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2019/12/29

芥川龍之介 (明治四十二年十月廿三日、東京府立第三中學校 發火演習ノ際 芥川中隊長ヨリ發セラレタ命令) 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(正字正仮名ブログ版)

 

[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」の『〔中学時代㈡〕』の掉尾に載る「〔明治四十二年十月廿三日、東京府立第三中學校 發火演習ノ際 芥川中隊長ヨリ發セラレタ命令〕」に拠った。標題は〔 〕で括られているからには正字表現ではあるものの、葛巻氏が附したものと思われる。しかし、適当な標題がないので、これを( )に代えて標題とした。

 葛巻氏は特に注していないが、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の同じような演習の記事である「芥川龍之介 十月二日発火演習記事」の方の解説によると、「義仲論」(「一 平氏政府」「二 革命軍」「三 最後」。以上のリンク先は私の全オリジナル注附きのブログ三分割版)・一學期柔道納會「十月二日發火演習記事」「前號批評」「編輯を完りたる日に」が載った、明治四三(一九一〇)年二月発行の府立第三中学校学友会の雑誌『淡交會學友會雜誌』第十五号には、「十月二日發火演習記事」の前に『五乙』の『田中』の署名の「十月廿三日發火演習記事」が芥川龍之介の「十月二日發火演習記事」前に載っており、『それによれば』この時の演習では『芥川は中隊長の任に就いている』とあり、新全集の宮坂覺氏の年譜によると、これは「十月二日發火演習記事」に記された同校五年次の明治四十二年十月二日(土曜日)に行われた同校の「発火演習」(「芥川龍之介作品事典」によれば、『火薬だけを使って』実弾を込めずに『空砲を打つ射撃演習のことであるが、ここでは所謂』、『軍事教練と考えてよいだろう』とある)の二十一日後の、明治四十二年の同じ月である十月二十三日(土曜日)に参加した際の、この時は中隊長役となった芥川龍之介が発令した軍事演習命令そのものである。

 底本では「際」で改行して二行で表記している。ブログ・ブラウザでの不具合を考え、本文のそれは三行に分かった。【 】で括った部分は底本では二行割注で前後に括弧はない。命令本文は全体が一字下げであるが、行頭に引き上げた。命令本文には読点は一切ない。]

 

   (明治四十二年十月廿三日、

    東京府立第三中學校 發火演習ノ際

    芥川中隊長ヨリ發セラレタ命令)

 

   命令 【十月二十三日午前十時中矢切村南端に於て】

一、情報によれば敵の一部隊は金光明寺附近に出沒しつあり

二、我北軍部隊は市川停車場を占領する目的を以て、松戶街道を前進中なり

三、我中隊は此左側衞として、金光明寺附近に出沒する敵軍を警戒すべき任務を有す

四、第一小隊は前衞第二 第三小隊は本隊 本隊は第二小隊長之を指揮せよ

五、余は前衞と共に行進す

           中隊長 芥川龍之介

   ○敵に關する注意

  一、敵は帽に日覆を附せず

  二、空砲は三發を使用せよ

  三、漫に耕作地に入るべからず

[やぶちゃん注:「矢切村」千葉県松戸市にある「上矢切(かみやきり)」・「中矢切(なかやきり)」・「下矢切(しもやきり)」の三地区の総称で、嘗つては、それぞれ、上矢切村・中矢切村・下矢切村という独立した村であったが、松戸町との合併により、現在は松戸市の一部となっている。なお、その合併は明治二二(一八八九)年四月一日の町村制施行に伴うもので、松戸駅・小山村・上矢切村・中矢切村・下矢切村・栗山村が合併して東葛飾郡松戸町(旧)が発足しているから、本演習の際には最早村ではなかった。三年後の明治四五(一九一二)年の国土地理院図との対比で見られる時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」のこちらを見るに、本文にある「南端」は下矢切地区であることが判る。因みに、知られた「矢切の渡し」の東方直近に当たる。

「金光明寺」これは恐らく現在の市川市国分にある真言宗国分山国分寺(下総国分寺)である(グーグル・マップ・データ)。松長哲聖氏の優れた寺社案内サイトの同寺の記載に、『国分寺は』、天平一三(七四一)年の『詔勅によると「僧寺は寺名を金光明四天王護国之寺と為す」とあり、この年には下総国の国分寺として当寺が建立されたと』され、『其の後まで』、「国分山金光明寺」と称し、『薬師堂の別当を勤めていたといい、慶安』二(一六四九)『年には江戸幕府より寺領』十五『石の御朱印を拝領、明治』二二(一八八九)『年に国分山国分寺と改称したと』されるとあるから、この寺を「金光明寺」(こんこうみょうじ)と呼んで何らおかしくない。ロケーションも一致する。

「市川停車場」先の「今昔マップ」を見ても、現在の市川駅と同じ位置にある。

「松戶街道」千葉県道一号市川松戸線の愛称。千葉県市川市市川の国道十四号・千葉県道六十号市川四ツ木線(千葉街道)との交点である「市川広小路」交差点を起点として、松戸市小山の国道六号(水戸街道)、千葉県道五号松戸野田線・千葉県道五十四号松戸草加線(流山街道)との交点である「松戸二中前」交差点を終点とする県道。ここ(グーグル・マップ・データで「下矢切」をポイントし、その東を南北に走る同街道の中央に国道記号が見えるように示した)。]

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