芥川龍之介 編輯を完りたる日に 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔中学時代㈡〕』の冒頭に載る「編輯を完りたる日に」に拠った(葛巻氏が中学時代をこの二パートに分けた理由は私にはよく判らない。ただ、この『〔中学時代㈡〕』パートは総てが東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)の最終学年である五年次生の時のものではある。しかし、それを纏めたと言うのなら、もこちらに配するべきであるから、不審であり、そもそもが葛巻氏は底本に於いて逆編年体で作品を並べていることからも、このパートはそれに外れていて、それに従うなら、パート㈠と㈡は逆転してしかるべきであるから、それも解せないのである)。読みは「へんしふををはりたるひに」。本篇には底本では標題に添え辞として、標題一字下げポイント落ちで、
〔――「淡交会学友会雑誌」――〕
とあるが(葛巻氏は底本では自身の文章は新字新仮名で記している)、これは〔 〕表記と新字表記で判る通り、葛巻氏が添えたものであるから、排除した。しかし、東京府立第三中学校の学友会の名称が「淡交會」であることは、芥川龍之介の諸書誌には出ず(確認したところ、現在の両国高等学校のそれも同名である)、この名称がこれで知れた。
底本の末尾の葛巻氏が添えたクレジットは明治四十二年(一九〇九年)である。但し、これは執筆時で(執筆は本文にある通り、同年十二月六日)、以下が載った府立第三中学校学友会の雑誌『淡交會學友會雜誌』は、翌明治四三(一九一〇)年二月発行の第十五号である。この第十五号は本篇で判る通り、芥川龍之介自身が編集委員の一人であり、しかもこれには、かの芥川龍之介の「義仲論」(「一 平氏政府」・「二 革命軍」・「三 最後」。以上のリンク先は私の全オリジナル注附きのブログ三分割版)も発表されている、芥川龍之介にとって忘れ難い本格論文の初出誌でもあるのである。「義仲論」は全三章から成る四百字詰原稿用紙換算で九十枚に及ぶ力作であり、龍之介自身が後に『一番始めに書いて出して見た文章』(「小説を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い」大正八(一九一九)年一月発行の『新潮』掲載)と名実ともに作家以前の作として自負する評論である。但し、上記引用に続けて龍之介は『しかし、當時ではまだ作家にならうといふやうな考は浮ばなかつた。將來は歷史家にならうといふやうに思つてゐた』という述懐も添えてこう。]
編輯を完りたる日に
○ 僕は僕たちの手になつた雜誌の發刊を嬉しく思ふ。これが僕たちの拓いたさゝやかな路だ。僕たちの挑げた微な燈火だ。僕たちの努力は遂にこれだけの事しか出來なかつた。
○ しかしながら祖先は夢み子孫は行ふと云ふ。僕は何年かの後に、僕たちの夢みてゐる或物を此雜誌から生み出す人のあるのを信じてゐる。僕たちは、新に編輯の任に當る人々の眞擊な努力が望ましいと思ふ。
○ 編輯は五學年の雜誌部の委員諸君と共にした。又校報欄は各學年の委員諸君を煩した所が多い。これはこゝに御禮を云ふ。
○ 表紙は、豐田君(五丙)が、カットは中塚君(五甲)高森君(五乙)水倉君(五乙)がかいて吳れた。併せて之もこゝろから感謝する。
○ 例年の事だが編輯の日が試驗に近かつたので、實は試驗と一緖になつたので、編輯の上には、幾多の缺點があるにちがいないと思ふ。殊に本號の發刊が非常に遲延したのも完く此爲に外ならないので、これは僕が吳々も御詫をする。
○ 本號は投稿の數が極めて多かつた。このすべてを揭載するのは到底不可能な事であつた。止むを得ず、其爲に投稿の全數の約三分の二を此號に揭げる事にした。一一、揭げなかつた投稿の名を擧げるのは煩しいからやめる。諸君は編輯者の意を諒として頂きたい。
○ 編輯を完つて此記を書く。靜な夜だ。外では風が海の樣な聲をたててゐる。掃きよせた落葉がかさこそとなる。僕は多少の滿足を以て、此稿の筆を擱いた。(十二月六日夜記)
[やぶちゃん注:文中に出る「中塚君」は恐らく、芥川龍之介の同級生の中塚癸巳男(「なかつかきしお」と読むか 明治二五(一八九二)年~昭和五二(一九七七)年)で、龍之介とは親友で、芥川龍之介満十七歳の明治四二(一九〇九)年八月の槍ヶ岳山行記録「槍ヶ岳紀行」(リンク先は私のサイト版)に同行した他、当時の龍之介の旅にしばしば同行している。にしても、「投稿の數が極めて多かつた。このすべてを揭載するのは到底不可能な事であつた。止むを得ず、其爲に投稿の全數の約三分の二を此號に揭げる事にした」と述懐しながら、自分の大著「義仲論」を掲載している事実を見ても、龍之介が「義仲論」に並々ならぬ自信を持っていたことが窺えるのである。]
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