芥川龍之介 前号批評 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔中学時代㈡〕』に載る「前號批評」に拠った。本篇には底本では標題に添え辞として、標題一字下げポイント落ちで、
〔――「学友会雑誌」――〕
とあるが、これは〔 〕表記と新字表記で判る通り、葛巻氏が添えたものであるから、排除した。葛巻氏は特に注していないが、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の書誌情報の中に、本篇は前の「編輯を完りたる日に」と同じく、明治四三(一九一〇)年二月発行の府立第三中学校学友会の雑誌『淡交會學友會雜誌』第十五号に載った同雑誌の記事批評である旨の記載があり、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)の最終学年である五年次生の時のものである。「芥川龍之介作品事典」の関口安義氏の本篇の解説には全体に『寸評ながらことばを選んで的確に文章を批評している。歯に衣着せぬ批評である。批評家芥川龍之介の片鱗が、早くも現れているという点で興味深い文章である』と評しておられ、同感である。]
前號批評
○ 流水吟(五乙 田中君)
願くは書くに先立つて讀んで見給へ。詩として君の詩に對する時は其後に始めて來るだらう。正直の所、僕はこの、なつてゐないのを悲しむ者だ。
○ 瘦馬(五乙 春敬君)
少し乾燥し過ぎた樣だ。「西窓の淡き光」の一節がよかつた。難を云へば技巧にも感情にも踏襲的な所が見える。同じ人の「インキ壺」は之を歌ふのにはより微細な情緖と、より鍊敏な感受性とを要する樣に思はれる。
○ 春二十句(四乙 空山居君)
韻文欄の白眉である。「狂女來て」「とかくして」「山かげの」「宿とるや」がいゝと思つた。僕の最氣に入つたのは「はきたむる」である。栗色の裏庭に掃きためた古雛の袴の樣な落椿――僕も好きだ。「人稀に」は作者の得意な句であらう。「百卷の」「座敷から」「江に臨む」は感心しない。
○ 我書齋(二學年)
同じ題でかゝれた五篇が五篇とも、皆嬉しく出來てゐた。僕には大原君のと永谷君のとが好かつた。大原君の寫眞の所や時間表の所はそゞろに人をほゝえませる。最後の一行は割愛したらどうだらうと思ふ。永谷君の曆や石膏細工の獅子もいゝ。トルストイの生立ち記の一節でも讀でゐるやうな氣がする。靑木君のは少し簡單な個條書のやうになりすぎてはゐないだらうか。袴田君のも此傾がある。僕は一寸した事だが同君の「妹の本箱の蓋の手掛がとれさうで中々とれない」と云ふのが面白かつた。梶川君のはきはめて達者に書いてあるがあまり器用に、「三尺の庭」を眞似たので大分感興を殺がれるやうだ。
以上は僕の讀過の際の感じにすぎない。印象的な批評と云ふ事がゆるされるならこれだ。これは一寸エンファサイズしておく。
[やぶちゃん注:「トルストイの生立ち記」批評された原文が読めないのでよく判らないが、文豪レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев Николаевич Толстой/ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy 一八二八年~一九一〇年)の「幼年時代」(Детство:一八五二年)・「少年時代」(Отрочество:一八五四年)・「青春時代」(Юность:一八五六年)の三部作或いはその中の孰れかを指すものであろう。芥川龍之介は英訳で読んだものか徳田秋江訳の「生ひ立ちの記 青年編」があるが、これは単行本は明治四五(一九一二)年(東京国民書院)刊で本篇よりも後の刊行である。
「エンファサイズ」emphasise(英国英語)/emphasize(米国英語)は「強調する」の意。]
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