。

[やぶちゃん注:閻魔は、サンスクリット語、及び、パーリ語のヤマの漢訳。なお、日本の仏教に於いては、中世になって、仏教内の本地垂迹的な説の中で――地蔵菩薩は閻魔王と同一の存在――と解され――閻魔王の本地は地蔵菩薩である――とされるウィキの「閻魔」によれば、『後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には』、「地蔵十輪経」に『よって伝来していた』ものの、『現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。平安時代になって』、『末法思想が蔓延するにしたがい』、『源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には』「預修十王生七經」から、更なる偽経である「地蔵菩薩發心因緣十王經」(「地藏十王經」)が『生み出され』、『これにより』、『閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず』、『十王信仰も普及するようになった。本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる』とある。]

Jizou

[やぶちゃん注:底本キャプション「地藏」。]

 

Enma

[やぶちゃん注:底本キャプション「閻魔大王」。]

 

四二、聞いて極樂 見て地獄

註 噂は當てにはならぬ。

 

四三、好事(かうじ)門を出でず 惡事千里を走る

 

四四、心の駒に手綱ゆるすな

 

四五、心の鬼が身を責める

註 情或は『心』これは我々はただ己れ自らの罪の結果に苦しむだけのことであるといふのである。佛敎の地獄での人間を拷問する鬼は被拷問者に向つて言ふ、『己を責めるな! 己にただお前自らの行爲と思想とが創造したものだ。お前が斯うさせる己を造つたのだ!』(三六番の諺參照)

 

四六、心の師とはなれ、心を師とはせざれ

 

四七、この世は假の宿

註 『此世界はただ旅人の宿屋である』と譯しても殆ど同樣に正しい譯でゐらう。『ヤド』は文字通りでは宿所、隱れ場、宿屋といふ意味である。そしてその語は日本の旅人が旅行中に立ち止まる路傍の休み茶屋にも屢〻適用する。『カリ』は一時の、暫時の、すぐ經つて行く、といふ意味で、あの普通な佛敎的な言葉『コノヨハ カリノヨ』卽ち『此世界は直ぐに經つて行く世である』に用ひてゐると同樣、佛敎信者には地獄極樂も亦、涅槃への旅の途中の止り場にしか思はれぬのである。

[やぶちゃん注:八雲先生! ここは、やっぱり、松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭、『月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也舟の上に生涯をうかへ馬の口とらえて老をむかふるものは日々旅にして旅を栖とす古人も多く旅に死せるあり』を引くべきでした! 甚だ残念です! 因みに、私の遠大なプロジェクト(完遂済)の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅0 草の戶も住替る代ぞひなの家   芭蕉』を、是非、見られたい。]

 

四八、氷を鏤め[やぶちゃん注:「ちりばめ」。] 水に描く

註 ただの一時の目的の爲めに利己的な努力を爲すは無駄であるといふこゝろ。

 

四九、ころころと啼くは山田のほととぎす父にてやあらん母にてやあらん

註 歌になつて居る諺は『往生要集』に記載されて居るもので、次記の註解が添へてある。『野なる獸、山林なる鳥、前生に於て己が父もしくは母たりしものなるやも圖られず』と。ホトトギスは一種のククウ。

[やぶちゃん注:「往生要集」浄土教の淵源である恵心僧都源信の著で全三巻。寛和元(九八五)年成立。しかし、このような説教歌は見当たらない。小泉八雲の謂うような注釈も私は知らない。不審。識者の御教授を乞う。

「ホトトギスは一種のククウ」原文“The hototogisu is a kind of cuckoo”。「ククウ」は「郭公」で、歴史的仮名遣なら「クワクコウ」とするべきところ。カッコウ目カッコウ科カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus 。]

 

五〇、子は三界の首枷

註 いふこゝろは、兩親のその子に對する愛は――啻に[やぶちゃん注:「ただに」。]此世に於てのみで無く、そのあらゆる來世を通じて――恰もクビカセ卽ち日本の首枷がそを置かれて居る人の舉動を妨げるが如くに、その霊の發達を妨げるかも知れぬ。親の愛情は、この世の愛著のうち最も强烈なものであるから、之に捉へられる人をして子孫に利益を與へんとの希望によつて殊に惡事を犯さしめがちである。サンガイといふ言葉は此處では――涅槃の下に位する生の境涯たる――欲界色界無色界を意味して居る。然し此の語は時に過去現在未來を意味するに用ひられる。

[やぶちゃん注:「欲界」(よくかい)は、以下の二つと合わせて「三界(さんがい)」と言い、一切衆生が、生まれ、また、死んで往来――輪廻する三つの世界を指し、この「欲界」は、その第一で、食欲・淫欲・睡眠欲などの、本能的な欲望が盛んな世界で、「六欲天」から「人間界」(=「六道」の「人間道」)、さらに、「八大地獄」に至る。

「色界」(しきかい)三界の第二。浄らかな物質からなる世界で、四禅を修めたものの生まれる天界。また、そのような有情の生存をも言う。「欲界」の上、「無色界」の下にあり、「欲界」のような諸欲からは離れているが、未だ、色としての物質から解放されていない世界。これを「四禅」の一々によって「四禅天」に分け、また、さらに「十七天」(または「十六天」・「十八天」)に分ける。「色界天」・「色天」とも呼ぶ。

「無色界」「色身」(しきしん)、則ち、「肉身」を離れ、物質の束縛を離脱した心の働きだけからなる世界。色界より上位の世界で、「空無辺処」・「識無辺処」・「無処有処」・「非想非非想処」の四天から成り、この境界の禅定(ぜんじょう:思いを静めて心を明らかにし、真正の理を悟るための修行法。精神を集中し、三昧(さんまい)に入って、寂静の心境に達すること。「六波羅蜜」(大乗仏教に於ける六種の修行を指す語。菩薩が涅槃に至るための六つの徳目で、「布施」・「持戒」・「忍辱(にんにく)」・「精進」・「禅定」(ぜんじょう)・「智慧」を指す)の一つ)を「四無色定」(しむしきじょう)という。「無色天」とも呼ぶ。この三界も「輪廻」の中に包含されるので、勘違いしてはいけない。] 

 

五一、口は禍の門(かど)

註 これは、惱の主因は不謹愼な言葉であるとの意味。カドといふ語はいつも住宅への主な入口を意味する。

 

五二、果報は寢て待て

註 クワハウといふ語は、全くの佛語で、前生に於ける善行の結果としての幸運を意味するのであるが、日常の會話におつては、如何なる種類でもの幸運を意味するやうになつて來て居る。此諺は『待つて居る茶釜は煮たたぬ』といふ英國の諺の意味に似た意味に屢〻用ひられて居る。嚴密な佛敎的な意味では『善行の報を餘り渴望するな』であらう。

[やぶちゃん注:「如何なる種類でもの幸運を意味するやうになつて來て居る」の「でもの」は躓く日本語である。「でも、」とすればいいのに。

「待つて居る茶釜は煮たたぬ」原文“Watched pot never boils”。「水を沸かしている鍋は、見つめていると、なかなか沸かない」から転じた「待つ身は長い・焦ってはいけない」の意の英語の諺(proverb:小泉八雲は“saying”と言っているが、厳密には、一般には「誰が言った判らない名言」を「saying」、「その名言の主が判っているもの」を「quote」、「よく使用される短いフレーズで、人生訓を含んでいるもの」を「proverb」と区別するようである)。]

 

五三、蒔かぬ種は生えぬ

註 種を蒔くに非らずば收穫を期待するな。熱心な努力が無くては如何なる報酬も得られぬ。

 

五四、待てば甘露の日和

註 カンロとは天界の甘き露。一切の善事は待つて居る人に來る。

 

五五、冥土の道に王は無し

註 文字通りでは『メイドヘの道には』メイドとは地獄を意味する日本語で、一切の死者が旅して行かねばならぬ冥い下界である。

[やぶちゃん注:「一切の死者が旅して行かねばならぬ冥い下界である」これは、明らかに誤りである。直に涅槃し、極楽に来迎されるケースでは、冥界を通過しない。

 

五六、盲(めくら)蛇(へび)に怖(お)ぢず

註 無智なる者及び不穩なる者は、因果の法を悟らぬことだから、其惡行が必らず招來する結果を恐れぬ。

 

五七、盈(み)つれば缺ける

註 月が大きくなつて滿月となるや否や缺け始める。丁度そのやうに繁榮の絕頂は運の衰微の始めである。

 

五八、門前の小僧習はぬ經を讀む

註 コゾウは『店の小僧』『使ひ小僧』『年季奉公人』を意味するやうに、また『寺の小僧』を意味する。然し此處では寺の門の近くか前かに在る商店に使はれて居る子供を指して居る。寺で讀む經を絕えず耳にするので、その小僧がその經語を自づと諳んずる[やぶちゃん注:「そらんづる」。]。これと似寄つた諺に、『クワンガクイン ノ スズメハ モウギウ ヲ サヘヅル』卽ち『勸學院〔昔の學問所〕の雀は蒙求を囀る』といふがある。『蒙求』といふは古昔若い學生が敎はつた支那の書物である。此どちらもの諺の敎は、今一つの諺で立派に言ひ表はされて居る。それは『ナラフ ヨリハ ナレロ』卽ち『〔或ふ技(わざ)を〕習ふよりか寧ろそれに慣れよ』言ひ換へれば『絕えずそれに接觸して居れよ』である。觀察と學習は硏究よりも好いぐらゐである。

[やぶちゃん注:「勸學院」は平安時代に藤原氏の子弟の教育のために創られた学校。

「蒙求」(まうぎゆう(もうぎゅう))唐の李瀚(りかん)が年少者のために著した歴史上の教訓を記した啓蒙書。七四六年以前の成立。五百六十九の事項を、歌いやすく覚えやすいように四字句の韻文にし、八句ごとに韻を変え、子どもが暗誦し易くしてある。宋の劉班の「両漢蒙求」以下、多くの類書が作られたが、中国では十七世紀以後は姿を消してしまった。日本には平安時代に移入され、江戸時代には注解書のほか、木下公定の「桑華蒙求」、菅享「本朝蒙求」などの翻案的類書が多くが作られ、近年に至るまで使われたことから、寧ろ、日本に伝存している。]

 

五九、無常の風は時を擇ばず

註 死と變化とは人の期待にその道を一致させはせぬ。

 

六〇、猫も佛性あり

註 猫とマムシ(毒蛇)だけが佛が死んだのに泣かなかつたといふ傳說あるに拘らず。

[やぶちゃん注:八雲先生は、これは、不審を示しておられるが、これは、禅に於ける問答上の方便に過ぎない。私の『無門關 一 趙州狗子 ――「無門關」全公開終了』を参照されたい。謂わば、公案・答案に於けるパラドクスである。

 

六一、寢た間(ま)が極樂

註 ただ睡眠の間だけ時に我々は此世の悲苦を知らずに居ることが出來る。

 

六二、二十五菩薩もそれそれの役

[やぶちゃん注:「それそれ」は原文のママ。]

 

六三、人見て法說け

註 佛數の敎理を敎へるには敎はる人の智慧にいつも適合せしめてでなくてはならぬ。これと同種類の今一つの諺がある。『キニヨリテホフヲトケ』卽ち『〔敎はる人の〕機根に應じて法を說け』である。

[やぶちゃん注:何度か述べてあるが、「法」は、一般的な意味のそれは、歴史的仮名遣で「はう」であるが、仏教用語の場合は、「ほふ」と読む。]

 

六四、人身(にんしん)受け難し 佛法遇ひ難し

註 通俗の佛敎では、人界に生まれること、殊に佛敎を信奉する國人のうちに生まれるといふことは、非常に大いなる特典であると敎へる。人間の生涯はどんなに慘めでも、少くとも尊い眞理を少しく知ることが出來る境涯である。然るに生の他の低い狀態にある者は、比較的に靈の進步は出來得ないのである。

 

六五、鬼も十八

註 オニ卽ち佛敎の鬼については幾多の妙な言葉や諺がある。例へば『オニノメニモナミダ』卽ち『鬼の眼にすら淚』とか、『オニノクワクラン』卽ち『鬼の霍亂〔非常に强壯な人の意外の病氣の事をいふ〕』とかいふやうな。オニといふ惡鬼の一類は固と[やぶちゃん注:「もと」。]佛敎の地獄のもので、拷問者や獄吏の役を勤めて居るものである。これは魔、夜叉、鬼神併びに他の部類の惡靈と混同してはならぬ。佛敎藝術では牛や馬の頭をした、異常な力を具へて居るものと現はしてある。牛頭の鬼を『ゴヅ』と呼び、馬頭の鬼を『メヅ』と呼んで居る。

[やぶちゃん注:八雲先生! 以上の標題は、これ、「鬼も十八番茶も出花」を出して、解説しないと、判りませんぜ!?!

 

六六、鬼も見慣れたるがよし

[やぶちゃん注:言わずもがなだが、これは、「全然知らない人よりも、如何なる間柄・関係であるにしても、以前からの知り合いの方がましであること。全くの初対面は何かと煩わしいものであり、たとえ、厭な相手でも、前から知っている方が良い。」という意味。実は、大谷氏、八雲が先生が、ちゃんと説明しているのに、判り切っていると思ったものか、完全にカットしてしまっている! 原文解説は、“ Even a devil, when you become accustomed to the sight of him, may prove a pleasant acquaintance. ”である(「たとえ、悪魔であっても、見慣れてしまえば、楽しい知り合いになるかも知れない。」)。] 

 

六七、鬼に金棒

註 大いなる力を强きもののみに與ふべしとの意。

 

六八、鬼の女房に鬼神(きじん)

註 邪慳な男は邪慳な女を妻にするといふ意。

 

六九、女の毛には大象も繫がる

[やぶちゃん注:これは、「男を引きつけて止まぬ女性の魅力を大きな象にたとえた言葉」である。巨象の脚を女の髪の毛で繋いだところ、一歩も動けなかった、という仏説に従がった故事成句である。多分、今の若い読者は「女の髪の毛が強靭てこと?」なんて考えたところで立ち止まってしまい、まんず、判らんぜよ!

 

七〇、女は三界に家無し

[やぶちゃん注:「三界」は先に注した「欲界」・「色界」・「無色界」で、ここは仏教上の極楽・地獄を含まない「全世界」の謂い。仏教では古くから女は「三従」と称し、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないとされたことから、「女性には、一生の間、広い世界のどこにも安住の場所はない」とされた。如何なる布施や修行を行っても女性は一度、男性に生まれ変わってからでなければ極楽往生は出来ないとする「変生男子」(へんじょうなんし)説のは、釈迦以来の仏教の男尊女卑の悪しき属性である。]

 

七一、親の因果が子に報ふ

註 跛[やぶちゃん注:「びつこ」。足の不自由な障碍者。]や不具な子供を有つた親に云ふ。然しこの諺に現はされて居る通俗の觀念は、全然高等な佛敎の敎に一致して居るものでは無い。

 

七二、落花枝に還らず

註 してしまつたことはしかへすことが出來ぬ。過去を立ち返らせることは出來ぬ。この諺はもつと長い經語『ラツクワ エダニカヘラズ、ハキヤウ フタタビテラサズ」卽ち「落花枝に還らず、破鏡再び照らさず」の省略である。

[やぶちゃん注:これは、逆で、「破鏡不重照 落花難上枝」(破鏡重ねて照らさず、落花枝に上り難し)であり、後唐の華嚴休靜大師の言葉とされる。北澤篤史氏のサイト「ことわざ・慣用句の百科事典」のこちらによれば、「景德傳燈錄」の「卷十七」のからとする。同書は、同サイト内のこちらに拠れば、『北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史で、全』三十『巻から成り立っています』。『この書は、過去七仏から天台徳韶門下に至る禅僧やその他の僧侶の伝記を収録しており、俗に「』千七百『の公案」とも称されるものの、実際に伝のある人物は』九百六十五『です』。『景徳元年』(一〇〇四年)『に道原が朝廷に上呈した後、楊億等の校正を経て』一〇一一『に公にされました。この書名は、公開された年号から名付けられたものです』。こ『の公表後、中国禅宗では燈史の刊行が続き、それは公案へと発展しました』。『現在でも、この書は禅宗研究の代表的な資料として重要視されていますが、内容には史実と異なる部分も存在することが指摘されています』。『撰者については、一説に拱辰が編集し、後に道原がこれを取得して提出したとも言われていますが、この説は中国の仏教学者陳垣によって否定されています』とあった。中文サイトのここで確認出来た。]

 

七三、樂(らく)は苦の種(たね)苦は樂の種

 

七四、六道は眼の前

註 言ふこゝろは、來世は此世での行爲如何に因つて定まる。だから此次に生まれ出る場處を自分で勝手に選ぶことが出來るのである。

[やぶちゃん注:確かに、原文は“That is to say, Your future life depends upon your conduct in this life; and you are thus free to choose for yourself the place of your next birth.
”であるが、この謂いは、因果応報の凄絶な皮肉を言っているようにしか、読めない。]

 

七五、三界無安

[やぶちゃん注:「さんがいむあん」。原文には、注で、“There is no rest within the Three States of Existence.
”とあり、「三つの存在の状態(先に注した「三界」)には休息は無い。」である。]

 

七六、三界に垣無し 六道にほとり無し

註 三界ち卽欲界、色界、無色界と、六道卽ち、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道とのうちに一切の生が包含せられて居る。このさきにはただ涅槃あるのみである。『垣無し』『隣[やぶちゃん注:「となり」。]無し』とは、その界を越えて逃れ行くべき界は無い、或る二つの境涯の間の中道は無いといふこと。我々は因果次第でこのどれかのうちへ再生するのである。(七四參照)

 

七七、懺悔には三年の罪も滅ぶ

[やぶちゃん注:近世以前は「懺悔」は「ざんげ」ではなく、「さんげ」と読む。小泉八雲は正しく“Sange”と原文する。寧ろ、現代人の殆んどは「ざんげ」としか読めない。]

 

七八、三人寄れば苦界(くがい)

註 クガイ(文字通りでは『苦(にが)い世界』)は屢〻醜業歸の生涯に對して用ふる語。

[やぶちゃん注:「醜業歸」娼妓・女郎・売春婦。]

 

七九、三人寄れば文殊の智慧

註 文殊菩薩〔梵語ではマンジュスリ、ボディサツトヷ〕は日本佛敎では特に智慧の神になつて居る。この諺は三人の頭は一人の頭より善いといふことを意味して居る。同じ意味の諺に『ヒザトモダンガフ』卽ち『自分の膝とでも談合せよ』言ひ換ふれば『如何なる忠言も、その原(もと)はどんなに賤しくとも、輕んずるな』といふがある。

 

八〇、釋迦に說法

 

八一、沙彌から長老

[やぶちゃん注:「沙彌」は「修行僧」で、「長老」は「深い学徳を具えた高僧」。「一足(いそく)跳びに出世すること」の譬え。但し、原文の注では、“To become an abbot one must begin as a novice.”で、「大修道院長になるには、修行僧から始めなければならない。」である。西洋人に判るように、“abbot”(アベット:原義は「キリスト教の男性大修道院長」。但し、仏教の「長老」の意味にも転用する)と、“novice”(ノーヴィス:キリスト教の修練者。「修道会に入って誓願を立てる前の見習い期間にある者」の意)としてある。

 

八二 死んだればこそ生きたれ

註 自分は此の珍らしい諺を聞く每にハクスリの有名な論文『生の物質的根柢に就いて』のうちの一文を想ひ出す。かう言つて居る、『生きて居る原形質は終には死んでその鑛質の無生の成分に還元せられるばかりでは無く、いつも死につゝあるので、この逆說は奇妙に聞こえるかも知れぬが、死ななければ生きられなかつたのである

[やぶちゃん注:この言葉は、私も好きな「沙石集」(無住道曉(号は一圓)編。弘安二(一二七九)年に起筆し、同六年に成立したが、その後も絶えず加筆されたため、それぞれの段階で伝本が多量に流布してしまった結果、異本が多く出回ってしまった)の「卷第三」の巻頭にある「癲狂人の利口の事」の初めに出る。この話、長いので、当該部と、それに続く部分のみを示す。底本は所持する岩波『日本古典文學大系』「86」一九六六年版(渡邊剛也校注)を用いた(カタカナはひらがなに改め、一部の読みを外に出し、読みは必要と判断したのみとし、一部で読点・記号を追加した。一部で改行して読みやすくしておいた。歴史的仮名遣の誤りはママである。一部の漢文脈の箇所は推定で訓読した。踊り字「く」は正字化した。〔 〕は校訂者の補填)。なお、新字であるが、全文は「やたがらすナビ」のここで電子化された全文が読める。但し、私の底本のとは異なる伝本のもので、甚だ異なる八雲が示したそれを、太字で私が附した。

   *

 或里に、癲狂(てんがう)の病(やまひ)ある男ありけり。此病は、火邊(ひのほとり)・水邊・人おほく集まる中にしておこる、心うき病なり。俗は「くつち」と云ふ、是なり。ある時、大河の岸にて、例の病おこりて、「くつち」げなる程に、河ゑ、落ち入りぬ。息も絕えてければ、水に浮びて、遙かに流れ行きて、河中の洲さきに押しあげられ、遙かにありて、蘇生(よみがへ)りて、世間を見れば、思はずに、河中にあり。

『こは爭(いか)に。』

と、心を靜めて案ずれば、
『我れは、河上の岸の上(ほとり)にこそありつれ。何とした事ぞ。』

と、思ひめぐらす程に、

『例の病、おこりて、落ち入りてむげり。あぶかりける命(いの)ちかな。』

と、淺猿敷(あさまし)く覺へて、獨りごとに、

死にたればこそ、生きたれ。生きたらば、死になまし。かしこくぞ死にける。凶(けう)に[やぶちゃん注:「稀有に」。思いがけなく。]死ぬらむに。」

とぞ、云ひける。

「實の[やぶちゃん注:頭注に『諸本「実に」。』とある。「まことに」。]大河の流れはやく、底、ふかゝりければ、息、絕へて、やがてしづみて、死すべかりけるに、死すべかりけるに、死ぬれば、水に浮ぶび流るる事なれば。」

かく云ひたる、いみじき利口なり。珍しくこそ。此の言(こと)ば、事はかぎれるに〔に〕て、世間出世の深き〔法(のり)の〕理(ことわり)まで、通ひてこそ覺へ侍れ。

 或る山寺法師〔に〕、この物語をせしかば、

「我が身にこそ、是れに似たる事、侍り。師匠にて侍る[やぶちゃん注:「はべる」。]老僧、下人を、或る所の地頭に取られて、頻りに沙汰をいたす。理(ことわり)もなき事なれば、問注對決(もんちうたいけつ)すとも[やぶちゃん注:問注所で対決しても。]、吐申(ひす)難(かた)なく侍り[やぶちゃん注:「訴えが受け入れられませんでした」の意であろう。]。

『この沙汰、とまめ給へ。』[やぶちゃん注:この争議は、お止(や)め下され。]

と、弟子ども申せども、本より、かたはり[やぶちゃん注:頭注に『意不詳。』『頑迷の意か。』とある。]事の人の、老いひがみて、諫(いさ)め事にも隨はず。しかり腹(はら)を立て[やぶちゃん注:怒り、腹立て。]申ししかば、彼(か)の心をすかさんむ爲に、件(くだん)の地頭の許へ行き向ひて、

『師匠にて候[やぶちゃん注:「さふらふ」。]老僧、下人の事、申し入れて候事の子細、承りしに、由緖ありて、召し仕はさる物にて候なれば、「此の沙汰、努々(ゆめゆめ)、やめられ候へ。」と〔弟子共[やぶちゃん注:「ども」。]、申し候へど〕も、老ひがみて用(もち)ゐ候はで、くねり腹立ち候間、彼(か)の心ををすかし候はむとて、「是れまで參りて侍れ共(ども)、しかしかの仰せなり。」と申しきかせて、すかし〔こし〕をゑむと存じて、「此れまでも、申し入れ候事、返す返(がへ)す恐れ入り候。」と、御披露候へ。』

とて、我れとまけて歸りしかば、彼(か)の人、呼び返して、

『此の僧は、ものに心ゑて、子細ある物なりけり。實(まこと)に道理はなけれども、御房のいはるヽ所、感じ思へば、此の下人は御房に奉るなり。』

とて、たびし[やぶちゃん注:「賜(た)びし」。]を、再三、辭し申し侍りしかども、しゐて[やぶちゃん注:「强(し)ひて」。]たびしかば、請け取りて歸り侍しなり。」

 是れこそ、いわば、「劣(ま)けたればこそ、勝ちたれ、勝ちたらば、負けなまし。かしこくぞ劣けてける。凶(けう)に[やぶちゃん注:先と同じで「稀有に」。]負くらむ〔に〕。」とひつべし。」

と申して、一座の比興(ひきよう)にて侍りき。

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【以上は、2025年4月24日追記したもの。】しかし、この言葉、後の「葉隱」(はがくれ:江戸中期(一七一六年頃)に書かれた。肥前国佐賀鍋島藩士山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録して纏めたもの。全十一巻)の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という軍国主義にいいように用いられてしまった一句を、私には、思い出させる。鎌倉の報国寺の元住職は、戦中、私の父が鎌倉学園の中等部に在籍していた際、漢文を教えていた。常に墨染の衣で、生徒は全員が机の上に正座させられて授業を受けた。その坊主は何時も「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」を口にしていたそうだ。而してこの父は、直後、鎌倉市で最年少の特攻兵(陸軍通信特攻隊)となった。しかし、九州の基地に行ってみると、木製の飛行機が一機あるだけで、ひたすら、リヤカーの木製模造戦車に向かって、竹の先に模擬地雷をつけたものを持って「特攻」する練習ばかりやらされた。幸いにして、内地で終戦を迎え、復員した日、鎌倉駅で、その住職に、偶然、逢ったそうだ。彼はダブルの、スリー・ピース・スーツを着ていた。彼は、驚愕して、「生きて帰れましたか! よかった! よかった!」と敬語で迎え、何度も挨拶したそうだ。この住職、長生きした。大学時代、鎌倉の郷土研究を個人的にしていたが、報国寺を訪ねた際、逢った。彼は「あの世も仏もない」(それも確かに禅の世界では真である)といった事を書いたトンデモ本でブレイクしており、何んと、名物の竹の庭に入るのに、当時としてはビックりした自動入園機を設置してあり、まんず、エラく儲けていたようだ。私を見かけて、「どうぞ! どうぞ! 本堂に上がっていいですよ!」と声をかけてきた。襖にはサイケデリックな絵が描かれていた。父の話をしようと思っていたが、呆れて、やめた。その代り、置いてあった薄い般若心経を一冊、こっそり貰っておいた。それが、父の代わりのささやかな彼への復讐であった。今も、この書斎に、ある。鎌倉の寺で、この時、一度しか行っていないのは、この寺だけである。

「ハクスリ」ダーウィンの進化論を支持して「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名でもって知られたイギリスの生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)。但し、自然科学者としての彼は、事実はダーゥインの自然選択説よりも、寧ろ、唯物論的科学を志向しており、参照したウィキの「トマス・ヘンリー・ハクスリー」によれば、『ダーウィンのアイディアの多くに反対であった(たとえば漸進的な進化)』とある。

「生の物質的根柢に就いて」一八六九年刊のエッセイ“ On The Physical Basis of Life ”(「生命の物理的基礎に就いて」)。もとは前年一八六八年の十一月八日にエジンバラで行われた講義で、そのテーマは「生命活動はそれを作る原形質の分子力の結果に過ぎない」というものであった。]

 

八三、知らぬが佛 見ぬが極樂

 

八四、正法(しやうほふ)に奇特無し

註 何物も永久な取り返しのつかぬ大法の結果としてのほか生じ得ぬものである。

 

八五、小智慧は菩提のさまたげ

註 ボダイといふは梵語のボディと同語で、無上の開悟――佛の身になれる知識――を意味するが、日本の佛敎では無上の祝福卽ち佛の境涯そのものの意味に屢〻用ひる。

 

八六、生死(しやうじ)の苦界ほとり無し

 

八七、袖の振り合はせも他生の縁

 

八八、寸善尺魔

註 マ(梵語ではマアラカアヰカス)は人間を誘うて惡事を行はしめる一種特別な一類の靈に與へて居る名である。然し日本の民間傳說では、マの演ずる役は西洋の民衆迷信でゴブリンやフエアリが占めて居る役に能く似て居る。

 

八九、纒ふは悲みのもと

 

九〇、飛んで火に入る夏の蟲

註 殊に肉體的放逸の結果について云ふ。

 

九一、土佛(つちぼとけ)の水あそび

註 すなはち、『土でつくつた佛が水あそびをするやうに危險な』子供は土で佛像をつくつて遊ぶことが能くあるが、固よりのこと水に入れゝば形なしに崩れる。

 

九二、月に叢雲[やぶちゃん注:「むらくも」。] 花に風

註 月の美は叢雲の爲め暗くされ、水は花を咲かすと、その花は直ぐ風に散らされる。美はしきものは總て果敢ない[やぶちゃん注:「はかない」。]。

 

九三、露のいのち

 

九四、憂(う)きは心にあり

 

九五、瓜の蔓に茄子は生(な)らぬ

 

九六、噓も方便

註 方便といふのは改信せしめる上の殊勝な方便である。「法華經」第三卷に有るあの有名な譬言を見ればかゝる方便は殊に是認される。

[やぶちゃん注:「法華經」の「譬喩品第三」であろう。個人サイトのこちらの現代語訳がよい。]

 

九七、我が家(や)の佛尊し

註 人は誰れしも自分の家の佛壇にあるホトケを――佛として視られて居る死者の靈を――崇め尊む、といふ意味。ホトケといふ語に皮肉な戲れがあるので、この語は單に死んだ人といふ意味にもなり、一箇の佛といふ意味にもなるのである。恐らく此諺の精神は今一つの諺を藉りるともつと能く說明が出來よう。『ニゲタサカナニ チイサイハナイ、シンダコニ ワルイコハナイ』卽ち『逃げた魚に小さいのは無く、死んだ子に惡るい子は無い』を合はせ考へるがよい。

 

九八、雲の果(はて)は涅槃

註 この珍らしい諺は自分の蒐集中ネハン(涅槃)といふ語を含んで居る唯一のもので、主としてその爲めこゝへ挿入したのである。普通の人は涅槃といふ言葉は滅多用ひず、この言葉が關係して居る甚深な敎理については殆ど少しも知つて居ないのである。上記の諺は、推察される如くに、通俗な言葉では無い。地平線までずつと雪が覆うて居て、その雪圏の向うは唯々空漠たる天空あるのみの風景を藝術的に詩的に述べたものである。

 

九九、善には善の報い 惡には惡の報い

註 一寸見には平凡な諺のやうに見えるがそれほどでも無い。此世に於て我身が受ける親切は悉く前生に於て他人に與ヘた親切の報であり、我々が蒙る禍は悉く前生に於て我々が犯した不正事の反映でゐるといふ、佛敎の信仰を特に指して居るからである。

 

一〇〇、前世(ぜんせ)の約束ごと

註 これは頗る普通な諺で、別離の不幸に對し、突然の不運に對し、突然の死去に對したりして、能く述べるものである。殊にシンヂユウ卽ち戀人同志の自殺に關して用ひる。そんな自殺は或る前生に於て殘忍であつた結果か、或はまた前生に於て夫婦にならうと相互の約束を破つた結果か、だと普通考へられて居る。

 

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