芥川龍之介 梧桐(「筆の雫」) 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)
[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔中学時代㈠〕』の掉尾に載る『梧桐(「筆の雫」)』に拠った。本篇にはクレジットがない。一つ気になるのは、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の乏しい書誌情報の中、本篇については、底本の他に収録されているものとして山梨県立文学館編「芥川龍之介資料集」(一九九三年刊。私は現物を見たことがない)を挙げているが、そこには『筆の雫 「梧桐」』としている点である。この書き方では「筆の雫」というアンソロジーの想定が可能で、その中の一篇として「梧桐」が書かれたと読めるからである。但し、「筆の雫」を冠した他の原稿などはない模様である。しかし、底本の書き方だと、そう採るよりは、初め「筆の雫」と題したが、その上に新たな題として「梧桐」と書いた(芥川龍之介の草稿や原稿を見ると、そのような形で改題したものが実際にあり、廃した題がミセケチ風のものもある)と読む方が普通である。取り敢えず、底本の通りの題標記とした。なお、「芥川龍之介作品事典」ではこの「梧桐」を「あおぎり」と読んでいる(根拠不明)。されば私も一応、「梧桐(あをぎり)」と訓じておくことにする。文中の〔 〕は葛巻氏の補正挿入である。
「膏雨」は「かうう(こうう)」と読み、農作物を潤おして生育を助ける雨・恵みの雨のこと。]
梧桐(「筆の雫」)
梧桐は君子也。木膚も葉もさらりとして如何にも、げに如何に曲事を嫌へばとて綠の練衣に同じ色の冠迄つけて亭々として我如く直かれと敎ふる〔に〕あらずや。然も余は梧桐を愛する也。
學校の庭に梧桐あり。春の初、赤く芳しき若葉を出す。夜來の膏雨止み、空玉の如くになりたるに一抹紗の如き白雲のその梢にかゝりたる、又捨てられぬ趣あり。
芝なる姉の家に梧桐の大木あり。初冬の頃には大いなる其葉枯れ、乾き落ちて、堆をなす。余は朝ほの闇き中に起きて、葉疎(まば)らなる其梢に有明の月を見き。
月明らかなる夏の夜、其樹下に立てば月色溶々水の如くにして、樹影墨よりも黑く涼氣圏に浮動して身は水中に立つの思あり。之又佳。
或年の秋、友と遠足して某寺に詣る時に、夕陽西山に落ち西空の金漸にあせて一鴉水の如き秋空を渡り群山蒼々として正に暮れなんとす。寺内人なく只梧桐兩三珠亭々として黃昏に立てり。徘徊稍久うして空を仰げば二葉三葉哀れをとゞめたる梧桐の梢に夢よりも淡き夕月の影を見たりき。
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