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2019/12/13

小泉八雲 趨勢一瞥 (戸澤正保訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“A GLIMPSE OF TENDENCIES”。内容から見て、急速に近代化する日本の現在の「趨勢(傾向)に就いての管見」といった謂いである)は来日後の第三作品集「心」(原題“KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第八話である。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 文中途中に突如入る注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、前後を一行空けた。

 訳者戶澤正保(明治六(一八七三)年~昭和三〇(一九五五)年:パブリック・ドメイン)はイギリス文学者。東京外国語学校校長。「姑射」の号でシェイクスピア作品の翻訳を浅野馮虚(ひょうきょ)とともに手がけ、「沙翁(さおう)全集」を刊行したことで知られる。茨城県生まれ。菊池庸の二男であったが、戸沢正之の養子となった。明治三二(一八九九)年に東京帝国大学文科大学英文科を卒業(これから見て小泉八雲の教えを受けた可能性が高い)、大学院に進学、明治三五(一九〇二)年に山口高等学校教授となり、明治四〇(一九〇七)年からは嘗て小泉八雲や夏目漱石が罪人した第五高等学校教授を務めた。イギリス留学を経て、再び山口高等学校教授となり、昭和四(一九二九)年に弘前高等学校校長に就任、昭和七(一九三二)年、東京外国語学校校長に転じ、昭和一三(一九三八)年退官(以上はウィキの「戸沢正保」及び講談社「日本人名大辞典」などを参照した)。底本では「戸沢」ではなく「戶澤」と表記している。]

 

        第八章 趨勢一瞥


        

 開港場の外人居留地は、其極東的な周圍に著しい對照を呈して居る。其街路の整然たる醜惡さの中に、人は世界の此方側(こつちがは)には無い筈の場處を想ひ出させられる――恰も西洋の斷片が魔術的に海を超えて運び來られたかの如く。――リバープールや、マルセイユや、ニユーヨークや、ニユーオルレアンスや[やぶちゃん注:以上総ては港湾都市。]、さては一萬二千乃至五千哩[やぶちゃん注:「マイル」。約一万九千三百十三から八千キロメートル強の間。]彼方の熱帶植民地の市街の一部分が。商館の建物――日本の低く輕い商店に比較すれば巨大な――は財力の脅威を語る如くに見える。種々雜多の樣式の住宅――印度人の平屋建(バンガロー)[やぶちゃん注:“Indian bungalow”であるが、これは(アメリカ・)インディアンのそれと訳すべきところであろう。]から、小塔(ターレツト)[やぶちゃん注:“turrets”。建物の角から張り出した内部に小部屋を持つ小さな塔。]や張出窓(ボーウヰンドウ)[やぶちゃん注:“bow-windows”。一般に外側に弓型に出た張り出し窓。]を具へた英佛式の山莊風に至る迄の――は平凡な刈り込んだ灌木の庭園に圍繞[やぶちゃん注:「ゐねう(いにょう)」。]せられ、白い道路は固く卓子の樣に平らで、立ち込んだ樹木で劃(かぎ)られて居る。殆ど英米に於ける傳統的な凡ての物が此處に移植されてある。敎會の塔も見える、工場の煙突も見える、電信柱も見える、街燈も見える。鐡扉の附いた舶來煉瓦の倉庫、板がガラスの窓のある商店の店前(みせさき)、步道、鑄鐡の欄干(てすり)なども見える。朝刊夕刊又は週刊の新聞がある、倶樂部がある、圖書館がある。球廊(たまころがしば)[やぶちゃん注:“bowling alleys”。ボーリング場。]がある、撞球場[やぶちゃん注:“billiard halls”。]がある、酒場がある、學校がある、海員禮拜堂[やぶちゃん注:“bethels”。キリスト教徒の船員たちのために設けられた海岸近くの礼拝所。主に米国で用いられる語。]がある。電燈會社もある、電話會社もある。病院も法廷も監獄も外人警察署もある。外人の辯護士も醫者も薬劑師も、又外人の食品店、菓子舖、麪包屋[やぶちゃん注:「バンや」。]、牛乳屋、男女服裁縫師もある。外人の學枚敎師、音樂敎師もある。役場の事務と各種の公會に充(あ)てる公會堂もある――これは又素人演劇や講演や音樂會にも使用する。又偶(たま)には世界巡遊の劇團が暫し此處に逗留して、本國で爲(す)る樣に男を笑はせ女を泣かす事もある。クリケット場(グラウンド)もある。競馬場もある、公園――或は英國で所謂スクエーアもある[やぶちゃん注:この場合の(原文は““squares””)は「広場」のこと。]、――快走船(ヨツト)會、競技會、又は水泳場もある。又耳馴れた音樂の中には、ピアノ練習の果てしもなき絃聲、市中音樂隊(タウンバンド)の破る〻樣な響き、又折々は手風琴[やぶちゃん注:“accordions”。アコーディオン。]の喘ぐ樣な昔が聞こゆる――聞こえないのは實際ただ手廻はしオルガン[やぶちゃん注:“organ-grinder”。街頭での「箱型の手回しオルガン弾き」のこと。]の響きのみである。住民はといふと、英國人、佛國人、獨逸人、米國人、丁抹人[やぶちゃん注:「デンマークじん」。]、瑞典人[やぶちゃん注:「スウェーデンじん」。]、瑞西人[やぶちゃん注:「スイスじん」。]、魯國人[やぶちゃん注:「ろこくじん」。ロシア人。]と、それに伊大利人及びレバント人譯者註が薄く撒き散らされてある。それから支

 

譯者註 伊太利の東方地中海沿岸一帶の諸國諸島嶼の住人。

[やぶちゃん注:「レバント人」原文は“Levantines”。Levant(レバント又はレヴァント)とはウィキの「レバント」によれば、『東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域』。『現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル(およびパレスチナ自治区)を含む地域(歴史的シリア)を指すことが多い』とある。]

 

那人を忘れようとしたが[やぶちゃん注:「つい、忘れるところだった」の意。別に小泉八雲に意図はない。寧ろ、肌の色から日本人とつい区別して認識していなかったという謂いであろう。]、彼等も大勢居て、彼等だけで一隅を占領して居る。併し優勢な分子は英米人である――中でも英人が最多數を占めて居る。此等有力な人種のあらゆる缺點も長所の幾分も海外で硏究するよりも此處では一層明瞭に見られる――其故はこんな小さい社會では、各人が他の各人に就て凡てを知つて居るからである――全くここは極東といふ茫漠たる不知の沙漠中のオアシスである。書くに堪へぬ醜い噂もあれば、又貴く情深い美談もある――それは己れは利慾一點張りだと稱し、傳統の假面で美しい心を世間から隱して居る人々が爲した、立派な行動に就てである。

 併し外人の領域は、苦もなく橫斷し得る程の範圍を超えては居らぬ。そして久しからぬ中に再び消滅して了ふであらう――その理由は今に述べる。一體居留地の發展は早熟に過ぎた――殆ど米國西部諸州の『蕈の市』の如くに――そして出來上がると間もなく發展の極限に達したのである。

[やぶちゃん注:『蕈の市』は「きのこのまち」と訓じておく。原文は““mushroom cities””。「mushroom」には瞬く間に伸びてくる茸(きのこ)のさまから、「急成長する」という形容詞の用法があり、ここもその用法で、平井呈一氏は恒文社版「趨勢一瞥」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)では『「新開町(マッシュルーム・シティ)』と訳しておられる。以下の「市」も「いち」ではなく、「まち」(別に「し」でもよいが)と読んでおく。]

 居留地の周圍及びその先きには、本國人の市――眞の日本の市――が判然分からぬ方面にまで延びて居る。普通の居留人には、此本土人の市は祕密の世界である。彼は十年も居る中に、一度も其處へ行つて見る價値がないと思つて居るらしい。彼は單に一商人で、土俗の硏究者ではないから、それに何の興味も持たず、それがどんなに變つた物であるかと考へる暇もない。併し實は居留地を橫ぎるだけで、太平洋を橫ぎるのと同じなのである――其太平洋も兩人種の間の間隔より廣くはない。日本人市街の長い狹い迷路の中ヘ一人で入り込むと、犬には吠えられる、子供等にはたつた一人の外國人ででもあるやうに、ぢろぢろ見られるであらう。そして多分『異人』、『唐人』若しくは『毛唐人』と後ろから呼ばれるであらう――此最後の語は『毛深い外國人』といふ事で、決して讃辭として用ゐられるのではない。

 

        

 長い間居留地の商人は萬事に我が儘に擧動(ふるま)うた、そして日本人の商會に、西洋の商人ならば迚も承諾しようとも思はれぬ取引法を强要した――それは日本人は悉く詐僞漢だといふ外人の信念を表はす取引法であつた。外人は日本人から現品を受け取つて、久しく留め置いて調査に調査を重ね、手を盡くした後でないと、何物をも買はぬ――又は輸入の注文が來ても『手附金の多分な拂込』が伴なはぬと、之に應ずることをせぬ。日本の賣手買手がいくら反對しても遂に無效で、いやいやながら屈服せしめられた。併し彼等は時機を待つたのである――ただ遂には打勝たうといふ決心を以て屈服しつつ。外人町の急激な發展と、其處に投(おろ)されて成功した巨額な資本とを見て、彼等は先づ自ら成功する前に、大いに外人に學ぶべき所あるを知つた。彼等は敬服せぬが驚嘆した、そして心中では密かに外人を厭ひつつも、外人と取引きもし外人の爲めに働きもした。舊日本にあつては、商人は平百姓の下に位して居たのである。然るに此等の侵入外商は、王侯の氣位と制服者の傲慢とを冒して居る。雇主としては大抵苛酷で、時には殘忍である。それにも拘らず、彼等は營利の事に就ては驚く程怜悧で、帝王の如き生活をし、高い給金を拂つて居る。日本の若者に取つては、國家を外人の支配に移さざらんが爲めに、學ばざる可からざる事を學ぶには、彼等に使用せられて難儀をするも願はしい事であつた。いつかは日本も自分の商船と海外銀行と外國取引の信用とを得て、此等傲慢な外商を驅逐する日が來るであらう。先づ當分は敎師として彼等を恕し置くべきであるとした。

 

註 一八九五年七月二十一日の「ジヤパン・メール」を見よ。

[やぶちゃん注:「ジヤパン・メール」一八七〇年一月(明治二年十二月)に横浜で発行が開始された英字新聞“The Japan Weekly Mail”のことであろう(大正七(一九一七)年に現在も続く『ジャパン・タイムズ』(Japan times)に吸収合併された)。]

 

 そこで輸出輸入とも、貿易は全然外人の手に在つて生長し、無一物から數億の巨額に上つた。かくて日本はよく利用せられた。併し日本は學ぶ爲めに拂ひつつあるのを承知して居た。そして其忍耐は、侮辱の忘却と思ひ取られる程長く忍ぶといふ風の忍耐であつた。天運循環して日本の機會は來た。利を漁る外人の殺到が最初の好機を與へた。日本人との貿易の競爭が舊習を打破した。新しい商館は喜んで敢て手附金なしの注文を取つたので、巨額な前金を强奪することは出來ぬやうになつた。外人と日本人との關係も同時に改善された――それは日本人が虐遇さるれば突然團結するといふ危險な性能を現はし、短銃で嚇されなくなり、どんな罵詈をも許さず、そして尤も危險な惡漢(ごろつき)をでも、數分間で片附けて了ふ事を知つたからである。人民の屑なる開港場の亂暴な日本人に至つては、疾くから少し氣に入らぬ事があると、直ぐ攻勢を取るやうになつて居たのである。

 居留地の建設後二十年ならざるに、甞ては此國を擧げて彼等の有に歸するのも、ただ時の問題と思つて居た外人等は、此人種を餘りに見縊り過ぎて居た事に氣が附き始めた。日本人は如何にもよく學びつつあつたのであつた――『殆ど支那人と同樣に』。彼等は外人の小商人に取つて替はつた、そして樣々の商館は、日本人の競爭の爲めに閉店の止むなきに至つた。大商館にさへ、樂々と金儲けの出來る時代は過ぎ去つて、勉强の時代が始まりつつあつた。初めの頃は、外人の凡ての日用品は是非共外人に依つて供給されねばならなかつた――そこで卸商の保護の下に大きな小賣商が發達したのであつた。處が居留地の小賣業は明らかに前途を塞がれた。其の或る商賣は消滅した、消滅せざるものも目に見えて減少しつつあつた。

 今日では商館の安手代や雇人[やぶちゃん注:原文は“clerk or assistant”店で働く「売り子」はアメリカ英語では「sales clerk」、イギリス英語では「sales assistant」であるが、ここで小泉八雲は明らかに差異を示しているように見え、戸澤氏の「雇人」では今一つそれが出ない憾みがあるし、「安」(やす)を「手代」に被せてはなおのこと格落ちで、よく判らぬ。「clerk」は英語では狭義には「会計担当の社員」を指し、これを本邦の昔風の呼び名に従うなら、「手代」よりもその上の「番頭」であり、「手代」の下で平店員である「丁稚」の上の「手代」が寧ろ「assistant」なのではないか? 平井呈一氏も恒文社版「趨勢一瞥」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)で『外国商館の番頭や手代』と訳しておられる。]は、居留地のホテル生活には堪へられぬ。併し小額の月給で日本人の料理人(クツク)[やぶちゃん注:“cook”。]を雇ひ、若しくは日本人の飮食店から、一皿五錢乃至七錢で食事を仕出して貰ふ事が出來る。そして日本人の所有する『半洋風』の家に住んで居る。床に敷く絨毯や花莚[やぶちゃん注:“mattings”。平井氏は『畳』と訳しておられるが、ここは寧ろ、畳ほどには厚くない藺草で編んだ柄入りの文字通りの昔から本邦にある「花莚」(はなむしろ)、薄いマット状のものを指すものと考える。]は日本製である。家具は日本の家具商が供給する。衣服、襯衣[やぶちゃん注:「シャツ」。]、靴、ステッキ、洋傘、何れも日本製で、手水臺[やぶちゃん注:“washstand”。洗面台であろう。]の石鹼にさへ日本字が打込んである。喫煙家なら、馬尼刺葉卷[やぶちゃん注:「マニラはまき」。]を日本人の煙草屋から、洋商が同種のものを賣る代價よりも一箱半弗[やぶちゃん注:「はんドル」。]安く買ひ取る。書物が入用なら、外人の書籍商よりも大分安く、日本人から買ふ事が出來る――そしてより多く、よりよく精選した仕入品の中から買ひ取るのである。寫眞を撮らせたければ、日本人の寫眞店に行く――外人の寫眞屋は日本では生活が出來ぬのである。骨董が欲しければ、これも日本人の店へ行く――外商は百パーセント[やぶちゃん注:一割。]も高く請求するのが常である。

 又一方若し子供の多い者なら、日常の買物は、日本の肉屋、魚屋、牛乳屋、菓物屋、八百屋に依つて供給される。暫くの間は英米のハムやベイコンや鑵詰物を、外人の食料商から買ひ續けるかも知れぬ。併し日本人の店は、同じ品質の物を安價に提供する事を發見する。醇良な麥酒を飮むなら、それも多分日本の釀造所から來る。普通の葡萄酒や、其他の酒類の上等が入用なら、それも日本人の店は、外人の輸入商よりも安價に供給する。實際日本人の店から買ふ事の出來ぬ唯一のものは、どうせ買ふ力のないもの――卽ち富豪のみが買ふらしい高價な品物ばかりである。そして最後に、若し家族に病人が出來たら、日本人の醫者に診て貰へば、素と[やぶちゃん注:「もと」。以前に。]外醫に診て貰つた時、拂ひ拂ひした額よりも一割方安い謝禮で濟む。外人の醫者は今は生活が困難である――醫術以外に何か手緣る[やぶちゃん注:「たよる」。]ものがない限りは。外人の醫者が謝禮を一往診一弗に引き下げても、日本の醫者は二弗取つて、それで見事競爭に勝つ事が出來る。――それは日本醫は、醫者自身が藥劑を、外人の藥劑師を破產せしむる程の代價で賣るからである。勿論何處の國にも醫師は澤山ある。併し公立の病院若しくは陸軍の病院に院長たり得る腕前を有し、獨逸語を話す日本醫師は、其技術に於て容易に他の追隨を許さない。外人の醫師は多分之と拮抗することは出來まい。日水醫は藥品店へ持つて行く爲めの處方箋は吳れぬ。藥品店は彼の家にか、或は彼が司宰する病院の一室にあるのである。

 

 此等の事實は、澤山の中から手當り次第に搔き集めたのであるが、外人の商店卽ち米國人の所謂『ストーアス』[やぶちゃん注:““"stores,"””。ストア。]は、間もなく消滅するであらうといふことを示すものである。中には日本人中の小商人の不必要な、莫迦らしい欺瞞の爲めに却つて沒落を延ばしたもの日本人の欺瞞といふのは、外國の貼紙のある外國の壜に詰めて、怪しげな液體を賣らうとしたり、輸入品を僞造したり、或は商標を模造したりなどである。併し全體としての日本商人の常識は、こんな不德義には甚だしく反對して居るから、こんな惡弊は自然に止むであらう。日本商人は正直に外國人よりも安く賣る事が出來るのである。それは外國人よりも安價に生活し得るのみならず、競爭しながら金を儲け得るからである。

 これは居留地内でも少し前から認められるやうになつた。併しつぎの樣な妄想が行はれて居た。卽ち輸入及び輸出の大商館は難攻不落である、彼等は西洋との貿易の大勢を猶ほ支配し得る、日本の商會は外資の壓迫に對抗する資本を有せぬ、或は資本を用ふる商業上の方式(メソド)[やぶちゃん注:“methods”。メソッド。]を習得し得ぬであらう。小賣業は如何にも滅亡するであらう、併しそれは大(たい)した事でない。大商館は依然として殘り、增加し、而して其資本を益〻增大するであらうと。

 

       

 こんな外形的變化の行はれる中(うち)ぢゆう人種間の實際感情――東洋、西洋兩人種相互の嫌惡――は增大し續けた。開港場で發行される九若しくは十種の英字新聞の多數は、每日嘲弄輕蔑の辭で、此嫌惡の一側面を表現した。そして有力な日本の新聞紙は、賣り言葉に買ひ言葉で之に答へ、危險な反應を起こした。此等『反日本的』新聞紙が、た實際居留民の絕對多數の感情を代表せぬとしても――自分は代表すると信ずるのであるが――少くとも彼等は外資の壓力と、居留地の優越な勢力を代表して居る。日本贔負[やぶちゃん注:「ひいき」。「贔屓」に同じい。]の英字新聞は達識の人に依つて司宰せられ、非凡の新聞記者的能力を發揮しても、彼等の同業者の言說に依つて挑發せられた强い惡感を緩和するに足らない。英字新聞に揭げられた野蠻不道德の非難は、直に日本の日刊新聞紙上で、開港場の醜聞摘發で答へられた――そして幾百かの本土人の知る所となつた。此人種問題は强大な排外團に依つて、日本の政治上の問題とされた。居留地は惡德の溫室として公然攻擊された。そして國民の憤激は其極に達し、政府が斷乎たる處置を取つたので辛うじて大事に至らずして止んだ程であつた。それにも拘らず、外人記者に依つて、油は餘燼の上に注がれた。彼らは日支戰爭の初期に當つて、公然支那側に味方したのである。此政策は戰爭中繼續された。日本敗北の無實の噂が臆面もなく記載された。爭ふべからざる捷報まで不當にも過少視(けな)[やぶちゃん注:三字に対するルビ。]された。そして戰爭が濟むと『甘やかし過ぎたので、日本は危險な國になつた』といふ叫び聲を揚げた。間もなく魯國の干涉が喝采され、英國の同情が英國人の血を有つた者共に依つて咀はれた[やぶちゃん注:「のろはれた」。批難された。]。かかる時、かかる言辭を弄するの結果は、決してこんな事を寬假[やぶちゃん注:「くわんか(かんか)」。人の罪や欠点などを寛大に扱って咎めだてしないこと。]せざる國民に、寬暇せられざ侮辱を如へた事になる。それは憎惡の辭であると同時に驚愕――凡ての外人を日本の司法權の下に置く新條約の調印に依つて惹起された驚愕と、其背後に全國民を有するといふ、新たな恐ろしい意味の排外運動が又起こりはせぬかといふ、全く根據のなくもない恐怖との辭であつた。實際そんな運動の徵候は、外人を侮辱嘲弄せんとする一般の傾向と、或る稀な併し有意義な暴行に、判然と表はれて居たのである。政府は再び布告を發し、此等國民的憤怒の示威的行動を戒むるの必要を見出した。そこでそれも始まるや否や終熄した。併し此終熄は重に海軍國としての英國の友好的態度と、一朝世界の平和が危險を感ずる時、日本に及ぼす英國の政策の價値を認めたが故なることは疑ひない。英國は又日本の條約改正を可能ならしめた最初の國である――極東在住の臣民[やぶちゃん注:在日イギリス人のこと。]の熱烈な反抗の聲にも拘らず。日本の先輩達[やぶちゃん注:日本政府指導者。]はそれに感謝の意を有して居る。若し此事が無かつたら、居留民と日本人との間の憎惡は、恐れられた通りの結果を招來したかも分からない。

 勿論初めには相互の敵意は人種的であり、從つて自然であつた。併し後に發展した莫迦莫迦しい猛烈な偏見、惡意は、次第に增加する利害の衝突から來る避くべからざるものであつた。此情勢を具に會得し得る外人ならば、眞面目に和解の希望を懷き得るものではない。人種感、情緖的差別、言語、風習、信仰の牆壁は、數世紀間超ゆべからざるままに遺るであらう。たまには直觀的に相互の意中を推察し得る、除外例的の人物の相互接近より起こる暖かき友愛關係の例もあるが、槪して外人は日本人を了解せぬ事、日本人が外人を了解せぬと同樣である。外人に取つて誤解よりも更に惡るき事は、外人は侵入者の地位に在るといふ簡單な事實である。普通の場合、外人は日本人同樣の待遇を豫期するは無理である。これは只だ外人は餘計金を持つて居るから計りではない。人種的相違の故からでもある。外人に賣る値段と、日本人に賣る値段とに差違のあるのは通則である――殆ど全く外人相手の商店を除くの外は。若し外人が日本の劇場、見世物、其外何でも娛樂場、若しくは宿屋にでも入らうとすれば、事實上の國籍税を課せられる。日本の職工、勞働者、手代は外人の爲めに日本の相場では働かぬ――給金以外の或る目的な有する場合の外は。日本のホテルは――特に英米の旅客の爲めに經營されるホテルの外は――我々の勘定書を作るのに普通の値段ではせぬのである。此通則を維持する爲めに、大きな宿屋組合が作られた――國中の幾十百の宿屋業者を指揮し、地方の商人や小宿屋業者に命令し得る組合が作られた。外人は餘分の面倒を懸ける故に日本人よりも餘分の宿泊料を頂戴するといふ事が立派に告白された。そして其擧げた理由は事實である。併しこんな事實の下にも、人種感は明瞭である。大中心地に日本の旅客のみを目的に立つてる[やぶちゃん注:ママ。]旅館は、外人客を念頭に置かぬ、外人客に泊まられて損失を招く事が往々ある――それは、一には金のある日本の客は外國人を泊める旅館を好まぬのと、一には西洋の客は、日本人なら一行五人乃至八人の旅客に、有益に貸し得る室を獨占せんとするからである。尙ほ此事に關して一般に了解されて居ぬ事實が今一つある。それは舊日本に於ては、努力に對する報酬の問題は、客の意志に委せてある事である。日本の旅館は食物を殆ど實費で提供するのが常であつた(今でも田舍の宿屋はさうである)。そして眞の利益は、全く客の良心に手緣つて居た。旅館に茶代を置くといふ要件はそこから出たのである。貧しい客からは、志計り[やぶちゃん注:「こころざしばかり」。]、富める客からは多分の金額が豫期された――懸けた努力に準じて。同樣に雇人も爲した仕事の價値よりも雇主の懷中(ふところ)に相應する報酬を豫期した。職工は好い旦那の仕事をする時には、賃錢を指定するを好まなかつた。ただ商人のみが懸け引きをして顧客を搾らうとした――それが商人といふ階級の不道德な特權であつた。仕拂ひを客の意志に委せる習慣が、西洋人を相手にして好結果を得なかつた事は、容易に想像せられる。我々は賣買の事は凡て事務(ビジネス)と考へる。西洋に於ては、事務が純抽象的の道義心で行はれる事はない。精々比較的部分的の道義心で行はれるに過ぎぬ。寬厚の人は買はうと思ふ品物の代價を良心の決定に委せられるのを極力厭ふ。それは原料の價値と勞力の價値とを精確に知らぬと、出し過ぎたと思ふ程餘分に拂はねばならぬやうに、强ひられる氣がするからである。之に反して卑劣の徒は、好い事にして出來るだけ無に近い代金を拂はうとする。かういふ譯で西洋人との取引には特別の定價が日本人に依つて定められるに至つたのである。併し人種的反感の故に取引其者が[やぶちゃん注:「そのものが」。それ自体が、の意。]、場合次第で多少攻擊的になる。外人は啻に[やぶちゃん注:「ただに」。]各種の熟練工の勞働に高價を拂はせられるのみならず、高い借地證に調印し、高い家賃に服從せしめられる。外人の家庭に在つては、高い給金を拂ひながら、最低級の日本人婢僕だけを雇ひ入れることが出來る。それでも彼等は長くは留まらぬ、それは彼等に要求せられる仕事を嫌ふからである。敎育ある日本人が、外人の雇傭を冀ふ明白な熱心さも、普通誤解されるのであるが、これは彼等の眞の目的は、多くの場合只だ日本の商館、商店、ホテル等に於ける同種の業務を見習はうといふのである。普通の日本人は外人の爲めに高い給金で一日八時間働くよりも、日本人の家で、低い給金で、一日十五時間働く方を好むのである。自分は大學卒業生が使用人として働くのを見た事があるが、それはただ或る特殊の事を學ばんが爲めに、働いて居たのであつた。

 

       

 實際尤も鈍感な外國人でも、國家の絕對獨立を確立せんとして、全力を注ぐに一致して居る四千萬の人民が、一國の輸出入貿易を外人の手に委ねて、安閑とし居ようとは信じ得なかつたであらう――特に開港場に於ける空氣を目擊してはである。領事裁判の下に、外人の居留地が日本の地に存在するといふ事其事が、國民の自負心に對して絕えざる憤激の種である――國民の無力の指示である。印刷物にも、排外團員の演說にも、議會に於ける演說にも、其通り聲明されてある。併し日本の全貿易を日本の手に收めたいといふ此國民的要望や、居留民としての外人に對する周期的挑戰の聲も、只だ一時の不安を惹起したるに過ぎない。日本人が相談相手たる外人を排斥せんとするのは、自らを傷けるに過ぎないと、自信ありげに主張された。彼等が日本の法律の下に移されんとする形勢に驚きながらも、居留地の商人は其法律の侵害に依つての外は、大資本に對する攻防が成功しようとは決して想像しなかつた。日本郵船會社が戰爭中に、世界最大の汽船會社の一になつた事も、日本が直接に印度や支那と交易しつつあつた事も、日本の銀行代理店が世界到る處の工業の大中心地に設けられた事も、日本商人が其子息を歐米に派遣し、健全な商業敎育を受けしめつつあつた事なども、薩張り[やぶちゃん注:「さつぱり(さっぱり)」。]念頭に置かなかつた。日本人の辯護士が、次第に多くの依賴人を有するに至り、日本の造船技師建築技師其他の技師が、政府傭聘の外人に替はりつつあるも、尙ほ歐米との輸出入貿易を統制しつつある外人代理店主は、驅逐せられるの日があらうとは考へなかつた。商業といふ機關は日本人の手にては用を爲さぬであらう、他の職業に於ける能力で、決して商業に於ける潜在能力を卜する事は出來ぬ。日本に投(おろ)された外國の資本は、之に對抗すべく作られた聯合に依つて、見事に脅かされる事はあり得ない。或る日本人の商店は、小規模の輸入業は爲し得よう、併し輸出業は歐米に於ける商業情態の完全なる知識と、日本人にどうしても得られぬ底の連絡と信用とを要すると豪語した。それにも拘らず、輸出入貿易の自信は、一八九五年七月に手もなく破られた。それは英國の一商館が日本の一商會を相手取り、注文の貨物引取方を拒絕したといふに對し、日本の法廷に告訴し、そして裁判には勝つて約三千弗を贏ち[やぶちゃん注:「かち」。「勝ち」に同じい。]得たが、突然今迄思ひもかけなかつた有力な組合が現はれ出て脅かされたのである。敗けた日本の商會は判決に對し控訴はしなかつた、そして欲(ほ)しいなら全額を直に支拂はうと表明した。併し其商會の屬して居る組合は、勝つた原告に和解を勸め、それが畢竟彼等の利益であらうと告げた。英國の商館は其時長く續けば全く破產させられる程の不買同盟(ボイコット)[やぶちゃん注:原文“boycotting”。底本ルビは「ボイコツト」であるが、後の原注と本文で促音化されて表記されてあるので特異的に促音表記で示した。]で脅かされて居るのであつた――全國のあらゆる商工業中心地に互る不買同盟で。和解は直に成立したが、商館は大損失を蒙つた、そして居留地は靑くなつた。此方法の不德義を非難する聲も可なり聞こえた

 

註 經驗に富んだ神戶の一商人は一八九三年八月七日の「神戶クロニクル」に寄書してつぎの如く云つた――『私はボイコットを擁護する譯ではないが、私の知つてる[やぶちゃん注:ママ。]限りでは、あらゆる場合に日本人を焦ら立たせ、彼等の感情を昂奮せしめ、正義の感を喚起させ、そして彼等を驅つて防禦の爲めに聯合せしめるに至つた挑戰的行動があつた』と。

 

 併しそれは法律も如何ともし難い方法であつた。不買同盟は法律では滿足に解決し得ざるものであるからである。そしてこれは日本人は、外國商館を否應なしに彼等の口授に服從せしめ得る――公正な手段でなくば、卑劣な手段でなりと――實力を有するといふ確證を提供したものである。巨大な組合が大商工業者に依つて組織された――其組合の命令は、電信に依つて完全に統一されて、反對者を破碎し、法廷の判決をも無視し得るのであつた。前にも日本人は度々ボイコットを企てたのであるが、いつも失敗したので、彼等の合同は不可能だと考へられて居た。併し此度の新しい成り行きは、彼等が失敗に依つて學ぶ所多かつた事を、又此聯合を一層改良すれば、外國貿易をたとひ彼等の手中に收めずとも――彼等の意思のままに統制し得るとの期待も決して無理ならぬ事を示した。つぎに來る大飛躍は、國民の希望――日本は日本人のみへ――の實現であるであらう。彼等の國は外國居留民へ開かれてあらうとも、外國の資本は、常に日本人組合の、意志のままに委ねられるであらう。

 

       

 以上の簡單な現況の記述は、日本に於ける大いに有竟義な社會現象の發展を證するに足りよう。勿論新條約の下に豫期せられる、國土の開放、工業の急激な發展、歐米との貿易額の年々の大增加は、多分外人渡來の增加を幾分か來たすであらう。そして此一時的の結果に欺かれて、避く可からざる大勢を誤算する者も多いであらう。併し經驗ある老商人は、今でも開港場の將來の發展は、日本人の競爭的商業の發達を意味するもので、遂に之が爲めに外商は驅逐せらる〻だらうと云つて居る。別社會としての外人居留地は消滅し、ただ文明國の凡ての重なる港に存する樣な、少數の大きな代理店のみが殘るであらう。そして居留地の棄てられた街と、高地にある贅澤な洋館は、日本人に依つて占有せられるであらう。大きな本國の投資は内地には爲されぬであらう。そして基督敎の傳道事業も、日本人宣敎師に委ねねばなるまい。丁度佛敎が全く日本の僧侶に、其敎義の敎化を委ねた迄は、日本に根を張らなかつた樣に、その如く基督敎も日本民族の情緖的並に社會的生活と調和する樣に改造される迄は、決して物にならぬであらう。さう改造された處で、二三の小さい宗派の形に於てしか存在する見込みはない。

 此社會的現象は、比喩に依つて說明するが一番よい。多くの點に於て、人間の社會は、生物學的に一個の有機體と比較され得る。何れにしても、其組織の中に無理やりに異物を押し込んで、それが同化されぬと、刺戟と分解とを惹起し、遂には自然に剝脫するか、或は人工的に切り取らねばならなくなる。日本は此異分子の剝脫に依つて、强健になりつつあるのだ。そして此自然的な經過は、凡ての居留地を取り戾し、領事裁判を癈止し、帝國内の何物をも外人の支配下に殘すまいといふ決心に依つて表はされて居る。此事は又外人雇傭者の解雇、外人宣敎師の橫柄に對して日本信者團の提起した抗議、及び外商に對する斷乎たる不買同盟等にも現はれて居る。又此の凡ての人種的運動の背後には、人種的反感以上のものが潜んで居る。卽ち外國の援助を受けるのは、國民の無力を證するものだ、其輸出入貿易が外人の手にある間は、帝國は世界の商業界の眼前に恥を曝すものだと云ふ確信が存して居る。日本の大商會の多くは、既に全く外國仲買人の支配を脫して居る。印度及び支那との大貿易は、日本の汽船會社に依つて行はれる、南米諸國との交通も、綿の直輸入の爲めに、日本郵船會社に依つて間もなく開かる〻筈である。併し外人居留地は、常に刺戟の源である、倦まざる國民的努力に依る商業的征服のみが國民を滿足せしめるだらう、そしてそれが支那との戰爭よりも、一層よく日本の世界に於ける眞の地位を證明するであらう。そしてその勝利も確に成就せられるだらうと自分は考へる。

 

       

 日本の將來はどうなるか。誰れでも現在の趨勢が將來迄繼續sるだらうといふ臆定の上に、積極的の預言を爲すことは敢てし能はぬ。併し恐ろしい戰爭の有無などは暫く論ぜず、又内亂の結果、憲法は無期限に抛棄[やぶちゃん注:「はうき(ほうき)」。「放棄」に同じい。]せられ、軍政の昔に還ること――近代的軍服を着けた將軍職の復活――などの有無は暫く論ぜず、善かれ惡かれ[やぶちゃん注:「よかれあしかれ」。]大變化があるべきは確實であらう。其變化は當然として、さて我々は此人種は急激な有爲轉變の時代を通じ、新たに得たる西來の知識を尤も有效に同化し續けるだらうといふ無理ならぬ假定に基づいて、或る狹い範圍内の豫言は爲し得ると思ふ。

 

 體格に於ては、日本人はつぎの世紀の終末に達せぬ中に、現在よりも大分優れたものとなるだらう。さう信ずるには三つの確な理由がある。第一は、帝國内の强壯な靑年の組織立つた敎練體育の兩訓練は、數代の中に獨逸の軍事敎練が爲した如き著しさ結果――身長、胸圍、筋骨發達の增加を來たすに相違ないと云ふ事である。第二は、都市の日本人は、滋養多き食物――肉を食ひ初めた事、從つて滋養分に富める食物が、生長發育を增進する生理的結果を齎すに相違ない事である。日本食と同樣に安價に西洋料理を賣る飮食店は、到る處無數に出現しつつあるのである。第三は、敎育と兵役義務の必然の結果たる結婚の遲延は、益〻良好なる子孫を產出するに至るべき事である。早婚は今や通則でなく除外例となつたから、弱い體格の小兒は從つて數に於て減少するであらう。今日本人の群集を見渡すと、體格に非常な大小の差ある事が目に附くが、これは此人種は嚴格な社會訓練の下に置けば、體格の大なる發展の可能な事を證するやうに思はれる。

 德義の進步は餘り期待されない――寧ろ其反對である。日本の昔の道義の理想は、少くとも我々の理想と同程度に高いものであつた。そして家長政治の靜かな溫かな時代には、實際其理想通りに生活する事も出來たのである。不信、不正直其他醜き罪過は、今よりも稀であつた事は、政府の統計の示す處で、犯罪の百分率は此數年確実に增す計りである――これは勿論種々の原因もあるが、就中生活難の强烈となつた證據である。昔の男女の貞操の標準は、我々の輿論に現はれた所に依ると、我々の社會よりも發展せぬ社會に屬するものであつたといふ。併し其方の道德が、我々に於けるよりも、低かつたと主張することの、當たれるや否やを自分は疑ふ。或る一點に於ては却つて高かつたのである。といふのは日本の妻女の貞節は、何の時代に於ても、一般に疑ふ可からざるものであるからである。

註 日本語には貞操といふ事を表現する言葉がないといふ陳述をした者があつた。これは英語にも貞操を表はす語がないと云ひ得ると同じ意味に於て眞である――名譽とか德とか純潔とか貞操とかいふ語は、皆他國語から英語に採用されたものであるから。試に日英辭書を開いて見よ、貞操といふ事を表はす多くの語を見出すでゐらう。貞操といふ(チヤスチチ)[やぶちゃん注:“chastity”。「チャスティティ」は「純潔・貞節・性的禁欲・思想・感情に於ける清純・文体・趣味などの簡素」の意。]は、ラテン語から佛語を通して、英語になつたのであるから、それは近代英語でないといふことの愚なると同樣に、千餘年前に日本語となつた漢字の道德に關する語は、日本語でないと云ふのは愚の極みであらう。此陳述は、この種の題目に於ける宣敎師の陳述の大部分の如く。此上にも人を誤らしむるものである。といふのは讀者は名詞がなければ、形容詞もなからうと推論させられるからである――然るに貞操を意味する純粹の日本語の形容詞は數多くあるのである。尤も普通に用ゐられる形容詞は、兩性に混用される――そして毅然、嚴格、不動、誠實等の日本的意義を有する。或る國語に抽象的の語を缺くことは、決して具體的な道念[やぶちゃん注:道徳観念。]の缺乏を意味するものでない――此事實は屢〻宣敎師に指摘したのだが彼等は悟らない。

[やぶちゃん注:「尤も普通に用ゐられる形容詞」「潔(いさぎよ)い」か? 因みに同じく両性で使用する同義の最も一般的な名詞は「操(みさお)」であろう。]

 

 男子の道德は之に比して非難すべき處が多かつたが、レツキー譯者註を引用するまでもなく、西洋でも之に優る情況にあつたとは云ひ得ない。靑年を放蕩への誘惑から保護する爲めに早婚が奬勵された。そして大抵の場合は其目的が達せられたと想像するのが至當である。蓄妾は富者の特權であつたが、之には弊害もあるが、又妻女を追つかけ引つかけ子を生む生理的過勞から救ふといふ効果もあつた。社會情態は西洋の宗敎が最善と臆定する所のものとは非常な懸隔があつたのだから、それの公平な判斷は、基督敎の僧侶に任せる譯に行

 

譯者註 英國の歷史家、歐羅巴の道德史の著あり。

[やぶちゃん注:ウィリアム・エドワード・ハートポール・レッキー(William Edward Hartpole Lecky 一八三八年~一九〇三年)はアイルランドのダブリン生まれの歴史家。ダブリンのトリニティ・カレッジに学び、アイルランド・イギリス及びヨーロッパに於ける宗教・道徳に関する研究を相次いで発表し、科学や合理思想の発展を中世から辿った。 一八九五年、ダブリン大学より自由統一派として下院に選出され、アイルランドの改革を主張したが、自治法案には反対した。一八九七年、枢密顧問官となった。主著に「合理主義の歴史」(History of Rationalism:一八六五年刊)・「十八世紀イギリス史」(History of England in the Eighteenth Century:全八巻。一八七八年~一八九〇年刊)などがある(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

 

かぬ。少くとも一の事實は爭ふ可からざるものであつた――卽ち蓄妾制度は賣色業を制限した、大なる城市――大名の居住地――の多くに於ては娼家の存在が許されなかつたのである。凡てを公平に考慮して見ると、舊日本は、其家長制度にも拘らず、性道德に於てさへ、西洋諸國より非議[やぶちゃん注:「ひぎ」論じて非難すること。謗(そし)ること。]すべき點の少かつた事が見出されるであらう。人民は彼等の法律の要求する所よりも一層善良であつた。然るに今兩性の關係が新法典に依つて規定されるに至り――實際新法典が必要となつたのである――之に依つて起こるべき變化は願はしいが、直に良好な結果を現はすことは出來まい。突飛な改革は法律では成就されぬ。法律は直接に情操を作ることは出來ぬ。そして眞の社會的進步は、永い間の訓練敎誡に依つて發展した道義的情操の變化に依つてのみ爲される。當分の間は增加する人口過多と次第に激しくなる競爭とが知力の發達を促しつつも、性情を荒(すさ)ましめ、自利心を發達せしむるに相違ない。

 

 知的には大いに進步することに疑はない。併し日本は三十年間に眞に變形したと考へる人々が、我々に說く程急激な進步はあるまい。科學敎育は、何れ程民間に普及しようとも、直に實際の知力を西洋の標準迄高めることは出來ぬ。一般の能力は尙ほ數代の間低く留まるに相違ない。著しい除外例も可なりあるにはあるだらう。新たな知力上の優秀階級が現はれつつあるのは事實である。併し國民の眞の將來は、少數者の異常な能力よりも寧ろ多數者の一般能力に依るものである。特に恐らく今到る處に熱心に開拓せられつつある、數學の能力の發展に依るものであらう。現今にては數學が弱點である。年々多數の學生は、數學の試驗を通過し得ぬ爲めに、高等敎育の學府に入ることを阻止されて居る。併し陸海軍士官學校では、此弱點も遂には矯正さるべきことを示すに足る樣な結果が得られて居る。科學的硏究中の至難な學科も、そんな學科に頭角を顯はすことを得た者の子孫には段々至難でなくなるであらう。

 

 他の點に於ては或る一時的の後退は豫期せぬばならぬ。丁度日本が其力の普通限度以上のものを企圖しただけそれだけ其限度迄――或は寧ろ限度以下まで落下するに相違ない。こんな後退は自然にして又必然的なもので、それは捲土重來の恢復的準備以外の何者をも意味しないであらう。兆候は今或る官省の仕事に見えて居る――特に文部省の仕事に著しい。東洋の學生に西洋の學生の平均能力以上の學科を課さうとする考へ、英語を國語若しくは少くとも國語の一となさうとする考へ、又こんな敎練に依つて先祖傳來の考へ方感じ方を改良しようといふ考へは、亂暴な計畫であつた。日本は自己の靈を發展せしめねばならぬ、他の靈を藉るべきでない。一生を言語學に捧げた一人の親友が[やぶちゃん注:私は、この人物、誰であるのか知りたい。]、日本の學生間の行儀の墮落に就て話して居た時かう云つた『いや、英語其者が墮落に與つて力があつた』其詞は意味深長である。全日本國民に英語(彼等の權利に就ては永久に說法を聽いて居るが義務に就ては決して聽く事なき民族の國語[やぶちゃん注:「権利」は滔々と説くくせに、「義務」に就いては全く説教しない言語であると英語を揶揄しているのである。])を學ばせる事は殆ど無謀であつた。此政策は餘りに急激で又餘りに大規模に過ぎた。金と時との大浪費を惹起し、其上道義的感情の崩潰を助成した。將來に於ては、英語を學ぶ事、英國が獨逸話を學ぶ如くになるであらう。併し此英語の學修は、或る方面には徒勞であつたとしても、他の方面に於ては決して徒勞でなかつた。英語の影響は國語の變革を來たし、それをして豐富ならしめ、融通自在ならしめ、近代科學の發見に依つて起こされた、新式の思想を表現する事を得せしめた。此影響は永續するに相違ない。英語の日本語に吸收せられるのも多からう――佛語や獨語も同樣であらう。此吸收は既に敎育ある階級の詞遣ひの變化に於て顯著である事は、外國商業語の珍妙に穩形せるものが混合せる、開港場の日本語に於けると同樣である。加之[やぶちゃん注:「しかのみならず」。]、日本語の文法的組立も影響を受けた。自分は最近或る宣敎師が述べた如く、東京の街上を徘徊する小兒が『旅順港が陷落された』と叫んで、受動態(パツシヴ・ヴオイス)を用ふるのは、これも『神意(デイヴワイン・プロビデンス)』の致す所を示すものだとの說には賛成せぬが、日本語は國民の天禀[やぶちゃん注:「てんぴん」。天から授かった資質。生まれつき備わっているすぐれた才能。天賦。「天稟」とも書く。]の如く同化的で、新しい境遇の凡ての要求に適應し得る能力を示す證據だとは考へる。

[やぶちゃん注:最後の部分は原文を以下に示しておく。

   *

Furthermore, the grammatical structure of Japanese is being influenced; and though I cannot agree with a clergyman who lately declared that the use of the passive voice by Tokyo street-urchins announcing the fall of Port Arthur — (“Ryojunko ga senryo sera-reta!”) ― represented the working of“divine providence,” I do think it afforded some proof that the Japanese language, assimilative like the genius of the race, is showing capacity to meet all demands made upon it by the new conditions.

   *

「divine providence」はキリスト教神学で「神の摂理」と訳されることが多い。]

 多分日本は二十世紀になつてから、外國の敎師を今よりは感銘的に追懷するであらう。併し明治以前、支那に對して感じた樣に西洋に對しては國風通りに恩師に對する尊敬の念を感ずることはあるまい。其故は支那の學問は自發的に求めたのであるが、西洋の學問は暴力を以て日本に强ひつけられたものであるからである。日本は日本流の基督敎の宗派は殘るであらう。併し日本は英米の宣敎師を記憶すること、甞て日本の靑年を訓育した支那の傑僧を今日でも記憶するが如くにはないでであろう。そして我々が滯在の記念物を七重八重の絹に鄭重に包み、美しい白木の箱に納めて保存するやうな事はせぬであらう。我々は何等新しい美の敎訓を日本に敎へなかつた――何等彼等の情緖に訴へる物も與へなかつたからである。

 

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