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2019/11/04

小泉八雲 蠶 (大谷正信譯)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ Silkworms ”)は一八九九(明治三二)年九月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“ IN GHOSTLY JAPAN ”(「霊的なる日本にて」。来日後の第六作品集)の第五話目に置かれた作品である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジット(左ページ)及び献辞の入った(右ページ)を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。言わずもがなであるが、「蠶」は「蚕(かひこ(かいこ))」の正字(旧字)である。蚕、則ち、鱗翅目カイコガ科カイコガ亜科カイコガ属カイコガ Bombyx mori の博物誌については、私の「和漢三才圖會卷第五十二 部 蠶」の私の注を参照されたい。なお、それは総論部で、その後に寺島良安は「白殭蠶(びやつきやうさん)」(白殭病(びゃくきょうびょう)に感染した蚕)・「原蠶(なつご)」「繭(まゆ)」「雪蠶(せつさん)」(実在は疑問。全くの他種の昆虫。或いは。その幼虫かも知れない。注で私が考証した)他、蚕ではない「水蠶」・「石蠶」「海蠶」とセットになっているのもあるので、見られたい。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年4月16日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。(リンクは扉だが、「家庭版」の文字はない。しかし、奥附を見て貰うと『家庭版』とあり、『昭和十一年十一月二十七日 發 行』とあることが確認出来る)、これが、前掲の底本と同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「骨董」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。いや、同じ「家庭版」と名打ったネット上の画像データでも、驚いたことに、有意に異なっていたのである。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本作はここから。添え辞附きパート中標題はここ

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 原「註」及び「譯者註」は底本では四字下げポイント落ちであるが、同ポイントで引き上げた。また、本篇では、大谷氏は基本的に「蟲」ではなく、「虫」の字を用いつつも、時に「蟲」も用いている。それらの混在はママであるので注意されたい。

 

 

  

 

 

       

 古い日本の、否、寧ろ支那の、諺の中にある『蛾眉』といふ句の意味が自分には解らなかつた。それは『女の蛾眉は男の智慧を斷つ斧』といふのである。其處で自分は、蠶を飼うて居る新美(にひみ)といふ友人へ、說明を求めに行つた。

[やぶちゃん注:中国の諺にある、「蛾眉皓齒、伐性之斧」(がびかうし、ばつせいのおの)であろう。「蛾眉」は、蛾の触角のような眉という喩えで美人の眉、「皓齒」は白い輝く歯で、共に美人の女性の魅力を指し、所謂、「女色に溺れると、それは斧のように、男は正しき本性を致命的に断ってしまう」という誡めである。

「新美」小泉八雲の書生に、一高の学生であった新美資良(すけよし)がいるが(後に病死)、或いは、彼の実家かと思われる。]

 彼は頓狂な聲で『あなたは蠶の蛾を一度も御覽になつたことが無いのですか。蠶の蛾には非常に美くしい眉があります』と言つた。

 『眉が』と自分は驚いて質問した。

 『え〻』と新美は答へて『あなたは何と仰しやらうと、詩人はそれを眉と呼んでゐます。……一寸待つて下さい、御覽に入れませう』と言ふ。

 彼は客間を去つた。そして軈て[やぶちゃん注:「やがて」。]、蠶の蛾が一匹睡さうにそれに載つて居る、白い團扇を手にして歸つて來た。

 『私共はいつも五六匹は種を取る爲めに除(の)けて置きます』と彼は言ふのであつた。――『これは今、繭から出たばかりです。固より飛べません。飛べるのは一匹も居ません。……さ、眉を見て御覽なさい』

 自分は眺めた、そしてその頗る短いそして羽毛のやうな觸角が、本當に麗はしい一對の眉に見えるやうに、その天鵞絨[やぶちゃん注:「ビロード」或は「びろうど」。]のやうな頭の、寶玉を點に入れたやうな二つの眼の上に、弓と反りかへつて居るのを見た。

 それから新美はその蠶を見せに自分を連れて行つた。

 新美の近處には、桑の木が澤山あるので、蠶を飼うて居る家が多い。――世話したり物食はせたりは大抵は女や子供がするのである。蠶は、高さ三呎[やぶちゃん注:「フィート」。約九十一センチメートル。]許りの輕い木製の臺の上に揚げてある、楕圓形の大きな盆に入れてあつた。幾百もの幼虫が一つの盆の中で一緖に物を食うて居るのを見、其桑の葉を嚙みながら立てるサワサワと軟らかい紙のやうな音を聞くのは珍らしかつた。成熟期に近寄ると、殆ど絕え間無しに注意する要がある。間(あひだ)短く置いて或る老練家が經過を視に一々の盆を見舞つて、一番圓く肥えたのを拾ひ上げ、人差指と拇指との間でそつと轉がして、どれが紡ぐ用意が出來て居るかを見定める。それを蔽[やぶちゃん注:「おほひ」。]のある箱の中へ落とすと、直ぐと己が身を白い毧毛(わたげ)に卷き包んで見えなくなつてしまふ。そのうち最上なもの五六匹だけ――子を產ませに選擇されたものだけ――その絹の睡眠から出ることを許される。それは美くしい翅を有つては居るが、それを使用することは出來ぬ。口はあるが、物を食ふことはせぬ。ただ番つて[やぶちゃん注:「つがえて」。交尾して。]、卵を產んで、そして死ぬるだけである。幾千年の久しき、その種族は充分に大切に世話され來たつて居るので、もはや自分で自分の身の世話が出來ないやうになつて居るのである。

 

 新美とその(蠶を飼うて居る)弟とが、飼育の方法を親切に說明して居る間に、主として自分の心を占めてゐたのは、今最後に述べたその事實が示す進化論的敎訓であつた、二人は、種々な品種に就いて、また飼ふことの出來ない野生の二種類に就いて、いろいろ珍らしいことを自分に話した。この野生のは、或る目的の爲めにその翅を使用することの出來る、元氣な蛾にならないうちに、見事な絹を紡ぐといふ。が、自分は、その問題に興味を感じて居る者のやうな振る舞ひをしなかつたかと氣づかふ。といふのは、聰いてゐようとしながらも、自分は冥想を始めたからである。

[やぶちゃん注:少なくとも、ここで語られる新美兄弟の解説は――或いは、彼らにとっては、当たり前のことだったからだったからかも知れぬが――以上を一読する限りでは、やや不親切な感じがする。カイコガは「家蚕(かさん)」とも呼ばれるように、昆虫類では極めて珍しく

――完全に家畜化された昆虫

であり

――野生には生息しないこと――則ち――野生種のカイコガは存在しないこと――如何なる狭義のカイコガも――総て野生では生存・繁殖することは出来ない

という特異な性質が語られていないからである。ウィキの「カイコ」によれば、『カイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、餌がなくなっても逃げ出さず、体色が目立つ白色であるなど、人間による管理なしでは生育することができない』。『カイコを野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されるか、地面に落ち、全滅してしまう可能性がある。幼虫は腹脚の把握力が弱いため』、『樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると』、『容易に落下してしまう。成虫も翅はあるが、体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化していることなどにより、羽ばたくことはできるが』、『飛ぶことはほぼできない』。『養蚕は少なくとも』五千『年の歴史を持つ』。『伝説によれば』、『黄帝の后・西陵氏が、庭で繭を作る昆虫を見つけ、黄帝にねだって飼い始めたと言われる。絹(silk)の語源は、西陵氏(Xi Ling-shi)であるという』。『カイコの祖先は』現在、『東アジアに生息』しているカイコガ属クワコ Bombyx mandarina『であり、中国大陸で家畜化されたというのが有力な説である』。但し、『カイコとクワコは近縁だが』、『別種とされる』ものの、『これらの交雑種は生殖能力をもち、飼育環境下で生存・繁殖できることが知られているが、野生状態での交雑種が見つかった記録はない』。『一方でクワコはカイコとは習性がかなり異なり、夜行性で活発に行動し』、また、『群生する事が無い。これを飼育して絹糸を取る事は可能ではあるが、大変であり』、寧ろ、『科レベルにおいてカイコとは異なる昆虫であるヤママユ』(ヤママユガ科ヤママユガ亜科ヤママユ属ヤママユ Antheraea yamamai )『のほうが、絹糸を取るために利用される』。五千『年以上前の人間が、どのようにしてクワコを飼いならして、カイコを誕生させたかは、現在に至るも完全には解明されていない。そのため、カイコの祖先は、クワコとは近縁だが』、『別種の、現代人にとって未知の昆虫ではないかという風説』『が流布している。しかし、ミトコンドリアDNAの情報や』『全ゲノム情報』の解析を『もとに系統樹を作成すると、カイコはクワコのクレード』(Clade:系統群)『の一部に収まるため、この仮説は支持されない』とある。いや――或いは、最後の部分で、意識が自身の空想の方へ傾いてしまった小泉八雲が、新美兄弟の話を話半分に聴いて、この辺りの話を聴き洩らしてしまった可能性の方が高い。「飼ふことの出來ない野生の二種類」の「飼ふことの出來ない野生の」は、寧ろ、小泉八雲の誤りで、「二種類」というのは、彼らがせっかく丁寧に説明してくれた「春蚕(はるご)」と「夏蚕(なつご)」、或いは「秋蚕(あきご)」(「初秋蚕」・「晩秋蚕」・「晩々秋蚕」に別れる)「冬蚕(ふゆご)」(九月中下旬に掃く「初冬蚕」)もいる)などの話を、聴き違えたもの、とも疑われるからである。

 

       

 先づ第一に、アナトール・フランス氏が述べて居る、或る愉快な空想を自分は考へて居るのであつた。若し自分が造物主であつたなら、靑春をば人生の初に置かずに終に置いたであらうし、さも無くば、人間はいづれも、鱗翅類の發育の階梯に稍〻相當するやうな、發育の三階梯を有つやうに取り計らつたのであらう、とフランス氏は言ふ。自分は考へて居る間に、この空想は實質に於て、殆どあらゆる高級な宗敎に共通な、或る頗る古い敎理の微妙な變形に過ぎない、といふ念が不圖頭に浮かんだ。

[やぶちゃん注:フランスの詩人・小説家アナトール・フランス(Anatole France 一八四四年~一九二四年)の、私はそれしか読んだことがないアフォリズム集“ Le Jardin d'Épicure ”(「エピクロスの園」・一八九五年)の一節かとも思ったが、どうも見当たらない。出典について識者の御教授を乞うものである。]

 西洋の信仰は、此世に於ける我々の生涯は貪欲な手緣(たより)の無い幼虫狀態である事、また、死はそれからして我々が永久の光明へ翔り上る[やぶちゃん注:「かけりのぼる」と訓じておく。]蛹睡眠である事を、殊に敎へる。感性のあるその存在中は、外的身體はただ一種の幼虫として、そしてその後は蛹として、考ふべきであると我々に語る。――そして、幼虫としての我々の行狀次第で、死を免れぬ上包(うはづつみ)の下(もと)にあつて翅を發展する力を失ふか或は得るかする、と斷言する。それからまた、『靈魂の成蟲(サイキイ・イメーゴ)』[やぶちゃん注:“Psyché-imago”。]が破れた繭から離れ出るのが見えぬ、といふ事實に心を勞するな、と我々に告げる。我々人間は幼虫同樣半盲目な視力しか有たないのだから、眼に見える證據が無いといふ事は、何も意味しはしない。我々の眼はただ半分進化して居るだけである。我々の網膜の感受性の限界の上(うへ)にも下(した)にも、色の全階段(スケール)が眼には見えずに存在して居るでは無いか。丁度それと同じに――當然の事、我々はそれを見ることは出來ぬけれども――『胡蝶的人間』は存在するのである。

[やぶちゃん注:「胡蝶的人間」原文“the butterfly-man”。これは「移り気な浮気っぽい奴」或いは「おべっか使い」の意で、ここは「と言った輩(やから)は確かにこの世に居はするのと同じこと。」という小泉八雲の洒落れである。]

 が、完全な天福の狀態に於て、この人間の成蟲(イメーゴ)はどうなるであらうか。進化論的見地からこの問題は興味がある。ところがその明白な答を、この――飼はれてやつと數千年しか經つてゐない――蠶の身の上が自分に暗示した。我々が天上界で――言はば――幾百萬年も飼はれたとして其結果を考へて見るが宜い。自分は、それを希ふ人達に、あらゆる願望を意の儘に滿足することが出來るやうになつて居る境涯の究極の結果を言ふのである。

 彼(か)の蠶どもは、その希ふ所總てを――それより隨分と餘計なぐらゐ――得て居る。その要求は、頗る單簡であるけれども、基本的には人類の必要とするものと全然同一である――食物、庇保物[やぶちゃん注:「ひほうぶつ」。原文“shelter”。ここは「安穏に棲む場所」の意。今や、「シェルター」の方が断然判るようになってしまった。]、暖かさ、安全、それから愉樂である。我々の際限無しの社會的奮鬪は主として此等のものを得んが爲めである。我々の天上界の夢は、此等のものを少しも苦痛を費さずに得るといふ夢である。ところが、彼の蠶どもの境遇は、小さいながら、我々が想像して居る天國を實現して居るものである。(そのうち大多數は、苦惱を味はひ第二次の死を受ける運命を豫め有つて居るといふ事實を自分は今考へては居ない。自分の題目は天界のことで、助からぬ魂のことでは無いからである。自分は選ばれた者に就いてと再生との豫定を有つて居る虫共に就いて――救濟と再生との豫定を有つて居る蟲共に就いて――話して居るのである)恐らくは彼等虫共は、極く弱い感覺しか感じ得ぬであらう。確に彼等は祈禱はすることが出來ぬ。が、若し彼等が祈禱を爲し得るならば、食はせて世話して吳れて居る靑年から既に受けて居る以上のことは、何も希ふことはあるまいと思ふ。彼(か)の靑年は彼等の加護(プロビデンス)[やぶちゃん注:“providence”。「摂理・神意」・「神・天帝」。]であり――ただ漠然極つた有樣にその存在を氣附くことはあり得る神ではあるが、然し正(まさ)しく彼等が要求するやうな神なのである。ところが我々は、彼等と同樣に、彼等のよりも、もつと複雜な我々の要求に比例して、充分能く世話を受けたならば幸福であらう、と愚かにも思はうとする。我々の祈禱の普通の形式は、同樣な注意をと念じて居る我々の願望を證明して居はせぬか。我我の『神聖な愛の必要』の主張は、蠶のやうに取扱つて欲しい――神々の助に依つて苦痛無しに生きたい――といふ無意識な告白では無いのか。が然し、若し神々が我々が欲するやうに我々を取扱はれるとすれば、我々はやがてのこと、彼(か)の偉大なる進化の大法は遙かに神々よりも上にあるといふ――所謂『退化(デビネレーシヨン)の證據』といふもので――新しい證據を我々に提供することであらう。

[やぶちゃん注:「退化の證據(デゼネレーシヨン)」“the evidence from degeneration”。“degeneration”(ディゼェレネーション)は「堕落・退廃・退歩・退化・変性・変質」の意。「evolution」(進化)の対語。]

 その退化の第一階段は、我々は自己を支へることが全然出來無くなるといふことで現はれて來るであらう。――それから次には、我々のより高等な感覺器官を使用することが出來ぬやうなり始めるであらう。――後には、腦髓が萎縮して、消えかかつた、ピン尖[やぶちゃん注:「さき」。]程の物質になるであらう。――なほ後には、我々はただの無定形な囊に、ただの盲目な胃袋に、縮むであらう。これが、我々があんなに橫着に希望して居る、彼(あ)の種類の神聖な愛を受け得た時の肉體的結果であらう。永遠の平和の裡に永遠の天福をといふ熱望は、死と暗黑との大王が與へる惡意ある皷吹[やぶちゃん注:「こすい」。「鼓吹」に同じい。]であると思つて宜い位である。奮鬪と苦痛との所產として初めて――宇宙の諸大力と際限無しの戰鬪の結果として初めて――感じたり考へたりする生物が存在するやうになつたので、またこれからも引き續き存在して行かれるのである。そして宇宙の大法は一步も讓步はしない。どんな器官でも苦痛を知ることが無いやうになれば――どんな器官でも苦痛といふ刺戟の下に使用せられることが無くなれば――存在することも無くなるに相違ない。苦痛とその努力とを中止して見よ、生は元へ縮み還つて、初めには原形質的な形無しの物になり、その後、塵土に歸してしまふに相違無い。

[やぶちゃん注:この小泉八雲の、進化のように見える退化、適応のように見える不適応、フィードバック不能の身体の致命的絶滅的萎縮・奇形化の問題は、現代の生物学が警鐘している、頗るアップ・トゥ・デイトな「ヒト」という種の抱えている恐るべき危機なのである。

 

 佛敎――これは、その獨得な崇高な行き方で、一個の進化論なのであるが、その佛敎――では、その天界をば、苦痛に依つて向上する發展の、より高い段階であると合理的に宣べ[やぶちゃん注:「のべ」。]、且つ、極樂に在つてすら、努力の休止は墮落を生ずる、ことを敎へる。同じく有理に、超人間世界に在つて苦痛を受け得る力は、常に快樂を受け得る力に比例して增加する、と述べる。(我々は、より高い進化は、苦痛の感受性の增加を、その中に含むことを知つて居るから――科學的見地からして、この敎には非難すべきところは殆ど無い)『正法念處經』に、欲界では、死の苦痛は、あらゆる地獄の苦痛もその苦痛の十六分の一にしか相當しない、ほどに大である、と書いてある

 

註。この陳述は、肉感的快樂の天界に就いて言うて居るだけで、彌陀の淨土極樂について言うて居るのでも無く、靈的に再生して入る彼(あ)の天界について言うて居るのでも無い。が、最も高いまた最も非物質的な境涯に――形あること無き天界に――あつてすらも、努力と努力の苦痛との中止は、より低い境涯へ再生するといふ罰を受けることになる。

[やぶちゃん注:「正法念處經」(しやうぼふねんじよきやう(しょうぼねんじょきょう))。全七十巻。元魏の般若流支訳。原典の成立は四~五世紀頃で、経名に「念處」とあるように、内観を通して三界六道の因果を詳しく説いており、大乗的色彩も見られて、特に地獄に関する内容が詳しく記されている。法然は「選擇本願念佛集」の「十二」で、行福論の深信因果について「これに付いて二有り。一には世間の因果、二には出世の因果なり。世間の因果とはすなわち六道の因果なり。『正法念經』に說くがごとし」と記している(サイト「新纂 浄土宗大辞典」のこちらに拠った)。]

「欲界」三界の一。無色界・色界の下に位置する。食欲・貪欲など欲望のある世界。六欲天・人間界・八大地獄のすべてを含む。]

 

 上述の比較は不必要なほどに强い。が、天界に關する佛敎の敎は、實質に於て、著しく論理的である。感覺ある生活の、想像し得らる〻どんな狀態に在つても、苦痛の――精神的或は肉體的苦痛の――禁止は、必然的にまた快樂の禁止といふことになるであらう。――そして確に、精神的であらうが物質的であらうが、一切の進步は、懸かつて苦痛に出會うて之を征服する力如何に在るのである。我々の娑婆の本能が我々そして希望せしめるやうな『蠶極樂』では、勞役の必要を免れてその欲求悉くを意の儘に滿足せしめ得る天使(セラフ)は、終にはその翅を失つて幼虫の狀態へ逆戾りすることであらう。……

[やぶちゃん注:「天使(セラフ)」“seraph”。キリスト教やユダヤ教で言う「天使」。複数形は「セラフィム」(seraphim)。狭義には、天使の九階級の中で最上とされている「熾天使」(してんし)を指す。一般には三対六枚の翼を持ち、二つで頭を、二つで体を隠し、残り二つの翼で羽ばたき、神への愛と情熱で体が燃えていることから「熾(「燃え輝く」の意)天使」と呼ばれる。因みに、高慢の故に堕天して悪魔の王となった「ルシファー」(Lucifer:原義は「光り輝く者」の意)も、この熾天使の一人で、彼は特別に十二の翼を有していた、とされる。]

 

       

 自分はこの空想の大意を新美に話した。彼は佛敎の書物を能く讀む靑年であつたのである。

 彼は言つた、『あ〻、あなたが說明して吳れと仰しやつた諺、「女の蛾眉は男の智慧を斷つ斧」で、佛敎の奇妙な話を憶ひ出しました。佛敎の敎理に據ると、この諺は下界の生活に就いて言つても眞でありますが、天界の生活にも眞であるやうに思はれます。……その話といふは斯うであります。――

 

 『釋迦が此の世に住まつて居られた時、その弟子の一人の、難陀といふが、或る女の美しさに惑はされました。そして釋迦はその迷の結果を身に蒙らぬやうしてやらうとお思ひになりました。そこで釋迦は難陀を、山の中の、猿の居る荒れた處へ連れて行つて、非常に醜い雌猿を見せて、「どつちが美しいか、難陀よ、――お前が愛して居るあの女か、この雌猿か」とお尋ねになりました。難陀は聲を揚げて「あ〻師よ、愛らしい女と醜い猿と比べものになりますか」と言ひました。「お前はやがてその比較を自分ですべき理由を屹度見出すだらう」と佛はお答になりました。――それから、すぐと通力に依つて、難陀を連れて、欲界六天の第二天の三十三天へ御昇りになりました。其處には寶石の宮殿で、多數の天女が、音樂と舞踊とで何か御祝をやつて居るのが、難陀の目に見えました。その天女のうちで、一番美くしくないものでも、その美しさは、下界の一番麗はしい女の美しよりか譬へやうも無いほど勝さつて居りました。難陀は「あ〻師よ、これは何といふ不思議な御祝でせうか」と叫びました。「あのうちの誰れかに聞いて見よ」と釋迦はお答になりました。そこで難陀はその天女の一人に尋ねますと、それが答へて申しますに、「この御祝は、私共の處へ參つた善い知らせを祝うてのことであります。今、下界に、釋迦の弟子の中に、難陀といふ優れた靑年が居りますが、それがその神聖な生活の功德によつて、間も無く天界へ再生して、私共の婿になられます。私共は歡び喜んでその方を待つて居ります」この返答を聞いて難陀の胸は喜に充ちました。その時佛は難陀に、「難陀よ、あの少女達のうち誰れか、お前が今愛して居る女と、美しさの同じなのが居るか」とお尋ねになりました。「どうして、あなた」と難陀は「その女が、山で見ました雌猿より美しさが優つて居ると丁度同じ度合に、その女はまた、この少女達のうちで一番醜いのよりも劣つて居ります」と答へました。

 『それから佛は直ぐと難陀と一緖に地獄の底へ降りて行つて、幾百萬といふ男や女が、大釜で生きながら煮られたり、鬼の爲めに他のいろんな恐ろしい目に遭はされたりして居る、拷問部屋へ連れてお行きになりました。その時見ると、難陀は、金(かね)の溶かしたのが一ぱい入つて居る大きな容物(いれもの)の前に立つて居るのでありました。――その中には誰もまだ入つてゐないものですから、難陀は恐れまた怪みました。用無しの鬼が、欠伸[やぶちゃん注:「あくび」。]して、その橫に坐つて居りました。「師よ」と難陀は「誰れの爲めにこの容物は用意してあるので御座いませう」と佛に尋ねました。「あの鬼に尋ねて見よ」と釋迦はお答へになりました。難陀は言はれたやう致しました[やぶちゃん注:ママ。「やうに」の脱字かも知れぬ。]。するとその鬼が難陀に申しました、「難陀といふ男が――今釋迦の弟子の一人だが――それが前生の善行の爲めに、或る天界へ生まれかはらうとして居る。が、其處で氣儘に暮らしてから、今度は此地獄へ生まれかはる事になつて居る。その男の居場所はこの鍋の中だ。おれはその男を待つて居るところだ」』

 

註 自分はこの說話を聞いた儘大要を揭げる。が、自分は、出版になつて居る原經句とこれを比較することが出來ずに居る。新美は、漢譯が二種――一つは一『本行經』(?)、一つは『增一阿含經』(エコツタラガマス)[やぶちゃん注:これはルビではなく、本文。]――あると言ふ。ヘンリ・クラーク・ワレン氏の「反譯物での佛敎」(此種のものの中では、自分がこれ迄見た一番興味ある又價値ある單行本である)には、この傳說の巴利語譯[やぶちゃん注:「パーリ語からの英訳」の意。]があるが、上記のとは餘程異つて居る。ワレン氏の著書に據ると、その難陀は貴公子で、釋迦牟尼の異母弟である。

譯者註 原著者が舉げたやうな諺[やぶちゃん注:本篇初段のそれを指す。]があるのか譯者には疑はしい。蛾眉は美女の意に用ふるものであるが、「美女は生を斷つ斧」といふ諺はあるやうである。智慧をでは無く、生を斷つ、といふ句では、「呂氏春秋」に「靡曼皓齒、伐生之斧」といふ句がある。

[やぶちゃん注:「難陀」この名を有する仏弟子は多いが、小泉八雲の註の「釋迦牟尼の異母弟」に従うなら、孫陀羅難陀(そんだらなんだ)である。ウィキの「孫陀羅難陀」にある「出家後の苦悩と悟り」の項の、『釈迦仏が故郷カピラ城に帰国して』数日後、『難陀の王子即位式及び、新殿入初式、結婚式を行っていた。妻は国中で一番の美人とされる女性だったと伝えられるが、その妻との結婚式の最中に、釈迦仏が場内に入り』、『祝歌を唱歌し』、『彼に鉢を渡して立ち去った。難陀は仏の後を追って、ついにニグローダ樹苑にある精舎まで来てしまい』、『剃髪させられて出家してしまったといわれる』。『しかし』、『出家して仏の教下によって修行するも、彼は妻のことをなかなか忘れられず悩んで、修行を止めて妻の元に帰らんと欲していた。彼の心中を悟った釈迦仏は、神通力の方便をもって、三十三天の帝釈天に随う』五百『人の美しい天女を示し、釈迦族の女性とどちらが美しいかと難陀に問い、天女だと答えると、釈迦仏は』五百『人の天女を得ることを保証し、難陀は修行を決意する』が、『比丘たちの非難を受けて』、『大いに恥じ入り、心を入れ替え』、『証果を得たといわれる』という逸話と一致する。この記載はNanda Sutta: Nanda" translated by John D. Ireland”に依拠する旨の注がある(リンク先はその英文)。

「本行經」(ほんぎやうきやう)「仏本行経」(ぶつほんぎょうきょう)別名「佛本行讚傳」のこと。全七巻。中国の南北朝時代の南朝王朝である劉宋(四二〇年~四七九年)の宝雲の訳で、釈尊一代の行状を記したもの。

「『增一阿含經』(エコツタラガマス)』原文“ Zōichi-agon-kyō (Ekôttarâgamas) ”。「增一阿含經」(ざういつあごんきやう/サンスクリット語ラテン文字転写:Ekottara Āgama:音写「エコッタラ・アーガマ」)。漢訳「阿含經」の一つ。大衆部所伝の経典。パーリ語経典の「増支部」(アングッタラ・ニカーヤ)に相当するが、内容は異なっている。約五百二十経ある。

「ヘンリ・クラーク・ワレン」アメリカのサンスクリット及びパーリ語に精通した仏教学者ヘンリー・クラーク・ウォーレン(Henry Clarke Warren 一八五四年~一八九九年)。

「反譯物での佛敎」原文は“ Buddhism in Translations ”。ウォーレンが一八九六年に刊行したもの。但し、原題は“ Buddhism in Translation ”で、複数形ではない。

「巴利語」南伝上座部仏教の経典(「パーリ語経典」)で主に使用される言語。「バーリ語」とも呼ぶ。古代インドの中西部で用いられた「プラークリット」(俗語)を代表する言語。

「呂氏春秋」(秦の宰相呂不韋(りょふい)が門下に集まった食客の著作を編集した書。全二十六巻。道家・儒家思想を主として先秦の諸家の学説を網羅したもの)の「孟春紀」の「本生」に(太字は私が附した。訓読は私の自然流)、

   *

貴富而不知道、適足以爲患、不如貧賤。貧賤之致物也難、雖欲過之奚由。出則以車、入則以輦、務以自佚、命之曰招蹶之機。肥肉厚酒、務以自彊、命之曰爛腸之食。靡曼皓齒、鄭・衞之音、務以自樂、命之曰伐性之斧。三患者、貴富之所致也。故古之人有不肯貴富者矣。由重生故也、非夸以名也、其實也。則此論之不可不察也。

(貴富にして道を知らざれば、適(たま)たま、以つて、患(うれ)ひを爲すに足る。貧賤なるに如(し)かざるなり。貧賤の物を致すや、難(かた)し。之れに過ぎんと欲すと雖も、奚(いづ)くにか由(よ)らんや。出づれば、則ち、車を以つてし、入りては、則ち、輦(れん)を以つてし、務めて、以つて、自ら佚(いつ)す[やぶちゃん注:楽をする。]。之れを命(な)づけて、「招蹶(しやうけつ)の機」[やぶちゃん注:「蹶」は「躓(つまず)き」の意。]と曰ふ。肥肉・厚酒、務めて、以つて、自(おもづか)ら彊(しい)る[やぶちゃん注:暴飲暴食する。]。之れを命(な)づけて「爛腸(らんちやう)の食」と曰ふ。靡曼皓齒(びまんかうし)、鄭(てい)・衞(ゑい)の音[やぶちゃん注:音楽。後注参照。]、務めて、以つて、自ら樂しむ。之れを命づけて「伐性(ばつせい)の斧(おの)」と曰ふ。三患[やぶちゃん注:以上の三種の過ちを指す。]なる者は、貴富の致す所なり。故に古への人、貴富を肯(がへ)んぜざる者あり。生を重んずるに由るの故なり。夸(ほこ)る[やぶちゃん注:誇る。]に名を以つてするに非ざるなり。其の實の爲(ため)なり。則ち、此の論は察せざるべからざるなり。)

   *

「鄭」と「衞」は春秋時代の国名で、両国特有の音楽は甚だ淫らなものであったとされる。

【2025年4月17日5:41追記】

 さて、この釈迦と難佗のエピソードを語る「経」とは、明らかに中国で捏造された偽経である。地獄思想は中国ででっちあげられたもので、釈迦生存の時には、今の我々のよく知っている具体的な地獄は存在しないからである。釈迦は、「地獄とは永遠の闇である」とのみ述べているに過ぎない。

 最後に。私は昨日の夕刻から、本篇を、三度、精読して補正したのだが……改めて……強い感慨を感じた……

……蚕がさくさくと桑の葉を食べているのを見ながら……

かくも、生の厳粛な哲学的観想をしている小泉八雲という存在は……

――稀有の真の哲学者であると同時に――真の詩人である――

と…………

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