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2019/12/22

小泉八雲 きみ子 (戸澤正保訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“KIMIKO”)は来日後の第三作品集「心」(原題“KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第十五話、本篇部の最終話である(但し、この後に「附錄」として「俗唄三つ」が続く)。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。

 本作品集はInternet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものはProject Gutenberg”のこちらで全篇が読める。

 底本は英文サイトInternet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 冒頭に入る短歌は全体が下方インデント六字上げポイント落ちであるが、上方へ引き上げた(名の字間はカットした)。注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、注は前後を一行空けた。傍点「ヽ」は太字に、傍点「○」は太字下線に代えた。

 訳者戶澤正保(底本では「戸沢」ではなく「戶澤」と表記している)氏については私の「小泉八雲 趨勢一瞥 (戸澤正保訳)」の冒頭注を参照されたい。]

 

     第十五章  き み 子

 

 忘らるる身ならんと思ふ心こそ

    忘れぬよりもおもひなりけれ  君子

 

       

 これは藝者町の或る家の入口の提燈に書いてある名である。

 夜見ると、此町は世界中の尤も珍妙な町の一である。船の甲板上の通路の樣に狹く、そして何れもきちんと閉めた店先きの暗くぴかぴかする木造普請――何れも霜のかかつた玻璃(ガラス)の樣に見ゆる小さい紙障子が附いて居る――は一等船室を想起させる。實際は何の建物も二階三階であるのだが、それが直ぐには分からない――特に月がないと――といふのは、一番下の室だけに燈火が點(つ)いて居て、そこは庇(ひさし)迄明かるいが、それから上は眞暗であるからである。燈火といふのは、狹い障子の後の燈火と、外に釣つてある提灯である――此提灯は各戶に一個づつある。町を見渡すのは此等の提灯の二行に並んで居る間からで――遠くの方は二行が合して、一本の黃色な光の棒になつて見える。提灯の或る者は卵形或る者は筒形で、中には四角又は六角のもある。そして何れも日本文字が其上に美しく書いてある。町は非常に靜かである――或る大きな展覽會の家具陳列室の閉鎖後といふ靜かさである。これは住人の大部分が不在であるからである――何れも宴會や他の酒席に侍して。彼等の生活は夜の生活である。

 

 南に向つて左側にある最初の提灯に書いである文字は『きんのやうちおかた』である。それは『おかたが住んで居る金の家』といふことを意味する。右側の提灯は西村といふ家で、みよつるといふ娘(こ)が居ることを告げて居る――みよつるといふ名は、立派に生活して居る鶴といふ意味である。左側の二軒目には梶田といふ家がある――そして其家には、花の莟といふ意味の小花と、人形(ひな)の樣に美しい顏の雛子が居る。其向ひは長江家で、其處には君香(きみか)と君子(きみこ)が居る……そして此二行の明かるい名の行列は、半哩[やぶちゃん注:「マイル」。一マイルは約千六百九メートルであるから、八百五メートルほど。]も長く續いて居る。

 此最後の家の提灯の文字は、君香と君子の姉妹關係と――それからそれ以上の事實を示して居る、と云ふのは君子は二代目としてあるからである。二代目といふ語は飜譯すべからざる敬稱で、君子は君子第二號であるといふことを意味する。君香は君子の師匠で且つ主人である。彼女は二人の藝妓を養成したが、二人共君子といふ名であつた、或は寧ろ彼女が同じ名を二人に附けた。此同じ名を二度用ふるといふ事は、第一の君子――一代目――が有名であつたといふ事の誼據である。不運な、或は不成功であつた藝者の藝名は、決して其後繼者に附けられない。

 若し然るべき理由があつて其家へ入るとすると――其障子を開けて、訪問者のあることを告げる鈴の音を鳴らしながら――君香を見ることが出來よう――若し此小一座の藝人が其夜の招聘に出て居なかつたなら。そして彼女は甚だ怜悧で語るに足る女であることを見出すであらう。彼女は氣が向けば最も興味ある話――肉も血もある話――人間性の眞實を語る話――を語つて聞かすであらう。といふのは藝者町には傳說が――悲劇的、喜劇的、或は準樂劇的な――澤山あり、そして何の家にも話が遺つて居て、君香はそれを皆知つて居るからである。或る話は非常に恐ろしく、或る話は人を笑はせ、又或る話は人を考へさせる。初代の君子の話は此最後の部に屬する。それは最も珍らしいものの一つではないが、西洋人にも了解するに尤も困難ならぬものの一つである。

 

       

 一代目君子はもうここに居ない。彼女はただ記憶に道つて居るばか七―のる。君香が君子を職業上の妹とした時は、君香も極若かつた。

 『ほんとにすばらしい娘(こ)です』とは君香が君子を評した詞である。藝者商賣で評判を取るには綺麗であるか、甚だ怜悧でなければならない。有名な藝者は普通兩者を兼ねて居る――極若い時に才色兼備の見込みを附けて、仕込役に依つて選ばる〻のであるから。平凡級の唄女(うたひめ)ですら、年頃には相應の魅力を持つに相違ない――たとひ鬼も十八といふ日本の俚諺を作らせた『惡魔の美』なりとも。併し君子は綺麗以上であつた。彼女は日本人の美の理想に叶つて居た。そして其れは十萬人中の一人と雖も、容易に達せられぬ標準であつた。其上彼女は怜悧なばかりではない、萬[やぶちゃん注:「よろづ」。]藝に通じて居た。優雅な歌も詠むし、花も巧みに生ける、茶の湯も申し分なく出來る、刺繡もする、押繪もする。一言で云ふと。彼女は淑女であつた。彼女が初めて突き出された時は、京都の花柳界は色めき立つた。彼女は思ふままの勝利を得べく、玉の興が彼女の前にあることは明らかであつた。

 

註 此俚諺を精しく云ふと、鬼も十八、薊の花である。又龍に就ても同樣の俚言がある――龍(じや)も二十(はたち)といふ。

[やぶちゃん注:上記の俚諺は「鬼も十八番茶も出花」が知られ、それは「上方(京都)いろはかるた」の一つだからで、ほかに小泉八雲が註で示したものの他に、単独の「薊の花も一盛り」「鬼も十八茨も花」「鬼も十八蛇も二十」などの類句がある。

「押繪」布細工による貼り絵の一種。下絵を描いた厚紙(主に板目紙を用いる)を細かい部分に分けて切り抜き、それぞれの部位に適した色質の布片で包(くる)み(ときに綿を入れて膨らみをもたせる)、それらをもとの図柄に合わせて再編成する手工芸品。布や綿の質感によって、薄肉のレリーフのような立体感が生まれる。用布はおもに縮緬(ちりめん)・金襴・緞子・紗(しゃ)・羽二重(はぶたえ)など、部位によって「すが糸」(撚(よ)りをかけていない生糸)を用いる。顔や手足にあたる部分は、胡粉(ごふん)を塗ってから彩色したり、目鼻を描き加えたりする。芯にする板目紙は、生漉(きず)きの和紙を貼り合わせたもので、押し絵には十二枚合わせの「タコ」がもっとも多く用いられる。布と紙を接着するための糊としては、飯粒を練ったものが最良とされる。布で包み終わった各片は、裏からまち紙で止め合わせて最後に全体を台に貼り付ける。もっとも古い押し絵は正倉院宝物の「人勝(じんしょう)」だが、綿入れをしていない平面的なものである。これが江戸時代になって大流行し、手箱・額・羽子板などに仕立てられた。明治時代には婦女子の手芸の嗜みとして筆頭に挙げられていた(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

 

 併し間もなく、彼女は又其職業にも完全に訓練されて居る事が明らかになつた。彼女は殆ど何(ど)んな事態の下にも、善處する事を敎へられて居た。といふのは、彼女に分からなかつた事は、君香が悉く精通して居たからである――美の强さと情の弱さ、約束の手管と無頓着の價値、其外男心のあらゆる愚痴と邪惡、こんな事は君香から敎へられたので、君子は餘り失策もせず淚も流さなかつた。次第に彼女は君香の願ひ通りになつた――少し許り危險な者になつた。夜飛ぶ鳥に於ける燈火もさうである、さうでないと鳥は衝き當たつてそれを消すであらう。燈火の義務は愉快なものを見える樣にするにある、惡意はない。君子にも惡意はなかつた、そして餘り危險ではなかつた。案じ顏の兩親[やぶちゃん注:確かに“parents”であるが、後に語られる君子の閲歴からはおかしい(少なくとも父は芸者に上がる以前に死んでおり、母もこの時にはもう亡くなっていた可能性さえある)。親代わり姉代わりの君香のことととろうにも複数形なので不可能である。何か小泉八雲の筆が滑った感じがする。]は彼女が堅氣の家に入らうともせず、又戀物語に身をやつさうともせぬ事を發見した。併し彼女は、血で誓書に署名したり、變はらぬ情のしるしに。左の小指の端を切れと女に迫つたりする樣な若者には、特に情深くしなかつた。こんな男には、思ひ返させる樣に皮肉な療治もしてやつた。彼女を身も心も獨占するといふ條件で、家屋敷を提供した二三の金持ちは、一層すげない目を見せられた。或る一人は、君香に莫大な代償を提供して、無條件に彼女を受け出さうと鷹揚な態度に出た。君子は感謝した――併し藝者を止めなかつた。彼女は肱鐡砲を食はすにも、憎みを買はぬ樣に巧妙にあしらつた、そして多くの場合、失望を癒やして遣る術を知つて居た。勿論除外例もあつた。君子を我がものとせぬ限り、生き甲斐なしと考へた或る老人は、或る夜彼女を宴席に招いて、一緖に酒を飮ませた。併し人の顏を讀むに馴れてる君香は、巧みに君子の盃へ茶を(全く同じ色の)入れ換へた、そして直覺的に君子の貴重な命を救つた――其遂[やぶちゃん注:「つい」。]十分後に此愚かしい老人の魂は、唯だ一人で、そして疑もなく大失望の狀態で、冥途に急ぎつつあつたのである。……其夜以後、君香は野良猫が小猫の番とする樣に君子を監視した。

 此小猫は熱狂的な流行妓(はやりつこ)となつた――當時の名物の一となり、評判の程となつた。彼女の名を記憶する外國の皇子もあつた。其皇子からダイヤモンドを贈られたが、彼女は身にも著けなかつた。其外苟くも彼女の機嫌を取るの贅澤に堪へ得る者から、莫大の贈物を受けた。一日でも彼女の恩惠に浴するを得んとは、凡ての貴公子原[やぶちゃん注:「ばら」。複数を示す接尾語。]の野心であつた。それにも拘らず、彼女は誰れにも我れこそはと思はせる樣な事はせず、又末懸けての約束を結ぶことを拒んだ。その事を云ひ出る者に對しては、彼女は自分の身分を辨(わきま)へて居る由を答へた。堅氣の女さへ彼女を惡るく云はなかつた――それは何處の家庭不和の話の中にも、彼女の名が出る事はなかつたからである。彼女は眞に自分の地位を守つたのであつた、歲月は益〻彼女を美化する樣に見えた。他の藝者にも評判になる者はある。併し誰れ一人彼女の壘を摩する者はなかつた。或る製造業者は彼女の寫眞を貼紙(レツテル)に使用する猶占權を得た、そして其貼紙で財產を作つた。

 

 併し或る日君子の心も遂に軟化したと云ふ、驚くべき報道が擴がつた。彼女は實際君香に別かれを告げた、そして彼女に望み次第の美服を買ひ與へ得る或る人と共に去つた――其或る人は彼女に社命的地位を與へ、彼女の香ばしからぬ前身を、人の口の端に上せまいと切望する人であつた――又彼女の爲めには十度死んでもよいといふ位で、既に戀の爲めに半分死んで居る人であつた。君香の言に依ると、其莫迦者は君子故に自殺しかかつたので、君子も氣の毒に感じ、介抱して舊態に復せしめたのだといふ。太閤秀吉は天下に恐ろしいものが二つある――それは莫迦と暗夜とだと云つた。君香は常に莫迦者を恐れて居たのであるが、たうとう莫迦が君子を連れて往つて了つた。君香は又全く利己的でなくもない心配顏で、君子は最早戾つて來ぬだらうと云つた、それは七生迄もといふ相惚れであつたからである。

 併し君香の言は全く當つては居なかつた。彼女は實際明敏であつたが、君子の魂の或る祕密な抽斗(ひきだし)を見拔く事が出來なかつた。若し出來たなら彼女は驚きの叫びを擧げたであらう。

 

       

 君子が他の藝者と異る所は血統の高い事であつた。蔀名を附ける前の本名はあいであつた。此名は或る漢字で書けばを意味する。同音の他の漢字で書けばを意味する。あいの歷史は愛と哀との歷史であつた。

 彼女は可なりの敎育を受けて居た。幼かつた時先づ或る老武士の私塾に遺られた。――そこでは少女達は、高さ一尺の小机を前にして座布團の上に坐つた、そして敎師は皆無給で敎へた。敎師は一般官吏よりも高給を得る今日では、却つて昔程正直でもなく又愉快でもなくなつた。彼女の學校の往復には、一人の下女が書物、硯箱、座布團及び小机を携へて送迎した。

 其後、公立の小學校に通つた。其れは丁度最初の近代的敎科書が發兌[やぶちゃん注:「はつだ」。「発行・発刊」に同じい。]された時であつた――其中には名譽、義務、善行等に就ての英佛獨の物語の日本譯が含まれて居た。何れも撰擇は妥當で、此世界には迚もない服裝をした西洋人の、罪のない挿畫が入つて居た。其懷かしいしほらしい敎科書は、今は既に稀覯書となつて、久しい以前から左程面白くも巧妙でもない、物々しい敎科書が使用されて居る。あい子は物覺えが善かつた。一年に一度の試驗の時には、或る大官が臨場して、生徒は皆自分の子でもある樣な口調で話して聞かせ、賞與を與へる時には銘々の柔らかい頭髮を撫でて遺つた。其大官も今は退隱せる政治家で、がてなくあい子を忘れて居るだらう――今日の小學校では、誰れも少女等を撫でて遺つて賞與を與へる者はない。

 其時あの廢藩置縣の改革が起こつて、高い階級に居た家族は、引き倒されて無位無祿となつた。そしてあい子は學校を去るやうになつた。色々の大悲劇が引き續き起こつて、遂に彼女には母と幼い妹のみが遺された。母とあい子とは、機織りの外何も出來なかつた。併し機織りだけでは生活の資に不足であつた。先づ家屋敷が――つぎに生活に必要でない品物がつぎからつぎへと――家寶、裝飾品、高價な式服、定紋入りの漆器などが――二束三文で、人の不幸で富み、所謂『淚の金』で成りがつた連中の手へ渡された。同族の武士の大部分は、皆同樣な難儀をして居たので、生きて居る人からの助力は得られなかつた。併し賣る物が無くなつた時――あい子の敎科書さへ賣り盡くした――助力は死人から求められた。

 あい子の父を葬る時、或る大名から拜領の大刀を棺の中に納めたが、それは黃金作りであつたと云ふ事を想ひ出したので、墓を撥いて精巧な細工の欛(つか)を平凡な安物と取り換へ、塗鞘の裝飾をも取り外づした。ただ中身だけは武士たる父に入用があるかも知れぬといふので其儘にした。あい子は古式に依つて埋葬する時、高級の武士の棺として用ゐられる赤土燒の大きな瓮[やぶちゃん注:「かめ」。「甕」に同じい。]の中に鎭坐して居る父の顏を見た。彼の顏立は墓の中に年月を經ても尙ほ崩れて居なかつた。そしてあい子が中身を戾した時凄い顏でよしよしと點頭く[やぶちゃん注:「うなづく」。]樣に見えた。

 到頭あい子の母は病みついて機も織れなくなる、亡者の黃金も消費されて了つた。あい子はいつた――『お母さん外に最早方法もありません、私を藝者に賣つて下さい』母は泣いて返事をしなかつた。あい子は泣かなかつた、併し一人で出て往つて了つた。

 彼女は昔、父の家で人を饗應する時、酌に雇はれる藝者の中に、君香といふ一本立の藝者が、屢〻彼女を可愛がつた事を想ひ出した。それで彼女は直に君香の家へ往つて云つた、『私を買つて下さい、お金が澤山入るのですから』君香は笑つて、いたはりながら食事を薦めつつ、彼女の話を聞いた――あい子は淚一滴こぼさずに思ひ切つて話した。君香は云つた『澤山なお金を上げる事は出來ません、私も少ししか持つて居ないのですから。併しこれなら出來ます――お母さんに仕送りをするといふ約束です。其方が貴女(あなた)を大金で買うより宜いでせう――貴女のお母さんは大家の奧さんでしたから、大金を巧(うま)く扱ふことは御存じないでせう。ですから貴女が二十四迄、でなければいつでも私にお金を返せるまで、私の家に貴女が居るといふ證文を書いて、お母さんの印判を戴いてお出なさい。さうすると私が溜まつただけのを金をただ上げますがら、貴女がそれをお母さんの處へ持つてつてお上げなさい』

 かうしてあい子は藝者となりた。そして君香は彼女に『君子』を襲名させ、そして母と妹を養ふといふ約束を守つた。母は君子が有名にならぬ中に死んだ、妹は學校へ通はせられた。前に話した事は皆これから後の事であつた。

 

 藝者の愛の爲めに死なうとした若者は、そんな事をするのは惜しむべき境遇に居た。彼は一人子息であつた。そして富もあり爵位もある彼の兩親は、彼の爲めには如何なる犧牲をも彿はうとして居たのである――藝者を嫁に取ることさへ。其上彼等は我が子の爲めに、彼女が同情を寄せたと云ふので、全く君子を嫌つては居なかつた。

 君子は行く前に、具眼學校を卒業したばかりの妹梅子の結婚式に列した。梅子は溫良で綺麗な娘であつた。其結婚は君子が取り持つたので、それには彼女が男に關する日頃の知識を利用した。彼女は醜男(ぶをとこ)で、正直で、舊式な商人――惡黨にはならうと思つてもなれぬ男――を選定したのであつた。梅子は姉の選定の賢明さを疑はなかつたが、果たして時が幸福な配合であることを證明した。

 

       

 君子が連れて行かれたのは四月の節であつた。連れ行かれた先きは、豫め彼女の爲めに準備された家で、凡て浮世の不快な現實を忘れる樣に出來て居た――高塀を𢌞らした、大きな植ゑ込みのある庭の、靜寂の中に迷ひ込んだ一仙宮といふ觀があつた。君子は其處で、日頃の善行のお蔭で、蓬萊國に生まれ替はつた樣な感を起こしたのであらう。併し春は過ぎて夏が來た――しかし君子は單に君子で居た。彼女は理由は謂はぬが婚禮の日を三度も延ばしたのであつた。

 八月の節になつて、君子は眞面目(まじめ)になつて、溫和に併し毅然として、結婚拒絕の理由を告げた、――『今迄永らく申し上げ兼ねて居りましたが、愈〻申し上げる時が參りました、私は生みの母の爲めと妹の爲めに、今迄地獄の住居[やぶちゃん注:「すまゐ」。]を致して居りました。それは今過去の夢となりましたが、私の胸の火傷(やけど)は治りません、それを治す力は此の世の中に御座いません。此樣な者が名家に入る資格が御座いませうか――貴君の子を生んだり、貴君の家を立てる資格は全く御座いません……どうぞも少し喋らせて下さいませ、惡るい事に懸けては私の方が貴君よりずつと色々存じて居りますから……又貴君の奧樣となつて、貴君の恥辱を曝したく御座いません。私はたが貴君のお相手、遊び友達、一時のお客――それも頂戴物を致さう爲めでは御座いません。私がお側に居られたくなる時――いえ、そんな時が屹度參りす――貴君はお目の覺める時が御座います。それは私を全くお忘れにもなりますまい、併し今の樣では御座いますまい――今のは迷ひです。私の心からの詞をよくお心にお留め下さい。何誰(どなた)か眞實(ほんと)によい奧樣が出來て、貴君のお子樣をお生みになるでせう。私は其お子樣を拜見致しませう、併し私は奧樣にはなりません、又母たる喜びを知つてはなりません。私はただ貴君の迷ひです――幻です、夢です、貴君の浮世の旅路に、ちらと差した影で御座います。たとひ後にはも少し善いものになると致しても、貴君の奧樣には決してなりません――此世でも彼世でも。も一度結婚せいと仰しやいませ――そしたら私はお暇を戴きます』

 

 十月の節になつて、何等推測すべき理由もないのに、君子は姿を消した――消え失せた――全く何處にも居なくなつた。

 

       

 彼女が何時、どうして、何處へ往つたか知る者はなかつた。近處の者も、彼女の通る姿を見た者はないといふ。初めは直ぐ歸つて來るだらうと思はれた。彼女のあらゆる美しい貴重な所持品――衣服、裝飾品、貰ひ物など、それだけで一財產であるのだが、そんなものは一つも持つて行かない。併し何の便りも何のしるしもなく數週間が過ぎた。何か不測(ひよん)な事でも、彼女の身の上に起こつたのではないかとも思はれた。それで方々の河を渫(さら)つたり、井戶を替へたうした。郵便や電報の問ひ合はせもした。信賴の出來る俾僕を搜索に走らせもした。懸賞も出した――特に君香は君子を受して居たから、謝禮はなくとも喜んで手掛からを尋ねたであらうが、それにも謝禮を提供して報告を依賴した。併し官權へは依賴しても無效であつたらう。逃亡者は惡るい事をしたでもなく法律を破つたでもない。尨大な國家の警察機關は、一靑年の氣紛れな戀愛沙汰で運轉せらるべきでない。數月は數年となつた。併し君香も、京都の妹も、さては此美しい藝者の讃美者數千人中に、一人も君子を再び見た者はなかつた。

 併し君子が豫言した事は事實となつた――時はどんな淚をも乾かしどんな憧憬(あこがれ)をも治す、いくら日本でも同一の失望の爲めに、二度と死なうとする者はない。君子の崇拜者は遂に思ひ返した。美しい新妻が選定されて、一人の男子さへ生まれた。そして又數年を經過した、君子が甞て住んだ仙宮には幸福が漂うた。

 或る朝其家へ、施物を求むる樣な風で、一人の旅の尼が來た。子供は尼の讀經の聲を聞いて門口に奔り出た。間もなく女中が例の白米の施物を持つて出で來て見ると、尼は子供を撫でさすつて、何か囁いて居るのを見て驚いた。其時子供は女中に云つた、『僕が遣る』――すると尼は大きな編笠の陰の下から、『どうぞ此のお子樣の手から、お遣はし下さいませ』と乞うた。それで子供は米を尼が持つ鉢の内へ明けた。すると尼は小兒に一禮して、問うた――『もう一度、坊ちやん、貴君のお父樣へ申し上げる樣に今お願ひした文句を仰しやつて下さいませんか』小兒は片言交りに云つた――『お父樣此世で再びお目にかかれぬ者が貴君のお子樣を拜見したので喜ばしう存じますと申します』

 尼は輕く笑つて再び彼を撫で、そして急いで往つて了つた。女中は愈〻きよろきよろして居る中に、子供は父に尼僧の傳言を云ふべく走り込んだ。

 併し此傳言を聞いた父の眼は霞んだ、そして子供を抱いて泣いた。門に來たのは誰れであつたといふことを彼は悟つた、そしてそれは彼のみが悟り得る事であつた――隱されて居た凡ての獻身的な意味も了解された。

 彼は思ひに耽つた、併し誰れにも漏らさない。

 彼と、彼が昔愛した女との距離は、今や太陽と太陽との・距離よりも大であると思つた。

 彼女はどんな遠い市(まち)の、どんな狹い、名もない通路(とほり)のうねりくねつた隅の、貧民中の貧民にのみ知られて居るどんな見すぼらしい小さい庵室で、此世を行ひ濟まして居るのやら、尋ねても無益(むだ)だと彼は思つた。恐らく彼女は其處に、無窮の先の差し來る前の、暗闇を待つて居るのであらう。其光に接する時こそ、大恩敎主の慈顏は彼女を見て微笑するであらう――其時こそ佛陀の聲は、人間の戀人の口より出るよりも、遙かに深い慈愛の調子でかういふであらう。――『お〻我が法(のり)の娘、汝は圓滿の道を行うた。汝は最高の眞理を信仰會得した――それ故我は來たつて汝を迎へ汝を拯ひ取る[やぶちゃん注:「すくひとる」。]』

 

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