芥川龍之介 長への命 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:本篇は「長(とこしな)への命(いのち)」と読み、一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔小学時代㈡〕』の掉尾に載る「長への命」の漢字表記を参考にしつつも、新全集第二十一巻の「初期文章」(一九九七年刊)の「長への命」(但し、漢字は新字表記)を底本とした。しかし、同新全集の「後記」によれば、本篇は明治四一(一九〇八)年二月二十八日発行の回覧雑誌『碧潮』第三号所収であり、これは葛巻が配置した小学校時代ではなく(そもそもが葛巻自身が末尾に『(明治四十年頃、「くづれ」の署名で。回覧雑誌『碧潮』第三号)』と記しているように、彼は既に明治三八年三月に江東小学校を卒業し、翌月四月に三中に入学しているのである)、東京府立第三中学校三年次のものである。葛巻氏もそれは判っていて、後注で『このお伽噺は、必しも小学校時代のものとは云えないかもしれない。――しかし、その「日の出界」、「お伽一家」』(『お伽一束』が正しく、また、これは別回覧誌ではなく、『日の出界』の臨時号の名である)『(小学校時代)にはじまる、一連の回覧雑誌中の一例(サムプル)』(「例」のみのルビ)『として、ここに掲げる』という苦しい弁解をされている。しかし、これは同書のパート立てを全く逸脱していて納得出来ないし、流れとして、これをここへ持って来たいという意図は、まあ、判るとは言えるものの、だったなら、初めっから、逆編年形式とか、時代別などをしなければよかったではないかと私は思う。それぞれに注を附しておけば事足りることではないか。こういう妙なところに、葛巻氏が芥川龍之介の原稿を小出しに、しかも恣意的にちらつかせては、出そうか出すまいか、と、何やら思案されているような姿が私には垣間見えてしまうのである。
以上、漢字を「未定稿集」に主に従って正字で示した以外(「竒」などのように新全集の方が正しい字体で記している箇所もある)、葛巻氏の整序(第一段落末の句点打ち等)を施した部分も含めて文字列(字空けや改行)は完全に新全集版に基づいたもので示した。
なお、故あって、本電子化を以って2019年の最後の私の仕儀とする。……では……よいお年を――]
長への命
一
愚なる國王ありき 如何にもして長への命を得むと思ひて 多くの從者(ズサ)を召しつれつ 遠く東方の諸國に不老の泉を求めぬ
[やぶちゃん注:「一」は「未定稿集」にはなく、後で「二」と出るので不審ではあった。
「ズサ」のルビは「未定稿集」にはない。]
行き行きてアゼンスの市近く來りし時遂に一行はとある山かげの岩に不老の泉の銀の如く湧き出るを見出しぬ 王喜ぶこと不斜 自ら馬より下りて之を掬へば 竒しや 白髯雛面の老爺は忽ち綠髮紅顏の壯夫となンぬ 王歡喜して云ふ「嬉しき哉 我は長の命のうま酒を得たり」
[やぶちゃん注:「岩」「未定稿集」では『岩〔窟〕』と補正注を添えてあるが、ここは、いらぬお世話であると私は思う。
「不斜」「なのめならず」。
「掬へば」「すくへば」。
「竒しや」「あやしや」。「未定稿集」は「竒」が「奇」である。
「雛面」はママ。「未定稿集」は『皺面』とする。確かに「雛面」ではおかしく、葛巻氏のの断りなしの補正は正しいかとは思う。]
二
春風秋雨億萬々年 逐に地球永遠に眠るべき――生命(イノチ)あるものの悉く亡ぶべき――時は來りぬ 然も愚なる國王は未死す不能也
月明なる夜 彼は枯骨の岡に立ちて氷河をかくるヒマラヤの絕嶺をのぞみ白雪に掩はるゝヨーロツパの大陸を眺め月に澄みたる蒼空の無窮を仰ぎ長く嘆じて云ふ「あゝ長の命は苦しかりき」
[やぶちゃん注:「あゝ長の命は苦しかりき」「未定稿集」では『あゝ 長の命は苦しかりき』と字空けが入る。
「ヨーロツパ」は「未定稿集」では『ヨーロッパ』である。]
[やぶちゃん注:「アゼンス」ギリシャの首都アテネ(Athens)の英語読み。但し、この「國王」がどの時代の人物で、彼にモデルがあるやなしやも判らぬ。識者の御教授を乞う。
さて、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の本篇の解説で坂本昌樹氏は(なお、そこで当時の芥川龍之介を『中学四年』とされているが、これは三年の誤りである)、『典型的な不老不死譚を逆手にとった作品構成の巧妙さが、後の芥川独特の機知を既に彷彿させている。無為な不老長寿に対する否定的発想は、二年後の「義仲論」』(「一 平氏政府」・「二 革命軍」・「三 最後」。以上のリンク先は私の全オリジナル注附きのブログ三分割版。冒頭に初出書誌を示してある)『に於ける木曽義仲の評価「彼の一生は短けれども彼の教訓は長かりき」』(「三 最後」の最終段落の一節)『を連想させる。徒らな「長への命」を懐疑し、短いながらも充実した義仲の「男らしき生涯」を肯定する志向に、当時の芥川の関心の一面を窺うことも可能かもしれない』と述べておられる。同感であるが、寧ろ、芥川龍之介自身の最期を考えると、これは、また、酷く皮肉な一篇ともなっているということに気づくではないか。]
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