小泉八雲 薄暗がりの神佛 (戶澤正保譯)
[やぶちゃん注:本篇(原題“ IN THE TWILIGHT OF THE GODS ”)は来日後の第三作品集「心」(原題“ KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第十一話である。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。また、本篇は本作品集ではなく、雑誌『大西洋評論』( Atlantic Monthly )の一八九五年六月初出である。
本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。
底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。【2025年5月17日:底本変更・正字化不全・ミスタイプ・オリジナル注全補正】時間を経て、国立国会図書館デジタルコレクションに本登録し、現行では、以上の第一書房版昭和五(一九三〇)年十月に刊行した「學生版小泉八雲全集」(全十八巻)の第五巻が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてある。前掲の底本と本篇の内容は同じものであるが、やはり、外国のサイトのそれを底本とするのは、日本人小泉八雲に失礼であると考えた。されば、こちらで、再度、以下の「心」の作品群を改めて校正することとする。これが――私の小泉八雲への「義」――である。なお、これよりも前の元版の全集等が先行しているものの、私がそれらと比べた結果、実は先行する同社の「小泉八雲全集」のそれらは、訳が一部で異なっており、訳者等によって、かなりの補正・追加がされていることが、今回の正字補正作業の中で、はっきりと判って来た。そうした意味でも――完全な仕切り直しの総点検――が必要であると決したものである。従って、旧前振りの括弧・鍵括弧の問題も、拡大とガンマ補正で確認し、正確を期する。本篇の大標題はここ、本篇本文はここから。
文中途中に入る注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、前後を一行空けた。傍点「﹅」は太字に代えた。また、最初の「譯者註」は本篇末尾に置かれているが、原注の前に挿入した。
訳者戶澤正保(底本では「戸沢」ではなく「戶澤」と表記している)氏については、私の「小泉八雲 趨勢一瞥 (戶澤正保譯)」の冒頭注を参照されたい。]
第十一章 薄暗がりの神佛
一
『ジヨス譯者註御存じですか』
『ジヨスッ』
『さうです偶像です、日本の偶像です――ジヨスです』
『幾らか知つて居ます』自分は答へた。『併し澤山(たんと)は知りません』
『先づ私の集めたのを見て下さいませんか。私は二十年間ジヨスを集めました。見るに足るものが幾らかあります。併し賣るのではありせん――大英博物館の外へは』
[やぶちゃん注:冒頭「一」とあるが、原文にはなく、また底本でも「二」はないので、戸澤氏の勘違いである。また、「ありません」は底本では「ありまん」であるが、脱字と断じ、特異的に訂した。]
自分は此骨董商の後に尾いて[やぶちゃん注:「ついて」。]、古道具の雜然たる店を通り拔け、石疊の空地を橫ぎつて、並外づれて大きい土藏(ゴーダウン)註へ往つて見た。凡ての土藏の樣に暗いので、自分には闇の中を上る階段をやつと見分ける事が出來た。商人は階段の下で停まつて、
譯者註 ジヨスの原語は Joss 素と[やぶちゃん注:「もと」。] deos 卽ち神といふ語を支那人が轉化して joss と發音せしより支那の神像の事を凡てかくいふに至り、更に擴張して日本の神佛像をもかく云ふ。
註 これは極東の開港場にある耐火性の倉庫、語原は馬來語のgôdong。
[やぶちゃん注:「ジヨス」原文“josses”。単数形は「joss」。で戸澤氏が注するように、本来は中国人の祭る神像・仏像・偶像。単数形の発音は「ジョース」に近い。
「deos」ポルトガル語の「神」を意味する知られた「deus」(デウス)の古い綴り。
「馬來語」「マライご」「マレーご」。マレーシア語。
「土藏(ゴーダウン)」原文では“godown”で、原注で小泉八雲が述べている通りであるが、現行、マレー語の綴りは「gudang」(「倉庫」の意)のようである。原語の発音のカタカナ音写は、ある記載によれば、「グダン」とある。]
『直ぐ見える樣になります』彼は云つた。『私はジヨスを入れるばかりに之を建てました。併し今では小さ過ぎます。ジヨスはみんな二階にあります。さあお登りなさい。ただ御用心なさい――梯子が惡るいです』
自分は登つた。甚だ高い天井の下は、丸で黃昏(たそがれ)の樣であつた。そしてその中で自分は澤山な神佛と面と向かひあつた。
大きな土藏の薄暗がりで見ると、凄いばかりではない、幽靈の世界へでも往つた感じがする。羅漢や菩薩や佛達や、又それ等よりも古い神達が、薄暗い空間に滿ちて居る。それも寺院內に於ける樣に、秩序整然とでなく、驚愕に打たれて啞然とした如き狀態で、雜然と陳べられて居る。初めは幾つもある首や、破壞した背光[やぶちゃん注:原文“aureoles”。「オリョール」。聖像の頭部、又は、全身を囲む後光・光輪のことだが、現行では「光背」と表記するのが、一般的である。]や、威嚇の爲めに、或は祈禱の爲めに、擧げた手などの立ち込んだ中――蜘蛛の巢のかかつた隙間から來る光線に半ば照らされた、汚れた金箔の雜然とほのめく中から、何者をも判然と見別ける事は出來なかつた。併し段々眼が馴れて來ると、何の像といふ見別けがついて來た。種々の形式の觀音がある、色々の名のついた地藏がある、釋迦がある、藥師がある、阿彌陀がある、佛と其弟がある。何れも甚だ古い。其作も皆日本のではない、又何れの國何れの時代のとも限つてない。朝鮮のもあり、支那のもあり、印度のもある――これ等は初期佛敎渡來の全盛時代に舶來されたものである。或る者は蓮華――靈界の蓮華の上に坐して居る。或る者は豹、獅子、虎、其他の奇獸――電光や死を象徵する――に乘つて居る。群集に支へられた黃金の玉座に坐して、闇の中を動く樣に見ゆる、三頭多手の凄い莊嚴な像があつた[やぶちゃん注:恐らく千手観音菩薩像であろう。一般的な千手観音像は十一面四十二臂であるが、正面と左右に大きな顔があり、頭部に残りの小さな首を配する本菩薩の作像の場合、暗い中では三面と見えると思う。]。火炎にくるまれて鎭座する不動もあつた。神祕な孔雀に乘つた摩耶夫人もあつた[やぶちゃん注:原文は“Maya-Fujin”であるが、私は「まやぶにん」と読みたい(「ふじん」の読みが誤りであるわけではない)。ウィキの「摩耶夫人」によれば、パーリ語・サンスクリット語の「マーヤー」の漢音写。ゴータマ・シッダッタ(釈迦)の生母を指す。但し、「マーヤー」は、一般には、その固有名とされているものの、近年の学説では、一般名詞で「母」を意味する「マーター」の俗語形であって、固有名詞としての本名ではないともされる。]。又此等の佛像の中に、大名の甲胃姿や支那の聖賢の像が雜じつて居るのは時代錯誤的な六道の辻ともいふべき奇觀であつた。雷電を揷んで[やぶちゃん注:「はさんで」。]屋根まで伸び上がつた憤怒の形相凄まじい大きな像――暴風の權化の樣な四天王、廢寺の山門の守護神仁王の像などもあつた。それから又妖艷な女體像もあつた。蓮華の上に坐つた四肢のなよやかさ、妙法の數を數へる指のしなやかさ、これは恐らく或る忘れられた昔に、印度の舞姬の美貌から得來たつた理想であらう。上の方の、煉瓦のままの壁に沿うた棚の上には、小形の像が澤山あつた。黑猫の眼の樣に暗中に輝く眼のある鬼の像、半人半鳥で翼があり鷲の樣な嘴のある像――日本人の空想が生み出した天狗などがあつた。
『いかがです』と骨董商は自分の驚いてる[やぶちゃん注:ママ。]樣子に滿足の笑[やぶちゃん注:「ゑみ」]を以て尋ねた。
『大したものです』と自分は答へた。
彼は自分の肩に手を懸け、耳ヘ口を寄せて誇りかに云つた。『五萬弗費やしましたよ』
[やぶちゃん注:「五萬弗」本作品集刊行は明治二九(一八九六)年で、その前年の為替レートで、一ドルは一・九八円で約二円であるから、十万円、当時の一円を現在の二万円とする今までの換算で、二十億円相当にも上るが、ちょっと一骨董商が払う金額としては高額に過ぎる気がするし、この骨董商、後を読んでもらうと判るが、私には、廃仏毀釈による寺院の困窮衰亡に便乗して、甚だ厭なおぞましい安値で仏像を買い叩く俗悪な骨董商であることが判然とする。]
併し此等の彫像は、東洋に於ける美術の工賃が如何に安からうとも、忘れられた信仰に拂はれた代價は、そんなものではない事を語つて居る。又彼等は彼等を安置せる祠堂の石段を、信心の足で窪く[やぶちゃん注:「くぼく」。「くぼんだように」の意。]摺り減らした、幾百萬の死せる信徒のあつたことを、彼等の祭壇の前に、小さい赤兒の衣服を掛け掛けした、幾多の母親のあつたことを、彼等に祈禱を籠める樣に敎へられた、幾代もの子供があつたことを、さては彼等の前に打明けられた、無限の悲哀と希望とに就て語つて居る。幾百年の崇拜の名殘は、彼等の流浪の後を追うてか、微かな床しげな香の移り香が、此塵(ごみ)だらけの場處にも漂うて居る。
[やぶちゃん注:「彼等の祭壇の前に、小さい赤兒の衣服を掛け掛けした」これは思うに、鬼子母神の祭壇を指すものと私は思う。そうして、この時、小泉八雲が想起した記憶は、『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(二〇)』のそれではなかったかと私は思うのである。そこで私はその寺を敢えて指示していない。しかしここではっきり言おう。これは、私の家から目と鼻の先にある、神奈川県藤沢市柄沢の柄沢山宗休庵隆昌院(グーグル・マップ・データ)であると私は踏んでいる。同寺の公式サイトでも、その可能性を示唆されてあるのである。]
『あれは何と思召します』骨董商の聲が問うた。『あれが此中でも、一番傑作ださうです』
と彼は、三重の蓮華に坐した佛像を指差した――阿嚩盧吉帝濕伐羅(アバロキテスバラ)――『稱名の音聲を觀る』といふ女菩薩。……彼女の名を稱ふれば、嵐も憎みも鎭まり、火も彼女の名にて消え、惡鬼も彼女の名を聞けば退散す。彼女の名を稱ふれば、人も日輪の如く空中に佇立するを得……五体の優美さ微笑の溫雅さ、方に是れ印度樂園の夢である。
[やぶちゃん注:太字(底本では傍点「ヽ」)の最後の部分は「佇立す」までしかないが、私の判断で「る」まで太字とした。
「阿嚩盧吉帝濕伐羅(アバロキテスバラ)」原文“Avalokitesvara”。観音菩薩。サンスクリット語ラテン文字転写で現行は「Avalokiteśvara」。仏教では他の菩薩如来と同様、男であるが、最も女性性の強い菩薩であり、ウィキの「観音菩薩」によれば、『インド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性』が考えられ、また『ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとの関連』も『指摘されている』ている。]
『觀音です』自分は答へた。『甚だ美しい』
『隨分高い代價を拂つても欲しいといふ者がありませう』彼は賢(さか)しげな目配せをして云つた。『私も可なり出しました。併し槪して私は安く買ひます。こんな物は買手が少いし、それに內證で賣るのですからね、そこが私の附け目です。あの隅にあるジヨスを御覽なさい――大きな眞黑な奴、これは何でせう』
『延命地藏です』自分は答へた。『長命を授ける地藏です。太變古いやうです』
『ねえ。貴君(あなた)』と彼は又自分の肩に手を置いて云つた。『それを賣つた男は、私に賣つた爲めに、牢屋へ入れられましたよ』
と彼は心から笑ひこけた――彼自身の取引の巧妙さを思ひ出してか、國法を侵して佛像を賣つた男の不運な魯鈍を笑つたのか、自分には分からなかつた。
『後になつて』彼は又云つた。『それを買ひ戾したいと云つて私が拂つた金よりも餘計を提供して來ましたが、私は應じませんでした。私は偶像の事を精しくは知りません、併しどれ程の値打があるかは知つて居ます。全國を探してもそんな偶像は又とありません。大英博物館は、それを手に入れたら喜びませう』
『大英博物館へは何時送るお積りですか』自分は聞いて見た。
『サア、先づ私は展覽會を開く積りです』彼は答ヘた。『ロンドンで偶像の展覽會をすれば全が儲かりますよ。ロンドン人は生まれてこんなものを見た事はありませんからね。そして敎會の人達は、うまく持ち込めば此種の展覽分を後援しますよ。傳道の廣告になりますからね[やぶちゃん注:句読点が欲しい。]「日本の偶像崇拜」とか何とか……其の小兒は如何です』
自分は此時、片手は上を指し、片手は下を指して立つてる[やぶちゃん注:ママ。]、裸體の孩兒の金色の像――誕生の佛陀――を見て居たのである。旭日が東天に昇る樣に、彼は光明を放ちつつ胎內から出て來た。……彼は直立して悠然と七步步いた、其足跡は七つの星の樣にいつまでも光つて居た。そして彼は明瞭な語調でかう云つた。『佛陀は生まれた。予に再生はない。予は天上天下凡ての者を濟度せんが爲めに此度を限りに生まれ出た』
『それは所謂誕生釋迦です。靑銅のやうですね』
『靑銅です』彼は指の節で件の像を叩いて鳴らしながら答へた。『銅の地金だけでも買ひ値よりは高いです』
自分は、頭が殆ど天井に觸れて居る四天王を見上げて、『摩訶跋渠(マハバカ)』に書いてある彼等が出現の噺を思ひ出した。美しい夜であつた、四人の大王は四邊を光明に充たしつつ聖き森に入つた。そして鄭重に佛陀を禮拜した後、東西南北に分かれて四大炬火の樣に立つた。
[やぶちゃん注:「摩訶跋渠(マハバカ)」“Mahavagga”。上座部仏教の「パーリ仏典」の「パーリ律」に於いて、出家修行者(比丘・比丘尼)が属する僧伽(僧団)内の作法・規則や、その由来を説いた領域を言う「犍度」(けんど/パーリ語ラテン文字転写:khandhaka:カンダカ)の「大品」(だいほん/パーリ語:Mahā-vagga:マハー・ヴァッガ)のこと。]
『こんな大いな像をどうして二階に持ち上げましたか』自分が問うた。
『引き上げました、床(ゆか)へ大穴を明けて入れたのです。實際困つたのは汽車で持つて來る事でした。彼等には初めての汽車旅行でした……併しこれを見て下さい、展覽會に出したら大評判になりませうよ』
見ると高さ二尺許りの小さい木像が二つあつた。
『何故これが大評判になるとお考へですか』自分は何げなく聞いた。
『何だか分かりませんか。これは基敎[やぶちゃん注:「キリストきやう」と読んでおく。原文には特になく、単に“persecutions”(迫害)であるのに戸澤氏が添えたものである。]迫害の時に作られたもので、日本の惡魔が十字架を蹈み附けて居るところです』
其木像といふのは、小さい寺の守護神に過ぎぬ。そしてX形の支柱に脚を載せて居るのである。
『誰れかこれは惡魔が十字架を蹈み附けて居るところだと云ひましたか』と自分は蹈み込んで聞いた。
『外に取り樣がないぢやありませんか』と彼は云ひぬける樣に答へた。『脚の下の十字架を御覽なさい』
『併し惡魔ではありませんよ』自分は主張した。『そして此十字架の樣な物も、ただ平面を與へる爲めに、脚の下へ突(つ)つかヘたに過ぎませんよ』
彼は默して失望の樣子を見せたので、自分は少し氣の毒に感じた。『十字架を蹈み附けて居る惡魔』は、日本の偶像の到着を報道するロンドンの廣告びらの客呼(まねぎ)文句としては、公衆の眼を引くこと請合であらう。
『これはそれよりもつとよい物です』と自分は美しい組合像(グループ)を指して云つた。これは傳說に依る摩耶夫人の橫腹から、赤兒の佛陀が出懸かつて居る所であつた。彼女の橫腹から苦痛もなく菩薩が生まれ出た。それは四月の八日であつた。
[やぶちゃん注:ウィキの「摩耶夫人」によれば、摩耶夫人は生没年不詳で、『コーリヤ族の出身とされ、釈迦族の王シュッドーダナ(浄飯王)に嫁いだ』。紀元前五六六年(紀元前六二四年・紀元前四六三年とする説もある)に『シッダッタを生み、シッダッタの生後』七『日後に没した』。『また』、『没して後は忉利天に転生したと仏伝には記される』。『シッダッタはその後、マーヤーの妹であるマハー・プラジャパティー(摩訶波闍波提)に育てられた』とされるが、『それは、シュッドーダナがマハー・プラジャパティーを後の王妃としたということのようである』。「ラリタ・ヴィスタラ」(「普曜經」・「方廣大莊嚴經」)などに『よれば、マーヤーはヴァイシャーカ月に』六『本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見』、『シッダッタを懐妊したとされており、その出産の』さま『も、郷里に帰る途中に立ち寄ったルンビニーの園で花(北方伝ではアショーカ樹〈無憂樹〉、南方伝ではサール〈娑羅双樹〉)を手折ろうと手を伸ばしたところ、右脇から釈迦が生まれたと伝える』とある。]
『それも靑銅です』彼はそれを叩きながら云つた。『銅製の偶像は段々少くなります。もとは銅像を買ひ上げて古金(ふるがね)として賣つたものです。少し取つて置けば宜かつたのに。其當時寺から來る靑銅をお目に懸けたかつた――鐘だの、花瓶だの、偶像だの。鎌倉の大佛を買ひ取らうとしたのも其頃の事でした』
『古金(ふるかね)としてですか』自分は問うた。
『さうです。私共は金(かね)の量目(めかた)を計算して、組合(シンジケート)を組織しました。最初の附値(つけね)は三萬弗でした。それで大儲けが出來る筈でした、あれには金や銀が澤山入つて居りますから。僧侶達は賣りたかつたのですが、檀家が承知しませんでした』
『あれは世界の寶一つです』自分は云つた。『君達はほんとにあれを潰(つぶ)す積りでしたか』
『さうですとも。勿論です。外に仕樣がないぢやありませんか。彼處(あそこ)にあるのは處女(ヴワージン)メーリーに似てますね』
[やぶちゃん注:「處女(ヴワージン)メーリー」原文“Virgin Mary”。言わずもがな、処女懐胎したイエス・キリストの母マリアである。]
彼は小兒を抱かしめて居る女の、金箔を塗つた像を指した。
『似て居ます』自分は答へた。『併しあれは鬼子母神といふ、子供を可愛がる、女神です』
『人は偶像々々と云ひますが』彼は考へながら續けた。『羅馬舊敎(ローマンカソリツク)の寺院にはこんなものが澤山ありますね。私には宗敎は世界中何處でも、同じ樣に見えます』
『君のいふ通りです』
『佛陀の物語も基督の物語に似て居ますね』
『或る度まではね』
『ただ佛陀は磔刑にならなかつただけです』
自分は答へなかつた。そしてつぎの經文を思ひ出した『世界中に芥子粒程の地といへども、彼が衆生の爲めに身命を捨てざりし地は殘つて居ない』其時突然自分にはこれが絕對に眞である樣な氣がした。大乘の佛陀はゴタマでない、如來でもない。人の心中にある佛性である。我々は凡て無窮の蛹[やぶちゃん注:「さなぎ」。]である。各人は佛陀を含有する。千萬人も皆同一である。あらゆる人間は潜在的に佛陀であるが、幾代も幾代も色相の迷夢に耽つて居る。我慾の亡びる時こそ、釋尊の微笑は世界を再び美しからしむるであらう。貴い犧牲を拂ふ每に、人は覺醒の時機に近づき行く。そして幾代もの人間の無量數を思へば、今でも愛の爲めに、若しくは義務の爲めに、身命の捨てられなかつた土地が、地球上に一箇處でも殘つて居らぬことを、誰れが疑ひ得るであらう。
[やぶちゃん注:「色相」「しきさう(しきそう)」。肉眼で見ることの出来る見かけ上の仮の姿や形象。]
自分は再び骨董商の手を肩の上に感じた。
『兎に角』彼は愉快さうな語調で叫んだ。『大英博物館では皆、尊重されるでせうね』
『だらうと思ひます。さうさるべきです』
其時自分は此等の佛像が大英博物館といふ、死せる神々の洪大な墓所の何處かに押し込められ、豆肉汁(まめスープ)の樣な霧の下に、エヂプトやバピロンの忘られた神々と同居して、倫敦の喧囂に微かに戰慄して居る樣を想像した――併しそれは何の爲めにであらう。第二のアルマ・タデマ(畫家)[やぶちゃん注:以上は戸澤氏による二行割注。“Alma Tadema”。ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema 一八三六年~一九一二年)はイギリスのヴィクトリア朝時代の画家(但し、生まれはオランダ)。ウィキの「ローレンス・アルマ=タデマ」によれば、『古代ローマ・古代ギリシア・古代エジプトなどの歴史をテーマにした写実的な絵を数多く残し、ハリウッド映画の初期歴史映画などに多大な影響を与えたと言われる』とある。]をして、又亡びたる文明の美を描かしむる爲めか、英語の佛敎辭典の挿畫を豐富ならしむる爲めか、未來の月桂詩人を刺戟して、テニズンの『脂ぎつて、縮毛をしたアツシリアの猛牛』といふ形容にも劣らぬ、名文句を吐かしひる爲めか。確に其處に保存せられる事が無駄にはならぬ。因習的ならぬ我慾的ならぬ時代の思想家ならば、彼等に對する新たな尊敬を敎ふるであらう。人間の信仰が作り出した凡ての影像は、永久に貴い眞理の殼である。其殼でさへ貴い力を持つて居よう。佛の顏の和らかい靜かさと、冷やかな優しさは西洋人に靈魂の平和を與へ得るかも知れぬ。彼等は慣習に堕した信仰に倦き、賢師の來たつて、我は高きも低きも、有德なる者も不信なる者も、正しき者も正しからざる者も、異端邪說に醉ふ者も、善にして眞なる信念を抱く者も、一視同仁の眼を以て見る。と叫ぶのを待ち焦れて居るのである。
[やぶちゃん注:「テニズン」ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの詩人アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson 一八〇九年~一八九二年)。美しい韻律と叙情性に富んだ作風により、日本でも愛唱されたが、小泉八雲も好きな詩人であったようで、『小泉八雲 涅槃――總合佛敎の硏 (田部隆次譯) / その「四」』や、『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「一」』の冒頭にも引いている。『脂ぎつて、縮毛をしたアツシリアの猛牛』(“oiled and curled Assyrian bull.”)は詩篇“ Maud: A Monodrama ”(「モード――独白劇」)の一節。英語全篇は英文サイトのこちらで読める。
【2025年5月18日追記】さて。この一篇、何度か、読み返してみると、どうも、この怪しい骨董商が自慢げに語るエピソードが事実としてあったもかどうか、甚だ疑われる違和感のある個所が、私には散見される。廃仏毀釈以降、仏教美術に限らず、多くの日本の近世以前の美術品が、絶望的に海外に流れたことは厳然として事実である。しかし、私は、そうした一々の具体な海外流失の子細を語った事例に就いて、それを売り払ったバイヤーの語りや文章を読んだことがない。この小泉八雲の本篇は、現代の日本人である我々が読んでも、十中八九、内心、忸怩たるものを感じずにはいられない、稀有の、驚くべき話ではある――あるのだが――どうも、私は、もっと、せこい、下らぬ骨董商の複数の話を素材として、小泉八雲が創作した、日本芸術流出への皮肉な批判を込めた創作であろうと考えている。大方の御叱正を乞うものである。]
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