芥川龍之介 一学期柔道納会 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔中学時代㈡〕』に載る「前號批評」に拠った。本篇には底本では標題に添え辞として、標題一字下げポイント落ちで、
〔――中学五年――〕
とあるが、これは〔 〕表記と新字表記で判る通り、葛巻氏が添えたものであるから、排除した。葛巻氏は特に注していないが、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の同篇解説で、本篇は前の「編輯を完りたる日に」等と同じく、明治四三(一九一〇)年二月発行の府立第三中学校学友会の雑誌『淡交會學友會雜誌』第十五号に『五甲 芥川』の署名(本篇末尾にある)で載ったもので、同校五年次の『自らも出場した一学期の柔道納会の記録である』とあり、新全集の宮坂覺氏の年譜によれば、本文にもある通り、前年の明治四十二年七月十九日に行われ、芥川龍之介(当時満十七歳で「白軍」)は『中堅として一人を破った』とある。
踊り字「〱」は正字化した。]
一學期柔道納會
○ 李の實も黃色くなれば、待宵草の花も咲きそめる七月十九日と云ふに、柔道部の納會が雨天體操場でひらかれる。
○ まだ試合のはじまらない道場の靑疊には、曖な日の光がさして、萩原先生が番組を見ながら、ニコニコ笑つてゐる。向うの隅では部員が大勢、小川先生をかこんで何か話してゐる。さうかと思ふと、吉田が謄寫版ですつた番組をくばつて步くのが見える。
○ 試合は校長の開會の辭と共にはじまる。一本勝負は石川先生、三本勝負は萩原先生が、檢證の勞をとつて下さる。
○ 試合にうつると直、紅軍の若武者井關が、白軍の戰士を四人迄倒した。これを紅軍の一番槍とする。次いで橋田(紅)が、又白軍を二人破る。白軍の意氣は頗る振はない。
○ 背の高い瀨川(白)が、其背の高いのを利用して紅軍の小冠者を三人も倒したが(一年の驍將[やぶちゃん注:「げうしやう(ぎょうしょう)」。強く勇ましい大将。]古澤も背の低い悲しさに脆くも抑へこまれて仕舞つた)白軍の旗幟[やぶちゃん注:「きし」。「旗と幟」から転じて「軍勢」或は「軍の形勢」。]は不相變亂れて、遂には紅軍の松田をして、撫斬[やぶちゃん注:「なでぎり」。]の功名を恣[やぶちゃん注:「ほしいまま」。]にさせた。稻村も松田に破られた一人だ。流石の稻村もよくよく景氣が惡かつたと見える。
○ 三本勝負に移つてからも、紅軍の意氣は益盛で[やぶちゃん注:「ますますさかんで」。]庭球部の重鏡石崎が(白)力戰して拒いだが、紅軍の雙槍將小川に、破られて仕舞ふと云ふ始末。白軍の運命は、愈〻孤城落月に迫つて來た。
[やぶちゃん注:「雙槍將」は「さうさうしやう(そうそうしょう)」で、「水滸伝」に登場する梁山泊第十五位の好漢董平(とうへい)の渾名。両手にそれぞれ一本ずつ槍を持っていたことに由来する。
「孤城落月」孤立した城と沈もうとする月。ひどく心細い様子の譬え。]
○ 然しながら白軍、豈人なからむやである。モルトケ將軍佐々木(白)の立つと共に、形勢は一變した。加納と中野(紅)とが相次いで破られる。
[やぶちゃん注:「モルトケ將軍」ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(Helmuth Karl Bernhard von Moltke 一八〇〇年~一八九一年) はプロイセン及びドイツ帝国の軍人で軍事学者。一八五八年から一八八八年にかけてプロイセン参謀総長を務め、対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した。「近代ドイツ陸軍の父」と呼ばれる。最終階級は元帥(以上はウィキの「ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ」に拠った)。]
○ 佐々木が山田(紅)に拔かれると急に急霰の樣な拍手が起る。白軍の靑天飇長島が、躍然として白軍の陣頭にあらはれたのである。長島は張飛が長槍を橫へて堅陣を碎くやうに、一擊して山田を破つた、つゞいて精悍、機敏を以て知られた人見(紅)も亦、長島の橫捨身で仆される。長島が菅沼に拔かれると芥川が菅沼を破る。
[やぶちゃん注:「靑天飇」「せいてんへう(せいてんひょう)」は一点の雲無き晴天に突如吹く「飇」(つむじかぜ)の謂いか。]
○ 此時にもし紅軍の副將堀内が、短兵疾驅、白軍の中堅を衝かなかつたなら、紅軍は或は敗滅の恥辱を蒙つたかも知れない。堀内は芥川を破り、馬場を破り、(馬場は久しく稽古を休んだ後だつたので此勝負は、多少割引して見る必要があるかもしれない)直に白軍の副將角張と相對した。さうして分をとつた[やぶちゃん注:引き分けとなった。]。堀内は技に於て勝つてゐる。角張は氣に於て勝つてゐる。兎に角此勝負は注目する價値のある勝負だつた。
○ 兩軍の大將軍、加藤と淸水とが立つた。淸水(白)は氣鋭の飛將軍だ。驍名の轟いた古武者の加藤(紅)に比しても、敢て遜色を認めない。けれども此勝負は加藤が勝つた。加藤は矢張柔道部の領袖たるの技と力とを備へてゐる。かくして凱歌は紅軍によつて擧げられた。「漢家火德終燒賊。」白軍の旗幟は遂に蹂躙せられて仕舞つた。
[やぶちゃん注:「漢家火德終燒賊。」「漢家(かんか)の火德 終(つい)に賊を燒く。」。清の文学者袁枚(えんばい 一七一六年~一七九八年:食通で「随園食単」の作者として知られる)の詩「赤壁」の一節。サイト「関西吟詩文化協会」のこちらで詩全篇の原文・読み・語釈・字解が載る。それによれば、『漢家火德』は『蜀(漢)は五行(ごぎょう)(木=もく・火=か・土=ど・金=ごん・水=すい)からいって』、『火の徳を以て王となることになっていた蜀が魏を破るに』、『火攻めの計を用いたことに』基づく『表現である』とあり、『蜀漢の火德が、魏の曹操の軍を焼きつくし』たと訳されてある。]
○ 試合が完ると茶話會が講堂で開かれた。諸先生の御講話がある。窓からは、若葉の香がほのかにくゆらいで靑年らしい話聲と笑聲とが元氣よく響き渡る。會の完に試合の成蹟[やぶちゃん注:ママ。]によつて定めた級の發表がある。一級松崎、二級加藤、長田、三級峯、角張、堀内であつた。(五甲 芥川)
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