明恵上人夢記 83
83
うつゝには之を持たず
一、同八日の夜、夢に、善根の目錄を以て上師に奉る。之を見せしめ奉るに、廿枚許りに書けり。師、之を一見す。其の表紙、てすさびの如くして、月輪圖(がつりんず)等有りて、眞言の事を記す。上師、「此は何事ぞ」とて、なくともと思召(おぼしめ)したる躰(てい)也。予、「てすさびに書きて候ひけるやらん」と申す。
此は坐禪の前に率尓(そつじ)の行法を修す。
修せざるは何(いか)にと思ひし間の事也。
中間の善根をば、上師、之を隨喜せしめ給ふ
と云々。
[やぶちゃん注:順列で承久二年十二月八日であろう(同年旧暦十二月は既に六日でユリウス暦一二二一年一月一日、グレゴリオ暦換算で一月八日である)。後の部分は覚醒後の明恵自身による夢解釈である。
「善根の目錄」「善根」は、よい報いを招くもとになる行為や、さまざまの善を生じるもとになるもので、それを洩らさず自ら書き綴った目録ということであろう。添えの原注はそのような大それたものを私は「現実にはこれを書いてもいない」という意。
「上師」今迄通り、母方の叔父で出家最初よりの師である上覚房行慈ととる。明恵はこの十二年前の建仁二(一二〇二)年に、この上覚から伝法灌頂を受けている。行慈は嘉禄二(一二二六)年の十月五日以前に八十歳で入寂しているので、この頃は存命である。
「月輪圖」底本(岩波書店一九八一年刊久保田淳・山口明徳校注「明恵上人集」)の注に『月輪のごとき円の上に地・水・火・風・空の五大を表す梵字を配置した図』とある。当該の文字は五輪塔や卒塔婆に刻まれるので親しいが(地(ア)・水(バ)・火(ラ)・風(カ)・空(キャ)と読む)、判らない方は仏師で仏像保存修復技師の松尾良仁氏の『「五輪塔」に就いて』を参照されたい。
「眞言」サンスクリット語の「マントラ」の漢訳語で「仏の真実の言葉・秘密の言葉」という意。
「なくとも」「無くとも」であろう。「殊更にこんなものはそなたには必要は無いであろうに」の謂いであろう。
「率尓の」「卒爾」と同じい。但し、ここは「軽率なこと」ではなく、「突然、思い立って、俄かに」の謂いであろう。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十二月八日の夜、こんな夢を見た――
夢の中で、私は己れの善根に就いての目録――【こんなものは私は現実には一行たりとも書いていないし、心中にも思ってはいないのだが。】――を以って上師に奉った。
しかし、これをお見せ申し上げたのだが――それは二十枚許りも書たものであったのだが――師は、これを一見された。
その「前根目録」の表紙は、他愛もない手遊びの如くにして、「月輪図(がつりんず)」なんどを自ら描いてあって、それは真言の奥義を表わすものであった。
さても、上師は、
「このようなものを書くとは一体、何の故ぞ?」
と仰せられ、
『このようなものを改めて書かずともよかろうに。』
と、お思になっておられる様子であられた。
私は、
「何の。ただ他愛もない手遊びとして書きましたものにて御座います。」
と申し上げたのであった。
【この折り[やぶちゃん注:夢を見る前の現実の事実を指す。則ち、以上の「夢」は座禅による瞑想中の夢と解釈出来る。]は、座禅に入る直前、急に思い立ってある行法を修したのであった。『その修法を修せずにいるのは如何(いかが)なものか――いや――修せずんばあらず!』と、瞬時に思って修したのであった。私の未だ修行の中間(ちゅうかん)の善根を、わざわざ、上師は、私の夢に現われなさって、これを随喜なされたのである、と私は思ったのだ……】
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