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« 小泉八雲 趨勢一瞥 (戸澤正保訳) | トップページ | 小泉八雲 保守主義者 (戸澤正保訳) / その「一」・「二」・「三」・「四」 »

2019/12/14

小泉八雲 業の力 (戸澤正保訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“BY FORCE OF KARMA”。言わずもがな乍ら、「カルマ」は業(ごう/歴史的仮名遣「ごふ」)である。サンスクリット「カルマ」(ラテン文字転写:karman:サンスクリットの動詞語根「クリ」(為(な)す)が語源。「羯磨(かつま)」と漢音写し、「KARMA」はその音転写された英語)に由来し、「行為・所作・意志による身心の活動とその結果の蓄積、及び、そうした身心の生活の行き着くところとしての宿命」を指す。特に狭義上では「過去(世)での善悪を問わない行為が必ず自分に返報される」とする因果応報の法則と同義で、もともとは仏教以前のインドの占星術の基である「ヴェーダ」哲学の根底に流れる思想である)は来日後の第三作品集「心」(原題“KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第九話である。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 文中途中に突如入る注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、前後を一行空けた。

 標題後の添え辞はポイント落ち下インデント三字上げであるが、引き上げた。また、文中の途中に入る注は四字下げポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて本文と同ポイントで示し、前後を一行空けた。

 訳者戶澤正保(底本では「戸沢」ではなく「戶澤」と表記している)氏については私の「小泉八雲 趨勢一瞥 (戸澤正保訳)」の冒頭注を参照されたい。]

 

      第九章 業の力

 

『愛人の顏と朝日の顏は見上げる事が出來ぬ』 ――日本俚諺

[やぶちゃん注:原本では、

“The face of the beloved and the face of the risen sun cannot be looked at.”― Japanese Proverb.

であるが、こんな「ことわざ」は誰も知らぬ。流石に小説家でもあられる平井呈一氏は恒文社版「因果応報の力」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)では、この添え辞を、

   《引用開始》

好いたお方と朝日の顔は

  眺めようとてかなやせぬ

       ――日本のことわざ

   《引用終了》

と美事正鵠を射て素敵に訳しておられる(因みに、これは諺ではなく、近世の恋の都々逸である)。]

 

       

 近代科學の敎ふる所に依ると、初戀の熱情は、當該個人に取つては『全く凡ての之に關する經驗に先きだつものである』。語を變へて云ふと、凡ての感情中、尤ち嚴密に個人的なるべく思はる〻ものが、實は全く一個人の事件ではないのである。哲學も又久しい以前に同じ事實を發見して居る、そして戀情の神祕を說明する理窟は非常に面白い。科學は今迄の處、此題目に就ては嚴密に僅少の推察を提供するに留めてある。これは誠に遺憾である。といふのは、形而上學者は何時(いつ)の時にも適當に細述した說明を與へる事が出來ぬから

 

註 先天的であるの意、ハアバアト・スペンサー「心理學原理」中感情論の一節。

[やぶちゃん注:「ハーバート・スペンサー」小泉八雲が心酔するイギリスの哲学者で社会学の創始者の一人としても知られるハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)。私の『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (一五)』の私の注を参照されたい。私がこのブログ・カテゴリ「小泉八雲」で完遂した「神國日本」(戸川明三訳。原題は“Japan: An Attempt at Interpretation”(「日本――一つの試論」)。英文原本は小泉八雲の没した明治三七(一九〇四)年九月二十六日(満五十四歳)の同九月にニュー・ヨークのマクミラン社(THE MACMILLAN COMPANY)から刊行された)もスペンサーの思想哲学の強い影響を受けたものである。当該引用(原文引用部“absolutely antecedent to all relative experience whatever”)という引用は、一八五五年刊の「心理学原理」(The Principles of Psychology)の第八章「感情」(CHAPTER VIII.: THE FEELINGS.)にあるセクション二百四(§ 204)の以下の末尾部分である。

   *

That the experience-hypothesis, as ordinarily understood, is inadequate to account for emotional phenomena, will be sufficiently manifest. If possible, it is even more at fault in respect to the emotions than in respect to the cognitions. The doctrine maintained by some philosophers, that all the desires, all the sentiments, are generated by the experiences of the individual, is so glaringly at variance with hosts of facts, that I cannot but wonder how any one should ever have entertained it. Not to dwell on the multiform passions displayed by the infant, before yet there has been such an amount of experience as could by any possibility suffice for the elaboration of them; I will simply point to the most powerful of all passions—the amatory passion—as one which, when it first occurs, is absolutely antecedent to all relative experience whatever.

   *

このスペンサーの前振りの条件は科学的でない心理学(私は若き日に心理学者になりたいと思っていたが、現在、追試実験不能の、動物心理学・実験心理学の一部分野を除く大方のそれは極めて非科学で怪しい擬似科学であると考えている)の中で、やや厳密さを感じさせて曖昧領域がやや明確化され、不完全ながら限定化されてはいる。されば、一応、安心して小泉八雲の引用も受け入れられるという気がする。そうして、改めて言うまでもなく、普通――人間個人の最初の恋――とは――精密な意味に於いて――科学としての生物学的意味に於いても――母への恋――である――ということは言うまでもない。我々個人にとっての「最初の他者」「恋人」とは原理的に「母」とイコールである。スペンサーがことさらに注意喚起をして除去しようとし、小泉八雲が、以下、青年期まで時間を短縮して恋の成立を解くこと自体が(これは無論、逆に小泉八雲も母喪失感のトラウマがのっぴきならないものであることを指しているのである。小泉八雲は終生、「母の肖像画が欲しい」と言い、「それが手に入るなら、金は幾らかかってもいい」と常々言っていたことを忘れてはならない)私は「マヤカシ」であると考えるし、「科学的」でないと考える。]

 

である――或は愛人の初めての一瞥は、戀する者の靈魂に、神聖な眞理の或る眠れる先天的な記憶を喚起すと敎ふるか、或は戀の幻影は、體現を求むる未生[やぶちゃん注:「みしやう」。]の靈魂に依つて作らるると敎ふるか、何れにしてもである。併し科學も哲學も極重要な一の事實――戀する者自身は自由選擇を爲(す)るのでない、彼等は只だ或る外力に動かさる〻のであるといふ事に就ては一致する。科學は此點には更に一步を進めて居る、初戀の責任は死せる祖先に在る、生ける當該者にはないと述べて居る。で初戀には或る種の幽玄な記憶(おもひで)があるやうに思はれる。尤も科學は佛敎とは異つて、我々は特殊の狀況の下に、前生を思ひ出し得るとは斷言せぬ。生理學に基礎を置く心理學は、此個人的の意味に於ける記憶の遺傳を不可能と斷ずる。併しより多く漠然とはして居るが、より强い記憶――無算數の祖先の記憶の總額――幾億兆京とも知らぬ經驗の總額――は遺傳するものなることを認めて居る。かくして心理學は我我の尤も不可解な感應――矛盾する衝動――不思議な本能又凡ての不合理に見ゆる愛惜、憎惡の念、――あらゆる漠然たる喜悅、若しくは悲哀の感等を說明することが出來る――これ等はただ個人の經驗だけでは說明の出來ぬものである。併し其心理學も未だ初戀に就ては、我々の爲めに多くを解釋するの餘裕を有たぬ――目に見えぬ過去の世界との關係に於ては、初戀こそ、凡ての人間の情緖中で、尤も幽玄にして尤も神祕なものであるが。

 我が西洋では此謎はかう云ふ風に現はれる。順當に强健に發達する靑年には、女性に對して、自己の肉體の優越感より生ずる、原始的の輕蔑を感ずる、一種の退化的時期が來る。併し丁度かうして少女等との交際が少しも面白くなくなつた時に、彼は突然戀の狂熱に罹るのである。彼の生涯の通路を、今迄見た事のない一人の乙女――併し他の人間の女子と異らない――普通人の眼には少しも驚嘆するに足らぬ――が橫斷する。其瞬間に大浪の押し寄する樣に、血が彼の心臟に吶喊[やぶちゃん注:「とつかん(とっかん)」。]する。そして彼の感覺は攪亂される。それから後狂熱の終はる迄、彼の生は全く其新發見の乙女に把握される。併し彼は其女に就いては何事も知らぬのである。ただ日光も彼女に觸る〻と一層美しく見ゆるといふ事を知るだけである。其蠱惑から彼を引き離すことは人間の知識では出來ぬ。併し一體其蠱惑力は誰れ人[やぶちゃん注:「たれびと」。]が有するのてあらう。其生ける偶像が有する力であらうか。否、心理學は我々に告げる、それは偶像崇拜者の心の中に潜む、死せる祖先の力である。死せる祖先が魔術を施すのである。愛する者の心の激動は祖先の激動である。一少女の手の最初の觸感で、彼の血管中を馳け𢌞る電氣の樣な戰慄も、同じく祖先の戰慄であると。

 併し何故に死せる祖先は他の女を排して其少女だけを欲するかが、此謎の意味深い點である。獨逸の大厭世家[やぶちゃん注:ショーペンハウエルのこと。彼の「恋愛は個人のためにあるのではなく種族のためにある」といった性愛の論理観を指すのであろう。]が提供した解決法は、科學的も心理學とは調和せぬ。死せる祖先の選擇は、進化學的に考へると、豫知よりは寧ろ記憶に基づいた選擇であるであらう。そして此謎は愉快ではない。

 實に或る合成寫眞に於けるが如く、過去世に彼等(死せる祖先達)を愛した凡ての女の面影が、彼女に復活して居るが故に、彼女を欲するのだといふ、ロマンチックな可能性はある。併し同樣に彼等が報いられずに愛した、凡ての女の合併せる魅力が、幾分彼女に現はれて居るが故に、彼女を欲するのだといふ可能性もある。

 假りに此不氣味な後說を取ると、情熱といふものは幾囘埋められても、死滅もせず休止もせぬものだと信ぜざるを得ぬ。酬いられずに愛した者が死ぬるのは、ただ見掛けだけで、實は其願望を叶へる爲めに、幾世代も他の人の心の中に生きて居るのである。彼等は多分幾世紀でも、愛した形態の再現を待つのであらう――永久に靑春の夢の中に、漠然たる記憶の綾を織り込みつつ。さればこそ、到達されぬ理想だの――惱める靈魂が、誰れとしも分からぬ女に憑依せられるなどといふ事實が存在するのである。

 處が極東では考へ方が違つて居る。自分がこれから書かうとして居ることは、彌陀の解釋法に關するものである。

 

       

 最近甚だ特殊な事情の下に死んだ僧侶がある。彼は大阪附近の一村落の、古い淨土宗の一派に屬する寺院の僧侶であつた。(其寺院は關西線で京都へ行くとき、汽車の中から見える)

[やぶちゃん注:丸括弧部分は原文は“(You can see that temple from the Kwan-Setsu Railway, as you go by train to Kyoto.)”である。「關攝(くわんせつ)」鉄道というのは今も昔もないのだが、これは「関(西の)摂(津と京都間に走る)鉄道」と読めなくはない。そもそもがこれが「關西」本「線」の誤記なのだとするのは、私には鉄道趣味はないが、どうも、腑に落ちない(但し、平井呈一氏も恒文社版「因果応報の力」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)では、注なしで『関西線』と訳してはおられる)。関西(本)線、少なくとも現在の愛知県の名古屋駅から亀山駅・奈良駅を経て大阪市浪速区の難波駅に至る鉄道本線としての関西本線は加茂などの京都府南部を通りはするが、それで「京都に行くとき」と言わないのではないかと私は思うからである。これは寧ろ、彼が執筆時に居た、神戸から東海道本線で京都に向かう際の鉄道「關」西にある大阪の旧称「攝」津の「鐡道線」を指しているのであり、大阪府に入ってすぐに線路から見える浄土宗寺院であると言っているのではないかと私には思われるのである。それだと、浄土宗で数ヶ寺に絞られる。しかし、路線も寺も、断定もしなし、寺の具体的候補も指示はしない。何故なら、この僧と寺の名誉のために私はそれを穿鑿したくないからである。

 彼は若く、眞面目で、そして非常に美しかつた――僧侶にしては美し過ぎたと女達は評した程である。彼は昔の佛師が作りた阿彌陀佛の美しい尊像の一體の樣に見えた。

 村の男達は彼を純潔な博識な僧と思つて居たが、それに間違ひはなかつた。併し女達は彼の道德と學問のみを考へなかつた。彼は彼の意志とは關係なく、ただの男として女を惹き附ける不運な魅力を有つてに居た。彼は村の女達許りではなく、他村の女達にも、宗敎的でなく讃美された。それで彼等の讃美は彼の硏究を妨害し、彼の默想を攪亂した。彼等は立派な口實を見附けては、全く彼を見、彼に話しかける爲めばかりに、常住[やぶちゃん注:ここに読点が必要。]寺へ出入した。そして僧として答へる義務がある疑問を發したり、僧として拒むことの出來ぬ奉納物を贈つたりした。中には宗敎上の法問で無く、彼を赤面せしめる樣な問を懸ける者もあつた。性來彼は溫順なので、町の蓮葉娘が、田舍娘には云ひ切らぬ樣なこと――そこなことを云ふなら歸れと命ぜざるを得ぬ樣なことを云つた時でも、辭を嚴にして威嚴を保つことは出來なかつた。それで内氣娘の無言の讃美から、若しくは阿婆摺れの諂諛[やぶちゃん注:「てんゆ」。侫(おもね)り諂(へつら)こと。「阿諛(あゆ)」に同じい。]から、畏縮すればする程、迫害は增大し來たつて、遂に彼が一身の苦艱[やぶちゃん注:「くかん」。辛い目に遇って苦しみ悩むこと。「艱難(かんなん)」に同じい。]となるに至つた。

 

註 日本では俳優が下級の多情な娘達も同樣な魅力を及ぼし、其魅力を殘酷に利用することは往々あるが、僧侶がこんな蠱惑を振るふ例は滅多にない。

[やぶちゃん注:「蓮葉娘」「はすつぱむすめ(はすっぱむすめ)」。活発で軽弾みな行動をとる若い女性の卑称。語源は諸説さまざまで、蓮の葉が風や水面(みなも)の波でゆらゆらするさまや、蓮の葉の朝露がころころと転がるさまを行動のそれに模したという説、蓮の葉商人は季節ごとに商品が変わった事、キワ物やマガイ物といった意味などから転用されたという説、また、井原西鶴の「好色一代女」(貞享三(一六八六)年板行)に上方の大店の問屋で雇用された上客を接待するための閨(ねや)をともにする女性として「蓮葉女」なる女が描かれており、そうした淫売的職業の名が由来だとする説などもあり、定かでない(ここはウィキの「蓮の葉」などを参照した)。

「阿婆摺れ」「あばずれ」。人ずれしていて厚かましく、品行のよくない女を指す卑称(現代では女性にのみ使われるが、江戸時代までは男にも使った)。漢字表記は、当て字で特に意味がなく、単に漢字音として「阿婆」の字が当てられたという説と、中国語で「年を取った女性」を指す「阿婆」という言葉から取られたとする説があるが、そもそもが余り発祥が判らぬ。近世語であろう。]

 

 彼は兩親を久しい前に失つて、浮世の羈絆(ほだし)はない。それで彼の職務とそれに伴なふ硏究にのみ沒頭し、禁制の情事を念頭に置くことは欲しなかつた。異常の美貌――生ける偶像の美貌――が只だ彼の不運であつた。彼が取り上げる事の出來ぬ[やぶちゃん注:如何にも生硬な訳である。「とても口にすることのできないような忌まわしい」というニュアンスである。]條件で富を提供する者もあつた。娘達は彼の脚下に身を投じ彼の愛を嘆願してはねられた[やぶちゃん注:「嘆願して」、「はねられた」。彼に拒絶されたの意。どうも戶澤氏は読点がお嫌いらしいが、どうにも当たり前の日本語としては読み難い。]。艷書は絕えず送られたが、いつも返事はない。或は『岩が根枕』だの『面影に寄る浪』だの『別(わ)れても末に逢はんとぞ思ふ小川』だのと云ふ古典的な謎の樣な文句を書いたのもあり、又或は技巧を弄せずに、只だ打附けにしめやかで、初戀の告白の切なる情の溢れて居るのもあつた。

[やぶちゃん注:「羈絆(ほだし)」正しくは音で「キハン」。「羈」も「絆」も、「繋ぎ止める(綱・繩)」の意で。「つなぎとめること」。また、「行動する際の足手纏いとなること」の意。「ほだし」は、もと「馬を繋ぐ繩」のこと。

「禁制の情事」江戸時代は浄土真宗は教祖親鸞が妻帯を許し、自らも妻帯したことから、真宗の僧は一般的な僧侶の女犯の罪には問われなかった。浄土宗の開祖法然は僧の妻帯を許容する立場をとっが、自らは妻帯しなかった。さすれば、ここで狭義の「禁制」というのは厳密には当たらない。但し、本書刊行は明治二九(一八九六)年であるが、この頃までは、日本の仏教全体の僧の対して、その妻帯を仏教戒律上から禁制の破戒であると批難する傾向は、実際、仏教界内外に強くあった。しかし、明治三十年代に入ると、こうした批判は仏教界内部でも急速に力を失ってゆき、宗派を問わず仏教全般に僧の妻帯が当たり前となってゆくようになってゆくのであった。

「或は『岩が根枕』だの『面影に寄る浪』だの『別(わ)れても末に逢はんとぞ思ふ小川』だのと云ふ古典的な謎の樣な文句を書いたのもあり」原文“Some were written in that classical enigmatic style which speaks of “the Rock-Pillow of Meeting,”and “waves on the shadow of a face,” and“streams that part to reunite.””である。平井呈一氏は恒文社版「因果応報の力」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)では、『そういう恋文のなかには、「逢うことの千曳(ちびき)の岩を枕にぞ」とか、「面輪(おもわ)によする仇浪の」とか、流れても末は一つの思い川」とか、いやうに古風な掛けことがの多い文句で書かれたものもあれば、』と如何にも小説家らしい心の行き届いた訳をなさっておられる。]

 こんな手紙にも初めの中は、若僧の心動かざること彼が似て居る佛像の樣に、人目には見えた。併し實の處彼は佛ではない、弱い人間に過ぎなかつた。そして彼の境遇は辛いものであつた。

 或る一人の少年が寺へ來て、一封の手紙を渡し、送り主(むし)の名を囁くが否や闇の中へ逃げて往つた。後で寺の納所坊主[やぶちゃん注:「なつしよばうず」。寺院で会計・庶務を取り扱う僧。]の證言に依ると、僧は其手紙を一誦[やぶちゃん注:「いちじゆ/いちしよう(いっしょう)」。僧だからと戶澤氏はかく訳したのだろうが、原文は普通に“read”で、こないなもん、「誦」(声に出して読む)するはずもなく、訳として不適である。]し、再び封筒に入れて、疊の上の座布團の傍へ置いたといふ。それから久しい間、默想に耽るかの樣にぢつとして居たが、やがて硯箱を出して、宗門の上長宛てに一書を草し、それを机の上に置いた。つぎに時計と汽車の時間表を見も。時間は少し早かつた。夜は眞暗で風が吹いて居る。暫く佛壇の前に平伏して祈禱を捧げた。さで闇を衝いて寺を出で、丁度時間に汽車の線路へ着いた。そして岬一發の急行列車が囂々と進み來る影を見ながら、線路の中央に跪づいた。つぎの瞬間には、鐡軌(レール)を血みどろにして橫たはつた彼の殘骸は、提灯の光で見ただけでも、疇昔[やぶちゃん注:「ちうせき(ちゅうせき)」。「昔日・昨日」の意。]の不思議な美貌の讃美者を絕叫せしめるに十分であつた。

 

 上長に宛てた手紙は發見された。それにはただ彼は精神の力を失つたのを感じて。罪を犯さぬ爲めに自殺と決心した旨を述べであつた。

 も一つの手紙が置いたままに、床の上に橫たはつて居た――其手紙は女言葉で書かれてあつて、片言隻語も悉く謙讓な愛の詞でないものはなかつた。凡ての艷書の如く(艷書は決して郵便には託されぬ)日附もなく、名もなく、頭字(かしらもじ)もなく、封筒にも宿處が書いてない。我々の佶屈な英語に譯すと、不完全ながらつぎの樣なものである。

[やぶちゃん注:以下、手紙の引用は底本では全体が一字下げである。但し、ポイントは本文と同じである。なお、「ちよつと」のルビは「一瞬時」三字に当てたもので、「不束な」は「ふつつかな」と読む。「可祝」は「かしく」で、女性の手紙の末尾に用いる結語の挨拶。「かしこ」の音変化。]

 

 かやうな事を申し上げるのは、大それた事でせうが、申し上げずに居られませんので此手紙を差し上げます。賤しい私は、過ぐる彼岸會の折にお姿を拜見してから物思ひを始めました。そしてそれからといふもの一瞬時(ちよつと)も忘れる事が出來ません。のみならず日增しに思ひの淵に沈む計りで、眠ればお姿を夢に見、覺めてお姿の見えぬ時は、心は闇で空虛で、ただ泣いて計り居ります。此世に女と生まれて來ましたからには、身分の高いお方にも、嫌はれまいといふ大それた願を起こしました、不屆をお許し下さいませ。及ばぬお方と知りつつ此樣に心を惱ますとは何といふ愚かな心なしの仕業で御座いませう。でも此心を押へ附ける事は迚も出來ぬと諦めましたので、其心の奥から出て來る不束な詞を、不束な筆に寫して御覽に入れるので御座います。何卒哀れのものと思召して下さい。お願ひで御座いますから、すげない御返事をお遣はし下さいますな。これもただただ卑しい胸から溢れ出たものと、不憫の奢に思召し、只だ切なさ遣る瀨なさの餘りに、厚かましくも、此文を差し上げる心の程を――お慈悲を以て――御推察の上御判斷下さいませ。お情深い御返事を、一日千秋の思ひでお待ち申し上げます。めでたく可祝。

  御存じの者より戀し懷かしの方樣まゐる。

 

       

 自分は佛敎に精延せる日本の友人を訪ねて、此出來事の宗敎的觀察に就て質問した。自分には、其自殺は人間の弱さの告白としても、壯烈な行爲と思はれたのであつた。

 然るに友人はさう思はなかつた。却つてそれを非難した。聞いて見ると、罪を遁れる爲めに、自殺を考へるだけでも、佛陀は之を精神的に――聖者と伍する資格なしとて――勘當したものだと云ふ。彼の[やぶちゃん注:「かの」。]自殺せる僧はといふと、釋尊が愚者と名づけた者の一に該當する。己れの肉體を破毀して、罪の源泉を破毀したと想像し得るのは愚者のみであるといふのである。

 『併し』自分は抗議した。『此人の生活は純潔でした――彼は、意識せずに、他人に罪を犯させない爲めに、自ら死を求めたと假定すれば如何でせう』

 友人は皮肉に微笑した、そして云つた。

 『昔、家柄のよい容貌も美しい日本の女で、尼にならうと思つた者がありました。或る寺へ往つて、望の程を述べた處が、住持の上人は彼女に云ひました。「御身はまだ若い。今迄殿中の生活をなされたさうな。俗人の眼には甚だお美しい。其お顏故に、俗界の快樂に還らうといふ誘惑が、何れ參るでござらう。且つ又御身の願ひは一時の悲嘆から起こつたものぢや。お望みを叶へる事は出來申さぬ」併し彼女は尙ほ餘り熱心に懇願したので、上人は寧ろ打棄(うつちや)るがよいと考へて往つて了(しま)つた。彼女は一人取り殘されて、見𢌞はすと室には大きな火鉢――眞赤におこつた炭火の――がありました。彼女は其處にあつた火箸を眞赤になる迄燒いて、それで恐ろしくも顏を突き刺して傷つけ、其美しさを永久に破壞して了ひました。其時上人は肉の燒ける臭氣に驚かされて、急いで來て見ると、此有樣を見附けて嘆きました。併し彼女は、聲さへ震るはさずに、再び懇願しました。「私が美しいからとて、お弟子には取らぬと仰せられましたが、今はお取下されませういか』其處で彼女は入道を許されて尼となりました……さて何方(どちら)が優れて居りませう、此女の方でせうか、それとも貴君が感服しておいでの若僧の方でせうか』

 『併し顏を傷つけて醜くするのが、あの際、彼の[やぶちゃん注:「かの」。]僧の取るべき義務でしたらうか』と自分は問うた。

 『そんな事はありません。此女の行爲でも、誘惑の防禦としてのみ爲したのなら、取るに足らぬものでしたらう。自己毀損はどんなのでも佛法では禁じてあります。彼女は其禁を犯したのです。併し彼女は直に道に入り得る爲めに顏を燒いたので、罪に抵抗する意志の弱さを燒いたのではありませんから、彼女の過失は小さい過失でした。之に反して自殺した僧は大罪を犯したのです。彼は彼を誘惑した女共を改心させ、道に導くべきであつたのです。彼は弱くてそれが出來なかつた。若し又僧として罪を避ける事が出來ぬと感じたら、屑よく[やぶちゃん注:「いさぎよく」。]還俗して、俗人としての戒律を持せんと試みる方がよかつたでせう』

 『すると佛敎に從ふと、彼は何の善果をも得なかつたのですな』と自分は尋ねた。

 『どうも得たと想像することは出來ません。ただ佛法を知らぬ者に依つてのみ、彼の行爲は賞讃されるのです』

 『して佛法を知る人に依つては、其結果はどうなると考へられるのでせう――彼の行爲の業果(ごふくわ)は』

 友人は一寸默つて居たが、やがて考へ深さうに云つた。――

 『其自殺の一伍一什[やぶちゃん注:「いちごいちじふ」。「一部始終」に同じい。]は十分に分かりませんが、多分それは初めてではありますまい』

 『前生でも自害をして、罪を遁れようと試みた事があらうと仰しやるのですか』

 『さうです。或は幾つもの前生で』

 『彼の未來はどうなるでせう』

 『佛でないと其問には正確に答へることが出來ません』

 『併し佛の敎へにはどう書いてあります』

 『我々には彼の[やぶちゃん注:「かの」。]僧の心の中を、精確に知る事が出來ません、といふ事をお忘れになりましたな』

 『假りに罪を犯すことを遁れる爲めにのみ、死を求めたと致しますれば』

 『其時には、彼が完全に自分の意志を統制し得る迄、幾千萬囘でも同樣な誘惑に會ひ、それに伴なふあらゆる悲み、あらゆる苦しみを反復(くりかへ)すでせう。幾度死んでも克己といふ最高の任務を遁れることは出來ません』

 友人と別かれた後までも、彼[やぶちゃん注:「かれ」。]の言葉は自分にこびりついて退(の)かなかつた。そして今でもこびりつて居る。其言葉は、此章の始めに擧げた學說に就て、新たな考へを自分に起こさせた。自分には戀愛上の不可思議に關(かん)する、彼の凄壯な解釋は、我が西洋風の解釋よりも、寧ろより多く一考を價する樣に思はれてならぬ。自分は思ふ、死に導く戀愛は、幾囘となく埋められた情熱の飢餓といふだけよりも、もつと意味の深いものではないか。其上に長く忘れられた(前世の[やぶちゃん注:ここは底本では丸括弧内の二行割注で、戶澤氏による挿入注である。])罪過の避くべからざる應報(むくい)を意味するものではないだらうか。

 

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