芥川龍之介 春の夕べ 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:本二篇は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔小学時代㈡〕』に載る「春の夕べ」の漢字表記を参考にし、新全集第二十一巻の「初期文章」(一九九七年刊)の「春の夕べ」(藤沢文書館蔵。恐らくは葛巻義敏旧蔵品。但し、漢字は新字表記)の明治三六(一九〇三)年二月発行の回覧雑誌『日の出界』臨時発行号の『お伽一束』に基づいて構成表記し直したものである。則ち、漢字を「未定稿集」に従って正字で示した以外、葛巻氏の整序した部分も含めて文字列(字空けや改行)は新全集版に基づいたものである。
本回覧雑誌については先の「彰仁親王薨ず」の私の冒頭注を参照されたい。葛巻氏は末尾に『(明治三十六年)頃、「芥川龍雨」の署名で。回覧雑誌「お伽一家」)』とするが、「家」は誤判読であろう。当時の芥川龍之介は江東尋常小学校高等科一年次の満十歳の終り(芥川龍之介は三月一日生まれ)であった。
やや讀み難いが、躓く部分については後注を施した。]
春の夕べ
「あさひに、にヽをヽ山の櫻の」
と今日學校でをそわつた唱歌をうたいながら樂しげに 步んできた二人の少年
「ねー重ちやん今日の「かすみてみヽゆる」んとこねー大へんむづかしかつたね」
「あゝ あたいは「さくらのはヽなの」のとこが一番むづかしかつたよ 美(ミー)ちやんと重ちやんは 何かいをゝとした時
「一寸をたづね申します」
と見苦しき老僧は こしをかゞめてといかけた
「あの○○町の方へ行くのはどういつたらよろしいのでしよう」
「エ あの○○町なの こゝをまつすぐにいつて この橫丁から三番目の橫丁をはいると つきあたりがそうよ」
と美ちやんは丁寧に指さしてをしへた老僧は
「有難う御座います 南無阿彌陀佛々々々々々々
とくりかへしてさししめされた方がくへ とぼとぼと步んで行つた
[やぶちゃん注:一読、芥川龍之介が心から尊敬して交わった先達の文豪泉鏡花の小説の冒頭のように見まごう。平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の同作品の篠崎美生子(みおこ)氏の解説でも、『会話文を多量に含むやわらなか文体には、泉鏡花の影響があることが想像される。「愛読書の印象」』(大正九(一九二〇)年八月『文藝倶樂部』初出)『によれば、芥川は「中学へ入学前から(中略)鏡花氏の「風流線」を愛読していた」とのことであるが、初期文章の段階で、既にさまざな文体が試みられていることは注目に値しよう』と述べておられる。さて、以下、表記上の問題点及び「未定稿集」との違いについて述べる。
・冒頭の「あさひに、にヽをヽ山の櫻の」は、まず、歴史的仮名遣の誤りは総てママ。なお、「ヽ」であって「ゝ」ではない点に注意されたい。「チュてん」とでも言うべきか、通常はカタカナの繰り返しにしか用いない記号である。「未定稿集」では『にーをー』と長音符である。私は正直、そっちの方が、唱歌を歌っているのであるからには違和感がない。実際、長音符使用は今回纏めて行った初期の文章に散見するからでもある。以下の何箇所かも葛巻氏のそうするように、長音符の方がいいだが、ここは皆、新全集に従った。この唱歌、歌詞を整序してみると、「あさひに」「にほふ山の櫻の」「かすみてみゆる」「さくらのはなの」である。しかし、完全にこれに一致するものは私は知らない。但し、知られた「さくらさくら」又は「さくら」(日本古謡とされるが、実際には幕末に江戸で子供用の箏の手ほどきの一曲として作られたもので、作者は不明)の歌詞と単語と表現が酷似しているから、恐らく、芥川龍之介が仮想の鏡花的幻想小説世界へのトバ口として、それを少し弄った架空のもののように私には思われる。もし、完全一致する歌詞があるとなれば、御教授願いたい。
・「をそわつた」「未定稿集」も新全集もママ。
・『「あゝ あたいは「さくらのはヽなの」のとこが一番むづかしかつたよ 美(ミー)ちやんと重ちやんは 何かいをゝとした時』の鍵括弧閉じるがないのはママ。「未定稿集」は「むづかしかつたよ」で鍵括弧を閉じ、しかもそこで改行している。葛巻氏による断りなしの勝手な整序である。「さくらのはゝなの」は「未定稿集」では「さくらのはーなの」である。
・「いをゝと」前に徴して見るに芥川龍之介は「いをーと」としたつもりかもしれぬ。「言はうと」の意の誤記或いは訛りである。「未定稿集」も新全集もママ。
・「よろしいのでしよう」の「しよう」は「未定稿集」も新全集もママ。
・『「有難う御座います 南無阿彌陀佛々々々々々々』の鍵括弧閉じるがないのはママ。前と合わせて、これは落としたというより、芥川龍之介は確信犯でそう表記したのであると私は思う。「未定稿集」鍵括弧を閉じてある。やはり葛巻氏による断りなしの勝手な整序である。
「芥川龍之介未定稿集」が「全集」の中に晴れて正当に組み込まれることがなく、今に至るまで一種の鬼っ子のような扱われ方がされ、しかも総じて芥川龍之介研究者の間で葛巻氏の評判があまり芳しくないのは、彼が芥川龍之介の未定稿や原稿断片を小出しにして発表したことや、さらにはそれらを恣意的に結合したり、断りなしに書き変えたりしたからである。しかし本篇については以上のように原本と比べて見ると、全体に「未定稿集」版の葛巻氏の操作は、本篇を読むに躓かぬようにという配慮をされての手入れと言え、概ね納得出来る操作であるとは言える。寧ろ、近年の勝手な機械的な漢字の新字化や、歴史的仮名遣の現代仮名遣への変換に比べれば、私は殆んど罪がないものであるとも言おう。
泉鏡花や夏目漱石や森鷗外ばかりではない――既に鷗外を物理的に読めない高校生は甚だ多い――芥川龍之介の正字正仮名の作品をさえ――若者たちの多くが物理的に読めなくなってしまう――「こんなもん、読めるわけねえじゃん」とほくそ笑んで言い出すのも――そう遠くないように思われる。高校の国語で「こゝろ」や「舞姫」はおろか――「羅生門」も読まずに卒業して最高学府へ進学する若者が、これからカリキュラム上から、事実、生れてくるのだ――私はそら恐ろしい気が、今、確かにしている。]
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