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2019/12/30

芥川龍之介 昆虫採集記 (二篇) 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)

 

[やぶちゃん注:本二篇は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔小学時代㈡〕』に載る「昆蟲採集記㈠」及び「昆蟲採集記㈡」を基礎底本としたが、「昆蟲採集記㈠」の方は岩波の新全集第二十一巻の「初期文章」(一九九七年刊)に原本画像に拠って載る(但し、漢字は新字表記)ので、それと校合した。

 その新全集「後記」によれば、「昆蟲採集記㈠」(新全集では『実話 昆虫採集記』。「実話」は新全集では右から左へ横書でポイント落ち。以下本文でもその題名をポイント落ち一字空けで採用した。なお、「未定稿集」では『昆蟲採集記㈠(實話)』となっている)の方は小学校時代に同級生数人と始めた回覧雑誌『日の出界』の第三編、推定で明治三五(一九〇二)年五月発行のそれに載ったものである(葛巻氏は『(明治三十六、七年)』と最後にクレジットしている)本回覧雑誌については先の「彰仁親王薨ず」の私の冒頭注を参照されたい)。当時の芥川龍之介は江東尋常小学校高等科に入学したばかりの満十歳であった。

 以上の通り、最初のそれは「實話 昆蟲採集記」とし、漢字表記は「未定稿集」に従ったものの、新全集のそれでは一箇所を除いて句読点が一切ないのを採用し、最後の採集参加者名簿も並べて下方三字上げインデントで記されてあるのを真似て、引き上げて各人改行で示した。「未定稿集」では本文に続いて句読点附きで記されてはあるものの、原本には『並べて下に記されている。もちろん彼』(芥川龍之介)『の筆蹟のまま』(回覧雑誌は手書きである)と注してある。

 実は芥川龍之介は昆虫少年であったのである。]

 

    實話 昆蟲採集記

 

余は五月六日友上瀧汎上瀧嵬野口眞造吉田春夫の四人とつごう五人昆蟲採集におもむいた

仲間の中での笑わせ屋の野口は種々な笑種を出て笑せるしくたびれやの吉田はくたびれたと妙な顏をする嵬先生はあついといつて蛙が小便をなめたような顏しているし汎君は平氣でさきへあるいて行く。余は唯腹が空たといふばかりでる

[やぶちゃん注:「上瀧汎」「こうたきひろし」か。こちらの近代資料刊行会のサイトの雑誌集成の『社会事業の友』の目次の、同誌第七十六号(昭和一〇(一九三五)年三月発行)の中の、『台湾総督府主催第八回社会事業講習会』に『釈放者保護事業に就て 上瀧 汎』とあるのは、姓名の特異性からみて、恐らく、後の、この人物ではないかと思われる。最初に記しているところを見ると、以下の上瀧嵬(こうたきたかし)の兄か?

「上瀧嵬」(明治二四(一八九一)年~?)は龍之介の江東小学校及び府立三中時代の同級生。一高には龍之介と同じ明治四三(一九一〇)年に第三部(医学)に入り、東京帝国大学医学部卒、医師となって、後に厦門(アモイ)に赴いたと関口安義氏の新全集の「人名解説索引」にある。龍之介の「我が交友錄 學校友だち」(大正一四(一九二五)年二月『中央公論』)では巻頭に『上瀧嵬 これは、小學以來の友だちなり。嵬はタカシと訓ず。細君の名は秋菜。秦豐吉、この夫婦を南畫的夫婦と言ふ。東京の醫科大學を出、今は厦門(アモイ)の何なんとか病院に在り。人生觀上のリアリストなれども、實生活に處する時には必ずしもさほどリアリストにあらず。西洋の小說にある醫者に似たり。子供の名を汸(ミノト)と言ふ。上瀧のお父さんの命名なりと言へば、一風變りたる名を好むは遺傳的趣味の一つなるべし。書は中々巧みなり。歌も句も素人並みに作る。「新内に下見おろせば燈籠かな」の作あり』とある。

「野口眞造」(明治二五(一八九二)年~昭和四〇(一九七五)年)は芥川龍之介とは江東尋常小学校附属幼稚園入学時以来の友人で私立商工中学校卒後、染織工芸家となった。日本橋呉服屋「大彦」の次男で、父の経営をする問屋や工場で、染色の考案・製作を学んだ。大正一四(一九二五)年、父の死に伴って「大彦」を継いだ。昭和二(一九二七)年には「大彦染織美術研究所」を設立し、伝統的な染色刺繡の研究や復元及びそれらに自身の創案を加味した正統的衣装捜索を活発に行う。皇室慶事の調製、大劇場の緞帳や大パネルなども手がけている(以上は「芥川龍之介私的データベース」の彼の記載に拠った)。同じく「我が交友錄 學校友だち」に、『野口眞造 これも小學以來の友だちなり。呉服屋大彥[やぶちゃん注:「だいひこ」とも読む。]の若旦那。但し餘り若旦那らしからず。品行方正にして學問好きなり。自宅の門を出る時にも、何か出かたの氣に入らざる時にはもう一度家へ引返し、更に出直すと言ふ位なれば、神經経質なること想(おも)ふべし。小學時代に僕と冒險小說を作る。僕よりもうまかりしかも知れず』と記している。兄の功造とともに芥川龍之介とは終生交際が続いた。

「吉田春夫」芥川龍之介の江東小・三中までは同級生であった人物と思われ、三中時代の回覧雑誌『流星』(明治三九(一九二二)年四月発行)の近未来戦争小説「廿年後之戰爭」の終りで、

   *

空前の大發明

 大軍醫吉田春夫氏 あらゆる病患を癒すべき藥品を發見す原名ヨークオッコルと云ふ由空前の大發明也

   *

と登場させているからには回覧雑誌にも加わっていたか、せめても、その読者ではあったものと思われる。

「出て」「だして」。

「笑種」「未定稿集」では「種」に『だね』のルビを振るが、これは葛巻氏の添えであることが判る。

「空た」「すいた」。

「でる」「である」の脱字。]

 やがて上野公園へきた

 そこで「アゲハノチヤウ」及「トンボ」をとらゑたが余空腹のためて食事をした

[やぶちゃん注:「とらゑた」ママ。

「空腹のためて」ママ。葛巻氏は補正したようで「ためで」となっているが、それでもおかしい。寧ろ「ために」の誤記であろうと思われる。]

 それより步む事一里餘にして木立暗き山に出でた、他の者はそこでべんとうをしようとしたが向をみると一つの森林があるからあすこにしようと細道をつたわつてそこにゆき他の者はべんとうを食たが、我は柏餅をくつた[やぶちゃん注:「未定稿集」はここで改行なしで以下全部続いている。]

[やぶちゃん注:「べんとう」ママ。後も同じ。

「つたわつて」ママ。]

其後そばの立木をけづり[やぶちゃん注:「未定稿集」はここで改行なし。]

下のようにしたゝめた

               上瀧  汎

               芥川龍之助

               上瀧  嵬

               野口 眞造

               吉田 春夫

 

 

[やぶちゃん注:以下は「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔小学時代㈡〕』に載る「昆蟲採集記㈡」(新全集には載らない)。葛巻氏は末尾に『(明治三十六年頃、「芥川龍雨の署名で。回覧雑誌「日の出界」)』と記す。但し、明治三六(一九〇四)年五月以降に発行された『日の出界』は確認されていない。しかし、この葛巻氏の注の書き方は現物雑誌を前にしているとしか思われない。現存しないか。〔 〕は葛巻氏の補正挿入。「とらゑた」「ようよう」「かゑつた」の表記はママ。]

 

   昆蟲採集記㈡

 

 今迄に私が一番面白かつた事をといふのですか 宜しい私が一つ話て見ませう

 時は六月三十日晴天を幸に友人二人と つごう三人網をかついで昆蟲採集に出かけた

 みるとよこの木枝に一個のはちのすがあつた さあこれこそ今日の得物にせよと一同 其はちのすをとつたところが中より數匹のはち劒をふつて我等にむかつてきた

 一生けん命向見ずにかけだしたところが 前にあつたどぶの中へズルズルボチヤリ

 ようよう上へ上つた 上では友が多くのはち〔を〕とらゑた所だ

 が我が着物 泥だらけだから それをぬぎ 友が二枚きていた着物を一枚まとひようよう實家にかゑつた(終)

 

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