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2019/12/20

小泉八雲 祖先崇拝に就いて (戸澤正保訳) / その「一」・「二」・「三」

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“SOME THOUGHTS ABOUT ANCESTOR-WORSHIP”。「祖先崇拝に就いての幾つかの考察)は来日後の第三作品集「心」(原題“KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第十四話である。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。また、本篇は本作品集ではなく、雑誌『大西洋評論』(Atlantic Monthly)の初出(クレジットは不詳)である。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 文中に入る添え辞は下方インデント一字半上げポイント落ち、注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、注は前後を一行空けた。引用も同ポイントで全体が四字下げであるが、引き上げた。傍点「ヽ」は太字に代えた。全六章と長いので分割して示す。

 訳者戶澤正保(底本では「戸沢」ではなく「戶澤」と表記している)氏については私の「小泉八雲 趨勢一瞥 (戸澤正保訳)」の冒頭注を参照されたい。]

 

      第十四章 祖先崇拜に就て

 

「阿難聞け、沙羅樹林周地十二里の間、一毛頭の尖端を以て衝きたる程の地と雖も、强剛なる靈鬼の普及遍在せざるはなし」

      ――「大般涅槃經」

[やぶちゃん注:「大般」(だいはつ)「涅槃經」「Mahāparinirvāṇa Sūtra」(マハーパリニルヴァーナ・スートラ)。釈迦の入滅(=「大般涅槃」)を叙述し、その意義を説く経典類の総称。阿含経典類から大乗経典まで数種ある。平井呈一氏は恒文社版「祖先崇拝の思想」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)では、

   《引用開始》

「世尊(せそん)、阿難比丘、(あなんびく)、娑羅林(しやらりん)の外(そと)此(こ)の大会(だいえ[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「だいゑ」が正しい。])を去ること十二由(ゆじゆん)旬に在(あ)り、六万(まん)五千億(せんおく)の魔(ま)に繞乱(ねうらん[やぶちゃん注:現代仮名遣では「にょうらん」。])せらる。」

   《引用終了》

と訳しておられる。但し、この意訳の元とされた漢訳経文は不詳である。]

 

       

 祖先崇拜は、今も種々な目立たぬ形で、歐羅巴の最高文明國の或る者に、殘存して居るといふ事實は、餘り廣く知られてないので、現在そんな原始的な禮拜を實行しつつある非アリアン民族は、必然的に原始的な宗敎心に停まつて居る者のだと考へる者がある。日本を批評する者も、此輕率な判斷を下して居る。そして日本の科學的進步の事實や、高等な敎育制度の成功と、祖先崇拜の繼續とを、合はせて說明し能はざることを白狀して居る。神道の信仰と近代將學の知識が、如何にして並立するであらうか。科學上の專門家として名を博した人間が、尙ほ家庭の祠を拜し、鎭守の明神の前に額づくのはどうしてであらう。これは信仰の滅後に、形式のみが保留せられるというに過ぎぬであらうか。も少し[やぶちゃん注:ママ。]敎育が進步したなら、神道は形骸としてさへ、存在せざるに至る事は確實であるのではあるまいか。

[やぶちゃん注:「非アリアン民族」原文“non-Aryan race”。「アーリア」は「高貴」を意味するサンスクリット語「ārya」に由来し、インド・ヨーロッパ語族に属する諸言語を用いる諸人種の内のコーカサス人種(コーカソイド)。本来はインドやイランに定住した一支派指し、人種・民族(race)名ではないが、この後、ナチスは「この人種は金髪・青い目・長身・痩せ型という身体特徴を持ち、その正統的代表こそがゲルマン民族である」としたことは周知の通りであり、“non-Aryan race”という考え方自体が差別的言辞として既にしてこの時代に欧米人の有意的優位の符牒として独り歩きしていて、かく語られていることを理解せねばなるまい。]

 かういふ問を發する人達は、西洋の宗敎の繼續に就ても同樣の問が發せられ、つぎの世紀まで、それが殘存するや否やに就ても、同樣の疑が述べられる事を忘却したと見える。實際、神道の敎義は、正敎(オーソドツクス)基督敎よりも、より多く近代科學と不調和なものでは決してない。極めて公平に硏究して見ると、神道の敎義は却つて不調和の點が少いと云ふを憚らない。其敎義は、我々の正義の觀念と衝突することが少い。そして佛敎の業(がふ)の觀念の樣に、科學上の遺傳の事實と著しい相似の點がある――其相似の點は、世界の何(ど)の大宗敎の眞理の一分子にも劣らざる、深い眞理の一分子を、神道が含有することを證明して居る。出來るだけ簡單に云ふと、神道に於ける眞理の特殊な分子は、生者の世界は死者の世界に依つて、直接に支配せられるといふ信念である。

 人の凡ての衝動或は行動は、神(かみ)の業(わざ)であるといふ事、及び凡ての死人は神(かみ)となるといふ事が、此宗敎の基礎觀念である。とはいへ、カミといふ語はディチー、ディビニティ、或はゴツドといふ語で譯されるが、實は此等の英語にある樣な意味は有せず、又此等の英語が、希臘、羅馬の古信仰に用ゐられる時程の意味をも有せぬといふ事は忘れてはならぬ。カミは宗敎外の意味で上(アバブ)に在る[やぶちゃん注:above。]者、優れたる(スーペリオー)[やぶちゃん注:superior。]者、上級なる(アツパー)[やぶちゃん注:upper。]者、高き(エミネント)[やぶちゃん注:eminent。「地位の高い・高名な・優れた」の意。]者を意味し、宗敎上の意味では、死後超自然力を得たる人間の靈を意味するのである。死者は『上に在る力』であり、『上級な者』――卽ちカミである。此思想は近代の神靈學の幽靈といふ槪念に酷似して居る――ただ神道の觀念は、眞の意味に於て民衆的(デモクラチツク)でない。神は其格式と力に於て相互に大いに異れる幽靈である――昔の日本社會の階級制度の樣な、靈的階級制度に屬して居る幽靈である。神は或る點に於ては、本質的に生者に優れて居るが、それにも拘らず、生者は神を喜ばし或は怒らし、滿足させ或は侮辱を感ぜしむる事が出來る――時には神の靈界に於ける境遇を改善することさへ出來る。そこで日本人の心には、死後の祭典は、眞劍事で決して遊戲ではないのである。例せば今年になつてからも(これは一八九九年九月に書いたものである)[やぶちゃん注:丸括弧内は二行割注。これは小泉八雲の原注をここに挿入したもの。]有名な政治家や軍人が、死後直に位階を進められて居る。遂此間も[やぶちゃん注:「ついこのあいだも」。]自分は官報で『陛下は最近臺灣で薨去した男爵山根少將に、勳二等旭日章を追賜せられる』旨を讀んだ。かういふ恩澤は、ただ勇敢な愛國者の記憶を尊重する爲めの形式と考へらるべきでない、又は遺族を表彰する爲めのみのものと考へてはならぬ。これは本質的に神道なので、凡ての文明國中、日本獨得の宗敎的特質である所の、現界靈界の密接なる關係を例證するものである。日本人の考では、死者も生者と同じく現存するのである。死者も人民の日常生活に參與し、どんな詰まらぬ喜びでも悲みでも、生者と共に分かつのである。家族の食事に侍し、家庭の幸福を監視し、子孫の繁榮を助け且つ喜ぶのである。或は練物行列[やぶちゃん注:「ねりものぎやうれつ」。広義の祭り・祝祭に於ける行列のこと。]に、或は凡ての神道の祭事に、或は武術の競技に、或は死者の爲めに、特に奉納したあらゆる興行物に、來會するのである。そして一般に献納の供物、下賜の尊稱を喜ぶものと思はれて居る。

[やぶちゃん注:「ディチー」“deity”。ラテン語の「dea」(神々)と「deus」(神)或いはサンスクリット語の「devatã」(女神・神々)や「divya」(天の、神々の)などの他のインド・ヨーロッパ語族の単語と同根。

「ディビニティ」“divinity”。「神性・神格・神位・神・神の研究・神学」などの意。語源はラテン語の「divinus」が語源でやはり「deus」がもと。

「男爵山根少將」日本陸軍の軍人山根信成(嘉永三(一八五一)年~明治二八(一八九五)年)。ウィキの「山根信成」によれば、『長門国(長州藩)萩(現・山口県萩市)出身』。『明治維新後、陸軍に入る。明治一四(一八八一)年に歩兵第十二連隊長となり、明治十七年には『歩兵大佐に昇進した』。明治十九年、『大阪鎮台参謀に就任』、明治二十一年、第四『師団参謀長に異動』、明治二三(一八九〇)年、『陸軍少将に進級し』、『歩兵第』七『旅団長に就任』明治二十七年、『近衛歩兵第』二『旅団長となり』、『日清戦争後の台湾に派遣され』、『乙未戦争』(いつびせんそう:日清戦争後の下関条約によって日本への台湾割譲が決まったが、上陸した日本軍に対し、清国の残兵や一部の台湾住民が抵抗し、戦闘となった事件)『に参加』したが、『翌年』十月に『台湾で戦病死した』。死に際して十月一日(実際の没日は同月二日)、『その功績により』、『臨終に際して華族に列し』、『男爵を叙爵し』、『子息の山根一貫(陸軍少将、侍従武官)が家督を継承した』とある。さすれば、小泉八雲の原注の意味は九月末に書き始めて、この部分では既に十月になっていたということになろう。]

 

 此小論文の目的には、神(カミ)は死者の靈として考へれば十分である――國土を創り出したと信ぜられて居る最初の神と、此神(カミ)とを區別することなどはせずとも。カミといふ語の總括

的な解釋はこれだけにして、再び、凡ての死者は此世界に住み世界を司宰し、人の思想行爲に感化を及ぼすのみならず、自然界の狀態にも影響を及ぼすといふ、神道の大觀念に還らう。本居翁は書いてる[やぶちゃん注:ママ。]、『神は季節の變更、風、雨、國家及び個人の幸不幸をも司る』手短に云ふと、彼等は凡ての現象の背後に在る見えざる力である。

[やぶちゃん注:最後の部分は本居宣長(享保一五(一七三〇)年~享和元(一八〇一)年)の「直昆霊」(なおびのみたま:明和八(一七七一)年成稿で全一巻。宣長四十二歳の時の著。かの「古事記伝」第一巻の総説に収められてあったが、死後二十四年経った文政八(一八二五)年には改めて当該部が単行本として刊行されている。表題は、「直毘神(なおびのかみ)の御靈(みたま)により、漢意(からごころ)を祓い清める」の意(直毘神は「穢れを払って禍(まが)を直す神」などと解される一柱で、日本神話の「神産み」に於いて、黄泉国から帰った伊耶那岐(いさなき)が禊(みそぎ)を行って黄泉の穢れを祓った際、その穢れから「禍津日神(まがつひのかみ)」が生まれてしまい、この禍津日神が齎す禍を直(ただ)すために生まれたのが直毘神であるとする)。本書は「古事記」の本質を体系的かつ簡潔に論述したもので、宣長の日本本来の純粋な古神道に還って「惟神(かんながら)」の道を説く、宣長の〈古道論〉を代表する著作である。私は同書を所持しないので、平井呈一氏は恒文社版「祖先崇拝の思想」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)の平井氏の訳者注にあるものを以下に漢字を恣意的に正字化して引く。『すべて比世中の事は、春秋(はるあき)のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐゐ、又國のうへ、人のうへに、吉凶(よしあし)きよろづの事、みな悉(ことごと)に神のしわざと知るべし』。]

 

        

 此の古代的心靈學から引き出さる〻、尤も興味ある學說は、人間の衝動、行爲を死者の影響に原由するものとして說明する事である。此假說(ハイポセシス)[やぶちゃん注:“hypothesis”。音写は「ハイパサェスィス」に近い。]を、近代の思索家は、不合理のものと斷言する譯に行かぬ。何となれば、それは心靈進化の科學的學理が承認せざるを得ぬものであるからである。此學理に依ると、生者の腦髓は各無數の死せる生命が構成した作品を示すものである――各性格は無數の死せる善惡の經驗が多少不完全ながら相殺された總計である。我々が心靈の遺傳を拒否しない以上、我々の衝動と感情及び感情に依つて發展した高尙な能力は、字義通りに死者に依つて作られ、死者に依つて我々に讓られたといふことを、又我々の心的活動の一般方針も、我々に讓られた特殊の性向に依つて定められたものであるといふ事を、正直に拒否することは出來ぬ。かういふ意味では、死人はいかにも我々のカミであり、我々の凡ての行爲は、眞にカミに依つて影響せられる。形容して云ふと、凡ての心は幽靈の住家(すみか)である――神道が認める八百萬のカミよりも、ずつと多い幽靈の住家である。そして腦髓實質の一グレーン[やぶちゃん注:“grain”。重量単位。一ポンドの七千分の一で、約六十四・八ミリグラム。]に住む幽靈の數は、針の尖端に立ち得る天使の數に就て、中世の煩瑣學者[やぶちゃん注:原文“schoolmen”。「スコラ哲学者たち」の意。中世ヨーロッパで教会・修道院付属の学校や大学を中心として形成された神学・哲学の総称。教会の権威を認め高めて教義の学問的根拠づけがその属性である。続く皮肉からの戸澤氏に意訳であるが、後の平井呈一氏も同じく『煩瑣学者』と訳しておられる。]が考へた、取も留めもない空想を實現して餘りあるものと云ひ得る。科學的には、我々は小さな生ける細胞の中には、一種族の全生活が――幾百萬年の過去に、そして幾百萬の亡びた世界で感受した感情の總額が、貯藏せられることを知つて居る。

 併し針の尖端に集まるといふ點に於ては、惡魔も天使に劣らぬであらう。神道の右の說では、惡人と惡行を何と解釋するか。本居翁は之に答へて居る。『世の中に何にても間違つた事が行はれるのは、禍津神(まがつみ[やぶちゃん注:戸澤氏の施したルビであるが、ママ。ここは原文では“the evil gods”である。以下、戸澤氏は本文でも「まがつみ」という表記で訳してしまっている。「まがつみ」は通常、「わざわい・災厄」という現象自体を指すが、転じて「邪気」や「邪神」の意に使われることもなくはないようだが、ここは普通に「まがつかみ」と表記すべきであると私は思う。])の神と云はれる惡神達の所爲である。此神の力は大にして、日の神も天地創造の神も、時には制へる事が出來ぬ。まして人力にては、彼等の影響に抵抗すべくもない。惡人の榮華、善人の不運は、普通の正義の觀念に牴觸[やぶちゃん注:「牴」は「抵」の異体字。]する樣に見ゆるが、これで解釋することが出來る』あらゆる惡行は惡神の影響に依る、そして惡人は惡カミとなる。此極めて簡單な信仰には何等の矛盾がない――何等了解し難い點がない

[やぶちゃん注:宣長の引用部について、平井呈一氏は恒文社版「祖先崇拝の思想」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)は訳者注で「直昆霊」の原文を引いておられる。先と同様、漢字を恣意的に正字化して以下に示す。

   *

禍津日神(まがつびのかみ)の所爲(しわざ)こそ。いともかなしきわざなりけれ。萬の厄(まが)はみな此神の所爲(しわざ)也。すべて此世に有りとある事は。春秋(はるあき)のゆきかはり。雨ふり風ふくたぐひ。又國のうへ人のうへに。吉凶(よきあし)きょろ[やぶちゃん注:ママ。]づの事。みな悉(ことごと)に神のしわざと知べし。さて神には善(よき)もあり惡(あし)きも有て。所行(しわざ)もそれにしたがへば。大かたよのつねのことわりをもて定(さだ)めていふべきにあらす[やぶちゃん注:ママ。]。きはめてはかりがたき物ぞ。‥‥(中略)‥‥下なる諸人(もろびと)のうへにも。善惡(よきあし)き驗しるし)を見せて。善人(よきひと)はながく福(さか)え。惡人(あしひと)は速(すみや)けく禍(まが)るべき理(ことわり)なるを。さはあらでよき人も凶(あし)くあしき人も吉(よき)たぐひ。昔も今もおほかるはいかに。もし實(まこと)に天のしわざならましかば。かかるひが事あらましやは。」

   *]

 

註 自分は神道學者に依つて說明せられる、純粹な神道のみを論じて居るのである。併し日本では佛敎と神道とが相互に混淆して居るのみならず、支那の各種の思想とも交じつて居ることを讀者に告げ置くの必要がある。純粹の神道の思想が、其昔ながらの姿で、民間の信仰に存在して居るかどうかは疑はしい。又我々は神道に於ける靈魂複體の說に關しては――心靈の組織は本來死に依つて崩潰するものと考へられたかどうかに關しては明確でない。日本各地に於ける調査の結果、自分の意見では、複體靈魂に昔は死後も複體として遺ると信ぜられたらしい。

 

 凡て惡行を犯した者が、必然的にまがつみの神[やぶちゃん注:ここも英訳されて““gods of crookedness””(「『ねじ曲がってしまった状態にある不正なる存在としての神々』」の意)である。前に注したように、私には受け入れがたい。但し、私の電子化を読まれる読者諸君には五月蠅いだけであろうから、向後はこの不審注は出さない。]となるといふ事は確實でない、其理由は後に判かる。併し凡ての人は、善かれ惡かれカミ卽ち感化力となるのである。そして凡ての惡行は惡感化の結果である。

[やぶちゃん注:以上の段落は、原文では段落として独立しておらず、先の段落の末尾「――何等了解し難い點がない」と繋がっている。戸澤氏が注を挟んだ結果、或いは校正係が、一字下げて独立段落としてしまった可能性が疑われる。

 さて此の敎は遺傳の或る事實と一致する。我々の最善の能力は確に我々の最善の祖先の讓り物である。我々の惡性能は、惡、若しくは今、我々が惡と呼ぶ所のものが、嘗て優勢であつた人間からの遺傳である。文明に依つて我々の心に發展した倫理的知識は、我々の死せる祖先の最善の經驗から誤り受けた高尙な能力を增進せしめ、又承け繼いだ劣惡の性向を減殺せしめることを要求する。我々は我々の善きカミに叩頭し、服從し、我々のまがつみの神に反對するの義務がある。此の善惡兩神の存在の知識は、人間の理性出現と同時に發達したものである。凡ての人間には善神惡神が伴なうて居るといふ說は、形式こそ異れ[やぶちゃん注:「ことなれ」。『「こそ」~(已然形)、……』の逆接用法。]、大抵の大宗敎には附隨して居る。我々の中世の信仰も、我々の國語に永久の痕跡を殘す程度迄、此の既念を發展せしめた。けれども保護神、誘惑鬼の信念は其進化の跡をたどると、カミの信仰の如く、甞ては簡素であつた信仰の發達したものである。而して中世の信仰の此思想も、同樣に眞理に富んで居る。右の耳に善事を囁く白翼の天使、左の耳に惡を謐(つぶや)く黑鬼は十九世紀の人間の傍に隨行しては居ないが、彼の腦髓の中には潜んで居る。そして彼は屢〻彼等の聲を聞か分け、彼等の慫慂を感ずること、中世の彼が祖先と同樣である。

 近代の倫理觀よりすれば、神道では惡神も善神と同じく尊崇さる〻といふ事が面白くない。『帝(みかど)が天地の神祇を崇拜する如く、人民は幸福を得る爲めに善神にもなり、片怒りを避くる爲めに惡神をも祀る……善神の外に惡神もある以上、美味を供へ、管絃を奏し、歌舞を爲し、其外凡て神意を娛まする[やぶちゃん注:「たのしまする」。]事を行つて、惡神を和(なだ)めるの必要がある』(サトウ氏譯、本居翁の言)[やぶちゃん注:以上の丸括弧内は二行割注の原注。]事實上近代の日本では、惡神も和めねばならぬといふ、此明瞭な議論があるにも拘らず、惡のカミに供物を供へ敬稱を奉るといふ事は殆どない樣である。併し初期の宣敎師が、此信仰を惡魔崇拜と斷じた理由はここに在る――尤も神道では、西洋の意味の惡魔といふ觀念は決して現はれなかつたのであるが。神道の弱點と見ゆる所は、惡靈は之と戰ふべきでないと云ふ敎にある――この敎が特に羅馬加特力[やぶちゃん注:「ローマ・カトリック」。]的感情に厭はしく感ぜられる。併し基督敎の惡魔と、神道の惡靈との間には大なる相違がある。惡しきカミは死人の靈に過ぎぬので徹頭徹尾惡ではない――和(なだ)める事が出來るのであるから。絕對の純粹な惡といふ思想は極東にはない。絕對惡は確に人間にはない、從つて人間の靈にもない。惡しきカミは惡魔でない。彼等は單に人間の情慾に影響を及ぼす幽靈なのである、そして此意味に於てのみ情慾の神なのである。乃ち神道は、凡ての宗敎中の尤も自然的なもの、從つて或る點に於ては、尤も合理的なものである。神道は情慾其者を必らずしも惡とは考へぬ。ただ之に耽溺する度合、原因、事情に依つて惡となると考へる。幽靈であるから、神々は全く人間的である――人間の善たる性、惡なる性を、種々の割合に混合して所有する、併し大多數は善であるから、凡ての神の感化の總計は惡よりも善に近い。此見解の合理性を了解するには、可なり樂天的な人間觀を要する――日本の古代社會の情況が是認する樣な人間觀を要する。厭世家は純粹の神道家たる事は出來ぬ。此敎義は樂天的である、人間を大體善なりと信ずる者ならば、神道の敎に、和(なご)む可からざる惡がないのを咎めはせぬであらう。

[やぶちゃん注:「サトウ氏」イギリスの外交官でイギリスに於ける日本学の基礎を築いたアーネスト・メイソン・サトウ(Ernest Mason Satow  一八四三年~一九二九年)。イギリス公使館の通訳・駐日公使・駐清公使を務めた。日本名を「佐藤愛之助」又は「薩道愛之助」と称した。初期の日本滞在は一時帰国を考慮しなければ実に一八六二年から文久二(一八八三)年に及び、後の駐日公使としての明治二八(一八九五)年から明治三〇(一八九七)年を併せると、延べ二十五年間になる。詳細は参照したウィキの「アーネスト・サトウ」を参照されたい。引用元は不詳であるが、やはり平井呈一氏は恒文社版「祖先崇拝の思想」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)は訳者注で「直昆霊」の原文を引いておられる。先と同様、漢字を恣意的に正字化して以下に示す。踊り字「〱」は正字化した。

   *

‥‥天皇[やぶちゃん注:「すめらみこと」と訓じておく。]の、朝廷(みかど)のため天ノ下のために、もろもろの天神(あまつかみ)國神(くにつかみ)をも祠坐(まつりま)すがごとく、下なる人どもも事にふれては、福(きち)を求(おもと)むと、善神(よきかみ)にこひねぎ、禍(まが)をのがれむと、惡神(あしきかみ)をも和(なご)め祭り、‥‥(中略)‥‥善神(よきかみ)もありあしき神も有りて、所行(しわざ)も然(しか)ある物なれば、‥‥堪(たへ)たるかぎり美好(うまき)物さはたてまつり、あるは琴ひき笛ふき、うたひまひなど、おもしろきわざをしてまつる。これみな神代(かみよ)の古事(ふるごと)にて、神のよろこび給ふわざ也。‥‥」

   *]

 さて神道の倫理的に合理的な特質が現はれて居るのは、此惡靈を和めるの必要を承認する點にある。古代の經驗も近代の知識も、人間の或る性向を根絕しよう、若しくは麻痺せしめようとする事の、大なる誤謬であることを警告するに一致して居る――性向といふのはそれを病的に助長し、若しくは或る制御を加へぬと、人を放樅、罪過、其他無數の社會上の害惡に導くものをいふのである。動物慾や猿や虎の樣な衝動は人間の社會を作る前から存して居て、それが社會を毒する殆ど凡ての犯行を助くるのである。併し之を絕滅することに出來ぬ、之を安全に餓死せしむる事は出來ぬ。之を根絕せしめようとする企圖は、之と分離し難く混淆して居る高尙な情緖的性能の幾分を破壞する努力となる。原始的な衝動を麻痺せしめようとすると、人生に美と優し味[やぶちゃん注:「やさしみ」。]とを與ふる所の、併しそれにも拘らず情慾といふ古い土地に根を深く張つて居る所の、知的幷に情的の力を失はせる事になる。我我の有する最高のものは、其起原を最低のものの中に發して居る。禁欲主義は自然な感情と戰つて、却つて怪物を產出して居る。神學上の法規を、不合理に人間の弱點に適用すると、社會の紊亂を助長する。快樂の禁制はただ淫蕩を挑發する。我々の惡なるカミは或る和慰を要することは、道德の歷史が明らかに敎へて居る所である。人間には、まだ理性よりも情熱の方が强い、その理由は情熱は理性よりも比較にならぬ程古いからである――又情熱は嘗て自己保存に極めて必要であつたからである――又情熱は自覺の第一層を爲し、それから高等な情操が、徐々に發生したものであるからである。情熱に支配せられてはならぬ、併し情熱の太古以來の由緖ある權利を否定するのは危險である。

 

       

 死者に就て、こんな原始的な、併し――今は會得せられるであらうが――不合理ならざる信仰から、西洋の文明には知られてない道德的情操が發展した。此等の情操には考究の價値がある、それは尤も進步した倫理的思想と、そして進化論の會得の結果たる、義務感の異常な(まだ判明せざる)擴張と、此等の情操がよく合致するからである。爾分は我々の生活にこんな情操がないのを、喜ぶべき理由があるとは思はない――自分は寧ろ、此程の情操を修養するの必要が、道德上に感ぜられる時がありはせぬかと思ひたい。我々の前途の驚異の一は、確に久しい以前、何等の眞理を含まぬといふ臆定の上に、抛棄した信仰や觀念に復歸する事であらう――こんな事を考へるのは傳統的の習性から妄りに排斥を事とする人々に依つて、今尙ほ野蠻だ、異敎的だ、中世的だと呼ばる〻であらうが。科學の硏究の結果は野蠻人や、半開人や、偶像崇拜者や、修道僧やは、悉く別々の途を辿つて永遠の眞理の或る一點に到着せしこと、十九世紀の思索家に異らぬといふ證據を年々供給して居る。又我々は昔の占星學者や鍊金術者の說も、ただ部分的に誤つて居たので全然誤つて居たのでない事を今學びつつある。我々は如何なる目に見えぬ世界の夢も――如何なる神祕境の假說も、眞理の或る萠芽を含まぬものはなかつたと將來の科學が立證し得ぬはないと、想像すべき理由をさへ有つて居る。

 

 神道の道德的情操中第一位を占むるものは、過去に對する感謝の念――我々の情緖的生活に於て、眞に之に相當するもののない情操である、我々は我々の過去を知ること、日本人が彼等の過去を知るよりも優つて居る――我々は過去の凡ての事物狀態で記錄し、若しくは考察する無數の書籍を有する。併し我々は如何なる意味に於ても、過去を愛し過去に感謝の念を有するとは云ふを得ぬ。過去の功罪の批判的な承認――稀に過去の美によつてそそられる熱狂、多くは過去の誤謬の强烈な痛責、此等が過去に關する我々の思想感情の統計を表して居る。過去を顧みるに當つて、我々の學者の取る態度は必然的に冷かである。我々の藝術の態度は往々非常に寬大であるが、宗敎の態度は大抵辛辣を極める。如何なる見地より硏究するも、我々の注意は主として死者の爲した事業――或は見て居る間に、我我の心臟を常よりも少しく早く鼓動せしむる樣な、目に見ゆる造營物だとか、或は昔時の社會に及ぼした死者の思想行爲の結果だとか――に傾注される。併し過去の一般人間に就

ては――血族としての永く地中に在る無數人に就ては――全く考へぬか、若し考へれば、絕滅した種族に對する樣な好奇心を以て考へるのである。尤も我々も歷史に大なる痕跡を遺した或る個人の傳記に興味を見出す事はある――我々の情緖は偉大なる軍人、政治家、發見者、改革家等の記念に依つて動かされる――併しそれはただ彼等が爲した事業の偉大さが、我々自身の野心、願望、自尊心をそそるからで、百中の九十九は全く我々の我執を離れた愛他的の情操ではない。我々が尤も恩を受けて居る名悉なき死人に對しては我々は一顧をだも拂はぬ――我々は彼等に何の感謝をも愛情をも感ぜぬのである。我々は祖先の愛といふ樣な事が、如何なる形の人間社會に於てでも、眞實な、有力な、徹底的な、指導的な宗敎的情緖であり得る事を信ずるに困しむ[やぶちゃん注:「くるしむ」。]程である――併し日本ではそれが慥に事實なのである。祖先崇拜といふ樣な事は、其觀念だけでも我々の思考、感情、行爲とは全く風馬牛である。勿論其一部の理由は、我々と我々の祖先との間に、切實な精神的關係があるといふ信念を一般に我々が有たないからである。我々が非宗敎的である場合は、全く幽靈を信ぜず、若し又大いに宗敎的である場合は、死人は神の裁判で我々から引き離されたもの――我々の生存中は、全然我々から引き離されたものと考へる。尤も羅馬加特力敎國の農民中には、未だ死者は一年に一度――萬靈節(オール・ソールス・デー)(十二月二日)の夜――地上に歸ることを許されるといふ信念が存して居る。併し此信仰に於てさへ、死者は記憶以上の羈絆で、生者に繋がれてゐるとは考へられて居ない、そして彼等は愛よりも寧ろ恐怖を以て見られて居る――民間の傳說集を讀んでも分かる通りに。

[やぶちゃん注:「萬靈節(オール・ソールス・デー)(十一月二日)」丸括弧前者はルビ、後者は二行割注でこれは戸澤氏の挿入注である。原文は“the night of All Souls”。万霊節(ばんれいせつ:All souls' day)はカトリックで総ての逝去した信者の霊を祀る記念日。万聖節(英語:All Saint's Day/Hallowmas:全聖人を記念するキリスト教の祝日。西方教会では十一月一日、東方教会では聖霊降臨祭(キリスト復活後五十日目(昇天後十日目)に使徒たちの上に聖霊が火炎の舌の形で降ったこと(「使徒行伝」に拠る)を記念する祝日。この日が旧約の過越(すぎこし)の祝いの五十日目の五旬祭(五旬節)に当たっていたことから「ペンテコステ」(Pentecost:「五十番目」を意味するギリシア語由来)とも称する)後の最初の日曜日となっている。異教時代の新年祭に遡ると見られ,前夜(ハローウィーン)には火祭りなどが行われる但し、ハローウィーンは古代ケルト人のサムハイン祭が起源と言われ、これは死の神サムハインを讃えて新しい年と冬を迎えるための祭りで、この日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられていた)の翌日、則ち、一般には十二月二日。二日が日曜の場合は三日。「死者の記念日」とも称する。この祝日はクリュニーの修院長オディロ(九九四年~一〇四八年) によって定められ、クリュニー派の伝播とともに急速に広まった(以上は諸辞書の記載を綜合した)。

「羈絆(ほだし)」音で「キハン」。「ほだし」と当て訓もする。「羈」も「絆」も、「繋ぎ止める(綱・繩)」の意で。「つなぎとめること」。また、「行動する際の足手纏いとなること」の意。「ほだし」は、もと「馬を繋ぐ繩」のこと。]

 日本では、死者に對する感情は、之と全く異つて居る。それは感銘的な恭謙[やぶちゃん注:

「きようけん」。慎み深く遜(へりくだ)ること。]な愛の感情である。それは民族の情緖中、尤も深く强いものであろらしい――特に國民的生活を指導し、國民的性格を形成する情緖であるらしい――愛國心も之に屬する、孝道も之に賴る、家族愛も之に根ざす、忠義も之に基づく。職場で戰友に道を開く爲めに、『帝國萬歲』と叫んで、わざわざ生命を投げ出す兵士――不甲斐なき、若しくは殘酷ともいふべき親の爲めに、默つて浮世の幸福を悉く犧牲に供する子女、今貧窮に陷つた親分に、甞て爲した口約束を果たす爲めには、友達も家族も財產も棄てて省みぬ子分、良人が他人に蒙らした損害を償ふ爲めに、白無垢の禮服で、南無阿彌陀佛を唱へながら、懷劍を咽喉に突き刺す人妻――此等は何れも目に見えぬ祖先の靈の意志を忖度し、其嘉納[やぶちゃん注:「かなふ(かのう)」。献上品などを目上の者が快く受け入れること。]の聲を聞いて爲すのである。新時代の懷疑的な學生の中にすら、多くの破壞された信念の中に、此感情だけは遺つて居て、古い情緖が今でも時に、『我々は祖先を辱しめてはならぬ』『祖先に敬意を拂ふは我々の義務である』等の文句で現はされる。自分が以前英語の敎師として雇はれて居た頃、かう云ふ詞の裏にある眞の意味を知らざりし爲め、作文の中でそれを訂正しようと思つた事がある。例せば『祖先の記憶に敬意を拂ふ』とする方が『祖先に敬意を拂ふ』といふよりも正しいと敎へた事がある。或る日自分は、死んだ祖先を生きた兩親であるかの樣に云ふは當たらないと、其理由を說明せんと試みた事を記憶して居る。多分學生等は自分が彼等の信仰を妨げんとすると疑つたであらう。日本人は決して祖先が『ただの記憶』となつたとは思はない、彼等の死者は生きて居るのである。

 

 若し我々の心に我々の死せる祖先は尙ほ我々の身邊にあり、我々の凡ての思想を知り、我々が云ふ凡ての詞を聞き、或は我々に同情し、或は我々を怒り、或は我々を助け、又我我の助を受くるを喜び、或は我々を愛し、又我々の愛を大いに要求するといふ確信が突然起こつたとすれば、我々の人生觀、義務觀も大いに變化するであらう。我々は過去に對する我々の義務を、尤も嚴肅に承認せぬばならぬであらう。然るに極東人には、死者が常に身邊に居るといふ考は、數千年間の確信であつて、彼は每日死者に物云ひ、幸福を祈つて居る。不治の大惡人にあらぬ限り、死者に對する義務を全く忘れる事はない。平田篤胤は云ふ、其義務を怠らぬ者は、決して神に對し、又は生ける兩親に對して不敬である事はない。『こんな人は友人にも忠實であり、妻子にも柔和親切であらう、何となれば此種の情愛の精髓は、眞實祖先に對する孝道であるのであるから』。日本人の性格中にある、不可解な感情の隱れた原由は、此情緖の中に求めねばならぬ。死に面する時の天晴れの勇氣、尤も苦しき献身的の行爲が爲さる〻時の悠揚たる態度なども、我々の情操の世界には緣遠いものであるが、それよりも更に緣遠い事は、日本の少年が初めて詣でた神道の祠前で、突然淚が眼に滂沱[やぶちゃん注:「ばうだ(ぼうだ)」。涙が止めどもなく流れ出るさま。]として浮かぶのを感ずる程、深い感動を受ける事である。其れ瞬間に彼は我々が決して、情緖的に認めぬものを自覺するのである、――現在が過去に負う洪大な負債と死者に對する敬愛の義務とを。

[やぶちゃん注:平田篤胤の引用は、やはり平井呈一氏の恒文社版「祖先崇拝の思想」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)の訳者注で、引用部の原拠である平田の「玉襷(たまだすき)」(平田が以前に門人向けに書いた神道の家庭での祭祀について記した「毎朝神拝詞記」を一般人向けに注釈したもの)の原文(十之巻所収)を引いておられる。先と同様、漢字を恣意的に正字化して以下に示す。

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「扨まづ先祖をかやうに。大切にすべき謂(イハレ)を心得ては。況(マシ)て天神地祇を。粗略に思ひ奉る人は。決して无(ナ)い筈(ハズ)のこと。又現に今生ておはし坐(マス)親を粗末にする人は无(ナ)く。神と親を大切にする心得の人は。まづ道の本立(ホンダテ)の固(カタ)き人故。その人必君に仕(ツカ)へては忠義を盡(ツク)し。朋友と交りては。信宲(マコト)[やぶちゃん注:「宲」(音「(ハウ(ホウ)」)は「𡧖」(音は同前)の誤字で、「収める」「仕舞い込む」或は「珍しく貴重なもの・大切にしまっておくもの」の意。]があり。妻子に對しては。慈愛ある人と成(ナ)りなる事は。論は无(ナ)いだに依て。先祖を大切にするが。人とある者の道の本だと云ので厶(ゴザル)。なぜと云に。其ノ先祖を大切にする行(オコナイ[やぶちゃん注:ママ。])が。則(スナハチ)いはゆる孝行で。孝行なる人に。不忠不義の行ひをする人は。決してなき物で厶。」

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「厶」は音「シ・ボウ・モ・コウ」で漢語といては「私」・「邪(よこしま)」・「何某(なにがし)」・「腕(かいな)」の意があるが、本邦では国字として「御座る」則ち「ある」の敬語として使用されることが多い。]

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